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2017年2月19日 (日)

ヴァージニア・スミス「清潔の歴史 美・健康・衛生」東洋書林 鈴木美佳訳

本書は、昨今の多層的アプローチを用い、清潔についての考え方の様々な起点と経過をたどったものである。
  ――序 日本語版によせて

実際のところ、細菌は、「病原生物」にたいする民間の概念にぴったりだった。しかし、コッホの細菌がそれ自体、種であるという特異性をもっているということは、かつてのミアズマ(瘴気)主義を信望する公衆衛生学者にとっては脅威だった。
  ――第9章 健康十字軍

身体の浄化と家庭の収入の相関関係は、他の時代と同じく、ここ数世紀間、不可避だった。
  ――第10章 美しい身体

【どんな本?】

 clean。書名では「清潔」としているが、もっと複雑なニュアンスがある。医学的・衛生学的に無菌,化学的に純粋,片付いている,家や衣服の汚れがない,精神的・霊的に穢れていない,汚職に関わっていない,人工物の反対としての自然…。

 動物の身づくろい,運動・入浴・食事・生活習慣などの健康法,美しく見せるための化粧,都市のトイレなど幅広い視野で、古代ギリシアから中世の西欧そして近代・現代のイギリスまでの歴史を俯瞰し、人々が清潔をどう捉え、どう対処してきたかを語る、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は clean : a history of personal hygiene and purity, by Virginia Smith, 2007。日本語版は2010年3月31日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約378頁。9ポイント46字×19行×378頁=約330,372字、400字詰め原稿用紙で約826枚。文庫本なら厚い一冊分ぐらいの分量。

 文章はやや硬い。いまさら気が付いたのだが、東洋書林は歯ごたえのある本が多いようだ。内容はそれほど難しくない。レコンキスタや産業革命などの歴史的な知識が必要だが、最低限の事柄は本書内に簡単な説明があるので、西洋史のだいたいの流れを中学卒業程度のレベルで知っていれば充分だろう。

【構成は?】

 人類のあけぼのから現代まで、ほぼ時系列順に話が進む。が、各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいいだろう。

  • 序 日本語版によせて/はじめに
  • 第1章 生物としての身体
    内部浄化/感覚/訓練と適応/身体表面の手入れ/場、空間、秩序/汚染/道具、装飾、ボディ・アート/水、泉、かまど
  • 第2章 化粧
    成層化と結果/化粧品貿易/化粧品調合法/特別に神聖な場/聖なる化粧/宮殿の純潔/宮廷の身支度/娼婦
  • 第3章 ギリシアの衛生
    人口統計/水、水、水/迷信深い人間/オリンピック競技/公園と錬成場/訓練と体操/科学的衛生/美容術
  • 第4章 ローマ風呂
    水道橋/公衆浴場とスパ/オウィディウスの身づくろい/身体方法学派/ガノレスの衛生/古代末期の風呂
  • 第5章 禁欲
    ユーラシアの禁欲主義/キリスト教の純潔/新プラトン主義/貞潔/洗浄と入浴/癒しの務め
  • 第6章 忠誠の道徳
    シャルルマーニュの作法/南ヨーロッパ/サレルノ養生訓/身づくろいの空間/『トロトゥラ』なる著作物/公衆浴場/沐浴の祭り/外交のための沐浴/春の沐浴/「売春のための浴場」/浴場の衰退/梅毒
  • 第7章 プロテスタント的養生法
    人文主義君主/(英国の)中産階級/指南書とまじめな生活/鉱泉地と公衆浴場/清教徒の身づくろい/純粋な食べ物/冷たい空気/冷たい水/ジョン・ロックの冷養生
  • 第8章 清潔は市民の美徳
    優雅な時代/秘めたる身体各所/衛生と頑健/海水浴と外気/生理学/子どもの健康/ウィリアム・バハン/革命と衛生と自然哲学/生気論者による健康管理
  • 第9章 健康十字軍
    ホイッグ政権と互助/身体潔癖主義/内なる清潔/薬とコレラ/民間生理学/公衆衛生と水/環境衛生/英国式贅沢/水治療場/世紀末改革/細菌/自然崇拝/貧困と疑い
  • 第10章 美しい身体
    優生学と予防医学/郊外/郊外の子ども/自然崇拝者と裸体主義/1945年以降の売れ筋商品/フラワーパワーと多文化主義/自助とホリスティック医療/現代の健康生活/最後に:将来の傾向
  • 解説:鈴木晃仁/主要参考文献/原註/索引

【感想は?】

 医学・衛生学は、本書のテーマの一部にすぎない。本書は、もっと広い意味での clean を扱っている。序に曰く、清潔,純粋/純潔,衛生,その他。

 今でも健康食品や怪しげな健康法、民間療法などが流行っている。それも仕方がないのだ。どうやらヒトのオツムは、これらと医学や衛生学を似たような物と判断するらしい。ばかりか、美容も同じ器に入っているようだ。

 SF作家の菅浩江は「誰に見しょとて」で、美容と医療を合わせたコスメディックなるアイデアを扱い、それが人の体だけでなく心まで変えてゆく物語を綴った。そういう考え方は別に新しいわけではなく、昔から美容は医療の一部だったようだ。

 大航海時代はスパイスが駆動力となったが、古代ギリシアや古代ローマでは化粧品が同じ役割を果たしている。「それらは小さく、持ち運びしやすく、利益が上がる商品」だった。これは大航海時代のスパイスの定義そのものだ。運びやすく少ない量で高く売れるブツなら、遠く離れた所から運んでも苦労と費用に見合う儲けが出る。

古代の人々が化粧や美に関するケアで理解していた重要な点は、それが体調を整え、健康を保つということだ。
  ――第2章 化粧

 紀元前三千年ごろにヘロドトスが述べている。「居住地域の隅に位置する国々は、最も珍しく美しいと我々が思うものを生産する」。珍しくて値が張るものは、有力者が欲しがる。これが交易を盛んにし、帝国の拡大をもたらすわけ。

 化粧品の容器を工夫するのも、古代エジプトからの伝統。しかも神官はシラミなどを防ぐため、「一日おきに身体全体の毛を剃」っていた。全身脱毛も歴史は古いんだなあ。

 テルマエ・ロマエでローマの公衆浴場が有名になったけど、古代ギリシアも紀元前五世紀から公衆浴場サービスを始めている。

 公衆浴場サービスは抑圧的なキリスト教が猛威を振るったヨーロッパでも生き延びたようで、17世紀スイスのバーゼルの土曜沐浴の習慣はとっても羨ましい。なんと、家で服を脱いで公衆浴場まで裸で歩いていくのだ。しかも混浴ですぜ。

 もっとも、これは助平根性だけでなく、どうもヒトには裸族願望があるんじゃないかと思わせるエピソードもチラホラ。

 例えば17世紀イギリスのクエーカー教徒は、「腰布のみを身につけて、裸ででかけて無垢を示すことがあった」。19世紀にはセバスチャン・クナイプ神父が、裸またはそれに近い格好でオーストリア・アルプスでの散歩や水泳を勧めている。もっとも日光をたくさん浴びようって目論見もあったようだが。

 この裸大好きな傾向も、少なくとも古代ギリシアから綿々と続く自然崇拝思想の末裔。古代オリンピックの選手は裸で競ったしね。菜食主義もピュタゴラス派やオルペウス教が唱えている。ヒトの健康関係の思考ってのは、大昔からあまし変わってないらしい。

 というのも、例えば健康法の本は、古代ギリシア・古代ローマから中世・近世ヨーロッパまでを通し、必ずベストセラーになっている。現代医学から見れば怪しげな内容も多いが、誰でも健康には興味があるのだ。入浴を好む派閥と、大事なのは心の清らかさだよ派の対立も、昔から続いている。

 意外と清潔こそが正義とは限らないようで、世間でチラホラ言われているように、行き過ぎた除菌は子供によくないのかも知れない。

東西ドイツの喘息研究で、清潔で近代的な西ドイツの子どもたちよりも、不潔で衛生度の低かった東ドイツの子どもたちのほうが喘息がはるかに少ないとわかり…

 いわゆる衛生仮説(→Wikipedia)ですね。仮説って名がついてるだけあって、2017年2月現在は専門家の間でも議論が続いている様子。仮に当たっていたとしても、ゴミ溜めの中で育つのはやっぱり良くないわけで、「どの程度の清潔さが最も良いのか」って見極めは難しそうだなあ。

 ってな具合に、現代の医学・衛生学で問われている問題も、少なくとも古代ローマあたりには人々の話題になっているうばかりか、美容でもバッチリメイク派と薄化粧派がいたり、健康法は粗食&運動だったり、どうも医療・衛生・美容関係ってのは、思想や哲学や道徳と深い関係があるようだ。

 これらに加え、トイレや上下水道の問題も扱っていて、ヒトの生理から地域統治まで、広い範囲にわたる話題を取り上げ、読者の興味の向き次第で様々な読み方ができる、見かけより複雑な本だった。歯ごたえはあるが、消化できる人には、それに見合う報酬も用意されている本だ。

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コメント

おはようございます。
これ私も読みました。面白い本ですよね。
では、
shinzei拝

投稿: shinzei | 2017年2月20日 (月) 07時14分

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