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2017年1月24日 (火)

イアン・ゲートリー「通勤の社会史 毎日5億人が通勤する理由」太田出版 黒川由美訳

通勤はいまでこそ日常的な活動ではあるが、かつては紛れもなく革新的な行為だった。それは過去との決別を意味し、新たなライフスタイルの扉を開く鍵でもあった。通勤の短い歴史の大半において、人々はそれをよきものを考えてきた。
  ――序章 誰もいない土地を抜けて

ヘンリー・フォード「都市の問題は都市を離れることで解決する」
  ――4 自動車の発達

「ロシアに道はない、あるのは方角だけだ」
  ――7 二輪は最高

二十世紀の大半で、通勤は移動の自由と経済成長のバロメーターだった。
  ――8 超満員電車

2004年、IT企業の<ヒューレット・パッカード>は、鉄道利用者に電極付きの帽子をかぶらせ、心臓と脳の活動のさまを測定する実験を行った。その結果、場所を奪い合う通勤者の興奮度と緊張度は、交戦中の戦闘機パイロットや暴徒と対峙する機動隊員と同じくらい高いことが判明した。
  ――12 流れをコントロールする

いまでは世界の電力の10%がIT関連で使用され、それは航空業界全体を合わせた消費量より50%も多いのだ。
  ――13 仮想通勤

【どんな本?】

 満員電車はひどく疲れる。奥に詰めればいいのに出位置口で踏ん張る奴がいるし、揺れる度に人にもたれかかってくる者もいる。痴漢と間違われるのは嫌だから吊革につかまりたいが、一人で二つの吊革を占領する横着者もいる。

 なんだってこんなしんどい想いをして通勤せにゃならんのか。そもそも通勤なんて不愉快な習慣が、なぜ始まったのか。

 通勤なる苦行は、いつ・どこで始まったのか。それは私たちの暮らしや社会をどう変えたのか。国や地域による通勤事情はどう違うのか。公共交通機関・自転車・自動車、それぞれの通勤方法にどんな長所・短所があり、どんな影響があるのか。そして今後の通勤事情はどうなるのか。

 イギリスの鉄道開通に始まり、宅地開発・都市形成や自動車の普及などを通した通勤の歴史と、それが社会・産業そしてライフスタイルに与えた影響を辿り、またイギリス・アメリカ・日本・インドなど世界各地の通勤事情を描きつつ、在宅勤務などを視野に入れた未来の通勤事情を探る、身近ながらも意外なトリビアにあふれた、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は RUSH HOUR : How 500 Million Commuters Survive the Daily Journey to Work, by Iain Gately, 2014。日本語版は2016年4月15日第1版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約339頁。9.5ポイント44字×17行×339頁=約253,572字、400字詰め原稿用紙で約634枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も難しくない。敢えて言えば、必要なのは通勤・通学の経験。酷暑や雪の中でなかなか来ないバスを待ったり、ギュウギュウ詰めの満員電車に苦しんだり、渋滞にハマってイライラした事があれば、更に楽しめる。

【構成は?】

 第1部は歴史篇。時系列に進むので、素直に頭から読むといい。第2部・第3部は各章が比較的に独立しているので、つまみ食いしてもいい。

  • 序章 誰もいない土地を抜けて
  • 第1部 通勤の誕生と成長、そして勝利
    • 1 一日に二度ロンドンへ行った男
    • 2 郊外の発展
    • 3 スネークヘッドと美食
    • 4 自動車の発達
    • 5 中間地域
    • 6 山高帽とミニクーパー
    • 7 二輪は最高
  • 第2部 粛々と通勤する人々
    • 8 超満員電車
    • 9 ロード・レージ 逆上するドライバーたち
    • 10 移動は喜びなのか?
    • 11 通勤が日常生活に及ぼす影響
    • 12 流れをコントロールする
  • 第3部 顔を合わせる時間
    • 13 仮想通勤
    • 14 すべては変わる
  •  訳者あとがき

【感想は?】

 通勤の意外な側面に気づかされる。

 私は大雑把に分けて二種類の通勤を経験した。電車やバスの通勤と、自転車・バイクでの通勤だ。今から思うと、この両者には大きな違いがある。

 電車やバスだと、通勤中に本が読める。自転車やバイクだと、本が読めない。電車やバスだと自然に本を読む時間が取れるが、自転車やバイクだと意識しないと本を読む時間が取れない。これは私だけじゃないらしい。

 通勤なる習慣は、イギリスでの鉄道の発達に伴って普及し始めた。三等車の庶民は乗り合わせた者同士で仲良くダベっていたが、一等車の紳士淑女はダンマリだったそうな。かといってずっとダンマリなのも気まずい。そこで活用されたのが、活字。

望まない会話を防ぐ最良の手段は書物と新聞だった。
  ――1 一日に二度ロンドンへ行った男

 この流れは現代でも続き…

通勤しない人はかなり前から本を読むよりテレビを観るようになったのに対し、通勤者はいまでも読書習慣を保ち続けている。
  ――11 通勤が日常生活に及ぼす影響

 と、通勤ある限り本の需要も続くようだ。もっとも今は紙の本を読む人は減り、スマートフォンで電子書籍を読む人が目立ってきてるけど。まあ確かにデカくて重たいハードカバーを通勤電車の中で開くのは無理だしねえ。

じゃ自動車通勤の人は本を読まないのかというと、ネイサン・ローウェルの「大航宙時代」の解説によれば、アメリカじゃ自動車通勤者向けにオーディオ・ブックが流行っているそうな。

 鉄道の発達は都市から離れた所、すなわち郊外の宅地需要を掘り起こす。そして人は「もう一つの人生」を手に入れる。地元の暮らしと、都会の暮らしだ。これが結婚や家族にも関わってくるから面白い。若者が早く親から独立し、核家族化が進んでゆくのだ。

 これがアメリカだと、T型フォードに代表される自動車が郊外の発展の原動力となる。当時のアメリカじゃ自動車は環境にやさしい乗り物だったのだ。少なくとも、馬車に比べれば。

1899年<サイエンティフィックス・アメリカン>誌
「街全体で自動車を使用すれば、どれだけ効率的に環境が改善されることか、評価してもしきれない。通りは清潔になり、ちりも悪臭もなくなる」
  ――4 自動車の発達

 対してイギリスでは自転車が大流行で、自転車専用道路の要望が上がっている。これも意外なんだが、自転車専用道路を望んだのはドライバーで、サイクリストは反対している。出ていくべきは自動車だろ、って言い分。当時はサイクリストの方が声が大きかったのだ。羨ましい。

 これはイタリアでも同じで、自転車泥棒(→Wikipedia)なんて映画ができるぐらい、自転車が流行った…第二次世界大戦後あたりまで。この先が実にイタリアで、画期的な手段が出てくた。ヴェスパだ。これまた映像が関わってて、「おかげでヴェスパは売上を十万台伸ばした」。そう、松田優作主演のTVシリーズ「探偵物語」…じゃない、グレゴリー・ペック&オードリー・ヘップバーンの映画「ローマの休日」。

 公共交通機関が都市化を促し、自動車の普及が渋滞を引き起こすのは、世界のどこでも共通の現象だが、先進国では再び自転車が注目を集めている。

アムステルダムやコペンハーゲンのような、ヨーロッパの平坦な都市や狭い都市では、通勤者の1/3が自転車を利用しており…

 と、自転車への回帰が始まっている。これは日本でもそうだよね。ただ、かなり汗かくんで、シャツをもう一枚余計に持って行かなきゃならないけど。

 日本の満員電車も酷いが、インドは更に過酷で、「<ムンバイ近郊鉄道>の通勤路線では毎日平均十名が死亡する」というから大変だ。なんたって、屋根の上にまで乗ってるんだから。当然黒字だろうし金で解決できりゃするんだろうけど、土地の収用とかややこしい問題が多いんだろうなあ。

 こういう問題は世界のどこも同じなんだが、「残念ながら、快適性と利便性の追求は政策立案者や輸送計画の主たる関心事ではない」のが実情。日本でもリニアモーターの路線は話題になるけど、満員電車を話題に挙げる政治家は小池百合子都知事ぐらいなんだよなあ。

流石に二階建て列車はトンデモだと思うが、満員電車を問題視した点はポイント高いと思う。

 日本に関しても、スーパーカブから恋空、イメクラの痴漢プレイまで調べてて、著者の視野の広さを感じさせる。他にもサンセリフ体がロンドン地下鉄由来だったり、ソ連じゃ都市から農村に通勤してたり、運転手や駅員にインタビュウしてたり、話題は広くて豊富。

 ソフトカバーとはいえ単行本なためサイズ的に満員電車で読むには少し辛いが、次から次へと話題が変わってゆく流れは車窓からの眺めにも似ているし、短いエピソードが続く構成は通勤電車で読むのにも向いている。親しみやすくバラエティ豊かで、とっつきやすいわりに視野を広げてくれる本だった。

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