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2016年8月 8日 (月)

アン・レッキー「亡霊星域」創元SF文庫 赤尾秀子訳

わたしはかつて艦船だった。巨大な兵員母艦と数多の属躰を制御するAIだ。個々の属躰は人間の肉体を持ちながら、同時にわたしの一部でもあった。

「人は正義というとき、単純でわかりきったこと、礼節にふさわしい行為のようにいう」

「あなたはその椅子からながめて、重要でないと思うものを片端から無視できる。しかしそれらは、何が重要かは、すわる椅子によって違うのではないか?」

【どんな本?】

 デビュー作「叛逆航路」でネビュラ賞・ヒューゴー賞・ローカス賞など主要なSFの賞を一気にさらった驚異の新人アン・レッキーによる、叛逆航路に続く三部作の第二部。本作も2014年の英国SF協会賞と2015年のローカス賞SF長編部門に輝いている。

 人類が恒星間宇宙に広がった遠未来。数千の肉体を持つ独裁者アナーンダ・ミアナーイは、貪欲な軍事進出により支配域ラドチを広げた。統一されていたはずのミアナーイだが、複数の勢力に分かれ、争いが始まってしまう。ラドチ圏も密かに内戦状態となり、広大な宇宙を行き来するゲートの多くが破壊された。

 軍艦は自らの力でゲートを開けるが、民間船は据え付けのゲートで宇宙を行き来する。現在、アソエクと繋がるゲートも機能せず、人の往来も貿易も滞っている。

 かつて兵員母艦<トーレンの正義>のAIだったブレクは艦に加え数多の属躰を操っていた。属躰は人間の死体にチップを埋め込み、AIが操る兵士 だ。今のブレクは艦を持たず、一つの属躰だけの身となった。ブレクはミアナーイの命により、軍艦<カルルの慈(めぐみ)>に乗り込み、艦隊司令としてアソ エク星域に赴く。

 そこには、かつて<トーレンの正義>だったブレクが愛した副官オーンの妹も住んでおり…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Ancillary Sword, by Ann Leckie, 2014。文庫本で縦一段組み、本文約428頁に加え、大野万紀の解説6頁+用語解説第2集4頁。8ポイント42字×18行×428頁=約323,568字、400字詰め原稿用紙で約809枚。文庫本としては厚め。

 文章はこなれている。が、内容は、前巻ほどではないにせよ、やっぱり読みにくい。この読みにくさこそが、このシリーズの味でもある。お話は前の「叛逆航路」から直につながっており、アナーンダやセイヴァーデンなどの人物は詳しく紹介していないので、ここから読み始めるのは辛い。素直に「叛逆航路」から読もう。

 それと、世界設定がかなり込み入ってるので、できれば前巻の用語集も再録して欲しかった。

【感想は?】

 ここまで読んで、やっとブレクのキャラがイメージできるようになった。長門有希だ。文句あるか。

 もちろん、いろんな点で長門とは違う。長門と違い、ブレクには表情がある。ただし、ブレクの表情は、気持ちを表すものではない。単なるインターフェースだ。相手の感情を操るための道具に過ぎない。

 そう、長門とは違い、ブレクは「ヒトに感情がある」事をわかっている。ばかりではなく、巧みに操ることさえできる。また、ブレク自身も感情があるし、それを分かっている。というか、ブレク以外のAIにも感情がある。(宇宙)ステーションを管理するAIも、人間の好き嫌いがあるし、拗ねたりする。

 これが可愛いんだか怖いんだか。好かれていれば、黙ってこっちの意向を察してドアを自動で開けてくれたりするけど、嫌われたら…。うーん。

 みたいなこの世界の裏側も、かつてAIだったブレクだからこそ見えてくる。

 この「ブレクの視点による一人称」ってのが、この作品の欠かせない味で。かつては兵員母艦と数多くの属躰を同時に操った、強大な記憶力と演算能力を誇ったブレクだが、今は一つの属躰に閉じ込められた身。そのためかAIとしての能力は相応に削がれたものの、ヒトとしての感覚も身に着けつつある。

 おまけに部下のバイタル・データもリアルタイムで把握し、また筋肉のこわばりなど資格情報も加えて、データから相手の感情を推し量ってゆく。人は相手の表情や姿勢をパッと見た雰囲気で判断してるわけで、細かい唇の動きまで覚えてることは少ないけど、ブレクは逆の経路で推論するわけ。

 こういう「ヒトではない知性」になりきった感覚が、このシリーズの強烈な魅力。

 冒頭じゃドアの開け閉めでステーションのAIにも感情がある事を読者に伝えたこの巻、終盤ではAIの気持ちの複雑さが物語の展開に重要な役割を果たす。

 ラドチ社会は性別があいまいで、三人称はすべて「彼女」だ。お陰で、世界観に性別意識が深く根付いている大半の読者は、グリングリンと脳みそをシェイクされる。この巻では、加えて、艦やステーションなどを管理するAIにも「気持ち」があると何度も気づかされ、世界観をひっくり返される。これぞSFならではのセンス・オブ・ワンダー。

 もう一つ、この巻で重要な役割を担っているのが、若き新任士官のティサルワット。

 17歳だから、軍に入って最初の任務だろう。そんな真っさらな新人が、初めての任務で、遠大なキャリアと緻密な思考能力、そして水も漏らさぬ監視網を兼ね備えた完璧な上司の、直属の部下になる。

 もっとも、ティサルワット自身は、ブレクの正体も経歴も知らないんだけど。そんなわけで、ティサルワットを、ブレクは最初の航海から、見事に手のひらの上で躍らせながら、ビシビシと鍛え上げてゆく。

 いい上司では、あるんだ。理不尽なシゴキっぽい真似もするけど、ちゃんとティサルワットを士官として育てようとする配慮と計算があってのことだし、その狙いはキッチリと当たる。損得で考えりゃ、そりゃ得だけど、思うがままに操られるってのは、あましいい気分じゃないよなあ。もっとも、ティサルワットにも、ソレナリの事情があるんだけど。

 対して、先任士官のセイヴァ-デンは、実に悠々たるもの。これは彼女の性格によるものか、今までの因縁によるものか。もともとが図々しい人だったんで、性格が大きいんだろうなあ。お陰でたたき上げ士官のエカルの影が薄くなってしまった。報われない苦労人です。

 ラドチの軍は、もともと人間の士官に属躰の兵が従う組織だった。今は艦により兵は属躰だったり人間だったり。<カルルの慈>の兵は人間だけど、従来の習慣に従い、兵は名前でなく記号で呼ばれる。

 お陰で、お話の中で最初は兵の性格が見えにくいんだけど、次第にそれぞれのキャラが立ってくるあたりも、面白い工夫だろう。この巻ではカルル5君の奮闘に注目。有能だが気難しく底が読めない上司に仕える羽目になりながらも、スキを見ては己の趣味と職業意識を発揮しようとするカルル5の拘りが可愛い。彼女はオタクの鑑だ。

 ってなデコボコ・チームが、ワケありっぽいアソ エク星域で、どんな騒動に巻き込まれ、どう変わってゆくか。

 文体はクールだし、お話は様々な想いや陰謀が渦巻くややこしい筋書きだし、植民地支配への批判みたいな政治色もあり、ジェンダー問題を問いかける側面もあるが、加えてスポ根みたいな「チームが出来上がってゆくお話」としても楽しめる、読者によって色々な味わい方ができる作品だった。

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