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2016年10月の13件の記事

2016年10月30日 (日)

アンヌ・モレリ「戦争プロパガンダ10の法則」草思社文庫 永田千奈訳

…あらゆる戦争に共通するプロパガンダの法則を解明し、そのメカニズムを示すことが本書の目的である。
  ――ポンソンビー卿に学ぶ

条約というのは、その効力によって有利な条件が保証される側にとってこそ不可侵なものであるが、条約を破棄したほうが有利になる場合には「紙切れ同然」のものなのだ。
  ――第2章 「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」

非常に好戦的な者たちこそ、自分たちが哀れな子羊であるかのようにふるまい、争いごとの原因はすべて相手にあるのだと主張する。
  ――第2章 「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」

戦争の真の目的は国民には公表されない。
  ――第4章 「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」

どの国も、自分たちが使う可能性のない兵器(または使うことができない兵器)だけを「非人道的」な兵器として非難するのだ。
  ――第6章 「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」

【どんな本?】

 戦争は最も重要な国家の政策だろう。そのためか、戦争となると、国家はあらゆる手を尽くして国民を煽り、戦意高揚を図る。

 その際、国家はどのような手を使うのか。どんな者にどんな役割を割り当て、どんなイベントを起こし、どう脚色・演出し、どんなストーリーを描き、どんな論法を使い、何を隠すのか。

 アーサー・ポンソンビーの著書「戦時の嘘」を元に、第一次世界大戦・第二次世界大戦・冷戦・湾岸戦争・コソヴォ紛争などで使われた実例を多く集め、民意を戦争へと向かわせるプロパガンダの手口を暴く問題提起の書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Principes elementaires de propagande de guerre, by Anne Morelli, 2001。日本語版は2002年に草思社より単行本を刊行。私が読んだのは2015年2月9日第1刷発行の草思社文庫版。文庫本で縦一段組み、本文約166頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント38字×16行×166頁=約100,928字、400字詰め原稿用紙で約253枚。文庫本ではだいぶ薄い部類。

 文章はこなれている。内容も特に難しくないが、例の多くが第一次世界大戦・第二次世界大戦・湾岸戦争・コソヴォ紛争なので、そのあたりに詳しいと実感がわく。

【構成は?】

 各章は穏やかにつながっているが、興味のある所だけを拾い読みしても充分に意味は通じる。

  • ポンソンビー卿に学ぶ
  • 第1章 「われわれは戦争をしたくない」
  • 第2章 「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
  • 第3章 「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
  • 第4章 「われわれは領土や覇権のためではなく、
    偉大な使命のために戦う」
  • 第5章 「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。
    だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
  • 第6章 「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
  • 第7章 「われわれの受けた被害は小さく、
    敵に与えた被害は甚大」
  • 第8章 「芸術家や知識人も、
    正義の戦いを支持している」
  • 第9章 「われわれの大義は神聖なものである」
  • 第10章 「この正義に疑問を投げかける者は
    裏切り者である」
  • ポンソンビー卿からジェイミー・シーまでの流れをふまえて
  • 訳者あとがき/原註

【感想は?】

 実のところ、目次が内容を綺麗に要約している。そのまんまの本だ。

 各章の中身は、賞の見出しに沿う例を並べているだけと言っていい。だから、面倒くさがりな人は目次だけ読めば充分だろう。

 が、ニワカ軍ヲタにとっては、豊富に並んだエピソードに大きな価値がある。無駄にエピソードを覚えてこそヲタクなのだ。それを自慢げに披露しても嫌われるだけなんだが、懲りないのがヲタクという生き物なんだからしょうがない。

 例えば、第一次世界大戦。ベルギーを占領したドイツ軍は、子どもたちの手を切り落とした。酷い話だ。この話を聞いたアメリカ人富豪が、被害者を探すため終戦後ベルギーに使いを送る。

 が、結局、被害者は見つからなかった。もともと、作り話だったのだ。

 敵を極悪非道の鬼畜にしたけあげ、味方の側には悲惨な目に合った可哀想な被害者を創り上げる。そういえばイラク戦争でも、油まみれの鳥の写真がサダム・フセインの悪行のシンボルとして注目を浴びた。

 遠く中東まで行く必要はない。日本でも太平洋戦争では鬼畜米帝と宣伝し、それが祟って南方では投降を許さず不必要に将兵を飢え死にさせた上に、サイパンや沖縄では民間人まで無駄に巻き添えにした。そもそも日中戦争のきっかけがヤラせだし。

 「空襲」が「空爆」にかわったのも、印象を操るのが目的だ。第二次世界大戦での空襲の記憶を持つ人は多い。それを空爆と言い換えて、「現代的で無機的」なイメージにスリかえようとしている。まあ、最近は空爆が定着しちゃったんで、むしろ空爆の方が生々しい印象になりつつあるけど。

 NATOによるユーゴスラヴィア空爆の記録も驚きだ。NATOの公式発表では戦車120台を破壊となっている。が、アメリカ国防総省の正式発表だと、確認されたのは14台。

 などの戦争報道については、最近じゃ広告代理店まで絡んできて、更にテクニックに磨きがかかっている様子。

 などと戦争に拘ると、私たちにはあまり関係がないように思える。が、落ち着いて考えると、身近なところで頻繁に使われているし、インターネットにも同じ手口が満ち溢れているのがわかる。

 それが最もあからさまなのが、ヘイトスピーチだろう。日本に住む外国人を徹底した悪役に仕立て上げ、自分たちは哀れな被害者を装う。自分たちの挑発は「仕方なしの防衛」と棚に上げ、反撃してきた相手の暴言・暴力だけをあげつらう。

 極端な思想信条に入れ込んだ、特別に変わった人だけが、こういう手口を使うならともかく、国民の代表が集う議会でも、与野党ともに同じテクニックを使っているんだから、なんとも。

 いわゆるいじめやパワハラでも、この本のテクニックが駆使される。臭いとか汚いとか和を乱すとか、いじめる相手にイチャモンをつけて悪役に仕立て上げ、自分は正義の味方を気取る。取りまきとツルみ、いじめに参加しない者には仲間外れの脅しをかけ、共犯関係に巻き込む。

 そう考えると、幼い子供ですら同じテクニックを使いこなしているわけで、別に戦争プロパガンダに限らず、実は人間の本質的な性質を語る本なのかもしれない。

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2016年10月28日 (金)

SFマガジン2016年12月号

VR元年…?
それを12月に教えられても!!
  ――表紙

SFに求めるものは人間の頭をおかしくさせることだ。
  ――草野原々インタビュウ

 376頁の標準サイズ。特集は二つ。VR/AR,第4回ハヤカワSFコンテスト受賞作発表。だがVR/AR特集はいきなり表紙で台無しにw 小説はなんと豪華12本。

 まずはVR/AR特集として5本。柴田勝家「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」,ケン・リュウ「シミュラクラ」古沢嘉通訳,ヒュー・ハウイー「キャラクター選択」大谷真弓訳,ジェフ・ヌーン「ノーレゾ」金子浩訳,ニック・ウルヴェン「あなたの代わりはいない」鳴庭真人訳。

 続いて第4回ハヤカワSFコンテストの優秀賞受賞作の抜粋が2本。黒石迩守「ヒュレーの海」,吉田エン「世界の終りの壁際で」。

 連載も2本。夢枕獏「小角の城」第41回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第12回。加えて読み切りが3本。谷甲州「航空宇宙軍戦略爆撃隊 前編」,上遠野浩平「最強人間は機嫌が悪い」,宮沢伊織「八尺様サバイバル」。

 柴田勝家「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」。中国南部の雲南省からベトナム・ラオスにかけて住む少数民族スー族は、生まれてすぐヘッドセットをつけ、VRの中で一生を送る。彼らが暮らすVR世界については秘儀とされ、外部の者には知りえない。

 文化人類学の論文の形を模して、ヘッドセットをつけたまま暮らす少数民族の社会と生活を描きだす。「ピダハン」や「コンゴ・ジャーニー」とかを読むと、現実の文化人類学のフィールドワークでも、調査対象の人々がモノゴトにどんな意味づけをしているかは、なかなかわかんなかったりする。私にとってはタダの列車でも、鉄っちゃんにはE235だったりするし。

 その柴田勝家による、「『アイドルマスター シンデレラガールズ ビューイングレボリューション』体験記 星の光の向こう側」が熱い。というか暑苦しいw 年季の入ったプロデューサーでもある柴田勝家が震え泣き叫び、ついにはマシンの限界すら越えてしまう。ある意味、稀有なテスター(製品検査官)だよなあ。心置きなく楽しむには防音・防振設備の整った部屋が要るのかも。

 ゲーム・デザイナーで AR performance を手掛ける内田明理インタビュウ「ARがもたらす“一期一会”」。予め全部をプログラミングしてるのかと思ったら、そんなチャチなモンじゃなかった。曰く「簡単に言うと、人形浄瑠璃なんですよ」。一つのキャラクターを表情・身体・声・ダンスなど、チームで創り上げているとか。今でもCMなどで手だけのモデルさんがいるらしいが、そういう感じなんだろうか?

 ゼーガペインADBデザインディレクター ハタイケヒロユキ インタビュウ。SFを映像化すると、設定が変わる場合があるが、その事情を分かりやすく説明してくれる。「集団作業なので、全員がシェアできる視覚的表現にしないといけない」。チームみんなが理解できるようにしなきゃいけないわけ。

 ケン・リュウ「シミュラクラ」古沢嘉通訳。ポール・ラモリアはシミュラクラ技術を創り上げ、世界的な成功を治める。その時の対象人物について、姿かたちを完全に記録し、三次元的に再生できる。おまけに単なる記録ではない。だが、その技術が元で娘のアンナとは疎遠になってしまい…

 ポールとアンナへのインタビュウの形で進む。読み終えて冒頭に戻ると、別の仕掛けが見えて驚いた。さすが業師ケン・リュウ。娘のいるお父さんには、かなりキツい作品。

 ヒュー・ハウイー「キャラクター選択」大谷真弓訳。赤ちゃんが寝ている合間に、ゲームを楽しむ妻。戦場にいる兵士となり、ミッションをこなす。そこに夫のジェイミーが帰ってきた。怒るどころか、ゴキゲンだ。これは彼のお気に入りのゲームで…

 忙しい子育ての合間に息抜きで戦闘ゲームを楽しむ奥様のプレイスタイルは、ゲームマニアなジェイミーと全く違い… 同じゲームでも人によりプレイスタイルはそれぞれ。高軌道幻想ガンパレード・マーチでも、仲人プレイなんてのを開拓した人がいる。こういう発想の豊かさは凄いな、と感心したり。

 ジェフ・ヌーン「ノーレゾ」金子浩訳。金持ちは高解像度の視覚を得て、貧乏人は低解像度な上にウザいポップアップ広告に悩まされる世界。トムはバイクに7台のカメラを積み世界を映す仕事で稼いでる。仕事中は高解像度の視覚を得るが…

 狭いモニタで苦労しつつブログの記事を書いてる身としては、とっても身につまされる作品。質の低い回線で Youtube の動画を見る時のように、カクカクとコマ落ちした感じで現実を認識する感覚を、独特の文体で巧く表している。

 ニック・ウルヴェン「あなたの代わりはいない」鳴庭真人訳。パーティからパーティへと飛び回り、多くの人びとと出会うが、大半の人とは二度と出会うことはない。そんな日々を過ごすクレアが、そのパーティで出会ったバイロンは何かが違った。

 優雅で贅沢、でもどこかチグハグ。物語は仮想現実の世界で、登場人物はそのキャラクターらしい。おまけに、彼らはうっすらとソレを自覚している。ちょっと飛浩隆のグラン・ヴァカンスを思わせる設定。美味しいものが食べられないのは哀しいが、そもそも彼らは「食べる」って感覚がないんだよなあ。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第12回。バロットのパーティは終わり、再び任務へと戻るイースター・オフィス。市会議員のモーモントと共に、ヴィクトル・ベルトコン市長への陳情に向かう。その頃、ハンターらは新たな一手を打ちつつあった。

 各登場人物の陰険さが楽しい回。静かに主導権を争うブルーとイースター、市政でのポジションをめぐるモーモントとベルトコン。そして後半はやはりハンターらクインテットが着々と駒を進めてゆく。今回のラストは実に衝撃的で絶望的。ここまで見事だと、ハンターを応援したくなるw

 谷甲州「航空宇宙軍戦略爆撃隊 前編」。航空宇宙軍大学校に在学中から、第二次外惑星動乱の危険に気づき、論文で警告を発してきた早乙女大尉。大学課程修了後は閑職に回されたが、外惑星連合の奇襲攻撃で事情が変わり、特務艦イカロス42の艦長として転勤となり…

 参謀本部へと向かう出世街道からヨレてしまった、元エリートの早乙女大尉。調査・分析などのペーパーワークを得意としてきた彼が、いきなり最前線に突っ込まれる話。ガチガチの石頭かと思ったが、意外と順応性は高いあたりは、さすが元エリート。にしても特務艦って所が怪しさプンプンでw

 上遠野浩平「最強人間は機嫌が悪い」。世界中のVIPが集まったサミット会場が占拠された。立てこもったのは“最強人間”。その要求に応えるため、製造人間ウトセラ・ムビョウはカレイドスコープと共に会場に向かうが…

 ブギーポップ世界に連なる作品。著者らしい、意地悪いながらも妙に脱力した会話が楽しめる作品。なんたって相手は“最強人間”。ハッキリ言ってバトルじゃ無能なムビョウが、口先三寸で“最強人間”をかわす…ってのとは、ちょっと違うような。

 宮沢伊織「八尺様サバイバル」。先の“くねくね”騒動で、空魚と鳥子の身体に異変が起きた。原因を探り対策をたてるために、二人は再び裏世界へと向かう。今度は空魚も充分に装備を整え、例の枠組みだけのビルに出た。周囲を探索して見つけたのは…

 ネット上の都市伝説を取り入れて奇妙な世界を描く裏世界ピクニック・シリーズ、今回のネタは八尺様。ちょっと調べたところ、なんでも「検索してはいけない単語」だそうで。それ先に教えてくれよw それより空魚と鳥子の関係が気になる第二回だったw

 黒石迩守「ヒュレーの海」。地表は“混沌(ケイオス)”が滅ぼした。人類は自己完結した幾つかの巨大都市に住む。豊かな者は地上都市に、貧しいものは地下都市に。地下都市のサルベージギルドに属する少女フィは、妙なネタを偶然に見つけ、仲良しの少年ヴェイに教えるが…

 活発な少女フィと、落ち着いた少年ヴェイってコンビは、涼宮ハルヒ以来の流れを汲んでるのかな? 舞台は映画ブレードランナー的な雑然とした地下都市の雰囲気。フィ、ヴェイ、二人を温かく見守るギルドの面々、そして師匠格のシドと、曰くありげな人物の紹介が巧い導入部。

 吉田エン「世界の終りの壁際で」。山手線に沿い巨大な壁ができ、富める者は壁の内側に住む未来。外で暮らす少年の片桐音也は、ゲーム<フラグメンツ>で稼いだ賞金をつぎ込み揃えた装備でクラス50に挑むが、敵は豊かな資金にモノをいわせ桁違いに強化していた。

 冒頭から派手なバトル・アクションが展開する、漫画化したらウケそうな作品。貧しい少年があり金はたいて揃えた装備が、金持ちの豪華な装備に一蹴される出だしから、少年漫画の王道な匂いが強く立ち上る。最近の傾向を考えると、掲載誌は少年ジャンプより少年チャンピオンの方が似合いそうな、熱気とイナタさを感じる。

 世界SF情報。ローカス・ベストセラーリストのハードカバーのトップが、なんとチャールズ・ストロス The Nightmare Stacks。「残虐行為記録保管所」のシリーズかな?最近、ストロスの本が出てないんだけど、なんとかなりませんか。

 鹿野司「サはサイエンスのサ オールドSFの洞察」。最近のネット上に見られる負の感情の噴出を、「イドの怪物」に例えているのは巧い。現実がそんなものなのか、ネットが増幅させているのか、どっちなんだろう?

 噂の草野原々「最後にして最初の矢澤」改め「最後にして最初のアイドル」は特別賞を受賞。近く電子書籍も出るとか。選評じゃ「素材はいいが粗削りすぎ」って雰囲気なんで、技術が身につけば化けそうな感じ。インタビュウじゃスティーヴン・バクスター,バリトン・J・ベイリー,クリス・ボイスなんて物騒な名前が次々と出てくるんで、今後に大いに期待しちゃうなあ。思いっきり暴走して欲しい。

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2016年10月25日 (火)

内藤陳「読まずに死ねるか! 冒険小説・面白本のオススメ・ガイド・エッセイ」集英社

ジャック・ヒギンズを知らない? 死んで欲しいと思う。

「ぼくはお薦め屋でして、いいものはいい……」
「悪いものは無視しちゃう」

スープに始まってデザートで終わり、なんてありきたりの作品じゃない。まさにステーキからステーキなのだ。
  ――S・L・トンプスン「A-10奪還チーム出勤せよ」

この本を開いた所がタイムマシンの入り口だ。
  ――広瀬正「マイナス・ゼロ」

【どんな本?】

 ある時はコメディアン、またある時は俳優。だがその正体は、日本に活字中毒を蔓延させようと陰謀を目論み、新宿ゴールデン街に酒場を模した本部「深夜プラス1」を置く秘密組織・AFの会または日本冒険小説協会の創設者にして会長、内藤陳。

 これは彼が月刊PLAYBOY誌に連載した原稿を元に、ジャック・ヒギンズ,デズモンド・バグリイ,開高健,椎名誠,半村良,田中光二ら凄腕の刺客と共に仕掛けた、読者を活字中毒の地獄へと引きずり込む危険極まりないトラップの記録である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1983年5月25日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約230頁。8.5ポイント48字×16行×230頁=約176,640、400字詰め原稿用紙で約442枚だが、レイアウトの関係で実際の文字数は7~8割程度。文庫本なら標準的な一冊分。今は集英社文庫から文庫版が出ている。

 文体にクセはあるものの、そこはコメディアン。慣れればスラスラ読める読みやすさ。ただしネタは少々古いけど、そこはご愛敬。冒険小説を全く読まない人でも、この本を読むと何冊か読みたくなってくる。なんたって、都内の書店からギャビン・ライアルの「深夜プラス1」を一掃した実績を持つ人だし。

【構成は?】

 読書日記は月刊PLAYBOY誌の掲載順だが、順番は気にしなくていい。美味しそうな所からつまみ食いしていこう。

  • カラー・イラストレイテッド内藤陳
    死んでも読むのだ
  • 献辞
  • 読書日記78年7月~79年4月
    タフでなければ生きていけない。
    だが、優しくなければ生きる資格がない
  • 対談 開高健vs.内藤陳
  • 読書日記79年5月~80年11月
    わたしおが金のためにやらないことは、金のためにやることより、はるかにたくさんあります
  • 読書日記80年12月~82年4月
    エレクトしたペニスに良心はない
  • 対談 椎名誠vs.内藤陳
  • 読書日記82年5月~83年5月
    自分が永遠に対応できず耐えられないこと、
    それは自己蔑視である
  • わが愛しき本たちスペシャル
    血が男の中に流れているかぎり
    不可能ということはない
  • カラー・パロディ
    最も危険な料理
  • カラー 冒険小説の拳銃小研究
    もうひとりの主人公たちは自己主張する
  • 内藤陳の書評プラス1
  • 内藤陳の必読チェック・リスト
  • あとがき

【感想は?】

 ちくわぶのバイブル。

 私の書評は、この人が目標だ。著者は「書評なんて大それたモンじゃない、面白い本のオススメ屋」と言っている。実際、文体がどうだの構成が云々だのと、小難しいブンガク理論は全く使わない。

 が、そんな事はどうでもいい、と思わせてくれる。ひたすら自分の好きな作品や作家について語りまくる、それだけの本だ。それだけで、本に対する愛情が痛いほど伝わってくる。そして、思わず自分でも読みたくなる。そういう記事を、私は書きたい。

 私も師匠に紹介されて沢山の作品・作家に出会った。「深夜プラス1」,「鷲は舞い降りた」,「高い砦」,「女王陛下のユリシーズ号」,吉川三国志,「野獣死すべし」,「初秋」…。いずれも一騎当千の強者ばかり。この本じゃないけど、船戸与一に出会ったのも師匠のおかげだ。

 書名にあるように、紹介する本の大半は冒険小説だ。昔から私はSFが好きで、それ以外のジャンルは見向きもしなかったが、そんな意固地な私の視野を師匠が広げてくれた。それまでアイデアや世界設定にしか目が向かなかったが、人物像やアクションにも注目するようになった。

 それもこれも、師匠の紹介が巧いから。この本を最初に読んだのは随分と昔だが、今読み返しても、「まだまだ面白い本は沢山あるんだなあ」と気づかされる。例えばジャック・ヒギンズの「脱出航路」。

ドイツの敗色濃い第2次世界大戦末期。いろんな事情でブラジルにいたドイツ人たちがつぎはぎだらけのオンボロ帆船で、米英軍の完全な制圧下にある大西洋を八千キロ、祖国への道をたどる。これはほんの一部で…

 どうです、美味しそうでしょ。こういうツボを押さえながらも決してネタを明かさないあたりが、師匠の妙技。

 かと思うと、ロバート・B・パーカー「初秋」の紹介が、実に掟破り。人気の高いスペンサー・シリーズの中でも最高傑作の呼び声高い作品だ。イジけた15のガキを、マッチョな探偵スペンサーが預かる話だが、師匠ときたらお話のスジには全く触れないw 「ストーリーなんざ、どうでもよいではないか」。この割り切り、このこだわり。じゃストーリーは駄目なのかというと、他の書評を読めばわかるが、大変な傑作だったりするんだな、これがw

 加えて、師匠が語る冒険小説の決め台詞が、これまた泣かせる。バーナード嬢なら必死になって暗記するだろう。デズモンド・バグリイの「高い砦」のアレも勿論カッコいいけど、A・スパジアリの「掘った 奪った 逃げた」の「この糞の5,6メートル向こうに天国がある」には、燃えるやら笑うやら。

 など本の紹介もいいが、活字中毒者の生活が垣間見えて同病相憐れむのも、この本の楽しみ。ハワイに行く際、持っていく荷物で悩むのは何か? 我ら活字中毒が悩むのは、衣服でも小物でもない。そんなモノは、現地で買えばいいのだ。我々が悩むのは、持っていく本である。おまけに、現地に行っても本屋に飛び込むありさま。わははw

 月刊誌に連載の記事が中心のため、当時の新刊が中心なのは切ないが、それ以前に出た名作も、対談やエッセイで紹介してくれるのも嬉しいところ。意外な所で山本周五郎が出てきたのには驚いたが、言われてみると無口で己の規律を貫き通すあたり、確かにハードボイルドだよなあ。

 そして、最後の「書評プラス1」と「必読チェック・リスト」は、綺羅星のごとく並んだお宝の一覧だ。面白い本を探す時のブックガイドとして、便利この上ない。

 デズモンド・バグリイ「高い砦」やレイモンド・チャンドラー「長いお別れ」、フレデリック・フォーサイス「ジャッカルの日」など洋物のハードボイルドばかりでなく、阿佐田哲也「麻雀放浪記」や山田正紀「謀殺のチェス・ゲーム」など和物、半村良「妖星伝」や広瀬正「マイナス・ゼロ」などSF、そして村松友視「私、プロレスの味方です」などエッセイからエイモス・チュッツオーラ「やし酒飲み」なんて得体のしれないのまで、古今の面白本がギッシリ詰まってる。

 そんな中で師匠のイチオシは…

 師匠ほど、愛に溢れた紹介をする人はいない。芸風も得意ジャンルも私は師匠と違うし、何より芸の腕が比べ物にならないほどなっちゃないけど、師匠が目指した方向は追いかけていきたい。最近、ちと思い上がった書評を書くようになった私にとって、師匠の姿勢は改めて大事なことを教えてくれた。いや師匠は「お前みたいな生意気で覚えの悪い弟子を取った覚えはない」と言うだろうけど。

 面白い本を探している人に。人を動かす文章を書きたい人に。何かのレビューをしたい人に。そして、本を愛する全ての人に。読み終えた後、書店に走りたくなる、夜に読むには向かない本。

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2016年10月24日 (月)

日本SF作家クラブ編「SF JACK」角川文庫

「でも、私はテクノロジーの力で、人間のこの限界を超えたい」
  ――楽園(パラディスス)

愛情や共感は、人類の宿痾だ。
  ――さよならの儀式

「出なくすることよりは、出るけれども無害なものにするのがお得意だとか――」
  ――陰態の家

【どんな本?】

 日本SF作家クラブの50周年を記念して出版された、書き下ろしアンソロジー。

 全般的にベテランの大御所の寄稿が多く、短編小説として巧くまとまっている作品が多いが、そこはSF。扱うテーマや垣間見える風景は不穏にして物騒、読者の認識を根底から覆すものも多く、SFとしてのキレは申し分ないばかりか、重量級の歯ごたえを感じさせる作品が揃っている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は2013年2月に角川書店より単行本で刊行。私が読んだのは角川文庫版で2016年2月25日初版発行。文庫本で縦一段組み本文約484頁に加え、吉田大助の解説7頁。8ポイント42字×18行×484頁=約365,904字、400字詰め原稿用紙で約915枚。上下巻にわけてもいい分量。

 やはりベテランが多いためか、全般的に文章はこなれている作品が多い。最もトンガっているのは最初の「神星伝」。ただし扱うテーマは本格的な作品が多いので、初心者がSFに親しむには適した本だろう。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 著者。

神星伝 / 冲方丁
 時は神皇紀580年。18歳の頬白哮は、悪友の忍・春雨・J兵衛とリサイクル店<十火>のガレージに集まり、ジャンク・パーツをかき集めて超電導バイク<騎輪>を組み立てる。やっとエンジンに火が入ったその日、哮の母が自宅で殺された。
 独特の言葉遣いで、木星近傍に大和民族の末裔が築き上げた未来の社会を描き出し、その中で煩悩真っ盛りの若者が巻き込まれた陰険な陰謀…かと思ったら、こうきたか。壮大な物語のプロローグを思わせる、ダッシュ力抜群の作品。是非とも電撃文庫あたりで長期シリーズ化した後、今川泰宏監督でアニメ化して欲しいんだけど、どうでしょう?
黒猫ラ・モールの歴史観と意見 / 吉川良太郎
 1794年。不作が続いた上に牛まで死んでしまい、食い詰めた農家の娘ニナは、家族のためにパリに向かい、伯爵様のお屋敷で働くことになった。折悪くパリは革命の嵐が吹き荒れ、連日何人もの老若男女がギロチンで首を切られており…
 猫を好んで取り上げる著者らしく、この作品でも黒猫が大切な役割を果たす。農家の無学な娘の目から見たフランス革命を描く前半から、「なにやら薄暗く、じめじめした場所で目覚め」なんてネタを挟んだ後に繰り広げられる、稀有壮大なエンディングがいい。
楽園(パラディスス) / 上田早由里
 山村憲治のもとに、森井宏美の訃報が届く。彼女の死を受け入れられない憲治は、宏美がネット上に遺したテキストを元に、彼女の疑似人格メモリアル・アバターを創る。アイコンはヒヨコだ。アバターを相手に悲しみをまぎらわしていた憲治に、宏美の同僚から連絡が入り…
 著者のクセを取り入れた文章を作るアプリケーションは、既に幾つかある。今は無意味なテキストだけだが、限られた状況なら人工無能もソレナリに意味のありそうな応答ができるとか。マイクロソフトの Tay は変なクセがついちゃったが、朱に染まるのを防ぐのに性格を持たせるのは巧い案かも。とまれ、ネット上の文章は多少カッコつけてるわけで、本来の性格とは違うんだが…
チャンナン / 今野敏
 少林流系統空手の門弟だった俺は、沖縄の島尻郡知念村で演武を見たのをきっかけに独立した。沖縄空手はシンプルで力強く、素朴で味わい深い。以来、沖縄古流空手の研究を始めたが、源流を探り始めるとわからないことが多く…
 なんと空手SF、ただし格闘場面はなし。「格闘技の歴史」によると、空手のルーツを追い求めるとユーラシアの歴史そのものを掘り起こす羽目になるとか。現代日本の空手も、その歴史は謎に包まれているらしい。
別の世界は可能かもしれない / 山田正紀
 識字障害を抱えた五木梨花は、六本木のゲノム総合センター・遺伝子構造・機能研究ラボに勤めている。実験用マウスの世話が梨花の仕事だ。遺伝子をいじられ実験の後は処分されるマウスに同情し、叫びだしたくなることもあるが…
 地下鉄大江戸線の路線や、ワイパーに拘る坂口と仲間との会話など、出だしから山田正紀らしさが存分に炸裂している。デビュー以来ずっと著者が追い求めてきたテーマを扱いながらも、常に素材や料理法は斬新なものを取り入れ、読者を驚かせてくれるのも嬉しいところ。
草食の楽園 / 小林泰三
 辺境の宙域で漂流してしまったミノキリとヤマタツ。救援は望めそうにない。そこで近くに孤立したコロニーはないかと探したところ、三日ほどの距離に見つかった。長く孤立していたコロニーだけに、どんな連中が住んでいるのか見当もつかないが、死ぬよりはマシと覚悟を決め…
 宇宙は広い。そしてヒトが理想とする社会は様々だ。だから、様々な社会形態を実験するには格好の実験場になる。ソビエト連邦やクメール・ルージュのカンボジアも壮大な実験と言えるし、1960年代にはヒッピーがあちこちにコミューンを作ったが、生き残ったのはごくわずか。
リアリストたち / 山本弘
 VR技術が発達し、人々の多くは仮想世界に引きこもって暮らしている未来。私が作った作品が、管理局の審査にひっかかった。リアリストたちからクレームがつきかねない、と。そこで私が直接リアリストたちと話し合うことにしたのだが…
 といった紹介をすると、筒井康隆の断筆宣言を思わせる幕開けで、「何を今さら」と思いながら読んでたら、全く意外な方向に話は転がっていった。昔は光化学スモッグ警報も夏の風物詩だし、運動部はうさぎとびが付き物だった。今も母乳信仰は生き残ってるが、清潔を求めるあまり電車の吊革にさえ触れない人もいて…
あの懐かしい蝉の声は / 新井素子
 手術は成功した。が、頭の中には「……の……の……の……」と奇妙な音が響き、口の中には妙に甘い味やあったかい気持ちがしたり冷たい感じがするし、指は変な風に動いている。けど先生が言うには、第六感が使えるようになっている筈で…
 この著者のファンにはピンとくる作品(多少ネタバレ気味)。ロボット物の漫画やアニメで、尻尾がついてたり腕が沢山あるロボットが出てくるのがあるけど、あれパイロットはちゃんと操縦できるんだろうか、などと思うが、どうもヒトの脳は持った道具を身体の延長として素直に納得しちゃうらしい(「越境する脳」)。身体の形が変るのには簡単に適応できるが…
宇宙縫合 / 堀晃
 私はこの十年間の記憶を失った。帰国してからは、新今宮の簡易宿泊所に泊まっていたが、全財産を入れたバッグも盗られた。やったのは泉州と河内だろう。身分証明書もない。警察を避けていたが、向こうからやってきた。彼らの用事は意外な事に…
 関西在住の著者らしく、大阪のディープな匂いが立ち込める作品。バックパッカーが安宿に詳しいとか、よくわかってらっしゃる。と同時に、著者らしい大掛かりな科学・技術ネタをドカンとブチかましてくれる。
さよならの儀式 / 宮部みゆき
 人々の暮らしにロボットが入り込み、洗濯機並みに普及した時代。回収業務センターに来たのは、若い娘だった。壊れたロボットは事故を起こしかねない。そこで回収手順も厳密に決まっている。彼女のロボットはハーマンと呼ばれ親しまれたようだが、なにせ古すぎてメーカーも残っておらず…
 ロボットをメーカー名で呼ぶなどの細かい生活感が、実によく出ている作品。感情を出さず事務的に対応する窓口係と、ハーマンに未練たっぷりの娘って構図は、家電の修理センターなどではいかにもありそうな構図だが、それを窓口係の視点で描いたのが巧い…とか思ってたら、終盤でガツンと重いボディブローを食らった。さすがベストセラー作家、テーマも仕掛けも視点も見事。
陰態の家 / 夢枕獏
 多々良陣内、傀儡屋。森の中の広大な敷地にある屋敷の門をくぐる前から、おれは気配に気づいていた。確かにコロボックルがいる。依頼者は丹生都赤麻呂62歳。奇妙なものが出るという。大きかったり、小さかったり。廊下や庭や部屋を歩き回り…
 傀儡屋の多々良陣内が、森の中の屋敷にひそむ怪異に挑む、オカルト・ハードボイルド短編。コロボックルなんて名前だからてっきり可愛くてイラズラ好きな妖精みたいなシロモノかと思ったら、酷いアレンジだw
解説:吉田大助

 ベテラン作家の作品が多いだけに、読みやすさは抜群だし、質も安定してる。宮部みゆきのSFは久しぶりに読んだが、「さよならの儀式」にはヘビー級のKOパンチを食らった。彼女のファンでSFにアレルギーがない人には、自信をもってお勧めできる傑作。

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2016年10月23日 (日)

レベッカ・ラップ「ニンジンでトロイア戦争に勝つ方法 世界を変えた20の野菜の歴史 上・下」原書房 緒川久美子訳

 イタリアの学者、作家であるウンベルト・エーコは、ヨーロッパの人々がいわゆる暗黒時代から抜けだせたのはソラマメのおかげであるという説を唱えた。
  ――第2章 インゲンマメ 暗黒時代を終わらせる

ザワークラウトの歴史は古く、中国の万里の長城の建設労働者たちはコメと酒に浸けたキャベツを食べていた。
  ――第4章 キャベツ ディオゲネスを当惑させる

第二次世界大戦中、ロシアは天然ゴムが手に入らなくなって、タンポポのラテックスから十分使用に耐える代用品を作りだした。
  ――第10章 レタス 不眠症の人を眠らせる

ニンニクの普及範囲の変遷をたどればローマ帝国が領土を拡張した過程がわかると指摘する専門家もいる。
  ――第12章 タマネギ ヘロドトスの記録によると

ルイ14世は、職務に忠実な主治医にホウレンソウを禁じられたのが我慢できず、「何だと! 余はフランス国王だというのにホウレンソウを食べられないのか?」と怒鳴ったという。
  ――第18章 ホウレンソウ 子どもたちをだましつづける

【どんな本?】

 ニンジンはどこから来たの? セロリを食べると女性にモテるって本当? 古代ローマ人は宴会でどんな料理を食べていたの? 一番辛い野菜は? キュウリで王様になった人がいる?

 生物学の博士号を持ち、児童文学や技術解説書の作品があり、家庭菜園を楽しむ著者が、私たちの身近な野菜について、品種ごとの特徴・育成法・美味しい食べ方・含んでいる栄養分から、起源と伝播の歴史や有名人のエピソードなどの雑学に至るまで、パラエティ豊かなエピソードで綴った、一般向けの歴史エッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は How Carrots Won the Trojan War : Curious (but True) Stories of Common Vegetables, by Rebecca Rupp, 2011。日本語版は2015年1月31日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約215頁+210頁=425頁。9.5ポイント41字×16行×(215頁+210頁)=約278,800字、400字詰め原稿用紙で約697枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。野菜が好きだったり、家庭菜園を営んでいたり、料理をする人なら、更に楽しめるだろう。

【構成は?】

 各章は独立しているので、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。

  •   上巻
  •  はじめに
  • 第1章 アスパラガス
    フランス国王を誘惑する
  • 第2章 インゲンマメ
    暗黒時代を終わらせる
  • 第3章 ビーツ
    ヴィクトリア朝時代の淑女を赤面させる
  • 第4章 キャベツ
    ディオゲネスを当惑させる
  • 第5章 ニンジン
    トロイア戦争に勝利をもたらす
  • 第6章 セロリ
    カサノヴァの女性遍歴に貢献する
  • 第7章 トウモロコシ
    吸血鬼を作る
  • 第8章 キュウリ
    ハトを装う
  • 第9章 ナス
    イスラム教の指導者を気絶させる
  • 第10章 レタス
    不眠症の人を眠らせる
  •   下巻
  • 第11章 メロン
    マーク・トウェインの良心を吹き飛ばす
  • 第12章 タマネギ
    ヘロドトスの記録によると
  • 第13章 エンドウマメ
    ワシントン将軍を暗殺しかける
  • 第14章 ペッパー
    ノーベル賞を受賞する
  • 第15章 ジャガイモ
    征服者をまごつかせる
  • 第16章 パンプキン
    万国博覧会に参加する
  • 第17章 ラディッシュ
    魔女を見分ける
  • 第18章 ホウレンソウ
    子どもたちをだましつづける
  • 第19章 トマト
    ジョンソン大佐を死に至らしめる
  • 第20章 カブ
    子爵を有名にする
  •  訳者あとがき/注/参考文献

【感想は?】

 楽しく読める、野菜の雑学本。役に立つかと聞かれると答えに詰まるが、料理の好きな人はレパートリーが増えるかも。

 それぞれの野菜について、原産地から伝播の過程と共に、昔のレシピが出てくる。今でも使えそうなレシピもあるが、モノによってはちとたじろくシロモノも。比較的に使えそうなのは、例えばアメリカ各州のチリ(チリコンカーン)のレシピで。

 カリフォルニアはアボガドとオリーブを入れる。アラスカはヘラジカの肉。ここまではいいが、テキサスは勇者だ。ヤギ・ヘビに加えスカンクの肉まで使う。アメリカ人にとってのチリは日本人にとっての味噌汁みたいなモンなんだろうか。

 イギリスは料理がマズいと言われるが、16世紀のヘンリー八世(→Wikipedia)のサツマイモのパイは野心的。曰く「つぶしたサツマイモとマルメロ、ナツメヤシの実、卵の黄身、雄スズメの脳みそ3,4匹分、砂糖、ローズウォーター、スパイス、ワイン1?強を合わせたもの」って、他はともかく雄スズメの脳みそって…。

 幕末に西部の藩が主導権を握ったのはサツマイモのお陰って話が「品種改良の日本史」にあったが、東部の藩にもジャガイモがあったのだ。17世紀初めにオランダからジャガイモが伝わってたが、「1854年にペリー提督が天皇に食べてみるようすすめるまで、家畜用の飼料にしか利用されていなかった」。ああ、もったいない。もっと早く東北の各藩がジャガイモの価値に気づいていたら…

 昔も今もヒトは品種改良に熱心で、だから同じ野菜でも昔のモノは味も形も違う。日本人にわかりやすいのはニンジンだろう。「原産地はアフガニスタンで、当時のものは紫色だったと植物学者は考えている」。しかも「19世紀のものは長さが約60センチ」。とすると、京人参が原種に近いらしい…

 と思ったら、続きがある。「一番太い部分の外周が30cm以上、重さが1.8kgほど」って、そこらのダイコンよかデカい。おまけに原種は「細くて何本にも枝分かれ」してたというから朝鮮人参みたいな?

 もっとも大きさじゃトップはカボチャだろう。「2010年の世界記録は821kg」って、マジで馬車が作れるサイズだ。少し前に「中国でスイカが爆発」なんてニュースがあったが、カボチャも爆発するらしい。雨が多いと成長が速すぎて「ある日突然、ぱっくりと割れてしまう」。

 味が天気に左右されるのも野菜の宿命。面白いのがトウガラシで、暑いほどホットになる。曰く「特に顕著なのはうだるような熱帯夜で、夜間の気温とカプサイシンの量は密接に関係している」。

 世の中には辛いカレーに憑かれる人がいるようだが、アレは本当に中毒なのかも。というのも、カプサイシンは痛みを感じさせる。これを中和するために、脳が快楽物質エンドルフィン(→Wikipedia)を出すのだ。嫌なことがあった日は、辛いカレーを食べてハイになろう←をい。

 ちなみにカプサイシンは水に溶けず油に溶けるので、水を飲んでも辛みは薄れないけど、「ヨーグルトやチーズやアイスクリーム」がいいらしい。そういえば、インド人はギーやヨーグルトもよく食べるなあ。

 ダイズは畑の肉と言われるが、ヨーロッパでダイズに当たるのがソラマメ。欧州の人口は7世紀が底で約1400万人だが、10世紀には倍以上に増えた。そして「ヨーロッパで大規模なマメの栽培が始まったのは10世紀」だとか。というのも、マメ自体がタンパク質を豊かに含む上に、空中の窒素を固定して土地を肥やすため。これも日本の味噌汁同様、フランスでも…

フランス南部にはレストランごとに独自のレシピのカスレ(→Wikipedia)を出す130kmにわたる「カスレベルト」があり、カステルノーダリはその中心として君臨しているという。

 チリといい味噌汁といい、マメ料理ってのは土地ごと・家庭ごとに数多くのバリエーションを生み出すものらしい。面白いのがボストン風ベイクドビーンズで、先住民のレシピが元。

水に浸けてもどしたマメにクマの脂とメイプルシュガーをまぜ、周りに熱した石を並べた「マメの穴」で一晩焼く

 ところでマサチューセッツの清教徒には「安息日の夜には料理をしてはならない」って戒律があった。「土曜の晩にマメを鍋に入れればあとは放っておけばいいので、日曜日に料理をしなくてすむ」。日本のおせちみたいなモンか。

 アメリカ人がアメリカ人向けに書いた本だけに、やたらとトマス・ジェファーソンが出てくるのはご愛敬。食いしん坊にはもぎたてのトマトを味わうために家庭菜園を始めたくなると共に、斬新?な料理のレパートリーが増える本だ。

 ちなみにセロリで女にモテるのは本当らしい。早速買い占めてこよう。

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2016年10月19日 (水)

ジャック・ヴァンス「宇宙探偵マグナス・リドルフ」国書刊行会 浅倉久志・酒井昭伸訳

「あなたの仕事が肉体的な力を必要とするものでしたら、ほかの人間を雇われたがよろしい。うちの玄関番など適任かもしれません。なにしろ、ひまさえあれば、架台から架台へとバーベルを動かしているような男ですからね」
  ――ココドの戦士

【どんな本?】

 バラエティ豊かで奇想天な異星の環境やエイリアンの生態や、皮肉とヒネリの利いたストーリーが魅力のSF作家、ジャック・ヴァンスの作品を集めた<ジャック・ヴァンス・トレジャリー>全三巻の冒頭を飾る、マグナス・リドルフ・シリーズの短編を集めた作品集。

 舞台は遠未来。人類は恒星間宇宙へと飛び出し、様々なエイリアンとも接触を果たしている。主人公マグナス・リドルフは白髪に山羊髭の初老の男。いささかビジネスの才には難があるものの、卓越した頭脳を活かした探偵業で名が知られている。ただし彼の仕事に関わった者からは好評ばかりとは限らず…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は経緯がちとややこしいので、刊行順に紹介する。

  1. The Many Worlds of Magnus Ridolph, 1966:エースダブルのペーパーバック。
    ココドの戦士/禁断のマッキンチ/蛩鬼乱舞/盗人の王/馨しき保養地/とどめの一撃 を収録。
  2. The Many Worlds of Magnus Ridolph, 1977:英国版ハードカバー。収録作は上と同じ。
  3. The Many Worlds of Magnus Ridolph, 1980:ペーパーバック。
    上に ユダのサーディン/暗黒神降臨 を加えたもの。
  4. The Complete Magnus Ridolph, 1985:ハードカバー。
    上に 呪われた鉱脈/数学を少々 を加えたもの。

 日本語版は2016年6月25日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本部約398頁に加え、訳者の酒井昭伸による解説が豪華13頁。9ポイント45字×20行×398頁=約358,200字、400字詰め原稿用紙で約896枚。文庫本なら上下巻に分けるか迷う所。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。遠い未来の奇妙な異星が舞台で、ケッタイなエイリアンが次々と出てくる事にアレルギーがなければ、気楽に楽しめる作品ばかり。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 元題 / 初出 / 訳者 の順。

ココドの戦士 / The Kokood Warriors / スリリング・ワンダー・ストーリーズ1952年10月号 / 酒井昭伸訳
 あこぎな投資会社に騙されて懐が寂しくなったマグナス・リドルフに、仕事が舞い込んできた。ココドで行われている、合法だが不道徳極まりない行いを止めさせ、それで儲けている輩に鉄槌を下してほしい、と。しかも、なんの因果か、甘い汁を吸っているのは…
 この作品集の冒頭を飾るにふさわしい、シリーズの特色がよく出ている作品。ココドの戦士の特異な性質ももちろん楽しいが、加えてマグナス・リドルフと相席になった旅行客の描写も実にいい。いるよね、こういう傍若無人で煩いオバチャン。対するマグナス・リドルフの嫌味な切り返しも、見事な人物紹介となっている。「アマチュアながら戦略家であるわたしには…」のくだりは、ヲタクのウザさが存分に出ていて、自分の黒歴史が否応なく蘇ってくるw
禁断のマッキンチ / The Unspeakable McInch / スタートリング・ストーリーズ1948年11月号 / 酒井昭伸訳
 スクレロット・プラネットのスクレロット・シティ。連邦圏のすぐ外にあり、法の網が届かないために、様々な知的種族のはみ出し者・お尋ね者が集まりながら、それなりの治安を保っている町。そこで事件が起きた。わかっているのは犯人の名前「マッキンチ」だけ。今まで謎に挑んだ者は、みな謎の死を遂げ…
 お話はストレートな犯人捜しの謎解きながら、色とりどりなエイリアンの描写だけでもお腹いっぱいになるぐらい楽しい作品。中でも感心したのが、郵便局を営むムカデ型エイリアン。なぜにムカデが…と思ったが、職場を見て納得。うん、確かにこの仕事はムカデに向いてるわ。ただし、ヒトと同じぐらいの巨大サイズのムカデだがw
蛩鬼乱舞 / The Howling Bounders / スタートリング・ストーリーズ1949年3月号 / 酒井昭伸訳
 今回マグナス・リドルフに舞い込んだのは、なんと農場経営。話を持ち込んだのはジェラード・ブランサム、ネイアス第六惑星のティラコマ農場の半分を売りたいという。既に今シーズンは収穫が目前で、必要な家屋や使用人は揃っている。しかも価格は破格の安値で…
 ガラにもなく農場経営に乗り出したマグナス・リドルフ。明らかに美味しすぎて怪しい話だと思ったら、やっぱりw 最後の捨て台詞まで慇懃に振る舞うマグナス・リドルフの底意地の悪さが光ってる。
盗人の王 / The King of Thieves / スタートリング・ストーリーズ1949年11月号 / 酒井昭伸訳
 惑星モリタバには貴重な鉱石テレックスが埋まっている。が、その鉱脈を知っているのは盗人の王こと老カンディターのみ。ここに住む地的種族メン=メンは優れた盗賊で、少しでも気を許すと根こそぎ持っていかれる。盗みの腕こそがモリタバでの地位を決めるのだ。
 いきなり「そのような交配は成立しえないとする正統的生物学者らの異議申し立てにもかかわらず、彼らは実在する」で大笑い。宇宙一食えない男マグナス・リドルフと、因縁の相手エリス・B・メリッシュの競争に加え、盗人の王カンディターとの対決も描いた、映画版ルパン三世みたいな作品。
馨しき保養地 / The Spa of the Stars / スタートリング・ストーリーズ1950年7月号 / 酒井昭伸訳
 うっそうとした密林と白い砂浜に恵まれた原始の惑星コラマを、保養地として開発したジョー・ブレインとラッキー・ウルリッチ。建設時は何の問題もなかったが、営業を始めた途端にオオウミクワガタやトビヘビやドラゴンやゴリラもどきなど、土着の野生動物が観光客を襲い始めた。そこで問題解決のプロを頼ることにしたが…
 まあ、確かに彼に頼めば問題は解決するんだけど…w 無駄に押しが強くて頭が固く、気が短くて聞き分けのないクライアントを相手に、一向に話が進まない押し問答を繰り広げた経験のあるエンジニアには、とっても気持ちがいい作品。
とどめの一撃 / Coup de Grace / スーパー・サイエンス・フィクション1958年2月号 / 浅倉久志訳
 星の海に色鮮やかなコテージを浮かべたリゾート<ハブ>で休暇を楽しむマグナス・リドルフだが、事件は放っておいてくれなかった。S・チャ第六惑星の石器文明人を三人連れた人類学者のレスター・ボンフィルスが殺され、その捜査を<ハブ>のオーナーであるパン・パスコグルーから頼まれ…
 異様な風体と生活習慣・思想を持つバラエティ豊かなエイリアンたちを犯人候補としながらも、お話は真っ向勝負の犯人捜しミステリ。にしても、これほど奇矯なエイリアンたちを短編で使いつぶすとは実に贅沢。剣はマズいが毒殺はいい、なんてディアスポラスの理屈も凄いが、どうせ殺されるなら千の燈明のフォアメーラさんがw
ユダのサーディン / The Sub-Standard Sardines / スタートリング・ストーリーズ1949年1月号 / 酒井昭伸訳
 今回の依頼人は、ジョエル・カラマー。惑星チャンダリアでオイル・サーディンの缶詰工場を、パートナーのジョージ・ダネルズと共に営んでいる。最近一週間に出荷した缶詰に、多くの不良品が見つかった。爆発したり、細い針金でサーディンがつながっていたり、石油の味がしたり。何者かのサボタージュのようだが…
 珍しく勤労に励むマグナス・リドルフが拝める貴重な作品。旺盛な繁殖力を示す外来種による生態系の破壊が問題となっている現在こそ、高く評価されるべき作品…のわきゃないw にしても、「リドルフ的なにおい」って形容も、あたっちゃいるが相当に酷いw
暗黒神降臨 / To B or Not to C or to D / スタートリング・ストーリーズ1950年9月号 / 酒井昭伸訳
 ジェクスジェカは小さな岩石惑星だ。高純度のタングステンや酸化セレンの鉱脈に恵まれ、たった四つだが水が沸く泉もある。ハワード・サイファーは、嫌気生物のタルリアンを雇い鉱山を営んでいたが、問題が起きた。今まで20名に原因解明と解決を頼んだが、みな命を落とし…
 こういう無礼で強欲な鉱山主が出てくると、がぜん本領を発揮するのがマグナス・リドルフ。いきなり彼が繰り出すジャブと、カウンターを繰り出すサイファーの陰険なやりとりが楽しい。ただ陰険さでは、やはりマグナス・リドルフの方が一枚上手で…
呪われた鉱脈 / Hard Luck Diggings / スタートリング・ストーリーズ1948年7月号 / 酒井昭伸訳
 土着の知的生物は見つかっていない未開拓の惑星で、連続殺人事件が起きた。あるのは二つの採鉱キャンプだけだが、先月は採鉱地Bで33人も亡くなっている。現場監督のジェイムズ・ロッジがTCI=地球情報庁に頼んだところ、派遣されたのは白髪に白髭の男で…
 初期の作品らしく、まっとうな性格のマグナス・リドルフにお目にかかれる作品。二千人ほどの労働者が住む、人里離れた未開の惑星で起こる密室連続殺人事件を描いた、ストレートなSFミステリ。ヴァンスらしいエグみはないどころか、至極さわやかで明るいエンディングが珍しい。
数学を少々 / Sanatoris Short-cut / スタートリング・ストーリーズ1948年9月号 / 酒井昭伸訳 
 惑星ファンの名所は、宇宙港ミリッタにある大型カジノ<不確かな運命の殿堂>。経営者は街のボスでもあるアッコ・メイ。ここではポーカーなどカードゲーム、ルーレットなどダイスゲーム、そして独特のロランゴなどが楽しめる。
 これも初期の作品で、本来のマグナス・リドルフの性格が少しだけ顔をのぞかせるが、まだ比較的におとなしく、キャラの性格が固まり成長してゆく過程が伺える、貴重な作品。
訳者あとがき

 お話の舞台と道具だては間違いなく本格SFであるにも関わらず、主人公マグナス・リドルフの性格の悪さとオチの酷さで、作品としての味わいはP・G・ウッドハウスの「ジーヴス」シリーズを思わせる。解説にもあるように、ジョージ・R・R・マーティンの「タフの方舟」が気に入った人には、格好のお薦め。

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2016年10月17日 (月)

半藤一利「昭和史 戦後編 1945-1989」平凡社ライブラリー

「米が一千万人分不足で、一千万人が餓死するかもしれぬ」
  ――第一章 無策の政府に突きつけられる苛烈な占領政策

「天皇の軍隊」は消滅したが、民を導く「天皇の官僚」は残った。そして官僚が法案を作るという慣習はこの後もずーっと続きます。
  ――第十章 混迷する世相・さまざまな事件

 社会党は現在は落ちさらばえて名もなくなりましたが、この時に自由民主党と社会党の二大政党という構図が成り、日本の政治はその後、ごちゃごちゃしながらもこのかたちでだーっといくのです。これを政治学会に発しまして一般的には「55年体制」と言います。
  ――第十一章 いわゆる「55年体制」ができた日

ダンチ族は当時、ものすごいエリートだったのです。
  ――第十四章 嵐のごとき高度経済成長

戦後日本について言いますと、国家の機軸は憲法にある平和主義だったと思います。
  ――まとめの章 日本はこれからどうなるのか

【どんな本?】

 日本の近現代史を得意とする人気作家・半藤一利が、激動する昭和の日本の歴史を、わかりやすく親しみやすい語り口で綴った、一般向けの歴史解説書「昭和史」シリーズの後半、戦後編。

 無条件降伏を受け入れた日本に、マッカーサーが降り立つ。都市は焼け野原、凶作続きの上に商船が足りず食料事情が逼迫している時に、外地から将兵や民間人が引き揚げてくる。テキヤが闇市を仕切り人々は食料調達に右往左往しているうちに、GHQは大胆な国家の改造を進めてゆく。

 焼け野原から復興し高度経済成長を成し遂げ、やがてバブルがはじけるまで、戦後の日本史を親しみやすい語り口の名調子で語る、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 単行本は2006年4月に平凡社から刊行。文庫本は「こぼればなし 昭和天皇・マッカーサー会談秘話」を加え、2009年6月11日に初版第1刷を発行。

 文庫本で縦一段組み、本文約573頁に加え、あとがき3頁+平凡社ライブラリー版あとがき2頁。文庫本で縦一段組み、9ポイント42字×16行×573頁=約385,056字、400字詰め原稿用紙で約963枚。上下巻にするかどうか悩む分量。

 文章はメリハリの利いた語りかける雰囲気で、抜群の読みやすさと親しみやすさ。内容も特に前提知識は要らない。「農地改革」や「財閥解体」などの戦後処理に関係する言葉や、「55年体制」や「非核三原則」など、現代の日本の政治を語る際によく使われる言葉について、要点を押さえて意味を教えてくれるのが嬉しい。

【構成は?】

 基本的に時系列で話が進むが、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。

  • はじめの章 天皇・マッカーサー会談にはじまる戦後 敗戦と「一億総懺悔」
    一億、涙滂沱/平和はやっぱりいいもんだ/マッカーサーがやってきた/自由と寛容と正義のもとに/「絞首刑にしてもかまわない」/「ヘロヘト・バウ」
  • 第一章 無策の政府に突きつけられる苛烈な占領政策 GHQによる軍国主義の解体
    闇市の大繁盛/飢餓きわまれり/次々と出される占領政策/GHQに牛耳られる無策の日本/平和国家への道のり/追及される戦争責任
  • 第二章 飢餓で“精神”を喪失した日本人 政党、ジャーナリズムの復活
    「リンゴの唄」とペニシリン/有為変転の「平和の値段」/活気づく政党、ジャーナリズムの復活/アメリカさまさまの「思想改造」
  • 第三章 憲法改正問題をめぐって右往左往 「松本委員会」の模索
    ポツダム宣言は無条件降伏か?/無視された国体護持の条件/行き違った近衛・マッカーサー会談/松本委員会の発足/白熱する憲法草案論議/案じられた天皇制のゆくえ/尻込みしたメンバーたち
  • 第四章 人間宣言、公職追放そして戦争放棄 共産党人気、平和憲法の萌芽
    天皇陛下、「人間」になる/「愛される共産党」/マッカーサーを動かした日本人からの手紙/「今後は平和日本に」
  • 第五章 「自分は象徴でいい」と第二の聖断 GHQ憲法草案を受け入れる
    理想を欠いた憲法草案/日本人には任せておけない/“衝撃”のGHQ案/インフレへの荒療治/「48時間以内に回答せよ」/ようやく成立した新憲法
  • 第六章 「東京裁判」の判決が下りるまで 冷戦のなか、徹底的に裁かれた現代日本史
    冷戦のはじまり/社会党内閣の成立/激変する世界情勢/A級戦犯はどうやって決められたか/東京裁判とは何であったか/「天皇は訴追せず」/“茶番劇”に敵も味方も汗を流す/ため息の出る裏話/判決下る/残った後味の悪さ
  • 第七章 恐るべきGHQの右旋回で… 改革より復興、ドッジ・ラインの功罪
    激しくなる米ソの対立/米のアジア戦略に利用される日本/GHQの内部対立/「改革」より「経済復興」へ/次々と起こった怪事件
  • 第八章 朝鮮戦争は“神風”であったか 吹き荒れるレッドパージと「特需」の嵐
    至る所で「金づまり」/「赤」はすべて追放せよ/アプレゲールの暴走/朝鮮戦争で「特需」に沸く/さようなら、マッカーサー
  • 第九章 新しい独立国日本の船出 講和条約への模索
    反米ムードに苛立つアメリカ/全面講和か、単独講和か/吉田vsダレスの攻防/“軍隊の卵”警察予備隊の編成へ/講和・安保条約の二つの問題/“天皇退位”発言は非国民なり
  • 第十章 混迷する世相・さまざまな事件 基地問題、核実験への抵抗
    消えゆく占領の“影”/「金は一年、土地は万年」/『東京物語』が描いた戦後の気分/改憲・再軍備論を生んだ復古調の波/定まらぬ目標にガタガタゆれる日本人
  • 第十一章 いわゆる「55年体制」ができた日 吉田ドクトリンから保守合同へ
    吉田ワンマンの長期政権/鳩山派の抵抗で自由党はまっぷたつ/「史上最大の政変」、吉田内閣ついに倒れる/やっと「保守合同」成る
  • 第十二章 「もはや戦後ではない」 改憲・再軍備の強硬路線へ
    憲法改正・再軍備の失敗/驚きのソ連との国交回復/「もはや戦後ではない」/短命惜しまれる“野人”首相/不安を広げた強硬路線/「勤評問題」と「警職法」
  • 第十三章 60年安保闘争のあとにきたもの ミッチーブーム、そして政治闘争の終幕
    ミッチーブームがもたらしたものは?安保改定への始動/デモデモデモに明け暮れて/もう政治はたくさん、これからは経済だ/月給が倍になる
  • 第十四章 嵐のごとき高度経済成長 オリンピックと新幹線
    ただただ勤労ニッポン/大衆消費時代の到来 ソニーとホンダ/日本の風景が変わった/神武景気でマネービルが建つ/三種の神器でよろめいて/ダンチ族はエリート族/冷戦激化、緊張する世界/ジャーナリズムに“冬の季節”/わかっちゃいるけど無責任時代/やはり外交なき日本/ケネディ暗殺がもたらすことは/オリンピックと新幹線
  • 第十五章 昭和元禄の“ツケ” 団塊パワーの噴出と三島事件
    佐藤栄作の登場と「昭和元禄」/期待される人間とビートルズ/激動する世界情勢/ベビーブーム世代の反逆/東大・安田講堂の落城/万博と三島事件と/沖縄返還で“完結”した戦後
  • まとめの章 日本はこれからどうなるのか 戦後史の教訓
    “現代史”まで/戦後とは何だったか これまでを振り返って/その後の“戦後”/これからの日本は…
  • こぼればなし 昭和天皇・マッカーサー会談秘話
    マッカーサーの感動/歴史を知るおもしろみ/話題の中心は東京裁判?『第二回目]/新憲法とマッカーサーの予言[第三回目]/すっぱ抜かれた安全保障[第四回目]/天皇の真意[第五回目]/ゆらぐ日本の治安[第八回目]/国際情勢への懸念[第九回目]/いよいよ講和問題[第十回目]/別れの挨拶[第十一回目]/二人の会談を知ることの意味
  • 関連年表/あとがき/平凡社ライブラリー版あとがき/参考文献

【感想は?】

 今の日本の体制はGHQが作ったのだ、と強く感じる一冊。

 なにせ「戦後編」と題しつつ、その内容の半分以上を、占領軍が引き揚げるまでの政治ドラマに割いている。ここに描かれるGHQと日本政府の意向の食い違いは、唖然とするほど。

 敗戦当時の国民の苦しさは、闇市の価格によく出ている。なんたって「白米一升(1.4キロ)70円(公定価格では53銭)」と百倍以上だから凄まじい。そんな時に、お偉方は何をやっているのかというと…

勤労動員で引っ張られ、農場で食料増産のため一所懸命に作った畑ものが、戦争が終われば皆に分け与えられるのかと思えばそうではなく、学校の理事だとかエライ人たちが勝手に持ち帰って自分たちのものにしている。
  ――第二章 飢餓で“精神”を喪失した日本人

 ってんだから、そりゃ国民も愛想をつかして進駐軍を歓迎する。私がどうしても懐古趣味を好きになれないのも、こういう社会構造を思い浮かべちゃうからなんだよなあ。そこに民主主義教育や労働改革が来たんで、女子学生たちが立ち上がりストライキを始めたそうな。いいぞ、もっとやれ。

 もっとも、こういう政策を推し進める前から、庶民はマッカーサーを歓迎してたんで、やっぱり庶民の本音は、権力をカサにきて威張ってる連中を嫌ってたんだろう。天皇の人間宣言にしても、「日本人はそうびっくりしなかった」けど「アメリカや連合国の人たちの方が驚いた」とあって、もともと本音と建前は大きく違っていたわけ。

 だいたいお偉方が綺麗事を押し付けても、本音が隠れるだけでロクな事にはならないんだよなあ。

 当時の日本の権力者たちは、GHQの占領政策に、天地がひっくり返るような気持になったらしく、これは特に憲法論議に詳しく描かれている。これを今の私たちが読むと、当時の日本を仕切っていた人たちの、おぞましいまでの特権意識と能天気さにつくづく呆れてしまう。松本憲法(→Wikipedia)とか、本気でこれが通ると思ってたらしい。彼らは無条件降伏の意味がわかってたんだろうか?

 これだけ認識が違うんだからGHQも苦労しそうなもんだが、巧くやれた理由が、実は明治維新と同じ理由だったりするから歴史は面白い。つまりGHQが玉を押さえてたわけ。日本側は東京裁判での天皇の扱いがわからないので、とりあえず頭を下げるしかなかったけど、ふたを開けてみれば…って寸法。このあたりマッカーサーの政治センスは実に見事。

 などと過激なほどリベラルな政策を日本では推し進め、憲法九条に感激してるマッカーサーが、朝鮮戦争じゃ核を使わせろと暴れてクビを切られるからよくわからない。アメリカでもスタンドプレー大好きな目立ちたがり屋と、あまり評判良くないし。在日中も職場とねぐらを往復するだけで、特に日本好きってわけでもなさそうだし、在日中の彼は実に謎だ。

 にしても、東京裁判でのA級戦犯への言及は、なかなか辛辣。裁判じゃA級戦犯が結託して戦争を始めたような形になってるけど…

 日本にはそんな計画性をもった指導者はおらず、たいてい行き当たりばったりのやってしまえ式で進んできたのであって…
  ――第四章 人間宣言、公職追放そして戦争放棄

 と、「単に無能だっただけ」とコキおろしてる。ハンロンの剃刀(無能で説明できることに悪意を見出すな、→Wikipedia)ですね。

 幸か不幸か経済的には朝鮮戦争の特需に沸くが、同時にGHQは右旋回して、かつての体制で甘い汁を吸った連中が大手をふって戻ってくる。これが良かったのか悪かったのか。以降も所得倍増計画とかでイケイケになるんだけど、当時を代表するソニーもホンダも、当たったのは「暮らしに便利なもの」なんだよなあ。

 後のソニーが作るウォークマンは「楽しくてお洒落なもの」だし、任天堂のファミリーコンピューターは文句なしに「楽しいもの」なわけで、そう考えると、日本も大きく変わったよね、とつくづく思ったり。

 日本の外交がアレな理由も、著者が語る歴史の流れで見ると実にスッキリわかるのも嬉しいし、文藝春秋で活躍した人だけに、政治家の自叙伝の裏側を教えてくれたりするのも楽しいところ。あまり肩ひじ張らずに楽しみながら、今の日本ができた過程を眺められる、楽しくて迫力溢れる本だ。

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2016年10月13日 (木)

半藤一利「昭和史 1926-1945」平凡社ライブラリー

…つくったのも40年、滅ぼしたのも40年、再び一所懸命つくりなおして40年、そしてまたそれを滅ぼす方向に向かってすでに十何年過ぎたのかな、という感じがしないわけではありません。
  ――はじめの章 昭和史の根底には“赤い夕陽の満州”があった

うまいスローガンがあると国民の気持ちが妙に一致して同じ方法を向くんですね。
  ――第二章 昭和がダメになったスタートの満州事変

戦争は、新聞を儲けさせる最大の武器なんです。
  ――第三章 満州国は日本を“栄光ある孤立”に導いた

「戦争に参加した軍人をいちいち調べたら、皆殺人強盗強姦の犯罪ばかりだろう」
  ――第六章 日中戦争・旗行列提灯行列の波は続いたが…

【どんな本?】

 日本の近現代史の著作を多く出している人気作家・半藤一利が、激動する昭和の日本の歴史を、わかりやすく親しみやすい語り口で綴った、一般向けの歴史解説書「昭和史」シリーズの前半。ここでは、満州への進出から中国との戦争、そして太平洋戦争を経て終戦までを描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 単行本は2004年2月に平凡社から刊行。文庫本は「こぼればなし ノモンハン事件から学ぶもの」を加え、2009年6月11日に初版第1刷を発行。私が読んだのは2009年6月29日発行の初版第2刷。順調な滑り出し。

 文庫本で縦一段組み、本文約525頁に加え、あとがき3頁+平凡社ライブラリー版あとがき2頁。文庫本で縦一段組み、9ポイント42字×16行×525頁=約352,800字、400字詰め原稿用紙で約882枚。上下巻にするかどうか悩む分量。

 文章は好々爺が語りかけてくる雰囲気で、とても親しみやすく読みやすい。内容も特に前提知識は要らない。515や226などの有名な事件について、うっすらと名前だけ覚えている程度でも、懇切丁寧に「いつ」「どこで」「誰が」「何のために」「何をして」「どうなったか」まで、わかりやすく親しみやすい物語形式で語ってくれる。

【構成は?】

 基本的に時系列で話が進むが、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。

  • はじめの章 昭和史の根底には“赤い夕陽の満州”があった 日露戦争に勝った意味
    国家興亡の40年/国防最前線としての満州/芥川龍之介『支那游記』から/情勢悪化の昭和の開幕
  • 第一章 昭和は“陰謀”と“魔法の杖”で開幕した 張作霖爆殺と統帥権干犯
    張作霖爆殺の犯人は?/天皇陛下大いに怒る/豹変した元老西園寺さん/統帥権干犯とは何ぞや/軍師は北一輝という話
  • 第二章 昭和がダメになったスタートの満州事変 関東軍の野望、満州国の建国
    「君側の奸」といわれた人たち/天才戦略家、石原莞爾の登場/天皇への西園寺の牽制/割り箸は右に転んだが…/新聞がいっせいに太鼓を叩く
  • 第三章 満州国は日本を“栄光ある孤立”に導いた 5.15事件から国際連盟脱退まで
    戦争を煽った新聞社/「旭日を浴びて皇軍入場」/きびしくなった世界世論/上海事変をとにかく停戦へ/「話せばわかる」「問答無用」/リットン調査団が見たもの/「42対1」の決議
  • 第四章 軍国主義への道はかく整備されていく 陸軍の派閥争い、天皇機関説
    お祭り騒ぎの大防空演習/陸軍に対する最後の抵抗/軍政のエースと作戦の鬼/「中国一撃論」まかり通る/「天皇機関説」の目的は?/万世一系の天皇の統治
  • 第五章 2.26事件の眼目は「宮城占拠計画」にあった 大股で戦争体制へ
    「たたかひは創造の父、文化の母」/立派であった夫人たち/「玉を押さえる」ことの意味/三銭切手が“仲間”の符号/「わが事成れり」/「今からでも遅くない」/広田内閣が残したもの
  • 第六章 日中戦争・旗行列提灯行列の波は続いたが… 盧溝橋事件、南京事件
    重大視されなかった西安事件/7月7日午後10時過ぎ/連隊長の独断専行の命令/第三者の陰謀があった/「南京虐殺」はあったが…/泥沼化していった戦争/致命的な「?介石を対手にせず」
  • 第七章 政府も軍部も強気一点張り、そしてノモンハン 軍縮脱退、国家総動員法
    海軍中堅クラスの強硬論/長大戦艦を建造すべし/「国家総動員上必要あるとき」/「スターリンのごとく」大胆に/ノモンハンの悲劇/戦争は意思の強い方が勝つ
  • 第八章 第二次大戦の勃発があらゆる問題を吹き飛ばした 米英との対立、ドイツへの接近
    海軍の良識トリオの孤軍奮闘/遺書をしたためた山本五十六/強硬となりはじめたアメリカ/パーマネントはやめましょう/スターリンの悪魔的決断/「いまより一兵士として戦う」
  • 第九章 なぜ海軍は三国同盟をイエスと言ったか ひた走る軍事国家への道
    「ぜいたくは素敵だ」/「バスに乗り遅れるな」の大合唱/最後の防波堤が崩れた時/金のために魂を売った?/血と苦労と涙と、そして汗
  • 第十章 独ソの政略に振り回されるなか、南進論の大合唱 ドイツのソ連侵攻
    恥ずべき北部仏印への武力進駐/戦争へ走り出した海軍中央/紀元は2600年…/松岡外相のヨーロッパ旅行/ヒトラーの悪魔的な誘い/ご機嫌そのもののスターリン/英雄は顔を転向する
  • 第十一章 四つの御前会議、かくして戦争は決断された 太平洋戦争開戦前夜
    外務省内の対米強硬派/雲散霧消した日米諒解案/「対米英戦争を辞せず」/やる気満々であった「関特演」/戦争を辞せざる決意をする/桶狭間とひよどり越と川中島/「戦機はあとには来ない!」/対米開戦を決意する/ニイタカヤマノボレ 1208
  • 第十二章 栄光から悲惨へ、その逆転はあまりにも早かった つかの間の「連勝」
    開戦通告は必ずやられたし/「だまし討ち」の永遠の汚名/ひたすら大勝利に酔った日本国民/ミッドウェーの落日
  • 第十三章 大日本帝国にもはや勝機がなくなって… ガダルカナル、インパール、サイパンの悲劇から特攻隊出撃へ
    ガダルカナル奪取さる/山本長官戦死の発表/豪雨の中のインパール街道/サイパン奪回は不可能/特別攻撃は海軍の総意?
  • 第十四章 日本降伏を前に、駆け引きに狂奔する米国とソ連 ヤルタ会談、東京大空襲、沖縄本島決戦、そしてドイツ降伏
    元暁の焼夷弾こそあぶなけれ/日本の家屋は木と紙だ/散る桜残る桜も散る桜/昭和天皇が倒れた日/引き延ばされた返事/原子爆弾とポツダム宣言の「黙殺」
  • 第十五章 「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ忍ビ…」 ポツダム宣言受諾、終戦
    ヒロシマの死者の列/「もはや戦争継続は不可能」/第一回の「聖断」/「隷属」と「制限下」/二度目の「聖断」によって/降伏することのむずかしさ
  • むすびの章 310万の死者が語りかけてくるものは? 昭和史20年の教訓
  • こぼればなし ノモンハン事件から学ぶもの
    幻想・独善・泥縄的/司馬遼太郎さんのこと/隊長からの一通の手紙/事のはじまりは国境侵犯/「研究委員会」の結論/情報は天皇に達せず/服部参謀と辻参謀/南進論の大合唱/ノモンハン事件の教訓/日本人の欠点を如実に記録
  • 関連年表/あとがき/平凡社ライブラリー版あとがき/参考文献

【感想は?】

 この本の最大の特徴は、なんといっても親しみやすさとわかりやすさ。

 記述の多くは、日本の政治中枢の動きだ。その時、どんな状況でどんな問題があり、首相や軍のトップは誰で何を主張し、その結果どうなったか、と続く。

 これを教科書的に事実を並べるだけなら、論文として役立っても、読み物としては面白くない。この本では、重要な登場人物を鮮やかに色付けし、生きた人間ドラマに仕立てている。その色付けに著者の気持ちが強く出ているため、ドラマとしてグッと面白くなった。

 反面、経済・技術・産業・文化・芸能など、民間や制度の話はあまり出てこない。たぶん、これは著者の考え方のためだろう。ウィリアム・マクニールやジャレド・ダイアモンドのような「歴史は状況が作る」と考えるタイプではなく、司馬遷のように「歴史は人が作る」と考えるタイプだ。

 ただ、わかりやすいだけに危険もある。つい著者の主張を鵜呑みにしたくなってしまうのだ。物語として起承転結がハッキリしていると記憶に残りやすい上に、細かい部分ではキチンと一次資料を示して説得力を持たせているし、何より語りが巧い。

 この危険は著者自身も充分に承知しているらしく、アチコチで「簡単に言えば」「わかりやすく言えば」「要するに」と、読者に警告してたり。つまりは読者に宿題を出しているわけだ。「紙面の都合で大ざっぱに書いたけど、本当はもっと微妙な話なんだよ、後でキチンと調べておいてね」と。

 例えば、陸軍内の統制派(→Wikipedia)と皇道派(→Wikipedia)の対立。

簡単に言えば、統制派の中心が永田鉄山であり、皇道派の中心が小畑敏四郎です。(略)
わかりやすく言えば、小畑敏四郎は、(略)何よりソ連に対してわれわれは準備しなければならないという立場でした。(略)
 対して永山鉄山は、(略)まず中国を徹底的に叩くべきだ。

 と、この本だと、統制派は対中国で皇道派は対ソ連みたく思えてくるが、同時に、それほど単純な話でもないんだよ、と「簡単に言えば」「わかりやすく言えば」と釘もさしている。ちょっと WIkipedia の記述と比べてみよう。単なる戦略の違いってわけでもなく、けっこうドロドロした根の深い問題らしい。

 で、こういったことについて、著者は最後に再び念を押してくるから厳しい。

歴史は決して学ばなければ教えてくれない
  ――むすびの章 310万の死者が語りかけてくるものは?

 君たち、歴史を学びなさいよ、そこにはとても貴重な宝が埋まってるんだよ、でも自ら進んで学ばなければ、何も得られないんだよ、と。

 お話の本筋は張作霖爆殺から始まるんだが、陸軍は完全に悪役。騒ぎを起こす→隠そうとする→バレて炎上→別の騒ぎを起こして目を逸らそうとする…と、しょうもない。おまけにヤバくなるとクーデターを匂わせて政府を脅した上に、権限を奪ってゆく。まるきしヤクザだ。この繰り返しで敗戦まで突っ走るんだから、泣いていいのか笑っていいのか。

 対する海軍も情けないもんで、三国同盟のおあたりでは「結果として予算をより多く獲得する条件を陸軍につきつけ」られるから、と厳しい。外交より軍の事情を優先し「金のために身を売った」とまで罵っている。このあたりはイアン・トールと意見が近い(「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで」)。

 イアン・トールは帝国海軍の艦隊決戦思想の原点をマハンに求めてたけど、対する陸軍の思想を著者は石原莞爾の「世界最終戦争論」に求めていて、私はこれの源流をクラウゼヴィッツの戦争論だと思うんだが、どうなんだろうなあ。あれ推し進めると、どうしても軍政になっちゃうんだが。

 太平洋戦争に突入し敗色が濃くなるあたりは、軍の上層部がグダグダやっている最中にも南方じゃ将兵が続々と飢え死にしてるにも関わらず、国内じゃ憲兵や特高の締め付けが厳しくなってたり、一体何をやってるんだろうと切なくなるのは、この手の本の常。

 そして、終盤に出てくる著者の嘆きは、今でも通用しちゃうから悲しい。

 「起きると困るようなことは起きないということにする」
  ――こぼればなし ノモンハン事件から学ぶもの

 個人の商売だったら一発賭けに出るのもアリだと思うんだが、軍人がこれじゃなあ。軍人ってのは、常に最悪のケースを予測して作戦を立てるもんでないの?

 なんでこんな無茶・無責任がまかり通ったのか。これについて、もっと盛んに議論されるべきだと思うし、その議論の足がかりとしては、充分すぎるほどの起動力を持つ本だろう。私は著者の結論とは違う意見なんだけど(それは後で述べます、たぶん)、是非多くの日本人に読んでほしい本であることに変わりはない。

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2016年10月11日 (火)

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「あまたの星、宝冠のごとく」ハヤカワ文庫SF 伊藤典夫・小野田和子訳

 神が死んだので、魔王サタンは彼よりしばらく長生きすることとなった。
  ――悪魔、天国へ行く

戦争は悪だ。共産主義者の圧政に甘んじるのは、もっと悪だ。
  ――ヤンキー・ドゥードゥル

【どんな本?】

 衝撃のデビュー、衝撃の正体、そして衝撃の最後と、三度にわたりSF界にティプトリー・ショックを与えたジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの最晩年の作品を集めた、珠玉の短編集。

 わかりやすい皮肉や風刺から、冷酷なまでに現実的な目線の社会批判もあれば、追い詰められた者への温かいまなざしを感じさせる物語まで、バラエティ豊かながらも、他の追随を許さない独特のティプトリー臭を漂わせる作品が集まっている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Crown of Stars, by James Tiptree Jr. , 1988。日本語版は2016年2月25日発行、私が読んだのは2016年3月15日の二刷。滑り出しは快調。文庫本で縦一段組み、本文約558頁に加え、小谷真理の解説「銃口の先に何がある?」7頁。9ポイント41字×18行×558頁=約411,804字、400字詰め原稿用紙で約1,030枚。上下巻に分けてもいい分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。SFというよりファンタジイや寓話的な仕掛けの作品もあるし。ただし、意味はつかめても意図を掴むには苦労する作品が多いかも。東欧崩壊前の冷戦の最中に書かれた事を頭に入れておこう。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 元題 / 初出 / 訳者 の順。

アングリ降臨 /  Second Going /  Universe 17 1987 / 小野田和子訳
 人類は火星で初めて異星人に出会った。だが、彼らは火星人ではない…見た目は昔の映画の火星人ソックリだけど。彼らは三本足の戦車で地球に攻めてきたりはしなかった。彼らが伝えてくるメッセージは「平和」そして「歓迎」。
 コロコロと話が進む、ユーモラスながら強烈な毒がたっぷり詰まった作品。終盤でズラズラと連中が出てくるパレードの場面は、華やかながら、ちょっと笑えたり。とまれ、解説にあるように、キリスト教が強いアメリカと、八百万の神がおわす日本では、だいぶ受け手の印象が違うんだよなあ。
悪魔、天国へ行く /  Our Resident Djinn /  F&SF 1986年10月号 / 小野田和子訳
 神が死んだので、魔王サタンことルシフェルは天国へと弔問にでかける。門ではペテロが番をしていた。思ったより巧くいっているように見えたが、内部事情はなかなかに複雑で。この機に乗じて色々と画策する連中も多く…
 これもアブラハムの宗教を皮肉ったユーモラスな作品。いきなり「神が死んだ」で驚き、次に魔王サタンが天国まで弔問に行くってんでまたびっくり。でも意外と険悪にはならず、どころかペテロの悩みを親身に聞いてたりw
肉 /  Morality Meat /  Despatches from the Frontiers of the Female Mind 1985 /  小野田和子訳
 州間高速道路をトバす18輪トレーラー。行先は金持ちの爺さんが集まるボヘミアクラブ、積み荷は上等の肉。今は凶作で肉なんて滅多に食えないのに。
 赤ん坊を抱えた黒人少女のメイリーンは、珍しく白人ばかりの山の手に来た。安月給で親子二人が食っていくのは苦しい。
 貧富の差・人種問題・妊娠中絶など多くの社会問題をブチ込み、ストレートに風刺する作品。段ボールハウスで寒風をしのぐホームレスたちと、明るく清潔でシステマチックで効率よさげなセンター内の対照が、皮肉を際立たせている。
すべてこの世も天国も /  All This and Heaven Too /  アシモフズ1985年12月中旬号 /  小野田和子訳
 豊かな自然に恵まれ、発達したリサイクル技術で環境を守っているエコロジア=ベラのお姫様が、隣の大国プルビオ=アシダの王子さまに恋をしました。プルビオ=アシダは工業化が進み、地には汚泥が広がり奇形の子どもも沢山生まれています。
 これまた皮肉でユーモラスな作品。お伽噺の文体で語られる、恋するお姫様とお王子様の話…のはずなのに、その中身は再生可能エネルギーだったり軍の性質だったり男女のあっふんだったりw 著者の経歴を考えると、最後のオチもなかなか意味深。
ヤンキー・ドゥードゥル /  Yanqui Doodle /  アシモフズ1987年7月号 /  小野田和子訳
 南米の某国。共産系のゲリラと戦っていたドナルド・スティル上等兵は負傷して気を失い、病院で目を覚ます。戦友たちの行方はわからない。看護師の女の子が言うには、国に帰れるようだ。ただし、その前に「二、三週間かけて解毒しなくちゃならない」。
 舞台はニカラグアかコロンビアか。ゲバラの「ゲリラ戦争」とかを読むと、確かにゲリラ相手の戦いは神経をすり減らすシロモノで、しかも敵はわかってて神経戦を挑んでくる。ベトナムでも多くの兵が薬物に頼り、壊れていく様子は幾つかの映画でも描かれた。太平洋戦争でも帝国陸海軍はヒロポンを使ってたなあ。
いっしょに生きよう /  Come Live with Me /  Crown of Stars 1988 / 伊藤典夫訳
 四季節まえ、山火事があった。わたしはなんとか生き延びたが、困ったことになっている。川上にいるたった一人の連れとの間を、倒れた木がふさいでしまった。使い子をやって木を動かそうとしたが、場所が遠すぎるし使い子は力が弱すぎる。
 あの名作「愛はさだめ、さだめは死」を彷彿とさせる、異星を舞台としてエイリアン視点で始まる物語。冒頭から人間視点で描いたら、かなり味わいが違ってくる。どころかジョージ/ジューン視点とケヴィン視点でも、全く違う物語になりそう。
昨夜も今夜も、また明日の夜も /  Last Night and Every Night /  Worlds of Fantasy Volume 1 Issue 2 1970 /  小野田和子訳
 雨の中、高級マンションから女が出てきた。小柄で若い。これならチョロそうだ。今まで何度もやった。そばにいって、感じよさそうな声と表情で話を聞いてやる。追い出されて行くところがない、お馴染みの泣き言だ。
 手慣れたスケコマシのアンチャンが、ねぐらのない娘をひっかけてヤサに連れ込みってパターンは、現代日本でも神待ち掲示板なんてモンがあるらしいが…
もどれ、過去へもどれ /  Backward, Turn Backward /  Synergy 2 1988 /  小野田和子訳
 タイムトラベルは、実現した。とはいっても、実際にはほとんど役に立たない。未来の自分と入れ替われるが、何も持って行けず、また持って帰ることもできない上に、帰ってきても何も覚えていない。使えないので軍は技術を手放した。今は金持ち学生向けのアトラクションにもなっている。
 ニキビだらけでボッチな優等生と、ブロムの女王。どう考えても接点のない筈の二人なのに、55年後には愛し合い幸福な結婚生活を送っていた。一体、何があったのか。と、まるきし甘いラブロマンスの設定を示しながら、やっぱりティプトリーだったw 終盤の胃が痛くなる緊張感はさすが。
地球は蛇のごとくあらたに /  The Earth Doth Like a Snake Renew /  アシモフズ1988年5月号 /  小野田和子訳
 幼いころから、Pは<地球>に夢中だった。神話や伝説では女性に例えられる地球だが、彼女の<地球>は間違いなく男性で、そして彼女を深く愛している。成長しても思い込みは変わらず、それどころか彼女の信念を裏付ける事件が次々と起き…
 運命の恋をした女性の物語。ただしお相手は人間ではなく<地球>。と書くとアレな人みたいだし、ティプトリーの落ち着いた三人称で語られると、更にPのアレ具合が引き立つ。オチも実にティプトリーらしい。
死のさなかにも生きてあり /  In Midst of Life /  F&SF 1987年11月号 /  小野田和子訳
 45歳の春、エイモリー・ギルフォードはすべてに興味を失い、何もかもが面倒臭くなった。仕事は順調だし、妻との関係も悪くない。だが休みを取ってビーチに行っても、エンジンはかからない。休暇の最後の日、彼は銃を取り出し…
 出だしの鬱の描写が見事。経験者なんだろうなあ。ガイド役のトラック運転手のリロイ、改めて読み返すと、これはこれで彼なりに幸福なような気がする。相棒のデイジーも、ここなら具合が悪くなったりしないだろうし。そういう人生も、それなりにいいのかも。
解説 銃口の先に何がある?(小谷真理)

 お話の流れはゾッとするぐらい冷酷な現実主義者の世界観を感じさせるものが多いが、その奥に切り捨てられる者へ注ぐ暖かなまなざしもある。どうにも溶け合いそうにない両者が、危ういバランスで共存しているのが、慣れるとクセになるティプトリー作品の魅力の一つ。

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2016年10月 9日 (日)

ルイス・ダートネル「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」河出書房新社 東郷えりか訳

 これは文明再起動のための青写真だ。しかし、これはまた僕ら自身の文明の基礎に関する入門書でもある。
  ――序章

料理は人間の歴史における化学の始まりだった。
  ――第4章 食料と衣料

製粉や木造パルプを叩いて紙にするなどの作業にくらべ、ウールを梳く作業、紡績、機織りなどのどの段階でも、自動化や機械力の応用はずっと難しいことに気づくだろう。織物製造にかかわる作業の多くはきわめて繊細で、細い糸を切らずに紡ぐなど、指の器用な動きに合ったものなのだ。
  ――第4章 食料と衣料

 こうした疾病の多くは文明そのもののもたらす直接の結果である。とりわけ、動物を家畜化し、そのすぐそばで暮らすことによって、病気は異種間の障壁を越えて人間に感染するようになった。
  ――第7章 医薬品

機械化革命は11世紀から13世紀のあいだに勢いづき、収穫した穀物を粉にひくために〔水力・風力による〕工場を利用するに留まらなかった。水車や風車の力強い回転力は、目を見張るほど多様な用途に利用できる普遍的な動力となった。採油のためのオリーブ、亜麻仁、菜種の圧搾、木材に穴をあけるドリルの駆動、絹や綿の紡績…
  ――第8章 人びとに動力を パワー・トゥ・ザ・ピープル

窒素固定の実践は熟練した工学技術のわざなのである。
  ――第11章 応用科学

科学は自分が何を知っているかを並べているわけではない。むしろ、どうやってわかるようになるかに関するものなのだ。
  ――第13章 最大の発明

【どんな本?】

 人類滅亡には様々なシナリオがある。ここでは疫病が大流行し、生き残ったのは一万人ぐらいとしよう。幸いにして気候は大きく変わらず、今ある自動車や工場などの機械も大半が残っている。しかし、ガス・水道・電力などのインフラは止まり、石油もガソリンスタンドの貯蔵分を使い切ればなくなる。

 こんな状況から文明を立て直すには、どうすればいいだろうか? 暫くは既にあるものでしのげるが、やがて食料は食べつくし衣服はすり切れ機械は壊れる。その前に、自分たちで穀物を育て糸を紡ぎ鉄を精錬し家を建て…と、自給の体制を整え、再び文明を再建できるようにしたい。

 それ以外に、どんな事をすべきなんだろう? 大規模な工場が動かせず世界中からの原材料も大量の石油もない状態で、どんな物をどんな風に作れるだろう? そういった危機に備えるには、どんな知識を書き残すべきなんだろうか?

 文明の再建というシナリオをもとに、私たちの暮らしを支えるテクノロジーの基盤や、それらが登場した歴史を語り、楽しく科学と技術の基礎を伝える、一般向けのエキサイティングな科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Knowledge : How to Rebuild Our World from Scratch, by Lewis Dartnell, 2014。日本語版は2015年6月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約308頁、9ポイント47字×19行×308頁=約275,044字、400字詰め原稿用紙で約688枚。文庫本ならやや厚めの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容は、化学に関する部分が難しかった。具体的には触媒を使うあたり。いや私、化学は苦手なんで。

【構成は?】

 序章から第2章までは世界設定を語る部分なので、できれば最初に読もう。以降も穏やかに順番になっているが、面倒くさかったら美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。

  • 序章
  • 第1章 僕らの知る世界の終焉
  • 第2章 猶予期間
  • 第3章 農業
  • 第4章 食料と衣料
  • 第5章 物質
  • 第6章 材料
  • 第7章 医薬品
  • 第8章 人びとに動力を
    パワー・トゥ・ザ・ピープル
  • 第9章 輸送機関
  • 第10章 コミュニケーション
  • 第11章 応用科学
  • 第12章 時間と場所
  • 第13章 最大の発明
  • おわりに
  •  謝辞/訳者あとがき
    資料文献/参考文献/図版出典

【感想は?】

 「ゼロからトースターを作ってみた結果」を楽しく読めた人には、格好のお薦め。加えてSF者なら必読。

 なんたってシナリオが魅力的だ。パンデミックで人口の99.9%が消える。ここで何もかもが消えるわけではなく、文明の利器も一応は残っている。ただし、電気・ガス・水道などのインフラは、維持する人がいなくなるので途絶えてしまう。

 ここで、多少の猶予期間があるのが嬉しい。食料も、当面はスーパーの保存食品で食いつなげる。自動車も放置されてるのを使えばいいし、燃料もガソリンスタンドから頂戴すればいい。ただし、スタンドに貯めてある燃料も、酸素に触れれば劣化をはじめフィルターを詰まらせてしまう。

 じゃ油田を掘れば、と思うが、そうは問屋が卸さないのが意地の悪い所。浅くて掘りやすい所の油田は既に取りつくしてるんで、新しい油田は深いところにしかないし、そういう油田を開発するには高度に発達した技術が要る。

 と、ゲームバランスとしては、易しい所と難しい所が絶妙に組み合わさっている。今ある遺産を食い潰す前に、新しい科学技術を再建できるかどうか、がキモなわけ。そこで、なるべく早く文明を再建するには、どこから手をつけたらいいか。

 まずは食べ物を、ってんで農業なんだが、ここで農具から始まるのが切ない。鍬・鎌・脱穀機などだ。原始的に思えるけど、農家の生産性が上がれば他の職業人、例えば職人や商人を養う余裕もでき、更なる農具の改善や肥料の生産もできるんで、死活問題なわけ。

 また、この章では、本書の別の面も少し顔を出す。曰く…

食料の生産はきわめて重要なので、自分の命がその成果に左右されているときは、充分に試されてきたことをあまり変えようとはしなくなる。これが食料生産の罠で、今日の多くの貧困国がそれに陥っている。

 命がかかっている時、人は博打にでない。既にソレナリの実績がある堅実な手段を取る。彼らは頑固に見えるが、そうじゃない。命がかかっているから、慎重になっているだけ。一歩間違えれば死ぬ状況では、賢い戦略と言えるだろう。

 そんな風に、「おお、そうだったのか!」的な驚きがアチコチにある。例えば燻製。あれは香りをつけるためじゃなかった。長持ちさせるための工夫で、「毒性のある抗菌性成分を」「肉か魚」「に染み込ませ」ていた。木の不完全燃焼でできるクレオソートが防腐剤となるわけ。

 やはりよくわかってなかったのが、炭焼き。なんで薪より炭の方がいいのか、よくわからなかった。薪を炭にする途中に出る熱がもったいないし。でも、ちゃんと意味があるのだ。

 薪を炭にすると、水などの不純物が消え炭素だけが残る。これで小さく軽くなり運びやすくなると共に、「元の木材よりもはるかに高温で燃える」。石炭をコークスにするのも、同じ理由。おまけに、炭は製鉄でも重要なだけでなく、炭焼きの際の副産物は使い道が沢山ある。

 例えば木ガスとメタノールは燃料になり、テレピン油は溶剤になり、ピッチは防水に役立つ。また灰も重要なアルカリで、石?やガラスを作るのに必要だ。

 木は炭の他にも、水車の歯車や船の船体、紙など応用範囲が実に広い。人類の歴史は旧石器→新石器→青銅器→鉄なんて教わったけど、実は鉄の後に木器時代を入れてもいいんじゃなかろか。だって、木製の水車や風車の普及が、歯車やカムやクランクなど複雑な機械工学を促し、それが産業革命の礎になったんだから。

 実際、この本にも、ジェームズ・ワットが工夫した蒸気圧の調整装置は、「風車の技術からそっくり拝借した」とあったり。

 この手のトリビアも楽しいのが色々載ってる。「T型フォードは化石燃料であるガソリンかアルコールで走るように設計されていた」とか「1944年には、ドイツ軍は木材ガス化装置で動く50台以上のタイガー戦車すら配備した」とか「産科鉗子はこれを発明した医師の一族によって、一世紀以上も極秘にされていた」とか。

 加えて、最強のチート「後知恵」が使えるのも、このシナリオの嬉しい所。緯度は天測で分かるが、経度は難しい。これを正確に測るためには正確な時刻を知る必要があり、そのためジョン・ハリソンは生涯をかけて正確な時計を創り上げ、その過程で転がり軸受やバイメタル板などの副産物も生み出した。

 が、私たちは、こんな苦労をしなくてもいい。時報を電波で飛ばし、ラジオで受信すればいいのだ。許せジョン・ハリソン。

 などと科学とテクノロジーの美味しい所をつまみ食いし、石鹸やガラスなどの身近なモノのしくみと作り方もわかり、歴史的なトリビアも詰まっている上に、SF者にはたまらないシナリオで世界設定のキモを教えてくれる、とっても楽しい本だった。

 などと思っていたら、A・C・クラークやアイザック・アシモフやウォルター・ミラー・ジュニアを引用してたりするんで、やっぱりそういう人だったかw

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2016年10月 6日 (木)

フィリップ・キュルヴァル「愛しき人類」サンリオSF文庫 蒲田耕二訳

「…実際、マルコムは立派だよ、自殺ができない世界で初めての国なんだ」

「ルイス、恥ずかしがることはない。おまえは美しい。さあ、ごみに戻れ。汚物を崇拝しよう」

「…過去とは、実は人間の空想が創り出したものではないだろうか――」

「…わたしはいつうも飢えているんです。生まれた時からいつも、現実以外の何かがわたしに必要なんです」

【どんな本?】

 1978年、サンリオが翻訳SF文庫に進出する。先行するハヤカワ文庫や創元SF文庫と差別化を図るため、ブライアン・スティブルフォード,マイクル・コニイ,イアン・ワトスン,キース・ロバーツなどイギリス作家を開拓するだけでなく、ミシェル・ジュリやピエール・プロなどフランス作家、果ては中国の老舎にまで手を広げた。

 残念ながら後にサンリオは翻訳SF出版から手を引き、多くの傑作が埋もれてしまう。クリストファー・プリーストの「逆転世界」やアンナ・カヴァンの「氷」など他社で復活した作品もあるが、イアン・ワトスンの「マーシャン・インカ」やシリル・M・コーンブルースの「シンディック」など、未だに埋もれている傑作も多い。

 この作品はそんな埋もれた傑作の一つで、フランスの人気SF作家フィリップ・キュルヴァルの長編SF小説。フランスで出版されたSF作品を対象としたアポロ賞は、それまで海外作品ばかりが受賞していたが、この作品がフランス人として初めて1977年に受賞作となった。

 暴走するイマジネーションと狂ってゆく現実感覚、そして強烈なエロティシズムが炸裂する、フランスならではの独特の臭みを備えた、傑作SF長編小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Cette chere humanite, by Philippe Curval, 1976。日本語版は1980年5月15日発行。文庫本で縦一段組み、本文約337頁に加え、鈴木晶の解説4頁。8ポイント43字×18行×337頁=約260,838字、400字詰め原稿用紙で約653枚。文庫本としては少し厚め。

 ただし今は版元が撤退してるんで、手に入れるのは難しい。古本屋でも値段は高騰しているだろうし、図書館に取り寄せを頼むのが最も確実かも。

 文章は意外とこなれている。当時のサンリオSF文庫の翻訳は酷いのが多かったが、これは奇跡的なぐらいマトモ。内容は、綿密に科学を考えるタイプではないのだけれど、奇矯なアイデアが次から次へと出てくるので、ある程度はSF的な仕掛けに慣れていないとついていくのに苦労するかも。また、18禁な場面がちょいちょい出てきます。

【どんな話?】

 自給自足が可能とわかったマルコム=旧ヨーロッパ共同体は、外国人労働者を追放して国境を閉鎖、鎖国政策を取る。以後、交通と通商は途絶し、情報も全く出てこない。スイスは孤立し、最貧国に落ちぶれた。

 そんなある日、ベイヴォイド=旧発展途上国連盟の浜辺に、瓶に詰めたメッセージが流れつく。かつてマルコムにいたが外国人労働者として追放され、子供と引き離されたベルガセン・アティアは、スパイとしてマルコムに潜り込み、メッセージの発信者レオ・ドリームとの接触を図る。

 マルコムでは時間流減速機が普及し始めていた。これはキャビンの中で一週間を過ごしても外では24時間しか経過しないシステムであり、製造社の取締役のシモン・セシユーは骨董に囲まれ優雅に暮らしている。だが時間流減速機の普及は、市民の生活ばかりでなく社会全体も静かに犯しはじめていた。

 その頃、メッセージの発信者レオ・ドリームは新興宗教の夢現教の司祭となり…

【感想は?】

 今、手に入りやすいフランスのSF作家は、「オマル」のロラン・ジュヌフォールと「」のベルナール・ウェルベルだろう。

 ロラン・ジュヌフォールの「オマル」シリーズは明らかにラリイ・ニーヴンのリングワールドに影響を受けた作品で、世界は突飛なようでも土台にはしっかりした科学の礎がある。数学と科学は世界で共通なだけに、あまりフランス独特の臭みは感じない。

 対してベルナール・ウェルベルの「蟻」シリーズは、メカの描写こそ悲惨なものの、現代フランスを舞台にしているのもあって、お国柄が良く出ている。意外な食材を使った食事場面もそうだが、オカルトすれすれのトリビアや意表を突く奇想、そして違和感バリバリのストーリーなど、フランスならではのローカル感が溢れている。

 この作品はベルナール・ウェルベルの感触に近く、サイエンスより奇想が楽しい。それもアメリカやイギリスの作家とは異なり、独特で強烈な臭みがあるのが特徴。

 例えば国境封鎖の方法だ。アメリカなら国境沿いに壁と鉄条網をめぐらし地雷を埋め、機関銃を並べて侵入者を蜂の巣にするだろう。コワモテで暴力的、わかりやすいパワー信仰がアメリカらしさ。

 ところが作中のマルコムは、神経兵器を使う。運が良ければ生き残れるが、人格を破壊される。詳しい原理と効果はわからないが、なまじ目立つ外傷がない分、長い歴史を持つヨーロッパらしい底意地の悪い陰険さを感じる。

 マルコムの内部が、徹底した管理社会・監視社会だ。外出中も、常に身分を照会される。タバコや酒の消費量も管理され、規定以上は買えない。これも全面禁止ではなく、規定量は買えるってあたりが、いかにもヨーロッパ。

 管理社会とはいえ、はみ出し者もいる。一部は異端者として自由市民の権利を失い、なかなかに悲惨な扱いをうけてたり。ここで奇妙なのが心理再教育収容所。曰く…

タバコ、酒、麻薬、なんでも好きなものをお好きなだけお楽しみ下さい。売春、買春も自由です。

 お、ラッキーじゃん、と思ってたら、とんでもない続きがあった。いやあ、陰険だねえ。

 などに加え、強烈なエロティシズムが、この作品の欠かせない特徴。登場人物は、年甲斐もなく元気にヤりまくる。

 最初のヒロインであるエルザ・ファン・ライデンもなかなかの美人で楽しめるが、次に出てくるシルヴィ・ルクエロック姉御が、これまたマニアックな人で。さすが欧州、変態プレイも爛熟してススんでるねえ、などと感心してたら、終盤になってとんでもないのが出てきた。

 まず登場するのが、生物学アーティストを自称するエンリコ・フェレンチ。

「…計画に理論の裏づけはなかった。いまでも、わしの仮説は科学的証明がなされておらん。しかしわしは、成功したのじゃ。忍耐と、根気と、特にわしの才能によってな。これ以上、有力な証明があろうか。どうしてそれがわからん。マルコムのめくら学者どもめ。くそ。死ね」

 と、「わしを認めない学会に復讐するんじゃあぁぁ~!」的な、わかりやすいマッド・サイエンティスト。アマゾンのジャングルで見つけたナニをアレして、執念で創り上げたのが、最強のヒロインであるグリシーヌ嬢。アマゾンのジャングルってのが、大時代でいいねえ。

 ってだけじゃなく、この後のグリシーヌ嬢のプレイがまた、彼女ならではの能力を存分に活かした、SFならではの凄まじい変態プレイで。ここまで鮮やかに記憶に焼き付く描写は、「第六ポンプ」収録の「フルーテッド・ガールズ」まで長らくお目にかかれなかった。

 終盤ではこれに夢現教の司祭レオ・ドリームが絡み、読者の現実感覚がどんどん壊されてゆく。夢って字が示すように、そのアイデアは突拍子もない上に、辻褄もあってないんだが、壮大にして印象的な場面で終わるラストも含め、発想の狂いっぷりは充分に保証できる。

 力強く暴走する奔放なイマジネーションを御しきれてない感はあって、完成度を求める人には向かないが、頭の中身をシェイクされたい人には格好のお薦め。なんとか他の出版社で復活して欲しいフランスSFの怪作。

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2016年10月 5日 (水)

イアン・トール「太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 下」文藝春秋 村上和久訳

 彼らが従事することになる戦争は、彼らが訓練を受けた戦争ではなかった。戦間期の運用思想は、ユトランド海戦(1916年,→Wikipedia)の英独艦隊決戦の研究に影響を受け、潜水艦を海軍の主力戦艦艦隊の添え物と考えていた。その第一の役目は偵察だった。
  ――第九章 日本の石油輸送網を叩け

 タラワの教訓は注意深く研究され、将来の水陸両用上陸作戦の計画に生かされた。海兵隊はあとから考えてみて、強襲部隊は海岸に装備を多く持っていきすぎと結論づけた。
  ――第十一章 日米激突の白兵戦「タワラの戦い」

…フォレスタルとキングは重要な新しい人事政策に合意していた。重要な指揮官職にある飛行士ではない士官は全員、飛行士を参謀長として採用しなければならず、重要な指揮官職にある飛行士は全員、ブラックシューズを参謀長として採用しなければならない。
  ――第十三章 艦隊決戦で逆転勝利を狙う日本海軍

 日本の新聞の全面が戦死者にかんする記事にあてられていた。兵事係が戦死者の名前を公表すると、地元の記者とカメラマンが実家に殺到した。しばしばジャーナリストが親族に知らせをつたえた。
  ――終章  最早希望アル戦争指導ハ遂行シ得ズ

【どんな本?】

 イアン・トール「太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 上」文藝春秋 村上和久訳 から続く。

 日本の野心的な豪州孤立戦略の足がかりとして南太平洋の焦点となったガダルカナルは、ついに米軍の支配下に入る。日米両軍に多大な犠牲を強いた消耗戦は、日本軍の優れた飛行士をすり潰してゆく。

 しかし未だ大和・武蔵の巨大艦を擁する日本海軍はトラック諸島で米海軍を待ち受けるが、米国はその産業力で真珠湾の被害を補修するどころか、多数の空母を中心とした前代未聞の巨大な機動艦隊を誕生させると共に、レーダーなどの新装備で戦力を増し、前線の報告を元に戦術を練り直す事で、全く新しい海軍へと生まれ変わりつつあった。

 太平洋戦争を、アメリカの海軍史家イアン・トールが、日米両海軍の戦いを中心に描く三部作の第二部。

【構成は?】

 基本的に時系列で進むので、素直に頭から読もう。

  •  上巻
  • 序章 ソロモン諸島をとる
  • 第一章 ガダルカナルへの反攻
  • 第二章 第一次ソロモン海戦
  • 第三章 三度の空母決戦
  • 第四章 南太平洋で戦える空母はホーネットのみ
  • 第五章 六週間の膠着
  • 第六章 新指揮官ハルゼーの巻き返しが始まった
  • 第七章 山本五十六の死
  • 第八章 ラバウルを迂回する
  •  ソースノート
  •  下巻
  • 第九章 日本の石油輸送網を叩け
  • 第十章 奇襲から甦ったパールハーバー
  • 第十一章 日米激突の白兵戦「タワラの戦い」
  • 第十二章 真珠湾の仇をトラックで討つ
  • 第十三章 艦隊決戦で逆転勝利を狙う日本海軍
  • 第十四章 日米空母最後の決戦とサイパンの悲劇
  • 終章  最早希望アル戦争指導ハ遂行シ得ズ
  •  謝辞/ソースノート/参考文献/訳者解説

【感想は?】

 下巻はアメリカの潜水艦隊の話で幕をあける。

 日本では「ドン亀」などと蔑まれた潜水艦だが、アメリカじゃ「潜水艦乗りは全員が志願者だった」と、むしろエリートが集まっていた模様。開戦当初は「慎重さと、組織内の力関係におとなしくしたがう」タイプの艦長が多かったが、次第に若く攻撃的な者が指揮を執るようになる。

 「この過程には約18カ月を要した」と、時間がかかりすぎるように書いているけど、日本の年功序列型の組織体質は、もっとしぶとく抵抗するんだよなあ。こういう大胆な組織改革を迅速にアメリカができる理由は、なんなんだろう?

 役割も、当初は艦隊の添え物だった潜水艦が、補給線を絶つ仕事に重点を移す。のだが、かの悪名高いマーク14魚雷(→Wikipedia)で苦労してる。指定より3mほど深く走るんで、標的の底をスリ抜けちゃう。こんな酷いシロモノになった理由は、「最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか」に詳しいが、実に呆れる話だったり。

 賢い艦長はコッソリ具合の悪い磁気起爆装置を止めたり深度をいじったりたんだが、「これは問題を曖昧にし、適切な対応をさらに遅らせ」てしまう。現場の愚痴を上が聞かないとロクなことにならないんだよなあ。いずれにせよ輸送船がボカスカ沈められるのに対し、日本の海軍は…

日本海軍の指導者たちはこの問題を一度も本気で研究していなかったし、対潜作戦(ASW)で初歩的な能力以上のものを開発していなかった。(略)
日本の海軍要員は商船を軽蔑的な態度であつかうことに固執した。

 このあたりは「海上護衛戦」に詳しい。このしこりは今でも残っていて、海員組合はかなりナーバスな様子。日本みたいな海洋国で海の男を粗末にしちゃマズいでしょJK。つか海の男に限らず、この国は人を大事にしないんだよなあブツブツ…

 いずれにせよ、その結果は悲惨。せっかく旧オランダ領東インド(インドネシア)の油田を取ったのに、そこで生産した原油が日本に届いたのは、1942年:40%→1943年:15%→1944年5%、そして「1945年3月以降、日本の海岸には一滴の石油も到着しなかった」。

 この反省か今の海上自衛隊の対潜能力はピカ一らしいけど、「すべての軍は直前の戦争に備えている」なんて嫌な言葉もあるんだよなあ。

 対してアメリカ海軍は「終戦時、119隻の空母を就役させていた」って、いかなレシプロ機の時代とはいえ、滅茶苦茶だ。うち17隻が参加してギルバート諸島のタラワ攻略(→Wikipedia)へと向かう。圧倒的な航空戦力と艦砲射撃に対し、しぶとく日本軍が戦えた理由は、丹念に構築された塹壕。

ある遮蔽壕はのちに「1.8mの鉄筋コンクリート」でおおわれ、「その上に交差した鉄のレールが二重重ねられて、さらに90cmの砂とココ椰子の丸太二列でおおわれ、最後に1.8mの砂がかぶされていた」

 これは日露戦争で学んだんだろうか。いずれにせよ、頑強に戦い続ける日本兵の末路は哀しい。「何百台という自転車のねじまがった残骸」が見つかる場面では、なぜか遺体が見つかるのより切なかった。

 ガダルカナルで優れた航空兵を失った日本軍が、以降にパイロットの腕がガクンと落ちた経過も、詳しく書かれている。少数の精鋭を育てるには適していた養成システムだけど、後進を大量に育てるには向かず、また制度を変えるのにも手間取って、気づいたら粗製乱造になっていた、と。ハナから長期の消耗戦は考えてなかったわけです。

 タラワの悲劇はグアムとサイパンでも繰り返され、サイパンでは航空部隊の壊滅までオマケがつく始末。にも拘わらず日本国内では陰険な検閲が横行し、抵抗した中央公論の畑中繁雄は「共産主義者の烙印を押され、監獄にぶちこまれた」。タテつく者をアカと決めつける手口は、今でも連中の常套手段だよなあ。

 すでに勝敗は決まっちゃいるが、お偉方はなかなか現実を認めようとしない。おかげで「日本を支配する者たちの底が抜かれる前に、さらに150万人の日本の軍人と民間人が死ぬことになる」。

 こういう無駄に人が死んでゆく場面はとっても読むのが辛くて、アントニー・ビーヴァーの「ベルリン陥落」も、終盤でドイツの少年兵・老年兵が駆り出されるあたりが悲しくて仕方がなかった。キャサリン・メリデールの「まちがっている」とかを読むとつくづく感じるんだが、ヒトってのは自分の間違いをなかなか認めようとしない。この性質が悲劇を大きくするんじゃなかろかと思ったり。

 そんなわけで、三部作の最終巻 Twilight of the Gods : War in the Western Pacific, 1944-45(たぶん邦題は「神々の黄昏」)を読む覚悟は、なかなかできそうにない。

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2016年10月 2日 (日)

イアン・トール「太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 上」文藝春秋 村上和久訳

「『ロビンソン・クルーソー』は、南太平洋の島々に前線基地を設営しようとする人間みなの必読書であるべきです。とにかくなにもないんです。ジャングル以外には」
  ――第一章 ガダルカナルへの反攻

アメリカ軍の防御線をしめす蛇腹状の鉄条網の向こうでは、日本兵のふくれ上がって悪臭を放つ遺体が横たわっていた。悪臭はひどかったが、アメリカ兵はなかなか敵の死体を埋葬しようとしなかった。日本兵委は戦友の死体に偽装爆弾を仕掛けることが知られていたからだ。
  ――第七章 山本五十六の死

 そして、彼らは待った。さらに待った。また待った。そして、アメリカ軍はやってこなかった。
  ――第八章 ラバウルを迂回する

【どんな本?】

 20世紀のアジアの情勢を大きく変えた太平洋戦争を、アメリカの海軍史家イアン・トールが、日米双方の丹念な取材に基づき、主に海軍を中心に描く壮大なドキュメンタリー三部作の第二部。

 ミッドウェイで威信は傷ついたとはいえ、西太平洋地域の日本軍は活発な活動を続ける。特にソロモン諸島に進出した日本軍は、オーストラリアとアメリカの海路を遮断するための格好の足掛かりを気づきつつあった。特にガダルカナル島に設営が進む飛行場は、命取りになりかねない。

 海上の航空戦力は未だ日本が優位であり、また欧州優先の戦争戦略に縛られながらも、アメリカは反抗の足がかりとしてソロモン諸島の奪回を決断、ガダルカナル島が日米両軍の焦点となる。

 第二部の前半となる上巻は、両軍にとってまさしく補給戦となったガダルカナルの戦い(→Wikipedia)を中心に、日本軍のラバウル撤退までを描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Conquering Tide : War at Sea in the Pacific Islands, 1942-1944, by Ian W. Tall, 2015。日本語版は2016年3月10日第一刷。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約356頁+408頁=764頁に加え、訳者解説「陸海空の連携が初めて問われた戦争」12頁。9ポイント45字×20行×(356頁+408頁)=約687,600字、400字詰め原稿用紙で約1,719枚。文庫本なら上中下の三巻にわけてもいい分量。

 文章は比較的にこなれている。内容も軍事物にしてはとっつきやすい方だろう。加えて当時の軍用機に詳しければ、更によし。敢えて言えば、1海里=約1.85km、1ノット=1海里/時間=1.85km/hと覚えておくといい。また南太平洋の地図が手元にあるとわかりやすい。

 日本側の航空機の名前など、原書では間違っている所を、訳者が本文中で直しているのが嬉しい。ただ索引がないのはつらい。

【構成は?】

 基本的に時系列で進むので、素直に頭から読もう。

  •  上巻
  • 序章 ソロモン諸島をとる
  • 第一章 ガダルカナルへの反攻
  • 第二章 第一次ソロモン海戦
  • 第三章 三度の空母決戦
  • 第四章 南太平洋で戦える空母はホーネットのみ
  • 第五章 六週間の膠着
  • 第六章 新指揮官ハルゼーの巻き返しが始まった
  • 第七章 山本五十六の死
  • 第八章 ラバウルを迂回する
  •  ソースノート
  •  下巻
  • 第九章 日本の石油輸送網を叩け
  • 第十章 奇襲から甦ったパールハーバー
  • 第十一章 日米激突の白兵戦「タワラの戦い」
  • 第十二章 真珠湾の仇をトラックで討つ
  • 第十三章 艦隊決戦で逆転勝利を狙う日本海軍
  • 第十四章 日米空母最後の決戦とサイパンの悲劇
  • 終章  最早希望アル戦争指導ハ遂行シ得ズ
  •  謝辞/ソースノート/参考文献/訳者解説

【感想は?】

 第一部の感想でも書いたが、このシリーズのいい所は、太平洋戦争を「一つの物語」としてわかりやすく示してくれる点だ。

 戦場が広い範囲にまたがり、また多くの要素が複雑に絡み合う戦いなので、「何が本筋か」については、様々な意見があるだろう。このシリーズでは、日米の両海軍を主人公とすることで、おおまかなストーリーが鮮やかに浮かび上がると共に、個々の有名な戦いの意味がハッキリと見えてくる。

 この巻では、ガダルカナルの戦いが中心となる。戦後は飢島とまで呼ばれ、陸軍将兵の多くが飢え死にした事で悪名高い戦いだ。

 なぜガダルカナルで日米両軍がぶつかったのか。両軍とも、なぜそんな島に拘ったのか。その島を取ることで、何が嬉しいのか。多くの犠牲を払うほどの価値があったのか。そして、なぜ多くの日本軍の将兵が飢え死にしたのか。

 それは、ここがアメリカとオーストラリアを結ぶ海路を邪魔するのに格好の拠点となるからだ。この島に飛行場を作り、米豪間を行き来する船舶を航空機で叩けば、オーストラリアは孤立する。連合軍の一角が崩れ、戦争の帰趨は一気に変わるだろう。

 既に日本軍は上陸し、飛行場を作りつつある。そこに米軍が強襲揚陸を仕掛け、飛行場は奪ったが、日本軍はまだ島に潜んでおり、飛行場を取り戻そうと戦いを仕掛けてくる。かくして、飛行場を守る海兵隊と、取り戻そうとする日本軍の戦いが続く。

 戦うったって、弾薬は必要だし将兵は食わにゃならん。戦えば死傷者が出て戦える者が減るから、将兵も増援を送る必要がある。そこで日米両軍ともに、「いかに島に将兵と物資を送るか」をめぐり、互いに船を送り、また相手の船を沈めようと、海軍が激しい戦いを繰り広げる。

 と、そういう形でお話としてはわかりやすい反面、この本ではバッサリ切り捨てられた部分もある。

 それは島内で飢えと病に苦しみながらジャングルを彷徨った日本の将兵の戦いだ。海軍を主眼としたシリーズとはいえ、珍しくこの巻では飛行場を守る米軍の描写も多いのだが、それは海兵隊が中心だからかも。彼らに追い詰められる日本軍の描写はほとんどなく、出てくるのは遺体のみ。

 そんなわけでバランス的には崩れているが、その反面、米軍から見た日本軍の姿がわかりやすく伝わってくる。

 というと姿がクッキリ見えるようだが、実は戦いを通し、米軍にとって日本軍は幽霊みたいな存在だったらしい。

 なにせ強襲揚陸を仕掛けた際も、水際での反撃がない。アッサリと飛行場を明け渡し、ジャングルに潜んで、ときおり夜襲をかけてくる。「第一級の資産を豊富に残していった」とあるので、相当に慌てて撤退した模様。艦砲射撃に対抗できる火砲もなかったんだろうなあ。

 第一次ソロモン海戦(→Wikipedia)などでは日本海軍が練りに練った野戦の腕を存分に発揮するものの、航空支援は六百海里(約1111km)彼方のラバウルから発着せにゃならず、航続距離に優れた海軍航空隊も次第にすり切れてゆく。これを見越した米軍の戦略が憎い。

ガダルカナルは、じゅうぶんに補強すれば、「敵の航空兵力を呑み込む穴」になる可能性がある。日本軍が傲慢にも六百海里の海を越えて航空攻撃を送ると主張するかぎり、長距離飛行だけで彼らの数は少しづつ減っていくだろう。
  ――第四章 南太平洋で戦える空母はホーネットのみ

 日本の将兵に飢え死にが続出したガダルカナルだが、米軍も当初は補給に苦労したらしく、「ヴァンデグリフトは8月12日に携帯食料を減らすよう命じ、大半の隊員は一日に二食」だったというから、少しは慰めに…なるわけないか。でもきっと、この経験がノルマンディーで生きたんだろうなあ。

 対して日本軍は「一日500カロリー以下」。なお健康な20代の男の1日の適正カロリーは、ホワイトカラーで2000~2500カロリー、肉体労働で3000~3500カロリー。ってんで、「約200名の日本兵が毎日、島で死んでいった」。その頃、帝都では東条首相曰く…

「英米はかたくなに反撃をつづけたがっている。しかし、わが国は豊富な物的資源を利用して、いついかなるとき、地球上のいかなる場所でも彼らを撃滅する用意がある」
  ――第五章 六週間の膠着

 …さすがに日米の物資の差を知らんとは思えないんで、戦意を煽るためのハッタリなんだろうけど、この程度で騙せると考えてたのなら、国民もナメられたもんだが、海上護衛戦あたりを読むと、ヒョッとして… 経済や貿易の知識って、大事なんだなあ。

 まあいい。ガダルカナルは日本の陸軍将兵のみならず、熟練航空兵を呑み込み、輸送物資を呑み込み、貴重な輸送船も呑み込んでゆく。

 と、この巻を読むと、まさしくガダルカナルこそが、太平洋戦争の帰趨を分けた戦いなんだなあ、とつくづく感じ入る。

 ガダルカナルでの日本軍将兵の苦しみが書かれていないのは不満だが、太平洋戦争全体の中のガダルカナルの意味を知るには、最もわかりやすいシナリオを示す本だろう。この後、坂道を転げるように日本が追い詰められてゆく下巻を読むのが怖い。

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【何がガダルカナルの帰趨をわけたのか】

 結局は総合力なんだろうけど。

 意外なことに、米軍が島の重要性に気づいたのは、日本軍がガダルカナルに進出して飛行場を作り始め、ほとんど完成する間際になってから。

 島の価値の大半は、この飛行場にある。ここを拠点にした日本軍の航空機が、米豪間を行き来する船を沈めにきたらたまらん、そういう事だ。だから両軍とも島に拘った。

 ところが、米軍の強襲揚陸はアッサリ成功し、飛行場も簡単に奪われてしまう。お陰で日本は島から発着する米軍の航空機に悩まされる羽目になる。対して日本の航空機は、遥か1100km彼方のラバウルから行き来せにゃならん。

 仮に飛行場を日本軍が確保し、ここから航空機が発着できたら、戦いの帰趨が大きく変わっていたかもしれない。最初の強襲揚陸も航空攻撃で退けられた可能性があるし。

 実は飛行場の地ならしはほとんど終わってたみたいで、海兵隊はスグに飛行場を完成させ、荒っぽい離発着に耐えられる艦載機なら使えるようにしてる。

 ここで活躍したのがブルドーザー。日本軍にこれがあったら、飛行場はもっと早く完成してたし、そうなれば航空機の援護の下、戦いも有利になってただろう。

 という事で、帰趨をわけたのはブルドーザーじゃないか、なんて考えている。

 にしても、軍事ってのは、組織や兵器や戦術はもちろん、気候や輸送や経済や政治や歴史や地理に加え、土木や建築にも詳しくならんといかんのか。一人前の軍ヲタへの道は険しく遠い。

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