フィリップ・ボール「流れ 自然が創り出す美しいパターン 2」ハヤカワ文庫NF 塩原通緒訳
彼(レオナルド・ダ・ヴィンチ)がやりはじめた事柄はきわめて少なく、やり終えた事柄はさらに少ない。彼の人生は、計画は立てたものの、ついぞ実現しなかったことの連続だった。
――1 流体を愛した男 レオナルドの遺産1738年、数学者のダニエル・ベルヌーイは、流れは速ければ速いほど、その流れの横にある液体によって加えられる圧力が弱まることを証明した。浴室でシャワーを浴びるとき、カーテンがつねに張りついてくるのもこのためである。
――2 下流のパターン 流れる秩序そもそも、どの鳥がリーダーなのか?集団運動研究は、ほかの個体に行動を指令する特定の個体を見定めようとずっと努力してきたが、総じて徒労に終わっている。(略)
今日では、動物の群れの集団行動にリーダーはまったく必要でないとわかっている。
――5 隣のものについていけ 鳥の群れ、虫の群れ、人の群れ「脱出パニック」というシミュレーションで、すべての個人が一個の出口を通り抜けようとすると、(略)ドアの前の密集した人だかりの(略)各歩行者はアーチ形のラインにがっちり固められ、前に進めなくなる。(略)まさしくレンガ造りのアーチに安定性をもたらしているものだ。
――5 隣のものについていけ 鳥の群れ、虫の群れ、人の群れ
【どんな本?】
川の波紋、砂漠の砂漣、排水口に流れる水の渦。いずれも、個々の砂粒や水の分子は何も考えていないが、盛り上がる所と谷になる所が規則正しく並び、意味ありげな模様を作る。
これは生物も同じだ。鳥や魚の群れは、別に組織を作っているわけでもないのに、一斉に飛び立ち一斉に向きを変える。混んだ人込みを行き交う人は、自然と列をなす。
流れをなす砂粒や鳥や人は、別に縞を作ろうとか列をなそうなどと思っているわけではない。だが、全体を眺めると、その中に漠然とパターンが浮かび上がってくる。
熱力学の第二法則によれば、エントロピーは増大する。つまり、モノゴトは放っておけば出鱈目にまじりあう筈だ。にもかかわらず、世の中には何もしていないのに勝手にパターンが出来上がる事がある。
水の流れから始まり、砂漠の砂漣・斜面の雪崩などの無生物から、鳥や魚の群れや人の列、そして自動車の渋滞まで、流れが作るパターンと性質を解き明かし、豊富な写真とイラストで楽しみながら科学の世界へと誘う、一般向け科学解説書シリーズの第二弾。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Flow - Nature's Patterns : A Tapestry in Three Parts, by Philip Ball, 2009。日本語版は2011年11月に早川書房より単行本で刊行。私が読んだのは2016年5月15日発行のハヤカワ文庫NF版。
文庫本で縦一段組み、本文約272頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント41字×18行×272頁=約200,736字、400字詰め原稿用紙で約502枚。標準的な文庫本の厚さだが、写真やイラストも沢山あるので、実際の文字数は8割ぐらいだろう。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。数式が出てくるのは一つだけで、それもわからなければ無視していい。それより写真やイラストを見て納得させる方法をとっているので、できるだけ印刷の質がいい本を選ぼう。
【構成は?】
原則として前の章を受けて後の章が続く構成なので、素直に頭から読もう。これも索引が欲しかった。
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【感想は?】
この巻では、結局答えがわからない問題も多い。それだけに、科学の先端に触れるワクワク感がある。
例えば、ミルクの滴が作る王冠(→Google画像検索)だ。これの発見はイギリスの物理学者アーサー・ワージントンで、1908年に出版した本で発表している。
この形には何か意味がありそうだが、「それを記述して説明するには『最高レベルの数学の力が必要になる」とワージントンは考えた。この予感は当たる。どころか、「驚くことに、これがいまだに不明なのである」。21世紀の今になっても、まだハッキリとは分かっていない。
前の「かたち」は、主に固まっている物の形を主題にしたものだ。対して、この巻では、一定の動き、すなわち流れが作り出すパターンをテーマにしている。実のところ、理屈の上では、流れは計算できることになっている。しかも、19世紀に。かの有名なナヴィエ=ストークスの方程式(→Wikipedia)だ。
ところが、これが難物で。曰く「この方程式はあらかじめ答えを知っていないと解けないようなもの」って、意味あるんかい…と突っ込みたくなるが、実際に使う際には変数を定数に置き換えたり、影響の少ない値を省いたりと、簡単な形にして「だいたいのところ」を求めてお茶を濁してる。
式で計算できない場合はどうするか。航空機の設計では、風洞に模型を突っ込んで強風で煽ったり、テスト・パイロットが試しに飛ばしたりする。つまり実験だ。
そんなわけで、この本でも「大の大人が」と笑いたくなるような真似を、一流の科学者が真面目にやってる。SFでも科学者ってのは一般人にゃ全く理解できない事を何度も繰り返し真剣にやる変な人って役で出てくることが多いが、この本でも「ナニやっとんじゃい」と突っ込みたくなるような実験をしてる。
例えばブラジルナッツ効果(→Wikipedia)だ。ミックスナッツの箱を揺さぶると、大きいブラジルナッツは箱の上の方にかたまり、小さいオート麦フレークが底に溜まる。全体が綺麗に混じりあうことは、滅多にない。なんで?
ってんで、実験だ。1960年代、ブラッドフォード大学の工学者ジョン・ウィリアムズは、ガラスの円筒の中に、沢山の小さなガラス玉と1~2個の大きいガラス球を入れて揺さぶり、ガラス玉の動きを観察した。傍から見たらビー玉で遊んでるとしか思えないが、真面目な実験なのだ。
やはり遊んでるように見えるのが、ブルックヘブン研究所のパー・バク,チャオ・タン,カート・ウィーゼンフェルドの実験。彼らは砂山に砂粒を落とし続けた。これに何の意味があるのかというと、実は実験本来の意図は本書には書いていない。が、彼らが発見した事は、何か意味深。
砂山は次第に高くなり、斜面がキツくなる。ある程度までキツくなると、なだれを起こす。すると、斜面は緩くなる。砂山は「つねに自分がなだれの直前にいる状態に帰ろうとする」のだ。破滅の淵までジリジリと進み崩壊を迎え、再び破滅へ向かうパターンは、人間社会でも色々とありそうだ。独裁者の締め付けとか。
そして、前世紀の後半に入ると、人類は新しい道具を手に入れる。そう、コンピュータを使ったシミュレーションだ。
中でも、鳥や魚の群れの協調性の謎を解くエピソードは、いかにも現代的。時は1986年、登場するのはカリフォルニアのコンピューター企業<シンボリックス>のエンジニア、クレイグ・レイノルズ。
別に彼は研究がしたかったわけじゃない。鳥の群れを、リアルに描くアニメーションが作りたかった。ソレが科学的に正しいかどうかは、どうでもいい。見た人が「本物っぽい」と感じてくれれば、それでよかった。そこで鳥の群れを観察し、三つのルールを見つけ出す。
- 仲間にぶつかってはいけない。近づきすぎたらよける。
- 近くの仲間と、だいたいの向きを合わせる。
- 近くの群れの真ん中に行こうとする。
このルールを個々の鳥に適用すると、あら不思議。別にリーダーもいないのに、自然と群れは統率の取れた動きを見せるようになった。おかげで「バットマン・リターンズ」のコウモリとかにも使われましたとさ。とすると、もしかしてコレ(→Youtube)も…
これが複雑系の研究で有名なサンタフェ研究所に伝わり、社会生物学などに新しい動きが生まれてゆく。娯楽のために作ったモノが、全く新しい科学の領域を開いてしまったのだ。これだから世の中は面白い。
話はまだ続く。時は流れ研究は続き2006年、意外な者が意外な目的で研究に注目する。巡礼の地メッカを抱えるサウジアラビアが、400万人が集まる巡礼ハッジでの事故を防ぐ方法を、シュトゥットガルト大学のディルク・ヘルビングに相談してきた。
この時は相応の解決策を授けたらしいが、去年もハッジじゃ事故が起きてる(→日本語版AFP)。もう警備や設備の問題じゃなくて、容量的に限界なんだろうなあ。
「流れ」は、常に動く。それだけに、本書に書いてある事柄を思い浮かべるには、少し頭を使わなきゃいけないし、時間もかかる。でも、多少の想像力があれば充分に風景が思い浮かぶし、豊富なイラストや写真が想像を助けてくれる。
レオナルド・ダ・ヴィンチなどの卓越した才能を持つ先人が苦闘した壁を、多くの科学者たちが積み重ねた努力と、強大な計算力を振り回すコンピュータが突き崩しつつある、その現状を中継したリポートとして、最先端の熱気とワクワク感が伝わってくる科学解説書。
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