リチャード・バック「翼の贈物」新潮社 新庄哲夫訳
古来の格言によると、プロの作家というのは、ついに筆を捨てなかったアマチュアなのだそうである。
――十秒の間がある「いやでたまらないいまの生活よりも、自分の知らない世界のほうがずっとこわいのね……」
――願いごと“飛行”という言葉も、結局は脱出と同意語なのだから。
――完全なる場所への旅「シービーを着水できる飛行機と考えちゃいけない」ドン・カイトが、何年か前にそう言ったことがある。「空飛ぶ船と考えるんだね」
――空飛ぶサマーハウスの冒険
【どんな本?】
「かもめのジョナサン」で大ヒットを飛ばしたアメリカの作家リチャード・バックが、その前後に発表したエッセイや短編をまとめたもの。
彼が大好きな飛行機やパイロットにまつわる話が大半で、登場する飛行機の多くは古い複葉機だが、空軍時代に操縦した F-100 スーパーセイバーや、当時の先端技術を集めた単翼の軽飛行機、水陸両用機からグライダーまでバラエティ豊か。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は A Gift of Wings, by Richard Bach, 1974。日本語版は1975年2月25日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約234頁に加え、編者の言葉1頁+訳者による解説4頁。9ポイント42字×17行×234頁=約167,076字、400字詰め原稿用紙で約418枚。文庫本なら標準的な一冊分。イラストも多いので、実際の文字数は8割程度だろう。
文章はこなれている。内容も特に難しくない。航空機関係の専門用語がよく出てくるが、分からなければ「何か専門的な事を言ってる」程度に流しておけば充分。
ただし今は新品を手に入れるのは難しい。古書を漁るか、図書館で借りよう。
【構成は?】
それぞれの作品は独立しているので、お好みの所だけを拾い読みしてもいい。
- 十秒の間がある
- 空飛ぶ人々
- 私は風の音を聴いていない
- 願いごと
- 消えたパイロットの帰還
- 常に空はある
- 過去から来た女
- 空からの眺め
- 猫
- 雪と恐竜
- ラガーディア飛行場でのパーティー
- サム福音書
- ペカトニカの淑女
- カモメはどうかしている
- 闇の中の声
- 本日、巡業飛行中
- ひとかけらの土地
- 完全なる場所への旅
- 寝椅子の下にあるもの
- 七万一千ドルの寝袋
- 午後の死 ある滑翔物語
- 飛行場少年への贈物
- エジプト人はいつの日か飛ぶ
- 楽園は自ら造るもの
- わが家は他の惑星
- 空飛ぶサマーハウスの冒険
- 編者の言葉/解説
【感想は?】
重症のオタクが、相応しい対象に出会い、幸せに暮らすお話。
当時はオタクなんて言葉はなかったが、彼が飛行機に寄せる想いはオタクの熱情そのものだ。わずらわしい俗世を離れ、自分だけの自由を堪能できる時間、それが彼にとっての飛行である。
リチャード・バックは冷戦時代に合衆国空軍で F-86 セイバーなどを操縦し、航空関係のジャーナリストを経て作家となった。成人して以来、ずっと飛ぶことに憑かれて過ごし、プライベートでも複葉機や軽飛行機に乗り続けている。とにかく飛ぶことが好きなのだ。
ただしスピード狂ではなく、好きなのは1920年代の複葉機ってのが彼の特徴。クルマでもクラシック・カーに拘る人がいるように、古いけど「自分でメカを操っている」感覚が好きなんだろう。
当然ながら、最新の飛行機には性能じゃ敵わない。けど、古いメカが好きな人は、なんだかんだと自分の愛機の長所を見つけ出すものだ。「私は風の音を聴いていない」では、F-100 スーパーセイバーに対し、「排気ガスの臭いもしなけりゃ発動機の咆哮も聞こえない」と噛みついている。
こういったあたりはオッサンの愚痴そのものなんだけど、そこが可愛い所でもある。「ラガーディア飛行場でのパーティー」では、木製の飛行機は長持ちするんだ!と大威張りだったり。
その F-100 を、ちょっと変わった形で堪能できるのが、短編「猫」。ベルリン危機(→Wikipedia)で召集されドイツで任務に就いた頃の体験を元にした小説だ。ここでは、次から次へと F-100 に不調が起こる。軍事物でも、あまり機体の不調の話は出てこないので、なかなか貴重なネタが楽しめた。
やはり F-100 にまつわる話が、「消えたパイロットの帰還」。ドイツ時代の相棒ボウ・ペヴァンを描いたエッセイだ。僚機のミスを指摘するペヴァンの態度は、映画「トップガン」とはまた違った戦闘機パイロットの姿を感じさせる。その後のペヴァンの生き方は、オタクへの力強い応援歌でもある。魚から水を奪ってはいけないのだ。
とまれ、そんな生き方ができるのも、アメリカならでは。「本日、巡業飛行中」では、彼がジプシー飛行士としてドサ回りの旅を試みた時の体験談で、後にドキュメンタリー「飛べ、銀色の空へ」や長編小説「イリュージョン」の原型となるもの。
このジプシー飛行士ってのが、当時のアメリカならではの商売で。
複葉機で田舎へ飛び、空いてる農地に着陸する。大声で客を集め、10分間3ドルで空中散歩を楽しませる。適当に稼いだら、次の町へと飛んでゆく。孤独だけど、自由気ままな商売である。
1920年代~1930年代のアメリカには、そんなジプシー飛行士がいたそうだ。離着陸可能なだだっ広く平らな土地と、安く潤沢に手に入る飛行機&燃料、仕事を求めるパイロット、航空法などの煩い取り締まりをしない御上など、幾つもの条件が重なって可能となる稼業だ。
いくら短い距離で離発着できる複葉機といえど、日本じゃ休耕地は少ない上に一枚の畑が小さく、また土地に起伏が多くて、臨時にでも飛行場にできる場所が少ない。御上も煩いから、流れ者には厳しいだろう。航空法も厳しくって、予め航路を届けなきゃいかんだろうし、燃料もバカ高くてブツブツ…
まあいい。ここでは、とりあえず、そんな当時のアメリカを素直に羨ましがっておこう。でもホント、そういう旅烏な暮らしって、どうしても憧れちゃうんだよなあ。
そんなリチャード・バックが勤め人になろうとした「楽園は自ら造るもの」は、ちょっと笑える話。まあ、どうしたってネクタイを締められない人って、いるもんです。
ちょっと変わった飛び方としては、「午後の死 ある滑翔物語」がユニークだ。これは、グライダー競技に参加した時の体験談。同じ航空機とはいえ、なにせエンジンがないので、複葉機とは全く違う事に気を配らなきゃいけない。ある意味、「飛ぶ」事の身も蓋もない現実を、否応なしに突きつけてくる作品だ。
社会に適応できないオタクが、愛する飛行機に巡り合って、幸せに暮らすお話。生きていくには稼がなきゃならないけど、稼いだ分は趣味につぎ込んだっていいじゃん、そんな気分にさせる、もしかしたらちょっと危険な本かも。
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