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2017年8月の7件の記事

2017年8月21日 (月)

触媒学会編「トコトンやさしい触媒の本」日刊工業新聞社B&Tブックス

一体、触媒とはどのような物質で、どんな役割をしているのでしょうか?化学の教科書では「反応物質よりも相対的に少量で、反応速度を促進させ、それ自身は反応中消費されない物質」と定義されています。
  ――はじめに

元素の手の数は決まっており、水素(H)と、酸素(O)と窒素(N)と炭素(C)の手の数がそれぞれ1,2,3,4ということだけです。
  ――第1章 触媒って何だろう

ラジカルとは、一本の手が何にも掴まっていない状態の分子の総称で、これがエチレンの分子を「攻撃」するのです。
  ――第4章 触媒を駆使する化学産業

【どんな本?】

 触媒。名前はよく聞くが、どんなモノかはイマイチよくわからない。かつて自動車の排気ガス規制が厳しくなった時、よく話題になったような気がする。

 が、実際には、現代文明を支える重要な技術であり、また私たちの体内でも命をつなぐ大切な役割を担っている。

 触媒とは何か。それは何で出来ていて、どんな働きをするのか。どんな特徴があり、どこで使われて、どんな役割を果たしているのか。そして、将来的にはどんな触媒が考えられるのか。

 大学・企業の幅広い研究者たちによる、一般向けの科学・工学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2007年2月28日初版1刷発行。単行本ソフトカバー縦二段組で本文約140頁。9ポイント23字×17行×2段×140頁=約109,480字、400字詰め原稿用紙で約274頁。小説なら中編の分量だが、図版やイラストを豊富に収録しているので、実際の文字数は半分程度。

 文章はです・ます調で一見親しみやすいが、専門家が書いた文章らしく、読んでみるとやや堅い。本来、化学の広く深い知識が必要な内容だが、素人に伝わるように色々と工夫している。が、基礎から最新技術までカバーするにはさすがに頁数が足りず、駆け足になっている所がアチコチに見られる。

 このシリーズの特徴は、知識と経験が豊富な、その道の一人者が著す点だ。反面、ド素人向けの著述は不慣れな人が多く、とっつきにくい文章になりがちである。著者の長所を引き出し短所を補うため、編集・レイアウト面で徹底的な配慮をしている。以下は、シリーズ全体を通した特徴。

  • 各記事は見開きの2頁で独立・完結しており、読者は気になった記事だけを拾い読みできる。
  • 各記事のレイアウトは固定し、見開きの左頁はイラストや図表、右頁に文章をおく。
  • 文字はゴチック体で、ポップな印象にする。
  • 二段組みにして一行の文字数を減らし、とっつきやすい雰囲気を出す。
  • 文章は「です・ます」調で、親しみやすい文体にする。
  • 右頁の下に「要点BOX」として3行の「まとめ」を入れる。
  • カラフルな2色刷り。
  • 当然、文章は縦組み。横組みだと専門書っぽくて近寄りがたい。
  • 章の合間に1頁の雑学的なコラムを入れ、読者の息抜きを促す。

 この本は多数の執筆者によるものだが、例えば元素同士の結合の様子を「手がn本」という言葉に統一するなど、丁寧な編集がなされている。

【構成は?】

 はじめに
第1章 触媒って何だろう
第2章 触媒はどんな形をしているか
第3章 エネルギー・環境と触媒
第4章 触媒を駆使する化学産業
第5章 グリーンケミストリーと触媒
第6章 意外な触媒の利用
第7章 ノーベル賞と触媒
 元素の周期律表(元素索引)/参考書/索引/奥付

 第2章までは基礎編として原理の話、第3章以降は応用編として使われ方の紹介が多い。

【感想は?】

 「尺が全然足らねえ!」という執筆者の悲鳴が聞こえてきそうな本。

 第2章までは、基礎編としてどうにかついていけた。特に「手がn本」とか酸とアルカリの違いなどは、今更ながら化学の基礎をおさらいできて、とっても得した気分になる。

 特に表面積の話からゼオライト(→Wikipedia)に向かうあたりは、お話の流れとして実に巧い。ZSM-5(→Google画像検索)の形とかも、なんかフラクタルっぽいと思ったが、どうやら違うみたいだ。でも不思議な形だよなあ。

 と、第2章までは、なんとか振り落とされずに済んだのだが。

 通して読むと、触媒が現代文明を支えている事は充分に伝わってくる。特に中盤以降は、様々な産業での触媒の使われ方の紹介が中心だ。

 ここでは、「もっと詳しく説明したいのに、なんで2頁しかくれないんだ」とか「他にも面白いネタが沢山あるのに、頁をくれない」みたいな雰囲気がプンプン匂ってくる。

 というのも。第3章以降は、実際の応用例が中心を占めている。産業として成立させるまでには多くの問題があって、それを分からせるには広く深い化学の知識が必要だ。でも、この本にはそんな余裕はない。

 ってんで、理屈の部分はアッサリと触れるだけにして、「こんな風に触媒が使われてるんですよ」と、見栄えのいい結果だけをポンと出した、そんな雰囲気の話が多くなる。

 とまれ、その例も石油関係の話が多くて、クルマ好きや国際問題や環境問題に関心のある人には、興味深い話が多い。例えばクリーン・エネルギーとして期待されている水素だ。キレイなのはいいが、どっから水素を調達するうんだろう? と思っていたら。

 なんと、「大部分の水素は意外にも天然ガスや石油成分(炭化水素)を原料としています」。おーい。

 石油の主な成分は炭素Cと水素Hの化合物だ。これに水HOを加え、水素Hと二酸化炭素COを取りだす。結局、今の調達方法じゃ、出てくる二酸化炭素の量は変わらないって事じゃないか。

 やはり現代の応用例として驚いたのが、空気からアンモニアを作るハーバー・ボッシュ法。20世紀前半の食糧危機を乗り越える原動力となった、偉大な発明だ。これに関わっているのが、鉄触媒。Fe3O4。いわゆる黒錆だ。どういう理屈かは全くわからないが、意外なモノが意外な所で活躍してるんだなあ。

 身近なモノでは、ポリエチレン(→Wikipedia)の製造法が面白い。スーパーのポリ袋でお馴染みのアレだ。分子式はCHがヒモのように次々と並ぶ形。アレ全体が巨大な一つの分子なのか。これを作るには、エチレンにラジカルを一個突っ込むと、次々とエチレンがポリエチレンにかわってゆくのですね。

 などと様々な所で活躍している触媒だが、泣き所もある。その一つがお値段で、白金(プラチナ)などの貴金属を使う場合が多い。

 だもんで、例えばクルマを廃車にする時は、排気ガス浄化装置を「丁寧にハ外されて集められます」。そりゃそうだよなあ。その結果、「白金などの貴金属の回収率は95~98%」というから、たいしたもの。意外な所に貴金属が使われているんだなあ。

 はいいけど、なんで白金なの? その辺の説明も欲しかったなあ。

 なんて不満がある人は、巻末の参考文献から手繰って知識を深めましょうって事なんだろう。そういう意味では、入門書として巧い構成なのかも。

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2017年8月20日 (日)

仁木稔「ミカイールの階梯 上・下」ハヤカワSFシリーズJコレクション

「ご存知ですか。男女がそれぞれ同じ程度の暴力を振るった時、人はなぜか女の行為をより残忍だと感じ、恐怖します」
  ――上巻p156

「民族主義とは究極の純粋であり、決して到達し得ない純粋です。その追及は際限ないテロルの応酬か殲滅戦への道であり、すなわち破滅への道です」
  ――上巻p275

「おまえのために命を懸けた時から、あいつはおまえのものになった」冷然と述べた。「そして、おまえはあいつのものだ」
  ――下巻p259

「言葉の最大の強みは、保存も再生も容易なことだ」
  ――下巻p308

【どんな本?】

 「グアルディア」「ラ・イストリア」「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」と共に、未来史≪HISTORIA≫シリーズを成す作品。

 急激な遺伝子の変異を引きおこすウイルスの蔓延により、人類は多数の疫病に襲われる。人々はそれぞれの土地に引きこもり、少しづつ耐性を獲得して生き延びた。だが、遠方から訪れるよそ者は未知の疾病を持ち込むため、人の移動や交易は衰え、文明もまた滅びてゆく。

 舞台は25世紀の中央アジア、現キルギス・カザフスタン・中国の国境付近。旧文明の遺産を継ぐミカイリー一族は、マフディ教団と組んでいる。だが一族の後継争いが起こり、当主候補のミルザは、マルヤム&フェレシュテの母娘と共に亡命を試みる。目的地は中央アジア共和国のイリ州。

 彼らは赤髪の精鋭部隊(グワルディア)に捕えられた。イリ州の軍管区司令官のユスフ・マナシーの指令によるものだ。指揮をとったのは、中央政府より派遣さればかりの、政治将校のセルゲイ・ラヴロフ。

 これが、ミカイリー一族の秘密を握る少女フェレシュテと、赤髪の精鋭部隊の少女リューダの出会いだった。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい! 2010年版」のベストSF2009国内篇で20位に食い込んだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 本文2009年5月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦2段組みで上下巻、本文約277頁+302頁=579頁に加え、あとがき4頁。8.5ポイント25字×19行×2段×(277頁+302頁)=約550,050字、400字詰め原稿用紙で約1,376枚。文庫本なら厚めの上下巻か薄めの上中下巻の分量。

 文章は比較的にこなれている。ただし、内容は、ちととっつきにくい。なんといっても、このシリーズ特有の設定がかなり凝っているためだ。また、遺伝学の知識が多少あったほうがいい。加えて、中央アジアやロシアの歴史に詳しいと、細かいネタが楽しめる。

 それと、残酷な場面が多いので、そっちの耐性が必要。

【感想は?】

 色々な読み方がある。大きな流れとしては、滅亡の縁にたつ人類のあがきだ。が、私はそれより、リューダとフェレシュテの百合物語として楽しんだ。

 リューダは精鋭部隊グワルディアの卵。グワルディアって名前が、デビュー作「グアルディア」を思わせる。また、この精鋭部隊の一族が、赤毛ってのも、ニヤリとしたり。確か赤毛は劣勢遺伝で、将来は滅びるんじゃないか、なんて話もあったり。

 にもかかわらず、過酷な歴史の中で生き延びてる、どころか一族揃って赤毛ってあたりに、「何か仕掛けがあるな」と匂わせてたり。また、精鋭部隊を名乗るだけあって、グワルディアは優れた身体能力・戦闘能力を持つ。いわば傭兵集団だ。究極の体育会系とでも言うか。

 対してミカイール一族は、旧文明の知識を受け継ぐ、知恵の一族。特にフェレシュテは、何かとんでもない秘密を持っているらしく…

 と、人間模様としてはこの二人を中心に、有象無象が絡みダイナミックに物語が展開してゆく。

 中でも存在感が大きいのが、ユスフ・マナシー。中央アジア共和国イリ州の軍管区司令官。この国、現ロシアの成れの果てらしく、ルースとかルイセンコ主義とか、ソレっぽい単語がチラホラ出てくる。はいいんだが、微妙に現代の言葉と意味が違ってるっぽいのが時代を感じさせて、雰囲気を出してる。

 地域で軍閥化が進んでいるのは、人の移動が制限されているためだろう。そんなわけで、地域に溶け込み土着化しているユスフ、ただでさえ腹の中が読みにくいロシア系が、更に複雑怪奇に屈折しまくってる。なかなか底を見せず、次々と隠し玉を繰り出す彼の本心がどこにあるのか、それも読んでのお楽しみ。

 そんなユスフのお目付け役として、中央から派遣される政治将校セルゲイは、ちと頼りない。地元で権勢をふるうユスフにとっちゃ煙たい存在なわけで、大丈夫かいなと心配になったり。おまけに性格が暗いしw

 他にもクセの強い人物が沢山出てきて、それぞれの勢力を率い争うお話なんだが、単純な勢力争いじゃないのが、この作品の大きな特徴。

 先のユスフにしても、地域のボスとして君臨しちゃいる。中央政府の干渉を煙たがってはいるようだが、「支配地域を広げたい」とか「中央に戻り出世しいたい」とかの、わかりやすい目的は持っていない様子。

 そのユスフに対抗するのが、マフディ教団と組むミカイリー一族。その当主候補ミルザは自ら逃げ出すし、もう一方の候補レズヴァーンときたら…。

 とかの何考えてんだかわからない連中が、陰険な策謀を巡らし、アチコチで凄惨な暴力場面が展開するなかで、単純に互いに求め合うリューダとフェレシュテの純愛?が光るわけです。

 SFとしては、やはり遺伝子操作技術が仕掛けの中心となる。が、それ以上に、文明が滅びロシアや中国など大国の影響が薄れた後の、中央アジア情勢って発想が楽しい。

 今でもアフガニスタンで紛争が絶えないように、中央アジアはユーラシアの要所だ。それだけに多くの民族や宗教がぶつかりあい、混じりあっている。今は中国やロシアなどの強国が力で抑えているけど、国家のタガが外れたらどうなるか。

 今でこそ辺境の印象があるけど、かつては交通の要所として栄えた時代もあるだけに、「歴史のif」の一つとしても、興味深い仕掛けを秘めている。

 設定は凝っているし、細かいネタも多い。ユーラシア史に詳しい人なら、更に楽しめるだろう。が、そんな難しい事を考えなくても、百合物語として充分にイケます、はい。

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2017年8月16日 (水)

エドワード・ヒュームズ「『移動』の未来」日経BP社 染田屋茂訳

この本は、交通に関する推理小説だと思っていただきたい。ただし目的は犯人を見つけることではない。これまで陰に隠れていた事実や場所、神話にスポットをあてて、買ったものがその日に届く、交通過密なこの世界の仕組みを知ることである。
  ――序文 300万マイルの通勤

製造に使われる原材料のなかで唯一、アルミニウムは無限にリサイクルが可能なのだ。(略)しかもリサイクルした場合のほうが、ポーキサイトを採掘して精製する場合と比べて、92%もエネルギーを削減できる
  ――第2章 缶のなかの幽霊

1979年までにさかのぼる、アメリカとイギリスで行われた大規模な調査によれば、90~99%の交通事故の責任は人間の過失にあるという。
  ――第4章 1週間に旅客機4機

ドミノ・ピザ社の本当のビジネスはピザづくりではない。物流と輸送なのだ。
  ――第6章 ピザ、港、そしてバレンタイン・デー

「なぜ港が要るんです?」その女性は尋ねた。「ここにはウォルマートがあるのに」
  ――第7章 物流レディース

UPSは2004年に有名な左折禁止ルールを定めた。(略)左折の9割を回避するルートを選択すれば、アイドリングの時間は1年間で9800万分(約163万時間)(略)節約できることがわかった。さらに左折は右折と比べて衝突事故は10倍、歩行者の死亡事故は3倍起きている
  ――第10章 最後の1マイル

ヒューストン市が2010年に交差点から赤信号監視カメラを撤去すると、重傷事故が84%、死亡事故も30%、全体で交通事故が116%増加した。
  ――第13章 未来の扉

【どんな本?】

 iPhone は、あなたの手元に届くまで、少なくとも25万kmを旅する。部品を世界中から調達し、様々な工程を多くの国が担っているため、各部品の移動距離を足すと、それぐらいになるのだ。無駄なように思えるが、そのお陰でアップル社はコストを削減できている。

 これらの部品は、どのように旅をするのか。その旅の途中で通る港や道路や倉庫、乗り込む船やトラックの現状はどうなっているのか。旅程を調整するサプライヤーや施設を管理する港湾局長、配送を担う運輸業者は、何をやっているのか。

 道路を使うのは業者ばかりではない。ロサンゼルスの道路は連日渋滞している。だが、そんな道路事情に、新しい動きが出てきた。若い世代は自動車を持たず、Uber などの配車サービスが活況を呈し、グーグルカーなどの自動運転車が登場しつつある。

 物品の流通から人間の移動、ロサンゼルス港など運輸施設の管理からUPSなど配送業者の実態、iPhone からコーヒーなどモノの移動経路、そして疲弊しつつあるアメリカの輸送基盤と、それを解決する思い切った提案まで、モノとヒトの移動に関わる現状と展望を描く、驚きに満ちたドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Door to Door : The Magnificent, Maddening, Mysterious World of Transportation, by Edward Humes, 2016。日本語版は2016年10月31日第1版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約390頁に加え、付録14頁。9.5ポイント43字×18行×390頁=約301,860字、400字詰め原稿用紙で約755枚。文庫本なら厚めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。距離はマイル表記だが、1.6倍すればキロメートルになる。また、ご存知のようにアメリカは自動車が右側通行。

【構成は?】

 序文が見事に全体をまとめているので、味見にはちょうどいい。各章は比較的に独立しているので、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。

  • 序文 300万マイルの通勤
  • 第1章 朝のベル
  • 第2章 缶のなかの幽霊
  • 第3章 朝のコーヒー
  • 第4章 1週間に旅客機4機
  • 第5章 13日の金曜日
  • 第6章 ピザ、港、そしてバレンタイン・デー
  • 第7章 物流レディース
  • 第8章 エンジェルズ・ゲート
  • 第9章 バレエの動き
  • 第10章 最後の1マイル
  • 第11章 交通のピーク
  • 第12章 楽園のロボット
  • 第13章 未来の扉
  •  付録/謝辞/注/おもな企業・団体・個人名索引

【感想は?】

 やはり交通・流通関係の本は面白い。誰にも身近で関係がある上に、意外性に満ちている。

 まずは iPhone だ。ホームボタン1個を作るだけでも、中国の湖南省→江蘇省→台湾の高雄市→日本… と、極東をウロつきまわる。外交的には犬猿の仲のはずの中国と台湾が、iPhone の製造では仲良く?力を合わせているのだ。

 ジュースやビールでお馴染みのアルミ缶が、リサイクルの優等生なのも意外。リサイクルしても品質は落ちず、どころか安上がりだったりする。しかも、かつてのクズ鉄のように、アメリカの缶製造企業は、「ヨーロッパをはじめ、世界各国から使用済みの缶を輸入」してたり。グローバル化すげえ。

 これを支える基盤の一つ、ロサンゼルス港の規模と、その存在感の薄さも驚き。混雑時には、入港待ちの貨物船の列が32kmも並ぶ。それでもコンテナ化で飛躍的に効率は良くなったのだ。昔は1時間かかってた荷揚げが、たった2分で終わるのだから。

 当然、クレーン操縦士は高給取りだ。「週30時間労働で年収は25万ドル」。下手な医者よりよっぽど稼いでる。これは水先案内人も同じで…

 この辺で描かれる海運業界の実態も、驚きの連続。ナンバーワンがデンマークの会社だったり、コンテナ船の建造を日本と韓国がリードしてたり、アメリカの衣料の97%が輸入だったり。ウォルマート恐るべし。

 などと港の話はデカいだけに私の中の男の子が騒ぎ出すが、陸に上がると呑気に喜んでもいられない。とにかくアメリカの交通事情は恐ろしい。2014年だけでも、自動車の交通事故で3万5千人以上が亡くなっている。

 これは銃で亡くなった人とほぼ同じ。アメリカ旅行じゃ銃と同じぐらい車に気を付けなきゃいけない。ちなみに同年の日本の交通事故死は4千人ぐらい。人口比で調整しても、アメリカの道路は3倍以上ヤバい計算になる。

 なんでこんなに酷いのか。

2014年、ウォールストリート・ジャーナル紙が交通裁判および刑事裁判のデータを徹底調査し、ニューヨーク市の交通死亡事故の95%が起訴にいたらなかったことを明らかにした。

 そう、アメリカはドライバーに異様に甘いのだ。「なら道路交通法を変えろよ」と日本人なら考えるだろう。ところが、これがうまくいかない。そんな事を議員が言い出すと、確実に議席を失う。

 アメリカじゃ大半の市民はドライバーでもあり、みんなクルマびいきなのだ。自転車をひき逃げした事故のケースでも、多くの市民は「道路を塞ぐ自転車が悪い」と決めつける。運転免許を取るのに縦列駐車を免除する州まであるってんだから呆れちまう。

 お陰で交通マナーは良くならず、どころか重く頑丈なSUVの流行はタフガイ気どりのオラオラ運転を蔓延させる始末。

 自動運転を目指すグーグルカーは、そういう状況から生まれた。単に便利ってだけじゃない。アメリカの、特に西海岸じゃ、命がけの問題だったのだ。である以上、近い将来に無人自動車が普及するだろうと思うんだが…

全米都市連盟が、国内の人口上位50に各州最大の都市を加えた合計68の都市を対象にそれぞれの交通計画を分析したところ、無人自動車の潜在的な影響を考慮して計画を立てていた都市はわずか6%だった。

 と、政府や役人の発想は全滅に近いありさま。これは日本でも似たようなモンだろうなあ。どうせ経済特区を作るなら、Google と協力して無人自動車特区でも作ればいいのに。巧くいけば外科医が余るだろう。

 本書のネタの大半はアメリカ国内の話だが、UPSは宅急便みたいなモンだし、ドミノ・ピザや Uber は既に日本に進出している。渋滞に悩む都市も多いし、日本が貿易で食うためには港湾が経済の命運を握る。そう思って読もう。とっても身近で切実な話題が詰まったエキサイティングな本なのだから。

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2017年8月14日 (月)

ジョーン・スロンチェフスキ「軌道学園都市フロンテラ 上・下」創元SF文庫 金子浩訳

太平洋上を宇宙エレベーターが炭疽菌ケーブルを伝って上昇していた。
  ――上巻p11

「毎日、朝ごはんをプリントアウトするのを忘れないでね」
  ――上巻p56

「動物っていうのは放浪癖のある植物にすぎない」
  ――上巻p120

「家賃を払うのだってやっとなんです。 このままだと、あと三日で家が溶けちゃうんですよ」
  ――上巻p352

「人に、ほんとうに起きているんじゃない別のことが起きてるんだって思わせるのはおもしろいのよ」
  ――下巻p37

「愚かさって病気じゃないの?」
  ――下巻p264

【どんな本?】

 アメリカのSF作家ジョーン・スロンチェフスキによる、学園コメディ長編SF小説。2012年ジョン・W・キャンベル記念賞受賞。

 22世紀初頭。地球は温暖化し、危険な地球外生物ウルトラファイトが蔓延していた。合衆国大統領を輩出する家柄のジェニー・ラモス・ケネディは、事故で愛する兄を喪ったばかり。両親のもとを離れ、軌道上のフロンテラ大学に進学し、生命科学を学ぶつもりだ。

 人為的に小型化された像やテディベアが遊ぶフロンテラは、生物相まで徹底して管理しており、ウルトラファイトなどヒトに害をもたらす生物の侵入を許さない安全な環境だ。

 早速、同じ新入生の聡明なアヌークと意気投合したジェニー。スランボールのチームはキャプテンのケン&ヨーラをはじめとして、みな気があいそう。ただ同居人のメアリはなかなか姿を見せないし、生命科学の教授シャロン・アベネイシュの指導は厳しい。

 勉学に、スポーツに、ボランティアに、そして新しい出会いに、忙しく日々を過ごすジェニーの周囲に、トラブルは絶えず…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Highest Frontier, by Joan Slonczewski, 2011。日本語版は2015年6月30日初版。今は文庫本で合本が出てる。上下巻で本文約420頁+406頁=826頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント42字×18行×(420頁+406頁)=約624,456字、400字詰め原稿用紙で約1,562枚。上中下の三巻にしてもいい分量。

 ズバリ、かなりとっつきにくい。いや文章はかなり工夫しているのだ。ただ、内容的にかなりクセが強い。見慣れぬガジェットが出てくるとワクワクする濃いSFファン向け。

【感想は?】

 そう、この作品はかなりとっつきにくい。理由は4つ。

 なんといっても、小説として不親切。冒頭からたくさんの人物が登場し、それぞれが複雑な関係を持っている。これを一気に覚えなきゃならない。創元SF文庫の伝統で、巻頭に登場人物一覧があるのが、とても有り難い。

 次に、アメリカ文化、特に名門大学の文化にベッタリな点。友愛会や上級生との関係など、アメリカの大学の風習をデフォルメして描いてるんだろう。アメリカ人には以心伝心で通じる文化なんだろうけど、日本人にはピンとこない場面が多い。

 第三として、これが「オフビートなコメディ」な点。そう、変な奴ばかりが出てくるのだ。が、この「変」ってのが、アメリカ(の知識階級の)文化を基準としたものなので、何がギャグで何が文化的な違いなのか、外国人にはイマイチよくわからない。改めて考えると、モンローやニューマンは相当にキツいギャグなんだとわかるんだが。

 そして最後に、SFとしてかなり濃いこと。最初の行から「宇宙エレベーターが炭疽菌ケーブルを伝って上昇していた」とくる。他にもウルトラファイトやらトイネットやらHIVやら、ブッ飛んだアイデアが冒頭から矢継ぎ早に出てくる。

 そんなこんなで、特にSFに慣れていない人にとっては、凄まじくとっつきにくい。逆に濃いSF者は、「なんかシンドイけどイカれたアイデアがギュウギュウに詰まってて美味しそう」と食欲をそそられたり。

 最初の頁で、ジェニーはニューヨーク州の自宅でクズ(葛)を剪定する最中に、地球外生命体のウルトラファイトを見つける。ここ、実に見事にアメリカ人向けである由を表す場面なのだ。

 現在、合衆国南部は日本から侵入したクズが大繁殖し、侵略的外来種に指定されている(→Wikipedia)。日本から侵入し定着してしまったクズと、地球外からの侵入種ウルトラファイトを対比させているんだが、これがピンとくるのはアメリカ人ぐらいだろう。

 そのクズが主に繁殖しているのは南東部が中心で、北東部のニューヨーク州は比較的に被害が少ない。ここにクズが繁殖している事で、地球の温暖化をほのめかせているんだが、これもアメリカの地理とクズの繁殖地を知っている人でないと、伝わりにくい。

 などと文句ばかりを垂れているが、SFとしてはイカれたアイデア満載で、なかなか楽しい。

 最初の炭疽菌ケーブルもそうだし、HIVの使い方も驚きだ。たぶんRNAウィルスなのがキモなんだろう。これが実は重要な伏線だったりするので、よく調べておこう。

 この時代、引っ越しも大きく変わり、たいていの実用品は3Dプリンタで転送すればいい。物語中で3Dプリンタは大活躍で、メシも服も家具も「プリントアウト」。便利なような、味気ないような。ところが大学生って、知恵はあっても分別は足りず、しかも無駄にエネルギーを持て余してるんで…。

 そういう意味じゃ映画「アニマル・ハウス」みたいな味もある。ただ騒ぎをおこすのが、落ちこぼれじゃなくて、優秀なクセに困った性癖と強力なコネを持った連中なのが、更にタチが悪いw

 肝心のジェニーにしても、自傷癖のあるメンヘラ。彼女とツルむアヌークは、ゴージャスな美女にして数学に秀でる才媛…かと思ったら、なんてこったいw 同居人のメアリはなかなか姿を見せず、やっと姿を拝めたと思ったら相当なプッツンさんで。

 恋愛要素もあるんだが、なにせ22世紀。同性愛も珍しくないんで、あたしゃちょっと期待しました、はい。その辺は…まあ、読んでのお楽しみ。

 オジサン・オバサンの読者は、ディラン学長の苦労に同情しよう。悪知恵に長け無限の行動力を持つ学生たちに加え、一癖も二癖もある教授陣ばかりでなく、学外からの問題にも対処せにゃならず、気の休まる暇がない。ほんと、少しは報われてもいいよなあ。

 などの人間模様を楽しむには、「大半の登場人物が変な奴」だって点を強く意識して読もう。これ大事。

 などのコメディ要素の他に、SF者にはスランボールをはじめ、中つ国やファウンデーションなど細かいネタが満載なのも嬉しい所。やはりスランボールのヘルメットにはアホ毛がついてるんだろうか。

 などと、序盤こそやたらモタつくものの、終盤に入ると、頻発するトラブルが拡大と増殖を繰り返し怒涛の展開となって、懐かしい王道のサイエンス・フィクションの味わいを蘇らせるエンディングへとなだれ込んでゆく。

 様々な理由で序盤はかなりとっつきにくいものの、SF者には美味しいネタを大量に散りばめて引き留め、最後にはキチンと本格SFの読了感を味合わせてくれる作品。

 テディ・ルーズベルトをはじめやたらとアメリカを強調するあたりはかなりアクが強いが、それもまたジョン・W・キャンベル記念賞らしい風味でもある。クセは強いが、濃いSFが欲しい人にお薦め。

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2017年8月10日 (木)

エリザベス・ハラム編「十字軍大全 年代記で読むキリスト教とイスラームの対立」東洋書林 川成洋・太田直也・大川美智子訳

「エルサレムは世界の中心であり、どこよりも実り豊かな土地、さながら第二の楽園である。この気高い都市は今や敵の手に捕われ……解放を切望している。止むことなくあなた方の助けを求めているのだ」
  ――編者ノート

第一回十字軍はエルサレム征服という偉業を成し遂げたが、第二回十字軍はダマスカスからの撤退という不名誉な結果に終わった。
  ――第3章 第二回十字軍 1147~1149年

第1回十字軍の参加者たちの主な財源は、所領を抵当とした借金と、所領の売却によって捻出されたものだった。
  ――第4章 第三回十字軍 1189~1192年

1204年、第四回十字軍の軍勢はビザンツ帝国の首都であり、東方教会の総主教座であり、ローマ帝国最盛期から受け継いできた文化的・芸術的・知的遺産の宝庫でもあるコンスタンティノープルを攻撃し、略奪した。
  ――第5章 第四回十字軍 1202~1204年

1203年から1204年にかけての第四回十字軍が目標をコンスタンティノープルに転じたということは、13世紀初頭、聖地における十字軍国家にヨーロッパからの支援が、ごくわずかしか届かなかったということを意味していた。
  ――第6章 13世紀の十字軍

聖地からキリスト教徒を排除することから始まった十字軍史上の最後の最後の一時代は、この東ローマ帝国の終焉(1453年5月29日コンスタンティノープル陥落)をもって幕を閉じ、今やオスマン・トルコがローマ帝国の誇り高き後継者となったのである。
  ――第7章 最後の十字軍

【どんな本?】

 11世紀末。西ヨーロッパのカトリックが、イスラム教徒から聖地エルサレムを取り戻すために始まった、壮大な遠征・十字軍。

 だが当時の航海技術で東地中海を渡るのは難しく、バルカン半島からアナトリアを越える陸路も、飢えと賊の襲撃に悩まされる、長く困難な道のりだった。

 第一回十字軍こそ聖地エルサレム奪回を成し遂げたものの、以降の十字軍は次第に性格を変え、やがて異端とされるカタリ派や同じキリスト教徒の都であるコンスタンティノープルすら襲うようになってゆく。

 その背景には、どのような外交・政治・経済そして宗教事情があったのか。

 本書は、遠征軍の主体となった西ヨーロッパ諸国やビザンツ帝国はもちろん、トルコのセルジュークやオスマン、エジプトのアイイユーブやマルムーク、そして中央アジアのティムールに至るまで、関連諸勢力の興亡と同盟・対立関係そして内部紛争などの政治・外交・軍事情勢を明らかにしてゆく。

 それと共に、当時の人々が遺した手紙や手記などの一次資料を大量に集め、遠征参加者の実情や遠征資金の方法、そして地を赤く染める戦闘と略奪の様子までを、生々しい描写で現代に蘇らせる。

 十字軍を中心に、イスラム社会と西欧のカトリック社会の軋轢を描く、やや専門的な歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Chronicle of the Crusades, by Elizabeth Hallam, 2000。日本語版は2006年11月10日発行。単行本ハードカバー縦二段組みで本文約607頁に加え、訳者あとがき3頁。8.5ポイント25字×22行×2段×607頁=約667,700字、400字詰め原稿用紙で約1,670枚。文庫本なら3~4巻分の巨大容量。堂々950gは筋トレにも使えそう。ただし図版や写真を豊富に収録しているので、実際の文字数は8~9割ぐらいか。

 文章はやや硬い。内容的にも、かなり突っ込んだ話が多く、素人の私にはちと辛かった。当時のヨーロッパ史に詳しいと、もっと楽しめたと思う。また、地中海とその沿岸が舞台であり、近辺の地名が続々と出てくるので、地図や Google Map などを用意しておこう。

【構成は?】

 原則として時系列順に進む。各章の構成が独特で、詳しくは後で述べる。また、人物解説と用語解説は、項目の並びが一見ランダムに見える。たぶん原書のアルファベット順をそのまま載せたんだろう。できれば50音順にして欲しかった。索引は50音順なんだけどなあ。

  • 編者ノート/序文
  • 第1章 1096年以前のイスラーム圏
    カリフ、アル=ハーキムの行状/アル=ハーキム、キリスト教徒およびユダヤ教徒を迫害/アル=ハーキムの奇怪な最後/武器をとるように、とのキリスト教徒への最初の呼びかけ/1026年のリシャール修道院長の巡礼/聖地への旅/岩のドーム/リエベール司祭の巡礼、1056年/1054年、ビザンツ教会の総主教、破門される/偉大なドイツ人巡礼団/1059年のアルメニアの大虐殺/1071年、マンズィケルトの戦い/アルプ=アルスラーン、罠を仕掛ける/ロマノス皇帝、捕虜となる/1085年、トルコ軍、アンティオキアを攻略/キリスト教国の拡張 スペイン、1065~99年/1094年、エル・シッド、バレンシアを征服/エル・シッド、膨大な戦利品を鹵獲/1094年、エル・クァルティの戦い/キリスト教国の拡張 シチリア、1061~91年/聖者の奇跡的な出現/1072年、パレルモの陥落/ビザンツと西ヨーロッパ 1080~95年/1081年、デュラキオンの包囲/ヴェネツィア艦隊の到着/1085年、ロベール・ギスカールの死/東方と西ヨーロッパとの新たな関係
  • 第2章 第一回十字軍 1096~1099年
    ウルバヌス二世、十字軍を提唱/十字軍の準備/聖者ピエールの十字軍/ユダヤ人の虐殺/アレクシオスと十字軍/ニカエアの攻略/1097年、ドリュラエウムの戦い/エデッサ、最初の十字軍国家/1098年、アンティオキアでの背信/「聖なる槍」の奇跡/アンティオキアからエルサレムへ/1099年、エルサレム包囲/ゴドフロア・ド・ブイヨンの死十字軍国家初の王国、エルサレム/1101年の十字軍/ボードワン一世の治世/ボードワンの死/アレクシオス一世の死/「血染めが原」の戦い/1124年、テュロス陥落
  • 第3章 第二回十字軍 1147~1149年
    1144年、エデッサ、ザンギーに征服される/ザンギー、惻隠の情に動かされる/教皇、新たな十字軍を提唱/コンラート三世十字軍に赴く/ユダヤ人への襲撃、1146~47年/1147年、対ヴェンデ十字軍/バルト十字軍/1147年、ポルトガルにおける十字軍/ルイ七世、東方に出立/コンラート三世、東方に出立する/レーゲンスブルグでのルイ七世/コンラート三世、コンスタンティノープルに到着/アンティオキアでのルイ七世とエレアノール/1148年、ダマスカス攻撃/第二回十字軍の失敗/1154年、ヌールッディーンの勝利
  • 第4章 第三回十字軍 1189~1192年
    レヴァントの支配者、サラディン/1187年、八ッティンの戦い/1187年、サラディン、エルサレムを奪還/1187年、コンラート、アッコに到着/1187年、十字軍提唱/ヘンリー王、援助を約束/カンタベリー大司教、ウェールズで十字軍を勧誘/フリードリヒ一世、十字軍の誓願を立てる/1189年、フリードリヒ一世の十字軍/1190年、メッシーナでのリチャード一世とフィリップ二世/アッコ包囲、1189~91年/リチャード一世、キプロス略奪/1191年、アッコ陥落/1191年、フィリップ王、フランスに帰還/1191年、アルスーフの戦い/1192年、パレスティナにおけるリチャード王/1192年、リチャード王、捕われる/1193年、サラディンの死/教皇、十字軍を提唱/1195~8年、ドイツ十字軍
  • 第5章 第四回十字軍 1202~1204年
    フランス貴族、十字軍に誓願/ヴェネツィアとの条約/ボニファチオ、十字軍の総帥となる/十字軍、条約を守らず/元首、妥協案を提示す/ザーラ、十字軍に降伏/コンスタンティノープル攻撃への同意/教皇、破門を仄めかす/十字軍、コルフ島に召集される/1203年、コンスタンティノープルに到着/第一回コンスタンティノープル包囲/1203年、アレクシオス、即位/ムルツフロス、戴冠/第二回コンスタンティノープル包囲/ムルツフロス、遁走する/1204年、コンスタンティノープル略奪/ボードワン、皇帝に選ばれる/1204年、バルト十字軍/1212年、レコンキスタ(国土回復戦争)/1209~29年、アルビジョワ十字軍/1208年、懲罰十字軍の提唱/十字軍、ランドックに進軍す/ベジエの大虐殺/異端者の焚刑/1211年、トゥールーズ伯レイモン、刑を宣告さる/1213年、ミュレの戦い/1218年、トゥールーズ包囲/新たに誕生したドミニコ修道会/異端審問の開始/少年十字軍
  • 第6章 13世紀の十字軍
    1218年、ダミエッタ包囲/アル=カーミルの休戦提案/教皇、条約を禁ずる/1221年、フランク軍の悲惨な突撃/1221年、ムスリム、ダミエッタを奪還/1228年、フリードリヒ二世の十字軍/1228年、フリードリヒ二世、キプロスに上陸/1229年、フリードリヒ、エルサレムを取り戻す/1240年、コーンウォール伯リチャードの十字軍/1244年、トルコ人、エルサレムを奪取/1244年、ルイ九世、十字軍に誓願/1249年、ルイ九世、エジプトに上陸/1250年、万スーラの戦い/1250年、ルイ王敗退し、捕虜となる/賢王、ルイ九世/ルイ九世の使者、モンゴル帝国へ/1261~3年、バイバルスの台頭/1271~2年、イングランドのエドワード皇太子の十字軍/1289年、トリポリ陥落1291年、アッコ陥落/1291年、シドンおよびベイルートの陥落
  • 第7章 最後の十字軍
    テンプル騎士団の廃絶/ジャック・ド・モレーの罷免/聖地回復の方策/キプロスの十字軍国家/キプロス王ピエール一世が受けたお告げ/ピエール一世、十字軍を提唱/1365年、アレキサンドリア攻撃/十字軍、無に帰す/1369年、ピエール一世の暗殺/1373年、ジェノヴァ人、ニコシアを劫掠/1390年、マハディーヤ十字軍/十字軍の失敗/1396年、ニコポリス十字軍/トルコ軍の逆襲/十字軍の挫折/モンゴル皇帝、ティムール/1420~32年、フス十字軍/マルムークのスルタンの権力/1426年、マルムーク、キプロスを侵略/オスマン・トルコの台頭/征服王メフメト二世/空中に前兆現る、コンスタンティノープルの終焉を示す凶兆/1453年、コンスタンティノープル陥落/コンスタンティノープルの皇帝の最後/トルコ軍、コンスタンティノープルに入城/トルコ軍、コンスタンティノープルを略奪
  • 第8章 1453年以降の地中海
    征服王、メフメト二世/メフメト二世、アテネを訪なう/コンスタンティノープルの復興/オスマン・トルコの海運力の勃興/最後の十字軍教皇、ピウス二世/ピウス二世、十字軍に失望/1477年、モルダヴィア征服/1481年、オスマン・トルコ、ロードス島を攻撃/1481年、メフメト二世の死/1494年、シャルル八世の「聖戦」/スペインにおける聖戦/1482年、アラマ・デ・グラナダの制圧/1484年、セテニール攻略/1492年、グラナダ陥落/1520年、スレイマン大帝、トルコの新スルタンになる/1535年、トルコ軍、チュニスを奪う/1565年、マルタ島の包囲戦/1570年、トルコ軍、ニコシアを奪取/1571年、レパントの海戦/十字軍運動と新世界/クリストファー・コロンブス、1492~1504年/エルナン・コルテス、1519~21年
  • 人物解説/用語解説/年代記/参考文献/図版出典/索引/訳者あとがき

【感想は?】

 かなり本格的な本で、私のような素人が読むには工夫が要る。

 そもそも、「エリザベス・ハラム編」なのがミソ。「著」ではなく、「編」なのだ。キモは各章の構成で、独特の編集をしている。

 各章は、大雑把に三つの要素を含む。

  1. 概要:冒頭8~10頁ほどで、章全体の内容を俯瞰した文章。
  2. 資料集:章の本体を成す部分。当時の人が遺した日記や手紙などの一次資料の翻訳。
  3. コラム:登場人物や重要な概念などを、独立した記事として1頁にまとめたもの。

 なお、資料集の合間に適宜コラムを挟む形になっている。

 こういう形なので、十字軍の大筋を掴みたい素人は、いきなり頭から通して読むのではなく、ちと工夫が要る。つまり、各章の概要だけを拾い読みするのだ。もう少し雑学を仕込みたかったら、美味しそうなコラムをつまみ食いするといい。

 加えて、華麗な図版が沢山載っているので、パラパラめくっっているだけでも結構楽しめる。

 肝心の資料集は、モロに一次資料。これが実に曲者で、ソレナリに読み方を心得ないと解釈が難しい。というのも。

 なにせ当時の人が書いた文章だ。アチコチに聖書やコーランの引用やら「神――その名よ讃えられてあれ――」やらの慣用句やら「ああ!」とかの感嘆符やらが出てくるので、無駄に長い。

 おまけに直接の利害関係者が書いたものが多いので、中身もイマイチ信用できない。

 これは編者も心得てか、中には同じ事件を異なる立場の者が書いた文書を並べてたりする。例えば、最初の十字軍国家エデッサ(→Wikipedia)を、トロス公爵からボードワン・ド・ブーローニュが継ぐくだり。十字軍の従軍司祭フーシェと、アルメニア人年代記作家マチューじゃ、全く様子が違ってたり。

 当然、文中に出てくる台詞は怪しいし、兵数とかの数字も相当に盛ってると考えるべきだろうなあ。

 登場する勢力は大雑把に三種に分かれる。カトリックの西ヨーロッパ、ビザンツ影響下の東ヨーロッパ、そしてイスラム勢力だ。本書の視点や資料は西ヨーロッパが最も多く、次いでイスラム・ビザンツの順。割合としては西ヨーロッパ7:イスラム2::ビザンツ1ぐらいか。

 そう、十字軍というとバチカン vs イスラム教みたいな構図で考えていたが、実はその間に正教のビザンツ帝国があったのだ。このビザンツが、西ヨーロッパ視点だと頼りになったり足をひっぱったり単に無能だったりで、意外と重要な役割を果たす。

 やはり意外だったのが、十字軍の構成員。てっきり、所領を継承できない貴族の次男坊・三男坊が食い詰めた果てに一攫千金の博打に出たのかと思ったが、全然違った。少なくとも、最初の十字軍は。

十二世紀初頭に騎士ひとりあたりの東方遠征にかかった費用を推定する妥当な方法は、年収を四倍すればいい。
  ――序文

 と、そんなわけで、主戦力である騎士として参加するには、相応の費用がかかるわけで、無駄飯ぐらいの次男坊・三男坊が勝手に参加できるほど甘いもんじゃなかったのだ。

 実際、当時の旅は大変だったらしく、陸路でエルサレムを目指した者たちは、バルカン半島じゃ賊に襲われアナトリアじゃ飢えと渇きに苦しんでいる。

 こういう記述を見ると、海路の有難みがよくわかる。そんなわけで、本書全体を通し大きな存在感を示すのが、ヴェネツィア。彼らの持つ海運・海軍力の、いかに頼もしい事か。などと頼もしいのはいいんだが、地中海全般に通商網を張り巡らせた貿易国家だけに、思惑は戦士たちといささか異なり…

 やはり意外な参加者が、巡礼者。

多くの者にとって、十字軍は教皇の祝福を受け、しかも強力な軍隊によって守られた大巡礼団だったのである。
  ――第2章 第一回十字軍 1096~1099年

 と、少なくとも最初はかなりの数の非武装の庶民が参加していた様子が伺える。もっとも、これには教皇ではなく、隠者ピエールなどの乞食坊主っぽい人たちの扇動によるもの。いや乞食坊主どころか貧しい人からは敬われてたみたいだけど。これが後には少年十字軍なんて悲劇も引きおこしたり。

 少年ばかりか女もかなりの数が参加してて、中には太刀をふるって戦う女もいた。かと思えば、「騎士は洗濯女以外を連れてっちゃ駄目」なんてお触れが出るぐらい、怪しげな女もいたらしい。こういったあたりからは、当時の軍の行軍の様子が伺える。

 軍事的には、セルジューク・トルコの戦術が絵に描いたような機動防禦なのに驚いた。

 同じ騎兵でも、十字軍の騎士は重い鎧を着こんだ重武装。対してトルコは、せいぜい鎖帷子の軽騎兵。そこで機動力を活かした戦術を使う。まず矢や投げ槍で挑発し、すぐ退散する。十字軍の騎士が追いかけてきたら、逃げながら伏兵が待つ所へ誘導し、フクロにするって寸法。

 同じ戦術をモンゴル帝国も得意としてたし、イスラエル軍も中東戦争で戦車部隊が活用してた。こういう戦術は、機動力に優れる軍の定石なのかも。

 これが攻城戦になると、双方が坑道戦を使う。城壁の下まで木材で補強しつつトンネルを掘り、最後に城壁の下の木材を燃やしてワザとトンネルを崩落させ、その上にある城壁を崩すのだ。これもまた定石なんだろうなあ。

 などと戦ってる連中はいいが、標的となった都市や周囲に住む人にとっちゃいい迷惑で。都市住民は飢えに苦しんだ挙句に略奪・強姦・虐殺され、周囲の農民は食料を徴発される。困った奴らだ。

 当初は聖地奪回が目的だった十字軍が、スポンサーの都合でコンスタンティノープルやカイロを襲い始めるあたりは、もはや聖戦というより流離の傭兵団といった趣だし、ドイツのユダヤ人虐殺やフランスでのカタリ派掃討あたりは、ドサクサ紛れの乱行としか思えなかったり。

 にしてもカタリ派、Wikipedia で調べても、「カタリ派の思想については大部分が反駁者たちの書物の偏見の混じった記述からしか知ることができない」ってぐらい、徹底的に抹殺されてるあたり、かなり念を入れた虐殺があったんだろうなあ。恐ろしい話だ。

 終盤、西ヨーロッパ諸国はカトリック同士の争いに加えてプロテスタントの離反があり、軍事力・経済力を内輪もめで消耗してゆくのに対し、強力なスルタンに率いられたオスマン・トルコが台頭してくるあたりは、統一国家の強さがひしひしと伝わってくる。

 もっとも、版図が広い分、敵も多くて、ヨーロッパばかりに構っちゃいられないあたりは、大帝国の辛い所。

 などと無駄に長い記事になったが、気になるトピックを挙げていくとキリがないので、この辺で終わりにしよう。容量が凄まじい上に、その多くが一次資料でなっている、本格的な歴史書だ。腰を据えてじっくり読もう。

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2017年8月 6日 (日)

アルフレッド・W・クロスビー「数量化革命 ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生」紀伊国屋書店 小沢千重子訳

スコラ学者が考案した諸々のシステムの中で、おそらく最も革命的で有用だったのは、書物の内容を小分けにして示す目次というシステムだろう。
  ――第3章 「数量化」の加速

計測という行為は物事を数字によって表現することであり、数字を処理するという行為は数学にほかならない。
  ――第6章 数学

もちろん、黙読した者はほかにもいたが――ユリウス・カエサルはこの技を使って恋文をひそかに読み、聖アウグスティヌスはパウロ書簡を声を出さずに読んだ――当時はぶつぶつ呟きながら書き、声高らかに朗読するのが普通だった。
  ――第7章 視覚化するということ

実際、ルネサンス期の画家たちは時として、目と対象の間に垂直にガラス板を置き、その上に直接対象を写しとっていた。
  ――第9章 絵画

ウイリアム・トムソン、ケルヴィン卿(1891年)「自分が話していることを計測し、それを数字で表現できるのであれば、それについて何かを理解しているといえる。だが、自分で話していることを計測できなかったり、数字で表現できないような場合は、それを申し分なく十分に理解しているとは言えない」
  ――第3部 エピローグ

【どんな本?】

 現在の世界は、ヨーロッパ、それも西ヨーロッパの文化が覇権を握っている。なぜ西欧がこれほどまでに成功したのだろうか。なぜ中国やアラブではなかったのだろうか。

 この理由を、著者はマンタリテ、精神構造やものの考え方にある、とする。13世紀から16世紀にかけて、西欧では、それまでとは異なった世界観や発想法が生まれ育ち、現代人の精神構造を形づくる基礎が生まれてきた。これらの世界観や発想法が基となり、様々な技術・技法や制度が出現したのだ、と。

 暦・地図・音楽・絵画・簿記など個々の分野につていて、それぞれの起源と変遷をたどり、この時代に導入された技法・手法を解説し、その奥にある精神性の変化を探る、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Measure of Reality : Quantification and Western Society 1250-1600, by Alfred W. Crosby, 1997。日本語版は2003年11月1日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約296頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント43字×18行×296頁=約229,104字、400字詰め原稿用紙で約573枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、西欧史に詳しいと更に楽しめるだろう。

【構成は?】

 第1章~第3章までは、素直に頭から読んだ方がいい。それ以降は、面白そうな部分をつまみ食いしてもいいだろう。

  • まえがき
  • 第1部 数量化という革命 汎測量術(パントメトリー)の誕生
    • 第1章 数量化するということ
    • 第2章 「敬うべきモデル」 旧来の世界像
    • 第3章 「数量化」の加速
    • 第4章 時間 機械時計と暦
    • 第5章 空間 地図・海図と天文学
    • 第6章 数学
  • 第2部 視覚化 革命の十分条件
    • 第7章 視覚化するということ
    • 第8章 音楽
    • 第9章 絵画
    • 第10章 簿記
  • 第3部 エピローグ
    • 第11章 「新しいモデル」
  • 訳者あとがき/註/人名索引

【感想は?】

 今も昔も、人間には変わらない所がある。そして、時代と共に変わる所もある。

 この本は、変わった部分にスポットを当てた本だ。私たちが当たり前だと思っている事柄が、実は最近になって取り入れられた事だと知るのは、ちょっとしたショックでもある。

 例えば時間の捉え方。「秋の夜長」なんて言葉があるが、現代人にはちとピンとこない。こないのも当たり前なのだ。現代人にとって、昼も夜も1時間は1時間である。流れる時間の幅そのものは変わらない。が、これは、時間を測る時計なんてシロモノがあるからできる芸当で、昔はそんなモノはない。

 じゃどうするかというと。まず一日を昼と夜に分ける。そして昼と夜それぞれを更に12分割する。その結果、夏は昼が長く、冬は夜が長くなる。いわゆる不定時法だ。これは昔の日本も同じだね。いずれにせよ、同じ「1時間」でも、季節によって長さが違ったわけ。

 これが、機械式の時計の出現によって、1時間の長さが固定されてしまう。凄まじい変化だが、西洋はこの変化を積極的に受け入れてゆく。当時の時計は巨大で値も張ったが、多くの都市が住民から税を取ってでも時計塔を作ってゆく。

 対して日本も機械式の時計はあったんだが、不定時報法に合わせたカラクリだったとか。こういう、新技術に社会を合わせるか、社会に技術を合わせるかの違いは、今でも残ってるんだよなあ。そう思いませんか、事務系の情報システムの開発・保守を担当してる人。Excel方眼紙なんて奇矯なのもあるし。

 書法も大きく変わった。今は単語を空白で区切るが、昔は「読みやすさなどおかまいなしに、自分に都合のよいところ」に空白を入れていた。段落も句読点もなし。古文書を読むってのは、大変な仕事なんだなあ、と思うと同時に、今の小うるさい作文作法の歴史の浅さを思い知ったり。

 書き方だけでなく、読み方も変わってくる。昔は声に出して読むのが普通で、そのため「修道院などの写字室や図書室は静謐な場というにはほど遠く、騒々しいほどだった」。今でも文章を読む時に脳内で声が聞こえる人が多いとか。いいなあ。そういう人は、あっふんな作品をより楽しめて←をい

 実はこの黙読、当時はかなり危険な技術だって指摘が鋭い。だって、図書室であっふんな本を音読したら、すぐにバレちゃうし。

 絵画の世界では、遠近法が革命を起こす。それまでは重要性に応じて登場人物の大きさが決まったのに対し、遠くの人は小さく近い人は大きく描くようになる。このサイズの調整に、数学が深く関わっているのが面白い。適切な大きさを決めるのに、数学が必要になるのだ。

 とはいえ、計算はなかなか難しい。そこで補助線を引いちまえ、と考える人も出てくるのが楽しい所。床をタイル張りにすれば、タイルの格子が遠近法の補助線になる。おかげで…

洗礼者ヨハネを荒野の中でタイルの舗床に立たせたり、ベツレヘムの馬小屋にタイル張りの床を描いている。

 なんて、しょうもない奴まで出てくる始末。わはは。

 そして、とどめがルカ・パチョーリ(→Wikipedia)による複式簿記だ。それまでの帳簿はかなりフリーダムで、たとえば…

14世紀には収入を帳簿の前の方に、支出を後ろの方に記帳するのが通例だったので、これらの項目を比較するのは容易ではなかった。

 と、まさしく覚え書き程度の機能しかなかったのだ。だがら、今の自分がどれぐらいの財産や負債があるかハッキリわからない。ばかりか、決算って発想もないから、今年どれぐらい儲かったもかもわからない。これに共同出資の事業なんてのが絡んだら、稼ぎをどう分配すりゃいいのか、見当もつかない。

 ってな混乱状況を、複式簿記が変えてゆく。お陰で商人は事業の様子が見えるようになった。たぶん、これが株式会社の礎になったんだろうなあ。もっとも、お陰で今は事業税や法人税なんてのが出来ちゃったけど。

 などと、ヒトが現実をどう見るかってのが、ダイナミックに変わってきた事がわかるのが楽しいし、数秘術なんて形で、昔の考え方が今でも生き残ってるのも面白い。

 SF者としても、たかだか千年ほどでヒトの世界観がこれだけ変わるんだから、今後も大きく変わるんだろうなあ、なんて考えるのもワクワクする。ちと歯ごたえはあるが、それだけの味わいもある本だった。

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2017年8月 2日 (水)

R・P・ファインマン「ご冗談でしょう、ファインマンさん ノーベル賞物理学者の自伝 Ⅰ・Ⅱ」岩波書店 大貫雅子訳

パズルや謎々をやりはじめたら最後、僕はやめられないたちだ。もしあのときあのおばさんが、「あんまり大変なら、もうあきらめなさいよ」とでも言ったとしたら、僕はきっと癇癪を起したに違いない。
  ――1 ふるさとファー・ロッカウェイからMITまで

僕に誰かが何かを説明してくれている間、今でも理論の成否を知るのに使っている、なかなか便利な「策略」があるのだ。それは自分の頭の中で、例を作りあげていくことだ。
  ――2 ブリンストン時代

コンピュータで困ることは、これを使ってついつい遊んでしまうことである。
  ――3 ファインマンと原爆と軍隊

世の中では僕が育てられてきた考え方とは全然違った形で、物事が動いていくもんだ。そういうことに気がついたのは、実に面白い経験だった。
  ――4 コーネルからキャルテクへ ブラジルの香りをこめて

【どんな本?】

 1965年にノーベル物理学賞を受賞した R・P・ファインマン(→Wikipedia)による、お茶目なエピソード満載の自伝的エッセイ集。

 ラジオ小僧だった少年時代、原爆の設計・開発に携わったロスアラモス時代、コーネル大学・カリフォルニア工科大学での教授時代と時は流れつつも、その底に流れるのは人を驚かせて喜ぶイタズラ小僧であり、好奇心いっぱいの野次馬であり、積極的に人生を楽しもうとする陽気なアメリカ人の姿である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は "Surely You're Joking, Mr. Feynman!" : Adventures of a Curios Character, by Richard P. Feynman with Ralph Leighton, 1985。日本語版は1986年6月23日第一刷発行。私が読んだのは1987年2月25日発行の第12刷。当時はすさまじい売れ行きだったんだなあ。なお、今は岩波現代文庫より文庫版が出ている。

 単行本ソフトカバー縦一段組みでⅠ・Ⅱ巻、本文約302頁+266頁=約568頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント44字×17行×(302頁+266頁)=約424,864字、400字詰め原稿用紙で約1,063枚。文庫でも上下巻でちょうどいいぐらいの分量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。高名な物理学者が書いた本ではあるけれど、理科や数学が苦手でも全く問題ない。たまに「線積分」とか「ポテンシャル」とか出てくるが、「数学か物理の言葉だな」ぐらいに見当がつけば充分に楽しめる。国語が得意なら中学生でも読みこなせるだろう。

【構成は?】

 時系列順に話が進むが、美味しそうな所だけを拾い読みしてもいい。

  •  
  • まえがき
  • はじめに
  • 僕の略歴
  • 1 ふるさとファー・ロッカウェイからMITまで
    考えるだけでラジオを直す少年/いんげん豆/ドア泥棒は誰だ?/ラテン語? イタリア語?/逃げの名人/メタブラスト社化学研究主任
  • 2 ブリンストン時代
    「ファインマンさん、ご冗談でしょう!」/僕、僕、僕にやらせてくれ!/ネコの地図?/モンスター・マインド/ペンキを混ぜる/毛色の違った道具/読心術師/アマチュア・サイエンティスト
  • 3 ファインマンと原爆と軍隊
    消えてしまう信管/猟犬になりすます/下からみたロスアラモス/二人の金庫破り/国家は君を必要とせず!
  • 4 コーネルからキャルテクへ ブラジルの香りをこめて
    お偉いプロフェッサー/エニ・クウェスチョンズ?/一ドルよこせ/ただ聞くだけ?
  •  
  • 4 コーネルからキャルテクへ ブラジルの香りをこめて(続)
    ラッキー・ナンバー/オー、アメリカヌ、オウトラ、ヴェズ/言葉の神様/親分、かしこまりました!/断らざるを得ない招聘
  • 5 ある物理学者の世界
    「ディラック方程式を解いていただきたいのですが」/誤差は七パーセント/13回目のサイン/唐人の寝言/それでも芸術か?/電気は火ですか?/本の表紙で中身を読む/ノーベル賞のもう一つの間違い/物理学者の教養講座/パリではがれた化けの皮/変えられた精神状態/カーゴ・カルト・サイエンス
  • 訳者あとがき

【感想は?】

 クスクス笑いから大爆笑まで、とにかく笑いが止まらない作品。

 「ノーベル物理学賞を受賞した偉い人の本だから、きっと小難しくて高尚なんだろう」なんて思ったら、大間違い。野次馬根性旺盛なイタズラ小僧の武勇伝と考えた方がいい。

 出だしから、理工系の人には見につまされる話がいっぱい。当時の例に漏れずラジオ小僧で、ジャンクを漁っては修理の腕を磨いている。しまいには腕を活かして小遣い稼ぎしてたり。はいいけど、フォードコイルのくだりは、さぞかしご両親も肝を冷やしただろう。

 なんてのは可愛い方で、ロスアラモスでは原爆の設計・開発なんて軍の最高機密に関わる仕事をしつつ、軍のお偉方が聞いたら卒倒しそうな真似をやらかしてる。なんと、金庫破りの修業だ。とにかく謎を示されると、食いつかずにはいれないタチらしい。

 かと思えば、厳しい検閲をからかうためか、奥さんとの手紙で遊んだり。とことん軍や役人と相性が悪いんだよなあ、この人。

 やはりロスアラモス時代のエピソードで楽しいのが、計算機関係のエピソード。中でも現代のハッカーの元祖、スタンレー・フランケルの物語はヒトゴトじゃない。届いたIBMのマシンを使いこなし、最初は優れた仕事をしていたのだが、ある時パタリと進捗が止まり…。わかるなあ、その気持ちw

 とまれ、当時のマシンは機械式で、速度はファミコンにも遥かに及ばない。てんで、高速化しようとするんだが、ここで使われる手口が、現代の最新鋭CPUや通信制御でも使われてるから面白い。最適化の技法って、基本はあまり変わらないんだなあ。

 など理系のネタも楽しいが、それ以外にもアチコチに手を出してるのが、ファインマンの凄い所。

 絵を描いたり外国語を習ったりと、とにかく好奇心と学習意欲の塊なのだ、この人は。中でも目立つのが、ドラムへの拘り。

 ドラムのエピソードはアチコチに出てくるが、白眉はブラジルでの大暴れだろう。ブラジル学士院に招かれリオ大学で講義をする傍ら、街のバンドに加わり、練習に精を出す。ばかりか… そりゃ給仕頭も驚くよなあw

 とまれ、ブラジルはいい事ばかりじゃない。講義では、ブラジル流の学習法に徹底したダメ出ししてたり。こういう傾向は日本の英語教育もそうだし、最近じゃ掛け算の順番とかが変に話題になってるよなあ…と思ったら、終盤ではアメリカの教育界にも噛みついてたり。

 これはカリフォルニア州の教科書選定に関わった時の体験談。当時のアメリカの教科書の酷さがよく伝わってくる。

 などと偉ぶった人々への軽蔑がよく現れているのは、「平等の道徳性」なるテーマの、学際的な会議に出席した時の話。某社会学者の論文を「翻訳」した話とかは、本好きなら「あるあるw」と笑うところだろうか。ここでは、速記タイピストのオチが強烈。

 対して、偉ぶらない人からは自ら頭を下げて教えを乞うあたりが、野次馬根性もとい学習意欲旺盛なファインマンらしい。読心術師からはタネと仕掛けを教わり、ラスベガスではプロのギャンブラーから必勝法を学び、バーでは踊り子から美人と巧くヤる方法を学ぶ。

 ここで役立つのは、個々の具体的な知識より、それを聞き出す方法だろう。思ったより簡単に聞き出せる場合もあるが、本腰を入れて学ばなきゃいけないものもあるけど、いずれにせよ、その道の達人を敬っている事はよくわかる。

 夏休みの読書感想文のネタとしちゃ、ノーベル物理学賞に輝いた人の本だから教師にはウケがいいだろう。気に入ったエピソードを書き写せば、枚数も稼げる。でも、それ以上に、とにかく意外性とユーモアにあふれ、人生を楽しむコツもタップリ詰まった本だ。肩の力を抜いて、ニヤニヤしながら読もう。

 あ、ただし。物理学の勉強には、全く役に立たないので、そのつもりで。

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