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2016年9月の15件の記事

2016年9月29日 (木)

イアン・トール「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで 下」文藝春秋 村上和久訳

「誰も心の奥底の感情を表せなかった」と戦時中、砺波で召集令状を配達していた兵事係は語った。「世間は彼らを歓呼の声で送り出した。『万歳! 万歳!』そういわなければならなかった」
  ――第七章 ABDA司令部の崩壊

戦争のつぎの段階の具体的な作戦計画は存在していなかった。正直なところ、日本の軍事指導者たちはすでに達成した征服以上は、もっとも基本的な戦略の方向にまだ合意していなかった。
  ――第七章 ABDA司令部の崩壊

(アメリカ)海軍が12月7日の大失態のすぐあとに一つやったことがあるとしたら、それは学習と向上に集団で取りつかれることだった。
  ――第十一章 米軍は知っている

生産管理局(OPM)の長であるウィリアム・クヌードセンは、希少な原料がデトロイトの自動車組立ラインに供給されることを許さなかった。もはや国内に軍用以外の自動車を生産する余裕はない、と彼はいった。タイヤ用のゴムがじゅうぶんにないからである。
  ――終章 何が勝敗を分けたのか

【どんな本?】

 イアン・トール「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで 上」文藝春秋 村上和久訳 から続く。

 海軍は真珠湾で画期的な勝利をあげる。陸軍はマレー半島やフィリピンを席巻した。続けてニューギニアのポートモレスビーを落とせばオーストラリアが視野に入り、連合軍の一角が崩れるだろう。

 だが海軍は真珠湾で取り逃がした空母の行方を気にしていた。艦隊決戦を挑むべく、なけなしの燃料をさらいミッドウェイ攻略へと向かう。その頃、ハワイでは異様な風体の男たちが、奇妙な機械と数字を相手に頭を掻きむしっていた。

 アメリカの海軍史家イアン・トールが、日米双方の丹念な取材に基づき、主に海軍を中心に描く、太平洋戦争の壮大なドキュメンタリー三部作の開幕編。

【構成は?】

 基本的に時系列で進むので、素直に頭から読もう。

  •  上巻
  • 序章 海軍のバイブル
  • 第一章 真珠湾は燃えているか
  • 第二章 ドイツと日本の運命を決めた日
  • 第三章 非合理の中の合理
  • 第四章 ニミッツ着任
  • 第五章 チャーチルは誘惑する
  • 第六章 不意を打たれるのはお前だ
  •  ソースノート
  •  下巻
  • 第七章 ABDA司令部の崩壊
  • 第八章 ドゥーリットル、奇跡の帝都攻撃
  • 第九章 ハワイの秘密部隊
  • 第十章 索敵の珊瑚海
  • 第十一章 米軍は知っている
  • 第十二章 決戦のミッドウェイ
  • 終章 何が勝敗を分けたのか
  •  謝辞/ソースノート/参考文献/訳者解説

【感想は?】

 上巻にもあるように、日米両海軍を中心とした太平洋戦争のドキュメンタリーだ。

 上巻では兵器や産業よりローズヴェルトや山本五十六などの人間に焦点をあてていた。下巻に入ると、海軍を中心としたことによる優れた特色が出てくる。

 なにせ太平洋戦争は長く続き、また戦場の範囲も広い。そのため、全体の流れを掴むのが難しい。この巻では、東京空襲→珊瑚海海戦→ミッドウェイ海戦へと続く。東京空襲はともかく、なぜ珊瑚海やミッドウェイが戦場になったのか。

 この本は、日米両海軍を視野の中心に据えることで、太平洋戦争全体を眺めながら、戦争の流れを大雑把に掴みやすくなった。その代償として陸軍の戦いはバッサリと割愛されてしまうが、初心者が太平洋戦争を大雑把に理解するには適した本になっている。

 海軍中心の本としても、この本は異色の内容になっている。というのも、戦闘場面の大半が空母と艦載機に割かれているため。実際、中盤で描かれる珊瑚海海戦(→Wikipedia)と終盤のミッドウェイ海戦(→Wikipedia)ともに、戦いは艦載機vs空母で、戦艦・巡洋艦・駆逐艦はお互いほとんど敵艦の姿を見ていない。海での戦いは、全く様相が変わってしまった。

 その空母、索敵と攻撃の範囲はやたらと広い半面、極めて打たれ弱い。

空母は一撃離脱の交戦に適した武器だった。艦自体はきわめて脆弱だったが、敵を発見して先に攻撃できれば、長距離から敵に強烈な打撃を与えることができた。(略)
「空母とは突進して、強打を浴びせ、姿を消すことができる武器だ」
  ――第十章 索敵の珊瑚海

 こういった空母の性質を、ドゥーリットルの帝都攻撃や珊瑚海海戦を通して読者に紹介しながら、史上最大の空母同士の戦いミッドウェイへと導いてゆく。

 ドューリットルの帝都攻撃(→Wikipedia)も陸海軍の仲が悪い当時の日本じゃ考えられない作戦で、陸軍航空隊が空母から飛び立とうってんだから無茶だ。おまけに陸上機にはただでさえ滑走距離が足りない空母発進だってのに、長距離飛行用の補助燃料タンクを機内のアチコチに追加して重量を増やしてる。下手に煙草も吸えない。

 ここでは空母が向かい風に向かって全力で進むことで対気速度を稼ぎ、艦載機が離着艦しやすくなる性質を語り、珊瑚海海戦では索敵の難しさと魚雷の避け方を教えてくれる。

 雷撃機としては、敵艦の真横から攻撃したい。そうすれば的が大きくなり当たりやすくなる。逆に艦が魚雷を避けるには、艦の向きを魚雷と同じまたは逆向きにすれば、的が小さくなって当たりにくい。艦のスピードが速いほど舵が効きやすいんで、機関全力で走りながら舵を回す。

 すると自動車が猛スピードでカーブを曲がる時のように横向きの強いGがかかると共に、艦も傾く。んな状況で攻撃機に爆弾や魚雷を取り付ける整備兵も災難だ。

 と、こんな風に、敵機の攻撃を受けている最中の空母は、艦の向きがコロコロ変わるんで、おちおち反撃用の戦闘機を離発着させることもできない。波状攻撃の怖い点がこれで、攻撃が続いている限り反撃もできないのだ。

 などと空母の性質を読者にわからせたところでミッドウェイへと突入し、評判の悪い南雲提督の指揮を擁護してくれるから憎い。著者の結論としては「運が悪かった」。

 ってな緊張の場面が続く本書の中で、異彩を放っているのが暗号解読を描く「第九章 ハワイの秘密部隊」。暗号じゃイギリスのブレッチリー・パークが有名だが、ジョセフ・ロシュフォート海軍中佐がハワイで率いた暗号解読部隊ステーション・ハイポも型破り。

 「階級や上下関係はほとんど意味を持たなかった」「人の地位は階級以外の要素に左右された」。才能ある解読員のトマス・ダイアー少佐曰く「ここで働くのにイカれている必要はないが、そうだったらずいぶんと役に立つ!」 ったく、ハッカーって奴は、どいつもこいつもw 面白いのは、意外な才能と共通点があるらしいこと。

12月7日に戦闘不能になった戦艦カリフォルニアの軍楽隊全員が選抜されて、生の無線傍受から暗号群をIBMのパンチカードに移す作業に配属された。(略)楽団員たちは仕事を簡単におぼえたので、「音楽と暗号解読には心理学的な関連があるにちがいないという仮説が唱えられた」

 などの変人に囲まれ苦労したにも関わらず、当時のロシュフォート中佐の評判は芳しくなかった。暗号解読なんて表沙汰にできない立場もあるが、米国内にも強力なライバルがいて…ってなスキャンダルも、容赦なく暴いてる。幸いにして今は…

2003年、ネット上の従軍経験者と歴史家のコミュニティである<ミッドウェイ海戦円卓会議>は、海戦で、“もっとも重要な戦闘員”一人の名を挙げるよう求められた。アンケートの結果は、ふさわしくニミッツとロシュフォートの引き分けとなった。ロシュフォートへの支持は、とくにミッドウェイ海戦の体験者のあいだで強かった。
  ――終章 何が勝敗を分けたのか

 と、情報が公開されたためか、充分な評価を得ている模様。

 海軍を中心としたためか、戦争全体の姿がわかりやすく浮かび上がる構成になっていると同時に、この書評では敢えて割愛したが、被害を受けた艦内の地獄絵図のエグさも半端ない。全体を見通しながらも現場の兵卒にまで目を配り、物語形式で初心者にはとっつきやすい優れた戦記ドキュメンタリーだ。

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2016年9月28日 (水)

イアン・トール「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで 上」文藝春秋 村上和久訳

もしある水兵が1850年にタイムマシンに乗って、思いつくままに時間を旅したら、たぶん1900年の鋼鉄戦艦の艦上よりも、1588年にイングランドに向けて出帆したスペイン無敵艦隊のマストの上の方がほっとしただろう。
  ――序章 海軍のバイブル

戦艦は今や空母を中心に編成される機動部隊の支援任務に格下げされる。その対空兵装は二倍、三倍、最終的には四倍に増やされ、ついにはあらゆる口径の高角砲や高射機銃で針鼠のように武装し、敵の攻撃にたいし自艦と空母両方をもっとよく守れるようになる。
  ――第二章 ドイツと日本の運命を決めた日

 日本は毎年、中国大陸の戦闘で勝利をおさめたが、戦争に勝つ方法は見つけられなかった。
  ――第三章 非合理の中の合理

【どんな本?】

 1941年12月7日、ついに太平洋は戦場となった。日本海軍の空母から飛び立った航空機の攻撃により、ハワイ真珠湾の合衆国海軍は軽滅的な被害を受ける。戦いは太平洋の全域に広がり、陸軍はマレー半島を破竹の勢いで進んでゆく。

 20世紀のアジアの情勢を大きく変えた太平洋戦争を、アメリカの海軍史家イアン・トールが、日米双方の丹念な取材に基づき、主に海軍を中心に描く壮大なドキュメンタリー三部作の開幕編。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Pacific Crucible : War at Sea in the Pacific, 1941-1942, by Ian W. Tall, 2012。日本語版は2013年6月15日第一刷。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約340頁+345頁=685頁に加え、訳者解説「海戦と海戦の点をつなげる」8頁。9ポイント45字×20行×(340頁+345頁)=約616,500字、400字詰め原稿用紙で約1542枚。文庫本なら上中下の三巻にわけてもいい分量。なお、今は文春文庫から文庫版が出ている。

 文章は比較的にこなれている。内容も軍事物にしてはとっつきやすい方だろう。加えて当時の軍用機に詳しければ、更によし。敢えて言えば、1海里=約1.85km、1ノット=1海里/時間=1.85km/hと覚えておくといい。

 日本側の航空機の名前など、原書では間違っている所を、訳者が本文中で直しているのが嬉しい。ただ索引がないのはつらい。

【構成は?】

 基本的に時系列で進むので、素直に頭から読もう。

  •  上巻
  • 序章 海軍のバイブル
  • 第一章 真珠湾は燃えているか
  • 第二章 ドイツと日本の運命を決めた日
  • 第三章 非合理の中の合理
  • 第四章 ニミッツ着任
  • 第五章 チャーチルは誘惑する
  • 第六章 不意を打たれるのはお前だ
  •  ソースノート
  •  下巻
  • 第七章 ABDA司令部の崩壊
  • 第八章 ドゥーリットル、奇跡の帝都攻撃
  • 第九章 ハワイの秘密部隊
  • 第十章 索敵の珊瑚海
  • 第十一章 米軍は知っている
  • 第十二章 決戦のミッドウェイ
  • 終章 何が勝敗を分けたのか
  •  謝辞/ソースノート/参考文献/訳者解説

【感想は?】

 今は上巻だけしか読み終えていないので、そこまでの感想を。

 第二次世界大戦を扱った本は沢山ある。その中で、この本の特徴は次の4点だろう。

  1. 欧州戦線ではなく太平洋戦争を主に扱う。
  2. 陸軍ではなく日米の両海軍を中心に据える。
  3. 取材や調査は日米双方にまんべんなく当たっている。
  4. 兵器や経済力などのモノより、政治家・軍人・民間人など人間に焦点をあてる。

 ヒトに焦点を当てることで、読者には親しみやすく、初心者にもとっつきやすい本になった。

 物語はアルフレッド・セイヤー・マハン(→Wikipedia)の海上権力史論(→Wikipedia)から始まる。彼の思想が日米両海軍を育て、やがて太平洋への戦いへと導いた、と。皮肉なことに、日米海軍の双方とも、マハンの優れた弟子だったのだ。その成果が、日露戦争での日本海海戦だ。彼の主張は三つ。大艦巨砲主義、艦隊決戦主義、積極的攻勢。

 それまで良好だった日米間の関係は、日露戦争の終戦をアメリカが仲介した事で悪化し始める。

ロシアが満州に増援部隊を送りつつあり、要求されている条件に応じるぐらいならあきらかに戦争をつづけるつもりであることや、あるいは日本が国家的破産の瀬戸際でよろめいていることは、東京の新聞のどこにも報じられていなかった。

 事実を知らなけりゃ判断を誤るのは当然。とはいえ英米に「石油と鉄の輸入の4/5を依存」なんて状態で戦争なんて阿呆な判断をした原因の一つに、第三章では当時の権力構造を挙げている。

明治憲法は(陸海)両方の軍を天皇との直接的な助言関係に置き、議会や内閣の監督を受けない仕組みになっていた。

 好戦的な世論に加え、陸海両軍の確執は強く…

「もしわれわれ(帝国海軍)がアメリカとぜったいに戦う気がないといえば、陸軍は国力と経済力をすべて自分たちの目的のために手に入れるだろう」

 と、食うか食われるかの関係に陥ってしまう。そんな情勢を背景に、お話は第一章から真珠湾に突入する。

 ここではアメリカの視点で描いていて、あの攻撃が見事な奇襲であったこと、そして米軍の対応が実にお粗末だった事を赤裸々に暴露してるのが凄い。誰も奇襲を予想せず、火柱が上がっても多くの人が実弾演習だと思い込んでいたらしい。人間の思い込みの強さがよくわかる。

 この後のパニックも酷いもので、「兵士たちはそこらじゅうで朝までたえず武器をぶっ放していた」。同士討ちが頻発し、空母エンタープライズのワイルウドキャットも、オアフ島の空港に着陸する際に対空砲の餌食になっている。

 しかも、太平洋艦隊司令官のキンメル大将は、日本の艦隊がどこにいるのか、全く見当がついていない。敵機が陸から発進したのか艦載機なのかすらわからない。突然現れた敵が魚雷と爆弾をバラまき、忽然と消える。彼の感じた恐怖が、いやというほど伝わってくる。

 本土のパニックも同じで、「アメリカのラジオと新聞には、アメリカの各都市の空襲の報告があふれていた」。スティーヴン・スピルバーグの映画で珍しく大コケした作品に「1941」がある。怪優ジョン・ベルーシが暴れまわるドタバタ・ギャグ映画で、私は大好きなだが、これを読んでコケた理由がわかる気がした。

 映画のネタはロサンゼルスの戦い(→Wikipedia)。ありもしない日本軍の攻撃に街中がパニックになった事件だ。映画は徹底しておバカなギャグの連続だが、開戦当時のアメリカはそういう雰囲気だったらしく、「月曜日、アメリカのラジオと新聞には、アメリカの各都市の空襲の報告があふれていた」。たぶん笑えなかったんだろう、冗談がキツすぎて。

 にしても、互いの関係に対する日米間の認識が、ここまで違っていたとは。

 フィリピン上陸もアッサリ片づけちゃってるあたりが、本書の海軍中心な視点がよく出てる。というか、どうも著者はマッカーサーがお気に召さないみたいだ。

 当時の日本軍の強襲揚陸・進軍は、ノルマンディーのお手本みたいな陸海空の連係プレー。曰く…

  • 戦闘機と中型爆撃機が奇襲で上空から敵を一掃する。
  • 空が安全になったスキに輸送船団が将兵や戦闘車両を陸揚げする。
  • 上陸部隊が進軍して飛行場を確保、航空部隊の拠点となる。

海の電撃戦だね。ところが幸いにして真珠湾に空母はいなかった。これが米海軍には幸いして…

 ある士官がいったように、日本軍はアメリカ艦隊を「17ノット艦隊から25ノット艦隊に」転向させたのである。
  ――第四章 ニミッツ着任

 と、否応なしに空母中心の高速艦隊へと変身させてしまう。

 指揮系統も陸海軍が分裂し政治全体を見る者がいない日本とは異なり、アメリカの戦争体制は見事。大統領ローズヴェルトが政治・軍事全体を仕切り、戦争は陸海軍ともにマーシャルが指揮を執る。海軍作戦部長のキングも果断で、優先順位をハッキリさせ、捨てるべきものをキッパリ切り捨てている。

  • 最優先はミッドウェイ・ハワイ・米国本土の海上交通路の確保。
  • 次に北米とオーストラリアの生命線確保。

 優先事項は簡単に決められても、切り捨てるのは難しいが、これを大胆に決めたのは凄い。

 フィリピン・マレー半島・シンガポール・ビルマ・オランダ領東インド(インドネシア)、そして「古い巡洋艦と駆逐艦の寄せ集めであるアメリカのアジア艦隊」までも、優先事項を守る時間稼ぎに捨てる覚悟を決めた。こういう捨てる決断は権限が集中してるからできるんで、集団体制じゃまず巧くいかない。

マーシャルはもし指揮の統一の問題が戦争のごく初期に論じられなければ、ぜったいに論じられることはないだろうということを理解していたようだった。
  ――第五章 チャーチルは誘惑する

 そのくせ潜水艦の艦長は独断専行型が多かったり。こういう権力の集中と移譲が、アングロサクソンは巧いんだよなあ。

 緒戦の負けを潔く認め立ち上がりかけるアメリカの姿を描きつつ、物語は下巻へと続く。

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2016年9月25日 (日)

津原泰水「11」河出書房新社

 下駄屋に生まれたというくだんのために、僕らは一家総出で岩国に出向いた。もちろん買い取るためだ。
  ――五色の舟

「ねえきみ、だから暗闇になんか、なにも期待しちゃだめだよ。幽かに音が聞こえても、小さな光が見えても、そこには本当は、なにもないんだ。ただ、ゆうううっくりな時間だけがある。そのくせぼくらを引きずりこむときだけは素早いんだよ闇は」
  ――手

「いいんだよ、君だけじゃない。それに君は正しかった。これからも目と耳だけを信じて、物語には気をつけろ」
  ――YYとその身幹

 思えば、得るも失うも人間同士の勝手な取り決めであって、土がみずからの所有者を知る由もない。
  ――土の枕

【どんな本?】

 人気作家の津原泰水による、SF/ファンタジイ/ホラー系の短編を集めた、2011年の作品集。SFファンにも傑作の呼び声が高く漫画化もされた「五色の舟」をはじめとして、美しさと恐ろしさとグロテスクさが入り混じった物語を、卓越した騙りの技で堪能できる。

SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2012年版」でもベストSF2011国内篇4位に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年6月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約249頁。今なら河出文庫で文庫版が出ている。9.5ポイント40字×16行×249頁=約159,360字、400字詰め原稿用紙で約399枚。文庫本としてはやや薄め。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくないので、中学生でも楽しんで読めるだろう…多少18禁の場面はあるけど、母ちゃんには内緒だぞ。

【収録作は?】

 それぞれ タイトル / 初出 の順。

五色の舟 / NOVA2 2010年7月
 戦時中で締め付けが厳しくなる中でも、僕ら見世物一家は充分に食っていけた。小屋は出せなくても、旦那衆からお座敷にお呼びがかかるのだ。くだんが生まれたと聞いて、お父さんは大枚はたいて買う算段をする。きっとたんまり稼いでくれるはずだ。
 終戦間近の日本を舞台に、河に浮かべた舟に住む、血縁のない五人の奇形からなる見世物一家の物語。読むのは二度目だけど、やっぱり彼の語りには引きこまれてしまい、読み終えるのが惜しくて最後の一行がなかなか読めなかった。
延長コード / 小説すばる2007年6月号
 十七の時、娘の小春は遺書を置いて家を出て行った。それから五年、受け取ったのは訃報だった。以来、女が猫を虐待する夢を見るようになった。娘の足跡を辿り、父はアダムスキー型円盤のような形の給水塔がある街を訪ね…
 家出した挙句に死んで戻ってきた娘。消えた五年間、彼女はどこでどんな暮らしをしていたのかを聞くお父さんが、妙に冷静で客観的なのがかえって不穏。
追ってくる少年 / 小説すばる2006年1月号
 故郷の家には、両親と私と弟が住んでいたが、すぐに父の妹が転がり込んできた。母と叔母は仲が悪く、それでよく激しい夫婦喧嘩になった。夫の転勤で近くに戻ってきたので、その家を見に行ったところ、とつぜん少年に声をかけられ…
 いるよね、やたらと図々しくって我儘なのに、妙に憎めない人って…などと思いつつ読み返してたら、やっと「おお、そういう意味か!」とオチがわかった。
微笑面・改 / 書下ろし
 最初は月かと思った。浮遊物は日を追うに従い段々と近づいてきて、輪郭が見えてくると、絹子の顔に見えてくる。眼がおかしいのかと思って病院で検査を受けるが、異常は見当たらない。おかしいのは眼ではなく脳らしい。
 日記形式の作品。自分だけに見える何者かが、次第に近づいてくるって形のホラーは、スティ-ヴン・キングの「サン・ドッグ」など前例もあるけど、この語り手が全く恐れを感じていないどころか、読むに従い相当にアレな人だと見えてきて…
琥珀みがき / 朗読会のための書下ろし 2005年12月,小説すばる2006年3月号
 ノリコは琥珀工房で働いている。職人が彫った石をグラインダーで磨く仕事だ。単調で寮は狭く給金は安い。同僚はミツル、オツムが弱くて手際もわるい。お祖母さんから聞いた物語をよく憶えていて、作業中でも語り続ける。結末のあと、彼は必ずこう言い足す。
 六頁の掌編。田舎の村から地方都市に出てきた少女を語り手に、琥珀みがきの仕事や同僚の少年の事で話を膨らませ、綺麗に折りたたむ手腕はみごと。「短編小説はこう書くんだよ」というお手本のような作品。
キリノ / 小説新潮別冊 桐野夏生スペシャル 2005年9月
 この作品集の中で妙に浮いている作品。青年の独白でやたら文も段落も長く、あれ?と思ってたが、初出を見て納得した。そうか、桐野夏生は背が高いのか←そういう話じゃない
手 / 小説NON 1999年6月
 母はわたしの好奇心を強引に抑え込んだ。冴えない14歳の娘だったわたしに例の都市伝説を吹き込んだのは、級友の美和だ。鴉屋敷、またはお化け屋敷。一人暮らしの小説家が住んでいたが、死んでしまい今は誰もいない。そこで…
 よく洗った手に塩を充分にすりつけ、再び手を洗ってよく拭き、しばらくすると細くて白い糸のようなモノが出てくる、なんて話もあったなあ。
クラーケン / 小説すばる 2007年2月号
 15年前から、女は飼い始めた。今は四代目だが、初代からみな名前はクラーケン。すべてグレートデンで、体は大きいがおとなしく、寿命はあまり長くない。初めて見かけたのは、研修先から帰る途中にある犬の訓練所。
 大きくて力持ちなわりにおとなしいグレートデンと、一人暮らしの中年女。張り合いのない日常の中でささやかな交流…なんてのをこの作家が書くはずもなく。
YYとその身幹 / ユリイカ2005年5月号
 殺された彼女、YYは美しかった。造作上は。彼女は予備校の同級生だった。そのクラスのうち10人ぐらいは妙に仲が良く、大学に進んでからもよく集まっていた。その日は三次会にまで雪崩れ込み、気づいたら僕とYYだけになっていて…
 身幹は「むくろ」と読むのか。正直、よくわからない。
テルミン嬢 / SFマガジン2010年4月号
 書店に勤め始めた眞理子は、頑として帽子を脱がなかった。店長は注意したが、帽子がスカーフに変わっただけ。店員としての働きも申し分なく、客の評判も良いので、店長もうるさく言うのをやめた。どころか彼女に好意を抱く男も多く…
 テルミン(→Wikipedia)は電子楽器で、こんな音(→Youtube)。ビーチボーイズのグッド・バイブレーション(→Youtube)が有名。幽霊が出てきそうな、あの音です。帽子の謎から始まった物語はコロコロと転がり…。いいなあ、こういう大法螺。
土の枕 / 小説すばる2008年8月号
 日露戦争に出征した葦村寅次は、戦友の井出六助と話が合った。郷が近く同じ小作人の倅だ。苦しい行軍と野営が続き、多くの兵が途中で倒れる。寅次も脚気に苦しんでいたが、ついに戦が始まった。砲弾に地面が揺れる中、進撃の号令が響き…
 戦友の死のまぎわ、彼が漏らした奇怪な話。維新後とはいえ昔の名残が残る農村から始まった物語は…。奇妙で、少し切なくて、時の流れを感じさせる不思議な話。

 売れる作家はたいていそうなんだが、この人の作品も、次第に作品の舞台が風景として浮かび上がってくる過程が、読んでてとても面白い。お陰で、美味しい所をネタバレせずに作品を紹介しようとすると、全くピント外れの紹介になってしまう。

 ところで斐坂って男が何度か出てくるんだが、何か意味があるんだろうか?

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2016年9月23日 (金)

グレッグ・イーガン「エターナル・フレイム」新☆ハヤカワSFシリーズ 山岸真・中村融訳

「おれの子どもたちのうち、ふたりを殺さなくてはならない」

「化学者になにか質問すると、その答えに漏れなく爆発がついてくるのは、なぜなんです?」

「ひとつの例外には困惑させられるが、それがふたつになると途方に暮れさせられ……一ダースぐらいになるとひとつにまとまって、まったく新しい世界の見かたを示してくれる」

「わたしは可能なかぎり単純にしているのですが」カルラは答えた。「それ以上単純にならないんです」

「化学は物質の再配置に関する学問だ。物体が消滅する場合には、化学はまったくお呼びでない」

「政治では目的がいちばん重要だと思ったのに」
(略)
「政治では人々の感情が重要なんだ」

「<孤絶>の上で生きることは、途中まで解決した問題を子孫に手渡すことを意味する」

【どんな本?】

 激辛のサイエンス・フィクションを得意とするグレッグ・イーガンによる、「クロックワーク・ロケット」に続く<直交>三部作の第二弾。

 われわれの宇宙とは少しだけ物理法則が違う世界。光は色により速さが異なり、紫は速く赤は遅い。植物は夜に光る。液体は存在せず、あるのは固体と気体だけ。そして速く動く物体は、時間の進み方も速くなる。

 崩壊の危機に瀕した母星を救う手段を求め旅だった世代型ロケット<孤絶>は、既に四世代目を迎えていた。船内の人口が増えすぎ、食物は厳しい配給制が敷かれている。

 天文学者のタマラは、観測中に物体を見つけた。<孤絶>の進路に近い。どうやら直交物質らしい。その性質はわからないが、補給の利かない<孤絶>にとって貴重な物資になるかもしれない。

 物理学者のカルラのチームは、奇妙な現象に悩まされる。真空中で使うカメラの鏡に、不思議な曇りが起きる。空気中よりはるかに速く曇ってしまう。実験を続けると、更に奇妙なパターンが現れた。光のスペクトルにより、曇り方がクッキリと違うのだ。

 宇宙の法則を少しだけ変えた上で、厳密な数学・物理学に基づき創り上げた世界を舞台に、異様な生態のエイリアンたちによる物理法則探求の旅を、豊富な数式と図とグラフで描く、究極の異世界ファンタジイ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Eternal Flame, by Greg Egan, 2012。日本語版は2016年8月25日発行。新書版で縦二段組み、本文約500頁に加え、著者あとがき4頁+前野昌弘「<直交>宇宙の量子場の理論入門」11頁+山岸真の訳者あとがき5頁。9ポイント24字×17行×2段×500頁=約408,000字、400字詰め原稿用紙で約1,020枚。文庫本なら軽く上下巻になる大容量。

 私が慣れたせいか、他のイーガンの小説に比べると、文章そのものはこなれてきたように感じる。が、あくまでも「イーガンにしては」で、相変わらず二重否定などのややこしい言い回しが多い。今までは三回読み返さなければわからなかったのが、二回でわかるようになったって程度。

 内容は前作「クロックワーク・ロケット」以上に難しい。「クロックワーク・ロケット」は相対論が中心なため、時間×空間の二次元のベクトルまたは複素数で表せたし、図で近似できたが、今回は量子力学が主なテーマだ。そのためか、波動方程式が重要なネタとなり、四次元のベクトル(スピノル、→Wikipedia)を扱う場面が沢山出てくる。

 正直言って、私は話の1/4は全く意味がわからず、1/4は「きっと勘違いだよなあ」と思ってたらやっぱり勘違いで、1/4は勘違いしてるけどわかったつもりになっていて、わかってるのは話の1/4ぐらいな気がする。波動方程式が扱えて、スピノルの掛け算と割り算ができる人でないと、完全に理解はできないと思う。

 また物理法則に加え登場人(?)物の形や生態などの世界設定も極めて異様であり、前作の「クロックワーク・ロケット」を読んだ人でないと、ついていけない。必ず「クロックワーク・ロケット」から読み始めよう。

【感想は?】

 と、それぐらい歯ごたえのある作品だが、数学的・物理学的にわからない所は「うん、わからん」と飛ばして読もう。多少なりとも科学関係のゴシップを知っていれば、楽しめる場面は多い。

 いや科学を知らなくても、自分で何かを工夫して作った経験があれば、身に覚えのある所はチラホラある。工夫と言ってもたいした事じゃない。例えば料理の味付けだ。

 私はカレーが好きだ。作りたても美味しいが、一晩おいたのも美味しい。では何晩ぐらいまで保つだろう? バーモントカレーとジャワカレーでは? ジャガイモをいれるのと入れないのとでは? などと色々と試し、好みの味を追い求めるのは、私だけじゃないはずだ。

 当然、失敗もする。例えばジャガイモは、すぐに崩れてグズグズになってしまう。結局、私はジャガイモを入れないことにした。でも「ジャガイモがないと納得できん!」と言って、大きめに切ったり、角を取ったり、ジャガイモだけ分けて煮る人もいる。

 料理なら対策は幾つもあるが、物理学はそうじゃない。正しい理論はひとつだけのはずだ。

 この作品では、まず鏡の曇りが問題に上がる。観測に使った鏡が曇ってしまう。これだけなら機械の不調だが、曇り方のパターンが少しづつ見えてくる。空気中より、真空中の方が早く曇る。また当たる光の周波数により曇り方が違う。

 そこで様々な周波数を当てて曇り方を調べると、綺麗なパターンを見せる。だが、そのパターンは予想もしないもので、まして説明は全くつかない。

 なんて書くのは簡単だが。こういった効果を見つけるために、どんな実験をすればいいのか。仮に説明がついたとして、それを確かめるためには、どんな実験が必要で、どんな器具がいるのか。その器具は何をどうやって作るのか。

 こういった泥臭い事柄を、細かく書いているあたりが、この作品の醍醐味の一つ。

 そうやって浮かび上がってきた仮説を数式化するあたりは全くお手上げだったけど、その数式が何を意味するのかと問うあたりも、物理学がただの屁理屈じゃないと感じさせてくれるところ。中間子とかクォークとかも、こういう議論と実験から出てきたんだろうなあ。

 また、「やはり科学者の考え方は違うなあ」と感じたのが、パウリの排他律(→Wikipedia)みたいな法則を見つけるくだり。

 エンジニアだと、「そういうものか、これ何かに仕えないかなあ」と勝手に納得して使い道を考えちゃうんだが、科学者は違う。「なんで2なの?1じゃダメなの?3は?」と、突っ込んでゆく。「そういうものだ」で納得しないで、「なんでそうなの?」と更に問うのが科学者らしい。彼らは永遠の三歳児なのだ。

 かと思うと、生物学者はまた違った意味でクレイジーだ。こっちで活躍するのはカルロ君で、生物を動かす信号を研究しはじめる。ハタネズミやトカゲで実験しているうちはいいが、計測器具のサイズの問題で「もっと大きい実験動物が欲しいよね」となり…

 などと部屋に籠ってるばかりじゃなく、第二部では<物体>捕獲を目指す宇宙飛行ミッションなど、なかなか派手なアクションも展開する。これがまた大変なシロモノかつ大変なミッションで。

 ってなアクションに加え、イーガンらしい思想が出てるのが、カルロの実験が大きな騒ぎを引き起こすくだり。これには彼らの人生観を根こそぎ揺らがしかねないシロモノで、技術の進歩によっては私たちにとっても近い将来に大騒動を引き起こすかもしれない。

 ちょっと物理法則を変え、かつ数学を駆使して厳密に検証した上で創り上げた、異様な異世界で繰り広げられる、科学の進歩の物語。歯ごたえは充分にあるので、相応の時間を確保し、かつ意味がわからない所は仕方がないと諦める覚悟もした上で挑もう。

 にしても、「永遠の炎」って、ウィッシュボーン・アッシュあたりのアルバムにありそうな名前だなあ。

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2016年9月20日 (火)

高橋敏「清水次郎長 幕末維新と博徒の世界」岩波新書1229

 本書は使い古された感がある『東海遊侠伝』を見直し、歴史学の視点に立って実像の清水次郎長にアプローチする。
  ――はじめに

相撲取りが博徒になるケースはよくあり、下総の飯田助五郎、荒川繁蔵、勢力富五郎はじめ、寺津の治助(今天狗)、平井の亀吉(雲風)らはみな力士くずれである。
  ――第二章 清水一家の親分次郎長

 明治17年(1884)11月1日、秩父下吉田村椋神社に農民約三千人を結集させ、甲乙二個大隊、数十小隊に編成、蜂起した秩父困民党の総理は大宮郷の博徒田代栄助、副総理も石間村博徒加藤織平であった。
  ――第五章 大侠清水次郎長

【どんな本?】

 海道一の大親分として有名な清水次郎長だが、御上に追われる博徒の文献は少ない。主な資料は次郎長の養子の天田愚庵が著した『東海遊侠伝』であり、これは成立の経緯からして明らかな政治的な意図で書かれたものだ。

 本書は『東海遊侠伝』を中心としながらも、公文書や周辺の手記・手紙を参考にして次郎長の生涯を辿るとともに、幕府の権威が揺らぐ幕末から明治維新へと向かう激動の時代を背景に、博徒たちの置かれた立場や博徒同士の社会、そして御上や民衆との関係などを描く、異色の歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2010年1月20日第1刷発行。新書版で縦一段組み、本文約221頁に加え、あとがき3頁。9ポイント42字×15行×221=約139,230字、400字詰め原稿用紙で約349枚。文庫本ならやや薄めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくないし、歴史的な背景も巻末の年表を診ればだいたいわかる。ただし抗争などの場面では多くの人物が登場するため、じっくり読む必要がある。幕末から維新までの歴史を知っていれば、中学生でも読めるだろう。

【構成は?】

 だいたい時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  •  はじめに
  • 第一章 博徒清水次郎長の誕生
    • 1 清水港の次郎長
    • 2 三河の次郎長
  • 第二章 清水一家の親分次郎長
    • 1 嘉永遊侠列伝
    • 2 次郎長激動の三年
    • 3 次郎長一家の形成
  • 第三章 清水次郎長と黒駒勝蔵
    • 1 黒駒勝蔵との対決の構図
    • 2 黒駒勝蔵との血戦
    • 3 尊王討幕の黒駒勝蔵と佐幕の清水次郎長
  • 第四章 明治維新の明暗
    • 1 戊辰戦争と博徒の命運
    • 2 清水次郎長と黒駒勝蔵の明暗
  • 第五章 大侠清水次郎長
    • 1 維新の揺れ戻し
    • 2 山岡鉄舟との邂逅と次郎長の「改心」
    • 3 博徒大刈込みと次郎長
  • 参考文献
  • 清水次郎長関連年表
  • あとがき

【感想は?】

 異色だが、稗史と呼ぶには惜しい。むしろ民衆史に近く、また権力というものの実態にまで迫る迫力を備えた、まっとうな歴史解説書でありながら、わかりやすく親しみやすい読み物になっている。

 清水の次郎長を中心としている作品だが、同時に彼と抗争を繰り広げた黒駒勝蔵や交友のあった山岡鉄舟などの資料も掘り漁り、当時の社会情勢を鮮やかに蘇らせつつ、そこで争い生き抜いた博徒たちの姿を描くとともに、それぞれの土地に生きる庶民の姿も浮き彫りにしてゆく。

 歴史家が書いただけあって、背景事情の書き込みがやたら詳しく、かつ面白い。まず舌を巻いたのが、追われる身となった若き次郎長が逃げ込んだ三河の情勢。三河に逃げ込んだのには、ちゃんと理由があったのだ。

 ここは小藩が乱立した上に旗本知行地も入りくみ、飛び地だらけのややこしい土地だった。というのも、徳川家の由緒ある土地だけに、大名や旗本が「わずかであろうとも飛び地を持つことを切望した」ため。おかげで御上の警察権は分断され、追われる身にはとても都合のいい土地になる。

 しかも三河木綿をはじめ産業は豊かで、陸路・海路・水路の要所にあり物流も盛ん。ダニが吸う血もたらふくあったわけ。加えて「博徒のネットワークはすでに日本列島に網の目のごとく張りめぐらされ」てたから、やっかいになる親分にもことかかない。

 そんなわけで、お尋ね者が逃げ込むには格好の条件がそろってたわけ。租界だらけの上海で黒社会が台頭したのも、似たような事情があるんだろうなあ。

 加えて、博徒の武力強化がある。町道場・村道場が盛んになり、「免許状まで印可して農民身分の門人を集めるに至った」。刀狩はあったが、「護身用の脇差(長さ一尺二、三寸=36~39センチ)は携帯を許された」。いわゆる長脇差だ。これじゃカラシニコフが溢れるソマリア状態。

 例として明治17年(1884年)に家宅捜査された次郎長宅から出てきた武器の一覧が載ってて、「槍一本、薙刀二本、長巻三本、和筒砲二挺、ゲベール銃(→Wikipedia)23挺」ってのが凄い。これは博徒に限らず、庄屋の家からも鉄砲が出てきてる。意外と民も重武装してたらしい。

 やがて時代は戊辰戦争へと突入してゆく。「第四章 明治維新の明暗」では、次郎長のライバル黒駒勝蔵を中心に、戦争に巻き込まれた博徒の悲哀が漂ってくる。

 戦争は数だよ、ってわけで、兵隊を集めなきゃいけない。そこで博徒だ。

 切った張ったに慣れた上に土地勘もある親分衆にも、御上からお声がかかる。身分をやるから子分と一緒に隊に加われ、と。勤王派の黒駒勝蔵は官軍につくが「戊辰戦争の点線につぐ転戦で子分はちりぢりと」なった上に、偽官軍の汚名を着せられ、「旧幕時の罪状を暴かれ、何と甲府県によって処刑されたのである」。

 彼に限らず、従軍した博徒たちにはロクな報酬もなく、「原籍の平民身分に戻されてしまう」。そんな彼らはやがて自由民権運動に合流してゆく。サダム・フセイン時代の将兵や警官がイラク戦争以降に職を失い、反政府組織に入って暴れ始めるのにも重なるなあ。

 逆に巧く立ち回ったのが次郎長。この背景の書き込みもさすが歴史家といったところで、尾張・駿府の独自の事情が実にわかりやすい。

 次郎長はどっちつかずで様子を見ていた。尾張は親藩だが佐幕と勤王に意見は分かれ、青松葉事件(→Wikipedia)で一応は官軍につくが、火種はくすぶっている。そこで浜松藩家老の伏谷如水が妙案を出す。次郎長に治安維持を任せよう。

 ヤクザに警察権を与えようって無茶な話だが、官が出張ると佐幕と勤王の内紛が起きかねない。地回りとはいえ土地勘はあるし顔も効く上に、武力も持っている。次郎長も駆け引き上手で、お役目を受ける代わりに幕府時代の悪行をチャラにする条件を引き出した。

 そして次郎長が男をあげる咸臨丸事件だ。

 幕府直轄領七百万石が徳川慶喜と共に七十万石の駿府に押し込められ、江戸の幕臣も清水港に押し寄せる。明治元年(1868)、榎本武揚率いる艦隊に和した咸臨丸は漂流、清水港に入港した。不満を抱えた旧幕臣が集まる火薬庫に、咸臨丸が火種を持ち込んだ形だ。下手すれば慶喜までが危ない。

 幸い咸臨丸はすぐに降伏したものの、柳川藩の富士山丸・飛龍・武蔵が咸臨丸に発砲&斬り込み、一方的な殺戮となる。死体は海に捨てられ、清水港はまさしく血の海と化す。死臭が漂い海には死体が浮かび、漁もできないありさまだが、新政府は賊軍の埋葬を許さないので、藩も手を出せない。

 そこで次郎長、「是非ハ即チ我レ知ラズ」と啖呵を切って遺体を引き上げ、弔ってしまう。官と藩、「両者から非難を浴びた」とあるが、実際には裏で話がついてたんじゃなかろか。ヤクザが勝手にやっちゃったとすれば藩はお咎めなしだし、官も反乱が起きちゃ困るし。これにはオマケもあって…

箱館五稜郭で敗死し、棄てられ放置された賊軍兵士を埋葬して慰霊の碧血碑をたてたのも箱館の博徒柳川熊吉であり、鳥羽伏見の戦いで敗れた会津藩その他敗残兵の死体を葬ったのも京都の博徒会津小鉄であった。

 と、裏社会があるのもソレナリに便利だったんだろう。いずれにせよ、次郎長はこれを機に山岡鉄舟とコネができて…

 などと、講談調に面白い物語を挟みながらも、その裏にある権力や経済の事情を丹念に拾い、物語に厚みと広がりを加えるあたりは、歴史家ならでは。一見キワモノのようなテーマを扱いながらも、現代の紛争地帯につながる構造までも暴き出す、迫力あふれる本だった。

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2016年9月19日 (月)

ハーラン・エリスン「死の鳥」ハヤカワ文庫SF 伊藤典夫訳

あいつのいうとおりだ。いつも、そうなんだ。おれは遅れる。
  ――「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった

「これはあんたの天国で、ここで暮らせる見込みもある。だが全身でぶつからなきゃならない。持てるものを最高に生かしきるのだ」
  ――竜討つものにまぼろしを

ネズミをなんびきもつかまえて箱に入れる。数が多くなりすぎれば、なかには気が変になるのも出てきて、残ったやつを噛み殺しはじめる。
  ――鞭打たれた犬たちのうめき

【どんな本?】

 アメリカSF界のお騒がせ男として有名だが、日本ではなかなか翻訳が出ないハーラン・エリスンの傑作を集めた、日本オリジナルの短編集。凝った構成、煽情的で狂騒的な文体、暴力的で残虐な描写、挑発的で背徳感あふれるストーリーと、SFならではの毒をたっぷり含み、エッジの効いた作品が味わえる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2016年8月15日発行。文庫本で縦一段組み、本文約369頁に加え、高橋良平の解説「Rediscovering Harlan Ellison®」16頁。9ポイント40字×17行×369頁=約250,920字、400字詰め原稿用紙で約628枚。文庫本としてはやや厚め。

 文章はこなれているが、かなりアクの強い文体なので、好みが分かれるだろう。一時期のソープオペラみたく、うるさく喋りまくる感じを想像してほしい。内容は特に難しくないが、いささか古い作品が多いので、コンピュータの描写などはさすがに時代を感じさせる。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 元題 / 初出 の順。

「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった / "Repent, Harlequin!" Said the Ticktockman / ギャラクシー1965年12月号
 未来のアメリカ。何もかもがスケジュール通りで、遅れが許されない秩序だった世界を、厳格な管理で守る男チクタクマン。だが、彼をあざ笑うかのように、子供じみたイタズラで街を混乱させる者が現れた。ハーレクィン、正体不明のトリックスター。
 ヒューゴー賞・ネビュラ賞受賞。
 書かれた時代はヒッピーたちが先導するカウンター・カルチャー華やかなりしころ。それを考えると、徹底的な管理社会を統べる独裁者に歯向かう反逆のヒーロー、ハーレクィンの物語…のように見えるが、解説によるとエリスンは遅刻魔で締め切り破りの常習犯らしいので、別の意味がありそうw
 でも、納期に向けデスマーチに突入している勤め人にとっては、スケジュール通りに休めるチクタクマンの世界が天国に思えてくるから怖いw
竜討つものにまぼろしを / Delusion for a Dragon Slayer / ナイト1966年9月号
 いつも時間通りに出勤するウォレン・グレイザー・グリフィンだが、その日は珍しく家を出るのが遅れ、近道を走った。そこはビルの取り壊し工事中で、ちょうどまずいタイミングで事故が起き、壁を壊す鉄球がケーブルから外れ…
 偶然の事故で現世の命を絶たれた平凡な男グリフィン。目覚めたとき、美女を捉えた魔物が潜む島へと向かう船に彼はいた…って筋書きは、典型的な異世界転生もの。時代的にエドガー・ライス・バローズあたりのパロディにも思えるが、今の日本でも通用するからおかしい。よくできた物語の骨格ってのは、なかなかすり切れないものらしい。
おれには口がない、それでもおれは叫ぶ / I Have No Mouth, and I Must Scream / イフ1967年3月号
 巨大なコンピュータAMの中に囚われた五人の男女。おれ、ゴリスター、ニムドック、ペニー、そしてスベタのエレン。コンピュータはおれたちを閉じ込め、あらゆる手練手管を弄しておれたちを痛めつけ、死ぬことすら許そうとしない。
 ヒューゴー賞受賞。
 陰険な嫌がらせと残酷な拷問の場面が延々と続く作品。章の区切りに使っているのは、懐かしの穿孔テープ。昔のSFドラマじゃ、コンピュータが吐き出したテープを白衣を着た科学者が読んでたんだよなあ。にしても、生き残った(?)者たちが、素直に協力しあおうとは決してしないあたりが、エリソンの味だなあ。
プリティ・マギー・マネーアイズ / Pretty Maggie, Moneyeyes / ナイト1967年5月号
 コストナーはラスヴェガスで素寒貧になる。帰ろうとしてポケットに手を突っ込むと、一ドル銀貨が見つかった。最後の運試しに向かったスロットマシーンで…
 トゥーソン生まれのマギー。23までトレーラーハウスの貧乏暮らしだったが、スタイルは最高にクール。胸は残念だけど。極貧の暮らしから抜け出そうと都会に出たが…
 舞台はきらびやかなラスベガス。アメリカの底辺に突き落とされた男コストナーと、底辺から這い上がろうと必死のマギーの、偶然の出会い。ナイトは男性誌だから…と邪な期待をしたが、やはり無駄だったw
世界の縁にたつ都市をさまよう者 / Prowler in the City at the Edge of World / 危険なヴィジョン 1967
 1888年11月、ロンドン。今までの八回と同じように、ジュリエットと名乗る娘も片づけた。今回使ったのは、彼女が枕の下に隠したナイフで…と思ったら、男は夜のない都市にいた。金属的で清潔、安全で品に満ちた街。
 19世紀末のロンドンを恐怖の縁に叩きこんだ謎の連続殺人鬼、切り裂きジャック(→Wikipedia)をネタにした作品。他にもキャスパー・ハウザー(→Wikipedia)やクレイター判事(→Wikipedia)などソッチ方面のネタを使いながら、マッドな世界を創り上げている。
死の鳥 / The Deathbird / F&SF1973年3月号
 地の底、マグマの中にある小室で、ネイサン・スタックは25万年の眠りから目覚め、病み衰えた地表に出た。影の生き物に導かれ、瑪瑙の塔を思わせる山を目指し歩き出す。その頂では、いくつかの光点が動いていた。
 ヒューゴー賞・ローカス賞・ジュピター賞受賞。
 成績テストらしきものの注意書き、滅亡後の地球を歩くネイサン・スタックの旅、奇妙なエイリアンの社会、エリスン自身の体験をもとにしたエッセイ、そして世界最高のベストセラーなどを織りまぜ、滅びてゆく地球を描く、喧嘩屋エリスンらしい物語。
鞭打たれた犬たちのうめき / The Whimper of Whipped Dogs / Mad Moon Rising 1973
 ニューヨーク東52丁目のアパートの中庭で、一人の女が殺された。アパートの住人のうち少なくとも25人が事件を目撃したが、誰一人として彼女を助けず、また警察を呼ぼうともせず、ただ見物するだけだった。べスもその一人だ。
 エドガー賞受賞。
 おそらく元ネタはキティ・ジェノヴィーズ事件(→Wikipedia)。約38人が事件を目撃したとされるが、誰も警察に通報しなかった。「すでに誰かが警察を呼んでいるだろう」と考えた人も多いだろうが、後でご近所の人と顔を合わせたら、どんな顔をすればいいのやら。
北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中 / Adrift Just off the Islets of Langerhans : Latitude 38° 54' N, Longitude 77° 00' 13" W / F&SF1974年10月創刊記念号
 その日、ロレンス・タルボットっはディッシュマン・エアポート・センター・ビルに出かけた。インフォメーション共同なるコンサルタント会社のオフィスだ。依頼は、特別な情報。ただし、ごく秘密裏に。ジョン・ディミーターと名乗る男は、奇怪な報酬と引き換えに仕事を受けた。
 ヒューゴー賞・ローカス賞受賞。
 北緯38度54分西経77度0分13秒はホワイトハウスの座標。ランゲルハンス島(→Wikipedia)は膵臓の中にある細胞群。日本人にとっては、解説を読まないとまず意味が通じない厄介な作品。ディミーターの名も何か意味があるんだろうか?
ジェフティは五つ / Jeffty Is Five / F&SF1977年7月号
 ぼくが五つのころ、ジェフティという同い年の友だちがいた。ぼくは22になった年に故郷に戻り、ソニーのテレビを売る店を開いた。それまでもちょくちょく故郷に戻っては、ジェフティと遊んだ。ぼくは大きくなったが、ジェフティは変わらない。身も心も五歳のまま。それでも、やっぱりぼくはジェフティと遊んでいる。
 ヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞・英国幻想小説賞・ジュピター賞受賞。
 最近はスパイダーマンやバットマンなど、昔のヒーロー・コミックが映画で再登場してるけど、そこは21世紀。いろいろと現代風にアレンジされ、オリジナルとは全く違った味付けで、大人も楽しめるようになっちゃいるが、オリジナルが好きな人は複雑な気分だろう。
 今は Youtube なんて便利なモノが出来て、懐かしのコンテンツも探せば大抵見つかるんだが、現代の贅沢な音質や映像に慣れた身には、チャチに感じちゃうのが悲しいところ。幼い頃は夢中になってたんだけど。
ソフト・モンキー / Soft Monkey / ミステリ・シーン・リーダー1987年5月創刊号
 ニューヨークのバッグ・レディ、アニーがねぐらを確保した零時25分。困ったことに、彼女が寝ているそばでギャングたちが争いはじめ、一人が殺された。折悪く目撃してしまったアニーは、ギャングに追い回される羽目に。
 エドガー賞受賞。
 多少オツムはイカれちゃいるが、都会を生き抜く知恵には長けてるアニーの逞しさが光る作品。段ボールなんて私たちにはただのゴミだけど、彼女にとっては生き延びるための必需品。何が大事かってのは、人によって違うんだよなあ。

 お騒がせ男らしく、前半から中盤までの作品は、斜に構えた皮肉で挑発的な作品が多いが、最後の二つは饒舌な芸風はそのままで、微妙にホロリとさせる作品に仕上がってて、私は後ろの方が好きだ。「ジェフティは五つ」も、出てくるタイトルはほとんどわからないけど、かつて「男の子」だった者には、身に染みてしょうがない。

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2016年9月18日 (日)

フィリップ・ボール「枝分かれ 自然が創り出す美しいパターン 3」ハヤカワ文庫NF 塩原通緒訳

雪の結晶はカオスから、分子が一つづつ凝結した水蒸気のゆらめく渦から、導いてくれるテンプレートもなしに形づくられるのだ。この枝分かれはどこからくるのだろうか? なんのために六なのか?
  1 冬物語 六角形の雪結晶

ガラスの化学結合一つがもつエネルギーはわかっているから、「ガラスが割れる」とは亀裂に沿ったすべての化学結合が壊れることだと考えればガラスの理論強度が簡単に算出できる。不可解なのは、実測強度が概してその値の約1/100だという点だった。
  ――3 亀裂のわかれ道 なめらかなひび、ぎざぎざな裂け目

レイチェル・カーソン「堆積物はおわば地球の叙事詩である」
地質学者クリス・パオラ「だが、その叙事詩が私たちに理解できない言葉で書かれているのは残念だ」
  ――4 水の道 地形の中の迷宮

人は自分の意見を後押ししてくれるものだけを読みたがるのだ。
  ――6 世界をめぐるネットワーク 私たちはなぜつながっているのか

【どんな本?】

 雪の結晶はそれぞれ違う。違うが、どれも六角形っぽい規則性がある。樹木のシルエットは、種類によって違うが、なんとなく「木だな」とわかるし、詳しい人が見れば樹木の種類まで当てられる。泥が乾いてできるひび割れは、だいたい六角形だ。

 どれも個々の形は違うのに、私たちはパッと見ただけで、「コレは○○だな」と見分けがついてしまう。なぜ見分けがつくのだろう? そこにはどんな規則があるんだろう? その規則は数式化できるんだろうか? そして、どんな原因で規則だった形になるんだろう?

 結晶・ひび割れ・岩石・川・樹の枝・細菌のコロニー・血管そして発展する都市など、無生物から生物の器官、果ては人間関係や電力網まで、様々なスケールに現れる「枝分かれ」について、豊富な写真とバラエティに富んだ科学エピソードと共に語る、一般向け科学解説書シリーズの第三弾。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Branches - Nature's Patterns : A Tapestry in Three Parts, by Philip Ball, 2009。日本語版は2012年2月に早川書房より単行本で刊行。私が読んだのは2016年6月15日発行のハヤカワ文庫NF版。

 文庫本で縦一段組み、本文約286頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント41字×18行×286頁=約211,068字、400字詰め原稿用紙で約528枚。標準的な文庫本の厚さだが、写真やイラストも沢山あるので、実際の文字数は8割ぐらいだろう。

 文章は比較的にこなれている。内容も最後のエピローグを除けば特に難しくない。それより写真やイラストが綺麗な本なので、できるだけ印刷の質がいい本を選ぼう。

 また、「かたち」「流れ」から続くシリーズ三部作の完結編だが、それぞれ内容は独立しているので、気になった巻から読んで構わない。

【構成は?】

 この巻は比較的に各章が独立している。でもやっぱり索引が欲しいなあ。

  • 1 冬物語 六角形の雪結晶
    ケプラーの球/フィルムに凍りついた雪/終わりなき枝分かれ/六の秘密/右の枝に左の枝のしていることを知らせる方法
  • 2 ほっそりした怪物 次元のはざまで生まれる形
    有機体のような岩石/近くの枝にとりつけ/枝の中には何がある?/あれもこれもフラクタル?/パターンを押し出せ/コロニーの生活/変異体の侵略/歳のスプロール
  • 3 亀裂のわかれ道 なめらかなひび、ぎざぎざな裂け目
    物はなぜ壊れるのか/ぎざぎざな縁/偶然のなせるわざ/乾季のパターン/デビルズ・ハニカム
  • 4 水の道 地形の中の迷宮
    水路のスケーリング則/源流の浸食/最適な道/堆積する/残ったものは?/運び去る/さかさまのつらら
  • 5 水と葉 生物の枝分かれ
    大きくても小さくても/生物の網の目
  • 6 世界をめぐるネットワーク 私たちはなぜつながっているのか
    世界は一つの舞台/金持ちはますます金持ちに/つながりあう世界/たどり着くまでの早道/コミュニケーション・ブレイクダウン
  • エピローグ タペストリーを織る糸 パターンの原理
    せめぎあう力と力/対称性の破れ/非平衡/散逸構造/不安定性、閾値、分岐/大切なのは方程式よりも解/パターン選択/勢力争い/瑕と境界/相関作用と臨界点/べき乗則とスケーリング/エントロピー生成の役割/生命とは
  •  付録1 ヘレ=ショウセル
  •  訳者あとがき/参考文献

【感想は?】

 改めて考えると、雪の結晶の形がそれぞれ違うのは不思議だ。みんな同じでいいじゃないか。

 かなり昔から人は雪が六角形なのに気づいていたようだ。なんと紀元前135年ごろ(前漢の時代)、中国の韓嬰が「雪は正六角形である」と書き残している。たいした観察力だ。

 やはり雪の研究は寒さとの戦いで、最初に雪の結晶写真が出たのは1931年11月。バーモント州の農夫ウィルソン・ベントリー(→Wikipedia)が、1885年~1931年に5千点以上の写真を撮った。45年も続けるとは、凄い執念。ただし出版の数週間後に肺炎で亡くなっている。

 これを継いだのが北海道帝国大学の物理学者、中谷宇吉郎(→Wikipedia)。1930年代の話。「雪は空気中を落下しながらゆっくり成長する」。そこで実験室を冷やし、氷の結晶の形が温度と湿度によりどう変わるかを調べた。冷やしったって、常に零下だからたまんないよなあ。

 雪は機械っぽく見えるが、無生物のくせに生物っぽく見える物もある。岩石の中に現れるデンドライト(→Google画像検索)だ。最初に見たときは、ヒジキかと思った。これは金属塩を含む水がが岩石の割れ目からにじみ出る時にできる。

 雪の結晶、デンドライト、樹木、川。いずれもパターンがあって、見れば「これは○○だな」とわかるが、なぜわかるのかは巧く説明できない…わけでもない。そう、有名なフラクタル(→Wikipedia)だ。部分が全体に似るという、例のアレ。一時期は大きな話題になったフラクタルだけど…

科学研究においても、かつては新しいフラクタル構造の発見が重大な関心事だったのが、いまでは肩をすくめられるばかりだ。

 と、ブームは去った模様。それでもCGの背景画像の自動作成とかじゃ、フラクタルは大活躍してるよね。とまれ、フラクタルが持つ奇妙な性質、フラクタル次元の説明はわかりやすい。

 円の面積は半径の二乗に比例する。トイレットペーパーの面積は長さに比例する。つまり長さの一乗だ。デンドライトも大きくなると面積が増えるが、増え方は一乗と二乗の間、約1.71乗ぐらいになる。これがデンドライトのフラクタル次元だ。

 とかの小さいモノの話も面白いが、この巻で最も印象に残るのは、奇矯な風景。

 まずはジャイアンツ・コーズウェイ(→Google画像検索)。六角柱の岩が、綺麗に並んでいる。大昔の巨石文化の遺跡かと思えるが、自然現象らしい。泥が乾いてできるひび割れと同じ原理だとか。

 溶岩は冷えると小さくなる。乾いた泥がひび割れるように、溶岩もひび割れる。この際、六角形が最も効率がいい。実はコーズウェイ、複数の層になってて、上の方は比較的に不規則なんだが、下の方は形が揃ってる。上から広がったひび割れが、下に行くに従って力学的に安定した形に揃っていった、と。

 やはり不思議なのが、ペニテンテ(→Google画像検索)。アンデス山脈の万年雪原に、先がとがった1~4メートルの氷のカラーコーンが延々と並ぶ。ダーウィンは「柱の一本に、一頭の馬が突き刺さって凍っていた」のを記録に残している。おっかねえ。

 あの辺は空気が乾いてるんで、氷は水にならず「いきなり水蒸気に昇華する」。できた穴はレンズになり中心に太陽光を集め、穴が更に深くなる。寒くて乾いてるのがキモらしい。単に不思議な風景ってだけでなく、意外な所に応用されてたり。

 というのも、太陽電池だ。表面のシリコンウェハーにレーザーをあてて溶かし、ミクロなペニテンテを作る。表面に当たった太陽光は反射せずに全部を捉えられるんで、効率が上がるわけ。触ったらザラザラしてるのかなあ。

 終盤ではスモールワールド・ネットワークなど、社会的な話も出てきた。やっぱりと思ったのが、マーク・ニューマンの調査。Amazon.com でアメリカ政治の本の購入履歴を調べると、読者は四つのコミュニティに分かれた。保守系とリベラルが二大勢力で、中道が混じる小さいグループが二つ。

 保守とリベラルはたぶん共和党と民主党だろうけど、中道系の二つってのが気になる。にしても、政治系はどっちつかずの本って、あまし売れないんだなあ。

 などを介したどり着いたエピローグは、かなり歯ごたえあり。かなり話が抽象的になるのに加え、熱力学や統計力学の基礎知識が必要で、相応の覚悟が必要だが、SF者は無理してでも読む価値あり。いきなり世界がグワーッと広がる感激を味わえるから。

 フラクタルなんぞという手垢に塗れたテーマを扱いながら、それができる過程や原因にまで目を向けることで、更に深い所まで突っ込んだ内容を、親しみやすい語り口でわかりやすく解説してくれる。ちょっと身の回りの細かいものを数えてみよう、そんな気にさせる本だった。

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2016年9月15日 (木)

フィリップ・ボール「流れ 自然が創り出す美しいパターン 2」ハヤカワ文庫NF 塩原通緒訳

彼(レオナルド・ダ・ヴィンチ)がやりはじめた事柄はきわめて少なく、やり終えた事柄はさらに少ない。彼の人生は、計画は立てたものの、ついぞ実現しなかったことの連続だった。
  ――1 流体を愛した男 レオナルドの遺産

1738年、数学者のダニエル・ベルヌーイは、流れは速ければ速いほど、その流れの横にある液体によって加えられる圧力が弱まることを証明した。浴室でシャワーを浴びるとき、カーテンがつねに張りついてくるのもこのためである。
  ――2 下流のパターン 流れる秩序

そもそも、どの鳥がリーダーなのか?集団運動研究は、ほかの個体に行動を指令する特定の個体を見定めようとずっと努力してきたが、総じて徒労に終わっている。(略)
 今日では、動物の群れの集団行動にリーダーはまったく必要でないとわかっている。
  ――5 隣のものについていけ 鳥の群れ、虫の群れ、人の群れ

「脱出パニック」というシミュレーションで、すべての個人が一個の出口を通り抜けようとすると、(略)ドアの前の密集した人だかりの(略)各歩行者はアーチ形のラインにがっちり固められ、前に進めなくなる。(略)まさしくレンガ造りのアーチに安定性をもたらしているものだ。
  ――5 隣のものについていけ 鳥の群れ、虫の群れ、人の群れ

【どんな本?】

 川の波紋、砂漠の砂漣、排水口に流れる水の渦。いずれも、個々の砂粒や水の分子は何も考えていないが、盛り上がる所と谷になる所が規則正しく並び、意味ありげな模様を作る。

 これは生物も同じだ。鳥や魚の群れは、別に組織を作っているわけでもないのに、一斉に飛び立ち一斉に向きを変える。混んだ人込みを行き交う人は、自然と列をなす。

 流れをなす砂粒や鳥や人は、別に縞を作ろうとか列をなそうなどと思っているわけではない。だが、全体を眺めると、その中に漠然とパターンが浮かび上がってくる。

 熱力学の第二法則によれば、エントロピーは増大する。つまり、モノゴトは放っておけば出鱈目にまじりあう筈だ。にもかかわらず、世の中には何もしていないのに勝手にパターンが出来上がる事がある。

 水の流れから始まり、砂漠の砂漣・斜面の雪崩などの無生物から、鳥や魚の群れや人の列、そして自動車の渋滞まで、流れが作るパターンと性質を解き明かし、豊富な写真とイラストで楽しみながら科学の世界へと誘う、一般向け科学解説書シリーズの第二弾。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Flow - Nature's Patterns : A Tapestry in Three Parts, by Philip Ball, 2009。日本語版は2011年11月に早川書房より単行本で刊行。私が読んだのは2016年5月15日発行のハヤカワ文庫NF版。

 文庫本で縦一段組み、本文約272頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント41字×18行×272頁=約200,736字、400字詰め原稿用紙で約502枚。標準的な文庫本の厚さだが、写真やイラストも沢山あるので、実際の文字数は8割ぐらいだろう。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。数式が出てくるのは一つだけで、それもわからなければ無視していい。それより写真やイラストを見て納得させる方法をとっているので、できるだけ印刷の質がいい本を選ぼう。

【構成は?】

 原則として前の章を受けて後の章が続く構成なので、素直に頭から読もう。これも索引が欲しかった。

  • 1 流体を愛した男 レオナルドの遺産
    レオナルド流の流れ/超越論的な形/渦巻と流れ
  • 2 下流のパターン 流れる秩序
    離れていく渦巻/不安定な出会い/排水口と渦巻/巨人の眼/渦巻の多数の辺
  • 3 ロールに乗って 対流はいかにして世界を形づくるか
    表面の問題/要素の再配列/氷と炎
  • 4 砂丘の謎 粒子が寄り集まるとき
    砂の移動/砂丘の行進/縞模様の地すべり/樽を回す/自己組織化したなだれ/ナッツの浮き沈み/はじける豆粒/一粒の砂に世界を
  • 5 隣のものについていけ 鳥の群れ、虫の群れ、人の群れ
    運動の法則/集団記憶/リーダーについていけ/群衆心理/アリの高速道路/交通渋滞/パニックの恐ろしさ
  • 6 大渦の中へ 乱流の問題
    マスター方程式/ロールの缶詰/隠れた秩序
  •  付録1 ベナール対流
  •  付録2 マクセ・セルでの粒子の層化
  •  訳者あとがき/参考文献

【感想は?】

 この巻では、結局答えがわからない問題も多い。それだけに、科学の先端に触れるワクワク感がある。

 例えば、ミルクの滴が作る王冠(→Google画像検索)だ。これの発見はイギリスの物理学者アーサー・ワージントンで、1908年に出版した本で発表している。

 この形には何か意味がありそうだが、「それを記述して説明するには『最高レベルの数学の力が必要になる」とワージントンは考えた。この予感は当たる。どころか、「驚くことに、これがいまだに不明なのである」。21世紀の今になっても、まだハッキリとは分かっていない。

 前の「かたち」は、主に固まっている物の形を主題にしたものだ。対して、この巻では、一定の動き、すなわち流れが作り出すパターンをテーマにしている。実のところ、理屈の上では、流れは計算できることになっている。しかも、19世紀に。かの有名なナヴィエ=ストークスの方程式(→Wikipedia)だ。

 ところが、これが難物で。曰く「この方程式はあらかじめ答えを知っていないと解けないようなもの」って、意味あるんかい…と突っ込みたくなるが、実際に使う際には変数を定数に置き換えたり、影響の少ない値を省いたりと、簡単な形にして「だいたいのところ」を求めてお茶を濁してる。

 式で計算できない場合はどうするか。航空機の設計では、風洞に模型を突っ込んで強風で煽ったり、テスト・パイロットが試しに飛ばしたりする。つまり実験だ。

 そんなわけで、この本でも「大の大人が」と笑いたくなるような真似を、一流の科学者が真面目にやってる。SFでも科学者ってのは一般人にゃ全く理解できない事を何度も繰り返し真剣にやる変な人って役で出てくることが多いが、この本でも「ナニやっとんじゃい」と突っ込みたくなるような実験をしてる。

 例えばブラジルナッツ効果(→Wikipedia)だ。ミックスナッツの箱を揺さぶると、大きいブラジルナッツは箱の上の方にかたまり、小さいオート麦フレークが底に溜まる。全体が綺麗に混じりあうことは、滅多にない。なんで?

 ってんで、実験だ。1960年代、ブラッドフォード大学の工学者ジョン・ウィリアムズは、ガラスの円筒の中に、沢山の小さなガラス玉と1~2個の大きいガラス球を入れて揺さぶり、ガラス玉の動きを観察した。傍から見たらビー玉で遊んでるとしか思えないが、真面目な実験なのだ。

 やはり遊んでるように見えるのが、ブルックヘブン研究所のパー・バク,チャオ・タン,カート・ウィーゼンフェルドの実験。彼らは砂山に砂粒を落とし続けた。これに何の意味があるのかというと、実は実験本来の意図は本書には書いていない。が、彼らが発見した事は、何か意味深。

 砂山は次第に高くなり、斜面がキツくなる。ある程度までキツくなると、なだれを起こす。すると、斜面は緩くなる。砂山は「つねに自分がなだれの直前にいる状態に帰ろうとする」のだ。破滅の淵までジリジリと進み崩壊を迎え、再び破滅へ向かうパターンは、人間社会でも色々とありそうだ。独裁者の締め付けとか。

 そして、前世紀の後半に入ると、人類は新しい道具を手に入れる。そう、コンピュータを使ったシミュレーションだ。

 中でも、鳥や魚の群れの協調性の謎を解くエピソードは、いかにも現代的。時は1986年、登場するのはカリフォルニアのコンピューター企業<シンボリックス>のエンジニア、クレイグ・レイノルズ。

 別に彼は研究がしたかったわけじゃない。鳥の群れを、リアルに描くアニメーションが作りたかった。ソレが科学的に正しいかどうかは、どうでもいい。見た人が「本物っぽい」と感じてくれれば、それでよかった。そこで鳥の群れを観察し、三つのルールを見つけ出す。

  • 仲間にぶつかってはいけない。近づきすぎたらよける。
  • 近くの仲間と、だいたいの向きを合わせる。
  • 近くの群れの真ん中に行こうとする。

 このルールを個々の鳥に適用すると、あら不思議。別にリーダーもいないのに、自然と群れは統率の取れた動きを見せるようになった。おかげで「バットマン・リターンズ」のコウモリとかにも使われましたとさ。とすると、もしかしてコレ(→Youtube)も…

 これが複雑系の研究で有名なサンタフェ研究所に伝わり、社会生物学などに新しい動きが生まれてゆく。娯楽のために作ったモノが、全く新しい科学の領域を開いてしまったのだ。これだから世の中は面白い。

 話はまだ続く。時は流れ研究は続き2006年、意外な者が意外な目的で研究に注目する。巡礼の地メッカを抱えるサウジアラビアが、400万人が集まる巡礼ハッジでの事故を防ぐ方法を、シュトゥットガルト大学のディルク・ヘルビングに相談してきた。

 この時は相応の解決策を授けたらしいが、去年もハッジじゃ事故が起きてる(→日本語版AFP)。もう警備や設備の問題じゃなくて、容量的に限界なんだろうなあ。

 「流れ」は、常に動く。それだけに、本書に書いてある事柄を思い浮かべるには、少し頭を使わなきゃいけないし、時間もかかる。でも、多少の想像力があれば充分に風景が思い浮かぶし、豊富なイラストや写真が想像を助けてくれる。

 レオナルド・ダ・ヴィンチなどの卓越した才能を持つ先人が苦闘した壁を、多くの科学者たちが積み重ねた努力と、強大な計算力を振り回すコンピュータが突き崩しつつある、その現状を中継したリポートとして、最先端の熱気とワクワク感が伝わってくる科学解説書。

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2016年9月13日 (火)

フィリップ・ボール「かたち 自然が創り出す美しいパターン 1」ハヤカワ文庫NF 林大訳

科学者の技はかなりのところ、モデルに何を含め、何を含めないかを見極めることにある。
  ――1 ものの形 パターンと形態

ひとたび定着すると、有利な模様と形態がどのように集団の中で持続するかをダーウィニズムは説明する。ところが、そもそもこういうものがどのようにして生まれたのかという問題(略)については、この理論は沈黙を守っている。
  ――4 体に書かれたもの 隠れる、警告する、擬態する

模様の構成要素は局所的なルールだけで決まり、全体的に適用されるということだ。
  ――7 胚を展開する ボディー・プランの形成

【どんな本?】

 自然界にはいろいろなパターンがある。ヒマワリの種は複雑ならせんを描き、キリンには斑点があり、エンゼルフィッシュには綺麗な縞があり、ミツバチは幾何学的に並んだ、まさしくハニカム構造の巣を作る。生物ばかりではない。宝石や岩も、美しい縞模様を持っている。

 シマウマの縞は捕食中の目を欺き、見つかりにくくする。適者生存の理屈では、縞がある者が生き延び子孫を残したとなる。だが、その縞はどのように生まれたのか。ランダムな突然変異で様々な模様を持つ者が生まれ、たまたま縞になった者だけが生き延びたとするのは、かなり苦しくないか?

 自然の中のパターンは、なぜできるのか。それができる裏には、どんなメカニズムが働いているのか。そのメカニズムは、どんな事を可能にするのか。

 ネイチャー誌などで執筆するサイエンス・ライターが、化学・数学・生物学など多岐にわたる分野から資料を漁り、自然界に現れるパターンとその仕組みを、豊富な写真やイラストと共に語り、意外な結論へと導く、興奮に満ちた一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Shapes - Nature's Patterns : A Tapestry in Three Parts, by Philip Ball, 2009。日本語版は2011年9月に早川書房より単行本で刊行。私が読んだのは2016年4月15日発行のハヤカワ文庫NF版。

 文庫本で縦一段組み、本文約421頁に加え、訳者あとがき3頁+近藤滋の解説7頁。9ポイント41字×18行×421頁=約310,698字、400字詰め原稿用紙で約777枚…って、大当たりかい。文庫本にしてはやや厚めだが、写真やイラストも沢山あるので、実際の文字数は8割ぐらいだろう。

 文章は比較的にこなれている。内容は、一般向けとしては少々手ごわい。ヨウ素酸カリウムだの極小曲面だのと、慣れない言葉が出てくるし。が、じっくり読めば、だいたいわかる。数式や分子式もほとんど出てこないし、出てきても無視してかまわない。中学卒業程度の数学と理科の素養があれば、なんとか読みこなせるだろう。

【構成は?】

 原則として前の章を受けて後の章が続く構成なので、素直に頭から読もう。できれば索引が欲しかった。

  • 序と謝辞
  • 1 ものの形 パターンと形態
    進化の限界/遺伝のブラックボックス/パターンとは何か、そして形とは何か/なぜ数学を用いるのか/モデルづくり/地図は土地ではない
  • 2 ハチの巣の教訓 泡で築く
    自然から芸術へ/海のハチの巣/水の皮/シャボン玉の数理/泡を積み重ねる/巣室の並ぶ面と面をどう合わせるか/空間を埋める安上がりなやり方/結晶のセル/模様がついたプラスチック/化石の泡
  • 3 波を起こす 試験管の中の縞模様
    なぜ変化が/不均衡/化学シーソー/爆発的な反応の進行/異端から普遍へ/炎の円環/手を替え品を替え/ロック・アート/ワイルド・アット・ハート/命のリズム/集団の脈動/原初のとき
  • 4 体に書かれたもの 隠れる、警告する、擬態する
    凍った波/チューリングの縞模様/皮一重/硬いやつら/怪しい証拠/羽の上の目
  • 5 野生のリズム 結晶化する「群れ」
    生き残るための周期戦略/なわばりを主張する/クイック&デッド/チューリングの大聖堂
  • 6 庭の草花はどう育つか ヒナギクの数学
    生物の曲線/フィボナッチを探して/らせんをつくる/アンダー・プレッシャー
  • 7 胚を展開する ボディー・プランの形成
    どちらが先か/縞模様の卵/ホメオボックスを開く/今日ある毛も/きたるべきものの形/形態の必然性?/可能なものと現実のもの
  •  付録1 石鹸の幕が形づくる構造
  •  付録2 振動する化学反応
  •  付録3 BZ反応の化学波
  •  付録4 リーゼガングの縞模様
  •  訳者あとがき/解説:近藤滋/参考文献

【感想は?】

 トラ猫の縞はどうやってできるのか。

 いやシマウマの縞でもいいし、ヒョウの斑点でもいいし、蝶の羽にある目玉みたいな模様でもいい。生き物には様々な模様がある。あの模様は、どうやってできるのか。

 と、その前に。この本でスポットライトが当たるのは、あまり有名でないスコットランドの動物学者、ダーシー・ウェントワース・トムソンだ。1917年に出版した「成長と形」が、本書の重要なテーマとなっている。曰く「自然界に見られるパターンと形の、最初の秩序だった分析である」。

 彼はダーウィニズムに異議を申し立てた。確かにシマウマの縞は見つかりにくいだろう。だが、シマウマはどうやって縞模様を見つけたのか。なぜ斑点ではないのか。縞になる必然性、または制約が、そこにはあるのではないか。そして、その縞は、どうやってできるのか。

 この謎をめぐる長編が、この本だ。

 自動で綺麗なパターンができる例として、わかりやすいのが、オウムガイ(→Google画像検索)だ。綺麗な対数らせんになっている。オウムガイに限らず、巻貝はたいてい似たようなパターンに従う。

 別に貝は対数を計算しているわけじゃない。貝の体(私たちが食べる、あのグニョグニョした部分)は少しづつ育って大きくなる。だから、体に合わせて貝殻も大きくしなきゃいけない。体に合わせて貝殻を増築していくと、自然と対数らせんになってしまう。

 そんな風に、その場その場の制約に従ったら縞になった、そういう事じゃないのか?

 貝殻は、なんとなくわかる。でも、縞はもっと複雑に思える。そもそも、縞を作るような自然現象はあるのか?

 ここで意外な方向に話が飛ぶ。なんと化学。BZ反応だ。Wikipedia にGIF動画があるので、見てほしい。変な縞縞が出来ては消えてゆく、普通の化学反応は、一回反応して色が変わったり沈殿したり爆発したりすれば、終わる。でもBZ反応は、次から次へと反応が続いてゆく。どうなってんの?

 などと驚いてたら、再び意外な驚きが待っていた。なんとアラン・チューリングの登場だ。そう、チューリング・マシンのチューリングである。あの人、こんな事もやってたのか。フォン・ノイマンといい、計算機科学の黎明期に活躍した人は、多彩な方面で活躍した人が多いんだなあ。

 チューリングが考えたのは、「縞って案外と単純な理屈で作れるんじゃね?」って事。ライフゲーム(→Youtube)みたいな感じで、シンプルなルールで複雑な模様を作り出せるし、初期状態のほんの少しの変更で大きな違いが生まれたりもする。

 と、役者が揃った所で、縞の謎へと斬り込み、更に一つの受精卵が細胞分裂の末に目や腕に変わってゆく原因へと突き進む終盤は、まさに怒涛の展開。

 ここでは遺伝子が重要な役割を担うんだが、この遺伝子の働きが実にバラエティ豊かで。例えばディスタルレス遺伝子は、「チョウの羽の目玉模様と、ショウジョウバエの脚の形成の引き金」の両方を担っている。置かれた状況によって、全く異なる結果を引き起こすのだ。

 この謎を解くカギになりそうなのが、パックス6。マウスのスモールアイ遺伝子をハエの組織に移植すると、「眼が――ただし、マウスの目ではなくハエの複眼が形成される」。オブジェクト指向でいうメソッドみたいなモンなんだろうか。同じメッセージでもオブジェクトのクラスにより振る舞いが違う、みたいな。

 やはりDppというタンパク質も奇妙で。

発生のある段階で細胞が局所的にDppにさらされると、細胞はのちに、それがDppの発生源から遠く離れた段階で、ある仕方で発達するようプログラムされる

 …って何言ってるかよーわからんが、LISP屋には「LAMBDAによる遅延評価みたいな仕組み」とでも言えば通じるんだろうか。昔のコンテキストを覚えててくれるわけです←余計わかんねえよ

 他にも乾燥地の草が点々と群生する理由とか、ロリコンの元祖ナボコフ(←違う)の試練とか、珪藻のトゲの役割とか、細かいネタは盛りだくさん。歯ごたえはあるが、それに相応しい驚きもギッシリ詰まった、科学トピック好きにはたまらない本。

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2016年9月11日 (日)

アルフレッド・ベスター「願い星、叶い星」河出書房新社 中村融編訳

人は自分を失っちゃいけない。自分自身で暮らしを立て、自分自身の人生を生き、自分自身の死を迎えなくちゃけない……さもないと、他人の死を迎えることになる。
  ――ごきげん目盛り

「殺しあいをさせておきましょう、あの豚どもには。これは、わたくしたちの戦争ではありません。わたくしたちは、変わらずわが道を行くのです。考えてごらんなさい、みなさん、あるうららかな朝、この防空壕から出たら、ロンドン全体が死に絶えていた――世界全体が死に絶えていたということになったら、どんなにうれしいかを」
  ――地獄は永遠に

【どんな本?】

 「虎よ、虎よ!」「分解された男」で有名なアメリカのSF作家、アルフレッド・ベスターの、数少ない短編を集めた、日本独自の作品集。饒舌でリズミカルで下品な語り口、エキセントリックで暴力的で変態的で背徳的な場面描写、奇想というより狂気にまで突き抜けたアイデアなど、ベスターならではのイカれた世界が味わえる。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2005年版」のベストSF2004海外篇で第18位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2004年10月30日初版発行。私が読んだのは2005年9月10日発行の第三刷。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約352頁に加え、編訳者あとがき15頁。9ポイント42字×18行×352頁=約266,112字、400字詰め原稿用紙で約666枚。獣の数字とはベスターらしい。文庫本なら少し厚め。

 ベスターの割に、意外と文章はこなれている。内容も、最近のSFに比べればはるかにとっつきやすい。「SFは新しいほどアイデアが新鮮で楽しめる」と思ってたけど、初心者には古い作品の方がわかりやすくて読みやすいのかも、と考えなおしたり。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 元題 / 初出 の順。

ごきげん目盛り / Fondly Fahrenheit / F&SF 1954年8月号
 ジェイムズ・ヴァンデルアーは、着の身着のままでパラゴン第三惑星を逃げ出した。彼のアンドロイド、希少で高価な多用途アンドロイドが、無邪気な子供を殺したのだ。アンドロイドは人に害をなさない筈なのに。最初はちょっとしたイタズラだった。次に放火、そして傷害と、次第に症状が酷くなる。
 金持ちのドラ息子で、浪費とタカリしか能のない主人のヴァンデルアーと、彼の暮らしをけなげに支えるアンドロイドの対比がいい。けなげとはいえ、そこはアンドロイド、話す言葉は無感情で論理的、しかも全く空気を読まないのが、実にムカつくw 一人称が混乱してるのも、この作品のポイント。
ジェットコースター / The Roller Coaster / ファンタスティック 1953年6月号
 安淫売を買ってナイフで脅したのに、女は怯えるだけ。泣きもしなけりゃ暴れもせず、全く役に立たちゃしない。だから神経症患者は困る。仕方ない。フレイダにアドバスを貰おう。彼女はギャンドリーを担当してた。今はギャンドリーの家にいるはずだ。彼のアパートを訪ねたが、ガスの臭いに気がつき…
 ベスターらしく暴力場面が多く、また暴力がテーマの大事な要素となっている作品。舞台がニューヨークなのもミソで、今はともかく一時期はかなり治安が悪く物騒な都市だった。地域にもよるけど。発表当時のSFはお上品な作品が多かったから、衝撃も大きかったろうなあ。
願い星、叶い星 / Star Light, Star Bright / F&SF 1952年7月号
 電話帳でブキャナン性の家を探し、次々と訪ね歩く男。ある家では科学研究所の調査員フォスター、別の家では全国放送協会のデイヴィス、また他の家では事業振興局のフックを名乗り、それぞれ全く異なるアンケートを取る。彼の命運は尽きていた。
 作中に出てくるペテンの手口は、インターネットが普及してナイジェリアの手紙(→Wikipedia)として復活してるなあ。昔からあったし、それなりに稼げたらしい。ラストの無機質で寂しげな、そして無限を感じさせる風景が印象的。にしても、嫌な無限だw
イヴのいないアダム / Adam and No Eve / アスタウンディング 1941年9月号
 滅びた後の地球を、クレインは延々と這い続ける。灰色の細かい灰と燃え殻が地を覆い、狂った風が灰を巻き上げ、空を黒く覆う。そして雨が降れば灰は泥となる。ここには誰もいない。生き残ったのはクレインだけ。海を求め、クレインはひたすら這い進む。
 「地球最後の男」のバリエーション。滅亡後の地球の描写はいろいろあるが、たいていはビルの残骸や鬱蒼としたジャングルなど、風景に変化があるのが大半で、この作品のように灰色と黒のモノトーンなんてのは滅多にない。色も起伏もない風景が、絶望感を際立たせる。
選り好みなし / Hobson's Choice / F&SF 1952年8月号
 統計学者のアディヤーは、奇妙は数字を見つけた。今は戦争中で、死亡率は上がり出生率は下がっている。当然、人口は減るはずだ。しかし、記録では人口が増えている。そこで合衆国の各地域ごとに人口統計を取ると、意外な事実が浮かび上がり…
 「次の戦争は核で決着がつくだろう」と思われていた時代の作品。根気強く数字を集め、グラフや図を描き、モノゴトの関係が浮かび上がってきた時の気持ちは、なかなか興奮するものがあるよねえ。作品のテーマは実に皮肉なもので。江戸しぐさとか主張してる人は、決してこんな作品を読まないだろうなあ。
昔を今になすよしもがな / They Don't Make Life Life They Used to / F&SF 1963年10月号
 ひとけのないニューヨークを、裸の娘がジープで走っている。図書館に入っては幾つかの本を持ち出し、来館者名簿に書き入れる。図書館から戻る途中、突然ひとりの男が現れた。慌ててブレーキを踏む。「あんたイカれてるの。信号無視よ」
 再び人類滅亡後の世界を描く作品…なんだが、見事に悲惨さがカケラもないw なんたって、出てくる娘も男も、明らかにズレまくってるし。こうやって読むと、イカれちゃうのも、それなりに幸せじゃないかと思えてくる。
時と三番街と / Of Time and Third Avenue / F&SF 1951年10月号
 その日、メイシーの店の奥の部屋は、貸し切りとなった。ついさっき来たボインと名乗る男が借りたのだ。そのすぐ後、カップルが店に入ってきた。オリヴァー・ウィルスン・ナイトとジェイン・クリントン。ボインはカップルがこの店に来る事を知っていたらしい。ばかりでなく…
 ベスターの作品に出てくる人間は、欲望むき出しのしょうもない奴が多い。ので、ナイトが出てきた時も「リア充もげろ」と思っていたら、意外にも実にまっとうな奴で驚いた。世俗的な成功を求める点はアメリカ的だけど、その手段も古き良きアメリカン・スタイルだし。
地獄は永遠に / Hell Is Forever / アンノウン・ワールズ 1942年8月号
 空襲に怯えるロンドン。レディ・サットンの城の地下深くにある防空壕に、六人の男女が集まる。<六人のデカダン派>を名乗る彼らは、刺激と快楽を求めて、様々な悪徳に浸った。その日の出し物は喜劇、名付けて「アスタロトは女性なり」。
 この作品集で最も長い作品。後にコミック・ラジオ・テレビ業界で活躍するベスターらしく、映像化したらウケると思うんだが、当時のテレビじゃ無理だろうなあ。ロクでもない連中がロクでもない目に合う話で、今映画化したら友成純一あたりが絶賛するホラー作品になると思う。
編訳者あとがき ベスターのもうひとつの顔

 下品で饒舌なのに加え、登場人物がエネルギッシュな俗物なのがベスターの特徴。当時のSFとしては過激だったんだが、今ではスンナリ読めてしまうあたり、やはり時代を先取りしていた人なんだな、と感じる。長編では作品を破綻寸前にまで追い込む過激なアイデアが、短編では作品を綺麗にまとめるのが面白い。

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2016年9月 9日 (金)

C.G.ユング他「人間と象徴 無意識の世界 上・下」河出書房新社 河合隼雄監訳

この本は広い一般の読者にたいする彼(ユング)の遺産である。
  ――序

元型とは実際、本能的な傾向性であって、鳥の巣を作る衝動であるとか、蟻が組織化された集団を形成するのと同じように、顕著なものである。
  ――Ⅰ.無意識の接近

人はいろいろな理由で厳密には見つめたくない自分自身の人格の側面について、夢を通じて知らされることとなる。これが、ユングのいう“影の自覚”である。
  ――Ⅲ.個性化の過程

【どんな本?】

 フロイトと並び20世紀の精神医学をリードし、分析心理学を打ち立てたカール・グスタフ・ユング。現代でも、アニマ/アニムス/元型/シャドウ/同時性(シンクロニシティ、synchronicity)/ペルソナなど、彼が唱えた概念は、アーティストやクリエイターに好んで取り上げられる。

 だが、彼の著作の多くは難解で、一般人には近寄りがたい。ユング自身、一般向けの啓蒙書には消極的だった。テレビでのインタビュウをきっかけに、彼とその弟子によって書かれた本書は、彼自身がかかわった唯一の、分析心理学の一般向け入門書である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Man and His Symbols, by Carl G. Jung, M. L. von Franz, Joseph L. Henderson, Jolande Jacobi, Aniela Jaffé, 1964。日本語版は1975年9月15日初版発行。私が読んだのは1981年2月25日発行の14版。順調に版を重ねてるなあ。

 単行本ハードカバー横一段組みで上下巻、本文約245頁+272頁=517頁に加え、訳者あとがき4頁。8ポイント34字×31行×(245頁+272頁)=約544,918字、400字詰め原稿用紙で約1,363枚だが、図版を豊富に収録しているので、実際の文字数は6~7割だろう。文庫本なら厚めの上下巻ぐらい。

 文章は硬く、典型的な「学者の文章」。入門書だが、内容もかなり歯ごたえがある。特に最初の「Ⅰ.無意識の接近」が難しい。ユングの思想を手っ取り早く掴むには、いっそ最後の「Ⅴ.個人分析における象徴」から取り掛かるのがいいかも。

【構成は?】

 ⅠからⅣまでは入門書らしく例をあげながら理論を紹介する。Ⅴでは一つの臨床例を詳しく紹介し、ユング派の理論を臨床に応用したケースを具体的に描いてゆく。

  •  上巻
  • 序 ジョン・フリードマン
  • Ⅰ.無意識の接近 カール・G・ユング 河合隼雄訳
    • 夢の重要性
    • 無意識の過去と未来
    • 夢の機能
    • 夢の分析
    • タイプの問題
    • 夢象徴における元型
    • 人間のたましい
    • 象徴の役割
    • 断絶の治癒
  • Ⅱ.古代神話と現代人 ジョセフ・L・ヘンダーソン 樋口和彦訳
    • 永遠の象徴
    • 英雄と英雄をつくるもの
    • イニシエーションの元型
    • 美女と野獣
    • オルフェウスと人の子
    • 超越の象徴
  •  下巻
  • Ⅲ.個性化の過程 河合隼雄訳
    • 心の成長のパターン
    • 無意識の最初の接近
    • 影の自覚
    • アニマ 心の中の女性
    • アニムス 心の中の男性
    • 自己 全体像の象徴
    • 自己との関係
    • 自己の社会的側面
  • Ⅳ.美術における象徴性 アニエラ・ヤッフェ 斎藤久美子訳
    • 聖なるものの象徴 石と動物
    • 円の象徴
    • 象徴としての現代絵画
    • 物にひそむたましい
    • 現実からの後退
    • 対立物の含一
  • Ⅴ.個人分析における象徴 ヨランド・ヤコビー 並河信子・阪永子訳
    • 分析の開始
    • 初回の夢
    • 無意識にたいする恐れ
    • 聖者と娼婦
    • 分析の発達過程
    • 神託夢
    • 不合理への直面
    • 最後の夢
  • 結論 M・L・フォン・フランツ 西村州衛男訳
    • 科学と無意識
  • 注/訳者あとがき/索引

【感想は?】

 この本の最大の魅力は、豊富に収録した写真や図版だ。だから、できるだけ状態の良い物を手に入れよう。

 分析心理学と学問っぽい名前だが、改めて読むと結構アブない。何回か量子力学の不確定性原理を引き合いに出して箔をつけようとしているが、その解釈は不出来なSF小説にありがちなパターンだ。つまり「現代科学はラプラスの悪魔(→Wikipedia)を否定してんだから、決定的な解が出ない俺の理屈も科学だぜ」的な無茶理論である。

 この手の本にありがちなように、自分の理屈に都合のいい例をたくさん挙げて、「ほら、合ってるでしょ」と理論を補強しようとするが、別に統計を取っているわけじゃないし、数値化もしていない。そもそも数値化しようなんて最初から考えていないし。

 などと悪口で始まったし、私はそういう姿勢でこの記事を書いている。が、それでも面白い本ではあるのだ。特に、諸星大二郎や京極夏彦あたりが好きな人には、たまらない吸引力がある。

 とにかく、写真や図版がいい。世界各地の民族の祭礼や、宗教関係の絵画・彫刻、文化遺産や遺跡など、ナニか出てきそうな怪しげなシロモノが次から次へと出てくる。これを眺めているだけで、好きな人はトリップできるだろう。

 本書の内容の多くを占めるのは、夢の解釈だ。フロイト同様、ユングも無意識の存在を認めている。ただし無意識の中身が違う。フロイトは無意識を性欲のゴミ箱と考えた。対してユングは、「本人が感じているが気づいていない何か」みたいな解釈をする。性欲以外も含む、もっと幅広い何か、だ。

 この本で紹介する例は、多くが変化の兆しとして解釈されている。たまに死の予兆など暗い物もあるが、大半は成長の兆しだ。生真面目で厳格に生きてきたが遊びを知らぬ中年男。宗派の違う女性との結婚に踏み切れない理系の若い男。創作活動を手掛けたいと願う中年女。

 あるカトリックの婦人は、「その信条の細かい、外的ないくつかの点で抵抗を感じていた」。そしてこんな夢をみる。

町の教会が取り壊されて再建されたが、聖体を安置してある聖櫃とマリアの像は、古い教会から新しいほうに移された。

 この夢をユング派は、彼女の無意識からのメッセージとして解釈する。曰く、宗教の細かい所は変わっても、信仰の根本的な所は変わってないから大丈夫だよ、と。

 夢判断だけでなく、各地の神話・民話・伝説を紹介しているのも、本書の読みどころ。聖クリストファー(→Wikipedia)がキリストを背負う話では、思わず「子泣き爺(→Wikipedia)かい!」と突っ込んだり。これ世界的にありがちな話のパターンなのか、子泣き爺がネタを流用したのか…などと考えると、妄想は広がりまくる。

 やはり神話では、ギルガメッシュやスーパーマンの後にスサノオの八岐大蛇退治が出てきて、ここでは英雄神話の定型に例えながら人の心の成長のパターンを述べてるんだげど、同時に物語づくりの定石も身につくような気分になる。やっぱりヒーローはピンチに陥りながらも美女の助けを借りて切り抜け、美女と結ばれるのが王道なのだ。

 ヒーローに必要なのは、美女だけじゃない。魅力的な悪役も大事だ。ユング的にはシャドウ(影)。ガンダムに例えるとアムロに対するシャアがピッタリ。単純な悪ってわけでなく、主人公が抑圧している人格の一部分を象徴する人物ですね。

 そんな感じに、オカルトが好きな人や、各地の奇習や風俗に興味がある人、または創作を手掛ける人にとっては、美味しそうなネタがギッシリ詰まった上に、ウケそうな骨組みまで与えてくれる便利な本でもある。かなり歯ごたえはあるし、人によっては洗脳されかねない危ない本ではあるけど、それを承知で読むなら、充分な収穫が期待できるだろう。

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2016年9月 6日 (火)

柴田勝家「クロニスタ 戦争人類学者」ハヤカワ文庫JA

「みんながみんなになって、ひとり、いなくなる」

【どんな本?】

 新鋭SF作家の柴田勝家が、衝撃のデビュー作「ニルヤの島」に続き発表した長編第二作。

 近未来。アフガニスタンやイラクでテロに苦しんだ米軍は、その原因を文化の違いと考え、人類学に解決策を求める。多くの人類学者が従軍し、村々を巡って社会形態を解き明かした末に、適切な占領政策を打ち出して優れた効果をあげる。

 次第に均一化する世界の中で、共和制アメリカは勢力を伸ばし、民族主義者は激しく抵抗を続けるも追い詰められてゆく。ここで共和制アメリカの強力な武器となったのが、自己相の技術だった。個人の価値観や知識、そして強烈な感情を多くの人びとで共有し、誰もが同じ<正しい人>になる技術である。

 人理部隊の文化技官として従軍するシズマ・サイモンは、若い文化人類学者だ。自己化を拒む難民たちとの闘争の中で、不思議な少女と出会う。卓越した戦闘能力を持ち、誰も知らない言語を話す。ヒユラミールと名乗る少女との出会いは、シズマを運命を大きく変えてゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2016年3月25日発行。文庫本で縦一段組み、本文約404頁。9ポイント41字×18行×404頁=約298,152字、400字詰め原稿用紙で約746枚。文庫本としては厚め。

 最近のSFの中では文章はこなれている方だろう。SFとしてややこしいのは「自己化」って仕掛け。なんだが、これは作品の主題にも大きく絡むんで、じっくり読み込んで欲しい。

【感想は?】

 この作品のキモは、自己相だろう。これが生み出す世界の変化と、同時に発生する歪み。

 自己相。脳内にコンピュータとインターネットが一緒に入るような感じ。というと簡単に賢くなれる技術のようだが、それだけじゃない。価値観・世界観まで、みんなで共有してしまうシロモノ。

 だけじゃない。冒頭では、視覚の共有なんて技も使ってる。じゃ女湯に入ってる人の視覚を共有できるのかというと、それほど万能ではないんだが。って、我ながら酷い例えだな。まあいい。これが戦闘で優れた効果を発揮するのは、誰でもわかるだろう。

 更に、ちょっとしたオプションを使えば、誰かが頑張って身に着けた優れた技術もパクれる。私だってイチローみたいなバッティングができるし、アル・ディ・メオラみたく華麗にギターを弾くこともできる。いいなあ、便利だなあ。

 が、これで終わらないのが、この作品のミソ。

 元がアフガニスタンやイラクでの米軍の苦戦から生まれた技術だ。もっと剣呑な側面もある。ちょっとした手術で自己相を手に入れた者は、価値観や世界観まで自己相世界に飲み込まれる。「我々はボーグだ。お前たちを同化する」って程ではないが、みんなアメリカ的価値観に染まってしまう。

 お陰でイスラム原理主義に走るテロリストは減り、アメリカによる占領統治も楽になり、その後の民主的な政府立ち上げもスムーズにいく。おお、ラッキー。

 加えて退役兵がPTSDで悩む事もなくなる。深い心の傷を負った者は、恐れや悲しみや怒りを自己相に放り出す。一人で傷を抱えるのではなく、みんなで痛みを共有すれば、怒りで目がくらんで暴走する者もいなくなる。

 実際、怒りはともかく、不満や悲しみを誰かと共有するのは、心を健やかに保つのに役に立つらしい(最相葉月「セラピスト」)。

 確かにアメリカには都合がいいが、同化される側もそうとは限らない。そんなわけで、<難民>と呼ばれながらも同化を拒み、自分たちの生活スタイルや文化にしがみつく者もいる。この物語の主な舞台は南米のアンデス山中で、彼らは山中の村に住んでいたり、山の中を渡り歩いたりしてる。

 加えて文化人類学者には嬉しくない問題も起きる。みんなが同じ価値観・世界観になっちゃったら、文化の違いもなくなり、文化人類学そのものが成り「立たない。主人公のシズマは、難民をスムーズに同化するため従軍しながらも、学者としての探求心もあり、その板挟みになってゆく。

 これが文化人類学だと馴染みがなくてわかりにくいが、読者に伝える例えが巧く、またSF者をワクワクさせてくれる。曰く…

ロッキー山脈のビッグフット、サスカッチ。ヒマラヤ山脈のイエティ。コーカサスのアルマス。そして、祖父から聞いた日本の山人の伝説。

 世界が開拓され、どこんな土地も Google Map で覗けるようになった現在、未知の土地はなくなってしまい、同時にUMAの住む地も消えつつある。便利になったのはいいが、同時に恐竜が生き残っているロスト・ワールドの夢もなくなってしまった。いいのか、それで?

 ってなシリアスなネタばかりでなく、中盤以降のバトル・シーンはなかなかの迫力。特にクエンカでの陸軍大暴れの場面は、映像化したら大いに映えそうな迫力。歴史ある建築物を無造作に潰しながら、戦車が撃ちまくるあたりが、私は一番気に入った。やっぱ陸軍の花形は戦車だよなあ。

 様々な民族や文化が存在するが故に、対立が起き争いで人々が死んでゆく。だからといって、画一化してしまえば解決するのか。それによって失われるものを、平和の代償として切り捨てるべきなのか。様々なガジェットとアクションで彩りながら、文化の多様性へと斬り込んだ、野心的な作品。

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2016年9月 5日 (月)

マーク・ミーオドヴニク「人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探検する」インターシフト 松井信彦訳

なぜカミソリの刃は切れ、ゼムクリップ(ペーパークリップ)は曲がるのか? そのそもなぜ金属には光沢があるのか? さらに言えば、なぜガラスは透明なのか? なぜ誰もがコンクリートを嫌ってダイアモンドを好むものなのか? そして、なぜチョコレートはあれほどおいしいのか?
  ――はじめに すぐそこにある材料の内なる宇宙へ

【どんな本?】

 歴史の最初の授業では、こう教わる。人類の歴史は、石器時代・青銅器時代・鉄器時代と進んできた、と。ヒトが手にする材料が、石→青銅→鉄と変わるにつれ、文明もまた大きく飛躍した。材料は、人類の文明すら左右する。

 私たちの身の回りは、様々な材料が満ち溢れている。クリップは鋼鉄で、適度に硬い。ステンレスの台所は錆びない。コンクリートはビルを支え、紙は知識と気持ちを伝える。ティーカップは上品で肌触りが滑らかだが、割れやすい。だから子供にはプラスチックのカップを与える。

 だが、なぜクリップは硬いのに曲がるんだろう? 化学が普及していない日本で、なぜ日本刀が作れたんだろう? 磁器のない時代に、人は何をどう使っていて、どんな問題があったんだろう? プラスックの発見は、文化にどんな影響を与えたんだろう? そして、なぜチョコレートに病みつきになるんだろう?

 身近な材料をテーマに取り、それぞれの誕生エピソードから普及の原因、そして材料が持つ性質を生み出す構造の秘訣まで、親しみやすい語り口と意外なトリビアを取り混ぜて送る、一般向けの科学啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Stuff Matters : Exploring the Marvelous Materials That Shape Our Man-Made World, by Mark Miodownik, 2013。日本語版は2015年10月15日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約255頁。9.5ポイント45字×19行×255頁=約218,025字、400字詰め原稿用紙で約546枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。理科が得意なら中学生でも楽しく読めるだろう。

【構成は?】

 それぞれの章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • はじめに すぐそこにある材料の内なる宇宙へ
  • 第1章 頑強 文明を変えた強くしなやかな「鋼鉄」
    クリップが曲がるわけ/銅の時代から鉄の時代へ/日本刀の凄さの秘密/ひげ剃りの大躍進/なぜスプーンは味がしないのか
  • 第2章 信用
     ノート用紙:干し草の山/紙による記録:古本のにおいの元/印画紙:父を救った写真/本:デジタルを超えて/包装紙:魔法の力/レシート:消えゆく文字/封筒:アイデアの舞台/トイレットペーパー:21世紀の課題/手提げ袋:エレガントな幻想/光沢紙:神技あり/切符:一線を越えると曲がらなくなる/紙幣:偽札防止/電子ペーパー:インクはヤヌス粒子/新聞紙:時間を凍結する/ラブレター:紙だからこそ
  • 第3章 基礎 社会の土台として進化する「コンクリート」
    コンクリート時限爆弾/ローマ人が解決できなかった問題/魔法の組み合わせ/大きく考え、夢見ることを可能に/自己修復し、空気を浄化する
  • 第4章 美味 「チョコレート」の秘密
    独特の食感はこうして生まれる/600種を超える分子のカクテル/地域色豊かなミルクチョコレート/病みつきになる理由/素材による詩
  • 第5章 驚嘆 空のかけらを生む「フォーム(泡)」
    世界で最も軽い物体/無色なのに青く見える/宇宙の塵を収集する
  • 第6章 想像 映画も音楽も「プラスチック」のおかげ
    ビリヤードのボール/セルロイドの誕生/死体と防腐処理/最初の発明者は誰?/偽物の宝石/義歯騒動/写真革命/カウボーイとフィルム
  • 第7章 不可視 なぜ「ガラス」は透明なのか
    稲妻が作るガラス/西洋と東洋の違い/なぜ万物は透明ではないのか/ラパートの滴/人間のスケールを超えて
  • 第8章 不可壊 「グラファイト」から世界一薄く強固な物質へ
    鉛筆とダイヤモンド/鉛筆で物が書けるわけ/ロウソクの炎から驚異の材料が生まれる/二次元の物質
  • 第9章 洗練 技術と芸術が融合した「磁器」
    焼成が起こす特別なこと/白い磁器の謎を解く/ガラスの川
  • 第10章 不死 98歳でサッカーを楽しむ「インプラント」の私
    私の身体改造/軟骨の複雑さ/生体活性ガラスとバイオリアクター
  • 第11章 人工 材料工学の未来
    マルチスケール構造の発見/あらゆるスケールを結びつけた材料の開発へ
  •  謝辞/参考文献・図版クレジット/解説

【感想は?】

 楽しい(が、あまり役に立たない)知識を仕入れながら、化学の基礎がわかるおトクな本。

 構成が巧い。最初の鋼鉄の項から、魅力的なエピソードがてんこもり。例えば「異星人が自分を狙っている」と主張する男が出てくる。デムパ系みたいだが、そう思い込む原因は実に納得できるものだ。

 その男、ボスニア北部に住むラディヴォケ・ラジック氏、2007年から2008年にかけて、「彼の家に隕石が少なくとも5個落ちてきた」。そりゃ疑いたくもなるよなあ。しかも、「自分の疑念を2008年に公表したあと、隕石がまた彼の家に落ちてきた」。呪われてるのか。

 日本刀が優れている理由は、たたら製鉄だった。もののけ姫でエボシ御前の一党が、足でふいごを動かしてたアレだ。鉄は炭素を含む。炭素が少なければ、刀は柔らかく折れにくいが、刃先は鈍い。炭素が多ければ、硬く折れやすいが、刃先は鋭くなる。

 たたら製鉄でできた鉄の塊は、炭素の量が「とても少ないところからとても多いところまでさまざまな部分がある」。そこで炭素が少なく柔らかい所を刀の芯に使い、炭素が多く硬くて鋭い所を刃先に使う。これで切れ味鋭く折れにくい刀ができたわけ。

 日本刀の芯が柔らかく刃先が硬いのは比較的に知られているけど、柔らかい鉄と硬い鉄をどうやって分けたのかは謎だったが、そういう事だったのか。たたら製鉄すげえ。

 ヘンリー・ベッセマー(→Wikipedia)の製鋼法の歴史も楽しい。鉄の中の炭素を取り除く方法が賢い。溶けた鉄に空気を吹きこむだけ。空気中の酸素は鉄の中の炭素を燃やし、二酸化炭素になると同時に、熱を出すので炉の温度を保つ。

 ただし、ベッセマーに特許料を払った他の製鉄会社は巧くいかなかった。お陰でベッセマーはペテン師呼ばわりされ、苦しい立場になってしまう。巧く行かない理由は、原料の鉄鉱石によってもともとの炭素の量が違っていたから。理屈はあってたけど、素材によってレシピを調整する必要があったわけ。

 そこで追い詰められたベッセマーは…

 ステンレス誕生の物語も意外だ。時は1913年、第一次世界大戦んの直前。ハリー・ブレアリーは優れた銃身を作るため、合金の研究をしていた。様々な元素を鋼鉄に混ぜては失敗の繰り返し。失敗した試料は、研究室の隅に捨て置かれた。

 ある日、錆びた破棄試料の山を通りかかったブレアリーは、ゴミの山の中に小さな輝きを見つける。なぜ光る? なんと、これは錆びてない!

 これが錆びない鉄、ステンレス誕生の瞬間だ。秘訣はクロム。錆は鉄が酸素と化合してできる。クロムは鉄より先に酸素と化合し、酸化クロムの幕を作って鉄を空中の酸素から守る。

 こりゃいいやと思ったブレアリーは、ナイフを作ってみる。ナイフって所が、ヒトのオツムの働きをよく表してる。銃作りに携わっていたため、物騒な発想に囚われちゃったんだろう。ところが残念なことにステンレス製ナイフ、なまくらで切れなかった。

 ブレアリー君はガッカリしたが、切れないからこそ役に立つ事が後にわかる。台所やスプーンだ。

 中でもステンレス製スプーンの発明は偉大で、お陰で私たちは鉄の味を感じずに食事を味わえる。「私たちは食器の味を味わわなくて済むようになった最初の数世代」になったのだ。インド人が素手でカレーを食べるのも、そういう理由かもしれない。実際、その方が美味しいんだろう。

 こういった、材料が料理に及ぼす革命は、ガラスにも言えて…

 などと、第1章の鉄だけでも、楽しいエピソードがてんこもり。この調子で、紙・コンクリート・チョコレート…と、様々な材料の誕生秘話から、「ソレがない時代はどうだったか」まで、興味深い話が次々と出てくる。

 SF者としては、私たちの文明が、手に入る物資の意外と絶妙なバランスの上に築かれているのに気がついて、他星系に移住した者が築く文明や、エイリアンの文明が、今まで考えていたのより遥かにバラエティに富んでいそうだと思い立ち、夢が広がってきたり。

 詠みやすさは抜群だし、語り口も親しみやすいわりに、意外性に満ちたエピソードも多く、読んでて飽きない。初心者向けの科学解説書としては、格好のお薦め。

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2016年9月 4日 (日)

C.L.アンダースン(サラ・ゼッテル)「エラスムスの迷宮」ハヤカワ文庫SF 小野田和子訳

「平和こそわが任務。わたしは平和を見まもり、平和をひろげてゆくために召集された。わが手が死をもたらせば、終わりなき戦いがはじまるやもしれぬことをつねに念頭に置くべし。命を生むのは平和のみ。平和を生むのは命のみ」

【どんな本?】

 アメリカのSF・ファンタジイ作家サラ・ゼッテルが、C.L.アンダースン名義で発表した長編SF小説。

 人類が恒星間宇宙に進出した遠未来。

 地球統一政府がパクス・ソラリスを統べる。治安維持局特殊部隊の元野戦指揮官テレーズ・リン・ドラジェスクは、現役を離れ今は夫デービッドと三人の子と共に静かに暮らしていた。そこに元上司で主席管理官のミサオ・スミスから連絡が入る。かつての盟友ビアンカが死んだ、と。

 現場は辺境のエラスムス星系。人々は事務局の厳しい監視下に置かれ、多額の負債を背負いギリギリの生活を送っており、エラスムス一族が君臨する専制的な社会だ。戦争の危険があるホット・スポットとされ、ビアンカ・フェイエットは確実な証拠を掴むために現地で調査していた。

 彼女の遺体は、死亡日時すらわからぬほど傷んでいた。常に彼女をモニターし支えるコンパニオン(脳内AI)のエレミアすら、多くの記憶を失っている。戦争を防ぎ、ビアンカの死の謎を解くため、テレーズは現役に復帰し、エラスムスへと赴く。

 2010年度フィリップ・K・ディック賞受賞作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Bitter Angels, by C. L. Anderson(Sarah Zettel), 2009。日本語版は2012年2月15日発行。文庫本で縦一段組み、本文約596頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント41字×18行×596頁=約439,848字、400字詰め原稿用紙で約1,100枚。上下巻に分けていい分量。

 文章は比較的にこなれている。遠未来の様々なテクノロジーが出てくるが、SFとしてそれほど難しい仕掛けはない。敢えて言えば、脳内AIのコンパニオンぐらいか。ヒトの脳内にすごく優秀なコンピュータが入ってて、そのインタフェースをAIが担ってる、みたいな。

 ただ、登場人物が多いのと、独特の設定や用語が多数出てくるので、登場人物の一覧と用語説明が欲しかった。エレミアとエミリアとか、ややこしいし。

【感想は?】

 基本的なお話は、ハードボイルド小説によくあるパターン。ただしキャラ設定をひねってある。

 引退した特殊部隊員に、昔の上司から連絡が来る。かつての盟友が任務中に謎の死を遂げた、と。盟友の死の真相を掴み、事件を解決するため、特殊部隊員は現役に復帰し、友の任務を引き継ぐ。引退の原因となった事件が起きた、因縁の地へ赴くために。

 ギャビン・ライアルあたりなら、主人公はヤモメのオッサンにするだろう。場末の酒場で飲んだくれてる小汚い酔っぱらいを、白髪交じりの爺さんが訪ねてくる、とか。そこを、素敵な家族に恵まれた女性にしたあたりが、著者ならではのヒネリの一つ。

 なんたって恒星間航行もできる未来だ。性差による体力的なハンデを克服する技術ぐらい、無ければおかしい。性差どころか、年齢だって「平均寿命は三百歳」って世界だし。そんなわけで、SFなら女でもハードボイルドな冒険物語の主人公を務められるのだ。いいねえ、見た目が華やかで。

 一見華やかだが、戦時の体制は厳しい。「30代以上はひとり残らず徴兵され」「いかなる事業も資産も、徴用、没収」ときた。いきなり総力戦体制である。

 無茶苦茶なようだが、戦争を防ぐには、意外と効果的かも。他人事だと無責任に煽る人も、自分が徴兵され資産も没収されるとなれば真面目に考えるだろうし。

 主人公テレーズが赴くエラスムス星系は、ガチガチの監視社会だ。登場人物の一人、エラスムスの保安隊に勤めるアメランド・ジローも、常に黒服の事務官ハマードに付きまとわれる。北朝鮮を想像してくれればいい。

 とはいえ、ジロー君は結構お人好しで、ハマードとも相応に良好な関係を築いてるんだが、そこは監視社会、越えられない壁は歴然としてあったり。しかも、アチコチに盗聴器が仕掛けてあって…

自問すべきは「盗聴されているかどうか」ではない。肝心なのは、「だれかわたしに注目しているだろうか」という問題だ。

 と、基本的にすべては筒抜けって状況なのだ。実に息苦しい。

 経済的にもエラスムスに住むのは厳しい。生きていくのに家賃や食費がかかるのはともかく、呼吸費なんてものまで必要なのだ。ばかりでない。エラスムス一族は、水まで押さえている。空気と水を押さえられたら、どうしようもないじゃないか。

 ただし北朝鮮とは異なり、地球統一政府との交流はあるし、表向きは敵対的でもない。そのため、テレーズも堂々と身分を隠さずエラスムスに入り込む。潜入じゃないあたり、エラスムス一族が監視網に持つ信頼と自信をうかがわせる。

 この監視網をいかに出し抜き、盟友ビアンカの死の謎に迫るか。そして、エラスムスはどんな秘密を隠しているのか。このなぞ解きが、本作品の本筋だ。

 正直言って、前半は少々かったるい。最近のSFらしく、特殊な用語が詳しい解説もなしに出てくるし、登場人物も多く、関係がつかみにくい。登場人物一覧と用語解説があれば、もう少し楽にお話に入り込めたと思う。

 が、頁をめくるに従い、お話は次第に面白くなり、中盤以降は目が離せなくなる。とはいっても、謎が一つ解けると次の謎が出てきて、更に謎が深まるってパターンなんだが、だんだんと隠された大きな陰謀が姿を現してくるゾクゾク感は、なかなかに見事。

 ありがちなハードボイルドの設定ながら、舞台を遠未来にして主人公を女性にすることで手触りと印象をガラリと変え、また主題も男の意地から平和の理想へと移し替えた、少し変わったSFスパイ小説。なにせ持つ銃までアレってのが、かなり笑った。

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2016年9月 1日 (木)

新田一郎「相撲の歴史」講談社学術文庫

本書の内容をいささか先取りしていえば、「相撲」はそもそも、格闘技としての内容よりも、そうした文化的な意味づけをキイとして成立したものなのだから。
  ――はじめに 本書の意図と構成

各地の寺社の祭礼に際して現在もおこなわれている相撲奉納の多くは、相撲がおこなわれることと神事の内容とが必然的に結びついているわけではなく、いわば祭りの余興の一つとして、歌舞音曲などさまざまな芸能とともに相撲がおこなわれている場合がきわめて多い、という点である。
  ――第一章 神事と相撲

 相撲は、現代ではしばしば、柔道・県道・弓道などとともに「武道」のひとつに数えられるが、そのなかで相撲だけが、早くから職業化・興行化の道をたどったという、きわだった異質性を持っている。
  ――第四章 武家と相撲

【どんな本?】

 相撲とは何だろう。道を究める武道なのか、強さを競う格闘技なのか、肉体を鍛えるスポーツなのか、見て楽しむ興行なのか、神に奉納する神事なのか。何に分類しても、相撲はどこかはみ出してしまう。

 相撲は、いつ生まれたのか。移り変わってゆく時代の中で、誰がどんな目的でどのような相撲をどこでとり、どのように受け継がれてきたのか。相撲取りたちの地位は、どのようなものだったのか。

 比較的に研究が進んでいる大相撲だけでなく、記紀神話から奈良・平安の時代にまでさかのぼり、日本の相撲の歴史全体を生き生きと描く、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原本は1994年に山川出版社から単行本で刊行。これに加筆訂正して2010年7月12日に講談社学術文庫より第1刷発行。文庫本で縦一段組み、本文約344頁に加え、あとがき4頁+「21世紀の相撲『学術文庫版あとがき』にかえて」20頁。9ポイント38字×16行×344頁=約209,152字、400字詰め原稿用紙で約523枚。文庫本としては標準的な厚さ。

 文章はこなれている。内容も特に前提知識は要らない。テレビで相撲を見て楽しめる程度に知っていれば、充分に楽しめる。ただし、「保元の乱」「平治の乱」などが解説なしに出てくるので、日本史に関して中学校卒業程度の知識があるか、または年表を片手に見ながら読むと、更によくわかる。

 なお、年号を神亀二(七二五)などとカッコの中で西暦を補っているのが、ありがたかった。

【構成は?】

 全般的に歴史の時系列に沿って進むので、素直に頭から読もう。

  • はじめに 本書の意図と構成
  • 序章 相撲の起源
    • 「相撲」の語
    • 神話の中の相撲
    • 歴史の中の相撲
    • コラム 相撲の宇宙論?
  • 第一章 神事と相撲
    • 水の神と相撲
    • 七夕と相撲
    • 相撲神事と奉納相撲
    • コラム 雨乞と相撲
  • 第二章 相撲節
    • 相撲節の起源
    • 相撲節の次第
    • 相撲節の廃絶
    • コラム 相撲節相撲人点景
  • 第三章 祭礼と相撲
    • 寺社の相撲
    • 相撲人その後
    • 村落の相撲
    • コラム 相撲銭
  • 第四章 武家と相撲
    • 鎌倉幕府将軍の上覧相撲
    • 技芸としての相撲
    • 諸大名の相撲見物
    • コラム 永享の日中決戦?
  • 第五章 職業相撲の萌芽
    • 「京都相撲」の活動
    • 勧進興行成立の条件
    • 勧進相撲の発生
    • コラム 辻相撲の風景
  • 第六章 三都相撲集団の成立
    • 諸藩抱え相撲の形成
    • 公許勧進相撲の成立
    • 京阪から江戸へ 相撲集団の統合
    • コラム 「土俵」の成立
  • 第七章 江戸相撲の隆盛
    • 徳川家斉の上覧相撲
    • 大名と相撲
    • 相撲会所の成立
    • コラム 「相撲四十八手」
  • 第八章 相撲故実と吉田司家
    • 「横綱」の創出
    • 吉田司家の系譜と戦略
    • 故実体制と相撲の正統
    • コラム 相撲と江戸文化
  • 第九章 近代社会と相撲
    • 明治維新と相撲
    • 「国技館」の建設
    • 国策と相撲
    • コラム 「横綱」その後
  • 第十章 アマチュア相撲の変遷
    • 素人相撲からアマチュア相撲へ
    • 学生相撲の発展
    • 「スポーツ」としての相撲
    • コラム 昔の相撲は強かったか
  • 終章 現代の相撲
    • 相撲のシステムの近代化
    • 現代の相撲
    • 相撲の国際化
  • あとがき
  • 21世紀の相撲
    「学術文庫版あとがき」にかえて
  • 主要参考文献/相撲史略年表

【感想は?】

 外国人力士の是非や八百長、またはアマチュア相撲との関係など、現代の相撲をめぐる問題を考える際に、是非とも参考にしてほしい一冊。

 つまるところ相撲とは何なのか。実を言うと、これを読んだ後、その答えはかえってわからなくなった。神事・武道・格闘技・芸能・スポーツ・遊戯。そのすべてを、相撲は持っている。それぞれの時代で、それぞれの地域で、相撲は様々な役割を担ってきたようだ。

 歴史資料としては、六世紀ごろの古墳から男子力士像埴輪(→文化遺産オンライン)が出ている。なぜ力士とわかるかというと、裸に褌だから。この裸に褌ってスタイルは、「環東シナ海地域を中心とした地域の格闘技に見いだされる共通性」らしい。

 もっとも、古代のオリンピックも選手は裸だったというし、現代のプロレスやボクシングもパンツ一丁なのを考えると、純粋に競技としての格闘を求めた結果としては、裸に近くなるのが自然な事なのかも。

 神事としては、「水の神」が相撲と縁が深いらしい。河童も相撲を取りたがるし。ここでは、大山祇神社の一人角力なんて面白い例が出てくる。精霊を相手に三番勝負で相撲を取り、二勝一杯で精霊に勝たせて豊かな実りを願うとか(→Youtube)。

 奈良・平安の頃には、朝廷が諸国の役人に銘じて相撲人を集め、相撲節(→Wikipedia)なんてのをやってる。これが「さまざまな舞楽によって彩られていた」って、アメフトのハーフタイム・ショーかい。つまり、当時の相撲は娯楽的な見世物の要素が強かったわけ。

 当初は朝廷独占だった相撲が、12世紀あたりになると寺社も催すようになる。これは朝廷を頂点とした中央集権が崩れ武士が台頭する時世を映しているようで面白い。さて当時の寺社は…

寺社の祭礼の新しい形態として、神事そのものよりも田楽などの芸能を中心的な位置においたものが、各所にひろまってゆく

 みたいな動きがあった。昔から日本人ってのは宗教を娯楽に変えちゃう性質だったんだなあ。それだけ貨幣経済も発達してたし、庶民にも余裕があったんだろうか。こういう風に一つの現象を様々な角度から見られるようになると、歴史は面白くなるなあ。

 既にプロ選手としての相撲人はいて、京を本場として洗練されてきている様子がうかがえる。これが1580年あたりになると、「京都近辺と近江国あたりだけでも数百人から千人以上にのぼった」なんて話も出てくる。「いわばセミプロ的な者も」多く混じってたようだが、それにしても相当に盛り上がっていたみたい。

 やがて「寺社・橋梁などの建立・修復のための資金調達を目的」とする勧進興行が現れた。今でいうチャリティーだね。最初はチャリティーだったけど、次第に単純な金儲けが目的になってきたり。これが相撲人には新しいマーケットとなり、「諸国へと巡業してゆく相撲人集団が形成され」てゆく。

 これが江戸時代になると、京・大阪・江戸を拠点とした「大相撲」と、地域の各藩が抱える相撲取りが両立する時代になる。

 これを現代のプロレスに例えてるあたりが、実に説得力があったり。つまり新日本プロレスみたいな大団体もあれば、みちのくプロレスみたいな地域団体もあって、それぞれが他団体からゲストを招いてカードを組んで興行をうつだけじゃなく…

例えば江戸を中心に活躍した谷風と、もともと京阪で修業時代を送った小野川との対戦では、江戸では谷風、京阪では小野川がそれぞれ善玉となって、敵地での勝負よりも分のいい結果を残していたりする。

 これまた、興行する地域によってヒールとベビーフェイスを使い分けるプロレスラーみたいなもんだなあ。もっともテリー・ファンクみたく出身地じゃヒールで出張先の日本じゃベビーフェイスなんて変なのもいるけど←関係ねえ

 全般的に共通しているのは、そこはかとなく漂う胡散臭さや出自の低さを、どうにか権力に取り入って権威を得ようとする志向が一貫してること。「国技館」って名前も、そういう思惑がバッチリ入っている。

 とまれ。こうやって歴史の中での相撲を見ていくと、時代が変わると共に相撲人の立場や興行の形も変わり、それぞれの時代に合わせて姿を変えることで生き延びてきたわけで、これからも色々と変わっていくのが自然なんだろうなあ、などと思えてきたり。

 外国人力士の活躍を、記紀神話の国譲りの故事と重ね合わせて考えるなど、新しい視点を色々と与えてくれる本だった。そういえば相撲SFってあるのかなあ? と思ったら、筒井康隆が「走る取的」ってのを書いてた。

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