クリス・カイル,ジム・デフェリス,スコット・マキューエン「アメリカン・スナイパー」ハヤカワ文庫NF 田口俊樹訳
戦争が始まったときの交戦規定はごく単純だった。16~65歳ぐらいの男を見たら撃て。男は全員殺せ。
――4 生きられるのはあと5分銃は必ず仕事を果たす。私も確実に自分の仕事を果たさなければならない。
――5 スナイパーやつらは狂信的だったが、それは宗教のせいばかりではなかった。麻薬を使っているものが大勢いた。
――6 死の分配…命を危険にさらしたのは友人のためであり、友人や同じ国の仲間を守るためだ。戦争に行ったのも祖国のためであり、イラクのためではない。祖国が私を現地に送り込んだのは、あのくそったれどもが私たちの国にやってこないようにするためだ。
イラク人のために戦ったことなど一度もない。あいつらのことなど、くそくらえだ。
――7 窮地請われれば、意見を述べた。しかし、たいていの場合、彼ら(軍の上層部)は私の意見を本気で求めているわけではなかった。ただ私に、すでに彼らが出した結論やすでに彼らの頭にある考えに、太鼓判を押させたいだけなのだ。
――8 家族との衝突ホームレスはほとんどが退役軍人だ。
――14 帰宅と退役
【どんな本?】
合衆国海軍のエリートを集めた特殊部隊 SEAL に所属し、主にイラクで狙撃手として活躍、公式記録では160名の殺害が認められ、敵からは「ラマディの悪魔」と恐れられたクリス・カイル(→Wikipedia)が、イラクにおける戦いの現実や SEAL の内情に加え、自らの半生と妻タヤとの家庭生活を綴った自伝。
後にクリント・イーストウッド監督の映画「アメリカン・スナイパー」となり、世界中の話題となった。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は American Sniper : The Autobiography of the Most Lethal Sniper in U.S. History, by Chris Kyle with Jim DeFelice and Scott McEwen, 2012, 2014。日本語版は2012年4月に原書房より「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」として単行本が出版。私が読んだハヤカワ文庫NF版は、2014年のペーパーバック版を底本とし、2015年2月25日発行。訳も単行本とは異なっている様子。
文庫本で縦一段組み、本文約476頁に加え、モノクロ写真8頁と編集部による解説「その後のアメリカン・スナイパー」3頁。9ポイント41字×18行×476頁=約351,288字、400字詰め原稿用紙で約879頁。文庫本としては分厚い部類。
文章は軍事物のわりに拍子抜けするほどこなれている。内容も難しくないし、あまり軍事関係の前提知識もいらない。意外と銃器や兵器に関する話が少ないので、兵器に詳しくなくても大丈夫。イランとイラク、スンニ派とシーア派、陸軍と海軍と海兵隊、小銃と迫撃砲、士官と下士官と兵の区別がつけば充分についていける。
【構成は?】
時系列順に話が進むが、各章は比較的に独立しているので、気になった所をつまみ食いしてもいいだろう。
- 著者まえがき
- プロローグ 照準器に捉えた悪魔
- 1 荒馬乗りと気晴らし
- 2 震え
- 3 拿捕
- 4 生きられるのはあと5分
- 5 スナイパー
- 6 死の分配
- 7 窮地
- 8 家族との衝突
- 9 パニッシャーズ
- 10 ラマディの悪魔
- 11 負傷者
- 12 試練
- 13 いつかは死ぬ
- 14 帰宅と退役
- 謝辞/解説
【感想は?】
これは傑作。唯一の欠点は、重要な著者が抜けていること。
それは、タヤ・カイル。クリスの奥さんだ。クリスが戦場に居る時に、彼の帰りを待ち子供を育てる妻の想いを綴った文章が所々に入り、これが強烈なスパイスになると共に、クリスがこの本を書いた動機がひしひしと伝わってくる。
多くの場面で、タヤは不機嫌だ。赤ん坊を抱え不慣れな子育てに四苦八苦な上に、行方どころか生死も知れないクリスが心配でしょうがない。たまにクリスが帰ってくれば、そりゃ彼への愛しさもあるが、同時に待つ間の不安な思いをクリスにぶつけてしまう。ところがクリスときたら…
語り手のクリスは、典型的なテキサスのマッチョ男。戦場にいるのが楽しくてしょうがない。というと殺伐とした奴のようだし、実際にしょっちゅう喧嘩で御用になってる暴れ馬だが、ただの喧嘩屋じゃない。
こと仕事に関しては、優れたエキスパートで、プロフェッショナルだ。常に備えを怠らず、与えられた目的のためには最善を尽くし、現場の状況に応じて柔軟に頭を切り替える。自分の能力を活かしてチームに貢献する事に喜びを感じる点では、共感するエンジニアも多いだろう。マッチョ志向はともかく。
などと、心の内を赤裸々に描く部分が多いのが、本書の特徴の一つ。
加えて、イラクの戦場のリアルがひしひしと伝わってくるのも、本書の欠かせない魅力。
一言で武装勢力といっても、その中身は様々だ。いきなりチェチェン人の傭兵が出てきたのには驚いたが、他にもフセイン時代のバース党や民兵の残党、アルカイダ系、イラクの愛国者、チュニジアの傭兵、そして一発当てたいだけのチンピラ。きっとシリアにもカフカスからの「出稼ぎ」がいるんだろうなあ。
加えてイランの共和国軍や革命防衛隊と、その支援を受けた連中もいる。改めて考えればドサクサに紛れてイランがチョッカイ出してくるのは当然なんだが、阿呆な私はこれを読むまで全く気が付かなかった。
そんな彼らの手口も狡猾で、アジトには隣家への通路が作ってある。米軍内にスパイを潜り込ませ、ネタを掴む。中でもおぞましいのは、子供の使い方。
敵の一人がRPGを担いでやって来る。カイルが敵を撃つ。敵が落としたRPGを拾いに、別の敵が出てくる。再びカイルが撃つ。当初はこれを繰り返し、カイルは多くの戦果をあげるのだが、敵だって教訓を学び…
なんと、RPGを拾う役を、子供にやらせるのだ。
可愛い所では、米軍にガセネタを掴ませる民間人もいる。聞き込みをする米兵に、日頃から対立している者の悪口を吹き込むのである。「奴はテロリストの仲間だ」とか。
かと思えば、米軍に協力する者もいる。通訳を務めるヨルダン人も、きっと出稼ぎだろうなあ。アメリカが再建を手伝っているイラク軍に関しては、「使えない者ばかり」と手厳しい。「安定した給料を得るために入隊」したのであって、忠誠心は微塵もない、と。それを取り繕うのも大変で…
ってなイラクの悪口ばかりでなく、米軍内の醜聞も知ってか知らずか、かなり漏らしてる。SEAL の乱行はもちろん、新人いじめも堂々と書いてある。悲しいのは、著者のイラク人への共感が微塵もないこと。
著者が基地内でラジコンのハマー(SUVの一種)を走らせて遊ぶ場面があるんだが、基地で働くイラク人は怯えて悲鳴をあげ逃げ出すのを見て、著者らは大笑いする。そういう行いが彼らの誇りを傷つけ、アメリカを憎ませるって事に全く気付いてない。
こういったあたりが、良くも悪くも赤裸々で、本書の欠かせない魅力となっている。ファルージャでの戦いでも、民家にズカズカと踏み込みはした金を握らせて追い出し、残ったベビーベッドをガラクタのように扱っている。イラク人から見れば山賊と何も変わらない。戦場になるってのは、そういう事なんだなあ。
当然ながら、狙撃のコツや使った銃、陸軍や海兵隊やポーランド軍との共同作戦の実態、家宅捜索のコツ、ミサイル密輸の方法など、軍事関係の描写は盛りだくさんで、迫力も文句なし。
この本だけでイラク戦争を判断するのは危険だが、前線の将兵が見たイラン戦争の報告としては、情報も面白さも読みやすさも一級品だ。人が死にまくる話なので繊細な人には向かないが、過酷な戦場の現実を知りたい人には、格好のお薦め。
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