イアン・トール「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで 上」文藝春秋 村上和久訳
もしある水兵が1850年にタイムマシンに乗って、思いつくままに時間を旅したら、たぶん1900年の鋼鉄戦艦の艦上よりも、1588年にイングランドに向けて出帆したスペイン無敵艦隊のマストの上の方がほっとしただろう。
――序章 海軍のバイブル戦艦は今や空母を中心に編成される機動部隊の支援任務に格下げされる。その対空兵装は二倍、三倍、最終的には四倍に増やされ、ついにはあらゆる口径の高角砲や高射機銃で針鼠のように武装し、敵の攻撃にたいし自艦と空母両方をもっとよく守れるようになる。
――第二章 ドイツと日本の運命を決めた日日本は毎年、中国大陸の戦闘で勝利をおさめたが、戦争に勝つ方法は見つけられなかった。
――第三章 非合理の中の合理
【どんな本?】
1941年12月7日、ついに太平洋は戦場となった。日本海軍の空母から飛び立った航空機の攻撃により、ハワイ真珠湾の合衆国海軍は軽滅的な被害を受ける。戦いは太平洋の全域に広がり、陸軍はマレー半島を破竹の勢いで進んでゆく。
20世紀のアジアの情勢を大きく変えた太平洋戦争を、アメリカの海軍史家イアン・トールが、日米双方の丹念な取材に基づき、主に海軍を中心に描く壮大なドキュメンタリー三部作の開幕編。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Pacific Crucible : War at Sea in the Pacific, 1941-1942, by Ian W. Tall, 2012。日本語版は2013年6月15日第一刷。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約340頁+345頁=685頁に加え、訳者解説「海戦と海戦の点をつなげる」8頁。9ポイント45字×20行×(340頁+345頁)=約616,500字、400字詰め原稿用紙で約1542枚。文庫本なら上中下の三巻にわけてもいい分量。なお、今は文春文庫から文庫版が出ている。
文章は比較的にこなれている。内容も軍事物にしてはとっつきやすい方だろう。加えて当時の軍用機に詳しければ、更によし。敢えて言えば、1海里=約1.85km、1ノット=1海里/時間=1.85km/hと覚えておくといい。
日本側の航空機の名前など、原書では間違っている所を、訳者が本文中で直しているのが嬉しい。ただ索引がないのはつらい。
【構成は?】
基本的に時系列で進むので、素直に頭から読もう。
- 上巻
- 序章 海軍のバイブル
- 第一章 真珠湾は燃えているか
- 第二章 ドイツと日本の運命を決めた日
- 第三章 非合理の中の合理
- 第四章 ニミッツ着任
- 第五章 チャーチルは誘惑する
- 第六章 不意を打たれるのはお前だ
- ソースノート
- 下巻
- 第七章 ABDA司令部の崩壊
- 第八章 ドゥーリットル、奇跡の帝都攻撃
- 第九章 ハワイの秘密部隊
- 第十章 索敵の珊瑚海
- 第十一章 米軍は知っている
- 第十二章 決戦のミッドウェイ
- 終章 何が勝敗を分けたのか
- 謝辞/ソースノート/参考文献/訳者解説
【感想は?】
今は上巻だけしか読み終えていないので、そこまでの感想を。
第二次世界大戦を扱った本は沢山ある。その中で、この本の特徴は次の4点だろう。
- 欧州戦線ではなく太平洋戦争を主に扱う。
- 陸軍ではなく日米の両海軍を中心に据える。
- 取材や調査は日米双方にまんべんなく当たっている。
- 兵器や経済力などのモノより、政治家・軍人・民間人など人間に焦点をあてる。
ヒトに焦点を当てることで、読者には親しみやすく、初心者にもとっつきやすい本になった。
物語はアルフレッド・セイヤー・マハン(→Wikipedia)の海上権力史論(→Wikipedia)から始まる。彼の思想が日米両海軍を育て、やがて太平洋への戦いへと導いた、と。皮肉なことに、日米海軍の双方とも、マハンの優れた弟子だったのだ。その成果が、日露戦争での日本海海戦だ。彼の主張は三つ。大艦巨砲主義、艦隊決戦主義、積極的攻勢。
それまで良好だった日米間の関係は、日露戦争の終戦をアメリカが仲介した事で悪化し始める。
ロシアが満州に増援部隊を送りつつあり、要求されている条件に応じるぐらいならあきらかに戦争をつづけるつもりであることや、あるいは日本が国家的破産の瀬戸際でよろめいていることは、東京の新聞のどこにも報じられていなかった。
事実を知らなけりゃ判断を誤るのは当然。とはいえ英米に「石油と鉄の輸入の4/5を依存」なんて状態で戦争なんて阿呆な判断をした原因の一つに、第三章では当時の権力構造を挙げている。
明治憲法は(陸海)両方の軍を天皇との直接的な助言関係に置き、議会や内閣の監督を受けない仕組みになっていた。
好戦的な世論に加え、陸海両軍の確執は強く…
「もしわれわれ(帝国海軍)がアメリカとぜったいに戦う気がないといえば、陸軍は国力と経済力をすべて自分たちの目的のために手に入れるだろう」
と、食うか食われるかの関係に陥ってしまう。そんな情勢を背景に、お話は第一章から真珠湾に突入する。
ここではアメリカの視点で描いていて、あの攻撃が見事な奇襲であったこと、そして米軍の対応が実にお粗末だった事を赤裸々に暴露してるのが凄い。誰も奇襲を予想せず、火柱が上がっても多くの人が実弾演習だと思い込んでいたらしい。人間の思い込みの強さがよくわかる。
この後のパニックも酷いもので、「兵士たちはそこらじゅうで朝までたえず武器をぶっ放していた」。同士討ちが頻発し、空母エンタープライズのワイルドキャットも、オアフ島の空港に着陸する際に対空砲の餌食になっている。
しかも、太平洋艦隊司令官のキンメル大将は、日本の艦隊がどこにいるのか、全く見当がついていない。敵機が陸から発進したのか艦載機なのかすらわからない。突然現れた敵が魚雷と爆弾をバラまき、忽然と消える。彼の感じた恐怖が、いやというほど伝わってくる。
本土のパニックも同じで、「アメリカのラジオと新聞には、アメリカの各都市の空襲の報告があふれていた」。スティーヴン・スピルバーグの映画で珍しく大コケした作品に「1941」がある。怪優ジョン・ベルーシが暴れまわるドタバタ・ギャグ映画で、私は大好きなだが、これを読んでコケた理由がわかる気がした。
映画のネタはロサンゼルスの戦い(→Wikipedia)。ありもしない日本軍の攻撃に街中がパニックになった事件だ。映画は徹底しておバカなギャグの連続だが、開戦当時のアメリカはそういう雰囲気だったらしく、「月曜日、アメリカのラジオと新聞には、アメリカの各都市の空襲の報告があふれていた」。たぶん笑えなかったんだろう、冗談がキツすぎて。
にしても、互いの関係に対する日米間の認識が、ここまで違っていたとは。
フィリピン上陸もアッサリ片づけちゃってるあたりが、本書の海軍中心な視点がよく出てる。というか、どうも著者はマッカーサーがお気に召さないみたいだ。
当時の日本軍の強襲揚陸・進軍は、ノルマンディーのお手本みたいな陸海空の連係プレー。曰く…
- 戦闘機と中型爆撃機が奇襲で上空から敵を一掃する。
- 空が安全になったスキに輸送船団が将兵や戦闘車両を陸揚げする。
- 上陸部隊が進軍して飛行場を確保、航空部隊の拠点となる。
海の電撃戦だね。ところが幸いにして真珠湾に空母はいなかった。これが米海軍には幸いして…
ある士官がいったように、日本軍はアメリカ艦隊を「17ノット艦隊から25ノット艦隊に」転向させたのである。
――第四章 ニミッツ着任
と、否応なしに空母中心の高速艦隊へと変身させてしまう。
指揮系統も陸海軍が分裂し政治全体を見る者がいない日本とは異なり、アメリカの戦争体制は見事。大統領ローズヴェルトが政治・軍事全体を仕切り、戦争は陸海軍ともにマーシャルが指揮を執る。海軍作戦部長のキングも果断で、優先順位をハッキリさせ、捨てるべきものをキッパリ切り捨てている。
- 最優先はミッドウェイ・ハワイ・米国本土の海上交通路の確保。
- 次に北米とオーストラリアの生命線確保。
優先事項は簡単に決められても、切り捨てるのは難しいが、これを大胆に決めたのは凄い。
フィリピン・マレー半島・シンガポール・ビルマ・オランダ領東インド(インドネシア)、そして「古い巡洋艦と駆逐艦の寄せ集めであるアメリカのアジア艦隊」までも、優先事項を守る時間稼ぎに捨てる覚悟を決めた。こういう捨てる決断は権限が集中してるからできるんで、集団体制じゃまず巧くいかない。
マーシャルはもし指揮の統一の問題が戦争のごく初期に論じられなければ、ぜったいに論じられることはないだろうということを理解していたようだった。
――第五章 チャーチルは誘惑する
そのくせ潜水艦の艦長は独断専行型が多かったり。こういう権力の集中と移譲が、アングロサクソンは巧いんだよなあ。
緒戦の負けを潔く認め立ち上がりかけるアメリカの姿を描きつつ、物語は下巻へと続く。
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