マット・リヒテル「神経ハイジャック もしも『注意力』が奪われたら」英知出版 三木俊哉訳
「何があったんですか?」とレジーは訊く。
男は蹄鉄工のカイザーマンだった。彼が答える。「あんたがあの車にぶつかったんだ」「注意は有限な資源である」
双方向メディアはなぜそれほどまでにわれわれの注意を引きつけるのか――。
運転中にメールをすると衝突のリスクが六倍になる、と彼はくり返した。一方、運転中に電話するとリスクは四倍になる。これは血中アルコールが法定基準以上のドライバーと同水準である。
「どれくらい複雑な交通事情かにもよりますが、『送信』ボタンを押してから15秒ないしそれ以上たたないと、正常な状態に完全復活できないかもしれません」
児童虐待などの裁判はたいてい検察側が負ける、と彼は言う。人間どうしがいかに恐ろしい行為に手を染められるか、その現実を人々が認識できないのだ。
【どんな本?】
2006年9月22日朝、ユタ州で起きた交通事故で二名が亡くなる。事故の原因となったドライバーは、何が起きたのかさえロクにわかっていなかった。運転中に携帯電話でメールをやりとりしていたらしい。
この事故をきっかけに、多くの人が動き始める。事故の原因となった運転手のレジー・ショーとその家族、被害者二名の遺族、事件の捜査を担う警官のバート・リンドリスバーガー。
加えて被害者遺族を支援するテリル・ワーナーは、事件の真相を探るため駆け回り、神経学者や心理学者を巻き込み、やがては州の議会まで動かしてゆく。
私たちの暮らしに入り込んできた携帯電話などのテクノロジーは、ヒトの脳にどんな影響を与えるのか。それは生活や自動車の運転にどう関係してくるのか。その関係を科学者たちはどうやって調べ、何がわかってきたのか。私たち人間はテクノロジーと共存できるのか。
そういった科学トピックばかりでなく、事故を起こした若者レジー・ショーの過酷な運命、粘り強く戦い続けたテリル・ワーナー、事故で家族を失ったオデル家とファーファロ家などの個性的な人々とその運命の変転、そして交通事故の捜査や法的処理なども加え、いつ私たちに降りかかってもおかしくない交通事故が引き起こす混乱を描く、身近で迫真の科学ドキュメンタリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は A Deadly Wandering : A Tale of Tragedy and Redemption in the Age of Attention, by Matt Rechtel, 2014。日本語版は2016年6月25日第1版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約498頁に加え、訳者あとがき5頁+小塚一宏の解説8頁。9ポイント43字×18行×498頁=約385,452字、400字詰め原稿用紙で約964枚。文庫本なら上下巻に分けてもいい分量。
文章はこなれている。内容も特に難しくない。米国が舞台なので法律関係が日本と違うが、必要な説明は文中にあるので知らなくても大丈夫。
特にスマートフォンや携帯電話が手放せない人は必読。
【構成は?】
お話は時系列順に進むので、素直に頭から読もう。
プロローグ
第Ⅰ部 衝突
第Ⅱ部 審判
第Ⅲ部 贖罪
エピローグ
おわりに
謝辞/訳者あとがき/解説/索引
【感想は?】
だいぶ前から歩きスマホが話題だし、運転中にポケモンGOで遊んでいて事故を起こす(→ハフィントンポスト)なんてニュースもあり、かなりホットな話題だ。それだけに時流に乗った本みたいだし、そういう部分もあるが、内容の半分以上は10年後でも輝き続けるだろう…残念なことに。
主題は簡単だ。運転中に携帯電話でメールをやりとりしていた若者が交通事故を起こす。その事故に関わった人たちに取材したドキュメンタリーだ。
啓蒙書としての結論はわかりやすい。携帯電話やスマートフォンは注意力を奪う。送信ボタンを押しても15秒ほどはドライバーの意識が運転に向かず、注意散漫になる。通話だけでも飲酒運転並みに危ないし、メールだと飲酒運転より5割方危険が増す。本書には書いてないが、LINEも似たようなモンだろう。
なぜメールがヤバいのか。ヒトの注意力には限りがあるからだ。注意力には大雑把に二種類あって、片方が増えるともう一方は減る。
第一は予定をこなす注意力。カレーを作ろうとしてニンジンを洗い皮をむき一口サイズに切り…など、目的に向かい手順をこなすもの。
そこに電話が鳴る。ここで第二の注意力が動き出す。鳴った電話に出ようと、突発的で予定とは違う問題に対処するための注意力だ。
プログラマなら、定型処理と割り込みとでも言うだろう。
ヒトは野生で進化してきた。突発的な事柄は命に関わる場合がある。捕食獣が襲ってきたら、急いで逃げなきゃいけない。だから、第二の注意力=割り込みの方が優先順位が高い。アクシデントが起きると、それに頭を奪われ、予定をこなす第一の注意力は落ちる。
とか書くと難しそうだが。
仕事中や勉強中に、やかましい物音や妙なにおいがしてきたら、集中できないよね。いわゆる「気が散る」状態。で、原因の音や匂いがおさまっても、元の集中を取り戻すには時間がかかる。注意力や集中力ってのは、どこかに集まれば他が疎かになるってのは、誰でも経験してると思う。つまりヒトが一時期に使える注意力には限りがあるわけ。
で。一般に携帯電話の操作は第二=割り込み型の注意力を主に刺激する。ヒトは第二の注意力の方が優先順位が高いので、注意力の多くを携帯電話が奪い、その分、運転の注意力が減る。おまけに、メールを送った後も暫くは戻らない。そこに子供が飛び出して来たら、どうなるか。
などと改めて書くまでもなく、みんな「ながらスマホは危ない」ぐらいは、ウスウス気づいてる。でもやめられない。これが最もヤバい所。わかっちゃいるけどやめられないのだ。要はアル中と同じ。中毒になっちゃう。これも、ヒトの進化の副作用。
ヒトは社会的動物だ、と言われる。実際、脳もそういう構造になっていて、他のヒトと情報交換するとキモチイイのだ。特に相手が見知った人だと。SNSやLINEが流行るのも当然だろう。お陰で私のブログは閑古鳥だがブツブツ←いやそれ単に記事がつまらないからだろ
そういえば「文明と戦争」か「昨日までの世界」か「繁栄」に、未開人はのべつまくなしにゴシップを交換してる、みいたいな話が載ってた。そうするように、脳が仕向けているわけだ。
なんにせよ、ヒトって生き物は携帯電話やスマートフォンにハマりやすくできてるわけで、それが走る凶器である自動車と合体したらどうなるかは、ご想像の通り。
ってな科学の話だけでなく、事故の当事者たちの人生を丹念に追い、交通事故がもたらす運命の激変もつぶさに描き出すのが、本書のもう一つの読みどころ。結局のところ、事故のせいでみんなが苦労をしょい込む羽目になってるんだが、それは読んでのお楽しみ。とりあえず、携帯が手放せない人は、今のメールと家族、どっちが大事か考えましょう。
中でも魅力的なのが、テリル・ワーナー。彼女がもう一人の主人公と言っていい。幼い頃の過酷な運命と、それに立ち向かう強い心。やがて成長した彼女は、傷ついたものを守り不正を正す仕事に情熱を燃やす。それこそ冒険小説や漫画の主人公みたいな、強さと優しさを備えた、最高にカッコいい人。人妻だけどねw
ぶ厚い本だけに、内容も多岐にわたる。交通事故の法的処理にかかる手間の凄まじさも驚きだし、携帯電話の使用履歴の捜査も意外。モルモン教の影響が濃いユタの社会も軽いセンス・オブ・ワンダーだし、児童虐待事件の告発の難しさは別の意味で辛く悲しい。
携帯電話やスマートフォンが手放せない人や自動車を運転する人ばかりでなく、スマートフォンを欲しがる年頃の子供がいる人も、読めば大きなショックを受けるだろう。
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- ジェラルド・J・S・ワイルド「交通事故はなぜなくならないか リスク行動の心理学」新曜社 芳賀繁訳
- 西成活裕「渋滞学」新潮選書
- 書評一覧:科学/技術
【おまけ】
♪ ちょいとチェックの つもりで覗き
いつのまにやら 送信中
気がつきゃ画面は 会話の嵐
これじゃ周りが 見えるわきゃないよ
わかっちゃいるけど やめられね
植木等さんごめんなさい
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