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2017年7月24日 (月)

「教皇ヒュアキントス ヴァーノン・リー幻想小説集」国書刊行会 中野善夫訳

「永遠の愛、残酷な愛」
  ――永遠の愛

ああ、呪われた人間の声。肉と血のヴァイオリン。その声を作り出す油断のならない道具と狡猾な手は、悪魔のものに他ならない。歌とは何と忌まわしい芸術なのか。
  ――悪魔の歌声

ああ! ああ! ああ! あいつがまた笛を吹いている!
  ――フランドルのマルシュアス

【どんな本?】

 1856年生まれの女性作家ヴァーノン・リー Vernon Lee(本名バイオレット・バジェット Violet Paget)の、幻想的な作品を集めた短編集。

 イタリアと18世紀の世界に抱く著者の憧れが強く出ており、また、「特異な形の激しい愛情」を扱う作品が多い。次第に雰囲気を盛り上げつつも、最後まで敢えて真相をハッキリさせない怪異譚が中心。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年2月24日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約434頁に加え、訳者あとがきが豪華31頁。9ポイント47字×19行×434頁=約387,562字、400字詰め原稿用紙で約969枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。聖書からの引用やギリシャ/ローマ神話のネタが多いので、それらに詳しいとより楽しめる。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 原題。

永遠の愛 シュピリディオン・トレプカの日記から / Amour Dure
 若いドイツ人学者シュピリディオン・トレプカは、かねてから憧れていたイタリアのウルバニアを訪れた。仕事とは別に、ある女性の記録を熱心に調べ始める。メデア・ダ・カルビ、1556年生まれ。類まれな美貌で次々と男を魅了し、破滅させた女。彼女のゆかりの地を訪ねた際に…
 イタリア,過去への憧れ,魔性の女,そして独特の形の激しい愛と、ヴァーノン・リーの得意技がたっぷり詰まった作品。出だしはちとかったるいが、洗礼者ヨハネ(→Wikipedia)が出てくるあたりからグングンと盛り上がってくる。
教皇ヒュアキントス 弾圧されたノナントーラ大修道院のエブルネウス写本の一部を成す物語 / Pope Jacynth
 神は悪魔に許した。これから生まれる赤子のうち、私が選ぶ者の一人を誘惑してもよい、と。悪魔はオドーという男を選ぶ。豊かで高貴な家に生まれたオドーだが、彼は家柄にも財産にも興味を示さず、船乗りとなる。悪魔はオドーに美貌と美声を与え…
 初訳の日本語タイトル「教皇ヒヤシンス」を「教皇ヒュアキントス」に変えたのは見事。キリスト教の寓話でありながら、その裏に込めた作者の微妙な気持ちが、読者に伝わりやすくなってる(ヒュアキントス→Wikipedia)。
婚礼の櫝 / A Wedding Chest
 デシデリオは櫝に「愛の勝利」を描く。彼は雇い主セル・ピエーロの一人娘マッダレーナと結婚することになっていた。だが、名家の若者トロイロ・バリョーニがマッダレーナに目を付ける。情熱的にマッダレーナを口説こうとするトロイロだが、マッダレーナはなびかず…
 15世紀の櫝にまつわる、悲しく激しい愛の物語。トロイロにいちいち「高潔」とつけるあたりが、著者の意地の悪さを感じさせる。
マダム・クラシンスカの伝説 / The Legend of Madame Krasinska
 友人のチェッコ・バンディーニに連れていかれた貧者救護修道院に、そのシスターはいた。気品と魅力にあふれ、動きはきびきびとして、老人たちに温かく話しかける。だが、どこか重苦しい苦しみを抱えているようで、哀愁を漂わせている。
 ソルフェリーノの戦いは、フランス&サルディーニャ連合軍とオーストリア軍の戦い(→Wikipedia)。コスプレと言うとアレな人たちによる最近の流行りのように思われがちだけど、実は昔から多くの人が楽しんでたんだよ、という話←全然違う
ディオネア / アレッサンドロ・ド・ロジ博士からサビーナの王女レディ・エヴェリン・サヴェッリへの手紙 / Dionea
 トスカーナの海岸に流れ着いた褐色の幼い女の子は、ディオネアと名付けられ修道院に預けられる。愛らしい顔立ちに育ったものの、勤勉さには欠け、仲間たちからも好かれない。妙に鳩になつかれ…
 気になって銀梅花(→Wikipedia)を調べたら、そういう事か。ウェヌスはヴィーナス(→Wikipedia)。ディオネアを調べたらハエトリグサ(→Wikipedia)。酷い名前だw 古の神々に所縁のある者が、キリスト教世界の社会に迷い込み…と思って読むとわかりやすい。
聖エウダイモンとオレンジの樹 / St Eudaemon and his Orange-Tree
 人里離れた荒野に二人の聖者が住んでいた。そこに聖者がもう一人やってきた。エウダイモン。ウェヌスの神殿の廃墟に草木を植え、神殿の奥に礼拝堂を作る。近くの貧しい者のために小屋を建て、役に立つ技術を教えた。新しい葡萄園を作ろうと地を掘ったとき…
 エウダイモンは幸福を意味するらしい(→コトバンク)。やはり Wikipedia を漁ったら、『多くの言語で、「黄金の林檎」とはオレンジのことである』とあった。そうだったのか! ディオネア同様に古の神々の息吹を強く感じさせる物語。
人形 / The Doll
 骨董を集めるのを止めたのは、フォリーニョへの旅が原因です。夫の都合がつかず一人で出かけたのですが、ある邸宅を見つけました。かつては高貴な家柄でしたが、今は破産して、老いた女中が一人で管理しています。17世紀後期の様式の大邸宅で…
 語り手が女なのは珍しい。確かに女じゃないと、こういう気遣いはできないだろうなあ。
幻影の恋人 / Oke of Okehurst, or A Phantom Lover
 仕事を干されていた画家に、依頼が舞い込んだ。オークハーストのオーク氏が、夫妻の肖像画を描いて欲しいと。邸宅は美しいが、オーク氏は生真面目で口ごもりがち、そしてオーク夫人は美しいが誰にも何にも興味を示さず…
 これを「人形」の次に持ってきたのは、何か意図があるんだろうか? ちょうどテーマが鏡のように映しあっているが、結末は…。
悪魔の歌声 / A Wicked Voice
 音楽家のマグナスは、ヴェネツィアで18世紀の歌手の肖像画を見つけた。バルタサール・チェーザリ、綽名はザッフィリーノ。「自分の歌に抗える女はいない」と豪語し、王からも溺愛された歌手。
 クラッシュのジョー・ストラマーは、セックス・ピストルズを観た後にスランプに陥ったとか。またウィリアム・ギブスンは、映画ブレードランナーを見に行った時、開始数分で席を立ったという。中にはロビン・トロワーみたく開き直っちゃう人もいるけど。
七懐剣の聖母 十七世紀、ムーア人の幽霊物語 /  The Virgin of the Seven Daggers
 強引な方法で数多の女をモノにしてきたミラモール伯爵ドン・フアン・グスマン・デル・ブルガル。だが今回狙っている獲物は、格が違う。七懐剣の聖母に祈りを捧げて守護を願い、ユダヤ人の魔術師バルクの手を借りてまで手に入れようとしたのは…
 ドン・フアン伝説(→Wikipedia)に題をとった作品。色男の代名詞だから、洒落た会話などの手練手管を駆使して女を口説くのかと思ったら、全然違った。
フランドルのマルシュアス / Marsyas in Flanders
 1195年の秋、ニス川河口の岸辺に流れ着いたボートには、救い主イエスの石像が横たわっていた。デュンの小さな教会に置かれた像には、各地から信心深い人々が集ってくる。その像には、ある筈の十字架が欠けていたので、石工に作らせたところ…
 フランドルって、フランダースなのか。怪異譚なんだが、タイトルでネタをバラしちゃってる(→Wikipedia)。
アルベリック王子と蛇女 / Prince Alveric and the Snake Lady
 公爵バルタサールの孫アルベリック王子は内気で純朴だった。アルベリックの部屋にはお気に入りの古いタペストリーがある。金髪のアルベリックと蛇女オリアナを描いたものだ。公爵はこのタペストリーを嫌い、別の物に変えたが、アルベリックは悲しみ…
 童話のように親しみやすい語り口で、テンポよく話が進んでゆく。中盤から出てくる、修道士・侏儒・道化師の三人組が、コミカルでいい味出してる。
顔のない女神 アウグスティヌス・ブルトーの蔵書から / The Featureless Wisdom
 マンティネイアの賢女ディオティマは、フェイディアスの工房へ出かけた。フェイディアスは、いかなる神の像の注文を受けることで知られている。マンティネイアが望んだのは、どんな像とも一目で違いが判る神の像で…
 ディオティマはプラトンの「饗宴」に出てくる人物(→Wikipedia)だとか。客の無茶な要求に苦しむエンジニアやデザイナーには身に染みる話。
神々と騎士タンホイザー / The Gods and Ritter Tanhüser
 アプロディーテは、ドイツの詩人タンホイザーに首ったけ。そのタンホイザーは、ヴァルトブルクの歌合戦に出かけるという。話を聞いたアポロンとアテナは、面白がって一緒に歌合戦に向かうと決めた。
 ワーグナーのタンホイザー(→Wikipedia)をネタにした、ドタバタ喜劇。美声を披露するスキをうかがうアポロン、クールな女教師っぽいアテナ、荒事しか頭にないアレス、チクチクと浮気を責めるヘラ、なんとか事態を丸く収めようとするゼウスって図は、まるきしファミリー・ドラマ。
訳者あとがき

 やたらと Wikipedia へのリンクが多いことでわかるように、聖書や古典や神話の教養が必要な作品が多くて、ちとシンドかったが、それでよかったのかも。むさぼるように読むより、ゆっくりじっくり時間をかけて味わいたい作品集だし。

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