C.G.ユング他「人間と象徴 無意識の世界 上・下」河出書房新社 河合隼雄監訳
この本は広い一般の読者にたいする彼(ユング)の遺産である。
――序元型とは実際、本能的な傾向性であって、鳥の巣を作る衝動であるとか、蟻が組織化された集団を形成するのと同じように、顕著なものである。
――Ⅰ.無意識の接近人はいろいろな理由で厳密には見つめたくない自分自身の人格の側面について、夢を通じて知らされることとなる。これが、ユングのいう“影の自覚”である。
――Ⅲ.個性化の過程
【どんな本?】
フロイトと並び20世紀の精神医学をリードし、分析心理学を打ち立てたカール・グスタフ・ユング。現代でも、アニマ/アニムス/元型/シャドウ/同時性(シンクロニシティ、synchronicity)/ペルソナなど、彼が唱えた概念は、アーティストやクリエイターに好んで取り上げられる。
だが、彼の著作の多くは難解で、一般人には近寄りがたい。ユング自身、一般向けの啓蒙書には消極的だった。テレビでのインタビュウをきっかけに、彼とその弟子によって書かれた本書は、彼自身がかかわった唯一の、分析心理学の一般向け入門書である。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Man and His Symbols, by Carl G. Jung, M. L. von Franz, Joseph L. Henderson, Jolande Jacobi, Aniela Jaffe, 1964。日本語版は1975年9月15日初版発行。私が読んだのは1981年2月25日発行の14版。順調に版を重ねてるなあ。
単行本ハードカバー横一段組みで上下巻、本文約245頁+272頁=517頁に加え、訳者あとがき4頁。8ポイント34字×31行×(245頁+272頁)=約544,918字、400字詰め原稿用紙で約1,363枚だが、図版を豊富に収録しているので、実際の文字数は6~7割だろう。文庫本なら厚めの上下巻ぐらい。
文章は硬く、典型的な「学者の文章」。入門書だが、内容もかなり歯ごたえがある。特に最初の「Ⅰ.無意識の接近」が難しい。ユングの思想を手っ取り早く掴むには、いっそ最後の「Ⅴ.個人分析における象徴」から取り掛かるのがいいかも。
【構成は?】
ⅠからⅣまでは入門書らしく例をあげながら理論を紹介する。Ⅴでは一つの臨床例を詳しく紹介し、ユング派の理論を臨床に応用したケースを具体的に描いてゆく。
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【感想は?】
この本の最大の魅力は、豊富に収録した写真や図版だ。だから、できるだけ状態の良い物を手に入れよう。
分析心理学と学問っぽい名前だが、改めて読むと結構アブない。何回か量子力学の不確定性原理を引き合いに出して箔をつけようとしているが、その解釈は不出来なSF小説にありがちなパターンだ。つまり「現代科学はラプラスの悪魔(→Wikipedia)を否定してんだから、決定的な解が出ない俺の理屈も科学だぜ」的な無茶理論である。
この手の本にありがちなように、自分の理屈に都合のいい例をたくさん挙げて、「ほら、合ってるでしょ」と理論を補強しようとするが、別に統計を取っているわけじゃないし、数値化もしていない。そもそも数値化しようなんて最初から考えていないし。
などと悪口で始まったし、私はそういう姿勢でこの記事を書いている。が、それでも面白い本ではあるのだ。特に、諸星大二郎や京極夏彦あたりが好きな人には、たまらない吸引力がある。
とにかく、写真や図版がいい。世界各地の民族の祭礼や、宗教関係の絵画・彫刻、文化遺産や遺跡など、ナニか出てきそうな怪しげなシロモノが次から次へと出てくる。これを眺めているだけで、好きな人はトリップできるだろう。
本書の内容の多くを占めるのは、夢の解釈だ。フロイト同様、ユングも無意識の存在を認めている。ただし無意識の中身が違う。フロイトは無意識を性欲のゴミ箱と考えた。対してユングは、「本人が感じているが気づいていない何か」みたいな解釈をする。性欲以外も含む、もっと幅広い何か、だ。
この本で紹介する例は、多くが変化の兆しとして解釈されている。たまに死の予兆など暗い物もあるが、大半は成長の兆しだ。生真面目で厳格に生きてきたが遊びを知らぬ中年男。宗派の違う女性との結婚に踏み切れない理系の若い男。創作活動を手掛けたいと願う中年女。
あるカトリックの婦人は、「その信条の細かい、外的ないくつかの点で抵抗を感じていた」。そしてこんな夢をみる。
町の教会が取り壊されて再建されたが、聖体を安置してある聖櫃とマリアの像は、古い教会から新しいほうに移された。
この夢をユング派は、彼女の無意識からのメッセージとして解釈する。曰く、宗教の細かい所は変わっても、信仰の根本的な所は変わってないから大丈夫だよ、と。
夢判断だけでなく、各地の神話・民話・伝説を紹介しているのも、本書の読みどころ。聖クリストファー(→Wikipedia)がキリストを背負う話では、思わず「子泣き爺(→Wikipedia)かい!」と突っ込んだり。これ世界的にありがちな話のパターンなのか、子泣き爺がネタを流用したのか…などと考えると、妄想は広がりまくる。
やはり神話では、ギルガメッシュやスーパーマンの後にスサノオの八岐大蛇退治が出てきて、ここでは英雄神話の定型に例えながら人の心の成長のパターンを述べてるんだげど、同時に物語づくりの定石も身につくような気分になる。やっぱりヒーローはピンチに陥りながらも美女の助けを借りて切り抜け、美女と結ばれるのが王道なのだ。
ヒーローに必要なのは、美女だけじゃない。魅力的な悪役も大事だ。ユング的にはシャドウ(影)。ガンダムに例えるとアムロに対するシャアがピッタリ。単純な悪ってわけでなく、主人公が抑圧している人格の一部分を象徴する人物ですね。
そんな感じに、オカルトが好きな人や、各地の奇習や風俗に興味がある人、または創作を手掛ける人にとっては、美味しそうなネタがギッシリ詰まった上に、ウケそうな骨組みまで与えてくれる便利な本でもある。かなり歯ごたえはあるし、人によっては洗脳されかねない危ない本ではあるけど、それを承知で読むなら、充分な収穫が期待できるだろう。
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