ニール・マクレガー「100のモノが語る世界の歴史 2 帝国の興亡」筑摩選書 東郷えりか訳
これは簡単な球技ではなかった。ゴムボールは重く――3、4キロから15キロ近いボールまであった――球技の目的はそれを空中に放りつづけ、最終的にコートの敵陣側の端に落とすことだった。
――38 球技に使われる儀式用ベルトわれわれのなかでツァラトゥストラが実際に何を語ったのか、あるいは彼が誰だったのかすら知っている人は少ない。
――43 シャープール二世の絵皿硬貨に支配者の肖像を描く伝統は、それより1000年近く前のアレクサンドロス大王の時代から、中東一体で馴染み深いものだったが、それが決然と放棄され、文書のみの硬貨が第一次世界大戦まですべてのイスラーム諸国では標準でありつづけた。
――46 アブド・アルマリクの金貨私が敢えて「諸宮殿」と言うのは、アッパース朝のカリフはどうも宮殿を使い捨てする傾向があったようだからです。
――52 ハレム宮の壁画の断片往来皆此路 往来する人はみなこの道を通るが
生死不同帰 生者と死者はともに帰りはしない
――55 唐の副葬品
ニール・マクレガー「100のモノが語る世界の歴史 1 文明の誕生」筑摩選書 東郷えりか訳 から続く。
時代が進むに従い、ヒトが作る社会は大きくなり、国家の枠組みがハッキリしてくる。そのためか、「1 文明の誕生」ではでは「使う」ための物が多かったのに対し、次第に「見せびらかす」目的を持つ物が多くなり、また宗教的な意味合いを持つ物も出てくる。
【国営企業】
「34 漢代の中国の漆器」は、漆塗りの杯。なんと30回以上も重ね塗りしてあって、当時は青銅の杯10個以上の価値があったろう、としている。いかにも中国らしいのは、携わった六人の職人と製品検査官七人の名が記されていること。ブランドとしてなのか、責任を明確にするためなのか。
ここから、漢王朝の経済構造が見えてくるのが、歴史の楽しい所。漢代では、「政府は主要な産業のいくつかは国有化していました」。その目的の一つは、侵入してくる北方・西方の蛮族に対抗するための軍事費。もともと、中国は共産主義と相性がいいらしい。
もっとも「『塩』の世界史」では、いろんな国が製塩や塩の流通が重要な税収源としてるんで、昔から権力者は主要産業を管理したがる性質があるのかも。
【恋人たち】
「36 ウォレン・カップ」は、なかなか強烈。エルサレム近くから出てきた、西暦5~15年あたりの銀のゴブレット。いろいろあってエドワード・ウォレンの所有となった。が…
ウォレンは1928年に死去したが、その後何年もこれは売却できなかった。題材がどんな収集家にとってもあまりにも過激だったためだ。
大英博物館もフィッツウィリアム博物館も買おうとせず、「一時はアメリカ合衆国にすら入国を拒否された」。なにせ模様が恋人たちのアレなナニってだけでなく…。まあ、確かに宴会でこんなモン出されてもアレだしなあw
【アメリカ】
続く「37 北米のカワウソのパイプ」では、北米先住民の意外な姿が明らかとなる。というのも、副葬品が…
ロッキー山脈のハイイログマの歯、メキシコ湾からのソデボラ科の巻貝、アパラチア山脈からの雲母、五大湖からの銅
と、北米各地の品が一か所からでてきた。彼らは北米大陸全体に交易ネットワークを持っていたらしい。農業も営み定住してたのに、なぜ国家にならなかったんだろう?
その次の「38 球技に使われる儀式用ベルト」でっは、メキシコにも球技があった事がわかる。Wikipedia によるとテニスも起源は紀元前15世紀のエジプトに遡るというから、球技は世界各地で発生したみたいだ。
【大宗教のはじまり】
「42 クマーラグプタ一世の金貨」では、ヒンドゥーの誕生が語られる。複雑怪奇で曖昧模糊としたヒンドゥーの体系だが、ルーツはハッキリしているのだ。生みの親はクマーラグプタ一世。その権威を確立するために多くの寺院を建て、神々の彫像や絵画を飾り、硬貨にもラクシュミーを彫った。
絵や像などのヴィジュアルが伴えば、説得力が増す。「彼とその同時代の人びとは、実質上、神々を新たにつくりだしていたのだ」。とすると、いつかはゴジラも神になるんだろうか?
「43 シャープール二世の絵皿」では、いきなり己の無知を思い知らされる。ツァラトゥストラ、ペルシャ語でザラスシュトラ。しかしてその実態はっつーと、ゾロアスター。実在すら定かじゃないが、いたとすれば「中央アジアのステップに紀元前1000年ごろ生きていたと思われます」。
多くの穀物や栽培植物のルーツと言われる中央アジアは、アブラハムの宗教のルーツでもあるのか。正義と悪の戦いという二元論的な世界観の思想が流行ったお陰で、中東は大変な事になってるんだけど。
対して「45 アラビアのブロンズの手」が示す古代の宗教だと、「神々はその土地だけに責任を負う傾向があ」る。日本でも、神社は土地に属するものって雰囲気があるなあ。このイエメンから出た青銅の手、手首から先だけなんだが、やたらとリアル。
モデルの手は切り落とされたのか、それとも生きてる手を象ったのかを調べるため、なんと整形外科医に診断を仰いでるw 博物館って、そういう事もするのか。診断によると、血管が浮いてるから生きてる手だが、爪が窪んでるから貧血かも、それと華奢だから労働者じゃないね、とのこと。
どこでも普及の初期の宗教は大らかだったようで。「50 蚕種西漸図」の舞台は中国の西域、現新疆ウイグル自治区のホータン(和田、→Wikipedia)。この章の冒頭を飾る絹のお姫様の話も魅力的だが、発掘された仏教寺院群には「仏教、ヒンドゥー教、イランの神々や、この地元だけの神々の絵もあった」。
シルクロードの中継地点で各地の商人が出入りしたから、多様な顧客の要望に応えるって意味もあったんだろうなあ。
【写真の凄み】
多くのカラー写真が載ってるのが、このシリーズの魅力の一つ。
「54 ターラー像」はスリランカのブロンズ像で、女神さまを象ってるんだが、スタイルが凄い。漫画「ワンピース」に出てくる成人女性みたく、ボン!ギュッ!ボン!なのだ。これじゃ煩悩が溜まるばかりじゃないか、と思ったら、観音様だとか。でも日本の観音様とは全く違うぞ。
やはり迫力があるのが、ナイジェリアで出た真鍮の「63 イフェの頭像」。1400~1500年ぐらいのシロモノだが、とっても精巧でリアルなのだ。これが出たのは20世紀初頭で、ヨーロッパ人は驚いた。「アフリカの黒人にこれほどの文明があった」とは。
芸術の価値なんて主観的なものだから、幾らでもゴマカシが効くだろうと考える人もいるかもしれない。でも、この像は、一目見ればそのリアルさと迫力に圧倒されて、嫌でも認めるしかない。芸術が持つ力が充分に伝わってくる、見事な像だ。
それでも人間てのは愚かなもので、この像を見つけたドイツの人類学者レオ・フロベニウスは珍説をひねり出した。曰く伝説のアトランティス島はナイジェリア沖に沈み、その生き残りがナイジェリアに辿りつき、これを造ったんだ、と。
人間、一度思い込むと、なかなか抜け出せないようで。
【チャイナ】
「64 デイヴィッドの花瓶」では、染付の意外なルーツが語られる。
なんと、「実際にはイランからのものだ」。これがチンギス・カンの侵略で「イランを中心に、中東各地の窯業は打撃をこうむり破壊された」。ポッカリあいた市場の穴を、中国が埋めて乗っ取っちゃったって形。うーむ、抜け目ないなあ。
という所で、次の記事に続く。
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