ジョーゼフ・キャンベル「千の顔を持つ英雄 上・下」ハヤカワ文庫NF 倉田真木・斎藤静代・関根光宏訳
本書の目的は、(略)宗教上の人物や神話に出てくる人物の姿に形を変えられてしまった真実を、明らかにすることである。
――1949年版序文夢は個人に属する神話で、神話は個人を排した夢である。
――プロローグ モノミス 神話の原形 1.神話と夢神話は、伝記や歴史、宇宙論として誤読されている心理学なのである。
――第二部 宇宙創成の円環 第一章 流出 1.心理学から形而上学へ
【どんな本?】
テセウスやギルガメシュなどの英雄の冒険、オルフェウスやイザナギの冥界行きなど、世界の神話や英雄物語には、幾つかの似たパターンがある。それは、人間の深層心理を表しているのではないか?
ギリシャ神話・北欧神話・聖書・仏典など有名なものから、アルジェリアのヨルバ族・ニュージーランドのマオリ族・アメリカのブラックフット族などマニアックな民話まで広くかき集め、その共通点を洗い出した上で、フロイトやユングの精神分析の手法によって解析し、これらの物語が示す真実を明るみに出そうとする、神話学の古典である。
と同時に、ジョージ・ルーカスのスター・ウォーズに大きな影響を与えたエピソードで有名なように、「面白い物語」の構造を示す、クリエイターのアンチョコでもある。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Hero With a Thousand Faces, by Joseph Campbell, 1949。私が読んだ日本語版は2015年12月25日発行のハヤカワ文庫NFの新訳版。それ以前だと、遅くとも1984年1月に人文書院から単行本が出ている。
文庫本で上下巻、縦一段組みで本文約275頁+279頁=約554頁に加え、風野春樹による解説6頁。9ポイント41字×18行×(275頁+279頁)=約408,852字、400字詰め原稿用紙で約1,023枚。上下巻としては標準的な分量。
ズバリ、かなり読みにくい。特に著者が持論を展開する部分は、表現が曖昧模糊として掴みどころがないし、論理の進め方も矛盾してたり飛躍してたり。
ただし、各地の神話や伝説を語る所は、けっこうわかりやすい。やっぱり論理の飛躍や矛盾が多いのだが、神話や伝説ってのは、物語として頭に入りやすい構造になっているんだと思う。
【構成は?】
手っ取り早く全体を掴みたい人は、「プロローグ モノミス 神話の原形」だけ読めばいい。相当に歯ごたえがあるけど。
先に書いたように、キャンベルが自説を披露する部分は難しいが、そこで紹介している各地の神話・伝説・民話は、わかりやすくて楽しい。いっそ神話・伝説・民話の所だけを拾い読みしてもいいだろう。
贅沢を言うと、神話やその登場人物の索引が欲しかった。
- 上巻
- 1949年版序文
- プロローグ モノミス 神話の原形
- 1 神話と夢
- 2 悲劇と喜劇
- 3 英雄と神
- 4 世界のへそ
- 第一部 英雄の旅
- 第一章 出立
- 1 冒険への召命
- 2 召命拒否
- 3 自然を超越した力の助け
- 4 最初の教会を越える
- 5 クジラの腹の中
- 第二章 イニシエーション
- 1 試練の道
- 2 女神との遭遇
- 3 誘惑する女
- 4 父親との一体化
- 5 神格化
- 6 究極の恵み
- 第一章 出立
- 謝辞/原注/図版リスト
- 下巻
- 第一部 英雄の旅(承前)
- 第三章 帰還
- 1 帰還の拒絶
- 2 魔術による逃走
- 3 外からの救出
- 4 期間の境界越え
- 5 二つの世界の導師
- 6 生きる自由
- 第四章 鍵
- 第三章 帰還
- 第二部 宇宙創成の円環
- 第一章 流出
- 1 心理学から形而上学へ
- 2 普遍の円環
- 3 虚空から 空間
- 4 空間の内部で 生命
- 5 一つから多数へ
- 6 世界創造の民話
- 第二章 処女出産
- 1 母なる宇宙
- 2 運命の母体
- 3 救世主を孕む子宮
- 4 処女母の民話
- 第三章 英雄の変貌
- 1 原初の英雄と人間
- 2 人間英雄の幼児期
- 3 戦士としての英雄
- 4 恋人としての英雄
- 5 皇帝や専制君主としての英雄
- 6 世界を救う者としての英雄
- 7 聖者としての英雄
- 8 英雄の離別
- 第四章 消滅
- 1 小宇宙の終末
- 2 大宇宙の終末
- 第一章 流出
- エピローグ 神話と社会
- 1 姿を変えるもの
- 2 神話、カルト、瞑想の機能
- 3 現代の英雄
- 謝辞/解説/原注/図版リスト/参考文献
【感想は?】
読者の厨二病の進み具合がわかる本。
- ワケわかんねえ:陰性です。厨二病の心配はありません。
- 神話とか精神分析とか、なんかカッコいいじゃん:軽い厨二病の気があります。
- ケッ、今どき精神分析かよ:やや厨二病をこじらせつつあります。
- うをを、『マビノギオン』キターッ!!:かなり厨二病がこじれています。手遅れかもしれません。
正直言って、私は精神分析を信じていない。だから序文でいきなりフロイトの名が出てきた時、「こりゃ地雷か?」と思った。が、こんな事を言われたら、なんか気になるじゃないか。
『ヴェーダ』にはこうある。「真実はひとつ。賢人はそれにたくさんの名前をつけて語る」
で、読み進めていくと、ヴェーダに始まりアポリジニの儀式やテセウスとミノタウロスやブッダの瞑想など、その手の怪しげなモノが好きな人にはたまらんネタが、次から次へと出てくる。しかも、「様々な神話・伝説・民話を比べてみよう」ってテーマなので、自分が知っている物語と比べ始めると、妄想が走り出して止まらない。おかげで、なかなか頁がめくれなかったり。
例えばテセウス(→Wikipedia)の冒険はスサノオの八岐大蛇退治っぽい、なんてのから始まって。
メラネシアのト・カビナナとト・カルヴヴの兄弟の話は、舌切り雀や花咲爺さんと似てる。ト・カビナナがココナッツの実を投げると美女になり、ト・カルヴヴが投げると不細工になる。ト・カビナナが魚の木彫りを海に放すと、獲物を浜に追い込んでくれるが、ト・カルヴヴが真似をするとサメになって魚を食べてしまう。いじわる爺さんだな、ト・カルヴヴ。
やはりピンとくるのが、ロシアの森に棲む魔女。毛深いけど美人で、森に迷い込んだ旅人を死ぬまで躍らせたりとイタズラもするけど、里の若者と結婚することもある。ただし夫が約束をやぶると「跡形もなく姿を消してしまう」。まるきし雪女か夕鶴か。
イザナギの冥界行きなど日本の神話も調べてて、ちょっとした疑問が解けたのも嬉しい。私が知ってる他の神話だと、太陽神はたいてい男なんだが、天照大神は女だ。これ珍しいよねと思ってたんだが、やっぱり珍しいようだ。
男神ではなく、女神としての太陽のモチーフは希少であり、古代から広まっていた神話的状況の貴重な生き残りと言える。アラビア半島南部の大母神は、イラートという太陽の女神である。
どうやらアポロンより古い世代の神話らしい。
アマテラスは、楔形文字で神殿の粘土板に記された古代シュメール神話において最高位の女神とされる大イナンナ(→Wikipedia)の、東洋における姉妹の一人
と、古式ゆかしい神なのだ。だがそのイナンナ、西に進むとアスタルテ(→Wikipedia)を介してヨーロッパじゃ悪魔アスタロト(→Wikipedia)になってしまうから納得いかない。
色で方向を表すのも世界各地にあるようで、私が知ってるのは中国の四神(→Wikipedia)で東:青龍,南:朱雀,西:白虎,北:玄武だけど、ナヴァホ族は東:白,南:青,西:黄,北:黒になり、西アフリカのヨルバランドの神エシュの帽子だと東:赤,南:白,西:緑,北:黒となる。色と方向の関係づけと共に、ヒトが認識する色の基本が白・黒・青・赤・黄・緑らしいのが見えてくる。
など遠くに住む見知らぬ民族ばかりでなく、仏典も漁っているようで、ブッダのエピソードもアチコチに出てくるんだが、どうも私が知ってる話とだいぶ違う。というのも、私が知っているブッダの話には神様がほとんど出てこないのだが、この本の挿話じゃヒンズー教の神様がズラズラと出てくるのだ。
タイやカンボジアの仏教ってなんか違うよな、と思ってたが、聖典そのものが全く違うのかも。とか言っちゃいるが、日本の仏教の聖典がどうなってるのかすら、私は全く知らないんだけど←をい
そんなわけで、スターウォーズを読み解く鍵とするもよし、厨二な物語を作る際に使う固有名詞のネタに使うもよし、物語構成の参考にするもよし。それより何より、諸星大二郎や柴田勝家が好きな人は、とりあえず読んでおこう。
【関連記事】
| 固定リンク
「書評:ノンフィクション」カテゴリの記事
- サイモン・マッカシー=ジョーンズ「悪意の科学 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?」インターシフト プレシ南日子訳(2024.08.25)
- マシュー・ウィリアムズ「憎悪の科学 偏見が暴力に変わるとき」河出書房新社 中里京子訳(2024.05.31)
- クリフ・クアン/ロバート・ファブリカント「『ユーザーフレンドリー』全史 世界と人間を変えてきた『使いやすいモノ』の法則」双葉社 尼丁千津子訳(2024.04.22)
- デヴィッド・グレーバー「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」岩波書店 酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳(2023.12.01)
- 「アメリカ政治学教程」農文協(2023.10.23)
コメント