沢山美果子「江戸の乳と子ども いのちをつなぐ」吉川弘文館
…江戸時代の史料には、わたしたちになじみ深い「母乳」という言葉は出てこないことに気づかされたからだ。
――いのちへの問い、乳への問い プロローグ本書の課題は、江戸時代の人々は、どのように子どものいのちをつないできたのか、女の身体と子どもの命の結節点にある乳、そして授乳という行為に焦点を絞って探ることにある。
――いのちへの問い、乳への問い プロローグ
【どんな本?】
今は粉ミルクがあるが、江戸時代にそんな便利なものはない。子どもの命綱であるにも関わらず、保存は効かないし、乳の出は体質や体調や精神状態で大きく変わる。栄養状態も衛生状態も労働条件も当時は今と全く違うわけで、母体の不安定さ=乳の出の不安定さは察するに余りある。
そのような厳しい状況で、人々はどのように子どもに乳を与え、いのちをつないできたのか。社会階層の違いは、乳にどんな影響を与えたのか。そして乳は社会にどんな影響を与えたのか。
独特の優れた着想を、主に江戸時代後期・末期を中心として、支配階級である武士から貧しい農民まで、丹念な調査と研究で掘り下げ、いのちをつなごうとする人々の姿を描き出す、一般向けの歴史解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2017年1月1日第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約204頁に加え、あとがき5頁。10ポイント40字×16行×204頁=約130,560字、400字詰め原稿用紙で約327枚。文庫本ならやや薄めの一冊分。
文章は読みやすい。内容も特に前提知識は要らない。敢えて言えば、子どもの夜泣きやイタズラ、ママ友やご近所との付き合いなど、子育てで悩んだ経験があると、更に楽しめるだろう。
【構成は?】
各章は比較的に独立しているので、面白そうな所を拾い読みしてもいい。
- いのちへの問い、乳への問い プロローグ
いのちをつなぐ/なぜ、いのちと乳か/本書の課題と構成/歴史の現場と当事者の声に即して - なぜ乳か
- 乳から何が見えるか
乳銀杏との出会いから/授乳の歴史性への問い - 授乳風景は語る
浮世絵、図表に見る授乳風景/飢饉図のモチーフ - 西鶴本に見る乳
子どものいのちと乳/乳?み子を抱えて - 乳がない
貰い乳・乳の代用品/乳母という奉公/乳をめぐる問題群
- 乳から何が見えるか
- 命綱としての乳
- 乳の出る薬の配布
農村女性の乳不足/乳不足の女への配慮/乳の粉/農村の貰い乳/下層武士の乳をめぐる困難 - 上層武士と乳
里子と乳代/徴収される乳/里子に出す - 乳と捨て子
「赤ちゃんポスト」のその後/大阪の捨て子たち/乳と世話人/口入屋と捨て子 - 乳沢山あり
実子なく乳沢山あり/捨て子を貰う - 捨て子のその後
七歳になった捨て子/捨て子への世間の目/捨て子養子という選択肢
- 乳の出る薬の配布
- 売買される乳
- 乳持ち奉公に出る女たち
岡山城下町の口入屋/乳を売る乳持ち奉公/雇われ暇を出される乳母 - 乳母を選ぶ
良い乳と悪い乳/乳母選びの基準/乳の質を調べる - 乳の売買の裏側
子殺し・捨て子と乳持ち奉公/「ほし殺し」/乳母に預けた子どもの死/乳の出ない乳母
- 乳持ち奉公に出る女たち
- ある家族における乳と子ども
- 「柏崎日記」に見る乳と子ども
なぜ「柏崎日記」か?/二つの翻刻/柏崎陣屋での家族 - 渡部家の子どもたちと授乳
望ましい出生間隔と授乳/「月の滞り」への不安 - 乳をめぐるネットワーク
乳付け/乳付けと性別/乳不足への対処/貰い乳と摺粉/乳への祈願/乳を貰う、あげる - 乳を呑むのは「ねんね」
おろくの場合/真吾の場合/子どもが乳を離すとき/人的ネットワークの中の乳
- 「柏崎日記」に見る乳と子ども
- 乳と生殖・胎児観
- 長期授乳の意味
授乳と出生間隔/長期授乳根の批判/民間療法と乳/授乳と生殖パターン - 出生コントロールと乳
産あり、出生なし/乳が張る - 乳を呑む「胎内の子」
「胎内十月之図」/乳房を離す/「死胎出産之赤子改善」/乳を呑む胎児/乳綱という命綱
- 長期授乳の意味
- 歴史の中のいとちと乳 エピローグ
江戸のいのちと乳/乳が持っていた多義的な意味/母乳ばかりで/少産少死社会への転換の中で/いのちをつなぐ営みの歴史から見えるもの - あとがき/引用・参考文献
【感想は?】
着想が素晴らしい。もちろん、それに加え手間も時間もかかる丁寧な調査をした立派な研究書でもある。そのわりに、とっても親しみやすくわかりやすいんだけど。
なんたって乳だ。今は粉ミルクがあるけど、昔はそんなものはない。生ものだから保存は効かないし、母体の体質や体調で出たり出なかったりする。今と比べ当時は栄養状態も良くなかったろうし、近代医療もないから病気になる人も多かったはず。
実際、本書を読むと、病気で乳の出が悪いなんて場面が何度も出てくる。ばかりでなく…
飛騨の過去帳から作成された衛生統計によると、21歳から50歳の死因のうち、(略)女子に限るならば(産後死および難産死が)死因の1/4を上回っていただろう
と、当時の出産は命がけだったのがわかる。また子どもの寿命も…
一歳までの死亡率は20%、五歳までの死亡率は20~25%を占め、生まれた子どものうち、成人するまで生きる子どもは半数ほどだった
など、当時の子育ての難しさがよくわかる。そこを何とか工夫するのが人間で、米粉や片栗粉を使った代用品を与えたり、母親に催乳薬を飲ませたり、乳の出る女がいる家に里子に出したり、逆に乳母に来てもらったり、近所の女の乳を貰ったりと、立場や状況に応じて方法は様々。
とはいうものの、乳が余る女なんて、そう都合よくいるもんじゃない。
需給バランスはやっぱり需要の方が多いようで、乳母奉公はかなり稼ぎが良かった模様。飯炊き女の給金が半年で「三匁弐分」に対し、乳母は「前金でそっくり八五匁」に四季のお仕着せ付き。おまけに奥様の古服などの余禄もある由を、西鶴の文献から拾ってきている。
ちなみに乳母選びの基準は色々あるが、一つは「『乳ぶくろ(乳房)の豊かさであった」。やっぱり大きいと父も沢山出るだろう、と考えちゃうんだなあ。まあいい。これだけ待遇が良くて稼ぎが大きいと、ロクでもない事を考える輩もいて…
そんな風に乳母を雇えるのはソレナリに実入りのある人だけで、貧しい農民はそうはいかない。仙台藩は乳泉散なんて催乳薬を配ってて、意外と福祉にも気を配ってた事がわかる。けど、果たして効果はあったんだろうか。
他にも仙台藩の生活保護政策は出てきて、奥さんが亡くなり赤子を抱えた上に病を患った百姓が、藩に願を出し、「現在の価値に当てはめると、約11万円ほど」の手当を受け取ってる。これは自分が食うためというより、赤子のために近所の者から「貰い乳」するための手当てって性格らしい。
そう、「貰い乳」ったって、タダって貰いっぱなしってわけにゃいかず、何かお礼をする事になってた模様。まあ、これは、単に需要供給資本主義な取引って部分もあるだろうけど、人としての心理で、何かお返しをしないと気が済まないって気持ちもあるんだろうなあ。
これが都市になると、口利き屋が商売で仲介してたりする。昔から、リクルートみたいな仕事はあったわけだ。かと思えば、「桑柏日記」から、桑名藩の下層武士が陣屋内で乳を融通しあうママ友ネットワークを作ってた様子が伺える。
もう一つ印象深いのは、授乳期間の長さで、当時は三歳ぐらいまで乳を与えてる。授乳期間は妊娠しにくいので、貧しい百姓にとっちゃ格好の避妊手段になってた様子。ばかりでなく、厳しい出産で消耗した母体の回復にも、それぐらいの期間が必要だったんだろう。
加えて、先の乳母の待遇のよさなどから、乳の出る女は重宝しただろうから、なるたけ乳離れさせず乳が出る状態を長く維持したいって意向もあったんじゃないかな。
などと乳を通して見えてくるのは、当時の人間関係の濃さ。村にせよ陣屋にせよ、貰い乳のやりとりなどから、人々が互いに助け合って生きてきた姿が浮き上がってくる。そこに鬱陶しさを感じているらしき描写もあるけど、なんとか付き合っていくしかなかった様子。
この貰い乳なんて風習は、ヒト以外の哺乳類じゃあまり見られないだろうし、とすると、これが人類の繁栄にもたらした影響は、かなり大きいわりに、今まで見過ごされてきたんじゃなかろか。証拠を集めるのは難しそうだけど、時代的にも地理的にも、そして社会学や生物学など他の学会にも広げて研究する価値のある、とても重要でユニークで示唆の多いテーマだと思う。
軽く調べた範囲じゃ、実子以外に授乳する例が、サルだと観察されてる模様。勝山ニホンザル集団での出産観察と母親行動に関する事例報告 - J-Stage(PDF)の「事例5.実子と養子の同時子育て」
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