筒井康隆「モナドの領域」新潮社
「ヒトは神よりも奇蹟を求めるもんだ」
【どんな本?】
日本SF界の巨星・筒井康隆が、「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長篇」と高らかに宣言した、最新の長編SF小説。SFマガジン編集部編「SFが読みたい! 2017年版」のベストSF2016国内篇でも、6位に輝いた。
土手の河川敷で、若い女のものと思われる片腕が見つかり、警察が捜査に乗り出す。その直後、現場近くの公園で片足が見つかった。同じころ、商店街のベーカリーでは、アルバイトの代役で入った美大生の栗本健太が、人間の腕そっくりのパンを焼き上げ、ちょっとした評判を呼ぶ。
ミステリとして始まった物語は、現代の救世主をめぐる寓話へと向かい、宇宙・神・正義・創作などを巡る哲学的な対話へと発展してゆく。短い作品の中に、筒井康隆のエッセンスを濃縮して詰めこみながらも、親しみやすい読み心地を維持した、ベテランの余裕あふれる作品。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2015年12月5日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約209頁。9.5ポイント41字×17行×209頁=約145,673字、400字詰め原稿用紙で約365枚。文庫本ならやや薄めの一冊分。
文章はこなれているが、内容は一部に難しい部分がある。作品名のモナド(→Wikipedia)が示すように、ここで必要なのは哲学や神学の素養。もっとも、わかんなくても、ソレナリに楽しめるようになっている。というか、私は哲学や神学はからきしなんだけど、それでも楽しく読めた。
【感想は?】
今の筒井康隆だから世に出せる作品。
と書くと駄作のように思う人もいるが、もちろん違う。今まで筒井康隆はタブーを散々破ってきたし、実験的な作品も下品な表現もやり尽くしてきた上で、商業的にも成功を収めた。「もう何も怖くない」状態だ。どんな作品だって出版できる立場にいる。
そんな筒井康隆の最新作がどうなるかと思ったら、出だしは意外と大人しい。まるで普通のミステリみたいだ。「虚航船団」のように、一行目から向かない読者を振り落としたりはしないし、欲望丸出しの下品な台詞も控えめで、万人向けの作品のように見える。
もちろん、これは罠だ。実に人が悪い。
人の腕型のパンのエピソードに続き、身近に表れた神(のような存在)を名乗る者と、その周りに集まる人々との会話へと物語は向かう。ちなみにここでの神は、アブラハムの宗教でいう創造主であって、日本やインドの神話に出てくる、人格を持った神様たちではない。
創造主(のようなもの)を自称するわりに、彼が告げる事柄が、意外と庶民的なのが可笑しい。ヨーグルトの賞味期限やら失せ物探しやら戸締りやら短いスカートやら。
なんとも世知辛い神様だよなあ、などと侮りたくもなるが、私たちの想像力なんてのは限られたもので、宇宙の運命なんぞを告げられてもピンとこないんだよねえ。確かめようもないし。でも、今持ってるヨーグルトの賞味期限なら、パッケージを見ればスグにわかるわけで。
と、身近で親しみやすいネタに加え、新興宗教のいかがわしさも漂わせて厨二心を刺激し、読者をグイグイと物語世界へと引き込み、次第に著者の仕掛けた罠へと誘ってゆく。
罠の口が閉じ始めるのが、続く法廷劇の場面。なにせ被告が被告なもので、まっとうな裁判としては進まない中、著者らしいギャグ風味も交え、一見有罪無罪を争う裁判の体裁を取りながら、多くの人が近寄りがたいと感じている神学や哲学の問題へと、読者を誘ってゆく。
やがて物語は、続く討論会の場面での聖俗ごたまぜな対話へと向かい、罠の口はガッチリと閉じ…
ここまでくれば、もはや著者はやりたい放題。宇宙論から現代日本の風俗、ビジネスのヒントから創作論、有限と無限や戦争と平和から聖書の解釈、そしてもちろん神の存在に至るまで、短いながらも端的な文章でバッサバサと斬りまくりだ。
ここで展開されるGODの世界観や価値観と、それに基づいて下される具体的な判断は、同時に著者が著してきた多くの作品を読み解く鍵でもある。聖も俗も区別せず、成功者を嫉む人の卑しさと形而上学的な思索も等しく扱い、セルフパロディーを織りまぜた再帰的な構造で世界を描き出す。その根底には、どんな考え方があったのか。多くの文学的な冒険を経て、筒井康隆はどこに至ったのか。
などと小難しい事は考えず、ツツイ流の奇妙なミステリ、または救世主を巡る現代日本の騒動として読んでも、もちろん充分に楽しめる。
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