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2016年9月 4日 (日)

C.L.アンダースン(サラ・ゼッテル)「エラスムスの迷宮」ハヤカワ文庫SF 小野田和子訳

「平和こそわが任務。わたしは平和を見まもり、平和をひろげてゆくために召集された。わが手が死をもたらせば、終わりなき戦いがはじまるやもしれぬことをつねに念頭に置くべし。命を生むのは平和のみ。平和を生むのは命のみ」

【どんな本?】

 アメリカのSF・ファンタジイ作家サラ・ゼッテルが、C.L.アンダースン名義で発表した長編SF小説。

 人類が恒星間宇宙に進出した遠未来。

 地球統一政府がパクス・ソラリスを統べる。治安維持局特殊部隊の元野戦指揮官テレーズ・リン・ドラジェスクは、現役を離れ今は夫デービッドと三人の子と共に静かに暮らしていた。そこに元上司で主席管理官のミサオ・スミスから連絡が入る。かつての盟友ビアンカが死んだ、と。

 現場は辺境のエラスムス星系。人々は事務局の厳しい監視下に置かれ、多額の負債を背負いギリギリの生活を送っており、エラスムス一族が君臨する専制的な社会だ。戦争の危険があるホット・スポットとされ、ビアンカ・フェイエットは確実な証拠を掴むために現地で調査していた。

 彼女の遺体は、死亡日時すらわからぬほど傷んでいた。常に彼女をモニターし支えるコンパニオン(脳内AI)のエレミアすら、多くの記憶を失っている。戦争を防ぎ、ビアンカの死の謎を解くため、テレーズは現役に復帰し、エラスムスへと赴く。

 2010年度フィリップ・K・ディック賞受賞作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Bitter Angels, by C. L. Anderson(Sarah Zettel), 2009。日本語版は2012年2月15日発行。文庫本で縦一段組み、本文約596頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント41字×18行×596頁=約439,848字、400字詰め原稿用紙で約1,100枚。上下巻に分けていい分量。

 文章は比較的にこなれている。遠未来の様々なテクノロジーが出てくるが、SFとしてそれほど難しい仕掛けはない。敢えて言えば、脳内AIのコンパニオンぐらいか。ヒトの脳内にすごく優秀なコンピュータが入ってて、そのインタフェースをAIが担ってる、みたいな。

 ただ、登場人物が多いのと、独特の設定や用語が多数出てくるので、登場人物の一覧と用語説明が欲しかった。エレミアとエミリアとか、ややこしいし。

【感想は?】

 基本的なお話は、ハードボイルド小説によくあるパターン。ただしキャラ設定をひねってある。

 引退した特殊部隊員に、昔の上司から連絡が来る。かつての盟友が任務中に謎の死を遂げた、と。盟友の死の真相を掴み、事件を解決するため、特殊部隊員は現役に復帰し、友の任務を引き継ぐ。引退の原因となった事件が起きた、因縁の地へ赴くために。

 ギャビン・ライアルあたりなら、主人公はヤモメのオッサンにするだろう。場末の酒場で飲んだくれてる小汚い酔っぱらいを、白髪交じりの爺さんが訪ねてくる、とか。そこを、素敵な家族に恵まれた女性にしたあたりが、著者ならではのヒネリの一つ。

 なんたって恒星間航行もできる未来だ。性差による体力的なハンデを克服する技術ぐらい、無ければおかしい。性差どころか、年齢だって「平均寿命は三百歳」って世界だし。そんなわけで、SFなら女でもハードボイルドな冒険物語の主人公を務められるのだ。いいねえ、見た目が華やかで。

 一見華やかだが、戦時の体制は厳しい。「30代以上はひとり残らず徴兵され」「いかなる事業も資産も、徴用、没収」ときた。いきなり総力戦体制である。

 無茶苦茶なようだが、戦争を防ぐには、意外と効果的かも。他人事だと無責任に煽る人も、自分が徴兵され資産も没収されるとなれば真面目に考えるだろうし。

 主人公テレーズが赴くエラスムス星系は、ガチガチの監視社会だ。登場人物の一人、エラスムスの保安隊に勤めるアメランド・ジローも、常に黒服の事務官ハマードに付きまとわれる。北朝鮮を想像してくれればいい。

 とはいえ、ジロー君は結構お人好しで、ハマードとも相応に良好な関係を築いてるんだが、そこは監視社会、越えられない壁は歴然としてあったり。しかも、アチコチに盗聴器が仕掛けてあって…

自問すべきは「盗聴されているかどうか」ではない。肝心なのは、「だれかわたしに注目しているだろうか」という問題だ。

 と、基本的にすべては筒抜けって状況なのだ。実に息苦しい。

 経済的にもエラスムスに住むのは厳しい。生きていくのに家賃や食費がかかるのはともかく、呼吸費なんてものまで必要なのだ。ばかりでない。エラスムス一族は、水まで押さえている。空気と水を押さえられたら、どうしようもないじゃないか。

 ただし北朝鮮とは異なり、地球統一政府との交流はあるし、表向きは敵対的でもない。そのため、テレーズも堂々と身分を隠さずエラスムスに入り込む。潜入じゃないあたり、エラスムス一族が監視網に持つ信頼と自信をうかがわせる。

 この監視網をいかに出し抜き、盟友ビアンカの死の謎に迫るか。そして、エラスムスはどんな秘密を隠しているのか。このなぞ解きが、本作品の本筋だ。

 正直言って、前半は少々かったるい。最近のSFらしく、特殊な用語が詳しい解説もなしに出てくるし、登場人物も多く、関係がつかみにくい。登場人物一覧と用語解説があれば、もう少し楽にお話に入り込めたと思う。

 が、頁をめくるに従い、お話は次第に面白くなり、中盤以降は目が離せなくなる。とはいっても、謎が一つ解けると次の謎が出てきて、更に謎が深まるってパターンなんだが、だんだんと隠された大きな陰謀が姿を現してくるゾクゾク感は、なかなかに見事。

 ありがちなハードボイルドの設定ながら、舞台を遠未来にして主人公を女性にすることで手触りと印象をガラリと変え、また主題も男の意地から平和の理想へと移し替えた、少し変わったSFスパイ小説。なにせ持つ銃までアレってのが、かなり笑った。

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