« オリヴァー・サックス「妻を帽子とまちがえた男」ハヤカワ文庫NF 高見幸郎・金沢泰子訳 | トップページ | イアン・ゲートリー「通勤の社会史 毎日5億人が通勤する理由」太田出版 黒川由美訳 »

2017年1月22日 (日)

六冬和生「松本城、起つ」早川書房

おまえは死ぬんだぞ。わかってるのか、加助。そのうえ願いは聞き届けられない。無駄死にに向かって突き進んでいるんだぞ。

【どんな本?】

 2013年の第一回ハヤカワSFコンテストの大賞を「みずは無間」で射止めデビューを飾った新鋭SF作家による、最新長編。

 大学生の巾上岳雪は家庭教師のバイトを生活費の足しにしていた。教え子は大学受験を控えた高校三年の矢諸千曲。松本城で落ち合った二人は、松本城の倒壊事故に巻き込まれ気を失う。

 時は江戸時代、徳川綱吉の治世・貞享三年(1686年)。この年は未曽有の凶作だった。例年の三斗に対し領民は二斗五升へと減免を求めるが、藩は逆に三斗五升と増税を告げる。追い詰められた領民は多田加助を中心として一揆を画策していた。

 目覚めた巾上岳雪は、藩士・鈴木伊織として目覚める。藩主・水野忠直の内偵として、藩内の動静を藩主に報告する役目である。矢諸千曲は、なんと二十六夜神さまとして祀られていた。藩内を見回る巾上岳雪=鈴木伊織は、加助らの窮状を知り、悲劇を避けようと奔走するが…

 貞享騒動(→Wikipedia)、二十六夜神さま(→国宝松本城)、松本城の傾いた天守(→Wikipedia)などの史実と伝説を元に、そこに生きた人々の姿を織り込んで編み上げた、みずみずしい歴史改変SF長編小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2016年7月25日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約259頁。9ポイント43字×18行×259頁=約200,466字、400字詰め原稿用紙で約502枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 SFとしての仕掛けは特に難しくない。タイムトラベルに関して多少ややこしい部分はあるが、それだけだ。わからなくても、「なんかしらんが〇〇が××だと困るんだな」ぐらいに思っていれば充分。

 文章はこなれているが、一部に濃ゆい松本弁が出てくる。一見わかりにくいように思えるけど、コツをつかんだ。声に出して読んでみるか、またはお気に入りの声優の声をあてて脳内で読んでもらおう。文字じゃわからなくても、声だとおおよその意味が掴めたりする。

【感想は?】

 松本版バック・トゥ・ザ・フューチャー。

 「みずは無間」がかなりクセの強い作品だったので、どうなるのかと思ったら、意外や意外、素直に楽しめる娯楽作品だった。

 メイン・ヒロインの千曲ちゃんからして、屈折しまくりのみずはの対極みたいな、明るく気まぐれな天然娘。お祖母ちゃんっ子で、蚕の繭に大喜びしたりする。可愛いじゃないか。アイドルマスターだと、図体だけ大きくなった田舎育ちの双海亜美・真美あたりか?

 などと可愛いのはいいが、役どころが実にツボで、なんと神様だ。それも松本城の守り神である。こんなのが守り神で大丈夫なのか松本城。

 サブ・ヒロインのおしゅんもなかなか魅力的。小柄で色黒、照れ屋の働き者で、近隣を身軽に走り回る気丈な元気娘。やはりアイドルマスターだと菊地真かな? なんでこんな可愛い女の子たちが巾上岳雪なんぞにブツブツ…

 などの輝く女性陣に対し、男性陣はちとくすんでいるのは、巾上岳雪/鈴木伊織の視点で物語が進むからだろうか。

 バック・トゥ・ザ・フューチャーのマーティーが高校生なのに対し、巾上岳雪は大学生。特に野望があるわけでもなく、平穏な就職を望む普通の男。気まぐれな千曲に振り回された挙句に江戸時代に飛ばされ、わけもわからないなりに実直に職務をこなしてたりする。

 天然娘の千曲やSFならではのタイムトラベルといった常識破りの仕掛けに対し、こじんまりしてカチカチの常識人である巾上岳雪が、意外と柔軟かつ現実的に対処しつつ、随所で入れる突っ込みが、語りに軽やかさを加えている。松本芋虫トレーディングスクールには笑った。

 などと笑っちゃいるが、そこはバック・トゥ・ザ・フューチャー。単なるユーモア作品ってわけじゃなく、かなり厳しい場面も、中盤以降は増えてくる。鈴木伊織が使命を持って松本と江戸を駆け抜ける旅とかは、それだけで一つの冒険小説になりそうな場面。

 なのに、アッサリ数頁で終えちゃうあたりが、芸風なんだろうなあ。細かい描写を見る限り、かなり綿密に調べてあるように思うんだけど。あの辺は直線距離じゃ短く思えるけど、実際の道は曲がりくねってるし、そもそも徒歩で一日40km移動するってのは、慣れてないと若くてもかなりキツい。

 平穏な生活を望んでいた普通の貧乏学生が、いきなり投げ込まれた貞享騒動。状況に流されるように勤めを果たしつつ、21世紀へ戻る道を探っていた巾上岳雪/鈴木伊織は、多くの人びとの望みと命がかかった騒動の中で、次第に目的が変わってゆく。

 終盤の伊織に突きつけられる厳しい選択、限られた役割の中で思いを遂げようと動く意外な人々、そして彼らの焦点となる松本城。

 それとなく書き込まれた城内や近隣の風景も鮮やかで、「次の夏には松本に行ってみようかな」とふと思ってしまう、ちょっと切ない歴史青春SF。松本に行く予定のある人は、是非読んでおこう。

【関連記事】

|

« オリヴァー・サックス「妻を帽子とまちがえた男」ハヤカワ文庫NF 高見幸郎・金沢泰子訳 | トップページ | イアン・ゲートリー「通勤の社会史 毎日5億人が通勤する理由」太田出版 黒川由美訳 »

書評:SF:日本」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/201750/64796663

この記事へのトラックバック一覧です: 六冬和生「松本城、起つ」早川書房:

« オリヴァー・サックス「妻を帽子とまちがえた男」ハヤカワ文庫NF 高見幸郎・金沢泰子訳 | トップページ | イアン・ゲートリー「通勤の社会史 毎日5億人が通勤する理由」太田出版 黒川由美訳 »