高橋敏「清水次郎長 幕末維新と博徒の世界」岩波新書1229
本書は使い古された感がある『東海遊侠伝』を見直し、歴史学の視点に立って実像の清水次郎長にアプローチする。
――はじめに相撲取りが博徒になるケースはよくあり、下総の飯田助五郎、荒川繁蔵、勢力富五郎はじめ、寺津の治助(今天狗)、平井の亀吉(雲風)らはみな力士くずれである。
――第二章 清水一家の親分次郎長明治17年(1884)11月1日、秩父下吉田村椋神社に農民約三千人を結集させ、甲乙二個大隊、数十小隊に編成、蜂起した秩父困民党の総理は大宮郷の博徒田代栄助、副総理も石間村博徒加藤織平であった。
――第五章 大侠清水次郎長
【どんな本?】
海道一の大親分として有名な清水次郎長だが、御上に追われる博徒の文献は少ない。主な資料は次郎長の養子の天田愚庵が著した『東海遊侠伝』であり、これは成立の経緯からして明らかな政治的な意図で書かれたものだ。
本書は『東海遊侠伝』を中心としながらも、公文書や周辺の手記・手紙を参考にして次郎長の生涯を辿るとともに、幕府の権威が揺らぐ幕末から明治維新へと向かう激動の時代を背景に、博徒たちの置かれた立場や博徒同士の社会、そして御上や民衆との関係などを描く、異色の歴史解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2010年1月20日第1刷発行。新書版で縦一段組み、本文約221頁に加え、あとがき3頁。9ポイント42字×15行×221=約139,230字、400字詰め原稿用紙で約349枚。文庫本ならやや薄めの一冊分。
文章はこなれている。内容も特に難しくないし、歴史的な背景も巻末の年表を診ればだいたいわかる。ただし抗争などの場面では多くの人物が登場するため、じっくり読む必要がある。幕末から維新までの歴史を知っていれば、中学生でも読めるだろう。
【構成は?】
だいたい時系列順に進むので、素直に頭から読もう。
- はじめに
- 第一章 博徒清水次郎長の誕生
- 1 清水港の次郎長
- 2 三河の次郎長
- 第二章 清水一家の親分次郎長
- 1 嘉永遊侠列伝
- 2 次郎長激動の三年
- 3 次郎長一家の形成
- 第三章 清水次郎長と黒駒勝蔵
- 1 黒駒勝蔵との対決の構図
- 2 黒駒勝蔵との血戦
- 3 尊王討幕の黒駒勝蔵と佐幕の清水次郎長
- 第四章 明治維新の明暗
- 1 戊辰戦争と博徒の命運
- 2 清水次郎長と黒駒勝蔵の明暗
- 第五章 大侠清水次郎長
- 1 維新の揺れ戻し
- 2 山岡鉄舟との邂逅と次郎長の「改心」
- 3 博徒大刈込みと次郎長
- 参考文献
- 清水次郎長関連年表
- あとがき
【感想は?】
異色だが、稗史と呼ぶには惜しい。むしろ民衆史に近く、また権力というものの実態にまで迫る迫力を備えた、まっとうな歴史解説書でありながら、わかりやすく親しみやすい読み物になっている。
清水の次郎長を中心としている作品だが、同時に彼と抗争を繰り広げた黒駒勝蔵や交友のあった山岡鉄舟などの資料も掘り漁り、当時の社会情勢を鮮やかに蘇らせつつ、そこで争い生き抜いた博徒たちの姿を描くとともに、それぞれの土地に生きる庶民の姿も浮き彫りにしてゆく。
歴史家が書いただけあって、背景事情の書き込みがやたら詳しく、かつ面白い。まず舌を巻いたのが、追われる身となった若き次郎長が逃げ込んだ三河の情勢。三河に逃げ込んだのには、ちゃんと理由があったのだ。
ここは小藩が乱立した上に旗本知行地も入りくみ、飛び地だらけのややこしい土地だった。というのも、徳川家の由緒ある土地だけに、大名や旗本が「わずかであろうとも飛び地を持つことを切望した」ため。おかげで御上の警察権は分断され、追われる身にはとても都合のいい土地になる。
しかも三河木綿をはじめ産業は豊かで、陸路・海路・水路の要所にあり物流も盛ん。ダニが吸う血もたらふくあったわけ。加えて「博徒のネットワークはすでに日本列島に網の目のごとく張りめぐらされ」てたから、やっかいになる親分にもことかかない。
そんなわけで、お尋ね者が逃げ込むには格好の条件がそろってたわけ。租界だらけの上海で黒社会が台頭したのも、似たような事情があるんだろうなあ。
加えて、博徒の武力強化がある。町道場・村道場が盛んになり、「免許状まで印可して農民身分の門人を集めるに至った」。刀狩はあったが、「護身用の脇差(長さ一尺二、三寸=36~39センチ)は携帯を許された」。いわゆる長脇差だ。これじゃカラシニコフが溢れるソマリア状態。
例として明治17年(1884年)に家宅捜査された次郎長宅から出てきた武器の一覧が載ってて、「槍一本、薙刀二本、長巻三本、和筒砲二挺、ゲベール銃(→Wikipedia)23挺」ってのが凄い。これは博徒に限らず、庄屋の家からも鉄砲が出てきてる。意外と民も重武装してたらしい。
やがて時代は戊辰戦争へと突入してゆく。「第四章 明治維新の明暗」では、次郎長のライバル黒駒勝蔵を中心に、戦争に巻き込まれた博徒の悲哀が漂ってくる。
戦争は数だよ、ってわけで、兵隊を集めなきゃいけない。そこで博徒だ。
切った張ったに慣れた上に土地勘もある親分衆にも、御上からお声がかかる。身分をやるから子分と一緒に隊に加われ、と。勤王派の黒駒勝蔵は官軍につくが「戊辰戦争の転戦につぐ転戦で子分はちりぢりと」なった上に、偽官軍の汚名を着せられ、「旧幕時の罪状を暴かれ、何と甲府県によって処刑されたのである」。
彼に限らず、従軍した博徒たちにはロクな報酬もなく、「原籍の平民身分に戻されてしまう」。そんな彼らはやがて自由民権運動に合流してゆく。サダム・フセイン時代の将兵や警官がイラク戦争以降に職を失い、反政府組織に入って暴れ始めるのにも重なるなあ。
逆に巧く立ち回ったのが次郎長。この背景の書き込みもさすが歴史家といったところで、尾張・駿府の独自の事情が実にわかりやすい。
次郎長はどっちつかずで様子を見ていた。尾張は親藩だが佐幕と勤王に意見は分かれ、青松葉事件(→Wikipedia)で一応は官軍につくが、火種はくすぶっている。そこで浜松藩家老の伏谷如水が妙案を出す。次郎長に治安維持を任せよう。
ヤクザに警察権を与えようって無茶な話だが、官が出張ると佐幕と勤王の内紛が起きかねない。地回りとはいえ土地勘はあるし顔も効く上に、武力も持っている。次郎長も駆け引き上手で、お役目を受ける代わりに幕府時代の悪行をチャラにする条件を引き出した。
そして次郎長が男をあげる咸臨丸事件だ。
幕府直轄領七百万石が徳川慶喜と共に七十万石の駿府に押し込められ、江戸の幕臣も清水港に押し寄せる。明治元年(1868)、榎本武揚率いる艦隊に和した咸臨丸は漂流、清水港に入港した。不満を抱えた旧幕臣が集まる火薬庫に、咸臨丸が火種を持ち込んだ形だ。下手すれば慶喜までが危ない。
幸い咸臨丸はすぐに降伏したものの、柳川藩の富士山丸・飛龍・武蔵が咸臨丸に発砲&斬り込み、一方的な殺戮となる。死体は海に捨てられ、清水港はまさしく血の海と化す。死臭が漂い海には死体が浮かび、漁もできないありさまだが、新政府は賊軍の埋葬を許さないので、藩も手を出せない。
そこで次郎長、「是非ハ即チ我レ知ラズ」と啖呵を切って遺体を引き上げ、弔ってしまう。官と藩、「両者から非難を浴びた」とあるが、実際には裏で話がついてたんじゃなかろか。ヤクザが勝手にやっちゃったとすれば藩はお咎めなしだし、官も反乱が起きちゃ困るし。これにはオマケもあって…
箱館五稜郭で敗死し、棄てられ放置された賊軍兵士を埋葬して慰霊の碧血碑をたてたのも箱館の博徒柳川熊吉であり、鳥羽伏見の戦いで敗れた会津藩その他敗残兵の死体を葬ったのも京都の博徒会津小鉄であった。
と、裏社会があるのもソレナリに便利だったんだろう。いずれにせよ、次郎長はこれを機に山岡鉄舟とコネができて…
などと、講談調に面白い物語を挟みながらも、その裏にある権力や経済の事情を丹念に拾い、物語に厚みと広がりを加えるあたりは、歴史家ならでは。一見キワモノのようなテーマを扱いながらも、現代の紛争地帯につながる構造までも暴き出す、迫力あふれる本だった。
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