新田一郎「相撲の歴史」講談社学術文庫
本書の内容をいささか先取りしていえば、「相撲」はそもそも、格闘技としての内容よりも、そうした文化的な意味づけをキイとして成立したものなのだから。
――はじめに 本書の意図と構成各地の寺社の祭礼に際して現在もおこなわれている相撲奉納の多くは、相撲がおこなわれることと神事の内容とが必然的に結びついているわけではなく、いわば祭りの余興の一つとして、歌舞音曲などさまざまな芸能とともに相撲がおこなわれている場合がきわめて多い、という点である。
――第一章 神事と相撲相撲は、現代ではしばしば、柔道・県道・弓道などとともに「武道」のひとつに数えられるが、そのなかで相撲だけが、早くから職業化・興行化の道をたどったという、きわだった異質性を持っている。
――第四章 武家と相撲
【どんな本?】
相撲とは何だろう。道を究める武道なのか、強さを競う格闘技なのか、肉体を鍛えるスポーツなのか、見て楽しむ興行なのか、神に奉納する神事なのか。何に分類しても、相撲はどこかはみ出してしまう。
相撲は、いつ生まれたのか。移り変わってゆく時代の中で、誰がどんな目的でどのような相撲をどこでとり、どのように受け継がれてきたのか。相撲取りたちの地位は、どのようなものだったのか。
比較的に研究が進んでいる大相撲だけでなく、記紀神話から奈良・平安の時代にまでさかのぼり、日本の相撲の歴史全体を生き生きと描く、一般向けの歴史解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原本は1994年に山川出版社から単行本で刊行。これに加筆訂正して2010年7月12日に講談社学術文庫より第1刷発行。文庫本で縦一段組み、本文約344頁に加え、あとがき4頁+「21世紀の相撲『学術文庫版あとがき』にかえて」20頁。9ポイント38字×16行×344頁=約209,152字、400字詰め原稿用紙で約523枚。文庫本としては標準的な厚さ。
文章はこなれている。内容も特に前提知識は要らない。テレビで相撲を見て楽しめる程度に知っていれば、充分に楽しめる。ただし、「保元の乱」「平治の乱」などが解説なしに出てくるので、日本史に関して中学校卒業程度の知識があるか、または年表を片手に見ながら読むと、更によくわかる。
なお、年号を神亀二(七二五)などとカッコの中で西暦を補っているのが、ありがたかった。
【構成は?】
全般的に歴史の時系列に沿って進むので、素直に頭から読もう。
- はじめに 本書の意図と構成
- 序章 相撲の起源
- 「相撲」の語
- 神話の中の相撲
- 歴史の中の相撲
- コラム 相撲の宇宙論?
- 第一章 神事と相撲
- 水の神と相撲
- 七夕と相撲
- 相撲神事と奉納相撲
- コラム 雨乞と相撲
- 第二章 相撲節
- 相撲節の起源
- 相撲節の次第
- 相撲節の廃絶
- コラム 相撲節相撲人点景
- 第三章 祭礼と相撲
- 寺社の相撲
- 相撲人その後
- 村落の相撲
- コラム 相撲銭
- 第四章 武家と相撲
- 鎌倉幕府将軍の上覧相撲
- 技芸としての相撲
- 諸大名の相撲見物
- コラム 永享の日中決戦?
- 第五章 職業相撲の萌芽
- 「京都相撲」の活動
- 勧進興行成立の条件
- 勧進相撲の発生
- コラム 辻相撲の風景
- 第六章 三都相撲集団の成立
- 諸藩抱え相撲の形成
- 公許勧進相撲の成立
- 京阪から江戸へ 相撲集団の統合
- コラム 「土俵」の成立
- 第七章 江戸相撲の隆盛
- 徳川家斉の上覧相撲
- 大名と相撲
- 相撲会所の成立
- コラム 「相撲四十八手」
- 第八章 相撲故実と吉田司家
- 「横綱」の創出
- 吉田司家の系譜と戦略
- 故実体制と相撲の正統
- コラム 相撲と江戸文化
- 第九章 近代社会と相撲
- 明治維新と相撲
- 「国技館」の建設
- 国策と相撲
- コラム 「横綱」その後
- 第十章 アマチュア相撲の変遷
- 素人相撲からアマチュア相撲へ
- 学生相撲の発展
- 「スポーツ」としての相撲
- コラム 昔の相撲は強かったか
- 終章 現代の相撲
- 相撲のシステムの近代化
- 現代の相撲
- 相撲の国際化
- あとがき
- 21世紀の相撲
「学術文庫版あとがき」にかえて - 主要参考文献/相撲史略年表
【感想は?】
外国人力士の是非や八百長、またはアマチュア相撲との関係など、現代の相撲をめぐる問題を考える際に、是非とも参考にしてほしい一冊。
つまるところ相撲とは何なのか。実を言うと、これを読んだ後、その答えはかえってわからなくなった。神事・武道・格闘技・芸能・スポーツ・遊戯。そのすべてを、相撲は持っている。それぞれの時代で、それぞれの地域で、相撲は様々な役割を担ってきたようだ。
歴史資料としては、六世紀ごろの古墳から男子力士像埴輪(→文化遺産オンライン)が出ている。なぜ力士とわかるかというと、裸に褌だから。この裸に褌ってスタイルは、「環東シナ海地域を中心とした地域の格闘技に見いだされる共通性」らしい。
もっとも、古代のオリンピックも選手は裸だったというし、現代のプロレスやボクシングもパンツ一丁なのを考えると、純粋に競技としての格闘を求めた結果としては、裸に近くなるのが自然な事なのかも。
神事としては、「水の神」が相撲と縁が深いらしい。河童も相撲を取りたがるし。ここでは、大山祇神社の一人角力なんて面白い例が出てくる。精霊を相手に三番勝負で相撲を取り、二勝一杯で精霊に勝たせて豊かな実りを願うとか(→Youtube)。
奈良・平安の頃には、朝廷が諸国の役人に銘じて相撲人を集め、相撲節(→Wikipedia)なんてのをやってる。これが「さまざまな舞楽によって彩られていた」って、アメフトのハーフタイム・ショーかい。つまり、当時の相撲は娯楽的な見世物の要素が強かったわけ。
当初は朝廷独占だった相撲が、12世紀あたりになると寺社も催すようになる。これは朝廷を頂点とした中央集権が崩れ武士が台頭する時世を映しているようで面白い。さて当時の寺社は…
寺社の祭礼の新しい形態として、神事そのものよりも田楽などの芸能を中心的な位置においたものが、各所にひろまってゆく
みたいな動きがあった。昔から日本人ってのは宗教を娯楽に変えちゃう性質だったんだなあ。それだけ貨幣経済も発達してたし、庶民にも余裕があったんだろうか。こういう風に一つの現象を様々な角度から見られるようになると、歴史は面白くなるなあ。
既にプロ選手としての相撲人はいて、京を本場として洗練されてきている様子がうかがえる。これが1580年あたりになると、「京都近辺と近江国あたりだけでも数百人から千人以上にのぼった」なんて話も出てくる。「いわばセミプロ的な者も」多く混じってたようだが、それにしても相当に盛り上がっていたみたい。
やがて「寺社・橋梁などの建立・修復のための資金調達を目的」とする勧進興行が現れた。今でいうチャリティーだね。最初はチャリティーだったけど、次第に単純な金儲けが目的になってきたり。これが相撲人には新しいマーケットとなり、「諸国へと巡業してゆく相撲人集団が形成され」てゆく。
これが江戸時代になると、京・大阪・江戸を拠点とした「大相撲」と、地域の各藩が抱える相撲取りが両立する時代になる。
これを現代のプロレスに例えてるあたりが、実に説得力があったり。つまり新日本プロレスみたいな大団体もあれば、みちのくプロレスみたいな地域団体もあって、それぞれが他団体からゲストを招いてカードを組んで興行をうつだけじゃなく…
例えば江戸を中心に活躍した谷風と、もともと京阪で修業時代を送った小野川との対戦では、江戸では谷風、京阪では小野川がそれぞれ善玉となって、敵地での勝負よりも分のいい結果を残していたりする。
これまた、興行する地域によってヒールとベビーフェイスを使い分けるプロレスラーみたいなもんだなあ。もっともテリー・ファンクみたく出身地じゃヒールで出張先の日本じゃベビーフェイスなんて変なのもいるけど←関係ねえ
全般的に共通しているのは、そこはかとなく漂う胡散臭さや出自の低さを、どうにか権力に取り入って権威を得ようとする志向が一貫してること。「国技館」って名前も、そういう思惑がバッチリ入っている。
とまれ。こうやって歴史の中での相撲を見ていくと、時代が変わると共に相撲人の立場や興行の形も変わり、それぞれの時代に合わせて姿を変えることで生き延びてきたわけで、これからも色々と変わっていくのが自然なんだろうなあ、などと思えてきたり。
外国人力士の活躍を、記紀神話の国譲りの故事と重ね合わせて考えるなど、新しい視点を色々と与えてくれる本だった。そういえば相撲SFってあるのかなあ? と思ったら、筒井康隆が「走る取的」ってのを書いてた。
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コメント
おはようございます
この本は私も読みましたが、相撲の歴史がコンパクトに書かれていて
いい本でした。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2016年9月 2日 (金) 07時23分