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2017年5月 2日 (火)

グレッグ・イーガン「アロウズ・オブ・タイム」新☆ハヤカワSFシリーズ 山岸真・中村融訳

ある物体が別の物体に対して無限の速度を持つことは、じっさいに可能なのだ。
  ――p10

「これが……気象というやつなのか?」
  ――p276

「これをどう論理的に考えたらいいのか、わからなくなった」
  ――p364

【どんな本?】

 奔放な発想と緻密な科学考証で知られるオーストラリアのSF作家グレッグ・イーガンが、その想像力と科学知識を全開にして放つ、「クロックワーク・ロケット」「エターナル・フレイム」に続くゴリゴリのサイエンス・フィクション三部作の完結編。

 われわれの宇宙とは物理法則が異なる世界。

 光は波長により速さが違う。波長が長いと遅く、短いと速い。液体はなく、固体と気体だけ。そして速く動く物体は、私たちの宇宙とは反対に、時間が速く進む。

 次第に増える疾走星の危機に対処する方法を探るため、母星は巨大な世代型宇宙船<孤絶>を宇宙へと送り出した。母星の数年が、高速で飛ぶ<孤絶>では数十世代を重ねる年月に当たる。この時間差を利用して、<孤絶>内で研究を進め、疾走星の対応策を見つけようとする計画だ。

 <孤絶>では世代も重ね、疾走星の正体も判明し、母星に帰る方法も見つかった。故郷への帰還に向け方向転換する時期だが、<孤絶>内部には別の意見を持つ者が増えてきた。見ず知らずの母星のために危険が伴う機関の途に就くより、自分たちの新天地を見つけよう、と。

 物理学者のアガタは、別の問題で悩んでいた。真空のエネルギーは正なのか負なのか。宇宙の曲率は正なのか負なのか。そしてエントロピーはどうなるのか。

 相対論や量子力学に加え、この巻では時間の矢とエントロピーや因果律の問題も含め、更にややこしい議論が示され、複雑怪奇な物語が展開する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Arrows of Time, by Greg Egan, 2013。日本語版は2017年2月25日発行。新書版で縦二段組み本文約498頁に加え、著者あとがき2頁+板倉充洋の解説9頁+訳者あとがき3頁。9ポイント24字×17行×2段×498頁=約406,368字、400字詰め原稿用紙で約1,016枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。

 相変わらずのグレッグ・イーガン、読みにくさは相当なもの。読みにくい原因は主に三つ。

  1. 宇宙の性質そのものが私たちの宇宙とは違う。
    ばかりでなく、その違いが、時間と空間の性質で、方程式の一部の符号が違う、というもの。正直言って、私には何の事だか、ほとんどわからなかった。
  2. 因果律の混乱。
    タイトル通り、時間の流れ方が異なる世界の出会いがテーマとなり、物語の原因と結果が、ややこしい形で絡み合ってゆく。
  3. イーガン特有の二重否定・三重否定を多く使った文体。
    次の文章は何を意味しているか、わかります?
    「どちらの答えも、真実ではありえないとラミロに思わせるほどには、嘘っぽく聞こえなかった」
    こういった文章に出会うたび、私は脳内で「どちらの答えも真実らしくラミロに聞こえた」と肯定系に変換しつつ読んだので、なかなか進まなかった。慣れると、脳内にド・モルガン回路が出来上がります。ただしクロックはすごく遅いけどw

 また、お話は先の「クロックワーク・ロケット」「エターナル・フレイム」から素直に続いているので、読むなら「クロックワーク・ロケット」から読もう。世界の異様さに慣れるためにも、前の二作を読んでおいた方がいい。

【感想は?】

 まず、表紙がとっても不吉。

 この絵は嘘でも何でもなく、本当にこういう事が起こる。ばかりでなく、いま改めて見ると、かなり多くの情報を含んでいるのが分かる。イラストを描いた Rey.Hori に感謝。

 まずは宇宙の姿。宇宙空間を示す黒い地に、右上から左下に向かい、多くの細い輝線が走ってるが、全て真ん中あたりで白く太い輝きとなり、すぐに途絶える。高速で飛ぶ<孤絶>から見ると、宇宙はそういう風に見えるのだ。

 そこを飛ぶ宇宙船に、隕石のようなものがぶつかっている。果たして<孤絶>の運命やいかに?

 この宇宙、液体もなけりゃ電気もない。電気がなけりゃコンピュータが作れないじゃん、と思ったが、前巻の終盤で、機械式のコンピュータらしきシロモノが現れた。今のコンピュータは電子式ばかりだが、チャールズ・パペッジの階差機関(→Wikipedia)は歯車式。それでもちゃんと計算はできたのだ。

 とはいえ、機械式じゃ速度もメモリ容量も限られる。コンピュータ同士のネットワークや、膨大な演算量が必要な画像処理は無理だ。どうすんだ…

 と思ったら、ちゃんと乗り越えてくれた。もちろん、この宇宙ならではの方法で。それが可能なのは、既に私たちの宇宙でも通信回線などで実用化されてる事で実証されている。

 おまけに、インタフェースが憎い。特に宇宙遊泳を描く場面では、彼らの体の特性を生かし、とっても速くて使いやすい指示方法を見せてくれた。確かにスマートフォンみたくタッチパネルじゃ、色々とやりにくくてしょうがない。特に宇宙空間みたく動作が制限される場所じゃ。

 などのガジェットでは、掩蔽気が可愛い。宇宙空間向けの作業ロボットで、形は12面体(→Wikipedia)。雰囲気、ガンダムに出てくるハロみたいな感じ。私はこういうのに弱いのよ、「神鯨」の三葉虫とか「竜の卵」のクリスマス・ブッシュとか。幾何学的で単純な形でありながら、だからこそ汎用性がある、みたいなメカに、やたらと惹かれてしまう。

 お話の多くが、宇宙船のランデブーに割かれているのも、この巻の特徴。光速に近い相対速度では私たちの宇宙と異なる振る舞いをする宇宙だけど、<孤絶>が内蔵する作業艇<ブユ>程度の速度なら、私たちが直感的に理解できるニュートン力学に近い。

 そこで、異なる運動ベクトルを持つ物体を、どうやって捕まえるか。単純に衝突するだけなら、そんなに難しくないけど、お互いが軽く触れるような感じになるように、なるべく運動ベクトルの違いを少なくしようとすると、どんな軌道を取るのがいいか。直感とは違うあたりが、いいかにも宇宙っぽくて気持ちいい。

 幸い、この巻では、優れたエンジンが手に入っており、推進剤にはあまり制限がないので、派手にエンジンをふかしても大丈夫なのが嬉しい。

 同様に、先端の物理学の話でありながら、基礎的な部分のおさらいをアチコチでやってくれるのも、イーガン先生の親切な所。

 宇宙の空間と時間の形を探るドラマでもあるだけに、重力も大事な課題になる。私たちは重力を「力」として考えるけど、物理学者は「空間の歪み」とする時もある。なぜ力ではマズいのか。話が面倒臭くなるだけじゃないのか。そういった疑問に、ちゃんと解を示してくれます。

 中盤以降では、時間の矢とエントロピー&因果律の関係について、実にややこしい場面描写があり、この作品が描く世界の異様さがゾワゾワと染みてくる。じっくり読まないと、何が起こっていいるのかすらわからないけど、風景が頭に入ってくるにつれ、ちょっとしたホラーを読んでる気分になったり。

 私が印象に残ったのは、埃の溜った床をヤルダがめげずに掃除し続ける場面。こりゃイラつくよなあ。

 宇宙の物理法則から見直した、究極の異世界ファンタジイ。最終巻では、更に因果律までいじり倒し、読者の頭脳を極限までコキ使うばかりでなく、感覚的にも神経を逆なでする場面が続出し、センス・オブ・ワンダーの洪水に押し流される。当然、歯ごたえも半端ないので、焦らずじっくり読み進めよう。

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