宮内悠介「アメリカ最後の実験」新潮社
「案外、華があるじゃないか。あとはそう、心が宿れば申し分ないんだがな」
「心?」
脩は思わず問い返していた。
「――そんなもの、音楽にはないですよ」
――第一章 雨水のようなアメリカの水道水どれだけアクセルを踏み込んでも、ついてくる相手がいる。
それ以上の愉悦が、いったいこの現生にありうるだろうか?
――第四章 ソドムの真ん中の清教徒
【どんな本?】
「盤上の夜」「ヨハネスブルグの天使たち」「エクソダス症候群」と話題作を連発した宮内悠介による、少しSFっぽいジャズ小説。
アメリカ西海岸にあるジャズの名門校、グレッグ音楽院。ピアノ科の入学試験は独特のスタイルで、豊かな知識と柔軟なアイデア、そして咄嗟の機転が求められる。そこで出会う三人の若者、脩・ザカリー・マッシモ。
自分が歩んだ運命を、音楽理論の彼方にあるものを、そして新天地アメリカの歴史と行方を。それぞれが見つめ、交差し、そして歩んでゆく。
ブルース、カントリー、ジャズ、ロック、ヒップホップ。クラシックを受け継ぎながらも、様々な音楽を生み出した土地アメリカを舞台に、音楽に流され、愛し、憎み、浸る者たちの姿を通し、ヒトと音楽の関係を見つめなおす、新世代の音楽小説。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2016年1月30日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約244頁。9ポイント42字×18行×244頁=約184,464字、400字詰め原稿用紙で約462枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。
文章はこなれている。内容は、ちと専門的。転調・三和音から始まり調律の作法など、音楽の専門用語が次々と出てくるので、多少の知識が必要。楽器の演奏を、特にジャズをやる人なら、悶絶して楽しめると思う。いや私はジャズにあまり詳しくないんだけど。
【構成】
第一章 雨水のようなアメリカの水道水
第二章 千年のつくりもの
第三章 虚無への供物
第四章 ソドムの真ん中の清教徒
第五章 ロメロゾンビのいない夜
第六章 最終試験
第七章 ルート66
【感想は?】
理系の音楽小説。
音楽ってのは不思議なもので。それが私たちに与えてくれるのは、感情の変化、エモーションだ。だが、その奥には、確固たる数学的な理論がある。
一オクターブは12個に分かれる。一オクターブ上になると、周波数が倍になる。和音にも決まりがあって、たいていは各音の周波数の比率が小さい整数で表せる。そうすると、きれいに響く音になるのだ。そこを敢えて濁る音を混ぜる場合もあって…
メロディーにしても、次第に音が高くなると気分が盛り上がり、低くなると落ち着てくる。聴いてるとだいたい次に来る音が予想できるんだが、完全に予想通りだと面白みがないし、完全にデタラメじゃ音楽に聞こえない。
どう音を組み合わせれば、聞き手の気持ちがどう動くか。そこには緻密な理論があるわけで、ならコンピュータにも作曲できそうなもんだが、現実にはそうなっていない。
とまれ、優れたミュージシャンが私たちの心を翻弄する時は、たいてい理にかなった流れがそこにある。だが、そういった流れを誰もが創り出せるほどには、理論化は進んでいない。音楽は、そういった科学と芸術と娯楽の境界線上にある。
主人公は脩(シュウ)。グレッグ音楽院を目指し、アメリカにやってきた日本人の若者。音で聴き手の心を操る術は心得ているつもりの、ちと生意気な若者。だが…
ぼくは一流ではない。
偽物だ。
などと、何か割り切れないものも抱えている。
今の自分が知っている知識とテクニックで、何がどこまでできるかは、充分に把握している。だが、自分が知っていて、できる事が、音楽の全てなのか。その先に、何か得体のしれないモノがありそうな気もするし、なさそうな気もする。
理論で割り切れてしまう世界の向こう、それがあるのかないのか。
理論と言えばシンプルそうだが、この作品では次から次へと現代音楽の基礎を揺るがしいかねない様々な試みを示してくるあたりが、好きな人にはたまらない所。脩の一次試験でも、「うほ、こうきたか」とのけぞるネタが出てきて。
やがて脩が追いかける羽目になる謎の楽器<パンドラ>も、これまたヒトのエモーションと音楽理論の境目を探る楽しい仕掛け。これがSFかどうか微妙なところだが、今の技術ならできそうな気もする。
こういったデジタルとアナログの交錯をきっかけに、物語は音楽を通してUSAの特異な姿を浮かび上がらせてゆく。
今の音楽、特にポップミュージックは本当にカオスで、クラシックはもちろん賛美歌やブルースからロック・テクノ・民族音楽などが、それぞれ異種交配したり突然変異を起こしたり、複雑に絡まり合ったかと思えば先祖返りしたり。
そこには、常に新しい音を求めてやまないヒトの本能が現れているのかもしれない。音楽に人生の突破口を求める者、安らぎを求める者、そしてまだ見ぬ世界を求める者。彼らがセッションで交わる場面でも、安定と変化の絶え間ない戦いが緊張感を持って描かれる。
理論と感性の狭間にある深遠に挑む、宮内悠介ならではのスリリングなジャズ小説。特に音楽の理論に興味がある人には、格好の作品。
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