W.P.キンセラ「シューレス・ジョー」文春文庫 永井淳訳
「きみがそれを作れば、彼はやってくる」
【どんな本?】
カナダ生まれの野球狂作家 W. P. キンセラによる、野球狂に捧げる長編ファンタジイ小説で、映画「フィールド・オブ・ドリームス」の原作。
レイ・キンセラは小さな農場を営む青年。愛する妻アニーと可愛い娘カリンに囲まれたアイオワでの暮らしは気に入っているが、農場の経営は苦しく借金はかさむ一方。ある日、不思議なメッセージに導かれたレイは、トウモロコシ畑の一角を潰して野球場を作り始める。レフトの芝が整い始めた頃、なんとジョゼフ・ジェファスン・ジャクスンが球場にやってきた。そう、あのシューレス・ジョーだ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は SHOELESS JOE, by W. P. Kinsella, 1982。日本語版は1985年発行。のち文春文庫版より1989年11月10日に第1刷発行。文庫版で縦一段組み、本文約367頁に加え、訳者あとがき6頁。8.5ポイント42字×18行×367頁=約277,452字、400字詰め原稿用紙で約694枚、文庫本としては少し厚め。
文章はこなれている。内容も特に難しくないが、プロ野球や高校野球を楽しめる程度には野球のルールを知っている方がいい。特にメジャーリーグを頂点とするアメリカのプロ野球に詳しいと、更に楽しめる。
重要なネタは、あと二つ。いずれも作品中で充分に説明があるので特に前提知識を仕込む必要もないが、気になる人のために余計なおせっかいをやいておく。
まずは作品名にもなっているシューレス・ジョー(→Wikipedia)は、シカゴ・ホワイトソックスの選手。1919年に八百長疑惑で球界追放となる。もうひとつは作家のJ. D. サリンジャー(→Wikipedia)。「ライ麦畑でつかまえて」が有名だが、晩年は作品も発表せずマスコミから隠れて暮らしてた。
でも最も大事なのは知識じゃなくて経験。野球場でドリンク片手に応援した事があれば文句なし。
【感想は?】
熱烈な野球ファンの妄想話。
正直、私は特に野球が好きなわけじゃない。昨年の日本シリーズ勝者も覚えてないし。でも、70年代ごろのロックならわかる。そこのロックおやぢやヘビメタ青年、こんな妄想した事はないか?
ジミ・ヘンドリクス、あっちで何やってんだろ。やっぱバンド組んでんのかなあ。キース・ムーンやフェリックス・パパラルディとつるんだら、とんでもねえ変態な音になるだろうなあ。ロニー・ジェイムズ・ディオも、ランディ・ローズと組んでフィル・リノットとコージー・パウエルを捕まえ…
うひゃあ、涎が止まらん。
そういう妄想の野球版を小説にした、そんな作品だ。「ボクの考えた最高の野球チーム」を作る話と言ってもいい。
主人公はドン詰まりの農家。妻アニーと娘カリンとの暮らしは満ち足りているし、アイオワの土地も気に入っている。ただこのご時世、小さな農場の経営は苦しく、借金で首が回らないってのに、畑の一角を潰して野球場を作るなんてイカれた真似を始める。
それというのも、天啓を受けたから。「きみがそれを作れば、彼はやってくる」。どう考えてもアレな人だが、奥さんのアニーは温かく見守ってくれる。よくできた奥さんだ。
やがてシューレス・ジョーが姿を現すが、当然、野球は一人じゃできない。そこで再び声が聞こえる。「彼の苦痛をやわらげてやれ」。声に導かれ、レイは旅立つ。
こうやってお話の筋書きを取り出すと、主人公のレイは頭のおかしい人みたいだし、本人もそれはわかってる。確かにバカバカしい話ではあるのだ。
それでも、細かい場面の描写が読者を引きこんでいく。冒頭の野球場を作る所でも、寒い冬の間に芝生を労わる方法なんてマニアックなのもあるが、やはり真に迫っているのは野球観戦のシーン。
サッカーと違い、野球はインターバルが多い。だもんで、プレイを観ながらおしゃべりしたり飲み食いしたりして、それが野球観戦の欠かせない味でもある。球場で売ってる食べ物なんて、決して高級なモノじゃないんだけど、やっぱりホット・ドッグは欠かせない。そういう決まりなのだ。
「ボクの考えた最高の野球チーム」を作る話だけに、レイの道中はスカウト道中でもあって、これがちょっとしたロード・ノベルの楽しみを添えている。サリンジャーを連行するために訪れるヴァーモント州ウィンザーの静かな様子もいいが、次の鉱山町チザムは、まさにアメリカならでは。
日本と違い、アメリカの歴史は浅い。だけでなく、国の成り立ちが全く違う。
アメリカはボトムアップでできた国だ。植民者たちが住み着き、地域を収める自治政府を住民たちが自ら作り、それが集まって州になり、州が集まって連邦政府になった。そのためか、住民の町に対する関心も深いし、新聞も地域の小さい新聞が多く、地元の人の結婚や訃報がニュースになる。
ここでレイとジェリーがドックを蘇らせてゆくあたりも、名前だけだった人物が次第に血肉を備え、細かい出来事や困ったクセを伴った人間となってゆくあたりは、人探しの話としてありがちといえばありがちだが、読んでいくと次第にドックとチザムが好きになってくる。
それとは別にアメリカだよなあ、と思うのが、夜のスタジアムに忍び込むシーン。なんと「たぶん西海岸ではまだ試合中ですよ」ときた。アメリカは東西に広いから、時間帯が四つもあるんだよなあ。深夜のプロ野球ニュースとか、どうしてるんだろ?
まあいい。野球ってスポーツの独特な所は、プレーの記録が細かく残っていること。ピッチャーが投げる一球ごとに球種とコースを残す事も出来る。おかげで、この作品じゃベースボール・エンサイクロピーディアが大活躍したり。これに疑問を呈した「マネー・ボール」なんてのもあるけど。
かと思えば、記録に残らないプレイもある。エディが語る、石ころを12個ポケットに入れるショートの話とかは、もう爆笑もの。ったく、何がフェアプレーだw
古き良きアメリカと、それを象徴する野球を、現代に無理やり蘇らせ、「ボクの考えた最高の野球チーム」を創り上げる、ホンワカしたファンタジイ。読むなら野球シーズンの方がいいかも。東京ドームみたいな大きい球場もいいけど、神宮みたいな球場も選手が間近に見えるので違った楽しみがあります。
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