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2017年1月29日 (日)

吉見直人・NHK取材班「終戦史 なぜ決断できなかったのか」NHK出版

日本の終戦工作は失敗だったし、原爆投下とソ連参戦といういわば「外圧」によって慌てて戦争終結に至るのではなく、それよりも早く、いわば「自律的」に戦争を終わらせるタイミングが存在したし、それは可能だった。
 それが我々のたどり着いた答えである。
  ――プロローグ 「終戦」というフィクション

もし方向転換ができたとしても、その決定が誤りであったとなれば、方向転換をした者に全ての責任が押し付けられる。一方、方向転換をしないということは、皆の合意形成を尊重するということであり、仮にそれで失敗をしたとしても個人に責任を押し付けられることにはならない。
  ――第一章 「ソ連参戦」を日本は知っていた

結局のところ、六、七月の実相として、敵のわずか1/30程度の戦力しか本土にはなかった、というのが井本(忠夫、梅津参謀総長の秘書官)の総括である。
  ――第二章 日本陸軍 終焉の実態

すなわち、当時の陸軍が叫んだ「本土決戦」とは、おそらくただの作文であった。
  ――第二章 日本陸軍 終焉の実態

木戸幸一「今の日本の状態からすればもうかまわない。ロシアと手を握るがよい。英米に降参してたまるものかと云う機運があるのではないか。結局、皇軍はロシアの共産主義と手をにぎることになるのではないか」
  ――第三章 東郷茂徳の「ロードマップ」

多くの関係者が戦後主張した内容のうち、かなりの部分が事実ではない。これまで述べてきたように、当時おそらく政府と軍の責任ある立場にあった多くの者が、にわかには信じがたいが、傍観者であった。「自分ではない誰か」が言い出してくれるのをただ待っていた。
  ――第四章 なぜ決断できなかったのか

【どんな本?】

 日本では1945年8月15日が終戦の日となっている(→Wikipedia)。沖縄戦・本土空襲・原爆投下・ソ連参戦など、戦争末期の三カ月だけでも60万人以上の日本人が亡くなった。敗色は明らかで挽回の望みはないにも関わらず、なぜもっと早く降伏できなかったのか。

 残念ながら国内の重要文書は終戦のドサクサで焼却され、多くは謎に包まれている。しかし幸か不幸か、当時の日本の暗号はイギリスに解読されており、傍受された駐在外交官や陸海軍武官との通信が、イギリス国立公文書館で公開されている。

 これらに加え、生存者の証言や、残された手記・日本国内の公開資料などを元に、戦争末期である1945年6月~8月に焦点を当て、陸軍参謀総長の梅津美治郎と外務大臣の東郷茂徳を中心に、当時の日本の意思決定プロセスを検証する、衝撃のドキュメンタリー。

 2012年8月15日放送のNHKスペシャル番組「終戦 なぜ早く決められなかったのか」の書籍版。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2013年7月25日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約334頁に加え、NHKスペシャル「終戦」チーフプロデューサー内藤誠吾の「あとがきにかえて」4頁。9.5ポイント46字×20行×334頁=約307,280字、400字詰め原稿用紙で約769枚。文庫本なら厚めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も実はあまり難しくないのだが、ちと敷居が高い。というのも、背景である1945年6月~8月の戦争の経過が、ほとんど語られていないので、知らない人には情勢がよくわからないのだ。今なら大体の所はネットで調べられるけど、できれば年表をつけて欲しかった。

【構成は?】

 プロローグではテーマを示し、第一章では傍受電文から内外の事情、第二章は陸軍・第三章は外務省の動きを描き、第四章で結論を示す構成になっている。

  • プロローグ 「終戦」というフィクション
    明治維新・太平洋戦争・現在/映画「日本のいちばん長い日」と、刷り込まれた陸軍像/「クーデター騒ぎ」の実態/「わたくし自身はいかようになろうとも」/戦後利用された「クーデターの恐怖」/終戦史研究の“地殻変動”/終戦史の「三つの間違い/戦後の肉声証言とその信憑性」
  • 第一章 「ソ連参戦」を日本は知っていた
    日本はヤルタ密約を知らなかった?/在外日本武官の諜報ネットワーク/ヤルタ密約を伝える海軍武官電/ソ連参戦を警告するリスボン陸軍武官電/リスボン陸軍武官・松山直樹/陸海軍武官電から読みとれること/ヤルタ密約電は握りつぶされたのか?/情報将校・小野寺陸軍武官の評価/小野寺への奇妙な指令電/スウェーデン王室との和平仲介会談/当時の参謀本部の対ソ判断/小野寺が送ったヤルタ密約電の本当の意味/ホプキンス・スターリン会談でのスターリン発言/参謀本部の判断「ソ連は熟柿的好機を狙っている」/小野寺電は活かされていた?/ヤルタ会談直後の小野寺と参謀本部の往復電/小野寺はヤルタ密約情報をどれだけ確信していたか/「ソ連は直ちに参戦しない」/小野寺電を握りつぶす参謀はいなかった/参謀本部の情報管理術/楽観情報は小野寺からもたらされた?/神格化された小野寺武官/スルーされたヤルタ情報と「ベストシナリオ」/軍を見下していた外務省/「小さい規模」のセクショナリズム/リスボン電は活かされたのか?/遮断された組織、見過ごされた情報/日本型組織の「慣性の法則」/岡本公使の決定的な仕事/神田襄太郎の悲痛な意見電
  • 第二章 日本陸軍 終焉の実態
    陸軍は本気で「一億玉砕」を考えていたのか/梅津美治郎という地味な軍人/梅津美治郎と東郷茂徳/鈴木貫太郎内閣発足・対ソ工作の開始/梅津参謀総長の「終戦工作」/海軍の早期和平工作/梅津を読めなかった和平派/「恬淡軽率」な米内光政の挫折/六月八日の「強硬」決定/「戦争完遂」と「戦争終結」/隠された「第三案」/中間派・梅津の「衝撃告白」/昭和天皇が気づいたこと/継戦不能・陸軍の理想と現実/「水際決戦構想」にみる陸軍上層部の本音/「カカシ」だった関東軍/壊滅状態だった本土防空体制/「陸軍という権威」は既に地に堕ちていた/その時、陸軍はパニックに陥っていた/機能不全に陥っていた軍組織/現実逃避としての「徹底抗戦」/運命の六月二二日/梅津の「ギブアップ宣言」/見過ごされた転換点、埋まらぬ齟齬/「木戸試案」のルーツ/ありえた「六月終戦」/「陸軍・早期講和派」の筆頭格・松谷誠/「陸軍・中間派」梅津の懐刀・種村佐孝
  • 第三章 東郷茂徳の「ロードマップ」
    広田・マリク会談/「スローモー」東郷の謎/統帥部の「東郷詣で」/対ソ工作の何が「手遅れ」だったのか/有末証言の信憑性/対ソ工作は本当に「東郷のゴリ押し」だったのか/「日ソ提携論」という底流/スターリンの確信/対ソ交渉の実現性/「外交上の余裕」/天皇の意向、目覚めた首相/いつも通りの堂々巡り/実現しなかった特使派遣/「空白」の七月/対米英直接交渉という目論見/スタート地点としての「ポツダム宣言」/ジェスチャーとしての対ソ交渉/「対米直接交渉はソ連参戦を誘発する」との意見電/情勢変化を警告する海外電/「スルー」された対米直接対話のチャンネル/「残存戦力」という前提条件/「一撃」をめぐる東郷外相と阿南陸相/「九月終戦」構想/統帥と国務の奇妙な逆転/外交電の絶望的な「甘さ」/東郷の「一撃和平論」/八月九日・180度の方針転換/一撃要請は「ブラフ」ではなかった/八月九日の東郷発言を支えたもの/軍の現状を知らなかった対ソ交渉の関係者たち/東郷は関東軍の現状も知らなかった?/なおも「一撃」に固執した阿南の未練/誤報に踊らされた末期日本軍/梅津が固執した「東郷外し」/結局、何が問題だったのか
  • 第四章 なぜ決断できなかったのか
    鈴木貫太郎首相は何をしたか/「よろしく合戦」/開戦時との共通点/「腹の中はともかく」の問題点/官僚機構の問題/「中間派」と戦争終結/「天祐」発言の無責任さ/「終戦」は誰を納得させるものだったのか/革新官僚の戦後構想/「日本国家再建方策」とは/終戦構想にみる松谷と毛里の相違点/理想のために国民を騙した官僚たち/高木惣吉が革新官僚を警戒した理由/昭和天皇の「決断」の真意と謎/戦後の「功労者レース」/「違和感」の正体/甘い感傷よりも勇敢な反省
  • 資料編/あとがきにかえて/凡例・用語説明等/註

【感想は?】

 正直、かなり細かい話では、ある。が、同時にショッキングな事柄も多く出てくる。

 最初から、強烈なブローをかまされた。それも三連発だ。まずは、終戦に関する私の思い込みを三つ覆してくれる。

  1. 通説:日本はヤルタ密約によるソ連の対日参戦を知らなかった。
    事実:一部の者は情報を掴んでいたが、適切な人に届いていなかった。
  2. 通説:陸軍は一億玉砕に凝り固まり、下手に降伏を言い出すとクーデターが起きかねなかった。
    事実:当時の陸軍の大半は様子見で、本土決戦すらタテマエ論だった。
  3. 通説:日本はソ連の仲介に望みをかけていた。
    事実:むしろ日本の残存戦力を勘違いしていた。

 こういった通説の多くが、半藤一利「日本のいちばん長い日」およびその映画版で流布した、としているのも、ちょっとした驚き。

 ブログをやっていると、ごく稀に一時間ほど極端にアクセスがハネ上がる事がある。記事で扱っているネタをテレビが取り上げた時だ。本好きとしては、映像の影響の大きさを思い知る切ない瞬間だ。私は「日本のいちばん長い日」を見ていないのに、間接的に通説で思い込みを刷り込まれていたわけ。

 本書が主に扱っているのは、陸軍の参謀総長・梅津美治郎(→Wikipedia)と、外務大臣の東郷茂徳(→Wikipedia)。奇妙なことに、首相である鈴木貫太郎(→Wikipedia)の影はとても薄い。自ら先頭に立つタイプではなく、周囲の意見をまとめ上げるタイプだったらしい。

 と書くと梅津美治郎と東郷茂徳が勝手に走ったようになっちゃうが、それも違うようで、両者とも多くの腹案を抱えながら周りの様子を見て、通りそうな案を出す、そんな人みたいだ。

 第一章では、イギリスに傍受・解読された陸海軍および外交官の電文がズラズラと出てくる。もうほとんど筒抜けで、ちと情けなくなるが、同時に大日本帝国が築き上げたスパイ網も見えてきて、野次馬根性を刺激される。ヤルタ会談の中身も多少は掴んでて、結構やるじゃん。でも筒抜けだけどw

 全般として見えてくる、当時の中枢部、特に外相の東郷茂徳の考え方がある。「一発かまして英米がヨロめいた所で和平を切りだそう、それならちったあ向こうも譲るだろう」。

 アホかい。

 なんの事はない、これ開戦時の発想と同じなのだ。開戦時も本気で総力戦に勝てるとは思ってなかった。テキトーに暴れて、こっちが有利な戦況になった所で停戦を切りだそうぜ、である。ところがミッドウェイ以降は負けが続き、ズルズルと後退が続く…将兵や軍属・商船員の屍を後に残しながら。

 ところが、1945年6月の時点では、既に一発カマす余力は軍になかった。が、それを外相に伝えていなかった。ばかりか、軍すら現場の状況を掴んでいなかったフシがある。「軍中央の作戦立案当事者においてすら、実際に現地を見ることでしか実情を正しく把握できない状況にあったことは間違いない」。

 ソ連の出方も、6月時点で「三カ月以内にソ連は対日戦の準備を終える、以降はいつ攻めてきてもおかしくない」ぐらいは掴んでいた様子。だったら戦う前にゴメンしよう、みたいな発想もあったようだ。ポーランドがどうなったか、知らなかったんだろうか。

 このあたりも掘り下げると怖い物が出てきそうだが、残念ながらソ連崩壊による情報公開でも、対日関係の資料はガードが固くて、なかなか出てこない様子。ソ連側の立場で考えると、巧く立ち回れば、労なくして日本を属国にして満州と朝鮮半島も手に入る、格好の機会を逃したわけで、ソ連外交史上の最大のポカでもあり、隠しておきたいんだろう。

仮にそうなっていたら、朝鮮戦争がないかわりに沖縄戦争になるのかな、でもソ連は大規模な強襲揚陸作戦の経験がないし…とか妄想が止まらないから、軍ヲタは罪深い生き物だよなあ。

 などを通してたどり着く結論は、ハッキリ言って愉快なシロモノじゃないし、そこに向かって検証を重ねるプロセスも、相当に地味な作業の積み重ねだ。爽快な気分が欲しいなら、読まない方がいい。だが、この国の将来だけでなく、組織の意思決定プロセスに興味があるなら、充分に読む価値がある。

 賢い人が集まっている筈の会議で、なぜ愚か極まりない結論が出てくるのか。その格好のケース・スタディを、この本は描いているのだから。

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コメント

shinzeiさん、ありがとうございます。
東郷茂徳は外務省の、梅津美治郎は陸軍の生え抜きで、
その発言は外務省・陸軍の意見と解釈されます。
よって会議でも組織を代表する立場が足かせになったでしょう。
そういった組織・制度面の不備は調べる価値がありそうです。

投稿: ちくわぶ | 2017年1月31日 (火) 22時27分

おはようございます。
この本を読むと日本政府および軍部の策のなさに唖然として
日本人であることに自信をなくしてしまいます・・・。
では、
shinzei拝

投稿: shinzei | 2017年1月30日 (月) 07時27分

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