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2017年6月の9件の記事

2017年6月29日 (木)

キム・スタンリー・ロビンスン「ブルー・マーズ 上・下」創元SF文庫 大島豊訳

少しでも油断すれば昔ながらの行動パターンにずるずると逆戻りしてしまう。一つのヒエラルキーを壊せば、すぐに次のヒエラルキーが生まれてとってかわろうとする。われわれはそれに対して警戒しなければならない。地球の複製を作ろうとしている人間はいつでもいるからだ。
  ――上巻p15

「わたしたちは原初の惑星に住みたいのよ。洞窟や崖を利用した住居か、あるいはクレーターの外輪山を掘りぬいたものね。大都市も惑星緑化もなし」
  ――上巻p233

ぼくらの肉体自身が火星の水の作る模様なんだ。
  ――上巻p415

「よい政府とは無視しても安全な政府」
  ――下巻p102

「こちらはあの子たちを教育して、子どもたちがわたしたちを裁くのよ」
  ――下巻p151

「今の火星は過去と未来が戦っている戦場だ。そして過去は力を持っている。けれど、ぼくらがみな向かっているのは未来だからね」
  ――p403

「わたしたちは自分たちの能力では理解できないところまで、テクノロジーを進めてしまっているのよ」
「うーん。理解はできると思う。ただ、信じられないだけだ」
  ――p508

【どんな本?】

 アメリカのSF作家キム・スタンリー・ロビンスンが、人類の火星植民・開発を描いた「レッド・マーズ」「グリーン・マーズ」に続く三部作の完結編。レッド・マーズは1998年、グリーン・マーズは2001年に日本語版が出たが、16年の時を経ての完結編刊行となった。いやあめでたい。

 20世紀初頭、科学者集団の定住から始まった火星開拓は、多くの植民者を引き寄せ、様々な集団がそれぞれ独自の社会を発展させてゆく。地球は超国籍企業体が台頭し、海面の上昇と180億に増えた人口を抱え、社会は崩壊の危機を迎えていた。

 人口の圧力を抱える地球は、多くの移民を火星に送り込もうとする。火星では独立を求める声が高まり、両者の軋轢は火星の軌道エレベーター破壊などの被害をもたらしつつ、危うい均衡状態を保っている。

 一方火星では、手つかずの火星環境の保護を求めるレッズや、更なるテラフォーミングを進めようとするグリーン、そして火星で生まれ育った世代を中心とするフリーマーズなど、多様な集団が争いまたは協力し、憲法を定めて地球からの独立を果たそうとしていた。

 科学と工学を駆使した環境改変技術、気候の変化に伴い変わってゆく生物相、綿密に書き込まれた火星の地質、そして過酷な環境の中で生きるために使われるテクノロジーなどの科学から、地球生まれの一世・火星生まれの二世以降・新たに地球から来た入植者など世代の違い、資本主義に変わる社会の構想、そして新たな世界へと散らばってゆく人類の姿など、SFの全てを詰め込んだ壮大な叙事詩。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は BLUE MARS, by Kim Stanley Robinson, 1996。日本語版は2017年4月21日初版。文庫本の上下巻で縦一段組み、本文約600頁+609頁=1,209頁に加え、渡邊利通の解説11頁。8ポイント42字×18行×(600頁+609頁)=約914,004字、400字詰め原稿用紙で約2,286枚。4~5冊に分けてもいい巨大容量。

 文章はやや硬い。内容も、かなり歯ごたえがある。SFガジェットはてんこもりだし、描写も凝っている。例えば温度は絶対温度表記で、気圧もヘクトパスカル。ちなみに摂氏零度は絶対温度で約273K、1気圧は約1000ヘクトパスカル。他にも量子力学・有機化学・地学・生物学など、科学の全方面に渡るトピックが続々と出てくるので、好きな人にはたまらない濃さだ。

 また、続き物なので、多くの登場人物が前の「レッド・マーズ」「グリーン・マーズ」と同じだし、背景事情も色濃く引きずっている。とはいえ、下巻の解説で、大まかに前二作のあらすじを紹介しているので、かなり助かった。私はレッドもグリーンも読んでいたんだが、中身はすっかり忘れていた。わはは。

 そんなわけで、人物間の関係はよく分からなかったが、舞台となる火星の風景がやたらと魅力的。サイエンスとフィクションで言えば、サイエンス分が好きな人向け。

【感想は?】

 20世紀SFの総決算。

 タイムトラベル以外のSFテーマを全部ブチ込んでじっくり煮込み、SF者がこだわる火星風味のダシを存分に染み込ませ、アメリカ西海岸風の味付けで仕上げた贅沢な作品だ。

 まず、なんたって舞台がいい。大胆なテラフォーミングで北半球に大洋が出来た火星。他にも様々な温暖化の試みで、主に北半球の低地を中心に少しづつ気温と気圧が上がりつつあるが、南半球や高地では赤茶けた荒々しい風景が広がっている。

 こういった風景を、各地を旅する多くの人物の目を通し、迫力たっぷりに紹介してくれる。だけでなく、100年以上の年月の中で変わっていく様子もじっくり描いてゆく。

 例えば大気だ。物語が始まったころは、みんな気密環境の中に居るか、専用のスーツを着ている。外は寒いし空気は薄いしで、生身の体じゃ生きていけないのだ。でも地衣類や苔ははびこりつつある。これが中盤以降になると、草ばかりか木まで育ち始め、動物も…

 なんてのは海がある北部の低地の話。

 火星の魅力の一つは、やたらと高低差が大きいこと。例えばオリュンポス山は2万1千メートルもある(Wikipediaとの数字の違いは海の出現によるもの)。しかも、火星は地上から水がなくなって久しいので、川などによる浸食も少なく、クレーターが幾つも残っている。

 地質学者にとっては、涎が止まらない環境だろう。環境保全を叫ぶレッズの頭目が、地質学者のアンなのも、変に納得しちゃったり。

 そのクレーターも、舞台を彩る楽しい仕掛け。大きな湖にすうる所もあれば、一つの閉鎖的環境になってる場合もある。これを活かして自分なりの生態系を創ろうとする環境詩学なんてのは、庭いじりが好きな人にはたまらないアイデアだろうなあ。

 そう、この物語の風景は、多かれ少なかれ、人の手が入っている。その手の入れ方が、ミクロなものから稀有壮大なものまで、SF小僧の妄想をくすぐりまくる魅力的なものばかり。

 冒頭から騒ぎの焦点となる軌道エレベーターは、A・C・クラークともチャールズ・シェフィールドとも違って独自のものだし、熱を供給しているソレッタもワクワクする。私が最も感激したのは、ヘラス海と北海をつなぐ大運河の掘削方法。地球上じゃまず無理な滅茶苦茶な方法を使ってるw

 いずれも脳内の妄想マシーンに大量の燃料をくべるシロモノなため、私は読みながらしょうもない妄想に浸ってしまい、なかなか読み進められず困った羽目になった。例えば1km四方の土地を緑化するには、どれだけの水が必要か、なんてのを調べ始め、点滴灌漑がベストかなあ、とか。もうストーリー関係ないしw

 そんな人間が引き起こす環境の変化が、そこに生きる人々の社会にも大きな影響を与えていくあたりは、フランク・ハーバートの「デューン」シリーズへのオマージュとも取れる。

 科学者が多いためか、比較的にリベラルな風潮の<最初の百人>は、皆から一目置かれちゃいるが、その中にもレッズとグリーンの対立がある。火星生まれを中心とするマーズ・ファーストは、資本主義とも共産主義とも違う、火星ならではの社会を築こうとする。そこにやってくる移民たちは、地球の価値観を引きずって…

 ってなあたりは、移民問題でゴタついている現代のヨーロッパやアメリカへの風刺みたく思えてくるからなんとも。いや1996年発表の作品なんだけど。移民が築いた国アメリカの作家だけに、当時から意識してたのかも。

 加えて、表紙にもあるように、火星でのスポーツを描いているのも、この作品ならでは。意外とスポーツを扱ったSFって少ないんだよね。ただ、基本的に個人競技ばかりで、球技がないのは、著者の趣味かな?

 やはり重力の違いは大きくて、記録も火星ならでは。この重力の違いは自然環境にも大きな影響があって、海での航海を描く場面でも、火星ならではのサスペンスを存分に味わえたり。にしても、そんな秘密兵器を隠しているとは卑怯なw

 一つの世界の誕生と成長、そしてそれが人類全体に与える影響を、当時の最新科学トピックと縦横無尽なガジェットを組み合わせ、西海岸的な自由主義を底流としながらも、細部にまで気を配った描写で描き切った、20世紀SFの到達点を示す巨大作。たっぷり時間をかけて、じっくり味わおう。

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2017年6月21日 (水)

松永猛裕「火薬のはなし 爆発の原理から身のまわりの火薬まで」講談社ブルーバックス

火薬はエネルギーを貯蔵できる素晴らしい化学物質です。
  ――まえがき

有機物質の可燃物は分子の中に水素や炭素があり、そmのため可燃物となる。TNTは分子の中に可燃物と酸化剤が同居していると考えてよい。
  ――第1章 火薬の原理

炎色の研究は量子化学への入り口だ。
  ――第4章 花火

これら地震波の測定結果を踏まえて、NASAの科学者が月のモデルを作成したところ、「中身が空の、チタニウム合金製の球体」という説であった。
  ――第5章 火薬のいろいろな使い方

【どんな本?】

 火薬はなぜ爆発するのか。花火の火薬とダイナマイトとTNTは何が違うのか。研究者はどうやって火薬や爆薬を見つけるのか。なぜ花火には様々な色があるのか。そもそも火薬なんか物騒な事にしか役に立たないんじゃないの?

 産業技術総合研究所で火薬などの安全研究に携わる著者が、火薬や爆発の原理・歴史から、様々な爆発物の性質、今までにあった事故とその原因、そして自家用車などでの意外な使われ方まで、火薬についての全般を伝える一般向け科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年8月20日第1刷発行。新書版で横一段組み、本文約241頁。9ポイント26字×26行×241頁=約162,916字、400字詰め原稿用紙で約408枚。文庫本なら少し薄めの一冊分だが、写真やイラストやグラフを多く収録しているので、実際の文字数は8~9割程度。

 文章はこなれている。が、内容はかなり専門的な部分もある。なんたって、第1章から化学式や亀の甲みたいな分子図が続々と出てくるし。私は化学が苦手なので、難しい所は飛ばして読んだが、それでも充分に楽しめた。

【構成は?】

 原則として頭から順に読むような構成になっている。が、冒頭は化学式など専門的な言葉が続くので、かなりとっつきにくい。わからなかったら、適当に飛ばして読もう。

  • まえがき
  • 第1章 火薬の原理
    • 1-1 普通の化学物質と火薬との違い
      火薬の基本/基本は燃えるものを燃やすこと/火薬の反応は酸化反応 燃焼、爆燃、そして爆轟/爆轟
    • 1-2 化合火薬の原理 エネルギー源
      エネルギー源/爆発性原子団 どんな化学構造が爆発するか?
    • 1-3 混合火薬の原理 可燃物と酸化剤
      可燃物になる元素/酸化剤になる元素/集合体としての可燃物と酸化剤
    • 1-4 化学反応から見た爆発の考察
      化学反応はなぜ起こる? エンタルピー、エントロピー、そしてギブス自由エネルギー/混合火薬の劣化
    • 1-5 火薬は燃料としては最強ではない!?
      チョコチップクッキーはTNTの8倍のエネルギー!/爆薬の性能比較
  • 第2章 サイエンスの視点で見た火薬
    • 2-1 高エネルギー物質
    • 2-2 高性能爆薬
      爆発威力の評価/GW/cm2という単位/「究極の爆薬」は?/高密度エネルギーにするための戦略/オクタニトロキュバイン/単結合窒素化合物 ポリ窒素化合物
    • 2-3 起爆薬
      雷汞/DDNP/アジ化鉛/トリシネート/シアヌール酸トリアジド
    • 2-4 熱発生剤 テルミット
      原理と組成物の例/可燃剤(燃えるもの)概論/酸化剤(燃やすもの)概論/実用化されているテルミット/テフロンが酸化剤?/マグテフ/鉄道レールを修復・接続するテルミット溶接技術/製鉄分野でも活躍するテルミット反応/テルミット反応を使う材料合成 燃焼合成/金属粉末の粉塵爆発危険と自然発火危険
    • 2-5 ガス発生剤
      窒素発生剤/水蒸気発生剤/酸素発生剤/煙発生剤
    • 2-6 耐熱爆薬
      TATB/HNS/TACOT/PXY/BTDAONAB
    • 2-7 困りものの爆発物
      金が爆発する!世界最古の起爆剤 雷金/爆発性のある銀化合物/三塩化窒素 プール施設で爆発!?
  • 第3章 実用化されている火薬
    • 3-1 黒色火薬
      黒色火薬の特徴
    • 3-2 ロケット推進薬
      ロケットとミサイルの違い/ロケットの歴史は意外に古い!/コンポジット推進薬
    • 3-3 硝酸アンモニウムを使った爆薬
      硝酸アンモニウムの爆発事故/ANFO/含水爆薬 スラリー爆薬・エマルジョン爆薬/SMBE 爆薬中間体をサイトミキシング
    • 3-4 ダイナマイト
  • 第4章 花火
    • 4-1 花火の歴史
      中国の歴史/日本で初めて花火を見たのは?/隅田川花火のはじまり 玉屋と鍵屋/ヨーロッパの歴史
    • 4-2 おもちゃ花火
      炎・火の粉・火花/回転、走行、飛翔/打ち上げ/爆発音/煙/おもちゃ花火の安全管理
    • 4-3 打ち上げ花火
      玉名 花火の名付け方
    • 4-4 仕掛け花火
    • 4-5 伝統花火
      手筒花火/伊那の綱火/秩父 龍勢
    • 4-6 花火に使われる化学物質
      酸化剤/可燃剤/効果剤 炎色/効果剤 キラキラ/バインダー(結合剤)/花火に用いられる代表的な組成物
    • 4-7 花火のサイエンス
      花火の燃焼機構/花火の発火現象 化学発光(ケミルミネセンス)/花火の炎色を測る/原子の発光スペクトル/分子の発光スペクトル/花火のキラキラ 白熱(インカンデセンス)
    • 4-8 花火の安全
      国内での事故例(失敗知識データベースより)/海外での事故例/ラボスケールでの各種感度評価/自然発火危険性の評価/野外大爆発実験/花火の安全化・高性能化へのチャレンジ ポリマー成型花火/直径1cmの世界最小打ち上げ花火を作る/安全はすべてに優先する
  • 第5章 火薬のいろいろな使い方
    • 5-1 着火・起爆装置
      専用の装置がないと爆発しない/花火で使われる着火装置/火工品/電気着火は点火玉/電気導火線/爆薬を起爆する電気雷管
    • 5-2 火薬を使った発破
      黒色鉱山火薬による花崗岩のマイルドな発破/海底発破/ビルの爆破解体ショーは日本では無理/人口雪崩
    • 5-3 ロケット・人工衛星
      いろいろなロケット/ペイロードとは?/火薬を使った溶融塩電池/ロケットに使われる火工品
    • 5-4 緊急時に使われる火工品
      緊急保安炎筒/海難救助用火工品
    • 5-5 自動車用安全装置
      運転者用フロントエアバッグ/助手席用エアバッグ/その他のエアバッグ/シートベルトプリテンショナー/歩行者保護のためのボンネット上昇装置とエアバッグ/ロールオーバー・プロテクション
    • 5-6 金属を無理矢理くっつける? 爆発圧着
    • 5-7 ドカンと一発! ダイヤモンド合成
      もう一つの超硬物質 窒化ホウ素/超高圧は面白い
    • 5-8 物理探査 月面で人工地震をおこす
      物理探査/アポロ計画の人工地震/月は空洞になっていて、中には宇宙人が!
    • 5-9 大深度地下探索 まだ掘れるオイルとガス
      高温高圧の大深度地下で火薬を使う/シェールガス、シェールオイルの現状
    • 5-10 医療への応用
      体内の結石を爆破!/無針注射
    • 5-11 遺棄・老朽化化学兵器の無害化処理
      遺棄・老朽化化学兵器/爆縮を使った無害化処理
  • 第6章 国内の法令および国際的な取り決め
    • 6-1 法令で定義する化学物質の危険有害性
    • 6-2 法令はインターネットで検索できる
    • 6-3 日本における火薬の定義
      火薬/爆薬/火工品/火薬類取締法は火薬として使うことが大前提/適用除外
    • 6-4 国際的な取り決め
      危険物輸送に関する国連勧告(TDG)/危険物輸送から世界調和へ/国連の危険物分類と定義/オレンジブックとパープルブック/火薬の輸送形態の実例/危険区分を決める国連勧告のフローチャート/フローチャートの中にある試験法
  •  さくいん

【感想は?】

 私が知りたかったのは、火薬と爆薬の違いだ。

 「銃の科学」で、爆発には2種類あると知った。爆燃と爆轟だ。違いは反応速度で、爆燃はミリ秒単位、爆轟はマイクロ秒単位。それこそ桁が違う。黒色火薬や花火は爆燃で、TNTなどの爆薬は爆轟。

 銃で使うのは爆燃で、爆薬だと銃が破裂してしまう。威力が強すぎるのだ。不純物を混ぜるとかして、なんとか調整できないの?と思ったんだが、どうやら無理らしい。組成も反応の形も、全く違うからだ。

 いずれも、化学エネルギーが解放されることで熱エネルギーに変わり、高温高圧のガスが噴き出す。たいていは何かと酸素が結合する、つまりは急激に燃えるって形だ。または、不安定な結合が安定した結合に変わるとか。

 ただし、火薬と爆薬は、酸素の在処が違う。火薬は酸素を含む物質(酸化剤)が、燃える物質と混ざっている。それに対し、爆薬は、同じ分子の中に可燃物と酸素の両方を含んでいる。距離が全然違うのだ。

 などといった原理の話が第1章~第2章に出てきて、これはかなり難しい。が、化学が苦手な人は、テキトーに読み飛ばそう。というか、私は読み飛ばした。以降の章では、意外な火薬の使い道や、花火の仕組みなどが出てきて、素人でも充分に楽しめる。

 火薬の使い道として、まず思い浮かぶのがは花火だ。これは後で述べるとして、「言われてみれば」なのが、ロケットの固形燃料。基本的な理屈はロケット花火と同じで、つまりは火薬を燃やしてるわけ。

 子供の頃、ロケット花火を池に向けて撃ったことがある。困ったガキだね。面白い事に、水の中でもロケット花火は燃え続けた。おかげで、火薬が燃えるのに酸素は要らないと、幼い頃に私は学んだ。えっへん←をい。なんでかというと、火薬の中に酸素が入っているから。固形燃料や花火も、同じ理屈だ。

 火薬は意外な所で使われている。分かり易いのが、パーティなどで使われるクラッカー。中には、物騒どころか、人を守るために使われている場合もある。あなたの自家用車にも、少なくとも二つ、火薬を使っているものがある。

 一つは緊急保安炎筒。急に車が動かなくなった時、他の車に事故を知らせるため光と煙を出す。もうひとつは、エアバッグだ。これを膨らませるのに、火薬を使っている。急いで膨らませるには、火薬を使うのが最も手ごろなのだ。

 ハイテクに感動したのが、爆発圧着。溶接しにくい二種類の金属を結合させるのに使う。要は爆発の圧力でくっつけちゃえって発想だ。チタンは腐食に強いが値段が高くて加工しにくい。そこで全体は軽くて安いアルミで作り、肝心の部分だけチタンにしたり。

 でもやっぱり、この季節に気になるのは花火。第4章をまるまる使って説明してくれるのが嬉しい。最近の花火は途中で色が変わったり、最後にキラキラ輝いたりする。

 花火の基本は黒色火薬なんだが、様々な工夫をこらしている。火が付くタイミングは導火線の長さで調整し、色は混ぜ物で創り上げる。この色、電子が関係してるあたりが、科学の意外な所。なんと炎色反応(→Wikippedia)の理屈なのだ。だもんで、本書では分光器で火薬の組成を調べてたり。野暮なんだかロマンチックなんだかw

 終盤では旧日本軍が国内に遺棄した毒ガスの話が出てきた。中国での遺棄兵器はニュースになったので知っていたが、考えてみれば、日本国内にも遺棄された化学兵器がある筈なんだよね。あんましニュースにならないけど。ニワカとはいえ軍ヲタなら、思いついて当然だろうに。

 物騒に思える火薬だが、花火はもちろん自動車の安全装置や金属加工、果ては医療など、実は様々な所で使われているし、そのために求められる性質も色とりどり。冒頭は専門的でとっつきにくいけど、中盤以降は素人でも楽しめる話が多い。「わからない所は読み飛ばす」姿勢で臨もう。

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2017年6月20日 (火)

アミタヴ・ゴーシュ「カルカッタ染色体」DHC 伊藤真訳

マラリアはおそらくあらゆる病気の中で史上最高の死亡者数を誇る。
  ――p67

「もし『カルカッタ染色体』が本当に存在するのなら、俺は絶対に探しだす」
  ――p127

「俺じゃないんだ。問題は、俺の中にいるやつなんだ」
  ――p313

【どんな本?】

 インドのカルカッタ(現コルカタ)に生まれニューヨークに住む著者が1995年に発表した、SF/ファンタジイ/ホラー/ミステリ/歴史小説。

 近未来のニューヨーク。エジプト出身のアンタールは、非営利団体ライフ・ウォッチに勤めている。仕事の多くは自宅勤務で、端末AVA/Ⅱeを使った目録整理だ。その日、AVAはIDカードの切れ端について尋ねてきた。かつての同僚ムルガンの物だ。回収地はカルカッタ。

 ムルガンは、カルカッタ出身だ。彼はロナルド・ロス(→Wikipedia)の足跡を辿る事に熱中していた。ロスはノーベル生理学・医学賞を受賞している。ハマダラカがマラリアを媒介すると示した、1898年の功績によるものだ。ムルガンは、ロスの足跡を追い1995年にインドに渡り、カルカッタで消息を絶った。

 ロナルド・ロスの何がムルガンを夢中にさせたのか。カルカッタでムルガンに何があったのか。

 近未来のニューヨーク、1995年のカルカッタ、そして英国支配下の1890年代のインド各地とマラリア研究の歴史を交え、謎めいた物語が展開する。

 1997年アーサー・C・クラーク賞受賞のほか、SFマガジン編集部編「このSFが読みたい!2004年版」のベストSF2003海外篇でも6位に躍り出た。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Calcuttta Chromosome, by Amitav Ghosh, 1995。日本語版は2003年6月24日第1版。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約331頁に加え、訳者あとがき8頁。9ポイント43字×19行×331頁=約270,427字、400字詰め原稿用紙で約677枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。マラリアが物語の鍵を握るが、蚊が媒介する、ぐらいに分かっていれば充分。というか、SFとしては科学の部分がかなり怪しいw むしろ、熱気と混沌が渦巻くカルカッタの空気を知っていると、カルカッタのパートの楽しみが増す。

【感想は?】

 そう、これはサイエンス・フィクションじゃない。だから、科学や工学の部分はあまり突っ込まないように。端末AVA/Ⅱeもちと便利すぎるし、マラリアについても少々誤解してるっぽい。

 それより、作品名にも入っている「カルカッタ」こそが、この作品の大きな魅力だ。

 インドの東、ベンガル湾の奥。気候は蒸し暑く、冬でも日中の気温は20℃を超える。ベンガルの中心都市で、市中はヒンディー語・ベンガル語・英語が飛び交う。住む者はベンガル人が多いが、ネパールからの出稼ぎや派手なターバンを巻いたシーク教徒も目立つ。

 都市化の波もあり、近隣から続々と人々が押し寄せ、都市圏の人口密度は世界屈指の高さで、貧富の差も激しい。交通網など社会資本の麻痺は常態化しつつあり、道路はいつも渋滞だし、突然の停電は日課のようなものだ。

 そこに暮らす人々も慣れたもので、レストランなどは自前の発電機を常備してて、停電で明かりが消えた時も、暫く待てば発電機が動き出して明かりがともる。結婚式の場面とかも、さすがカルカッタ出身とニヤリとしたり。そういう土地なんです。

 そして、何より、血を求める殺戮の女神カーリー(→Wikipedia)を崇める土地である。インドの神様ってのは、単に数が多いだけでなく、それぞれの神様が多くの化身を持ってるのも大きな特徴で、カーリーも単に残酷なだけの神様じゃないのが、実にややこしい所。

 などのインドの神話世界が持つ独特の構造を、コッソリ隠し味として組み込んでるあたりは、純文学系とは思えぬ巧みな仕掛けだろう。

 こういった多文化が混在する様子は、アンタールが登場する冒頭のニューヨークの場面にも出てくる。アンタールが通うドーナッツ店に集まるのは、スーダン人・ガイアナ人・バングラデッシュ人・エジプト人など。彼と同じアパートに住むのも、クルド人・タジク人などで、実に国際色豊かだ。

 いずれも大家族で、やたら騒々しいあたりも、ちょっとニヤリとしたり。もともと移民の受け入れ口で人種のるつぼなんて言われる土地だが、最近は中東から東アジアまで、更にバリエーションに富んだ人々が流れ込んでいる。これもまた、ちょっとした伏線になってたり。

 1995年代のカルカッタ・近未来のニューヨークに続く第三の舞台は、1890年代のインド。

 当然ながら当時のインドは独立前で、大英帝国の支配下にある。インドに住むイギリス人たちを語る文章は世の中に多いが、大半はイギリス人の視点で描かれている。それに対し、この物語は、カルカッタ出身のムルガンがロスの足跡を追う形で進むために、おのずと視点は違ってくる。

 カルカッタ出身の作家だけに、社会風刺的な意味とも取れるが、同時に物語の骨組みをなす大事な仕掛けにもなっているのが憎い。

 加えて、大きな役割を果たすのが、19995年のカルカッタで登場する二人の女。一人は元映画女優で今は地元の名士となっている年配のソナリ、もう一人は若い雑誌記者のウルミラ。

 新しい世代を代表するウルミラは、自らの力で人生を切り開こうと張り切っている。若くキャリアも少ない彼女が、憧れの先輩ソナリの気を引こうとジタバタする場面は、P.A.WORKS のアニメみたいで、なかなか可愛い。

 またウルミラの家族との暮らしを描く場面は、伝統文化と新しい価値観がぶつかりあうインドの現状を、ぬかみそ臭い生活感たっぷりに描いていて、実に生々しい。いや漂うのはぬかみそじゃなくてカレーの香りなんだけど。

 SFというより、ミステリ風味のインド流伝奇小説といった所か。それも、蒸し暑い混沌の街カルカッタ風味。半村良の伝説シリーズが好きな人にお薦め。

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2017年6月18日 (日)

ハワード・グッドール「音楽の進化史」河出書房新社 夏目大訳

これは音楽の歴史についての本だ。音楽というものがこれまでにどのような変遷を経て今日のようなものになったのかを書いている。
  ――はじめに

アントニン・ドヴォルザーク「この国(アメリカ合衆国)の音楽は、いわゆる『ニグロのメロディ』にかかっているのだと私は思う」
  ――第5章 悲劇の時代 1850年~1890年

レコードが普及するにつれ、クラシック音楽には困ったことも起きた。レコードが珍しかった頃とは違い、新しいものより古いものが偏重される傾向が強くなったのである。
  ――第6章 反乱の時代 1890年~1918年

アングロサクソンやケルトの民俗音楽がブルースに与えた影響は意外に大きい
  ――第6章 反乱の時代 1890年~1918年

『ラプソディ・イン・ブルー』が演奏されると、たった14分間で音楽の世界はそれまでとはまったく変わってしまい、もう二度と元に戻ることはなかった。
  ――第7章 ポピュラーの時代Ⅰ 1918年~1945年

ロックンロールは過去のどの音楽よりも世界に影響を与えたと言っていいだろう。
  ――第8章 ポピュラーの時代Ⅱ 1945年~現在

【どんな本?】

 オペラとオラトリオは何が違うのか。バロックや古典派とはどんな音楽で、どんな特徴があるのか。和声や和音は、どのように見つかりどう普及したのか。バッハの何が凄いのか。バイオリンはいつごろから流行りはじめたのか。ポール・マッカートニーの曲の特徴は?

 主に西洋音楽を中心として、霧に包まれた起源から、記譜法や和音など曲作りの技術、当時の楽器や演奏形態、オペラやバレエや映画など他メディアが与えた影響、そしてヴィイヴァルディやストラヴィンスキーなど有名な音楽家が開拓した技法など、音楽の進化の歴史を辿りながら、音楽が表現の幅を広げてゆく過程をた辿りつつ、それが当時の人々にどう受け止められたかなどもあわせて語る、音楽好き(だが音楽の知識はない)人向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The History of Music, by Howard Goodall, 2013。日本語版は2014年5月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約458頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント47字×19行×458頁=約408,994字、400字詰め原稿用紙で約1,023枚。文庫本なら上下巻でちょうどいいぐらいの大容量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。ただし、アチコチで魅力的な曲を紹介しているので、その度に Youtube などを漁り始めると、なかなか先に進まないw

【構成は?】

 原則として時系列順に話が進むが、美味しそうな所を拾い読みしても充分に楽しめる。

  •  はじめに
  • 第1章 発見の時代 紀元前4万年~紀元1450年
  • 第2章 懺悔の時代 1450年~1650年
  • 第3章 発明の時代 1650年~1750年
  • 第4章 気品と情緒の時代 1750年~1850年
  • 第5章 悲劇の時代 1850年~1890年
  • 第6章 反乱の時代 1890年~1918年
  • 第7章 ポピュラーの時代Ⅰ 1918年~1945年
  • 第8章 ポピュラーの時代Ⅱ 1945年~現在
  •  謝辞/訳者あとがき/プレイリスト/参考文献

【感想は?】

 最高に楽しい音楽の教科書。

 音楽と言っても、西洋音楽、それもクラシックが中心だが、それは仕方あるまい。なにせ他の音楽はロクに記録が残っていないし。

 なんと言っても、西洋音楽は、軍事的・経済的・政治的に支配的な点を別にしても、記譜法がシッカリしているのが強い。お陰で、技術の発展の歴史が、文書として残っている。他の音楽は、演奏者が途絶えたら、それっきりだし。

 にも関わらず、未だに生き残っているガムランやインド音楽は、逆に凄いとも言えるけど。何が凄いって、いずれも構造が複雑怪奇だってこと。

 西洋の音楽は、教会の影響が強い。聖歌だ。そして聖歌は、記譜法ができるまで、一つの旋律だけで出来ていた。修道院ごとに150曲ほどの聖歌があり、修道士は耳で聞いて覚えなきゃいけない。だもんで、あまし難しい曲を作っても、修道士が覚えきれないのだ。

 1000年頃、グイード・ダレッツォが記譜法を編み出し、音楽を記録できるようになる。お陰で…

グイードの記譜法が生まれ、音楽を書いて記録できるようになると、以前よりも大胆な曲作りをすることも可能になった。覚えやすさを考慮する必要がないからだ。忘れる心配がなければ、遠慮なく変わった曲、複雑な曲も作れる。
  ――第1章 発見の時代 紀元前4万年~紀元1450年

 これが、西洋音楽の発展の始まりだ。これ以降の歴史も山あり谷ありで楽しいんだが、意外とロックの歴史にも似てるのが面白い。

 つまり、開拓者が新しい技法を編み出し新線な驚きをもたらし、やがて技巧を凝らし複雑な曲が増えてくると、その反動で単純化する動きが出てくるのだ。それが行き詰まると民俗音楽など新しい血を取り入れ、または新しい楽器やオペラなどのメディアが音楽を変えてゆくのである。

 例えば宗教改革で有名なルター。社会において改革者だった彼は、音楽においてもパンクスだった。教会で信徒は賛美歌を堂々と歌うべきだ。でも難しい曲じゃ覚えきれないんで、どうしても控えめになる。じゃ易しく覚えやすい歌を作ろう。ラモーンズかよ。

 ただし手法はパンクと違う。既にあるものを使った。民謡を集め、それに詩をつけて賛美歌にしたのだ。いわば替え歌だね。とすると、ラモーンズというより嘉門タツオかアル・ヤンコヴィックか。これに対し教会は…

 プロテスタンティズム、反宗教革命、どちらにしても、教会音楽を単純化し、歌詞を聞き取りやすくしようとしたという点は同じである。
  ――第2章 懺悔の時代 1450年~1650年

 と、似た手口で対抗するから面白い。よっぽど効果的だったんだろうなあ。

 プロのミュージシャン、特にキーボード・プレイヤーは、バッハが好きな人が多い。ヘビメタやプログレの人も、よくバッハを拝借する。それに対し、一般にはモーツァルトの人気が高い。その理由もわかった。

 モーツァルトはフリーランスで、ウケなきゃ飢える立場にいた。だもんで、「誰がいつどこで聴いても気に入ってもらえるようなものを作る必要があった」。つまりは優れたメロディ・メーカーで、とっつきやすいのだ、モーツァルトは。

 対してバッハは、「オルガンを習得しようとすれば、必ずバッハについて徹底的に学ぶことになる」。キーボード・プレイヤーに好かれるわけだ。

 そんな風に音楽そのものを楽しむ風潮が、大衆にまで行き渡ったのが、イタリア。

1850年にトリノやミラノ、ナポリなどに住んでいた人たちにとって、オペラは現代で言うiTunesやテレビのようなものだった。(略)19世紀のイタリアにおいては、オペラはもっと気軽なエンターテイメントだったのである。
  ――第5章 悲劇の時代 1850年~1890年

 今でこそオペラは着飾った紳士淑女が集うハイソな催しだが、19世紀のイタリアじゃ今の映画みたいな立場だったんだろう。

 プログレ・マニアにとってイタリアは大鉱脈で、PFMを筆頭にトロルスやオザンナなど凄いのがゴロゴロいる上に、イ・プーなんてアイドルっぽい連中までパルシファルなんて名作を作ってる土地なんだが、その源流はこういう所にあるのかも。いや「Poohlover」も好きだけどね。

 などと欧州じゃ隆盛を誇り時代をリードしたクラシックも、録音技術やラジオの普及により立場が大きく変わり…

 著者はクラシックの人だが、終盤ではスティーヴィー・ワンダーを絶賛するなど、ポピュラー音楽にも目を配っている。また、映画の音楽がよく例に出てきて、クラシックに疎い人でも「おお、あの曲か!」と、現代人にとっても意外とクラシックが身近なのがよくわかる。

 読み終えて改めて自分が好きな曲を聴くと、今まで見逃していた新しい魅力が見えてきて、更に音楽が好きなる、そんな本だ。かく言う私はビートルズのレット・イット・ビーを聴いて、リンゴの巧みなセンスを40年ぶりに発見したり。いや凄いぜ、あのスネアの入り方。

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2017年6月14日 (水)

黒石迩守「ヒュレーの海」ハヤカワ文庫JA

「ズバリ! 外に海を探しに行くんだよ!!」

ヒトは妄想で生きている。

【どんな本?】

2016年の第4回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作を、加筆訂正した作品。

 世界が“混沌”に覆われ、七つの序列国家だけが生き残った世界。無機物からなる生物CEMを発見した人類は、これを自らと融合させ、意識を通信媒体とするKUネットを得て、情報空間を基盤とする新たな現実 VR を獲得した。

 序列第三国家イラの第三都市ルプスは、約一千万の人口を養えるシリンダ型の閉鎖環境だ。うち八割の労働者階級は地下に住み、地上に住めるのは二割ほどの資本家階級のみ。サルベージ・ギルドは、地下に住む不正規技術者集団だ。優れた技術で“混沌”より情報を掘り出し、国家に提供する。

 少女フィと少年ヴェイは、若いながらギルドでも凄腕と認められつつある。フィが掘り出した、“混沌”以前の実写2D動画に映っていたのは、海。それが、騒動の始まりだった。

 危険に満ちた異様な世界と、そこに暮らす変異した人々の中で、海を求めて走り出す向こう見ずな少年少女と、二人を見守る大人たち、そして彼らが暮らす世界の姿を描き出す、思いっきり濃い長編SF小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2016年11月25日発行。文庫本で縦一段組み、本文約387頁に加え、第四回ハヤカワSFコンテスト選評9頁。9ポイント40字×17行×387頁=約263,160字、400字詰め原稿用紙で約658枚。文庫本としては少し厚め。

 文章は少々硬い。冒頭からルビを振った造語が遠慮なく出てくるなど、かなりとっつきにくく、相当にSFに慣れている者でないと、振り落とされる。しかも、その説明に使っているのが、ポインタだの構造体だのインスタンスだのといった、プログラミング用語。わかる人はニタニタしながら楽しめるが、そうでない人には辛いだろう。

【感想は?】

 そう、この作品はかなり読者を選ぶ。

 「プシスファイラ」もデジタル・ネットワーク用語ビシイバシでかなりキている作品だった。対してこちらは、プログラミング用語。ポインタだ防火壁だなんてのは可愛いもんで、ポリモーフィズムだ基底クラスだBOOSTだとか、かなり突っ込んだネタが次々と出てくる。

 単に言葉を借りてるだけなら「なんかカッコいい」で済むんだが、世界観やガジェットやトリックの説明で大事な役割を果たしてるんで、なかなかにタチが悪い。

 お陰でプログラマは「おお、アレをこう使うか!」とニヤニヤが止まらないが、そうでない人は、何が書いてあるのか、皆目見当がつかないんじゃないかと思う。そういう私も、作品の世界観はイマイチ把握しきれていない。

 なにせ彼らが住む都市ルプスの外は“混沌”に覆われている。混沌というぐらいで、その正体は判然としない。ここからギルドがサルベージしてくるあたりは、これまたサブカルにかぶれ厨二病の尻尾を断ち切れてない人にはたまらんネタを巧みに使ってて、「おお、そういう事か!」と妙に納得したり。

 そんなギルドで働く若者フィとヴェイは、いかにも今風のキャラ設定。気まぐれで向こう見ずな少女フィと、彼女に振り回されつつサポートは忘れないヴェイって性格付けで、涼宮ハルヒ以降って時代を感じさせる。ハインラインの頃だったら、性格は逆にしてただろうなあ。

 お話は二人を中心に進むが、脇役として登場場面は短いながら強烈な印象を残すのが、サンゴちゃん。いや本人はちゃんづけで呼ばれるのは嫌がるだろうけど。

 どっちかというと悪役の側なんだが、とにかくキャラが分かり易いのがいい。性格は徹底した脳筋な軍人で、無駄に声がデカいってのがいい。新任の士官候補生ながら、無類の忠誠心を持ち、またちょっとした特技もある。

 “混沌”が象徴するように、世界そのものが把握しにくく、また主人公の二人を除く他の登場人物も秘密を抱えている者が多い中で、サンゴのように単純で確固とした行動理念を持つ者が出てくると、物語の輪郭がクッキリしてきて、俄然ノリがよくなる。現実じゃ堅苦しい上に暑苦しくて、あまり近くにいて欲しくないタイプだけどw

 などの登場人物もさることながら、やっぱり最大の魅力は世界観だろう。その基盤となっているのが、無機物ながら生物でもあるCEM。単に生物ってだけじゃなく、ヒトとは全く異なる性質を持つケッタイな奴なんだが、ヒトはCEMと融合する道を選ぶ。

 ヒトがシームレスに仮想空間にアクセスできる物語は多い中、このCEMが生物って設定は、堀晃のシリーズを連想させるが、CEMの不気味さとヤバさはこの作品に独特のもの。単にヒトとは異なる生物ってだけじゃなく、その奥には底知れない淵が控えていて…

 そういったヤバさの向こう側から、何かをカスめ取ってくるサルベージ・ギルドの面々は、ストルガツキーのストーカーっぽいけど、ヤサぐれていながら妙に明るいあたりは、現代のハッカーたちの末裔に相応しい変人集団ぶり。マイペースな奴らながら、それぞれに得意分野が違ってて、互いの手腕を認め合ってたりするのも、チームとして気持ちよさそう。

 出だしから造語バリバリだし、仕掛けも大小とりまぜてんこもり。“混沌”を核とした世界観も、どこかモヤモヤした感が残るものの、SFとしての濃さは一級品。歯ごたえのあるSF小説が欲しい人にお薦め。

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2017年6月12日 (月)

バリー・パーカー「戦争の物理学 弓矢から水爆まで兵器はいいかに生み出されたか」白揚社 藤原多伽夫訳

本書では物理学のたいていの分野に触れ、それらが軍事にどのようにおうようされているかを解説する。
  ――1 はじめに 本書の概要

弓の威力を決めるのに重要な要素はいくつかあるが、そのうちの三つは、弓の長さ、形、材料だ。一般的に弓は長ければ長いほど威力を増す…
  ――3 古代の兵器の物理学

理論上、水爆の威力には限界がない
  ――18 水素爆弾、大陸間弾道弾ミサイル、レーザー、そして兵器の未来

【どんな本?】

 戦闘と物理学と言えば、マンハッタン計画が生み出した原爆や話題の無人航空機、SFに出てくる光線銃や衛星兵器を思い浮かべるだろう。しかし、大昔から使われている弓や投石器、騎士がふるう剣やまとう鎧にも、物理学は大きく関係している。

 古代の戦車(チャリオット)から攻城用兵器、大砲や銃の進歩や使われている技術と原理、航空機や潜水艦などの乗り物、そして核兵器からレーダーなどの情報機器まで、軍用機器の歴史を辿ると共に、それに関係した物理学のトピックを、色とりどりのエピソードに交えて語る、一般向けの科学・軍事解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Physics of War : From Arrow to Atoms, by Barry Parker, 2014。日本語版は2016年3月25日第一版第一刷発行。私が読んだのは2016年5月10日発行の第一版第二刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約402頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント46字×19行×402頁=約351,348字、400字詰め原稿用紙で約879枚。文庫本なら上下巻にしてもいい分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。アチコチに数式が出てくるが、だいたいの意味は文章でも説明しているので、わからなければ無視しても構わない。理科が得意で軍事にアレルギーがなければ、中学生でも充分に楽しめるだろう。

 ただし、これを読んでも、さすがに原爆は作れない。原理は分かるけど。でも威力のある弓ぐらいは作れそう。

【構成は?】

 時系列順に並んではいるが、各章はけっこう独立しているので、美味しそうな所だけを拾い読みしてもいい。

  • 序文
  • 1 はじめに 本書の概要
  • 2 古代の戦争と物理学の始まり
    カデシュの戦い/古代の戦闘馬車/銅、ブロンズ、鉄/アッシリア人/ギリシャ人と物理学の始まり/投石器/アレクサンドロス大王/アルキメデス
  • 3 古代の兵器の物理学
    速度と加速度/力と慣性/運動量と力積/重力の影響/エネルギーと仕事率/角運動量とトルク/機械/弓矢の物理学/投石器の物理学
  • 4 ローマ帝国の勃興と、英仏の初期の戦い
    ローマ軍とその武器/英仏の初期の戦い/ロングボウの起源と物理学
  • 5 火薬と大砲 戦争の技法と世界を変えた発見
    ロジャー・ベーコン/書記の大砲/百年戦争/ウルバン砲とコンスタンティノープル包囲/イングランドとスコットランドの戦いで使われた大砲/フランス軍/シャルル八世とナポリでの勝利
  • 6 時代を先取りした三人 レオナルド・ダ・ヴィンチ、タルタリア、ガリレオ
    レオナルドと物理学/軍事に関わるレオナルドの発明/戦争に対するレオナルドの姿勢/タルタリア/ガリレオ/弾道学の問題
  • 7 初期の銃から、三十年戦争、ニュートンの発見まで
    戦争と銃/海での戦い/ヘンリー八世/ウィリアム・ギルバート/経度の問題/三十年戦争/スウェーデンの介入/発見の新時代をもたらしたニュートン
  • 8 産業革命の影響
    フランス革命/イギリスの産業革命/ジェームズ・ワットと蒸気機関/ウィルキンソンの鉄工技術/銃の命中精度を高めたロビンス/フリントロック/クリスティアン・ホウヘンス/軍事技術とのかかわり
  • 9 ナポレオンの兵器と電磁気の発見
    フランス革命/大砲の製造法を変えたグリヴォーヴァル/ナポレオンの兵器/摩擦熱を研究したランフォード伯/電気と磁気の関係/電気が戦争に及ぼした影響
  • 10 アメリカの南北戦争
    雷管の開発/ミニエー弾/ライフル銃と大砲における革命/南北戦争/電信の役割/発電機(ダイナモ)/ガトリング法/海上での戦い/スクリュープロペラの物理学/「知るか、機雷なんか」/潜水艦/気球
  • 11 銃弾と砲弾の弾道学
    砲内弾道学/反動/過渡弾道学とソニックブーム/砲外弾道学/銃弾の安定性/終末弾道学
  • 12 航空力学と最初の飛行機
    飛行機の発明につながる発見/ライト兄弟/飛行機が飛ぶ仕組み/揚力の物理学/抗力とは/飛行機の操縦/飛行機が戦争に使われた最初の事例
  • 13 機関銃の戦争 第一次世界大戦
    機関銃の開発/その他の兵器/第一次世界大戦の開戦/初期の戦闘機/海戦と海中の脅威/毒ガス/初期の戦車/アメリカの参戦
  • 14 無線とレーダーの開発
    電磁波の生成と検出/電磁スペクトル/電波/X線/光と赤外線/レーダー/レーダーの性能を高める装置
  • 15 ソナーと潜水艦
    アルキメデスの原理/潜水艦の物理学/スクリュープロペラの動力/船体の形状と潜望鏡/航法/ソナー/水雷/魚雷の仕組み/第二次世界大戦での潜水艦
  • 16 第二次世界大戦
    大戦はいかにして始まったか/戦争に備える/フランスでの戦闘とダンケルクの戦い/レーダーの強み/ブリテンの戦い/アメリカの参戦/飛行機の進歩/戦争で使われた初期のロケット/その他の兵器と小火器/コンピューターと諜報活動
  • 17 原子爆弾
    そもそもの始まり/アインシュタインの役割/イタリア人の大発見/ハーン、マイトナー、シュラスマン/1938年のクリスマス/連鎖反応/大統領への書簡/開戦/イギリス側の動き/ハイゼンベルクとボーア/マンハッタン計画/最初の原子炉/マンハッタン計画は続く/トリニティ実験/ドイツ側の原爆開発/日本への原爆投下を決断
  • 18 水素爆弾、大陸間弾道弾ミサイル、レーザー、そして兵器の未来
    水素爆弾の開発/ウラムとテラーの大発見/最初の実験「アイヴィー・マイク」/水爆の物理学/長距離ミサイル/レーザー/半導体とコンピューター/人工衛星とドローン/未来の兵器
  •  訳者あとがき/註/主な参考文献

【感想は?】

 ニワカ軍ヲタ大喜びの本。

 さすがに「戦闘技術の歴史」シリーズほどには体系化されていないものの、軍事の素人には、思い込みを覆されるエピソードが何度も出てくる。

 例えば弓だ。イングランドのロングボウは「戦闘技術の歴史 2 中世編」で出てきたが、内容が専門的過ぎて、肝心の「何が嬉しいのか」がイマイチ分からなかったが、これでよくわかった。要は飛距離と威力だ。直感的にわかるように、弓は長い方が威力も大きいのだ。

 似たような兵器にクロスボウ(弩)がある。威力が大きく、使いこなすのは弓より簡単そうなのに、あまり流行ってない。なんでだろう?

 と持ったら、クロスボウは中精度が悪い上に、連射が効かないのだ。イングランドのロングボウは一分に5~6本撃てるのに対し、クロスボウは一分に1~2本。当時の戦争はせいぜい2~300mほどでの撃ちあいだから、走り抜ければ1~2分で接近戦になる。となれば、連射能力の差は大きいよなあ。

 科学の進歩がわかるのも、楽しい点の一つ。私たちは、空中に放り投げた物がどんな軌跡をたどるのか、だいたい知っている。野球のホームランボールの軌跡がソレで、つまりは放物線だ。しかも、横向きの動きは、空気抵抗で次第に遅くなる。

 これは野球の玉に限らず、大砲や銃の弾も似たようなもんだろう、と私たちは考える。

 が、16世紀ごろまでは違ってて、「砲弾が砲身を離れたあと加速すると考えられていた」。これを正したのがイタリアのニコロ・タルタリア(→Wikipedia)。ここから弾道学が始まる。

 今でこそ写真も動画もあるから、ホームランの軌跡はわかるし、義務教育で基礎的な物理学を学ぶから、なんとなく銃弾や砲弾の動きも見当がつく。でも当時はニュートン以前だし、速すぎて砲弾の動きも見えないから、想像するしかなかったのだ。実験って概念も普及してなかったし。

 この章、レオナルド・ダ・ヴィンチやガリレオ・ガリレイも出てくる。ちと切ないのが、タルタリアを含めた三人とも、食うために軍事に手を出してる点。いずれも「本業ではあまり稼げなかったが、兵器の開発では高い収入を得られた」。昔から軍事研究は儲かる仕事だったのだ。なんだかなあ。

 銃の歴史も、素人向けで実に分かり易い。マスケット銃だのミニエー銃だのと名前はよく聞くが、どこがどう違うのか、歴史の教科書じゃ説明していない。

 アッサリ言うと、マスケット銃は丸い弾丸でライフリングなし、ミニエー銃はロケット型の弾丸でライフリングあり。

 銃身にライフリングがあると弾丸は一定の回転を与えられ、ジャイロの理屈で軌道が安定する。これがないと、丸い弾丸は銃身内を進む際に不規則な回転を与えられ、軌道が安定しない。野球だと、ナックル・ボールみたいな感じ?いや多分違うけど。

 決まった回転を与えりゃいいのはわかったが、そのためには弾丸が銃身に密着しなきゃいけない。ミニエー銃の弾丸は底にくぼみがあり、火薬の熱でこれが膨らみ、弾丸がライフリングに密着する。言われてみりゃその通りだが、発想は見事だよなあ。

 この辺の理屈を考えたのはベンジャミン・ロビンズなんだが、彼の手法は見事なまでに科学的でエレガント。

 例えば弾丸の速さを測る方法。重さの分かっている角材を紐でぶら下げ、これを銃で撃つ。角材の揺れ幅を見れば、弾丸が角材に与えたエネルギーがわかる。弾丸の重さも分かるから、後は計算すれば弾丸の速さが分かる。実に鮮やかにニュートンの業績を使いこなしてます。

 銃の発砲音も、私はアレ火薬が爆発した音だと思ってたけど、実は全然違った。銃身内のガスが銃口で急に拡散した時に出る音なのだ。だから消音機は銃口につけるのか。

 と、ここでは銃の話ばかりを書いちゃったけど、目次を見ればわかるように、電信や航空機や原爆など、様々な兵器や軍事用機材の話が出てきて、なかなかバラエティ豊か。特にプロペラの形状の話とかは、モノの形の不思議さを感じるところ。

 全般的に初心者向けで、マニアには物足りないけど、素人には楽しい話がいっぱい載ってるし、書名で感じるほどには難しくもない。科学の話も中学生で充分ついていけるので、気楽に読もう。

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2017年6月 9日 (金)

ピーター・トライアス「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」新☆ハヤカワSFシリーズ 中原尚哉訳

「人はみな有罪だ。問題はその罪が何かだ」
「特高課の課員でも?」
「有罪ならざる課員は有能ならざる課員だ」
  ――p103

「世の中の厄介事はすべて退屈が原因なんだよ」
  ――p240

「嘘をつくなと僕に言ったね。そっくりお返しするよ。陛下の陰に隠れるのはやめなよ」
  ――p281

【どんな本?】

 アメリカの若手作SF家ピーター・トライアスの日本初上陸作品にして、2016年後半期の話題作。SFマガジン編集部編「SFが読みたい! 2017年版」のベストSF2016国内篇で、堂々の2位をもぎ取った。

 第二次世界大戦は枢軸側が勝利した。アメリカの東海岸はナチス・ドイツが、西海岸は大日本帝国の支配下となる。そして40年がたった。

 西海岸の市民の間には電卓と呼ばれる携帯型の通話機/コンピュータが普及しており、これを使った戦争ゲームに人々は熱中している。

 ベンこと石井紅功は40歳を間近に控えた大日本帝国陸軍の大尉。かつては六浦賀将軍と共に軍事シミュレーション・ゲーム制作で優れた手腕を発揮した。今はロサンジェルスの検閲局に勤め、相応しくない電卓ゲームを検査しつつ、美食と美女を堪能しているが、怠惰な勤務態度が災いして昇進は芳しくない。

 最近、市民の間では「USA」なるアングラ・ゲームが流行っている。第二次世界大戦でアメリカが勝った架空の歴史を舞台とする作品だ。六浦賀将軍が、アメリカ人抵抗組織のジョージ・ワシントン団と協力して開発したとの疑いがある。

 その六浦賀将軍が消息を絶った。ベンは、特高こと特別高等警察の槻野昭子と共に、六浦賀将軍と「USA」を追い、捜査に当たるが…

 巨大ヒト型ロボットなど日本製のアニメやゲームのネタをふんだんに盛り込みつつ、抑圧的な大日本帝国支配下の世界を徹底的に茶化し、グロテスクな肉体改造や体液が飛び散る残虐シーンなどを散りばめ、バッド・テイストに仕上げた、娯楽アクションSF長編。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は United States of Japan, by Peter Tieryas, 2016。日本語版は2016年10月25日発行。新書版で縦二段組み本文約355頁に加え、大森望の解説9頁。9ポイント24字×17行×2段×355頁=約289,680字、400字詰め原稿用紙で約725枚。同時に文庫本も出ていて、こっちは上下巻。

文章はけっこうクセが強い。SFガジェットは豊富に出てくるので、アニメなどである程度SFに慣れていないと辛いかも。それ以上に、残酷な描写が多いので、グロ耐性が必要。

 また、大日本帝国の支配体制を徹底的に茶化しているので、そういう政治思想の人には向かない。

【感想は?】

 わはは。「電卓」ときたか。

 この作品内ではスマートフォンに当たるガジェットだが、電卓ってネーミングがいい。

 実はパーソナル・コンピューターの普及と進歩には、電卓が大きな影響を与えているのだ。Intel 4004(→Wikipedia)とか、液晶とか。その辺を知った上で「電卓」としているなら、この著者、ただものではない。いや本当はクラフトワーク(→Youtube)がネタ元かもしれないけど。

 こういう、狙って外したようなケッタイな日本趣味はアチコチに出てくる。特に相撲の扱いが酷いw アングラ・カジノの場面では、思わず「燃えよドラゴンかいっ!」と突っ込みたくなったり。

 とはいえ、主人公はブルース・リーのように深い知恵と思想を感じさせるクール・ガイじゃないのが、っこれまた微妙にハズしている所。

 主な視点を担うベンこと石井紅功、かつては優れたゲーム・クリエイターだったらしいが、今は40目前にして女と美食に目がないスチャラカ男。帝国陸軍の大尉なんて肩書はあるものの、威厳とはあまり縁がなく、職場での評判も芳しくない。

 彼のバディとなる槻野昭子は、対照的にカチカチの特高。揺るがぬ忠誠心で熱心に職務に励む…のはいいが、いささか脳筋気味、どころじゃなく、何かというとブッ放したがる物騒な人。最初は攻殻機動隊の草薙素子かと思ったが、すぐに頭に血が上るあたりは、ブラックラグーンのレヴィが近い。

 そんなデコボコ・コンビが、大日本帝国支配下の西海岸を、華やかな表舞台から想像を絶する裏社会まで駆け回る話が、この物語の大半を占める。

 ただ、表紙や口絵に登場する巨大ヒト型ロボットは、中盤あたりまで登場せず、またあまり大きな役割を果たさない。とはいえ、巨大ロボットが市街地で暴れたらどうなるか、なんてあたりもキチンと考えていて、これはオタクの韜晦とでもいうか。そりゃタダじゃ済まないよね。

 と、ロボットの活躍が少ないのはちと残念だが、お話の中心は、あくまでも姿を消した六浦賀将軍と、謎のゲーム「USA」を追う、ベンと昭子の探索行だ。

 帝国陸軍の軍人と特高なんて、捜査に当たる者としてはまっとうな立場のコンビながら、二人が巡る世界は胡散臭い匂いのする裏通りばかり。ここで発揮されるバッド・テイストはなかなかのもので、和製より洋物の暴力ゲームの雰囲気が強い。

 特に「工匠」のアジトの場面は、著者の困った趣味が全開で発揮されるところ。よく P.K.ディックの「高い城の男」と比べられる作品だが、この辺の味わいはチャイナ・ミエヴィルの「ペルディード・ストリート・ステーション」や「クラーケン」、または K.W.ジーターの「ドクター・アダー」のテイストに似ている。

 そういう不穏で、むしろ笑いたくなるくらい悪趣味なホラー場面で彩りつつ、大日本帝国を支える将兵や特高課の面々が、大真面目な表情で陛下への忠誠を語るあたりは、なかなか強烈な衝撃がある。こういう所は、ちと日本人には書けないだろうなあ。書き手がどっち側の思想にしても、ここまで茶化しつくすのは難しい。

 陰鬱なテーマを扱いながらも、思いっきった悪ふざけで読者を混沌と混乱の渦に叩きこむ、21世紀の怪作。思想的にも残虐描写的にもキツいわりに、実はギャグじゃないかと疑いたくなる作品なので、覚悟して読もう。

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2017年6月 6日 (火)

デイヴィッド・マクレイニー「思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方」二見書房 安原和見訳

本書の三大テーマは、認知バイアス、ヒューリステック、そして論理的誤謬だ。
  ――0 はじめに 人の性

人は、あるテーマについて知らなければ知らないほど、知るべき知識の総体も小さいと思い込む傾向がある。
  ――11 ダニング=クルーガー効果

なにかをよいものと判断したときは、悪い点は目につかなくなる。
  ――25 感情ヒューリスティック

実際のところ、知り合いという集団のうち、確実に連絡をとりつづけられるのは150人程度にすぎない。
  ――26 ダンバー数

【どんな本?】

 あばたもえくぼ。のど元過ぎれば熱さも忘れる。偉い人が言ってる事だから正しい。せっかく今まで頑張ったのに。そろそろツキが回ってきたぜ。自分の事は自分が一番分かってる。実るほど首を垂れる稲穂かな。地位が人を造る。

 人の心や行動について、昔から様々な事が言われてきたし、多くの人が使う決まり文句もある。その幾つかは当たってるし、幾つかは見当はずれだ。加えて、最近の実験によって明らかになった、意外な傾向もあり、その中には政治家や広告代理店や詐欺師の常套手段もある。

 テクノロジーと心理学を得意とするジャーナリストが、心理学の面白トピックを集め、わかりやすく紹介する、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は You Are Not So Smart, by David McRaney, 2011。日本語版は2014年9月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約402頁に加え、訳者あとがき4頁。10ポイント42字×16行×402頁=約270,144字、400字詰め原稿用紙で約676枚。文庫本なら少し厚め。

 文章はこなれている。内容もわかりやすい。国語が得意なら、小学生の高学年でも楽しんで読めるだろう。

【構成は?】

 それぞれの章は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • 0 はじめに 人の性
  • 1 プライミング効果
  • 2 作話
  • 3 確証バイアス
  • 4 あと知恵バイアス
  • 5 テキサスの名射手の誤謬
  • 6 先延ばし
  • 7 正常性バイアス
  • 8 内観
  • 9 利用可能性ヒューリスティック
  • 10 傍観者効果
  • 11 ダニング=クルーガー効果
  • 12 アポフェニア
  • 13 ブランド忠誠心
  • 14 権威に訴える論証
  • 15 無知に訴える論証
  • 16 わら人形論法
  • 17 人身攻撃の誤謬
  • 18 公正世界仮説
  • 19 公共財供給ゲーム
  • 20 最後通牒ゲーム
  • 21 主観的評価
  • 22 カルトの洗脳
  • 23 集団思考
  • 24 超正常刺激
  • 25 感情ヒューリスティック
  • 26 ダンバー数
  • 27 魂を売る
  • 28 自己奉仕バイアス
  • 29 スポットライト効果
  • 30 第三者効果
  • 31 カタルシス
  • 32 誤情報効果
  • 33 同調
  • 34 消去抵抗
  • 35 社会的手抜き
  • 36 透明性の錯覚
  • 37 学習性無力感
  • 38 身体化された認知
  • 39 アンカー効果
  • 40 注意
  • 41 セルフ・ハンディキャッピング
  • 42 自己成就予言
  • 43 瞬間の自己
  • 44 一貫性バイアス
  • 45 代表的ヒューリステック
  • 46 予断
  • 47 コントロールの錯覚
  • 48 根本的な帰属の誤り
  •  謝辞/参考文献/訳者あとがき

【感想は?】

 「本当は間違っている心理学の話」や「影響力の武器」と同じ種類の本だ。ネタもかなりカブっている。

 比べると、「本当は間違っている心理学の話」が最も内容が充実している。名声では「影響力の武器」が一番だろう。

 この本の特徴は、読みやすさと親しみやすさ。各章が短く、また文章も親しみやすいので、スルスルと頭に入ってくる。それぞれのトラップに、「一貫性バイアス」や「公正世界仮説」などの名前がついているのもありがたい所。なんであれ、名前がつくと、覚えやすくなるしね。

 「確証バイアス」あたりはモロかぶりだろう。自分の考えに近い話には頷き、そうでない話は無視する、そういう傾向だ。

 Twitter などのSNSを使っていると、自然に自分と共通点が多い人の記事ばかりが目に付くようになり、それが世の中の平均だと思い込んでしまう。類は友を呼ぶとでも言うか。お陰で、私の世界観だと、世の人の多くはSFファンのように見えるのだが、どうもリアルの世界はそうじゃないらしい。何故だ。

 少しホッとしたのが、「40 注意」。

 最近の iPod Nano にはフィットネスなる機能があって、万歩計としても使える。これで歩いた歩数を測るんだが、歩数と同じ画面に時刻も出る。で、よくやらかすのが、「どれぐらい歩いたんだろ?」と思って iPod を見て、仕舞った直後に「ところで今何時だっけ?」と再び iPod を取り出すのだ。

 こういう真似をしょっちゅうやらかしてて、「なんか最近の俺ってアホになったんじゃないか」などと思っていたんだが、どうもそういう事ではないらしい。ヒトってのは、何かに集中すると、他の事に頭が回らなくなる生き物なのだ。私が阿呆なんじゃない。そういう事にしておこう、うん。

 やはり、やりがちなのが、「セルフ・ハンディキャッピング」。実力テストなど難しい事に挑む際、前日に深酒するなど、どう考えても愚かな真似をやらかす傾向だ。なぜかというと、失敗した時の言い訳を用意するのである。そうしておけば、コケた時にプライドが傷つかないで済むから。

 これで不思議なのが、気分によって傾向の強弱がある点。暗い気分と明るい気分、どっちが予防線を張りやすいかというと、なんと明るい気分の方が「セルフ・ハンディキャッピングに走りやすい」。ハイな気分を維持したいと考えるんだろうか。

 議論のマナーとも関係が深いのが、「権威に訴える論証」「無知に訴える論証」「わら人形論法」「人身攻撃の誤謬」「公正世界仮説」あたり。

 「権威に訴える論証」は、広告がよく使う手口で、有名人を登場させるもの。健康食品ではなぜか工学博士の出番が多いんだよなあ。「無知に訴える論証」は、IT系がよく使う。専門用語をまくしたてられると、聴いてる側は間違いだと断言できないから、正しいんじゃないかなあ、なんて気分になっちゃう。

 「人身攻撃の誤謬」は、議論の相手の人格を Dis る手口。情けない事に議会でもよく使われるんだよなあ。「公正世界仮説」は、「世界は公平な筈だ、奴が不幸なのは自業自得」なんて考え方。いじめや児童虐待にコレが絡むと、とっても悲惨な事になってしまう。

 などとヒトゴトのように書いているが、グサリと突き刺さったのが「内観」。なぜソレが好きなのか、その理由をヒトは何もわかっちゃいないんだよ、という話。

 このブログ、記事の大半は、「私はこの本が好きだ、何故かというと…」みたいな事を書いてるんだが、それまみんな私のオツムが勝手にでっち上げたもんだよ、と切って捨てているのだ。がびーん。でもいいや。なんたって、本の最初にこう書いてあるんだから。

人はみんなだまされている。
しかしそれでいいのだ。
正気でいられるのはそのおかげだから。
  ――0 はじめに 人の性

 そう、こうやってブログを書いてりゃ私は楽しいんだから、それでいいじゃないか。

 この章にはもう一つ、役に立ちそうな事が書いてあって、それは落ち込んだ時は考え込まないで気分転換するといいよ、って事。逃避も時には役に立つのだ。そういえば、本宮ひろ志の漫画で好きな台詞があるんだよなあ。「涙のかわりに汗を流してみろ」だったかな? 案外と真実なのかも。

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2017年6月 4日 (日)

シャロン・バーチュ・マグレイン「異端の統計学ベイズ」草思社 福永星訳

ベイズの法則は、一見ごく単純な定理だ。曰く、「何かに関する最初の考えを、新たに得られた客観的情報に基づいて更新すると、それまでとは異なった、より質の高い意見が得られる」
  ――序文、そして読者の皆さんへのただし書き

「数値を状況から切り離すことはできない」
  ――第10章 ベイズ派の巻き返しと論争の激化

「ベイズの法則はまちがいなのだ……実際に機能するという事実を別にすれば」
  ――第17章 世界を変えつつあるベイズ統計学

【どんな本?】

 迷惑メールを自動的に捨ててくれるベイジアン・フィルタなどで使われており、コンピュータの普及と共に大きな役割を担っているベイズ派統計学。だが、それは統計学の世界では長く異端とされ、何度も葬り去られては復活するゾンビのような歴史を持っていた。

 なぜ異端なのか。厳密な筈の数学の世界で、なぜ綺麗にケリがつかず長く論争が続くのか。ベイズは何が嬉しくて、何が困るのか。そもそもベイズとは何か。そして、数学界での論争とはどのようなものなのか。

 現代の情報技術で脚光を浴びているベイズ統計学の歴史を、個性豊かな登場人物の戦いと活躍で彩り、波乱に満ちたベイズ統計学の物語を綴る、数学と歴史のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Theory That Would Not Die: How Bayes' Rule Cracked the Enigma Code, Hunted Down Russian Submarines, and Emerged Triumphant from Two Centuries of Controversy, by Sharon Bertsch McGrayne, 2011。日本語版は2013年10月29日第1刷発行。

 単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約437頁。9ポイント47字×18行×437頁=約369,702字、400字詰め原稿用紙で約925枚。文庫本なら上下巻に分けてもいい分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。確率については、「釣り鐘型のグラフが正規分布」ぐらいに知っていれば充分に読みこなせる。少し数式も出てくるが、読み飛ばしても特に問題はない。というか、私は読み飛ばした。

 「統計や確率って、やたら沢山の数字を測ったり計算したり、面倒くさいよね」ぐらいに思っていればいい。むしろ計算や面倒くさいことが苦手な人ほど、登場人物の想いが伝わってくるだろう。

【構成は?】

 原則として時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。できれば年表が欲しかった。

  • 序文、そして読者の皆さんへのただし書き
  • 第1部 黎明期の毀誉褒貶
    • 第1章 発見者に見捨てられた大発見
      ベイズ師のすばらしい発見/ベイズが生きた時代ととの人物像/ベイズの天才的ひらめきはいかにして生まれたか/ベイズの大発見はほとんど注目されたかった
    • 第2章 「ベイズの法則」を完成させた男
      数学者ラプラス誕生の背景/天文学と確率論を結びつける/ラプラスはどのようにベイズの法則を発見したか/ラプラス、ベイズを知る/確率の理論を男女出産比率調査で実践/18世紀フランスの政治と統計学/太陽系の安定を示したラプラスの偉業/フランス科学界のリーダーへ/ついにベイズの法則を定式化する
    • 第3章 ベイズの法則への厳しい批判
      誤解に満ちたラプラス像/等確率と主観的信念が攻撃の的になった/フランス軍のなかで生きつづけたベイズの法則/アメリカ電話電信会社を救ったベイズ/アメリカの労災保険料率算出での利用/反ベイズの大物、フィッシャーの人物像/フィッシャーとネイマン、二人の反ベイズ同士の諍い/ベイズの法則が復活の兆しを見せた領域/フィッシャーの有人となったベイズ派、ジェフリーズ/ジェフリーズ対フィッシャー またもベイズ派が負ける
  • 第2部 第二次大戦時代
    • 第4章 ベイズ、戦争の英雄となる
      どうしても答えを出さなければならない問題/ドイツ軍の暗号エニグマを解読せよ/数学者に活躍の出番が回ってくるまで/数学者チューリングがベイズの手法で解読をはじめる/暗号解読に必要なものを手に入れる/ロシアでもベイズは軍用統計学となった/より強力な暗号「タニー」の登場/エニグマ暗号機にホイールが追加される/チューリングとシャノン 戦時下での二人の天才の対話/ユーボート探索の作戦にもベイズが使われた/世界初の大規模電気式デジタル計算機での暗号解読/暗号解読にベイズを使ったチューリング以外の人たち/ベイズの手法の貢献が挺機密扱いになる
    • 第5章 再び忌むべき存在となる
      「頻度主義にあらずんば統計学にあらず」という時代
  • 第3部 ベイズ再興を志した人々
    • 第6章 保険数理士の世界からはじまった反撃
      反ベイズへの逆襲を試みる男/なぜかうまくいくベイズ流損保保険料率に驚く/保険数理士の世界からアカデミズムの世界へ広まる
    • 第7章 ベイズを体系化し哲学とした三人
      統計学者の数が爆発的に増える/外部からは嫌われ内部では分裂する統計学者たち/ベイズを再生に導いた変わり者、グッド/転向して熱烈なベイズ派となった理論家、サヴェッジ/イギリスにベイズ派の拠点を築いたリンドレー
    • 第8章 ベイズ、肺がんの原因を発見する
      がんとたばこの関連を調べた世界初の症例対照研究/たばこと肺がんの因果関係をベイズの手法で証明する/コーンフィールドの大活躍とベイズの復活
    • 第9章 冷戦下の未知のリスクをはかる
      未経験の危機に関する研究へと誘われた若者たち/核兵器事故が起きる不安は募りつつあった/事故の危険を予知した報告書は何を引きおこしたか
    • 第10章 ベイズ派の巻き返しと論争の激化
      ベイズ理論の驚くべき多様化/反ベイズの立場の理論家も密かにベイズを使った/反ベイズの大物たちとの対立はどうなったか/ベイズに注目が集まり他分野にも影響及ぼす
  • 第4部 ベイズが実力を発揮し始める
    • 第11章 意思決定にベイズを使う
      ベイズ派も頻度派も現実の問題に使われてこなかった/情熱と好奇心のアウトサイダー、シュレイファー/意思決定に頻度主義が無力だと悟ったライファ/ライファとシュレイファーがベイズを使えるものにした/二人はベイズの普及に成功したか
    • 第12章 フェデラリスト・ペーパーズを書いたのは誰か
      非軍事分野における最大規模のベイズ手法実践例/現実の問題を扱うことで表出したベイズの困難さ/研究を指揮したモスラーの並外れた能力/著者判別の手がかりとなる単語の発見
    • 第13章 大統領選の速報を支えたベイズ
      テレビ業界の熾烈な競争と世論調査/軍事関連研究の大物、テューキー/なぜテューキーは大統領選速報の仕事を受けたのか/テューキーのベイズ派と頻度主義に対する態度/安全保障のためにベイズの手法は隠された?
    • 第14章 スリーマイル島原発事故を予見
      ベイズ派が停滞期に陥った原因/ベイズ派内でも著しい見解の相違があった/ベイズの手法による分析で原発事故を予見
    • 第15章 海に消えた水爆や潜水艦を探す
      爆撃機が空中爆発して載せていた水爆が行方不明に/仮説を幾つも立てて確率を付与する/水爆探索の現場で何が起きていたか/目撃証言と潜水艇による探索で水爆にたどりつく/ベイズ統計を使う次なる機会 潜水艦探索/潜水艦探索で使われた先進的手法「モンテカルロ法」/探索の理論が漂流船を救助するシステムに応用される/ソビエト潜水艦の発見・追尾にも応用され成功
  • 第5部 何がベイズに勝利をもたらしたか
    • 第16章 決定的なブレークスルー
      コンピュータ発達後も統計学者たちは足踏みを続けた/各分野でベイズの手法を使った成果が出はじめる/ベイズが画像解析に革新をもたらす/ベイズの手法に革命をもたらす数値積分法の発明/マルコフ連鎖モンテカルロ法がもたらしたインパクト/ベイズの手法がソフトウェア化され他分野で大活躍/医学分野でもベイズが使われはじめる/海洋は乳類保護でもベイズが活躍
    • 第17章 世界を変えつつあるベイズ統計学
      ベイズは受け入れられ活用され、論争は沈静化した/ニュースとなり、賞を生んだベイズ統計/金融市場の予測から自動車運転にまで応用されるベイズ/スパムメール除去やWindowsヘルプにも/Eコマーズにもネット検索にもベイズの知見が/ベイズが機械翻訳を大躍進させる/人間の脳もベイズ的に機能している/ベイズ統計は完璧な思考機械を生み出すか
  • 補遺a 「フィッシャー博士の事例集」:博士の宗教的体験
  • 補遺b 乳房X線撮影と乳がんにベイズの法則を適用する
  • 謝辞/用語解説/訳者あとがき/参考文献/原注

【感想は?】

 最初にお断りしておく。この本を読んでも、ベイズ統計学は身に付かない。

 この本は数学の本ではない。だから数学が苦手な人でも楽しめる半面、実際にベイズ統計を使って何かを予測できるようにはならない。ベイズ統計学の入門書ではないので、そこはお間違えないように。

 では何の本かというと、一つの思想の伝記と言っていい。つまり歴史の本だ。

 一つの思想が生まれ、時の流れの中に埋もれ、それが何度も発掘・再発見されては忘れられ、または陰で利用されては葬られ、その度に磨きをかけられて成長し、現代において格好のパートナーを得て大成功を収める、そんな物語だ。

 そう、ベイズ統計そのものを主人公として、艱難辛苦の末に栄光を勝ち取る物語として読むと、とっても気持ちがいい。

 そもそも誕生からして切ない。生んだのは18世紀のアマチュア数学者、トーマス・ベイズ師(→Wikipedia)。今はベイズ統計が情報技術で散々使われているのに、日本語版 Wikipedia の記述もあっさりしたもの。ベイズの法則(→Wikipedia)を見つけたものの、ほったらかしにしたまま亡くなってしまう。

 生まれたはいいが親は何の期待もしなけりゃ育てもせず、橋の下に捨てました、そんな感じ。哀れ。

 この捨て子を拾ったのがピエール・シモン・ラプラス(→Wikipedia)。あの「ラプラスの悪魔」で有名なラプラスだ。男女の出生比などから、ベイズとは無関係にベイズの法則を見つけ、磨きをかけてゆく。ナポレオンと同時代で激動のフランスにありながら、名声を築き上げたラプラスの威光で、ベイズ統計も日の目を見る…かと思ったら。

 いかな天才ラプラスといえど、所詮は人、寿命はある。後援者がいなくなれば生意気な若造は叩かれる。そんなわけで、ラプラスの没後、後ろ盾を失ったベイズの法則は頻度主義者たちから袋叩きにされ、路頭に迷う羽目に…

 なるかと思ったら、世の中捨てる神あれば拾う神あり。今度の救いの神は軍人さん。

 数学者ジョセフ・ルイ・フランソワ・ベルトラン率いるフランス軍が、砲兵将校向けに使い始める。当時は大砲も弾も職人が作っていてバラツキがある上に、撃つ時の風向きや気圧などでも落下地点が変わる。それ全部を計算してたらキリないし、どころか戦場じゃ正確な情報なんてまず手に入らない。

 ってんで、「よーわからん要素」が沢山ある時に、とりあえず使える数字を出すのに向いてるのが、ベイズ統計ってわけ。

 と書くとベイズ統計はいい加減なシロモノみたく思えるが、当然ながらそんな事はない。いや本当に何も分からなけりゃ精度もソレナリなんだが、データが集まってくれば次第に精度も上がってくるのがベイズらしい。

 と、こんな風に、世に出てきては宿命の敵の頻度主義者たちに袋叩きにされ、隅に追いやられては数学の部外者である軍人や保険業者に拾われ、コッソリと実際的な実績を積み重ねる、そんなパターンを何度も繰り返してゆく。

 こういったあたりが、まるきし冒険物語みたいで楽しい。話を創ったんじゃないか、と思うぐらい何度も繰り返すのだ。

 中でも切ないのが軍人さんがパトロンになった時。そうでなくたって秘密主義な人たちで、オープンな学問の世界とは性格が正反対だ。そのため、鮮やかな実績を上げても、軍事機密を理由に全く報われなかったり。これを最もわかりやすく象徴してるのが、かのアラン・チューリング(→Wikipedia)とコロッサス(→Wikipedia)のお話。

 など軍隊とのパートナーシップと秘密主義は今でも続いているようで、画像処理技術なども軍からの払い下げが相当にあるらしい事が、終盤で見えてくる。Photoshop のフィルタも、米軍が開発したアルゴリズムを結構使ってるんだろうなあ。

 やたらと計算量が多いのもベイズの弱点だったが、これもコンピュータなら黙々と計算してくれるわけで、今後もベイズは活躍し続けるだろう。特に学習型AIとかでは、必須の技術になる…というか、既になっている様子。

 厳密な論理に従って話が進むと思っていた数学の世界でも、確率と統計は毛色が違ってる事がわかったし、それ以上に一つの技術が辿った紆余曲折が小説みたいにドラマチックだ。また統計という理論と実践が交わる部隊だけに、個性あふれるコンビが優れたチームワークを発揮する話も気持ちいい。

 と、おお話としては抜群に面白い本だtった。ただし、繰り返すが、ベイズ統計の入門書としては全く使えないので、お間違いのないように。

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