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2017年2月の13件の記事

2017年2月27日 (月)

佐藤芳彦「図解 TGV vs. 新幹線 日仏高速鉄道を徹底比較」講談社ブルーバックス

TGVは線路の幅が同じというメリットを活かして、在来線との直通運転により、新線区間以外へのネットワークを構築している。新幹線は東京起点で4方向に路線を伸ばしているが、線路の幅が違うことがネックとなって、狭軌在来線との直通運転ができないのが難点である。
  ――4 高速鉄道ネットワーク

【どんな本?】

 現在、世界各国で売り込み合戦を繰り広げているフランスのTGVと日本の新幹線。それぞれに特徴があり、長所短所がある。そこには、両高速鉄道が生まれた国の事情や、育ってきた経緯や環境、そして求められた事柄の違いがあった。

 TGVと新幹線、双方のお国事情や歴史的背景から始まり、運航の模様や路線の形態、駅や線路や電源などのインフラ、そして車両の技術に至るまで、広い視野と技術的な細部の双方に目を配りながら両者を比べ、違いを明らかにすると共に、高速鉄道そのものの姿をわかりやすく伝える、一般向け技術解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2008年10月20日第1刷発行。新書版で横一段組み、本文約290頁。9ポイント26字×27行×290頁=約203,580字、400字詰め原稿用紙で約509枚。文庫本なら標準的な一冊分の厚さだが、写真やイラストが豊富に入っているので、実際の文字数は6割程度。

 文章はこなれている。が、内容の一部はかなり専門的。特に電気関係が素人には厳しい。ボルトとアンペアや直流と交流はもちろん、「三相誘導電動機」や「インバーター」が説明なしに出てくるので、全部を理解したければ、相応の前提知識が必要。私は全く分からないので、こういった所はすっぱり読み飛ばしました、はい。

【構成は?】

 視点が全体を俯瞰する所から次第に近づいて細部を見ていく構成になっているので、素人は頭から読もう。

  • はじめに
  • 日仏主要車両・世界の高速鉄道
  • 1 プロローグ
    • 1.1 パリ・リヨン駅からの旅立ち
    • 1.2 東京駅からの旅立ち
  • 2 TGVと新幹線の歩み
    • 2.1 旅客輸送量と距離帯別シェア
    • 2.2 開発コンセプトの比較
    • 2.3 世界記録挑戦はいつもTGV
    • 2.4 TGVが安くできたわけ
    • 2.5 航空機と仲良しのTGV
  • 3 鉄道システムの比較
    • 3.1 鉄道をシステムとしてとらえる
    • 3.2 鉄道の経営形態
    • 3.3 技術規制
  • 4 高速鉄道ネットワーク
    • 4.1 新幹線ネットワークの発展
    • 4.2 TGVネットワークの発展
  • 5 営業システム
    • 5.1 運賃比較
    • 5.2 乗車券の日仏比較
    • 5.3 常に混雑する駅窓口
    • 5.4 インターネットによる切符販売
  • 6 列車運行システム
    • 6.1 ダイヤと列車種別
    • 6.2 国境を越えるTGV
    • 6.3 混雑時期への対応
    • 6.4 列車運行管理
    • 6.5 列車の整備
  • 7 インフラストラクチャー
    • 7.1 建設基準
    • 7.2 軌道
    • 7.3 騒音対策
    • 7.4 電気システム
    • 7.5 電車線とパンタグラフ
    • 7.6 信号システム
    • 7.7 インフラの保守
    • 7.8 車両基地と車両保守
  • 8 車両技術の概要
    • 8.1 車両のシステム構成
    • 8.2 車体
    • 8.3 プロパルジョンシステム
    • 8.4 台車と駆動装置
    • 8.5 ブレーキシステム
  • 9 TGVと新幹線車両比較(第1世代)
    • 9.1 日本 新幹線電車開発までの道のり
    • 9.2 フランス TGV-SE開発までの道のり
    • 9.3 国鉄末期の新幹線電車
  • 10 TGVと新幹線車両比較(第2世代)
    • 10.1 同期電動機から誘導電動機へ
    • 10.2 高速化、輸送力増強への試み
  • 11 TGV新幹線車両比較(第3世代)
    • 11.1 ネットワーク拡大への対応
    • 11.2 高速列車開発の集大成
  • 12 世界市場でのTGV vs 新幹線
  • 13 文化の違いと高速鉄道
  • おわりに
  • 参考文献/さくいん

【感想は?】

 まず、世界の鉄道関係者に謝りたい。鉄道ナメてました。

 クリスティアン・ウォルマーの「世界鉄道史」とかを読むと、鉄道の黎明期にはしゃにむに線路を伸ばしていく様子が描かれる。極端なのでは、第一次世界大戦の塹壕戦の背後で前線の兵站を支えた軽便鉄道とかは、泥縄式に線路を作ってるし。

 書名は「TGV vs 新幹線」だし、内容もTGVと新幹線を比べる形になっている。一見、両者の特徴を並べただけのように見えるし、実際そういう部分もあるんだが、これが発想の妙とでもいうか、鉄道に疎い素人の読者には、大きな驚きを与える楽しい本となった。

 TGV と新幹線を比べる、そう聞くと、アヒルのくちばしみたく鼻づらの尖った新幹線の車両と、微妙にいかつい感じのするTGVの車両を比べ、どっちが速いかをジャッジするかのように思ってしまう。

 が、現代の鉄道は、そんな単純なシロモノじゃないのだ。線路・駅・電力網・情報システム・車両基地などのインフラも含めた、とても大規模で複雑なシロモノなのだった。

 こういった事が分かるのも、この本が、TGV・新幹線それぞれの歴史から掘り起こしているため。確かに両者ともお国の威信を背負ってる部分はあるが、それぞれに求められたモノも、生まれ育った環境も、全く違うわけで、単純には比べられない事がよくわかる。

 新幹線のキモは、輸送量。一日の輸送人員がTGV10万人なのに対し、新幹線は50万人。これは総輸送量だけでなく、一編成で送れる数も、TGVは500人程度なのに対し、新幹線は軒並み1000人を超えてる。

この本には書いてないけど、たぶん客層もだいぶ違うんだろうなあ、と思う。日本じゃ普通の人も新幹線を使うけど、フランスは中産階級以上の乗り物なんじゃなっかろか。車両構成も、それを反映してる気がする。

 平均駅間距離も、全く違う。TGVが213kmと長いのに対し、新幹線はたった33km。駅に停まればスピードを稼げないばかりでなく、客の乗り降りもあるわけで、新幹線はかなり厳しい条件で動かしてるわけだ。

 が、新幹線に有利な点もある。在来線は軌道の幅(レールとレールの間)が狭く、新幹線は広い。既にある線路もホームも使えないので、駅や線路などインフラから新幹線専用に作る羽目になった。予算はかかるが、既存システムとの互換を取る必要がないのは、新技術を開発する者にとっちゃ有り難い。

 対してTGVは在来線と相互乗り入れできるんで、同じホームを使える反面、運行システムはもちろん切符販売などの情報システムも含め、既存のインフラに縛られる部分もある。冒頭で著者はパリのリヨン駅からTGVに乗る際、列車が来るホームを探しあてるのに苦労してるけど、これにはそういう事情が大きく関わってる事が、後に明らかとなる。

 全般的に海外への売り込みじゃ新幹線が苦戦してる模様だけど、その理由の多くがコレじゃないかと思う。標準軌の国だと、TGVは既にあるインフラを使えるんで、導入しやすいんだろう

 加えて電源も複雑だ。新幹線も関西の60Hzと関東の50Hzの違いがあるが、TGVはもっと複雑。なにせドイツ・ベルギーそしてドーバー海峡を越えイギリスまで走るんだが、それぞれの国で電圧ばかりか直流/交流まで違う。こんなもん、よく対応できたなあ。いや中身は全く見当つかないんだけど。

 海外売り込みでTGVが有利なもう一つは、これかも。既に多国間で動いてる実績があるなら、技術面に加え運用面でのノウハウも溜ってそうだし。

 と、こういった所から、鉄道ってのは、車両だけでなく、線路や駅や電力網や情報システムも含めた、とっても大きくて複雑なシステムなんだって事が、素人にも充分に伝わってくる。機関車や客車は、そういった大きなシステムの一部なわけ。

 とはいえ、当然ながらシステムの違いは車両の違いにも表れるわけで、その辺も詳しく、しかも嬉しい事にわかりやすいイラスト付きで解説してる。

 私のような素人でも通勤列車と新幹線の違いがハッキリわかるのは、速いってだけじゃなく、乗り心地がとってもいい事。速く走れば振動も大きくなる筈なのに、やたら静かで落ち着いてる。この秘訣を明かす台車のイラストは、その複雑さにクラクラしながらも、じっくり見つめてしまった。よくこんな複雑なモン作ってメンテしてるなあ。

 と、書名はTGVと新幹線の優劣を語るようだし、実際にそういう内容なんだが、素人にとっては、鉄道ってシステムの複雑さと規模の大きさを肌で感じさせてくれて、意外な収穫に溢れる本だった。

 にしても、2006年の東海道新幹線の平均遅延時間がたったの0.3分って、人間技じゃない。たぶん日本以外の国は、この数字を信じないだろう。これ1987年からのグラフになってて、最も成績の悪い1987年でさえ2.7分。夏から秋には台風が暴れ冬には雪が降る露天を500km以上走り、迷子やタチの悪いクレーマーの相手までこなして3分も狂わないって、JR職員はコンピュータ制御のサイボーグか?

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2017年2月26日 (日)

篠田節子「竜と流木」講談社

「一匹じゃなかったのよ、何匹もいて、集団で襲ってきたの。見たことのない、醜い生き物。いいえ、生き物じゃない、あれは悪魔。地獄からやっていた悪魔に違いない」

【どんな本?】

 社会派・ミステリ・ホラーなど、幾つものジャンルにまたがり傑作を発表し続ける篠田節子による、バイオパニックSF長編。SFマガジン編集部編「SFが読みたい! 2017年版」のベストSF2016国内篇でも、20位にランクインした。

 太平洋の小島ミクロ・タタの泉に、ウアブはいた。島の守り神とされ、カワウソに似た愛らしい両生類。だが開発計画が持ち上がり、絶滅を恐れた丈人ら保護団体は、リゾート開発が進んだ隣の島メガロ・タタの池にウアブを移す。

 幸いウアブはメガロ・タタに住み着き繁殖も始まったが、同じころ奇妙な、そして危険極まりない正体不明の怪物がメガロ・タタに出没し始める。体長20cmぐらいの黒いトカゲ、夜行性で狂暴、猛毒を持ち人に嚙みつく。

 ウアブの移植がメガロ・タタの生態系に影響を与えた可能性を考え調査を進める丈人ら保護団体だが、怪物の正体が掴めず手をこまねいているうちに、被害は広がり…

 途上国におけるリゾート地の舞台裏や青年の成長などを隠し味として、島の伝説に種や環境保護の問題を絡め、尻上がりに脅威が増すバイオハザード風味に仕上げた、ベテランの風格漂うパニックSF長編小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2016年5月24日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約313頁。10ポイント43字×18行×313頁=約242,262字、400字詰め原稿用紙で約606枚。文庫本ならちょっと厚いかな、ぐらいの分量。

 文章は抜群に読みやすい。内容も、とってもわかりやすい。文句なしに本格的なバイオSFだが、DNAなどの小難しい専門用語は出てこないので、理科が苦手でも大丈夫。

【感想は?】

 ラリイ・ニーヴン&ジェリイ・パーネルのファンはニヤニヤする作品。

 パニックの鍵を握るウアブもそうだが、主人公ジョージ(丈人)の父ちゃんダグラスのキャラがいい。元軍人で格闘技の達人。言葉は正確で憶測は交えず、危機にあっても無駄な叱責はせず問題解決の道を探る、プロフェッショナルの鑑。ただしアメリカ人の例にもれず銃信仰が厚く、往々にして解決は武力に頼りがち。まるで某アヴァロンの主人公だw

 その倅のジョージはイマイチ一皮むけず、30過ぎて定職にもつかず日本とミコロ・タタをウロウロする根無し草…に見えて、実はウアブの専門家としちゃ世界でちった知られた学者。とはいっても、ウアブなんぞを研究する者は滅多にいないんだけど。

 ってなあたり、やたらめったら種が多い生物学の世界じゃ、さもありなん、と思わせてくれる。ばかりでなく、コテコテの軍人ダグラスと、フリーター暮らしでいい歳こいて大人になり切れないジョージの対比がいい。

 敵の怪物、サイズはたいしたことないけど、動きが素早く狂暴で猛毒を持ち、咬まれたら激しい痛みに苦しむだけでなく、下手すりゃ死にかねない。正体不明なだけに治療法もない、ばかりでなく島にはロクな医療設備もない。

 当然ながらバイオパニック物だけあって、終盤は次第に数を増し…

 と、次第に囲い込まれてゆく恐ろしさもあるんだが、ここに幾つかヒネリを利かせている。その一つは地元に残る竜の伝説。

 そして、もっと大きなヒネリが、舞台となるメガロ・タタ。やはり南洋の島なんだが、ミクロ・タタと異なり、こちらはリゾート地として島の一部ココスタウンは開発が進んでいる。お陰で飛行場やインターネットなど文明の利器が使える利もあるが…

 そんな南洋の高級リゾート地で繰り広げられる人間模様と、その舞台裏を支える様々な仕掛けは、篠田節子ならではの鮮やかさで、巧みにテーマに絡んでくる。

 そう、リゾート地には、ほんとに様々な人がいるのだ。ぶっきらぼうながら適切な判断力を持つマユミ、高級コテージに棲むオッサンの勇治、コワモテなオーストラリア人のロブ、鷹揚なマネージャーのサマーズ、そして元から島に住む人々。

 せいぜいが数週間のつもりでリゾート地に来る外国人と、この島で生まれ育つ人々。怪物の跳梁跋扈という同じ脅威を前にして、次第にそれぞれの立場の違いが明らかになり、またそれぞれの対応もまた異なってくる。こういった人々のバラエティ豊かな生き方やその背景を、驚かせつつも実感たっぷりに描くあたりは、直木賞作家の風格だろう。

 数を増やしながらナワバリも広げてゆく怪物と、決定的な手が見つからないジョージたちの苦しい戦いもよかったが、やはり私はニーヴン&パーネルの某作品を思い出して嬉しくなってしまった。ベテランならではの安定感を感じさせる作品。

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2017年2月24日 (金)

モリー・グプティル・マニング「戦地の図書館 海を越えた一億四千万冊」東京創元社 松尾恭子訳

「戦いで鍛えられた海兵隊員は、物語に涙するなんて女々しいことはしないものです……でみ、僕は泣いたことを恥じてはいません」
  ――はじめに

「携帯用戦闘糧食の包みに貼られたラベルに内容物が記されていると、前線の兵士はそれを読む。とにかく何かを読みたいのだ」
  ――第四章 思想戦における新たな武器

同じ日に遅れて(ノルマンディのオマハ・ビーチに)上陸した隊員の多くが、印象深い光景を目にしている。重傷を負った隊員たちが、崖のすそに体をもたせかけて、本を読んでいたのだ。
  ――第六章 根性、意気、大きな勇気

「ボストンで禁書扱いになっている本に、誰もが興味津々です――興味をそそられない人などいますか?」
  ――第七章 砂漠に降る雨

【どんな本?】

 1933年5月10日、ドイツ。霧雨のベルリンでは、国家社会主義に相応しくないと目された多くの本が焼かれた。やがてドイツは近隣諸国を侵略し、その支配下に収める。

 目前に迫った戦争にそなえ多くの将兵を集めた合衆国陸海軍だが、将兵の待遇はお粗末なものだった。下がる兵の士気を支えるには娯楽が必要だと考える軍に、ナチスの焚書に憤ったアメリカ図書館協会(ALA)が手を差し伸べる。将兵に本を送ろう。

 かくして始まった戦勝図書運動は、紆余曲折を経て兵隊文庫へと結実し、大量の本が前線で戦う将兵や、傷をいやす傷病兵へと送られ、彼らの心の糧となった。

 総力戦という特異な時期に生まれた、特異な書籍・兵隊文庫。それはどんな者たちが、どんな想いで生み出し、どんな経緯をたどって送られたのか。受け取った将兵たちは、それをどう受け取り、彼らの戦いや人生をどう変えたのか。

 第二次世界大戦の裏で行われた、もうひとつのプロジェクトを綴る、歴史ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は When Books Went to War : The Stories That Helped Us Win World War Ⅱ, by Molly Guptill Manning, 2014。日本語版は2016年5月31日初版。単行本ハードカバー縦一段組みで本部約237頁に加え、口絵8頁+訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×18行×237頁=約183,438字、400字詰め原稿用紙で約459枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。ハードカバーとペーパーバックの区別がつけば充分。書籍の編集・印刷・製本に詳しければ更に楽しめるが、知らなくても大きな問題はない。

【構成は?】

 原則として時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

  • はじめに
  • 第一章 蘇る不死鳥
  • 第二章 85ドルの服はあれど、パジャマはなし
  • 第三章 雪崩れ込む書籍
  • 第四章 思想戦における新たな武器
  • 第五章 一冊掴め、ジョー。そして前へ進め
  • 第六章 根性、意気、大きな勇気
  • 第七章 砂漠に降る雨
  • 第八章 検閲とフランクリン・デラノ・ルーズヴェルトの四期目
  • 第九章 ドイツの降伏と神に見捨てられた島々
  • 第十章 平和の訪れ
  • 第十一章 平均点を上げる忌々しい奴ら
  • おわりに
  • 謝辞/訳者あとがき/原注
  • 付録A 禁書の著者/付録B 兵隊文庫リスト
  • 人名索引

 32頁に及ぶ「付録B 兵隊文庫リスト」が、本好きにはとっても嬉しくもあり、悔しくもあり。だって美味しそうな本の多くが今は手に入りにくいんだもん。

【感想は?】

 本好きは通勤電車の中で読んじゃいけない。泣いて笑ってガッツポーズ決めたくなるので、変なオジサン扱いされてしまう。存分に泣ける環境を整えて読もう。

 冒頭から、何かを創る人には、大変な試練が待っている。前線で戦いマラリアで病院送りになった20歳の海兵隊員が、著者に送ったファンレターだ。

 戦友を失い、自らの心も凍った彼に手渡された一冊の本が、彼をどう変えたのか。物語の、そして創造することの力を、恐ろしいまでの迫力で綴っている。こんなファンレターを貰ったら、クリエイターはどんな気持ちになるんだろう。己の持つ力に、恐れすら感じるかもしれない。

 ナチスは宣伝に力を入れ、またその手口も狡猾だった。多くの国民が手に入れられるよう、安いラジオも開発している。そして焚書だ。本読みにとっては、身の毛もよだつおぞましい所業である。

 これに怒りを募らせた人は多い。SF者には嬉しいことに、H・G・ウェルズもあてつけで「燃やされた本の図書館」なんてのを作ってる。わはは。そしてアメリカ図書館協会(ALA)もまた。

 窮屈な軍隊生活には、多くのものが欠けている。そして、新兵は歯車の一つに過ぎない。急に大量の将兵を集めたため、受け入れ態勢も整わず、彼らの待遇はお粗末極まりなかった。そこで本だ。軍にとっては、安いし手軽な娯楽を提供できる。

 だけじゃない。兵にとって、何より辛いのは、プライバシーがない事だ。なんたって、飯も風呂も寝る時も、四六時中、他人と一緒なんだから。でも、本を読んでいる間は、一人になれる。物理的には他人と一緒でも、気持ちは本の中に入り込める。

 この辺を読んでて気が付いた。本を読んでいる時ってのは、一人になれる時なのだ。本好きって生き物は、一人の時間を強く求める生き物らしい。

 なんて最初の方では、「本を読む」って行いを落ち着いて考え直す余裕もあるが、話が進むに従って、本が持つとんでもない力を見せつけられ、読み手は圧倒されるばかりとなる。

 なんたって、読んでいるのは前線で戦う将兵だ。いつ命を失うかもしれない状況で、本なんか読む気になれるのか? 普通はそう考えるだろう。だけじゃない。戦う将兵は、常に重たい荷物を担いでる。例えばノルマンディ上陸作戦だと、各兵は約40kgもの荷物を持っていた(→アントニー・ビーヴァー「ノルマンディ上陸作戦1944」)。これに加えて本なんか持ち歩く気になれるのか?

 でも持ち歩いたのだ。これを可能にしたのが、兵隊文庫。安い紙で小さいボディ、ポケットにちょうど収まるサイズ。かつては本なんか読まなかった若者が、むさぼるように本を読んだ。だって、タコツボの中で身をかがめている間は、それ以外する事がないんだから。

 それまでハードカバー中心だった米国の出版業界が、ペーパーバック・サイズの兵隊文庫を作り始める過程は、市民運動の効果と限界を感じさせるが、同時にアメリカの産業力もしみじみと感じてしまう。また、この兵隊文庫がキッカケで、アメリカの出版業界が変わってゆくのも面白い。

 加えて、作った兵隊文庫を前線に届ける米軍の兵站能力にも呆れてしまう。「サイパン島には、海兵隊の先発部隊が上陸してから四日後、書籍を満載した船が到着した」。帝国陸海軍はガダルカナルの友軍に食料すら届けられなかったのに。

 そんな将兵は、どんな本を好んだのか。現代のアフガニスタンじゃ「孤児たちの軍隊」が人気を博したそうだが、当時の一番人気は意外な作品だったり。でも、巻末の「兵隊文庫リスト」を見ると、マーク・トゥエインの「アーサー王宮廷のヤンキー」やメアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」とか、SFもチラホラ。

 が、最も人気を博したのは、普通の人々の普通の暮らしを描いた、現代小説らしい。殺し殺される異常な状況に置かれた将兵たちは語る。

「私たちの軍の兵士は、本を読むという行為をしているのだから、(まだ)人間なのだ、と思うことができました」

 こんな風に、前線で本を読んだ将兵の言葉が随所に散りばめられ、それが本好きの心を激しく揺さぶり続ける。本好きの心臓に繰り返し重量級のパンチを撃ち込み、涙腺を決壊させる、感動のドキュメンタリーだ。

 でも、今となってはベティ・スミスの「ブルックリン横丁」が読めないのは哀しい。映画なら手に入るんだけどねえ。

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2017年2月22日 (水)

クリス・カイル,ジム・デフェリス,スコット・マキューエン「アメリカン・スナイパー」ハヤカワ文庫NF 田口俊樹訳

戦争が始まったときの交戦規定はごく単純だった。16~65歳ぐらいの男を見たら撃て。男は全員殺せ。
  ――4 生きられるのはあと5分

銃は必ず仕事を果たす。私も確実に自分の仕事を果たさなければならない。
  ――5 スナイパー

やつらは狂信的だったが、それは宗教のせいばかりではなかった。麻薬を使っているものが大勢いた。
  ――6 死の分配

…命を危険にさらしたのは友人のためであり、友人や同じ国の仲間を守るためだ。戦争に行ったのも祖国のためであり、イラクのためではない。祖国が私を現地に送り込んだのは、あのくそったれどもが私たちの国にやってこないようにするためだ。
 イラク人のために戦ったことなど一度もない。あいつらのことなど、くそくらえだ。
  ――7 窮地

請われれば、意見を述べた。しかし、たいていの場合、彼ら(軍の上層部)は私の意見を本気で求めているわけではなかった。ただ私に、すでに彼らが出した結論やすでに彼らの頭にある考えに。太鼓判を押させたいだけなのだ。
  ――8 家族との衝突

ホームレスはほとんどが退役軍人だ。
  ――14 帰宅と退役

【どんな本?】

 合衆国海軍のエリートを集めた特殊部隊 SEAL に所属し、主にイラクで狙撃手として活躍、公式記録では160名の殺害が認められ、敵からは「ラマディの悪魔」と恐れられたクリス・カイル(→Wikipedia)が、イラクにおける戦いの現実や SEAL の内情に加え、自らの半生と妻タヤとの家庭生活を綴った自伝。

 後にクリント・イーストウッド監督の映画「アメリカン・スナイパー」となり、世界中の話題となった。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は American Sniper : The Autobiography of the Most Lethal Sniper in U.S. History, by Chris Kyle with Jim DeFelice and Scott McEwen, 2012, 2014。日本語版は2012年4月に原書房より「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」として単行本が出版。私が読んだハヤカワ文庫NF版は、2014年のペーパーバック版を底本とし、2015年2月25日発行。訳も単行本とは異なっている様子。

 文庫本で縦一段組み、本文約476頁に加え、モノクロ写真8頁と編集部による解説「その後のアメリカン・スナイパー」3頁。9ポイント41字×18行×476頁=約351,288字、400字詰め原稿用紙で約879頁。文庫本としては分厚い部類。

 文章は軍事物のわりに拍子抜けするほどこなれている。内容も難しくないし、あまり軍事関係の前提知識もいらない。意外と銃器や兵器に関する話が少ないので、兵器に詳しくなくても大丈夫。イランとイラク、スンニ派とシーア派、陸軍と海軍と海兵隊、小銃と迫撃砲、士官と下士官と兵の区別がつけば充分についていける。

【構成は?】

 時系列順に話が進むが、各章は比較的に独立しているので、気になった所をつまみ食いしてもいいだろう。

  • 著者まえがき
  • プロローグ 照準器に捉えた悪魔
  • 1 荒馬乗りと気晴らし
  • 2 震え
  • 3 拿捕
  • 4 生きられるのはあと5分
  • 5 スナイパー
  • 6 死の分配
  • 7 窮地
  • 8 家族との衝突
  • 9 パニッシャーズ
  • 10 ラマディの悪魔
  • 11 負傷者
  • 12 試練
  • 13 いつかは死ぬ
  • 14 帰宅と退役
  • 謝辞/解説

【感想は?】

 これは傑作。唯一の欠点は、重要な著者が抜けていること。

 それは、タヤ・カイル。クリスの奥さんだ。クリスが戦場に居る時に、彼の帰りを待ち子供を育てる妻の想いを綴った文章が所々に入り、これが強烈なスパイスになると共に、クリスがこの本を書いた動機がひしひしと伝わってくる。

 多くの場面で、タヤは不機嫌だ。赤ん坊を抱え不慣れな子育てに四苦八苦な上に、行方どころか生死も知れないクリスが心配でしょうがない。たまにクリスが帰ってくれば、そりゃ彼への愛しさもあるが、同時に待つ間の不安な思いをクリスにぶつけてしまう。ところがクリスときたら…

 語り手のクリスは、典型的なテキサスのマッチョ男。戦場にいるのが楽しくてしょうがない。というと殺伐とした奴のようだし、実際にしょっちゅう喧嘩で御用になってる暴れ馬だが、ただの喧嘩屋じゃない。

 こと仕事に関しては、優れたエキスパートで、プロフェッショナルだ。常に備えを怠らず、与えられた目的のためには最善を尽くし、現場の状況に応じて柔軟に頭を切り替える。自分の能力を活かしてチームに貢献する事に喜びを感じる点では、共感するエンジニアも多いだろう。マッチョ志向はともかく。

 などと、心の内を赤裸々に描く部分が多いのが、本書の特徴の一つ。

 加えて、イラクの戦場のリアルがひしひしと伝わってくるのも、本書の欠かせない魅力。

 一言で武装勢力といっても、その中身は様々だ。いきなりチェチェン人の傭兵が出てきたのには驚いたが、他にもフセイン時代のバース党や民兵の残党、アルカイダ系、イラクの愛国者、チュニジアの傭兵、そして一発当てたいだけのチンピラ。きっとシリアにもカフカスからの「出稼ぎ」がいるんだろうなあ。

 加えてイランの共和国軍や革命防衛隊と、その支援を受けた連中もいる。改めて考えればドサクサに紛れてイランがチョッカイ出してくるのは当然なんだが、阿呆な私はこれを読むまで全く気が付かなかった。

 そんな彼らの手口も狡猾で、アジトには隣家への通路が作ってある。米軍内にスパイを潜り込ませ、ネタを掴む。中でもおぞましいのは、子供の使い方。

 敵の一人がRPGを担いでやって来る。カイルが敵を撃つ。敵が落としたRPGを拾いに、別の敵が出てくる。再びカイルが撃つ。当初はこれを繰り返し、カイルは多くの戦果をあげるのだが、敵だって教訓を学び…

 なんと、RPGを拾う役を、子供にやらせるのだ。

 可愛い所では、米軍にガセネタを掴ませる民間人もいる。聞き込みをする米兵に、日頃から対立している者の悪口を吹き込むのである。「奴はテロリストの仲間だ」とか。

 かと思えば、米軍に協力する者もいる。通訳を務めるヨルダン人も、きっと出稼ぎだろうなあ。アメリカが再建を手伝っているイラク軍に関しては、「使えない者ばかり」と手厳しい。「安定した給料を得るために入隊」したのであって、忠誠心は微塵もない、と。それを取り繕うのも大変で…

 ってなイラクの悪口ばかりでなく、米軍内の醜聞も知ってか知らずか、かなり漏らしてる。SEAL の乱行はもちろん、新人いじめも堂々と書いてある。悲しいのは、著者のイラク人への共感が微塵もないこと。

 著者が基地内でラジコンのハマー(SUVの一種)を走らせて遊ぶ場面があるんだが、基地で働くイラク人は怯えて悲鳴をあげ逃げ出すのを見て、著者らは大笑いする。そういう行いが彼らの誇りを傷つけ、アメリカを憎ませるって事に全く気付いてない。

 こういったあたりが、良くも悪くも赤裸々で、本書の欠かせない魅力となっている。ファルージャでの戦いでも、民家にズカズカと踏み込みはした金を握らせて追い出し、残ったベビーベッドをガラクタのように扱っている。イラク人から見れば山賊と何も変わらない。戦場になるってのは、そういう事なんだなあ。

 当然ながら、狙撃のコツや使った銃、陸軍や海兵隊やポーランド軍との共同作戦の実態、家宅捜索のコツ、ミサイル密輸の方法など、軍事関係の描写は盛りだくさんで、迫力も文句なし。

 この本だけでイラク戦争を判断するのは危険だが、前線の将兵が見たイラン戦争の報告としては、情報も面白さも読みやすさも一級品だ。人が死にまくる話なので繊細な人には向かないが、過酷な戦場の現実を知りたい人には、格好のお薦め。

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2017年2月21日 (火)

バリントン・J・ベイリー「ゴッド・ガン」ハヤカワ文庫SF 大森望・中村融訳

「…この世界は、ミッキー・マウスの腕時計みたいに組み立てられている! 安っぽい、いいかげんなやっつけ仕事だ! 神は当然の報いを受けるんだ!」
  ――ゴッド・ガン

【どんな本?】

 思いっきりお馬鹿でイカれたアイデアを徹底的に突き詰め、SFマニアが随喜の涙を流す濃い芸風で定評のあるイギリスのSF作家バリントン・J・ベイリー Barrington J. Bayley の短編を集めた、日本独自の短編集。

 マニア好みではあるけれど、そのアイデアはケッタイな宇宙だったり時間の流れだったり、科学というより世界観や哲学的な発想の作品が多いので、科学や数学が苦手な人でも楽しめるのが大きな特徴。ただし思いっきり常識のタガが外れているので、狂った妄想についていけるかどうかが評価の分かれ目になる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2016年11月25日発行。文庫本で縦一段組み、本文約290頁に加え、中村融による解説「ベイリーの短編について 訳者あとがき」11頁。9ポイント40字×17行×290頁=約197,200字、400字詰め原稿用紙で約493枚。文庫本としては標準的な厚さ。

 文章は比較的にこなれている。内容は難しいような、そうでもないような。というのも、お話の根本に絡むネタと、単なるハッタリが混じっているから。大半、特に物理学や宇宙論などの科学関係は、まずもってハッタリだと思っていい。対して人の認識や物の同一性など、哲学っぽいのは注意して読む必要がある。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 原題 / 初出 / 訳者 の順。

ゴッド・ガン / The God-Gun / 第二短編集 The Seed of Evil 1979年 / 大森望
 飲み友達のロドリックは、科学から魔術にまで通じる、優れた発明家だ。ただ自分が興味を持つ事しかしないし、しても使い勝手や経済性は完全に無視するため、発明の大半は儲けにつながらない。そんな彼の最近の発明は…
 典型的なマッド・サイエンティスト物。ここで言う神は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神、すなわち創造主。その性質はどんなものか、どうすればヒトが影響を与えられるのかなど、神学的な問いに(怪しげな)物理学で解を出すあたり、ベイリー節が炸裂してる。
大きな音 / The Big Sound / サイエンス・ファンタシー1962年2月号 / 大森望
 ギャドマンは大きな物が好きだった。優れた作曲家だが、興味があるのは大きな、いや巨大なものだけ。友人にも女にも興味はなく、ひたすら大きなものだけに心を奪われていた。そんな彼がたどり着いたのは、音楽的巨大主義とでも言うべきもので…
 これまたワン・アイデアを突き詰めた作品。作品ばかりでなく、登場するキャドマン氏も、人生を「大きな音」だけに捧げ、それ以外は倫理すら一切切り捨てているのが、いっそ清々しい。いや社会的には、とっても困った人なんだけどw
地底潜艦<インタースティス> / The Radius Riders / サイエンス・フィクション・アドヴェンチャーズ1962年7月号 / 中村融
 ジュール艦長の指揮の下、地底潜艦<インタースティス>の試験航行が始まる。深度10マイルでアメリカ大陸を東から西へと横断する旅だ。航行は安定していたが、西海岸で浮上しようとした時、問題が起きる。深度5マイルより上には上がれない。
 地底潜艦ってアイデアが、既にクレイジー。トンネルを掘って潜っていくのかと思ったら、とんでもない。ってだけじゃなく、問題解決の方法が、これまたなんともベイリーらしいw 艦長の名前がジュールなのは、同然ながらヴェルヌへのオマージュだろう。
空間の海に帆をかける船 / The Ship that Sailed the Ocean of Space / Best SF Stories from New Worlds 8 1974年 / 大森望
 おれとリムは、海王星の外側にいた。観測用の宇宙船に住み込み、定期的に観測して記録を取る仕事だ。煩い奴らは誰もいない上に、ビールはしこたまある。その日も飲んだくれていたが、ケッタイな物が見つかった。時速30マイルで近づいてくるが、なんと質量がない。
 これまたベイリーらしい無茶苦茶な発想の作品。ええ、タイトルに偽りはありません。にしても、こんなしょうもない飲んだくれに見つかるとは、お互い不幸な話でw
死の船 / Death Ship / Zenith 1989年 / 中村融
 ティーシュンは、物理学プロジェクト9号に携わっている。通称<死の船>。敵との戦いが激しさを増す中、これは決定的な技術になるかもしれない。もしクリーヴス上級大臣の訪問があれば、決行日は早まるだろう。
 ナチスと共産党を合わせたような社会になっているヨーロッパを舞台に、ベイリーらしいケッタイなアイデアが炸裂する作品。ちょっと調べたところ、作品中の「等冪」は「冪等」と同じ意味らしい(→Wikipedia)。作品名の Death Ship は、ドイツの作家 Bruno Traven に同じ名前の作品(→英語版Wikipedia)があるが、関係は不明。
災厄の船 / The Ship of Disaster / ニュー・ワールズ1965年6月号 / 中村融
 誇り高きエルフの王エレン・ゲリスが乗り込んだ<災厄の船>は、霧の中を彷徨っている。どこにも陸地は見えず、食料は尽きかけていた。復讐に飢える<災厄の船>の前に、格好の獲物が現れる。みすぼらしい人間の船だ。衝角で一蹴し、ひとりの人間を捕虜にすると…
 ベイリーには珍しいファンタジイ。「指輪物語」の知的で穏やかなエルフとは違い、このエルフは傲岸不遜で野蛮、人間を見下し怒りに燃え虐殺も厭わない。この世界はエルフとトロールと人間が三つ巴の争いを続けているようで…
ロモー博士の島 / The Island of Dr. Romeau / インターゾーン1995年8月号 / 中村融
 記者のプレンディスは、ロモー博士の島を訪れた。名高い博士が行っているのは性行動の研究と噂されているが、実態は謎に包まれている。博士が言うには「ここは快楽の島だ。われわれの目的は、世界に幸福をもたらすことにある」とのことだが…
 こちらはH・G・ウェルズの「モロー博士の島」のパロディ…なんだけど、いきなり若い美女が出てくるあたりから、何やらアヤしげな雰囲気がプンプンw とまれ、今となっては、似たような内容の漫画を描いてる人がきっといると思うw
ブレイン・レース / Sporting with the Chid / 第二短編集 The Seed of Evil 1979年 / 大森望
 大鎌猫狩りに来たブランドとロイガーとウェッセル。しかし反撃でウェッセルは肉塊になってしまった。蘇生させようにも、近くの宙域に病院はない。幸いなことに、同じ大陸にチド星人のキャンプがある。チドは優れた外科手術の技能を持っているが、その風習は全く知られておらず…
 これまたベイリーお得意の、奇想天外な習性を持つエイリアンを描く作品。奇想天外ではあるものの、なんか納得しちゃいそうな理屈がついてるのが困るw ドロドロのグチャグチャが苦手な人には、ちと辛いかも。
蟹は試してみなきゃいけない / A Crab Must Try / インターゾーン1996年1月号 / 中村融
 あの夏。おれたちは、いつもツルんでた。勇敢なるレド・シェルを筆頭に、ソフト・ナット,クイック・クウロー,ギンピー,タイニー。おれたちはそこらをのし歩き、酒場で騒ぎ、他のグループと喧嘩し…そして、もちろん、雌に求愛した。
 やりたい盛りなのにモテない童貞小僧たちの、しょうもない夏を描く青春物語…なんだけど、蟹なんだよなあw
邪悪の種子 / The Seed of Evil / New Writings SF 23 1973年 / 中村融
 22世紀。太陽系にエイリアンが来た。不死身と名乗る異星人は、百万年も生きていたが、進んだ技術や不死身の秘密などを明かそうとはせず、亡命者として暮らす事を望む。外科医のジュリアン・フェルグは、不死身の秘密を奪おうと画策するが…
 いささか市民権意識が高すぎる22世紀の風潮がもどかしいのに対し、自らの目的のためなら手段を択ばないジュリアンの執念はいっそ清々しいw 困ったストーカーの話かと思ったら、意外な方向へと風呂敷が広がった末のオチは、この作品集の最後を飾るにふさわしい壮大で寂寥感漂うもの。
中村融 : ベイリーの短編について 訳者あとがき

 ベイリーの味は、なんといっても奇想。とんでもない世界や読者の常識を覆すアイデアを、とことんまで突き詰めて屁理屈で強引に納得させ、SFにおける新しい地平を切り開く…かと思わせて、しょうもないオチで奈落に突き落としてくれる。

 ある意味50年代の精神を受け継ぎながら、イギリスならではの人の悪さを感じさせるあたりが、余人には代えがたい魅力。なにせ強烈な個性を誇る芸風なので好みは別れるけど、ウケる人には徹底してウケる、ちょっとカルトな作家です、はい。

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2017年2月20日 (月)

SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2017年版」早川書房

好きなものに順位をつけるなんて くだらんと思います
  ――表紙

きっとぼくとは違う言語観、世界観にもとづいて書かれた文章を読むのはひたすら楽しい。
  ――高島雄哉

 SFファンが楽しみにしている、年に一度のお祭り本。

 やっぱり目玉は昨年度のSF作品の人気投票、「ベストSF2016 国内篇・海外篇」。2016年に出たSF関連作品から、アンケートを取って人気の高い作品を並べる企画。マニアは見逃していた作品を補い、初心者はどこから手を付ければいいかが分かる、親切な企画。

 2017年2月15日初版発行、192頁と見た目は身軽ながら、中身はなかなか濃いのでそのつもりで。

 肝心の「ベストSF2016」、今までは20位までだったのが、今回は30位までと五割増し。けっこう見逃してたのが多いなあ。奥泉光「ビビビ・ビ・バップ」とかガレス・L・パウエル「ガンメタル・ゴースト」とか、完全にノーマークだったし。

 国内篇は若手・中堅・ベテラン入り乱れての戦国時代なのに対し、海外篇はハーラン・エリスン「死の鳥」を代表として、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアやジャック・ヴァンスやJ・G・バラードなど、古典と言っていいい作品が目立つ。

 今となってはニューウェーヴなんてラベルは売り込み文句としちゃ全く効果を失っているにも関わらず、それでも人気があるのは、やっぱり作品として面白いからなんだろう。加えて、SFとしてあんましガジェットに凝ってないのも好評の理由じゃないかなあ。

 いやイーガンも好きだけど、初心者には勧めにくいんだよね、濃すぎて。その点「アトランティス・ジーン」とかはハッタリとストーリーとアクションで突っ走る豪快娯楽作品で…って、ベスト30に入ってないじゃんw

 アンケート回答者が挙げた作品を見ていくのも、「おお、この人はこういうのが好きなのか」ってのが分かって楽しい所。難波弘之が宮内悠介「アメリカ最後の実験」を挙げてるのは「やっぱり」だけど、「ビビビ・ビ・バップ」は見逃したのかな?

 サブジャンル別のベスト10も、自分の好みが分かっている人や、新しい分野を切り開きたい人には嬉しい企画。今回はクラシックSFが加わった。ジョン・スラディック「ロデリック」は、AIが話題の今、いつブームになってもおかしくないんで、早めに確保しないと。あ、そこの君、私より先に確保しちゃだめだよ。

 「このSFを読んでほしい!」は、各出版社の今年のSF関連出版予定。

 早川書房のジョン・スコルジー「老人と宇宙」シリーズは、まだまだ続く予定。アトリエサードは名ばかり高いジョン・ブラナー「ザンジバーに立つ」だのアジリス・バドリス「無頼の月」とか、年寄りに優しいラインナップ。文藝春秋は藤井大洋「ビッグデータ・コネクト」第二弾って、ホンマかいな。

 そしてそして、東京創元社は、やっとキム・スタンリー・ロビンスン「ブルー・マーズ」が、なんと四月に出るとか。「レッド・マーズ」が1998年8月だから、約20年待った勘定になる。まさかこの期に及んで「実は2020年4月でした」なんて言わないよね、ね! ついでにワイルド・カードもコミックス化とかしないかなあ。

 にしても、最近のSFマガジン編集部は表紙で遊ぶのが好きだなあw

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2017年2月19日 (日)

ヴァージニア・スミス「清潔の歴史 美・健康・衛生」東洋書林 鈴木美佳訳

本書は、昨今の多層的アプローチを用い、清潔についての考え方の様々な起点と経過をたどったものである。
  ――序 日本語版によせて

実際のところ、細菌は、「病原生物」にたいする民間の概念にぴったりだった。しかし、コッホの細菌がそれ自体、種であるという特異性をもっているということは、かつてのミアズマ(瘴気)主義を信望する公衆衛生学者にとっては脅威だった。
  ――第9章 健康十字軍

身体の浄化と家庭の収入の相関関係は、他の時代と同じく、ここ数世紀間、不可避だった。
  ――第10章 美しい身体

【どんな本?】

 clean。書名では「清潔」としているが、もっと複雑なニュアンスがある。医学的・衛生学的に無菌,化学的に純粋,片付いている,家や衣服の汚れがない,精神的・霊的に穢れていない,汚職に関わっていない,人工物の反対としての自然…。

 動物の身づくろい,運動・入浴・食事・生活習慣などの健康法,美しく見せるための化粧,都市のトイレなど幅広い視野で、古代ギリシアから中世の西欧そして近代・現代のイギリスまでの歴史を俯瞰し、人々が清潔をどう捉え、どう対処してきたかを語る、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は clean : a history of personal hygiene and purity, by Virginia Smith, 2007。日本語版は2010年3月31日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約378頁。9ポイント46字×19行×378頁=約330,372字、400字詰め原稿用紙で約826枚。文庫本なら厚い一冊分ぐらいの分量。

 文章はやや硬い。いまさら気が付いたのだが、東洋書林は歯ごたえのある本が多いようだ。内容はそれほど難しくない。レコンキスタや産業革命などの歴史的な知識が必要だが、最低限の事柄は本書内に簡単な説明があるので、西洋史のだいたいの流れを中学卒業程度のレベルで知っていれば充分だろう。

【構成は?】

 人類のあけぼのから現代まで、ほぼ時系列順に話が進む。が、各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいいだろう。

  • 序 日本語版によせて/はじめに
  • 第1章 生物としての身体
    内部浄化/感覚/訓練と適応/身体表面の手入れ/場、空間、秩序/汚染/道具、装飾、ボディ・アート/水、泉、かまど
  • 第2章 化粧
    成層化と結果/化粧品貿易/化粧品調合法/特別に神聖な場/聖なる化粧/宮殿の純潔/宮廷の身支度/娼婦
  • 第3章 ギリシアの衛生
    人口統計/水、水、水/迷信深い人間/オリンピック競技/公園と錬成場/訓練と体操/科学的衛生/美容術
  • 第4章 ローマ風呂
    水道橋/公衆浴場とスパ/オウィディウスの身づくろい/身体方法学派/ガノレスの衛生/古代末期の風呂
  • 第5章 禁欲
    ユーラシアの禁欲主義/キリスト教の純潔/新プラトン主義/貞潔/洗浄と入浴/癒しの務め
  • 第6章 忠誠の道徳
    シャルルマーニュの作法/南ヨーロッパ/サレルノ養生訓/身づくろいの空間/『トロトゥラ』なる著作物/公衆浴場/沐浴の祭り/外交のための沐浴/春の沐浴/「売春のための浴場」/浴場の衰退/梅毒
  • 第7章 プロテスタント的養生法
    人文主義君主/(英国の)中産階級/指南書とまじめな生活/鉱泉地と公衆浴場/清教徒の身づくろい/純粋な食べ物/冷たい空気/冷たい水/ジョン・ロックの冷養生
  • 第8章 清潔は市民の美徳
    優雅な時代/秘めたる身体各所/衛生と頑健/海水浴と外気/生理学/子どもの健康/ウィリアム・バハン/革命と衛生と自然哲学/生気論者による健康管理
  • 第9章 健康十字軍
    ホイッグ政権と互助/身体潔癖主義/内なる清潔/薬とコレラ/民間生理学/公衆衛生と水/環境衛生/英国式贅沢/水治療場/世紀末改革/細菌/自然崇拝/貧困と疑い
  • 第10章 美しい身体
    優生学と予防医学/郊外/郊外の子ども/自然崇拝者と裸体主義/1945年以降の売れ筋商品/フラワーパワーと多文化主義/自助とホリスティック医療/現代の健康生活/最後に:将来の傾向
  • 解説:鈴木晃仁/主要参考文献/原註/索引

【感想は?】

 医学・衛生学は、本書のテーマの一部にすぎない。本書は、もっと広い意味での clean を扱っている。序に曰く、清潔,純粋/純潔,衛生,その他。

 今でも健康食品や怪しげな健康法、民間療法などが流行っている。それも仕方がないのだ。どうやらヒトのオツムは、これらと医学や衛生学を似たような物と判断するらしい。ばかりか、美容も同じ器に入っているようだ。

 SF作家の菅浩江は「誰に見しょとて」で、美容と医療を合わせたコスメディックなるアイデアを扱い、それが人の体だけでなく心まで変えてゆく物語を綴った。そういう考え方は別に新しいわけではなく、昔から美容は医療の一部だったようだ。

 大航海時代はスパイスが駆動力となったが、古代ギリシアや古代ローマでは化粧品が同じ役割を果たしている。「それらは小さく、持ち運びしやすく、利益が上がる商品」だった。これは大航海時代のスパイスの定義そのものだ。運びやすく少ない量で高く売れるブツなら、遠く離れた所から運んでも苦労と費用に見合う儲けが出る。

古代の人々が化粧や美に関するケアで理解していた重要な点は、それが体調を整え、健康を保つということだ。
  ――第2章 化粧

 紀元前三千年ごろにヘロドトスが述べている。「居住地域の隅に位置する国々は、最も珍しく美しいと我々が思うものを生産する」。珍しくて値が張るものは、有力者が欲しがる。これが交易を盛んにし、帝国の拡大をもたらすわけ。

 化粧品の容器を工夫するのも、古代エジプトからの伝統。しかも神官はシラミなどを防ぐため、「一日おきに身体全体の毛を剃」っていた。全身脱毛も歴史は古いんだなあ。

 テルマエ・ロマエでローマの公衆浴場が有名になったけど、古代ギリシアも紀元前五世紀から公衆浴場サービスを始めている。

 公衆浴場サービスは抑圧的なキリスト教が猛威を振るったヨーロッパでも生き延びたようで、17世紀スイスのバーゼルの土曜沐浴の習慣はとっても羨ましい。なんと、家で服を脱いで公衆浴場まで裸で歩いていくのだ。しかも混浴ですぜ。

 もっとも、これは助平根性だけでなく、どうもヒトには裸族願望があるんじゃないかと思わせるエピソードもチラホラ。

 例えば17世紀イギリスのクエーカー教徒は、「腰布のみを身につけて、裸ででかけて無垢を示すことがあった」。19世紀にはセバスチャン・クナイプ神父が、裸またはそれに近い格好でオーストリア・アルプスでの散歩や水泳を勧めている。もっとも日光をたくさん浴びようって目論見もあったようだが。

 この裸大好きな傾向も、少なくとも古代ギリシアから綿々と続く自然崇拝思想の末裔。古代オリンピックの選手は裸で競ったしね。菜食主義もピュタゴラス派やオルペウス教が唱えている。ヒトの健康関係の思考ってのは、大昔からあまし変わってないらしい。

 というのも、例えば健康法の本は、古代ギリシア・古代ローマから中世・近世ヨーロッパまでを通し、必ずベストセラーになっている。現代医学から見れば怪しげな内容も多いが、誰でも健康には興味があるのだ。入浴を好む派閥と、大事なのは心の清らかさだよ派の対立も、昔から続いている。

 意外と清潔こそが正義とは限らないようで、世間でチラホラ言われているように、行き過ぎた除菌は子供によくないのかも知れない。

東西ドイツの喘息研究で、清潔で近代的な西ドイツの子どもたちよりも、不潔で衛生度の低かった東ドイツの子どもたちのほうが喘息がはるかに少ないとわかり…

 いわゆる衛生仮説(→Wikipedia)ですね。仮説って名がついてるだけあって、2017年2月現在は専門家の間でも議論が続いている様子。仮に当たっていたとしても、ゴミ溜めの中で育つのはやっぱり良くないわけで、「どの程度の清潔さが最も良いのか」って見極めは難しそうだなあ。

 ってな具合に、現代の医学・衛生学で問われている問題も、少なくとも古代ローマあたりには人々の話題になっているうばかりか、美容でもバッチリメイク派と薄化粧派がいたり、健康法は粗食&運動だったり、どうも医療・衛生・美容関係ってのは、思想や哲学や道徳と深い関係があるようだ。

 これらに加え、トイレや上下水道の問題も扱っていて、ヒトの生理から地域統治まで、広い範囲にわたる話題を取り上げ、読者の興味の向き次第で様々な読み方ができる、見かけより複雑な本だった。歯ごたえはあるが、消化できる人には、それに見合う報酬も用意されている本だ。

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2017年2月14日 (火)

「伊藤典夫翻訳SF傑作選 ボロゴーヴはミムジイ」ハヤカワ文庫SF 高橋良平編

「そうだろう、え! こんな生まれつきの怠けものでなかったら、とうに病院に行ってなきゃならんところだ。もちろん、医者としてね」
  ――思考の谺

【どんな本?】

 SF小説の翻訳家として数多の名作SFを訳し日本に紹介した伊藤典夫の膨大な業績の中から、主に初期の傑作を選りすぐって集めた珠玉の傑作選。

 なんといっても、ベテランのSFファンの間では傑作の呼び声が高いが、諸々の事情で今は読者の手が届かない、1940年代~1960年代の傑作が、手に入れやすい文庫で蘇ったのが嬉しい。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2016年11月15日発行。文庫本で縦一段組み本文約400頁に加え、編者あとがき Explorer of Science and Time 7頁+鏡明による1980年の伊藤典夫インタビュー10頁。9ポイント40字×17行×400頁=約272,000字、400字詰め原稿用紙で約680枚。文庫本としてはちょい厚め。

 文章はこなれている。古い作品が多いだけに、内容も特に難しくない。書かれた時代が時代だけに、電子回路ではなく真空管を使っているなど、さすがに大道具・小道具は違和感があるが、その辺は読みながら今風に読み替えよう。

【収録作は?】

ボロゴーヴはミムジイ ルイス・パジェット / Mimsy Were the Borogoves, Lewis Padgett / アスタウンディング1943年2月号
 遥か未来から、動作確認中のタイム・マシンで、子供のおもちゃが過去に送られた。届いたのは1942年。小学校をサボった悪ガキのスコットがこれを拾い、こっそり家に持って帰る。面白がって遊んでいたスコットだが…
 ニール・スティーヴンスンの某作品は、コレをネタにしたのかな? 私は英語が苦手なせいか、他の言語をやすやすと覚えられる人が羨ましくてしょうがない。いったい、私はどうやって日本語を身に着けたんだろう。幼い子供が知識を身につける能力が、つくづく羨ましい。
子どもの部屋 レイモンド・F・ジョーンズ / The Children's Room, by Raymond F. Jones / ファンタスティック・アドベンチャー1947年9月号
 10歳の息子ウォルトから、図書館に返すよう頼まれた本を、ビルは読み始めた。複雑な物語で、一つの文章が二つの意味を持っている。最初は戸惑ったが、次第にのめり込み、朝方まで読みふけってしまう。返却先の大学図書館に行ったが、<子どもの部屋>なんてない、と言われてしまう。
 これもサミュエル・R・ディレイニーが…。特別な人だけが読める本、特別な人だけが入れる図書室なんてアイデアは、妙な賤民/選民意識を持つSF者には抗えない魅力がある。短編として綺麗に完結してるけど、少年向けの長大な冒険物語のプロローグとしても充分に通用するなあ。というか、ウォルトを主人公にして誰か続きを書いてく…いや平野耕太は却下w
虚栄の街 フレデリック・ポール / The Tunnel Under The World, by Frederik Pohl / ギャラクシイ1955年1月号
 6月15日の朝、ガイ・バークハートは悪夢から目覚めた。大爆発に巻き込まれる夢だ。いつものように会社に出かけ、ロビーでタバコを買おうとすると、店員がいつものステビンズじゃない。おまけに馴染みのない新銘柄まで押し付けられる。職場では皆勤のバース氏が珍しく休んでいて…
 お話の流れは、典型的な「平凡な日常の中に、奇妙な小さい事柄が少しづつ忍び込む」タイプ。さすがに時代背景は変える必要があるけど、今でも映像化すれば充分にウケそうな作品。フレデリック・ポールらしい、スレた感覚が満ち溢れている。そういえば「宇宙商人」も今は手に入れにくい傑作になっちゃったなあ。
ハッピー・エンド ヘンリー・カットナー / Happy Ending, by Henry Kuttner / スリリング・ワンダー・ストーリーズ1948年8月号
 ケルヴィンは健康と名声と富を手に入れ、一生を幸福に暮らした。それは、こんな経緯で…
 冒頭からハッピー・エンドを約束した物語だが…。 そういえばジョン・W・キャンベルもアイザック・アシモフにアドバイスしたとか。「物語の書き始めは、もっとストーリーの後の個所から書き出すといい」と(→アシモフ自伝)。そういう構成の巧みさが光る作品。
若くならない男 フリッツ・ライバー / The Man Who Never Grew Young, by Fritz Leiber / Night's Black Agents 1947
 わたしはナイルの河畔に座っている。妻のマオットは、家畜を連れて西に行きたいようだ。ほかの者たちがそうするように。みんな若くなっていくのに、わたしは30過ぎの姿のまま変わらない。耕地は減り、灌漑水路も粗末になり、雨が多くなった。
 時間の流れが逆になった世界を、ずっと見つめ続ける男の物語。歴史を逆回転で語る後半からは、ゾクゾクするセンス・オブ・ワンダーが伝わってくる。
旅人の憩い デイヴィッド・I・マッスン / Traveller's Rest, by David Irvine Masson / ニュー・ワールズ1965年9月号
 激しい戦闘が続く北の最前線から解任された<XN3>は、南へと向かう。そこで仕事を見つけるつもりだ。前線の近くでは、幾つか敵からの攻撃の影響があったが、南へと向かうにつれ次第に傷跡は減り…
 時間SFアンソロジー「ここがウィネトカなら、きみはジュディ」にも収録された、名高い作品。空間の移動が時間の流れ方を変える、独特の世界が魅力なんだけど、かなり感覚を狂わされるので、乗り物酔いする人は要注意。
思考の谺 ジョン・ブラナー / Echo In The Skull, by John Brunner / サイエンス・ファンタジイ1959年8月号
 おんぼろアパートの一室でサリイは目覚めた。目の前にはジンの空き瓶。腕時計は質草に消えた。今は文無しで、風呂にも入れない。家主のロウエル・ラムゼイは今のところ部屋代を待ってくれるが、何か魂胆がある様子。しばらくロクなものを食べていないが、コートまで売ったら、もう着るものもない。
 これも映像化すれば当たりそうな作品。オケラで着るものすらない所まで追い詰められたサリー、何か企んでいる様子のロウエル夫妻。この両者が抱える秘密を巡り、次第に恐ろしさがつのってゆく。冒頭、サリイの貧乏暮らしの描写が、容赦ないまでに真に迫ってるのがわかってしまうのが悲しいw
Explorer of Science and Time 編者あとがき / 伊藤典夫インタビュー(星雲立志編)

 解説によれば、ヘンリー・カットナーの奥さんはC・L・ムーアで、二人の共作ペンネームの一つがルイス・パジェットだとか。なんと20もおのペンネームを使っていたとかで、その豊かな創作能力は羨ましい限り。

 あまり小難しい理屈を使わず、ヒネリの効いたアイデアが光る作品が多く、いずれもドラマや映画の原作として使えそうな作品ばかりなのも、SF黄金時代ならではの感がある。「子どもの部屋」とかは、ライトノベルやバトル物アニメのプロローグだと思うと、もう妄想が止まらないから困る。

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2017年2月12日 (日)

トレヴァー・コックス「世界の不思議な音 奇妙な音の謎を科学で解き明かす」白揚社 田沢恭子訳

私は校舎研究の一環として、生徒が読解や暗算などの単純なタスクを遂行しているおときに雑音を聞かせる実験をした。ある実験では、14歳から16歳の集団にざわついてうるさい教室の音を聞かせると認知能力が低下し、静かな場所でタスクをおこなう11歳から13歳の対照群と同程度になった。
  ――プロローグ

1924年には、高名なチェリストのベアトリス・ハリソンとナイチンゲールの共演が、BBCラジオ初の屋外からの生中継として放送された。イングランドのオックステッドで暮らすハリソンの自宅周辺には林があり、そこに棲むナイチンゲールが彼女の練習するチェロを音まねするようになっていたのだ。
  ――3 吠える魚

【どんな本?】

 歌う砂丘。壁に向かって囁くと、部屋の反対側にいる人に聞こえる壁。セミの声がやかましい理由。コンサート・ホールの設計のコツ。車で走ると「ウィリアム・テル序曲」が聞こえる道。

 日光の鳴き龍など、世の中には不思議な音がある。虫の声や木の葉の揺れる音など、私たちの暮らしは様々な音に囲まれている。うるさい音もあれば、気持ちが落ち着く音もある。

 奇妙な音は、どうやって生まれるのか。エルビス・プレスリーの独特のエコーを、どうやって作ったのか。そして、様々な音や音響環境は、私たちの暮らしや音楽、そして他の生き物たちにどんな影響を与えるのか。

 音響工学教授の著者が、世界を駆け巡り、音をめぐるエピソードを集め、音響工学の面白さや意外な利用法を語る、楽しくて役に立つ一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Sound Book : The Science of the Sonic Wonders of the World, by Trevor Cox, 2014。日本語版は2016年6月30日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約300頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント45字×19行×300頁=約256,500字、400字詰め原稿用紙で約642枚。文庫本なら少し厚め。

 文章は読みやすい。内容も特に難しくない。音楽が好きなら、楽しく読める。「音は波である」「波長が長いほど音は低い」程度に分かってれば、充分に読みこなせる。こういった事はギターやバイオリンを弾く人なら、直感的に分かるだろう。シンセサイザーなどDTMに興味があれば、更によし。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。

  • プロローグ
  • 1 世界で一番よく音の響く場所
  • 2 鳴り響く岩
  • 3 吠える魚
  • 4 過去のエコー
  • 5 曲がる音
  • 6 砂の歌声
  • 7 世界で一番静かな場所
  • 8 音のある風景
  • 9 未来の驚異
  •  謝辞/訳者あとがき/註

【感想は?】

 サウンド・エディタが欲しくなる本だ。私は思わず Audacity を手に入れ、遊びまくってしまった。更新が遅れたのは、そのせいだ。まだ機能の1/10もわかっちゃいないけど、遊び始めるとキリがない。

 本書を読みこなすキモは、エコー(こだま)とリバーブ(残響)の違い。

 エコーは、こだま。山に向かって「ヤッホー」と叫べば、「ヤッホー」と返ってくるやつ。リバーブは、お風呂の中で歌うと、よく響いて歌が上手くなった気がする効果。

 この二つをややこしくしてるのが、カラオケのエコーマイク。あれ、エコーって名前がついてるけど、実はリバーブの効果をつけてる。だもんで、本当はリバーブ・マイクが適切。

 エコーもリバーブも、何かにぶつかって返ってきた音を示す。

 これを研究して建築音響学を開拓したのが、19世紀の物理学者ウォーレス・クレメント・セイビン(→Wikipedia)。

 空気中の音はだいたい秒速340mぐらいで進む。雷が光ってから音がするまでの時間が分かれば、雷までの距離が分かる、お馴染みの理屈だ。低い音は残響が長く残り、高い音はすぐに消える。一般に遠くの音はくぐもって聞こえるものだ。壁の材質でも違ってくる。石やタイルなどの硬いものはよく反響し、布など柔らかいものはあまり反響しない。

 これらを組み合わせると、コンサート・ホールの設計に役立つほか、色々な応用もできる。物騒なものの代表は、潜水艦のソナーだろう。米軍は、アフガニスタンの戦場で洞窟の中を調べるため、銃声の反響音を分析する研究をした。

 音楽好きとして興味深いのは、演奏場所の残響効果の違いが音楽そのものに与える影響。

 宗教改革以前、ドイツの聖トーマス教会は、「司祭の声が消えるまでに八秒かかっていた」。16世紀半ばに改築し、木製の廻廊を付けたし布を垂らすと、残響時間が1.8秒に減った。これが音楽に大きな影響を与えたのだ。

18世紀になると、残響が短くなったことを生かして、聖歌隊長だったヨハン・セバスティアン・バッハがそれまでよりもテンポの速い複雑な曲を作るようになった。

 残響の短さが、音楽のテンポを速くしたわけ。言われてみると、世界の民族音楽も、残響がない野外で演奏されるものは、テンポが速い曲が多い気がする。こういった事は、「倍音」でも面白い分析をしていたなあ。

 とかの人工的な音の話に加え、自然界の音の話も盛りだくさん。

 音に頼る生き物の代表が、コウモリだろう。超音波を発してソナーのように使い、周りの状況を「見る」。コウモリの出す声は人間に聞こえないが、機械を使って周波数を下げれば聞こえるようになる。これを使うと、静かな湖畔が、「超音波域の繰り広げられる修羅場」に変貌してしまう。

 そのコウモリ、たいていは虫を食べて生きている。虫だって食われたくない。そこで工夫したのがマダガスカルオナガヤママユ(→Google画像検索)。長い尻尾はコウモリの声を強く反射し、尾は食われるが胴体は無事に済む。軍用機が使うフレアみたいな作戦だ。

 静かに思える水の中も、実は音で溢れている。「テッポウエビの大群は、炎がもえさかるときのパチパチという音に似た音を出す」。お陰で、海軍は第二次世界大戦中にテッポウエビの研究を始めにゃならんかった。ソナーの邪魔になるからだ。

 様々な音響環境を調べるため、著者は世界中を駆け巡る。ロンドンの下水道を探検し、廃棄された石油貯蔵施設に潜り込み、モハーヴェ砂漠に突っ込み、イランのイスファハンのイマーム・モスクを訪れる。

 などの冒険行も楽しいが、その後で聞いた音について科学的にわかりやすく説明してくれるのも著者ならでは。他にもスター・ウォーズのレーザー音の秘密や、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」のデマなど、面白いエピソードがぎゅうぎゅう詰まってる。

 日頃、外出する時は iPod nano を手放せない私だが、ちょっと耳を澄まして街の音に注意してみよう、そんな気になった。でも今は Audacity に夢中だけどw

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2017年2月 8日 (水)

あたしのチクビは五千円

 半月ほど前、年に一度の定期健康診断があってね、今日、その結果を聞きに行ったの。そしたらね、胸のレントゲン写真に、丸くて小さいモヤッとしたのが写ってたの。

 先生、「とりあえずCT撮っときましょうか」って言うんで、言われるままCTスキャンして貰ったの。

 凄いのね、最近のCTって。

ベッドに寝っ転がって、ベッドごと白い機械のトンネルの中に入っていくんだけど。トンネルの枠の所に、液晶モニタがあるのね。そこに「息を止めて」とか「あと3秒です」とかのメッセージが出るのね。とっても親切。

 おまけに、結果もすぐに出るのね。先生がいる診察室と、CTスキャンの部屋は離れてるんだけど、スキャン撮ったその日のうちに、先生のパソコンにあたしの胸を輪切りにした画像が入ってるの。

 スキャンを終えて先生の診察を受けるまで、あたしが待ってたのは15分ぐらいだったかな? 先生、その間に他の患者さんの診察もしてたみたいだから、コンピュータが画像を処理するのにかかる時間は、もっと短いんと思う。

 それだけじゃないの。CTって、体を輪切りにして調べるでしょ。あたしが取ったのは胸なんだけど、最初の画像は首のあたり、最後の画像はお腹のあたりを輪切りにした画像って感じで、沢山の画像を撮って、それが先生の診察室にあるパソコンで見れるのね。

 で、先生、パソコンのマウス・ホイールをグリグリ動かすと、あたしの輪切り画像が、首の方からお腹の方まで、トンネルの中を走る動画みたいな感じで、滑らかに切り替わっていくのね。モノクロとはいえ、その画像処理能力には驚いたわ。

 もっとも、肺癌かもしんないって時に、そんな事を考えてるあたしもアレだけど。

 で、そのCTの結果。

センセ「ニップルですね」
あたし「ニップル?」
センセ「チクビです」

 レントゲン写真に写ってた「丸くて小さいモヤッとしたの」の正体は、あたしのチクビだったってわけ。安心したような、笑っちゃうような。一気に力が抜けちゃった。

 それはいいいんだけど、最後のお会計で。

お姉さん「¥5,250円です」

 げげッ。CD2枚買える値段じゃない。チクビのせいで五千円消えちゃった。あたしのチクビにそんな価値あるのかしら。

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 すんません。自分でも女言葉は気色悪いんで、今後は慎みます。 

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2017年2月 7日 (火)

京極夏彦「豆腐小僧双六道中 おやすみ」角川文庫

「この道はこおしゅうという道なんでございますか。眺めがいいですねえ」

【どんな本?】

 妖怪マニアの京極夏彦が、妖怪・豆腐小僧を主人公に描く、滑稽妖怪物語その二。

 無駄に大きな頭に笠をかぶり、意味もなく紅葉豆腐が載った盆を掲げる、ただそれだけの妖怪・豆腐小僧。時は幕末、江戸郊外のあばら屋に沸いたはいいが、「自分は何だろう」などと思い悩み、騒動に巻き込まれた挙句に思い立ったは自分探しの旅。

 父の見越し入道のような立派な妖怪になるべく、なんとなく縁が出来たイカサマ山伏の玄角と天狗弟子入り志望の権太の後をつけ、甲州街道を下ってゆくが…

 マニアならではの濃い蘊蓄と軽妙な語りにのせて展開する、ドタバタ妖怪コメディ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年3月に講談社より単行本「豆腐小僧双六道中 おやすみ 本朝妖怪盛衰録」として刊行。これに加筆訂正し2013年7月25日に文庫版が角川文庫より初版発行。文庫本で縦一段組み本文約692頁に加え、香川雅信の解説7頁。8ポイント42字×18行×692頁=約523,152字、400字詰め原稿用紙で約1,308枚。文庫本なら上下巻か上中下巻でもいい巨大容量。

 文章はこなれている。マニアならではのこだわりを感じさせるややこしい屁理屈はあるが、基本的にコメディなので、わからなかったら特に気にしなくてもいい。

 また、続き物だが、これから読み始めても特に問題はない。前巻から引き続き出てくるキャラクターも多いが、ウザくない程度に本文中で必要な設定を紹介している。

【感想は?】

 ギャグはリズムとテンポが大事。

 だから、極論すれば、リズムが合うか合わないかで好みが決まる。これは半ば生理的なもので、言葉で説明するのは難しい。

 このシリーズだと、1970年代後半の歌謡曲のテンポだと思う。ギャグもあの頃の流行りものをネタにしたのが多いし。という事で、そういう年頃の人向けかも。

 また、語り口が講談調というより落語調で、それも江戸前。寄席まで行かなくてもいいけど、ラジオやテレビで落語を楽しんだ経験があると、更に楽しめる。渋い年配の噺家ではなく、歳の頃はせいぜい40代~50代の、技と体力が拮抗し脂が乗りきった噺家って感じがする。

 お話は、甲州街道をゆくエセ山伏の玄角と天狗弟子入り志望の権太に加え、豆腐小僧・滑稽達磨・猫股が、変な奴らの変な騒ぎに首を突っ込み、そこに妖怪変化が巻き込まれる、そういうお話。まあコメディというかギャグ物なので、極論すればストーリーなんかどうでもいい。

 最初はのんびりしたボケの豆腐小僧に、せわしない滑稽達磨が突っ込みを入れ、婀娜な三毛姐さんが冷やかすパターンだが、話が進むにつれ人も化け物も増えてきて、それだけリズムも複雑かつ賑やかになってゆく。

 私がこの巻で最も心地よかったのは、村の百姓達。ほとんど名前もない、いわばエキストラなんだが、要所要所で彼らが入れる合いの手が、聞き間違いと勘違いと思い込み、そして脱線と先走りで、話をどんどんややこしくしていくのが可笑しい。

 音楽だと、ドラムとパーカッションの掛け合いが曲調を絶え間なく変化させつつ、テンポが次第に上がっていくって感じかな? いいずれもテーマは全く進まないんだけど、可笑しければいいじゃん、と、そういう姿勢で読む本です、はい。

 勘違いネタは随所に出てくるが、中でも一番笑ったのは、吉蔵と権太が出会う場面。初対面の相手を見くびったり買いかぶったりするのはよくある事だけど、こういう風に互いが勘違いしながらも一見スムーズに会話が進んじゃうってのは…

 おまけに、ここで妖怪まで舞台に上がってくるんだが。いくら妖怪といえど、この扱いはあんまりだw

 などの妖怪のゲストも今回は色とりどり。ボケ役豆腐小僧,突っ込み役の滑稽達磨,冷やかし役の猫股姐さん&飯綱権現などレギュラー陣に加え、アクティブなボケのカンチキ,妙にサバけた八咫烏,勢いだけはいい八牛,呑気なボケの小豆磨ぎなどの賑やかなゲスト、そしてまたも暴れます狐と狸。

 いずれも妖怪マニアの京極夏彦だけに、それぞれの由来や蘊蓄を詳しく教えてくれるのも、好きな人には嬉しいところ。中にはご当地限定のレアな奴もいて…

 とか難しい話はともかく、基本はノリとリズムで笑わせる作品なので、やっぱりギャグの波長が合うかどうかが評価の分かれ目だろうなあ。

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2017年2月 5日 (日)

京極夏彦「豆腐小僧双六道中 ふりだし」角川文庫

「あなた、夜明けさん?」

「小僧はずっと小僧だからな。入道はずっと入道だ。因みにおッ母さんは居ない」

【どんな本?】

 妖怪マニアの京極夏彦が、妖怪・豆腐小僧を主人公に描く、滑稽妖怪物語その一。

 子供のような体に大きな頭、笠をかぶって舌を出し、両手で持ったお盆の上に紅葉豆腐が載っている。ただそれだけで、何かをするわけでもなく、何かの芸があるわけでもない、意味も正体も不明な妖怪、豆腐小僧。

 時は幕末の不穏な空気が漂う時世。江戸に近いあばら屋に、気がついたら居た豆腐小僧。果たして自分は何者なのか、紅葉豆腐を落としたらどうなるのか、そもそも妖怪とは何なのか、などと悩むものの、できるのは紅葉豆腐を持って歩き回ることだけ。

 足りない頭で考えながらも答えが出ない豆腐小僧は、様々な妖怪や人々と出会い語り合い、自らのルーツと未来に思いを馳せつつ、幕末の混乱へと巻き込まれてゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2003年11月に講談社より単行本「豆腐小僧双六道中 ふりだし 本朝妖怪盛衰録」として刊行。これに加筆訂正し2010年10月25日に文庫版が角川文庫より初版発行。文庫本で縦一段組み本文約698頁に加え、市川染五郎の解説「僕の豆腐小僧」7頁。8ポイント42字×18行×698頁=約527,688字、400字詰め原稿用紙で約1,320枚。文庫本なら上下巻か上中下巻でもいい巨大容量。

 文章はこなれている。内容は京極夏彦らしく、人の心と怪異をめぐるややこしい議論が一部にあるものの、全体としてはコメディなので、面倒くさかったら気にしなくてもいい。

【感想は?】

 まあ、アレだ、基本的には馬鹿話。

 だいたい主人公がふざけてる。豆腐小僧(→Wikipedia)。紅葉豆腐を持っているだけで、特に芸もないばかりか、持った紅葉豆腐を落としちゃいかんと、派手なアクションもできない。

 よくこんな話を作りにくい奴を主人公にしたなと思うんだが、それでも娯楽読み物としてちゃんと楽しめるから見事だ。

 登場していきなり、自らのアイデンティティに悩んでるから可愛らしい。登場ったって、あばら屋に沸いて出たって感じで、別に劇的な誕生シーンがあるわけでもない。どうせなら、もちっと派手な所に出りゃいいものを、江戸じはずれのあばら屋だし。

 と、どう物語が展開するのかと思えば、そこは妖怪マニアの京極夏彦。豆腐小僧以外にも様々な妖怪を舞台に上げて、それぞれの不思議な性質を語らせつつ、「妖怪とは何か」というテーマで話を進めていく。

 そこで最初に出てくる疑問は、「妖怪って本当に居るの?」

 「居ない」と言っちゃえば、この物語そのものが成り立たないので、なんとか居ることにせにゃならんのだが、そこでどう屁理屈をつけるかが、このお話の最初の関門。いかにも京極夏彦らしい理屈に、「そうきたか~」と感心する所。

 さて、そのあばら屋で最初に出会う妖怪が、鳴屋(やなり、→Wikipedia)。柱がきしむ音など、家屋が出す原因不明の音や揺れは、こやつが出している、とされる妖怪。

 これに対し、物語の中では一応現代的な説明をつけちゃいるが、それに都合を合わせるため鳴屋に持たせた性質が、なかなかセンス・オブ・ワンダーに富んでいて新鮮。

 こういったあたりは、特撮マニアが巨大ヒーローや怪獣に合理性を与えるために、己が持つ科学の知識を駆使して屁理屈をつけようとするのにも似た、業の深い愛情と無駄を楽しむ気性を感じて、思わずニンマリしてしまう。にしても、こういう性質じゃ、そりゃ忙しいだろうなあ、鳴屋。

 と、そんな具合に、鳴屋に続き、死に神・狸・達磨・狐・化け猫など、色とりどりの妖怪が出てきては講釈を垂れ、それぞれの奇妙な性質を明らかにしては、その仕事をこなしてゆく。いいなあ、化け猫。うちにも来てくれないかなあ。

 などといった屁理屈も楽しいが、それを更に盛り上げてくれるのが、落語調の語り口。

 なんたって舞台が舞台だけに、使われるのは上方ではなく江戸、それも町民の言葉。「かきくけこ」「たちつてと」や促音が多く、ポンポンと跳ねるような勢いのいいリズムがあり、せっかちでアグレッシヴな印象を与える口調だ。

 この語り口が大きな効果を上げているのが、終盤のクライマックス・シーン。妙にのんびりして間の抜けた豆腐小僧、きっぷのいい下町言葉で畳みかける狐、濁音が多い武蔵野の百姓言葉、婀娜な鉄火肌の化け猫など、様々なリズムが絡み合って、ラテン・パーカッションを多用したかつてのサンタナ・バンドのような、ちょっとしたグルーヴを生み出している。

 とか書くと、なんか真面目な小説みたいだけど、そんな難しいモンじゃない。不思議で間抜けな妖怪たちが繰り広げる、滑稽なお話なんで、気楽に楽しもう。

 にしても、やっぱりユーモア物の書評は難しいなあ。

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2017年2月 2日 (木)

「エジプト神話集成」ちくま学芸文庫 杉勇・屋形禎亮訳

私の遺骸が私の生まれた地に合一することより大事なことがあるだろうか。
  ――シヌヘの物語

【どんな本?】

 ナイルを中心として紀元前四千年より前から文明を築いてきた古代エジプト(→Wikipedia)は、ピラミッドや遺跡に刻んだ碑文や、パピルスに書かれた文書など、多くの文字の記録を残した。

 幸い現在まで残っている記録から、比較的に文学的であり、また解読が進んでいるものを集め、一般読者に紹介するのがこの本である。

 英雄漂流譚や冒険物語、辛い暮らしと暗い世相を嘆く詩、リズミカルな語りで描く喜劇、王名を帯びたレバノンへの旅の記録、神々や王に捧げた賛歌、若い学生へのお説教、熱い恋心を綴った唄、そして神々の争いを描く神話など、バリエーション豊かなテキストが楽しめる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1978年4月30日刊行の筑摩書房刊「筑摩世界文学大系Ⅰ 古代オリエント集」より、『エジプト』の章を文庫化したもの。文庫版は2016年9月10日第一刷発行。縦一段組みで本文約505頁に加え、解説が豪華123頁。8.5ポイント40字×18行×505頁=約363,600字、400字詰め原稿用紙で約909枚。訳注や解説も含めれば上下巻でもいい分量。

 ちなみに元の物語や文書は紀元前25世紀から紀元前10世紀頃までと幅広い。

 喜べ。かなり読みにくいぞ←誤字ではない。

 元々が既に滅びた言語で書かれている上に、残った碑文やパピルスもカスれたり破れたり散逸してたりと、一部しか残っていない。そのため文章の一部が抜けてたり、段落がゴッソリ飛んでたりする。訳者の仕事も、翻訳というより解読と呼ぶのが相応しい。

 そんな不完全な記録から、できる限り原本の意味を忠実に日本語に移し替えたのが本書だ。だから文の途中で単語や句が抜けてるし、物語も途中で途切れたりする。

 それだけ、原文に近い作品なわけで、オタクとしてはその濃さが嬉しいのだ。

 なお、成立した頃の世相を反映した作品も多いため、Wikipedia などで古代エジプトについて調べておくといいだろう。また地名も出てくるので、Google Map や地図帳があると便利。だいたい西はリビア、南はスーダン、東はイラク、北はレバノンとシリアあたりが出てくる。

【構成は?】

 それぞれの物語は独立しているので、美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。なお、素人は解説を読みながらでないと意味が分からない作品が多いので、複数の栞を用意しておこう。

  • シヌヘの物語
  • ウェストカー・パピルスの物語
  • 難破した水夫の物語
  • 生活に疲れた者の魂との対話
  • 雄弁な農夫の物語
  • イプエルの訓戒
  • ネフェルティの予言
  • ホルスとセトの争い
  • メンフィスの神学
  • 二人兄弟の物語
  • ウェンアメン旅行記
  • 宰相プタハヘテプの教訓
  • メリカラー王への教訓
  • アメンエムハト一世の教訓
  • ドゥアケティの教訓
  • アニの教訓
  • アメンエムオペトの教訓
  • オンク・シェションクイの教訓
  • ピラミッド・テキスト
  • アメン・ラー賛歌(1)
  • アメン・ラー賛歌(2)
  • ラー・ホルアクティ賛歌
  • アテン賛歌
  • ナイル賛歌
  • オシリス賛歌
  • 単一神への賛歌
  • センウセルト三世賛歌
  • トトメス三世賛歌
  • セド祭の碑文
  • ミンの大祭の碑文
  • 「後期エジプト選文集」より
  •  訳注/解説/索引

【感想は?】

 「エジオプト神話集成」というより、「古代エジプト文書集」が適切だろう。

 「神話」とあるが、ギリシャ神話や日本神話のように、創世記から始まり人の世が始まるとかの系統だった話を期待すると、肩透かしを食らう。というか、食らった。

 そもそも、全体として一貫したストーリーを持つ本ではない。今まで残っているテキストの中から、比較的に解読が進んでおり、かつ文学的な香りのするものを選んで集めた、そんな雰囲気の本だ。もっとも、Wikipedia によると、エジプト神話は時代によって大きく変わっているので、そもそも一貫した物語を期待するのが間違いなんだろう。

 神様が活躍する物語も少ない。「難破した水夫の物語」と「ホルスとセトの争い」ぐらいか。超自然な事柄が出てくる話も少なくて、人間が主人公の世情を映す話が多い。それより多いのが、若者への戒めや、神々や王への賛歌だ。中には「税を免じてくれ」とか「支払いはまだか」みたいな事務的な手紙も入ってる。

 だもんで、これで古代エジプト神話を知るのは、まず無理。そこは覚悟しよう。それより「数千年前の人がどんな記録を残したか」が、この本の大事な所。

 私が一番気に入ったのは、「雄弁な農夫の物語」。泣いて笑えるコメディだ。

 農夫クーエンアンプーは、家に妻と子を残し、収穫物を街へ売りに出かけたが、途中で小役人トゥトナクトにイチャモンをつけられ、売り物を巻き上げられてしまい、領主レンシに訴え出る。

 このクーエンアンプー、農夫とは思えぬ豊かな教養と見事な詩情で流れるように言葉を紡ぎ出すのはいいが、レンシは彼の雄弁が気に入って一計を案じ…

 クーエンアンプーの台詞、たぶん原文は韻を踏んだリズミカルな文章で、今でいうラップに近い感じなんだろう。当時のエジプトに演劇があったどうかは知らないが、巧みな役者が舞台で演じたら、きっとウケたに違いない。主役のクーエンアンプーは相当に難しいけど。今ならミュージカルにすると楽しいだろうなあ。

 最も神話らしい話は、「ホルスとセトの争い」。跡目争いの話だ。

 オシリスが没し、その子ホルスが後を継ごうとするが、オシリスの弟(ホルスの叔父)セトが割り込んでくる。ホルス側はイシス(オシリスの妻でホルスの母)・九柱の神々など、セト側は万物の主。セトは何度もホルスにイチャモンをつけては挑み…

 幾つもの難問を突き付けられてはクリアしていくホルスの姿は、後の英雄物語の元型だろう。にしても女神ハトホルが万物の主に向かう場面や、セトがホルスを家に招くあたりは、この時代ならではのおおらかさ。

 などの明るい作品ばかりでなく、メタルかブルースかって感じの暗い嘆きや不吉な予言の作品があるのも意外。

 「生活に疲れた者の魂との対話」は、まんまブルースの詞になりそうな作品。「仲間たちは邪悪だ/心は貪欲だ/暴虐さが万人に近づいて」なんてフレーズと、「今は誰に語りかけられよう」みたいなリフレインが交互に続いていく。

 対してデスメタルっぽいのが、「イプエルの訓戒」。これも「ほんとうに」のリフレインの後に、「弓手は準備ができている/悪疫は国中にあり/都市は破壊され」など、この世の終わりを感じさせる不吉な言葉が次々と続く。

 確か古代エジプトは絶対王政で、じゃきっと刑罰は厳しいんだろうなあ、なんて思い込みを覆してくれるのが「メリカラー王への教訓」。

 なんと「(たぶん罪人を)殺してはならぬ。(略)鞭打と拘禁とで罰せよ」ときた。ただし「謀反人は別」だけど。また「貴族の子弟と素性卑しきものとをわけ隔てするな。能力によって人をとりたててやれ」とかもあって、人道主義・能力主義は昔からあったんだなあ、と驚いた。リベラルな思想は昔からあって、別に近代の発明じゃないのね。

 教訓物じゃ「ドゥアケティの教訓」が資料的な価値が高い。これは若者に書記を目指せと説く文書で、他の職業の嫌な所を次々と挙げていく。出てくるのは彫刻師・木樵・床屋・葦細工師・陶工・左官・大工・庭師・農夫・隊商・漁師など。

 書記の待遇のよさを語る文書だが、加えて当時の職業がバラエティに富んでいて、分業が進んでいる事がうかがえると共に、ソレナリに職業選択の自由があった事もわかる。

 解説もオタクには嬉しいネタが載ってて、旧約聖書や千一夜物語との関連を示したり、セド祭の死と復活の儀式を解き明かしたりと、その手の話が好きな人にはご馳走の連発。

 元が元だけにスラスラと読める本ではないが、そこはオタクの執念と妄想力が試されるところ。伝説や民話の類が好きな人、ファンタジイのネタを探す人、怪しげな話が好きな人なら、是非読んでおきたい。なんたって、こういう実生活には役に立たない無駄知識こそがオタクの本領なんだから。

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