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2016年8月の16件の記事

2016年8月30日 (火)

SFマガジン2016年10月号

夏目漱石もそうだが、事実を理解する能力と、その事実を受け入れる許容度の間には差が出るものだ。
  ――長山靖生「SFのある文学誌 第48回
   危険な洋書とショウの社会改良優生学 松村みね子の幻想世界3」

「話し合いが必要だな」僕は言った。
「なんで? あらゆることを徹底的に話し合わなくちゃいけないなんて法律でもあるの?」
「“door”って単語が、僕らの部屋のど真ん中に浮いてるんだぞ。話し合いは必要ないって?」
  ――チャールズ・ユウ「Open」円城塔訳

 376頁の標準サイズ。特集は三つ。最初は堺三保監修の「海外SFドラマ特集」。次に丸屋九兵衛監修の「『スタートレック』50周年記念特集。最後に小川隆監修で「ケリー・リンク以降 不思議を描く作家たち」。

 小説は豪華9本。連載は夢枕獏「小角の城」第40回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第11回。読み切りは梶尾真治「七千六日の少女」,草上仁「宝はこの地図」,ダン・シモンズ「ウルフェント・バンデローズの指南鼻」後編は酒井昭伸訳に加え、 「ケリー・リンク以降」特集としてチャールズ・ユウ「Open」円城塔訳,ユーン・ハリー「弓弦をはずして」小川隆訳,メガン・マキャロン「魔法使いの家」鈴木潤訳,ジュリア・エリオット「ワイルド家の人たち」小川隆訳。

 ダン・シモンズ「ウルフェント・バンデローズの指南鼻」後編、酒井昭伸訳。魔界学者シュルーはバンデローズの鼻を手に入れ、ミアマゾンを統べるダーウェ・コレムとマウツのメイヴォルトを伴い、飛空ガレオン船で第二の<究極の図書館>を目指す。

 元船乗りのジャック・ヴァンスへの敬意なのか、飛空ガレオン船での長い航天の描写が見事。特に中間点通過の宴、元ネタは赤道祭だと思うんだが、昔はこういう旅が当たり前だったんだろうなあ。ヒュエ教授が意外と芸達者だったり。

 続く「浅倉ヴァンス爆誕」酒井昭伸は、ジャック・ヴァンスの「竜を駆る種族」の訳をネタに、浅倉久志を偲ぶコラム。海外作品を読む際に、普通にスラスラ読めるって、実は凄い事なんだよなあ、と気づかされる。

 コンピュータ・ソフトでも、マニュアルを読まず自然に使えるモノって、実は大変な工夫が凝らされてるように、ラクに読める文章ってのは、書く側がとても気を使っているのだ。これが小説の翻訳となると、原文の香りも残さにゃならんので…

 梶尾真治「七千六日の少女」。星雲賞受賞記念に、怨讐星域の書き下ろし特別編にして、「76分間の少女」完結編。ノアズ・アーク号は<約束の地>に辿りつくが、直前に船体が崩壊、ジョナ・ハリスンは脱出ポッドでかろうじて着水したが…

 描かれなかった「76分間の少女」に決着をつけるのに加え、本編では駆け足で描かれた、ノアズ・アーク乗員とニューエデン住民が寄り添ってゆく様子を、ジョナ・ハリスンを中心に描いてゆく。にしてもヨモギダ、それはあんまり… ま、いっか。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第11回。ハンターを中心とするクインテットの引き起こす惨劇を、間近で見続けたウフコック。その苦しみの重さに彼の心が押しつぶされようとしている時、ウフコックの前に現れたのは…

 今までの激しいバトルや陰惨な暴力シーンとはガラリと変わり、ほのぼのとした風景が描かれる回。久しぶりに出番が回ってきたミラー&レザーのコンビが、意外な一面をのぞかせる。にしてもミラー、お前本気なのか?

 草上仁「宝はこの地図」。また誰か原稿を落とし←しつこい。植民星ディーツは独裁者サガミが支配している。砂漠に住む俺たちには、ときおり食料の配給が届く。ヘリがまくビラが、食料のありかを示すヒントだ。ただし早い者勝ち。出遅れたら食いっぱぐれ飢えて死ぬ。

 命を懸けたお宝争奪戦を、草上仁らしいひねったアイデア満載で描く作品。最近の作家なら、アクション連続の長編になるぐらい沢山のアイデアを、21頁にギッシリ詰めこんだ、とっても贅沢な作品。

 「ケリー・リンク以降 不思議を描く作家たち」特集。SFのスリップストリームを枕に、ミステリやロマンスなど他のジャンル小説でも起きたジャンル越境の動きを追ってゆく。ジャンル名は、いっそ昔ながらの幻想小説や奇想小説でもいい気がする。

 チャールズ・ユウ「Open」円城塔訳。珍しく僕が昼間から家に帰った日、そこにはとんでもないシロモノがあった。“door”って単語が、部屋の真ん中に浮かんでいる。そしてサマンサがソレを見つめている。やがて単語は…

 5頁の掌編。突然現れた単語をきっかけに、若いカップルの関係が変わってゆく。なんか恋愛小説みたいな仕掛けだが、中身はどうにもスッとぼけて唖然としちゃうお話。「演技で僕らしていた」って文が、今風ながら巧く雰囲気を伝えている。

 ユーン・ハリー「弓弦をはずして」小川隆訳。兵士たちに追われ、山からわれらの迷路にやってきた女。最初は互いの言葉も通じなかったが、少しづつ女ナンモリはわれらの中に馴染んでゆく。

 これも4頁の掌編。ギターやマンドリンなど、リュート族の楽器の元祖は、弓かもしれない。弦の半分あたりを押さえて引くと、開放時よりオクターブ高い、すなわち周波数が倍で波長が半分の音が出る…ってのは、関係あるような、ないような。

 メガン・マキャロン「魔法使いの家」鈴木潤訳。冗談で「魔法なら習ってもいいけど」なんてママに言ったせいで、わたしは魔法を習う羽目になった。魔法使いは痩せた背の高い白髪交じりの男。面接の結果は「来週また来い、シャベルを忘れずに」。

 どうも舞台は現代のアメリカで、主人公は女子高生。いきなり穴掘りってのも意表を突くが、与えられた課題「まだつながってない二つの場所をつなぐこと」の解決策が、コレってありなのかw

 ジュリア・エリオット「ワイルド家の人たち」小川隆訳。裏の家に越してきたワイルド家には、騒がしくて乱暴な八人兄弟がいた。いちばん上は頬髯をはやした17歳で、いつもは穴蔵にこもっているブライアン。わたしは彼に首ったけだった。

 女の子から見た男の子ってのは、こんなケッタイな生き物なんだろうなあ。うるさくて汚くて暴力的でせわしなく、悪趣味な上にどうしようもなく頭が悪く、変なものにこだわる。

 海外SFドラマ特集。ゲーム・オブ・スローンズが「予算もテレビドラマとしては最高額」ってのは凄い。よくゴーサインが出たなあ。にしてもアメリカは潤沢な予算でしっかりした映像を作れて羨ましい。Childhood's End―幼年期の終わり―には期待してたんだが、出来はムニャムニャらしいのが残念。

 椎名誠のニュートラル・コーナー「時間流刑者は暇な午後に三葉虫を釣りにいく」。タイトルから元ネタはアレかと思ったら、やっぱり「ホークスビル収容所」だった。あのアンソロジー・シリーズ、復活して欲しいなあ、電子版でいいから。

 山本さをりの世界SF情報。2015年ローカス賞のSF長編部門は、アン・レッキーの Ancillary Mercy。そう、「叛逆航路」から始まる三部作の完結編。こりゃ期待しちゃうなあ。

 堺三保のアメリカン・ゴシップ、今回はサンディエゴ・コミコンの話。偽造チケットで潜り込もうとする輩がやたら多く、「去年は数万枚、偽造チケットが出たとか」ってのに驚き。組織的にチケットを偽造してる奴がいるんだろうか?

 丸屋九兵衛の「スター・トレックの50年間を5分で読め!」。最初のシリーズ「宇宙大作戦」が視聴率不振を理由に3シーズンで打ち切りになった後、再放送から盛り上がり始め、ファンの声に押され多くのシリーズにつながってゆく。これで気づいた。そうか、スタトレって、アメリカのガンダムなのか。

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2016年8月26日 (金)

宮内悠介「アメリカ最後の実験」新潮社

「案外、華があるじゃないか。あとはそう、心が宿れば申し分ないんだがな」
「心?」
脩は思わず問い返していた。
「――そんなもの、音楽にはないですよ」
  ――第一章 雨水のようなアメリカの水道水

 どれだけアクセルを踏み込んでも、ついてくる相手がいる。
 それ以上の愉悦が、いったいこの現生にありうるだろうか?
  ――第四章 ソドムの真ん中の清教徒

【どんな本?】

 「盤上の夜」「ヨハネスブルグの天使たち」「エクソダス症候群」と話題作を連発した宮内悠介による、少しSFっぽいジャズ小説。

 アメリカ西海岸にあるジャズの名門校、グレッグ音楽院。ピアノ科の入学試験は独特のスタイルで、豊かな知識と柔軟なアイデア、そして咄嗟の機転が求められる。そこで出会う三人の若者、脩・ザカリー・マッシモ。

 自分が歩んだ運命を、音楽理論の彼方にあるものを、そして新天地アメリカの歴史と行方を。それぞれが見つめ、交差し、そして歩んでゆく。

 ブルース、カントリー、ジャズ、ロック、ヒップホップ。クラシックを受け継ぎながらも、様々な音楽を生み出した土地アメリカを舞台に、音楽に流され、愛し、憎み、浸る者たちの姿を通し、ヒトと音楽の関係を見つめなおす、新世代の音楽小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2016年1月30日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約244頁。9ポイント42字×18行×244頁=約184,464字、400字詰め原稿用紙で約462枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容は、ちと専門的。転調・三和音から始まり調律の作法など、音楽の専門用語が次々と出てくるので、多少の知識が必要。楽器の演奏を、特にジャズをやる人なら、悶絶して楽しめると思う。いや私はジャズにあまり詳しくないんだけど。

【構成】

第一章 雨水のようなアメリカの水道水
第二章 千年のつくりもの
第三章 虚無への供物
第四章 ソドムの真ん中の清教徒
第五章 ロメロゾンビのいない夜
第六章 最終試験
第七章 ルート66

【感想は?】

 理系の音楽小説。

 音楽ってのは不思議なもので。それが私たちに与えてくれるのは、感情の変化、エモーションだ。だが、その奥には、確固たる数学的な理論がある。

 一オクターブは12個に分かれる。一オクターブ上になると、周波数が倍になる。和音にも決まりがあって、たいていは各音の周波数の比率が小さい整数で表せる。そうすると、きれいに響く音になるのだ。そこを敢えて濁る音を混ぜる場合もあって…

 メロディーにしても、次第に音が高くなると気分が盛り上がり、低くなると落ち着てくる。聴いてるとだいたい次に来る音が予想できるんだが、完全に予想通りだと面白みがないし、完全にデタラメじゃ音楽に聞こえない。

 どう音を組み合わせれば、聞き手の気持ちがどう動くか。そこには緻密な理論があるわけで、ならコンピュータにも作曲できそうなもんだが、現実にはそうなっていない。

 とまれ、優れたミュージシャンが私たちの心を翻弄する時は、たいてい理にかなった流れがそこにある。だが、そういった流れを誰もが創り出せるほどには、理論化は進んでいない。音楽は、そういった科学と芸術と娯楽の境界線上にある。

 主人公は脩(シュウ)。グレッグ音楽院を目指し、アメリカにやってきた日本人の若者。音で聴き手の心を操る術は心得ているつもりの、ちと生意気な若者。だが…

ぼくは一流ではない。
偽物だ。

 などと、何か割り切れないものも抱えている。

 今の自分が知っている知識とテクニックで、何がどこまでできるかは、充分に把握している。だが、自分が知っていて、できる事が、音楽の全てなのか。その先に、何か得体のしれないモノがありそうな気もするし、なさそうな気もする。

 理論で割り切れてしまう世界の向こう、それがあるのかないのか。

 理論と言えばシンプルそうだが、この作品では次から次へと現代音楽の基礎を揺るがしいかねない様々な試みを示してくるあたりが、好きな人にはたまらない所。脩の一次試験でも、「うほ、こうきたか」とのけぞるネタが出てきて。

 やがて脩が追いかける羽目になる謎の楽器<パンドラ>も、これまたヒトのエモーションと音楽理論の境目を探る楽しい仕掛け。これがSFかどうか微妙なところだが、今の技術ならできそうな気もする。

 こういったデジタルとアナログの交錯をきっかけに、物語は音楽を通してUSAの特異な姿を浮かび上がらせてゆく。

 今の音楽、特にポップミュージックは本当にカオスで、クラシックはもちろん賛美歌やブルースからロック・テクノ・民族音楽などが、それぞれ異種交配したり突然変異を起こしたり、複雑に絡まり合ったかと思えば先祖返りしたり。

 そこには、常に新しい音を求めてやまないヒトの本能が現れているのかもしれない。音楽に人生の突破口を求める者、安らぎを求める者、そしてまだ見ぬ世界を求める者。彼らがセッションで交わる場面でも、安定と変化の絶え間ない戦いが緊張感を持って描かれる。

 理論と感性の狭間にある深遠に挑む、宮内悠介ならではのスリリングなジャズ小説。特に音楽の理論に興味がある人には、格好の作品。

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2016年8月25日 (木)

アンドルー・ファインスタイン「武器ビジネス マネーと戦争の[最前線]」原書房 村上和久訳 3

ロバート・ゲイツ「実際のところ、われわれはイラクとアフガニスタンでふたつの戦争を戦っているが、F-22はいずれの戦域でもなんの任務も実行していない」
  ――16 ユートピアの向こうは、希望?

ヘンリー・キッシンジャー「われわれがイスラエルに戦車を一輌あたえるたびに、近隣諸国はわれわれから四輌購入する」
  ――17 アメリカのショーウィンドー

ソマリアの青空武器商人「わたしは武器ビジネスをはじめてわずか五年だが、別荘を三軒建てた。ふたりの妻のために店も開いたよ」
  ――19 泣け、愛する大陸よ

【アメリカ】

 下巻の前半は、アメリカ合衆国が舞台となる。取り上げるのは国防予算と、ボーイングやロッキードなどの軍事企業だ。

 驚いたのが、SFファンやNASAオタクには評判の悪いウイリアム・プロクスマイア上院議員が汚職の告発で活躍してること。彼が嫌いなのは先端技術じゃなくて、税金の無駄遣いだったのね。

 P.W.シンガーが「ロボット兵士の戦争」で指摘してたように、企業は兵器にゴテゴテと無駄なオプションをつけて値段を吊り上げる。ここではロッキードの輸送機C-5A(→Wikipedia)で単純なボルトに65ドルの値をつけるなど」の誤魔化しを突き上げている。

 が、残念ながら、プロクスマイア議員みたいなのは少数派で。議員にとっちゃ地元の有権者が最も大事だ。そして地元に兵器工場があって雇用が増えるなら、政府から仕事を取ってくるのが議員の役目だろう。そうやって、企業は議会を抱き込んでゆく。

 が、しかし。本当に、雇用は増えるのか。ここにズバリと斬り込んでるのが、著者の鋭い所。例えばF-22計画では「九万五千人が雇用される」とロッキード・マーティンが主張している。が、

その雇用はどこにあるのかとたずねられると、同社はその情報には独占権があると主張し、提供をことわった。

 根拠がなくてもいいなら、なんだって言えるじゃないか。
 実際に、防衛産業はどれぐらいの雇用を作り出すのか。2009年にマサチューセッツ大学の経済学者たちが行った調査によると、同じ10億ドルでできる雇用は…

  • 防衛: 8,555人
  • 医療:12,882人
  • 教育:17,687人

景気をよくしたければ、何に投資すべきか、よくわかる調査ですね。「経済政策で人は死ぬか?」でも似たような事が書いてあったけど、教育って意外と投資効果が大きいんだなあ。まあいい。じゃ、防衛産業がどんな雇用を増やしてるのか、というと…

それはロビイストにたいしてだ。2010年には防衛産業は、議会と行政府に自分たちの主張をよくわからせるために、1億5千ドル近くをロビイスト事務所に支払った。

 このロピイストってのが、実は政府関係者だったり。いわゆる「回転ドア」ですね。ディック・チェイニーとハリバートンの関係が代表的。そんな風に、ホワイトハウス・議会・国防総省と、企業がガッチリ結びついちゃってるから、防衛予算はなかなか減らない。

 国防総省の帳簿の帳尻を合わせるために、四兆四千億ドル分の帳簿を改竄して、必要な財務諸表を作り上げなければならなかったことと、一兆一千億ドルが跡形もなく消え失せて、その金がいつどこへ誰のために消えたのか誰もはっきりとは知らない

 なんて怖い事になってる。

ときおり考えるんだが、日本も公立学校の部活動の指導は、教員じゃなくて地元の経験者を雇えばいいのに、と思うんだよなあ。プロ野球やJ1のOBとか。柔道や剣道も警官OBが沢山いるし。ギョーカイの後ろ盾も得られるから、話は通りやすい気がするんだけど。

【テロとの戦い】

  ブッシュJr政権がブチ上げた「テロとの戦い」、これで意外な利益を得た者がいる。イスラエルだ。イスラエルの産業界曰く。

「わが国では誕生からずっとテロとの戦いをくりひろげてきました。どうしてきたか教えましょう」

 お陰でイスラエル経済は救われましたとさ。買い手も実績を重視するから…

「われわれがどこで売ろうとしても、相手はイスラエル軍がそれを使ったことがあるかを知りたがる」

 実際、ウジ短機関銃はとても評判が高く、なんとイランまで採用してる(→Wikipedia)。イカれてるのはイランかイスラエルか、どっちなんだろ?

【リセット】

 兵器に限らず機械は買えば終わりじゃなくて、メンテや部品交換も必要だ。減価償却は税法でも認められている。

 パソコンを自作する人は、メモリカードやハードディスクの交換・増設で寿命を延ばしたりする。例えば、今使ってる内蔵ハードディスクが250GBで、交換するなら、どんなディスクを考えるだろう?

 2016年8月現在じゃ、250GBなんで小容量のディスクは探すだけで一苦労だ。それより1T~2Tあたりを探すか、または本体ごと買い替えるだろう。似たような事は、兵器でもある。これを「リセット」と呼ぶ。

(アフガニスタンに)派遣されたヘリコプター部隊全体の6%、戦闘車輌のざっと5%、トラックの7%が毎年交換する必要があると見積もられている。

 そして、ハードディスクの増量みたいな事も、実際に行われている。

たとえば2006年、「リセット」の範疇で、国防総省が保有する一万八千台のハンヴィー四輪駆動車の全車を、手製爆弾(IED)にもっともよく耐えられる車輌と交換することが決定されている。

 お陰で、いったん増えちゃった防衛予算はなかなか減らせない。オバマ政権になっても、ブッシュJr政権が遺した防衛費の祟りは続いているわけ。

【アフリカ】

 終盤では、アフリカで紛争が続く様子が次々と描かれる。アフリカ情勢に興味がある人には、やたら濃くてタメになる部分。特にコンゴ民主共和国とルワンダ・ウガンダのあたりは、ややこしい事情が比較的スッキリわかって有り難い。

 私はアンゴラの部分が興味深かった。凄いよ。

ひとりあたりのGDPが5383ドルにもかかわらず、人口の70.2%が1日2ドル以下で暮らしている。

 なんでそんな酷い事になるかというと…

1997年から2002年のあいだに、推定で47億ドルがアンゴラの国庫から消えている。同じ期間に外国からもたらされた全援助に匹敵する額だ。

 と、権力者と武器商人が国庫を食い物にしてるわけ。アンゴラの主な産業は石油とダイヤモンドで、それさえ押さえちゃえば金と権力が手に入る。逆にそれを奪われたらヤバいんで、各勢力は互いに武力で奪い合い、投資は武器に回すって構図。

 こういう地下資源の呪いにドップリ浸かってるのがコンゴとシエラレオネで、リビアも難しそうだよなあ。

 やはりここでも流入する武器は東欧・ベラルーシ・ロシア、それに中国が急成長。中国はソマリアの携帯電話網に進出してるのが「ルポ 資源大陸アフリカ」に出てたり、実に油断できない。

【おわりに】

 武器もカネも多数の国やトンネル会社を通すし、一つの取引に何人もの仲介者が入るので、どうしてもややこしい話が多くなる。おまけに本の構成として、一つの話がアチコチに分散して出てくるので、何度も前の頁を見返さなきゃいけない。

 などと決して読みやすい本ではないが、煽情的なタイトルを遥かに超える衝撃的なエピソードがてんこもりで、下手すると読者をうつ病にしかねないほど内容は重い。出てくる金額が凄まじいので、勤労意欲まで削がれてしまう。

 それでも、武器輸出解禁を控えた現在の日本では、是非とも多くの人に読んでほしい。武器は買う国の命を奪うだけでなく、売る国の権力までも腐らせるのがよくわかる。

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2016年8月24日 (水)

アンドルー・ファインスタイン「武器ビジネス マネーと戦争の[最前線]」原書房 村上和久訳 2

武器商人デル・ホヴセピアン「わたしはこのしろものを売買するだけで、使ったりはしないんだよ」
  ――4 人道を守るため

「ずいぶん多くの航空機メーカーのために働いてきたが、<BAE>はこんな制度化されたシステムを持つ唯一のメーカーだ」
  ――5 究極の取引、それとも究極の犯罪?

アンドルー・ファインスタイン「武器ビジネス マネーと戦争の[最前線]」原書房 村上和久訳 1 から続く。

【アル・ヤママ】

 上巻のもう一つのテーマは、<アル・ヤママ>事件だ。調印は1985年。

 関係者はイギリス政府・イギリスの巨大防衛企業BAEシステムズ(→Wikipedia)・サウジアラビア。大ざっぱに言えば、BAEがサウジに武器を渡し、見返りにイギリスが石油を貰う取引。

 武器ったって、小銃や手榴弾とかのチャチなシロモノじゃない。1985年に調印された<アル・ヤママ>取引、BAEがサウジに引き渡すのは…

  • パナヴィア・トーネード対地攻撃機96機(→Wikipedia)
  • 同防空戦闘機型(ADV)24機(→Wikipedia)
  • BAEホーク練習機50機(→Wikipedia)
  • ピラタスPC-9練習機50機(→Wikipedia)
  • 海軍艦艇/ミサイル/砲弾/支援業務ほか

 その代償としてイギリスが受け取るのは、一日40万バレルの石油。ちなみに日本は石油の3割以上をサウジから輸入してて、今年(2016年)6月にサウジから輸入した石油は約483万kl(→経済産業省)。これをバレル/1日に換算すると、約101万バレル/日。だいたい日本の輸入量の1割ぐらいか?

 この時、アメリカのF-15はイスラエルが邪魔して没になり、フランスのミラージュ2000(→Wikipedia)と争う形になる。そこで賄賂だ。

 10億ポンドがヴァージン諸島の会社を通じて流れ、それから代理人と、バンダル王子の父で契約に署名した国防省のスルタン王子とつながっていると思われるスイスの銀行口座に移された。

 これは裏金のごく一部で、他にも王族のジェット旅客機やサウジ空軍パイロットたちの遊興費、そして仲介したブローカーたちの手数料やらに、よくわからん金が流れている。ちなみに今、日本円に換算したら、10億ポンドは約1325億円。

 裏金の流れも、ヴァージン諸島やパナマのペーパー会社・トンネル会社を介したややこしい仕組みで、この辺は本書でも特にややこしい所だった。

 この賄賂、サウジを腐らせるだけじゃない。BAEの下請け会社や取引の途中で加わるブローカーたちも巻き込んでゆく。中にはエンジンを作ってるロールスロイスや、マーガレット・サッチャーの息子マーク・サッチャーなんて名前も出てくる。

 加えて支払いが石油ってのもキモで、この分はOPEC(石油輸出国機構)の割り当てに入らない。当然、石油市場じゃイギリスの買いが減るんで、原油価格は下がる。輸入国の日本には嬉しい話ではあるが、サウジはOPECのリーダーとしてどうよ。

 この取引はイギリス国内でも問題となり、SFO(重大不正捜査局)が捜査に乗り出すのだが…。

 このSFOのくだりを読むまで、私は「別にいんじゃね?」と思ってた。原油価格が下がるのは嬉しいし。ガス代安くなって助かるよね。

 例えば、そうだなあ、日本がサウジアラビアかアラブ首長国連邦に、そうりゅう型潜水艦(→Wikipedia)を売るとする。代価は石油だ。日本はガソリンが安くなる上に、仕事が増えて失業者が減る。ラッキーじゃん。

 が、しかし。この事件を追うヘンリー・ガーリック海外不正課課長の執念は、当事者であるBAEやバンダル王子はもちろん、保守党&労働党の二大政党・新聞各紙が立ちふさがり、最後には司法までが圧力に屈してしまう。

 失業者が減って石油が安くなる。一見、いいことづくめのようだが、その裏では汚い大金が動く。これが企業・政治家・行政・司法と、権力を持つ者すべてを腐らせてゆく。

 武器取引は、たいていが多きな権力を持つ、往々にして腐敗した者が相手だ。おまけに軍事機密が絡むので、秘密の部分が多くなる。捜査しようにも、サウド王家の機嫌を損ねたらオイルショックは確実だ。武器輸出には、そういう危険もあるわけ。

【南アフリカと東欧】

 上巻の終盤では、著者が南アフリカで体験した事件を取り上げる。これが本書の執筆の動機だろう。

 わたしは<BAE>が発展途上国に与えた破壊的な影響をじかに経験している。

 著者は、ネルソン・マンデラが率いたANC(南アフリカ民族会議)の一員として、国会の公会計委員会で公的資金を監視していた。事件は、軍用機の調達で起きる。時は1990年代後半。

 案は二つあった。一方はイタリアのアエルマッキMB339FD(→Wikipedia)、もう一方はBAE&サーブのホーク練習機+グリペン戦闘機(→Wikipedia)。お値段はBAE案のほうが2.5倍ほど高く、またアエルマッキなら練習機と戦闘機を同じ機種で賄える。

 ここでは「かわりに何か事業に投資して労働者を雇う」と約束するオフセット取引や、国防相への賄賂などで、グリペン案が通ってしまう。

 他にも運用費用が高すぎてパイロットがロクに飛べないとか、エイズ対策の7倍を武器取引に浸かってるとか、ANCが腐り果てたとか、検察と捜査機関が衰退したとか、議会が機能しなくなったとか、著者がこういう本を書く動機としては、あまりに充分すぎる内容が次々と出てくる。

 ここではグリペンの悪口が続々と出てくるんで、グリペン信者には読んでて厳しいところ。この後ではチェコとハンガリーへの納入でも、オーストリアの貴族が出てくるあたりは、欧州の古い闇をのぞき込む気分だ。

グリペンの長所は短距離の離着陸と防空・攻撃・偵察の多用途で、短所は航続距離の短さ。よって狭い山がちの国土で、軍事的に厳しく(中立なので有事には敵に囲まれ同盟国を頼れない)、そこそこ金のあるスイスみたいな国には向くが、NATO加盟国や貧乏な国、そして広い海域を持つ国には疑問なんだよなあ…と思ったら、スイスはグリペン買ってないw

【おわりに】

 下巻はアメリカの軍産議複合体と、今も紛争が続くソマリアやアンゴラなどの事情が書いてある。これがまた実にこってりと濃い内容で、なかなか読んでて厳しいもんがあるんだが、その辺は次の記事で。

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2016年8月23日 (火)

アンドルー・ファインスタイン「武器ビジネス マネーと戦争の[最前線]」原書房 村上和久訳 1

武器取引は全世界の取引の腐敗行為の40%以上をしめている。
  ――序文

ふたりきりになるとすぐに(ラッセル・ロング)上院議員はいった。「私の票がほしいんだね?」バンダル(・ビン・スルタン王子)は「ええ」と応じた。「それには1000万かかるよ」とロングはいって、バンダルの肩に腕をまわし、椅子に座らせた。
  ――3 サウジ・コネクション

ウクライナの軍事資源は1992年には890億ドルの価値があったが、それから六年のあいだに、320億ドル分の武器や装備、軍事資産が盗まれ、その大半が転売されたのである。
  ――6 ダイヤモンドと武器

「[南アフリカで]おかしくなっていることの大半は、武器取引に端を発している」
  ――9 なにもかもばらばらに <BAE>の力で

【どんな本?】

 銃弾は撃てば減る。銃も消耗品だ。撃つたび銃身はすり減る。戦いを続けるには、武器と弾薬の補給が欠かせない。そのため、重大な紛争には、国連が武器禁輸措置をとる。それでも、世界に紛争や内戦は尽きず、始まった戦いはなかなか終わらない。

 アフガニスタン、旧ユーゴスラビア、そしてリベリアとシエラレオネなどの内戦で、各勢力は、誰からどのように武器や弾薬を手に入れ、禁輸措置をかいくぐって運び入れるのか。その代価はどうやってひねり出し、どのように支払うのか。

 オイルマネーで潤うアラビア半島の大国サウジアラビアは、近年急激に軍事予算を増し、湾岸の軍事大国として台頭してきた。その陰には、支配者として君臨するサウド家と、綿密な関係を築き上げた武器メーカー、そして英米両国の隠された関係がある。

 世界を飛び回り暗躍する武器商人、彼らと結託し国を食い物にする権力者たち、国家を巻き込んで取り引きに熱中する武器メーカー、彼らの隠された関係を暴こうと奮闘する捜査関係者やジャーナリストたち。

 南アフリカの下院議員を務め、武器取引の収賄事件調査の中止に抗議して辞職した著者が、BAEとサウジアラビアによる<アル・ヤママ>事件を中心としつつ、世界各国で活躍する武器商人たちの姿を生々しく描き、また武器取引が国家に与える影響に警鐘を鳴らす、迫真のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Shadow World : Inside the Global Arms Trade, by Andrew Feinstein, 2012。日本語版は2015年6月30日第1刷。単行本ハードカバーで上下巻、縦一段組みで本文約360頁+421頁=781頁に加え、訳者あとがき9頁。9ポイント43字×19行×(360頁+421頁)=約638,077字、400字詰め原稿用紙で約1,596枚。文庫本なら上中下の三巻でもいい大容量。

 文章はイマイチこなれていない。が、訳者の仕事は極めて誠実で、著者があやふやに書いた兵器の名前を正確に補ったり、登場人物の最近の動向を補足したりと、正確さと新鮮さには細心の注意を払っている。

 内容は素人でもじっくり読めばついていける半面、かなり歯ごたえがあり、相応の覚悟が必要だ。

 世界中の国名や武器名が次々と出てくる。読みながらの泥縄式で構わないので、Wikipedia や Google Map などで調べながら読もう。登場人物もとても多く、何度も前の頁を読み返す必要がある。また取引の実態は幾つものトンネル会社を通すなどややこしい。

 ただし、グリペン信者には不愉快な記述が多いので、そのつもりで。

【構成は?】

 上巻と下巻は比較的に独立しているが、できれば頭から素直に読もう。また人名・地名・兵器名などが次々と出てくるので、できれば索引をつけて欲しかった。

  •  上巻
  • プロローグ
  • 序文
  • 第一部 二番目に古い職業
    • 1 手数料の罪
    • 2 ナチ・コネクション
  • 第二部 手に入ればすばらしい仕事
    • 3 サウジ・コネクション
    • 4 人道を守るため
    • 5 究極の取引、それとも究極の犯罪?
    • 6 ダイヤモンドと武器
    • 7 バンダルに取り組む
    • 8 そして、誰も裁かれない?
  • 第三部 平常どおり営業
    • 9 なにもかもばらばらに <BAE>の力で
      虹の国の夢はこわれた/貧困は障害ではない
    • 10 壁以降 <BAE>式資本主義
      ハヴェルの悪夢/ハンガリー「もっとも幸福なバラック」/じつにスウェーデン的な逆説
    • 11 究極のいいのがれ
  •  下巻
  • 第四部 兵器超大国
    • 12 合法的な贈収賄
    • 13 アンクル・サムの名において
    • 14 トイレの便座とハンマーで大笑い 銀河の遠いかなたで
    • 15 違法な贈収賄
    • 16 ユートピアの向こうは、希望?
    • 17 アメリカのショーウィンドー
    • 18 ぼろ儲け イラクとアフガニスタン
  • 第五部 キリング・フィールド
    • 19 泣け、愛する大陸よ
      「ゴキブリどもに死を」ルワンダの集団虐殺/「もっとも堕落した略奪騒ぎ」コンゴ民主共和国/「金は堕落し、人を殺し、人間の良心を腐らせる」アンゴラ内戦/「青空武器市場」ソマリア/「カラシがなければ、人は屑だ」スーダンとダルフール/増大する報復 エジプト、リビア、そしてコートジボワール
  • 第六部 終局
    • 20 世界に平和を
    • 21 不完全な未来
  • 謝辞/訳者あとがき

【感想は?】

 今の所は上巻しか読み終えていないので、その感想を。

 上巻が描くのは、大きく分けて二つだ。一つは、ユーゴ内戦やリベリア内戦などで暗躍した、大小の武器商人たち。もう一つは、イギリスとサウジアラビアの武器取引スキャンダル<アル・ヤママ収賄事件>。

 同じテーマとはいえ、一方は怪しげな民間の武器商人で、もう一方は国家ぐるみの問題だ。スケールが大きく異なるが、両者は上巻の終盤になって鮮やかに合流してゆく。

 武器商人のパートは、同業者同士や軍と政界の複雑なネットワークを通し、互いに持ちつもたれつの関係を築き上げている様子を描く。最初に出てくるのは、元ナチ高官による<メレックス>。

 彼らの人格はともかく、ビジネスマンとしての能力は素晴らしい。多国語を操る頭脳、自ら危険地帯に飛び込む度胸、商機を見つける目ざとさ、在庫や輸送経路の幅広い知識、世界中を飛び回るフットワーク、各地に根を張るネットワーク、残酷な独裁者と取引するタフさ。

 国際商社なら是非とも欲しがる人材だろうが、人に使われて満足するような輩じゃないだろうなあ。仕事の好みもあって、小さい取引を積み重ねるのではなく、時間をかけて大きなビジネスを狙う山師タイプ。

 国連は紛争地域の武器取引を禁じる。それで国家間の取引は制限できても、民間の商人にまでは手が回らない。その具体例として、上巻ではリベリアに君臨したチャールズ・テイラー(→Wikipedia)にスポットをあてる。

 ここで描かれるリベリア内戦に至る経緯だけでも、ニワカ軍ヲタの私には涎が止まらない内容で、シエラレオネはもちろんリビアのカダフィ・ロシアとウクライナ・イスラエルの退役軍人そしてアル・カーイダまで、怪しげな固有名詞のオンパレードだ。もちろん、ブラッド・ダイヤモンドも。

 ここに登場する武器商人ヴィクトー・バウトが典型的で。ロシア軍高官が「余剰の」軍用機をスクラップとして叩き売り、代金を懐に入れる。この機を買って手を広げ、1992年にはアフガニスタンの北部同盟にロシア製武器を売る。

 ところが1995年に輸送機がタリバンに落とされ、乗員が人質になる。この交渉でタリバンとコネができ…

それから数年間、彼はアラブ首長国連邦のシャルジャにある基地からタリバンに莫大な量の武器を送とどけ、推定5000万ドルもの利益をあげた。

 このタフさ、ピンチをチャンスに変える卓越したビジネス能力、そして北部同盟とタリバンの双方に武器を売るしたたかさ。人格は酷いが、商売人としてはとてつもなく優秀、なんでこんな優れた能力を持つ人が、危ない橋を渡る武器商人なんかやってるんだか。

 ここじゃリベリアとシエラレオネ内戦の血も凍る酷さに加え、ソ連崩壊時のロシアの腐敗状況も出てくる。「1990年代前半には、ロシアからの石油の全輸出量の67%が組織犯罪に支配されていた」というから凄まじい。そりゃロシア人がいつまでたっても貧乏なわけだ。

 上巻のもう一つのテーマ、<アル・ヤママ>事件は、イギリスがサウジアラビアに武器を売り、見返りに石油を受け取る取引を扱う。

 これは日本にとっても他人事ではない。なにせ日本は石油の30%以上をサウジアラビアに頼っており、また近く武器輸出に乗り出す意向だ。おまけに、この事件にはサウジアラビアを支配するサウド家の体質が強く関係している。この事件のイギリス政府の立場は、近い将来の日本政府の立場そのものだ。

 という事で、<アル・ヤママ>事件については次の記事で。

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2016年8月21日 (日)

ジョン・K・ガルブレイス「不確実性の時代」講談社学術文庫 斎藤精一郎訳 2

ある国民が地理的に離れたところにいる他の国民を支配しようとする場合について、確実にいえることの一つは、それがきっと失敗に終わるということであり、植民地支配の終わりは、支配される者ばかりでなく、支配する者の望みでもあるということです。
  ――4 植民地の思想

明快な著述は、頭の悪さをわかりにくい文章で包み隠している多くの学者たちには、ある種の脅威として、ひどい打撃を受けるものとして受け取られるのです。
  ――7 ケインズ革命

不確実性の時代にあって、企業こそが不確実性の主たる源泉なのです。
  ――9 大企業

私がいつも思うのは、スイス人が原則よりも結果にずっと大きな関心を払ってきたということです。経済学でも政治でも、戦争と同じく、驚くほど多くの人が、鉄道の踏切りにぶつかって自分の通行権を守ろうとする人みたいに、敢然と死んでいきます。
  ――12 民主主義、リーダーシップ、責任

 ジョン・K・ガルブレイス「不確実性の時代」講談社学術文庫 斎藤精一郎訳 1 から続く。

【レーニン】

 本書の中でも特に楽しいのが、ウラジミール・イリッチ・ウリアノフつまりレーニンを扱う「5 レーニンと大いなる解体」。ここではガルブレイス師匠の毒舌が機関銃のごとく炸裂していく。

 まずはレーニンがオーストリア当局にスパイ容疑で逮捕される場面から。当局の疑惑を深めたのが、数字をびっしりと書き連ねたノート。当局はこれを暗号表と考えたのだが、実際は…

農業問題に関する統計数字が記されていました。

 ヒトってのは、自分が理解できないモノはとりあえず「怪しい」と考える生き物なんです。最近もこんな事件があったなあ。経済を研究する人ってのは、風体の怪しい人が多いんだろうか←をい

 スイスに渡ったレーニンは、仲間と連日のように会合を開く。ここでも、ロシア人の下宿人はしょっちゅう夜通し議論するので、下宿屋のおかみさんはロシア人だけ下宿代を割高にした、とかのジャブの次に、現代日本の月給取りが喝采しそうなネタをカマしてくる。なぜレーニンが連日のように会合したかというと…

 真面目な会議についていえば、情報交換を目的とするものはごく少なく、何らかの決定を下すための会議というのはもっと少ないものです。たいていの会議が開かれるのは、共通の目的を宣言し、参加者に各人が一人ではないことをわからせ、連帯意識を強めるためです。

 うんうん、あるよね。特に意義がよくわからない研修とかは、モロに連帯感のためだよなあ。などと感心してたら、更に続けて…

また会議は、実際に行動できないとき、行動のかわりとなります。会議が開かれることによって、参加者ばかりでなく、往々にしてそれ以外の人びとも、実際には何も起こらず、また起こりえないのに、何かが起こっているという感じを受けるのです。

 それ言っちゃらめえw どんなテーマでも、会議が開かれると、なんか盛り上がってるような気持になるんだよな。終盤では、ロシアの不作が国際市場での穀物価格を引き上げ云々ってネタも出てきて、これフレデリック・フォーサイスがネタにしてたと思ったんだけど、なんだったっけ?

【フィッシャーからケインズへ】

 「6 貨幣の浮き沈み」では、この本で唯一の数式が出てくる。アーヴィング・フィッシャーが見つけた式で、P=(MV+M11)/T。大ざっぱに言うと、物価=カネの量×実質的な経済活動の量、みたいな意味かな?

 景気が悪い時は物価が下がる。ならモノを買う人が増えそうなもんだが、みんな節約して取引量は増えない。そこで政府がお札を刷ってカネの量を増やせばいいじゃん、と思ったが、みんな貯め込むばっかしで使ってくれない。

フィッシャーが発見したのは、多くの経済学者たちを含めて人びとが何としても信じたがらなかったことでした。貨幣だけを問題にする安上がりで手軽な発明によっては、あらゆる経済問題を解決できるどころか、どんな経済問題も解決できないということです。

 と、困った事をフィッシャーは見つけてしまった。どないせえちゅうねん。

 この難問に答えを出したのが、ジョン・メイナード・ケインズ。カネを増やしてもダメだら、取引を増やしゃいいじゃん。どうやって増やす? 政府が借金して作った元手で、なんか事業を始めりゃいい。

 ケインズは何をしたらよいかということについて、明快な答えをもっていました。政府が借金をして、その資金を支出することを望んでいたのです。

 今風に言えば、国債を発行して公共事業やんなさいってこと。この説を納得させるためにケインズは色々と苦労する。今風に言うとケインズって賢くはあるけどコミュ障っぽい人だったらしく、文字でのコミュニケーションは得意だけと顔を突き合わせての対話は苦手だったみたい。

 ってんで、『一般理論』を書いたはいいが、この本の評がまた、ガルブレイス師匠の芸炸裂しまくり。

『一般理論』は、刊行されたあとずいぶん時間が経って完成されました。聖書や『資本論』と同じく、それはたいへん曖昧であり、また聖書やマルクスの場合のように、その曖昧さが帰依者を増やすうえで大いに役立ちました。

 つまり、やたら難しくてわかりにくい本だったわけ。なんでそんな本が信者を増やすのかというと…

理解するのに多大の努力を重ねたとなると、読者はその思想に強く執着するものです。

 …ああ、うん、グレッグ・イーガンがウケる理由には、そういう部分があるよね。というか、私の場合は多大な努力を重ねた挙句に理解できなかったりするけど。おまけに、ここでもガルブレイス師匠はワンツーパンチをキメてくるから憎い。

矛盾や曖昧さが随所に散見されると、読者はいつもそこに自分の信じたいと思うものを読み取ることができます。これも信徒を増やすのに役立つわけです。

  ああそうさ、よーわからんので好き勝手に解釈できるから俺はイーガンが好きなんだよ、悪いか。

 ってのはおいて。時は大恐慌の傷跡で苦しんでるさなか。アメリカでの布教はイマイチだったけど、ケインズ理論を知ってか知らずか、積極的に推し進めたのがアドルフ・ヒトラー。大胆な借金で公共事業をしまくってアウトバーンを整備し、失業者をなくしちゃった。

 ただヒトラーはやりすぎて、世界中を戦争に巻き込んだ。お陰でアメリカも軍需で政府支出がドンと増え、失業者が減っていく。これをガルブレイス師匠は評して曰く…

ヒトラーは、ドイツの失業をなくしたあと、敵国の失業にも終止符を打たせたのです。

 …く、黒い。実際、政府の予算ってのは困った性質があって、鉄道やバスの赤字路線支援じゃなかなか予算はおりないけど、敵の脅威に備えるためなら、アッサリ予算がつくんだよなあ。どの国でも。

【大企業】

 大きな政府を志向する人のためか、「9 大企業」では鋭く国際資本を分析してる。

EECが出現したのは、現代の多国籍企業にとって国境やそれにともなう関税や貿易制限がわずらわしかったから

 とかは、今のEUを見ると確かにそういう所はあるかも。TPPとかも、国際資本には嬉しい話なんだろう。それが日本の利益になるかというと、どうなんだろうなあ。

 とまれ、ここの終盤では相当に過激な事を言ってる。

 「現代の大企業の株主は、力ももたなければ何の機能も果たしていません」として、いっそ政府が株主になれよ、なんてブチあげるのだ。日本でも東電の救済とかを見ると、「いっそ国営化しちまえ」と思うこともあるけど、小さい政府を求める人には決して受け入れられないだろうなあ。

【貧困対策】

 「10 土地と住民」では、更に好き嫌いが分かれそうな問題を問い始める。発展途上国での貧困の撲滅だ。

 経済問題で、なぜこれほど多くの人びとが貧しいのかという疑問ほど重要なものはありません。また人間の状態に関する事柄で、これほど多くの異なった相反する答えが、これほど自信たっぷりかつ無頓着に提示されている例はほかにありません。

 この本では、彼らにロクな土地がないのがイカンとして、先進国が移民を受け入れろ、と主張する。途上国の多くは農業国であり、一人当たりの土地が足りない、先進国が移民を受け入れれば土地が足りるだろ、と。

 私が思うに。土地というより足りないのは資本っじゃなかろか。だから途上国への工場移転で途上国の仕事を増やしたり、「貧困のない世界を創る」で実績を示したマイクロ・ファイナンスにより起業を促すとかもアリじゃね?と思うんだけど、どうなんだろ。

【おわりに】

 なにせ出たのは1977年の本なんで、東欧やソ連が崩壊する前だ。それだけに「最近の話題」を扱う終盤は少々古臭くなってる感はあるものの、中盤までのわかりやすさに加え、随所で発揮される強烈な毒舌ギャグは凄まじい破壊力を持っている。

 書名こそこそ近寄りがたいものの、実はとっても親しみやすくユーモア満載の楽しい本だった。

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2016年8月19日 (金)

ジョン・K・ガルブレイス「不確実性の時代」講談社学術文庫 斎藤精一郎訳 1

産業革命が起こるまで、そして多くの国ではその後も長いあいだ、すべての経済学は農業経済学だったのです。
  ――1 予言者たちと古典的資本主義の約束

自身の利益をはかろうとして個人は公共の利益に貢献するというのです。(アダム・)スミスの最も卓抜な言葉によれば、人はあたかも神の見えざる手に導かれたかのように、そうするのです。
  ――1 予言者たちと古典的資本主義の約束

かねてから、マルクスの著作から自分に都合のよい意味を読みとり、他人のすべての説を悪しざまに扱うというのが、マルクス主義を信奉するすべての学者の当然の権利とされてきたのです。
  ――3 カール・マルクスの異議申し立て

【どんな本?】

 アダム・スミス,カール・マルクス,ジョン・メイナード・ケインズ…。彼ら経済学の巨匠は、どんな時代に、どんな生涯を送り、どんな問題に対し、どんな解決策を示したのか。彼らの唱えた理論は、どのようなもので、現代の経済学や政治にどんな影響を与えたのか。

 リベラル派の経済学者であるガルブレイスが、BBC放送のテレビ番組を元に書いた一般向けの経済思想史の解説書であり、出版当時は流行語ともなったベストセラー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Age of Uncertainty, by John Kenneth Galbraith, 1977。日本語版は1978年にTBSブリタニカより単行本、1983年6月に講談社文庫。私が読んだのは講談社学術文庫版で2009年4月13日発行の第1刷。

 文庫本縦一段組みで本文約479頁に加え、訳者あとがき4頁+根井雅弘の解説5頁。8.5ポイント41字×18行×479頁=約353,502字、400字詰め原稿用紙で約884枚。上下巻には少し足りないぐらいの分量。

 文章は思ったよりこなれている。内容は、難しそうな書名と裏腹に、とてもわかりやすい。数式も出てくるのは一つだけ。しかも、皮肉なユーモアをたっぷりまぶしてあり、親しみやすさもバッチリ。

 ただし、著者は大きな政府を求める立場だ。郵便・通信・公共運輸などを国有化し、不況時には緊縮財政ではなく赤字国債を発行してでも公共事業を求める立場だ。これは後ろに行くに従い色濃く出てくる。そのため、小さな政府を求める立場の人は、終盤を不愉快に感じるだろう。

【構成は?】

 話は時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  • はしがき 不確実性の時代について
  • 1 予言者たちと古典的資本主義の約束
    源泉/風景/始祖/理性の人/農業の制度/諸国民の富/ピンと分業/人の結びつきと法人企業/住民一掃/典型的な紡績の町/インディアナの試み/リカードとマルサス/リカードの見解/イングランドとアイルランド/脱出/スミスはいま
  • 2 資本主義最盛期の行動と紀律
    裕福な者の自然淘汰/スペンサーとサムナー/キリストの再臨/適者はいかにして選ばれたか/世評/自然淘汰と教会/ソースタイン・ヴェブレン/衒学示的消費/記念碑 ニューポート/さまざまな儀式/宣伝/リヴィエラ/賭博/現代の金持の行動と紀律
  • 3 カール・マルクスの異議申し立て
    万能の人/トリール/若きロマンティスト/ベルリンとヘーゲル/ケルンとジャーナリズム/社会主義者の誕生/共産党宣言/ある種の革命/ロンドンへ/資本論/インターナショナル/再びパリへ/死と生
  • 4 植民地の思想
    マルクスと帝国主義/植民地の使命/東方へ/財政的な側面/スペインの達成/官僚制度/メキシコ/ルイジアナの場合/ラホール/アメリカの経験/鎮魂歌
  • 5 レーニンと大いなる解体
    クラカウからの眺め/領土至上主義/愚かさの問題/変異反応/労働者/ポーランドにおけるレーニン/真の革命家/レーニンとマルクス/八月の砲声と警察/機関銃と士官階級/スイス/会議/帝国主義と資本主義/最高の試練/革命/またしても腐った扉/トリノからの眺め/西欧の対照的な結果/ある回想
  • 6 貨幣の浮き沈み
    起源/機能/銀行と貨幣/アムステルダムの情景/1719年のパリ/イングランド銀行/紙幣/カナダ風変奏/紙幣と革命/銀行と中央銀行/ジャクソン対ビドル/金/新旧の不確実性/連邦準備制度/アーヴィング・フィッシャー
  • 7 ケインズ革命
    イギリスのケンブリッジ/戦争と平和/チャーチルと金/アメリカからの衝撃/全員が金持ちになるべきだ/暗い木曜日/解決策/試運転/一般理論/大学という経路/ワシントンへ/アメリカのケインズ主義者/戦争の教訓/勝利/ブレストンウッズ/ケインズの時代
  • 8 致命的な競争
    1945年のベルリン/官僚の関心/ベルリン封鎖/ジョン・フォスター・ダレス/ワシントンにおける冷戦/不道徳へのお墨付き/フルシチョフ/キューバ/深淵をのぞく/ヴェトナム/共生的な罠/経済的な結果/変化のはじまり
  • 9 大企業
    エサレン・インスティテュート/創立者/今日のUGE/戦闘司令本部/ワシントンの情景/テクノストラクチュア/アイントホーフェンでの実践/企業の世界/起業はなぜ愛されないのか?/多国籍症候群/ゼネラル・モーターズのあとにくるもの
  • 10 土地と住民
    パンジャブ地方/可能性/産児制限/追放と移住/綿の均衡/メキシコ/出稼ぎ労働者/どこでうまくいったか/都市国家
  • 11 大都市圏
    権力の座/ファテプル・シクリ/商業都市/工業都市/二つのバーミンガム/都市の経済学/ベッドタウン/移民/大都市圏/資本主義ではうまくいかないところ/状況の暴虐
  • 12 民主主義、リーダーシップ、責任
    スイスの場合/もちまえの指導性/見世物スポーツとしての政治/妥協のバランス/リーダーシップとは何か/ネール/リーダーシップとヴェトナム/マーティン・ルーサー・キング/バークリー/献身/スキドゥー/デス・ヴァリー/核というまやかし
  • 訳者あとがき/解説 根井雅弘

【感想は?】

 読む前は「なんか難しそう」と思ってた。読んでみたら、捧腹絶倒。売れるわ、そりゃ。

 なんたって、書名がハッタリ効いてる。「不確実性の時代」って、なんか頭よさげだし。これ読んだと言えば、周りに自慢できそうだよね。

 で、恐る恐る読んでみたら、全く違った。とにかくわかりやすい。だけでなく、語り口がいい。洗練された知識人の口調で、恐ろしくキツいギャグをかます。著者はカナダ出身でアメリカで学んだ人だが、ギャグのセンスはむしろバーナード・ショーの影響を感じさせる、毒がたっぷり詰まったもの。例えば…

知識人のほうではおおむね、自分たちが嫌われるのは、他の連中が自分たちの頭のよさを嫉んでいるからだと思っていました。ところが、しばしば嫌われるのは、彼らが騒ぎを起こすからなのです。
  ――7 ケインズ革命

 と、実に手厳しい。こういう毒舌が随所で炸裂し、真面目な本のはずなのに、読んでる最中はついつい笑ってしまう。通勤電車の中で読んだら、中身を知らない人からは「コイツ頭おかしいんじゃないか」と思われるだろう。

 さて。書名の「不確実性の時代」とは何か。これ流行った当時は「よくわかんない」と言う代わりに「そりゃ不確実性の時代だから」と言えばカッコついたってぐらい、なんか頭よさげな言葉だけど、著者は全く違う意味で使っている。

前世紀(19世紀)にあっては、資本家は資本主義の繁栄を確信し、社会主義者は社会主義の成功を、帝国主義者は植民地主義の成功をそれぞれ確信しており、支配階級は自分たちが支配するのは当然だと考えていました。しかし、こういった確実性はいまやほとんど失われています。
  ――はしがき 不確実性の時代について

 どういう事か。

 昔の人は、それぞれに確固たる信念を持っていた。自分の主義主張は揺るぎない正義であり、その正義に基づいて生き、社会を運営すれば、みんな幸せになる、そう信じていた。でも今は、そんな揺るぎない確信を持ちにくい時代だよ、そういう意味だ。

 これから先がどうなるかわからないって意味じゃ、ないのだ。個々人が、強い確信を持ちにくい時代だ、と言っている。で、こういった時代が始まったのは…

第一次世界大戦においてこそ、長年にわたって確実だと思われてきたものが失われたのです。それまで、貴族や資本家は自分たちの地位に確信を抱き、社会主義者でさえもゆるぎない信念を持っていました。二度とそういう確信は生まれませんでした。
  ――5 レーニンと大いなる解体

 と、第一次世界大戦からだ、としているのが、大きな特徴の一つ。特に西部戦線での塹壕戦で、おぞましいまでの犠牲を払い、将軍たちが救いようのない無能を晒すなどの現実を目の当たりにし、人々の持つ既成概念が大きく揺らいでしまった、と著者は説く。

私はリデル・ハートの「第一次世界大戦」しか読んでいないけど、確かに司令官たちの無謀と無能は凄まじい。機関銃と鉄条網で堅く守られた敵陣に対し、大軍による力押しをひたすら繰り返しては力尽きるの繰り返しで、その度に数万の戦死者を出してるんだから、読んでて気分が悪くなる。

 それはともかく。

 この本の主題は、経済学の思想史だ。経済学史と素直に云えないのが経済学の辛い所で、経済学者の立場や思想によって、理論も結論も違ってきてしまう。国家の運営や私たちの生活がかかってるんだから、もちっとシッカリして欲しいんだが、どうもその時々の政策を決める人に都合のいい理論がもてはやされるらしい。

経済的な事柄では、意思の決定は思想によって影響されるだけでなく、経済的な既得利権によっても影響されるからです。
  ――1 予言者たちと古典的資本主義の約束

 と、きたもんだ。

経済学者というのはおたがいに意見があわないことで定評がありますが、たった一つの点では考えが一致しています。すなわち、経済学に始祖がいるとすれば、それは(アダム・)スミスだということです。
  ――1 予言者たちと古典的資本主義の約束

 なんて、経済学者である自分も含めた自虐ギャグを飛ばしつつ、アダム・スミスの偉大さを印象付ける文章は見事。先の、経済学者は立場によって言う事が違うよね、ってのを鋭く見抜き、厳しく指摘したのが…

「知的生産は、物質的生産が変化するのに比例して、その性格を変える。各時代の支配的な思想は、つねに支配階級の思想だったのである」
  ――3 カール・マルクスの異議申し立て

 そう、かの有名なカール・マルクス。経済学者や思想家の太鼓持ちっぷりを暴露して、挑発的かつ戦闘的なメッセージを叩きつけた。そんな彼の影響の偉大さは認めつつも、マルキストに対しては…

(資本論の)二巻は、読んだと自称する人の数のほうが実際に読んだ人の数よりもずっと多い
  ――3 カール・マルクスの異議申し立て

 と、これまた容赦ない。この毒舌は「5 レーニンと大いなる解体」で、更に鋭さを増すんだけど、それについては次の記事で。

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2016年8月17日 (水)

クリストファー・ゴールデン「遠隔機動歩兵 ティン・メン」ハヤカワ文庫SF 山田和子訳

 行きなさいよ、赤ん坊をあと何人か殺しに。

「そこに希望はある……だが、魔法は存在しない」

【どんな本?】

 アメリカのSF/ファンタジイ作家による、近未来を舞台にしたミリタリー長編アクションSF小説。

 気候変動による食糧不足や海面の上昇で、国際紛争や内戦が蔓延する中、アメリカは世界の警察として積極的な軍事介入を繰り広げるが、その代償は世界中から憎まれる事だけだった。そこで前線に投入されたのは、遠隔操作で動く二足歩行のロボット、遠隔機動歩兵ことティン・メンである。

 銃弾を跳ね返し、自動車より速く走り、その銃撃は正確無比。ロボット本体は危険な紛争地帯に投入されるが、操る兵は安全な米軍基地にいる。操作者は交代制で操作し、ロボットは24時間休みなく戦い続ける。

 ダニー・ケルソ上等兵はドイツのヴィースバーデン基地で任務に就く。操るティン・メンはシリアのダマスカスにいる。ダマスカスでのティン・メンの評判は様々だ。好意的な者もいれば、石を投げてくる者もいる。そして勿論、銃や砲で襲ってくる者も。並みの銃ではティン・メンに歯が立たない。だが兵器も戦術も進歩する。

 その日、ダマスカスは妙に静かだった。市場に騒がしい子供がいない。悪い予感は当たった。それも、信じられないほど大きな規模で。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は TIN MEN, by Christopher Golden, 2015。日本語版は2016年4月15日発行。文庫本で縦一段組み、本文約545頁に加え、磯部剛喜の解説「デウス・エクス・マキナの戦争」6頁。9ポイント41字×18行×545頁=約402,210字、400字詰め原稿用紙で約1,006枚。上下巻が相応しい大容量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。SF的に色々な屁理屈が出てくるけど、ハッキリ言ってハッタリなので気にしなくていい。敢えて言えば、軍の階級ぐらいか。下から二等兵→一等兵→上等兵→兵長→伍長→軍曹→曹長→准尉→少尉→中尉→大尉→少佐→中佐→大佐→准将→少将→中将→大将。

【感想は?】

 ハヤカワ文庫SFとしては、青背より白背が相応しい作品。バトル・アクションたっぷりの娯楽作品だ。

 米軍が凄い勢いでロボットを使い始めているのは事実で、これは「ロボット兵士の戦争」などが詳しい。従来の正規軍相手の戦いが減り、アフガニスタンやイラクなどでのゲリラ相手の非対照戦が増えているのも影響しているんだろう。

 それが戦場にどんな影響を与え、兵士や民間人やゲリラをどう変えるかは興味深いのだが、そういうテーマを前面に押し出す作品ではない。実はコッソリ仕掛けてあるんだけど、あまりお仕着せがましく表に出してない。また、設定もシリアの米軍がやたらこじんまりしてたり、細かい所は色々とアレだったり。

 が、これは、そういうミリヲタ向けの作品ではないのだ。

 あくまでも、ティン・メンたちが、次々と襲い来る危機また危機を乗り越え、敵をなぎ倒し、前へ前へと進んでゆくお話だ。戦車や戦闘機も出てこないんだが、ソコはちゃんと仕掛けが施してある。ハイテク機器が全部オシャカになってるため、ハイテク化が進んだ米軍はかえって無力になっちゃってるわけ。

 この仕掛けのため、ドイツのヴィースバーデンにいる筈の主人公らは、ダマスカスのティン・メン内に閉じ込められてしまう。銃が効かず無敵に見えるティン・メンだが、ちゃんと弱点もあり、巧くやれば銃でも倒せるし、または専用のロケットランチャーを当てれば叩き潰すこともできる。

 こういった設定のお陰で、戦闘場面は相応にスリリングになった。スリルを盛り上げる工夫は他にも幾つかあって。

 例えば、主な登場人物の何人かは生身の人間で、撃たれれば死ぬ。ティイン・メンたちの視点に加え、彼らの目から見たティン・メンの姿を描くことで、戦場でのロボット兵の感触を、肌で感じることができる。

 先の「ロボット兵士の戦争」でも、偵察用の無人航空機プレデターを頼もしく感じる歩兵のインタビューが出てくる。この作品でも、生身の兵に護衛されながら逃げ惑う登場人物たちがティン・メンと合流する場面が幾つかあるんだが、その時に感じる心強さは半端ない。撃たれても平気ってのが、こんなに頼もしいとは。

 戦場への影響については、あまり意識させないようにしてあるけれど、これは隠し味というか、全体を見渡して「あれ?」と気づく程度に抑えてある。

 現代の無人航空機もそうなんだが、ロボット化が進むと、兵に求められる肉体的な条件が大きく変わってくるのだ。

 米軍の最新鋭戦闘F-22のパイロットはエリート中のエリートで、精神・頭脳・肉体そして経験とすべてに卓越した能力が求められる。が、プレデターなどの無人航空機は違って、ハイスクールをドロップアウトしたゲームおたくが操縦してたりする。強力なGに耐える強靭な肉体も、己の命を危険に曝す度胸も要らない。

 ってなわけで、例えば、この作品には、やたら女性の兵が多い。ティン・メンの操縦には体力も運動能力もほとんど関係ないし、敵の捕虜になって強姦される心配もない。なら男も女も関係ないじゃん、というわけ。どころか、隊を率いるケイト・ウェイド伍長に至っては…

 と、肉体的なハンデが問題なくなった半面、人間性みたいのが失われてしまう感覚もある。なにせロボットなんで、見ただけじゃ互いに誰が誰だかわからない。そこは自由を愛するアメリカ人らしく、ボディーにケッタイな絵を描いて個性を主張したり。やっぱり暫く使ってると、鋼のボディにも愛着が沸くんだろうなあ。

 お話は、しつこく追いすがるテロリストたちを、ティン・メンたちが蹴散らし走り続ける形で進んでゆく。テロリストたちはまさしく雲霞のごとくで、しかも国際色豊か。こういったあたりは、全世界を敵に回して戦ってる今のアメリカを皮肉ってる感もあるなあ。にしても、敵の数としつこさには、ちと笑っちゃったり。

 こういった誰彼構わず喧嘩を売りまくるアメリカの姿勢を支えているのも、ハイテクを駆使して高性能化した戦車などの兵器群に加え、無人化ロボット化などで、将兵の危険が大きく減った面は確かにあるんだが、テロリストにそこを突っ込まれる場面では、ちと複雑な気分になったり。

 ロボット化の影響は将兵の危険が減る以外にもあって、例えば攻撃機の無人化では誤爆が減ったってのがある。身の危険がない分、落ち着いて操縦できるので、より正確になるわけ。他にも、兵による強姦や強請りタカリも減るんだろうなあ。

 などの利益がある半面、困った奴も出てくる。車に乗ると性格が変わる人がいるように、無敵感に浸りドヤ顔で暴れる奴もいれば、力の使い方に己のポリシーを貫く奴もいたり。

 設定はラフだけど、最初から最後までピンチとバトルとアクションで描き切った娯楽性は充分。細かい所にはこだわらず、素直にバトルを楽しもう。

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2016年8月15日 (月)

ニーナ・フェドロフ+ナンシー・マリー・ブラウン「食卓のメンデル 科学者が考える遺伝子組み換え食品」日本評論社 難波美帆+小山繁樹訳

20世紀になるまで、農民たちは、彼らの成功と失敗が遺伝子に関係あることを、理解してはいなかったのです。しかし、メンデルが遺伝子がどのように働くのかを明らかにする前から、農民たちは植物の遺伝子を変化させていました。
  ――はじめに

ボブ・ブキャナン「食物アレルギーに対する国民意識の高まりには、三つの要因がある。すなわち理性的な関心と、無知からくる不安と、政治的な動機である」
  ――第8章 ネズミで毒味

ブルース・エイムズ「合成殺虫剤を減らせば、果実や野菜の価格が上がり、それによって消費量が減る。すると、特に貧困層の発がん率が上がるだろう」
  ――第9章 有機農業のルール

フローレンス・ワンブグ「先進国の皆さんが、遺伝子組み換え食品のメリットについて議論されるのはもちろん自由ですが、私たちは先に食べてよろしいいですか?」
  ――第12章 考えるための糧

【どんな本?】

 選抜,接ぎ木,交配,組織培養,染色体倍化技術,放射線照射…。ヒトは、様々な方法で栽培植物に手を加え、新しい品種や作物を生み出してきた。そして今日、もう一つの技術を手に入れた。遺伝子組み換えだ。

 科学者たちは、トウモロコシの遺伝子をイネに、アカハネムシの遺伝子をトマトに、そしてウイルスの遺伝子をプラムに組み込む。いったい、何のために? なぜ全く異なる種の遺伝子を使う? そんな気色の悪い物を、食べでも大丈夫なのか?

 作物の遺伝子組み換え技術の目的や使われ方そして政府の規制を、今までの品種改良・開発技術と対比し、また有機農業や食品アレルギーなど社会運動や消費者の関心と照らし合わせ、遺伝子組み換え技術への理解を求める、一般向け科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Mendel in the Kitchen : A Scientist's View of Genetically Modified Foods, by Nina Fedoroff and Nancy Marie Brown, 2004。日本語版は2013年4月20日第1版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約323頁+訳者あとがき4頁。9.5ポイント46字×18行×323頁=約267,444字、400字詰め原稿用紙で約669枚。文庫本なた少し厚めの分量。

 文章は「です」「ます」調で柔らかいが、イマイチこなれておらず、日本語として意味がよく分からない文章がアチコチにある。内容は高校レベルの生物学の基礎が必要で、プラスミドや不稔性などの専門用語が説明なしに出てくる。全般的に急いで訳した印象があって、見た目ほどとっつきやすくはない。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所を拾い読みしてもいいだろう。

  • はじめに
  • 第1章 自然の法則に反して
  • 第2章 野生種と栽培種
  • 第3章 大地の力
  • 第4章 遺伝子と種
  • 第5章 鋳掛け屋仕事による進化
  • 第6章 製品か、それとも製法か
  • 第7章 食べても安全ですか?
  • 第8章 ネズミで毒味
  • 第9章 有機農業のルール
  • 第10章 持続する農家
  • 第11章 果実の共有
  • 第12章 考えるための糧
  • 謝辞/訳者あとがき/索引

【感想は?】

 「なんでこんなに遺伝子組み換え食品ばかり虐められるんじゃ」みたいな本。

今日、組み換えDNA技術は、本質的に有害であるどころか、これまでに開発された最も安全な技術であることが、わかっています。
  ――第6章 製品か、それとも製法か

 と、こういう姿勢の本だ。

 この記事をここまで読んで、「じゃ読むのやめよう」と思う人も多いだろう。遺伝子組み換え食品の是非には、そういう面がある。関心を持つ人の多くは、最初から結論を出している。自分の意見に沿うモノは歓迎し、沿わないモノを拒む。こういった姿勢は、数学や科学や工学ではあまり見ない。政治や宗教や思想の問題で、よく見る姿勢だ。

 つまり、遺伝子組み込み食品の是非は、科学の問題というより、思想の問題らしい。

 第一章は、ゴールデンライス(→日本植物細胞分子生物学会)の顛末から始まる。発展途上国を中心にビタミンA不足で毎年100万人以上の子どもが亡くなっている。そこで微生物学者のゲイリー・テニセンは考えた。バングラデッシュやカンボジアあたりは米作中心だ。ならイネにビタミンA(の前駆体のベータカロチン)を作らせよう。

 この案を引き継いだのがインゴ・ポトリクスら60数名の科学者たちだ。彼らは10年の歳月を費やし、ラッパズイセンの遺伝子をイネに組み込み、ゴールデンライスを創り上げた。

 だが、このプロジェクトは大反発を受ける。「フランケンフード」と恐れられ、バイオ企業の金儲けに税金を浪費したと、ポトリクスは袋叩きにされてしまう。今でもNGOグリーンピースはゴールデンライスを強く批判している(→国際環境NGOグリーンピース)。

 実際、大企業が金儲けのため遺伝子組み換え技術を使っているのは事実だ。

 例えばモンサント社の除草剤ラウンドアップは、「緑色のものなら何でも殺す」。これに遺伝子組み換えで耐性を持たせたのがラウンドアップレディ大豆・ラウンドアップレディ小麦だ。そこで除草剤ラウンドアップとラウンドアップレディ種子を組み合わせれば、農家は楽して大儲けできますよ、ってわけ。もちろん、最も儲けるのはモンサントだけど。

 が、しかし。遺伝子組み換え技術だけが敵視されるのは変じゃね?と著者は問いかける。

 栽培植物の品種改良とは、まさしく遺伝子改造の連続なのだ。例えば大昔から使われてきた接ぎ木。果樹園の樹の枝が、突然変異を起こして変わった実を実らせる事がある。枝変わり(→Wikipedia)だ。たいていはロクなモンじゃないが、稀に大きかったり美味しかったり、嬉しい変身を遂げる場合がある。

 この枝を他の樹に接ぎ木したり挿し木で増やしたりして、新しい品種を作るなんてのは、大昔からやってきた。自然がランダムに変えた遺伝子の中から、人間に都合がいいものを選び出してきたわけだ。

 特に柑橘類の品種改良や開発は接ぎ木大活躍で…って話は、「柑橘類(シトラス)の文化誌」に詳しい。同じ柑橘類とはいえ異なる種の枝を樹に継ぎ足すわけで、動物で言えばヒトの尻に猿の尻尾を付け加える、みたいな無茶を平気でやってきた。

 でも、これが世界中のフルーツ産業を支えているのも事実で、「フルール・ハンター」によると、世の中には接ぎ木マニアなんて人もいるとか。そんな接ぎ木だが… 

初期のアメリカでは、接ぎ木は、ちょうど今日の分子生物学的手法と同様に、不自然だ、神の計画を妨げるものだとして非難されていました。
  ――第3章 大地の力

 と、忌み嫌われた時期もあるらしい。ヒトは見慣れないシロモノを怪しみ嫌う生き物なんだろう。

 これが20世紀に入ると、放射線を照射して人為的に突然変異を引き起こすようになる。例えば「クレソとよばれるデュラム小麦は、中性子やX線を種子に照射することで作られた二つの品種をさらにかけ合わせ」たものだ。パスタやピザに使う小麦ですね。

 放射線以外にも、種を化学薬品に漬けるなんて方法もある。いずれにせよ、こういった手法で起きる遺伝子の変化はランダムで、「どのくらいの量の遺伝子が変化しているか、わからない」。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるで、とにかく沢山の種で試し都合のいいものだけを選ぶって形で、新品種を作ってきたわけ。

 当然ながら、こういった新品種開発では、山ほどの失敗品が出る。失敗品とはつまり、遺伝子がケッタイに変異したシロモノだ。こういう失敗作の廃棄について、何か規制は…っつーと、実は何もないのだ。この遺伝子汚染の問題を取り上げた映画があって、、リトルショップ・オブ・ホラーズという←大嘘こくな

 などと野放しな従来の品種改良技術に対し、遺伝子組み換え技術はガチガチに規制され、EUあたりは完全に締め出そうとしている。こういった理屈に合わない姿勢の原因の一つは、人々の知識不足にある、と著者たちは考えていて、それにはちゃんと根拠があるのだ。

 遺伝子組み換え食品に関する国際調査を受けたアメリカ人の65%が、以下の質問に間違って答えました。「ふつうのトマトに遺伝子は入っていますか?それとも、遺伝子が入っているのは遺伝子組み換えトマトだけですか?」
  ――第7章 食べても安全ですか?

 ってんで、人々の理解を得るために書いたのがこの本だ。が、「ふつうのトマトに遺伝子は入ってない」と思っている人に対しては、細胞の仕組みや染色体の役割など生物学の初歩的な解説が欠けていて、著者の思惑には役立たないんじゃなかろか。

 そうは言っても、一般向けの科学解説書としては面白いし、高校レベルの生物学の素養がある人に対してなら、充分な説得力がある。

 ガチガチな規制のため遺伝子組み込みに挑戦できるのが資本力のある大企業だけになっちゃったとか、アレルギーの原因は食品が含む数万種のタンパク質の中の一~二種だけとか、有機農業と遺伝子組み換え技術を組み合わせる可能性とか、トリビアも沢山盛り込まれて、なかなか楽しい本だった。

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2016年8月12日 (金)

篠田節子「夏の災厄」角川文庫

「何が、エイズだ。本当の疫病はあんなものではない。まず弱いものから死んでいく。はじめは、子供と年寄り。そのうち働き盛りの男や女、毎日毎日、どこかの家から白木の棺桶が運びだされる」

正確な知識を持っていて合理的判断のできる市民なんてものが、この町のどこにいるのだ。うろたえ、混乱した住民たちの対応をするのは、こちらだ。情報公開の原則を盾に、ひとりよがりの正義を振りかざすのもいいが、現場の迷惑も少しは考えてくれ。

【どんな本?】

 ホラー・ミステリ・SFなど多方面で活躍する篠田節子による、医療サスペンス長編小説。

 舞台は埼玉県昭川市、池袋まで特急で43分。かつては農林業中心の町だったが、近年は住宅開発が進み、現在の人口は約8万6千人に至る。

 1994年の4月、日によっては暑くなり蚊が出始める季節。保健センターや開業医に、妙な患者が増え始める。頭が痛く吐き気がすると訴え、熱がある。ペンライトなどの光を極端にまぶしく感じ、甘いにおいがすると言う。あちこちの診察室で熱中症や急性上気道炎など、様々な病気と診察された初期の患者は、恐ろしい惨劇の始まりだった。

 保健センターに勤める看護師や市の公務員など、地方行政の末端で働く者の視点で、医学的なツボはキチンと抑えつつも、人間臭い臨場感たっぷりに描く、パニック群像劇。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1995年3月に毎日新聞社より単行本で刊行。1998年6月に文春文庫から文庫版が出る。これを加筆訂正した角川文庫版が2015年2月25日初版発行。文庫本で縦一段組み、本文約582頁に加え、海棠尊の解説「藤田節子は、激情を透徹した物語に封じ込める。」7頁。8.5ポイント39字×19行×582頁=約431,262字、400字詰め原稿用紙で約1,079枚。上下巻に分けてちょうどいいぐらいの大容量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。敢えて言えば、菌による病気とウィルスによる病気の違いと、日本脳炎(→Wikipedia)ぐらいだが、いずれもお話を楽しむのに必要な所は作品内で説明してある。一般に菌は抗生物質が効くが、ウィルスには効かない。そのため、ウィルス性の病気は、予めワクチンを接種して防ぐのが最も効果が高い。

【感想は?】

 暑い季節に読むんじゃなかった。蚊が怖くなる。

 謎の疫病が、埼玉県の新興ベッドタウンで流行り始める、そういうお話だ。謎といっても、症状が日本脳炎(→Wikipedia)に似ているのがタチが悪い。

 突然のトラブルでも、かつて経験したトラブルに「似ていたら、昔の経験を生かして対応するだろうし、マニュアルに対処法が載っていたら、マニュアルに従って対処するだろう。人間は、そういう生き物だ。この作品の巧みなところは、謎の疫病の症状が、日本脳炎によく似ている点。

 かつて日本では日本脳炎が猛威を振るったが、ワクチンにより劇的に患者が減った。そのため若い医師は日本脳炎を診る機会が減り、経験を積む機会を失った。政府や行政はかつての成功があるので、同じ対処法を使おうとする。そして多くの国民は、日本脳炎の恐怖を忘れ、ワクチンの副作用だけに目が行く。

 これは多少の歴史がある現場で働く人なら、何度も経験している事だろう。たいていの現場には、素人から見ると、一見無駄手間に見えるアクションや工程がアチコチに入っている。鉄道の運転手や駅員が、発車の際、笑っちゃうぐらいオーバーなアクションでホームを確認したり。

 でも、アレはちゃんと意味があるのだ。わざとオーバーに手足を動かし、確認を徹底して、僅かでもミスが起きる可能性をなくしている。

 ただ、人間ってのは、起きた問題は印象に残るけど、巧く予防できたため起きなかった問題には気づかない。防げた列車事故は気づかないけど、駅員の変なアクションは目につく。そのため、「なんか特撮アクションみたいな事やってんなあ」などと、遊んでるみたいに感じてしまう。

 この作品で踊る駅員の役割を果たすのは、まずワクチンだ。ワクチンのお陰でインフルエンザの被害が出ずに済んでいるが、肝心の被害が目に見えないため、副作用の害ばかりが目に付く。だが、かつてのスペイン風邪(→Wikipedia)は、第一次世界大戦より多くの人間を殺した(「史上最悪のインフルエンザ」)。

 この問題は、ワクチンなしだと何人が死んで、ありだと何人が死ぬか、と計算すれば答えは出るんだが、そういう理屈通りにいかないのが世の中ってもんで。

「病気で死ぬのは、この際市民の責任だが、副反応で死んだら行政の責任なんだよ」

 ということで、この作品でスポットを浴びるのが、小役人。

 小西誠、20代の地方公務員。正職員ではあるが、コネがないためか出先の保健センターに回され、パートのおばさんたちに小突き回される毎日。立場としちゃおばさんより上の筈だが、現場の経験はおばさんたちの方が遥かに豊かだし、数でも負けてる。わはは。最近じゃ民間企業でもありがちだよね。

 この小西、若いわりに熱血でもなく、とことん小役人なのがいい。といってもチンケな権力を振りかざしてデカいツラするわけではなく、その場その場で丸く収めようとする今風の若者。上司にはドヤされ、パートのおばさんには突き上げをくらい、住民からは苦情の嵐。けっこう悲惨な立場なんだが、どうにも同情できないのは、やっぱり小役人根性のせいかw

 そんな小西を突き上げるおばさんが、看護師の堂本房代。亭主の定年退職に伴い現役復帰した、ベテラン看護師だ。だいたい看護師ってのは豪快な人が多く、特にベテランは肝が据わってる。彼女も御多分に漏れず大胆な行動力と強引な統率力で小西をひきまわし、かと思えばベテランらしい細やかな気遣いも披露する。

 一種の医療サスペンスだが、この作品の特徴は、主な視点が医師ではなく、現場の小役人と看護師である点。疫病の正体や感染経路など、医学・疫学的なネタもキチンと書いているものの、描写の多くは、その対応に追われる役所や、医療の現場で働く看護師に費やされる。

 実際、日本で感染症が流行ったら、ワクチンや医師や会場の手配など、小役人の仕事は山ほどある。民間企業で働く者にとって役人は煙たい奴らだし、住民の目で見れば融通の利かない頭の固い連中だが、イザって時には頑張ってもらわにゃ困る人だったり。

 マニュアル化って点じゃお役所は相当に進んでいるようで、小西が四角四面な書類仕事に右往左往する場面は「ざまあw」とか思いつつも、お偉方のハンコを貰うためだけに駆けずり回る所では、ちょっと同情しちゃったり。いるんだよね、とにかく一言ケチつけないと収まらないジジィって。

 など行政の事情を語る小西と堂本に対し、民間を代弁するのが岡島薬品の御用聞き、森沢。御用聞きったって、馬鹿にしちゃいけない。営業としての図々しさも大したもんだが、医学や薬剤の知識も相当なもの。あまし印象のいいキャラじゃないけど、IT系の技術者は「ウチの営業もこれぐらい専門知識があれば…」と羨ましく思うだろう。

 彼が語る製薬会社のワクチン製造・販売の事情も、なかなか難しい。一般に薬は異様に原価率が低くて、単にそこだけ見るとボロ儲けみたく思えるけど、それなりに事情はあるらしい。「新薬誕生」によると、新薬の開発費がバカ高い上に打率が低いので、そうしないと採算が採れないとか。しかもワクチンには別の事情もあって…

 などの他、素人から見た「専門家」の鼻持ちならない部分も体現してたり。

「業界じゃだれだって知ってますよ。別に価値ある情報でもないから、大騒ぎしないだけで」

 こういうのも、何らかの業界に長く勤めて経験を積んだ人なら、何回か経験してるはず。最初は驚くけど、次第に慣れて自分の中ではソレが常識になっちゃう。そこで世間が騒ぐと、「何を今さら」とか思ったり。

 加えて、パニック発生時の住民の対応が、これまた実に嫌な感じにリアルなのがたまんない。新興住宅地だけあって、古くからの住民と新しい住民の軋轢があったり、商売によって流行り廃りがあったり、噂に尾ひれがついて収集がつかなくなったり。噂に関しちゃ、今はネットがある分、余計にタチが悪くなってるなあ。

 などと、「あるある」と身につまされる場面もあれば、「そうだったのか」と小役人に同情する場面もあり、また役所の階級感覚にムカついたりと、読み手の気分は頁をめくるたびに揺さぶられる優れた娯楽作ながら、民間療法の問題点など社会問題もドッサリ盛り込んだ、ゴージャスな作品だった。

 でもやっぱり、夏に読むのはお勧めしない。マジで蚊が怖くなり、引きこもりがちになりそう。

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2016年8月10日 (水)

ブライアン・フェイガン「人類と家畜の世界史」河出書房新社 東郷えりか訳

動物が、そして彼らと人間のかかわりが、いかに歴史を変えてきたかを、本書は描いている。
  ――序文

彼らはユーフラテス川を地中海と結びつけ、ティグリス川上流をトルコ中部とつなぎ、エジプトの地理的・文化的孤立を静かになし崩しにし、遠征軍の食料を運んだ。これ以上に強力なグローバル化の道具は想像がつかない。
  ――第9章 古代のピックアップ・トラック

馬援(→Wikipedia)「馬は軍事力の根幹であり、国家の最大の資源である」
  ――第12章 天子の廃位

1825年には、ロンドンのパーソロミューの市に少なくとも三つの見世物がでた。ネコ科の大型獣を集めた展示では、見物客が犬か猫を連れてくれば入場無料扱いにさえした。持ち込んだ動物がライオンに食われるところを眺められたのだ。
  ――第18章 殺し、見世物にし、愛する

【どんな本?】

 番犬として家を守ってくれる犬。温かいウールのセーターをもらたす羊。ハムやベーコンの元になる豚。牛乳やチーズを与えてくれる牛。大モンゴル帝国を支えた馬。砂漠の船として隊商を運んだ羊。

 彼らは、いつ、どこで、人間たちと共に暮らし始めたのか。彼らと共に暮らすことで、人間の社会はどう変わったのか。そして、時代や社会の変化とともに、彼らと人間の関係は、どう変わってきたのか。

 文明の中で欠かせない要素である家畜にスポットをあて、彼らと人間の関係、彼らが文明に与えた影響を描き、人間と動物の関わり方を考え直す、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Intimate Bond : How Animals Shaped Human History, by Brian Fagan, 2015。日本語版は2016年1月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約314頁。9ポイント46字×19行×314頁=約274,436字、400字詰め原稿用紙で約687枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。歴史上の有名な文明や地名がしょっちゅう出てくるが、たいていは素人向けに背景事情の解説がついているので、歴史に疎い人でも困らないだろう。

【構成は?】

 第1部と第2部は犬、第3部はヤギ・羊・豚・牛、第4部はロバ、第5部は馬、第6部はラクダを扱い、第7部では産業化にともなう動物と人間の関わり方の大きな変化を扱う。それぞれ比較的に独立しているので、気になる所だけを拾い読みしてもいい。

  • 序文/著者註/地図
  • 第1部 狩人と狩られる獣
    • 第1章 協力関係
  • 第2部 オオカミと人間
    • 第2章 好奇心の強い獣とオオカミイヌ
    • 第3章 大切な相棒
  • 第3部 最初の農業革命
    • 第4章 農地への最初の定住
    • 第5章 人間の営みが作る景観
    • 第6章 オーロックスの囲い込み
    • 第7章 「暴れる野牛」
  • 第4部 ロバはいかにグローバル化を始めたか
    • 第8章 「普通の者たち」
    • 第9章 古代のピックアップ・トラック
  • 第5部 皇帝たちを打倒した動物たち
    • 第10章 馬を馴らす
    • 第11章 調馬師の遺産
    • 第12章 天子の廃位
  • 第6部 砂漠の船
    • 第13章 「神が考案した動物」
  • 第7部 「温和、忍耐、持久力」
    • 第14章 獣を支配しているのか
    • 第15章 「口のきけない愚かな動物の地獄」
    • 第16章 軍の狂気の犠牲者たち
    • 第17章 不可欠な存在への虐待
    • 第18章 殺し、見世物にし、愛する
  • 謝辞/訳者あとがき/原註

【感想は?】

 童謡「メリーさんのひつじ(→Wikipedia)」が、ちょっと切なく思えてくる。

 あの歌には子羊の名前が出てこないけど、きっとメリーさんは名前をつけていたと思う。メリーさんと子羊は、そういう関係のはず。子羊はメリーさんが好きなだけでなく、メリーさんと一緒にいると安心するのだ。

羊は群れることを非常に好み、密接な関係を築くことに慣れている。羊は群れの仲間の近くにいることが多く、ほかの羊から隔離して一匹だけにすると、ストレスを感じることがある。

 子羊にとってメリーさんは群れの大事な仲間で、だから一緒にいないと不安になるのだ。もっとも、こういう群れたがる性質はヤギや牛や馬も同じで、家畜になるのは、たいていが群れで暮らす動物だ。

 それぞれの動物が、どう家畜化されたかについては、今でもよくわかっていないようだ。それぞれについて、想像と断りながらも、一つの物語を語ってゆく。たいていは群れからはぐれた子を、人間が育て始める形だ。やはり幼いうちから人間に慣らすのが大事なんだろう。

 共に暮らし始めると、オオカミから犬に、イノシシから豚に変わるように、動物たちは変わってゆく。だけでなく、人間も変わり始める。どころか、文明社会への大きな転換点をもたらした、と著者は述べる。

 狩猟生活だと、仕留めた獲物はみんなのものだ。ヒトの集団内に格差はなく、みな平等だった。だが、ヤギや豚や羊などは「所有され、世話をされ、子供や親戚に受け渡された」。地位や名誉などの見えないものではなく、目に見える財産として相続されるものになり、「相続、放牧権、それに所有権の問題が生じてきたのだ」。

 家畜を飼い始めることで、ヒトの社会に生まれながらの格差や、財産権など所有の概念がハッキリと姿を現した事になる。良しあしはともかく、ヒトが現代の文明にたどり着くためには、家畜が必要不可欠だったらしい。

 本書が扱うのは、犬・ヤギ・羊・豚・牛・ロバ・馬・ラクダだ。この中で、現代人にとって最も影が薄いのがロバだろう。ラクダも馴染みはないが、特異な風貌と性質でキャラはビンビンに立っており、印象に残りやすい。ちなみに私はラクダに乗ったことがあります(←どうでもいい)。

 が、しかし。古代から現代に至るまで、ロバの働きには頭が下がる。この記事冒頭の二番目の引用の「彼ら」は、ロバを示す。古代メソポタミアから地中海の繁栄は、ロバの背にかかっていたと言っていい。彼らの主な役割は、荷運びだ。しかも、凄まじく頑丈だ。

ロバは体温が変化し易く、乾燥化への耐久性にも優れていて、二、三日に一度しか水を飲まなくても耐えるように訓練すらできた。

 加えて、隊商では「約75キロ分の荷を運び」「一日に約24キロを進んだ」。だいたい大人の男一人分ぐらいの重さだろう。たいへんな力持ちだ。そうやって青銅の原料になる錫を、ウズベキスタンからメソポタミアやエジプトへ運び、古代の青銅文明を支えたわけだ。

 現代でも、「2001年にアメリカの特殊部隊は、アフガンの北部同盟の兵士とともにロバを使って戦った」。この様子は「ホース・ソルジャー」に詳しい。だけでなく、米軍は「駄獣の利用」としてマニュアル化してるそうな。

 にも拘わらず、私たちが持つロバの印象は芳しくない。それは馬がカッコよすぎるためだろう。ロバが北アフリカの乾燥地の出身なのに対し、馬は寒冷な中央アジア出身。

何よりもステップの動物であり、長く厳しい冬に慣れていた。その丈夫な蹄のおかげで、雪をかき分けて食べ物を探し、氷を割って水を飲めたため、氷点下の寒さでも生き延びることができた。

 そうか。馬は寒冷地仕様だったのか。そんな馬を慣らしたステップの民は、長大な機動力を手に入れる。あなたが初めて自転車に乗れるようになった時、バイクや自動車を手に入れた時を思い起こしてほしい。機動力は世界を広げる。同様に、馬はステップの民の世界を広げてゆく。

有力者や一族の指導者は何十キロはおろか、何百キロも離れた相手と個人的なつながりを保ち、いざとなれば協力し合うことが可能となった。

 と、物理的に広い地域を版図に組み入れるだけでなく、ヒトの集団そのものも大きくすることができたわけ。やがて馬は二輪戦車をひいいて王家の栄光を体現し、騎兵として軍の花形に収まり…とカッコいいばかりでなく、農村では重い荷物を運んだり犂をひいたり。

 とコキ使われはしても、それらの馬にも、名前はついていたんだろうなあ、と思う。この名前ってのが大事で、ヒトと動物の関係を表すものだからだ。どんな獣も、家畜化した最初の頃は…

所有者は少数の動物と気心の通じた関係を楽しんでおり、おそらくその多くには名前をつけ、それぞれを見分けていただろう。

 と、相手を「個性のある生き物」と、人間は思っていた。ところが産業化が進むと、動物を大量消費するようになる。鉄道の発達により都市化が進むと、「都市の馬の個体数は急激に増え」るから面白い。駅までは貨車が運ぶが、そこから先は馬車の出番になるわけ。

 荷駄はともかく、牛や豚などは大量に「生産」されて加工されてゆく。こうなったら、いちいち名前などつけていられない。かと思えば、ペットとして可愛がられる犬や猫もいる。などと、現代は人間と動物の関係が、家畜を飼い始めたのと同じぐらい、大きく変わりつつある時代になっている。

 などの人間とのかかわりが主なテーマだが、加えて「個々のオオカミは臆病で、友好的ですらあるほか、非常に好奇心が強い」など、それぞれの動物の意外な性質が分かるのもよかった。田舎に広い土地を買ってロバか羊を飼いたくなる、動物好きにはとても危険な本。

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2016年8月 8日 (月)

アン・レッキー「亡霊星域」創元SF文庫 赤尾秀子訳

わたしはかつて艦船だった。巨大な兵員母艦と数多の属躰を制御するAIだ。個々の属躰は人間の肉体を持ちながら、同時にわたしの一部でもあった。

「人は正義というとき、単純でわかりきったこと、礼節にふさわしい行為のようにいう」

「あなたはその椅子からながめて、重要でないと思うものを片端から無視できる。しかしそれらは、何が重要かは、すわる椅子によって違うのではないか?」

【どんな本?】

 デビュー作「叛逆航路」でネビュラ賞・ヒューゴー賞・ローカス賞など主要なSFの賞を一気にさらった驚異の新人アン・レッキーによる、叛逆航路に続く三部作の第二部。本作も2014年の英国SF協会賞と2015年のローカス賞SF長編部門に輝いている。

 人類が恒星間宇宙に広がった遠未来。数千の肉体を持つ独裁者アナーンダ・ミアナーイは、貪欲な軍事進出により支配域ラドチを広げた。統一されていたはずのミアナーイだが、複数の勢力に分かれ、争いが始まってしまう。ラドチ圏も密かに内戦状態となり、広大な宇宙を行き来するゲートの多くが破壊された。

 軍艦は自らの力でゲートを開けるが、民間船は据え付けのゲートで宇宙を行き来する。現在、アソエクと繋がるゲートも機能せず、人の往来も貿易も滞っている。

 かつて兵員母艦<トーレンの正義>のAIだったブレクは艦に加え数多の属躰を操っていた。属躰は人間の死体にチップを埋め込み、AIが操る兵士 だ。今のブレクは艦を持たず、一つの属躰だけの身となった。ブレクはミアナーイの命により、軍艦<カルルの慈(めぐみ)>に乗り込み、艦隊司令としてアソ エク星域に赴く。

 そこには、かつて<トーレンの正義>だったブレクが愛した副官オーンの妹も住んでおり…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Ancillary Sword, by Ann Leckie, 2014。文庫本で縦一段組み、本文約428頁に加え、大野万紀の解説6頁+用語解説第2集4頁。8ポイント42字×18行×428頁=約323,568字、400字詰め原稿用紙で約809枚。文庫本としては厚め。

 文章はこなれている。が、内容は、前巻ほどではないにせよ、やっぱり読みにくい。この読みにくさこそが、このシリーズの味でもある。お話は前の「叛逆航路」から直につながっており、アナーンダやセイヴァーデンなどの人物は詳しく紹介していないので、ここから読み始めるのは辛い。素直に「叛逆航路」から読もう。

 それと、世界設定がかなり込み入ってるので、できれば前巻の用語集も再録して欲しかった。

【感想は?】

 ここまで読んで、やっとブレクのキャラがイメージできるようになった。長門有希だ。文句あるか。

 もちろん、いろんな点で長門とは違う。長門と違い、ブレクには表情がある。ただし、ブレクの表情は、気持ちを表すものではない。単なるインターフェースだ。相手の感情を操るための道具に過ぎない。

 そう、長門とは違い、ブレクは「ヒトに感情がある」事をわかっている。ばかりではなく、巧みに操ることさえできる。また、ブレク自身も感情があるし、それを分かっている。というか、ブレク以外のAIにも感情がある。(宇宙)ステーションを管理するAIも、人間の好き嫌いがあるし、拗ねたりする。

 これが可愛いんだか怖いんだか。好かれていれば、黙ってこっちの意向を察してドアを自動で開けてくれたりするけど、嫌われたら…。うーん。

 みたいなこの世界の裏側も、かつてAIだったブレクだからこそ見えてくる。

 この「ブレクの視点による一人称」ってのが、この作品の欠かせない味で。かつては兵員母艦と数多くの属躰を同時に操った、強大な記憶力と演算能力を誇ったブレクだが、今は一つの属躰に閉じ込められた身。そのためかAIとしての能力は相応に削がれたものの、ヒトとしての感覚も身に着けつつある。

 おまけに部下のバイタル・データもリアルタイムで把握し、また筋肉のこわばりなど資格情報も加えて、データから相手の感情を推し量ってゆく。人は相手の表情や姿勢をパッと見た雰囲気で判断してるわけで、細かい唇の動きまで覚えてることは少ないけど、ブレクは逆の経路で推論するわけ。

 こういう「ヒトではない知性」になりきった感覚が、このシリーズの強烈な魅力。

 冒頭じゃドアの開け閉めでステーションのAIにも感情がある事を読者に伝えたこの巻、終盤ではAIの気持ちの複雑さが物語の展開に重要な役割を果たす。

 ラドチ社会は性別があいまいで、三人称はすべて「彼女」だ。お陰で、世界観に性別意識が深く根付いている大半の読者は、グリングリンと脳みそをシェイクされる。この巻では、加えて、艦やステーションなどを管理するAIにも「気持ち」があると何度も気づかされ、世界観をひっくり返される。これぞSFならではのセンス・オブ・ワンダー。

 もう一つ、この巻で重要な役割を担っているのが、若き新任士官のティサルワット。

 17歳だから、軍に入って最初の任務だろう。そんな真っさらな新人が、初めての任務で、遠大なキャリアと緻密な思考能力、そして水も漏らさぬ監視網を兼ね備えた完璧な上司の、直属の部下になる。

 もっとも、ティサルワット自身は、ブレクの正体も経歴も知らないんだけど。そんなわけで、ティサルワットを、ブレクは最初の航海から、見事に手のひらの上で躍らせながら、ビシビシと鍛え上げてゆく。

 いい上司では、あるんだ。理不尽なシゴキっぽい真似もするけど、ちゃんとティサルワットを士官として育てようとする配慮と計算があってのことだし、その狙いはキッチリと当たる。損得で考えりゃ、そりゃ得だけど、思うがままに操られるってのは、あましいい気分じゃないよなあ。もっとも、ティサルワットにも、ソレナリの事情があるんだけど。

 対して、先任士官のセイヴァ-デンは、実に悠々たるもの。これは彼女の性格によるものか、今までの因縁によるものか。もともとが図々しい人だったんで、性格が大きいんだろうなあ。お陰でたたき上げ士官のエカルの影が薄くなってしまった。報われない苦労人です。

 ラドチの軍は、もともと人間の士官に属躰の兵が従う組織だった。今は艦により兵は属躰だったり人間だったり。<カルルの慈>の兵は人間だけど、従来の習慣に従い、兵は名前でなく記号で呼ばれる。

 お陰で、お話の中で最初は兵の性格が見えにくいんだけど、次第にそれぞれのキャラが立ってくるあたりも、面白い工夫だろう。この巻ではカルル5君の奮闘に注目。有能だが気難しく底が読めない上司に仕える羽目になりながらも、スキを見ては己の趣味と職業意識を発揮しようとするカルル5の拘りが可愛い。彼女はオタクの鑑だ。

 ってなデコボコ・チームが、ワケありっぽいアソ エク星域で、どんな騒動に巻き込まれ、どう変わってゆくか。

 文体はクールだし、お話は様々な想いや陰謀が渦巻くややこしい筋書きだし、植民地支配への批判みたいな政治色もあり、ジェンダー問題を問いかける側面もあるが、加えてスポ根みたいな「チームが出来上がってゆくお話」としても楽しめる、読者によって色々な味わい方ができる作品だった。

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2016年8月 5日 (金)

アーサー・オードヒューム「永久運動の夢」ちくま学芸文庫 高田紀代志・中島秀人訳

奇妙なことに、詐欺に手を染めた人の多くは、最初は自分で動く力を見つけようとする真っ当な試みとして始めたのであった。
  ――はじめに

一人だけ例外として、本当に動く永久機関を作った男がいた。彼の名はジェームズ・コックスといい、ロンドンで生業を営んでいた。
  ――第7章 コックスの永久運動

 多くの場合に発明家が自分の機械にブレーキ・システムを定めているのは、自らの頭脳の産物に対する疑うことのない信念と信頼を示している。(略)それらのブレーキは、機関の速度が危険なほどまで増加することを防ぎ、停止させるためのものなのである!
  ――第13章 永久運動発明家、特許局から締め出される

クリフォード・ヒックス「こうした装置が運よく調べられたということはこれまで一度もなかった。これからも決してない。これも物理法則といっていい」
  ――第13章 永久運動発明家、特許局から締め出される

【どんな本?】

 私たちは、永久機関が無理だと知っている。だが、エネルギー保存則が基本法則として知られるまで、いや知られた後も、多くの知識人・職人そして事業家たちが、永久機関を考え、作ってきた。本気で可能だと信じた者もいるし、詐欺でカネを集めた者もいた。

 どのような者たちが、どのようなアイデアで、どんな永久機関を思い描き、作り、または発表してきたのか。豊富なイラストや写真で彼らの作品を紹介し、またそれが発表された過程や結末を描く、少し変わった工学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Perpetual Motion : The History of an Obsession, by A. W. J . G. Old-Hume, 1977。日本語版は1987年4月20日に朝日新聞社より刊行。私が読んだのはちくま学芸文庫版で、2014年1月10日に第一刷発行。文庫本で横一段組み、本文約347頁。8.5ポイント26字×25行×347頁=約225,550字、400字詰め原稿用紙で約564枚。文庫本では標準的な一冊分だが、イラストや写真を豊富に収録しているので、実際の文字数は8~9割ぐらい。

 文章は少し硬い。内容はそれほど難しくないし、専門的な科学知識も要らない。中学生程度の理科の素養があれば充分だろう。機械のイラストから発明家が望んだ動きを思い浮かべるには、少し時間がかかる物が多く、「なぜ巧く動かないのか」を納得するには、更に多くの時間が必要だったりする。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • はじめに
  • ちくま学芸文庫版への序文
  • 序章
  • 第1章 永久運動とは何か
  • 第2章 初等物理学と永久運動
  • 第3章 中世の永久運動
  • 第4章 自己回転輪と非平衡錘
  • 第5章 磁石、電磁気、蒸気
  • 第6章 毛細管現象と海綿車
  • 第7章 コックスの永久運動
  • 第8章 レドヘッファーの永久運動
  • 第9章 キリーと驚異のモーター
  • 第10章 気化や液化についての妙案
  • 第11章 驚くべきガラべド計画
  • 第12章 鳴り続く鐘とラジウム永久運動
  • 第13章 永久運動発明家、特許局から締め出される
  • 第14章 転がる球の時計
  • 第15章 永久ランプ
  • 第16章 哲学的永久運動と原子エネルギー
  • 第17章 永久運動発明家の永久性
  • 第18章 まとめ
  • 訳者あとがき/文庫版訳者あとがき
  • 参考文献/人名索引

【感想は?】

 バグっちゃったハッカーの墓碑銘。

 後半になるとペテン師が増えてくるが、前半は真面目に永久機関を考えた人たちの話が多い。違いは絵を見ればスグに分かる。真面目に考えたモノは仕組みが丸裸で見えるんだが、ペテン師のは隠された部分が多い。

 西洋で産業革命が起きた理由の一つに、パン食がある。米は簡単に脱穀できるが、小麦は難しい。そこで挽いて粉にする必要がある。欧州の川は流れが豊かで安定しているので、粉を挽く水車が生まれる。この過程で、歯車・カム・クランクなどの機械工学が発達した。産業革命は、つまり動力が水力から蒸気に変わっただけってわけ。

 そういう背景があるためか、「製粉業を営む人は、動力がタダだという幻想にまどわされやすい」。製粉業者の需要が多かったし、彼らは川から動力を貰ってたため、ソレがタダだと思い込みやすかったんだろう。

 とまれ、水車を動かすには川が要る。これは少々不便で、もっと場所を自由に選びたい。要は水が流れりゃいいんだろ、って事で永遠に水が流れ続けるマシンを考え始める。落ちる水で水車を動かすのは既に出来てる。後は水を持ち上げる機構があれば…と文献を漁ったら、おお、あった!アルキメデスのらせん(→Wikipedia)だ。

 ってんで、水車でアルキメデスのらせんを動かすマシンが、幾つも出てくる。最初は水車1にらせん1だったのが、「どうもらせんを回す動力が足りない」と気づいたのか、水車が2個になり3個になり…と増えて行くが、いずれにせよ動かない。

 少しでも力学を齧ってれば「落ちる水が持ち上げられる水の量は、せいぜい同じ量が限界、実際は摩擦やロスでエネルギーが無駄になり云々」と見当がつくんだが、それは近代以降の力学を知っているから。エネルギー保存則なんて知られてなかった時代じゃ、勘違いしちゃうのも無理はない。

 などと言ってはいるものの。やはり絵の力は大きくて、思わず騙されそうになるモノもある。これは人によるんだろうけど、私は重しを使ったタイプ(→Wikipedia)に弱くて、こういう絵を見ると、「なんか動きそう」と感じてしまう。

 最初から「まがいものばっかりですよ」と宣言してる本なんだけど、こういう騙されそうになるモノが出てくると、「読んでよかった」と感じちゃうってのは、なんでだろw

 時代によって主なトリックは変わっていくようで、電気が登場すると、やはり出ました電気力発電。モーターで発電機を回そうって発想で、「有能な電気機械技師によって実際に作られたものもいくつかある」って、途中で計算しなかったんだろうか。でもモーターの技師なら発電機について知らなかったって事もあるのかな?

 後半になると、舞台はアメリカが増え、同時にペテンも増えてくる。1873年から始まるジョン・W・キリーの手口は、現代のペテン起業家がソックリ真似してたり。

 まずは実験を公開する。「科学に心得のある有名な紳士」が仕掛けを見破れなかったため、彼の評判は上がっていく。ただし、見物人は「当の装置を調べることは許されなかった」。次に投資家を集め、「エーテル力」「水空気衝撃真空エンジン」「共感的平衡」「四重否定調和」「原子三重体」だのとソレっぽい言葉を並べ、投資を募る。

 なんか難しそうな造語を並べ立て、画期的な発明と銘打って金を出させるって手口は、現代日本でもアチコチで見かけるなあ。EM菌とかマイナスイオンとかタキオンとか。コンピュータ関係でも専門用語を並べ立てる手合いは多いんだけど、こっちはペテン師と単なる専門馬鹿が混じってるから厄介だったり。

 本書も、ペテンに混じって本物が出てくる。

 ジェームズ・コックスは、1760年代に精巧な時計を作った。宝石軸受けを使って摩擦を減らし、ガラスの枠に収めて埃を防ぐ。徹底してエネルギー損失を減らそうと工夫を凝らしてる。これは決してインチキではなく、ちゃんと動力を外から貰ってるんだが、放っておくだけで自動的に供給してもらえるのだ。

 彼の工夫はとても賢い上に、部品には大変な精度が必要なシロモノなので、あまり実用的ではないけど、工芸品としては見事だし、大元にあるアイデアは色々と応用できそうな気がする。残念ながら取り出せるエネルギーは極めて小さいんで、夢のエネルギー源にはならないけど。

 終盤になると、本当に使えそうなモノが登場してきて、未来に夢が持てたり。ったって、ボルタ電池(→Wikipedia)とかラジウム永久機関とか水飲み鳥(→Wikipedia)とか、聞けば「あ、そう」で終わっちゃうモノなんだけど、この本の流れの中で出てくると、何かに使えないかな、などと考えこんじゃったり。

 そして最後にドカンと出ました高速増殖炉(→Wikipedia)。この本を読むと、本当に夢のエネルギーみたいな気がしてくるから困るんだよなあ。原理はいいんだよね。でも実際に作ろうとすると、工学的な問題が山ほど出てくるんだよなあ。

 などと読み終わってから気が付いたんだけど、ラリイ・ニーヴンのSF小説によく出てくるバサード・ラムジェット(→Wikipedia)宇宙船も、一種の永久機関だった。

 ペテンも面白かったけど、最も気を惹かれたのは、ジェームズ・コックスの永久時計。取り出せるエネルギーの総量こそ小さいんだけど、根っこにあるアイデアは妄想を刺激しまくり。この妄想に憑かれたら人生を棒に振りそうな気がする、危険な本だった。

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2016年8月 3日 (水)

矢野徹「折紙宇宙船の伝説」早川書房

〽しらーぬ えもんとにげそうろ
 ながれながれて おいそうろ

【どんな本?】

 翻訳家として数々の名作SFを日本に紹介し、黎明期の日本SF界を牽引した矢野徹による、幻想的な長編SF小説。

 その村は山の奥深くにあった。狂った美しい女のお仙は、深い霧の中、よく飛ぶ折紙の飛行機を飛ばす。見た目は若々しいが、歳は見当もつかない。夏は裸で冬は浴衣一枚のお仙に、村の男はみな一度は世話になっている。そんなお仙の腹が膨らみはじめ、男の子を産んだ。衛門と名付けられた子供は、不思議な力を持っていて…

 山奥を舞台に繰り広げられる土俗の色濃い日本の風景、著者の従軍経験、内外の傑作SFのエッセンス、そしてエロチックな描写をたっぷりと詰めこんだ、矢野徹の最高傑作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1978年5月31日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本部約361頁。紙の本なら単行本に加え角川文庫とハヤカワ文庫JAがあるが、今は古本屋か図書館でないと手に入りそうにない。最も手に入れやすいのは電子書籍で、Kindle 版と XMDF 版が出ている。

 9ポイント44字×20行×361頁=約317,680字、400字詰め原稿用紙で約795枚。文庫本ならやや厚めの一冊分ぐらい。文章はこなれている。内容もわかりやすい。SFが珍しかった頃に書かれた作品でもあり、SFっぽい仕掛けの説明や描写は、クドいぐらい親切なので、SF初心者にもお勧めできる。

 敢えて言えば、舞台が昭和30年代あたりのため、若い人にはピンとこない風俗がよく出てくるのと、男性向けのサービスシーンが多いので、好みが分かれるかも。ちなみに著者は巨乳派です。

【感想は?】

 間違いなく矢野徹の最高傑作。

 物語は、山奥の村から始まる。霧が立ち込める竹藪の中を、いつまでも飛び続ける紙飛行機。それを追いかける、裸の美しい狂った女、お仙。そして村に伝わる不思議な唄。

 いわくありげな村だが、そこに住む人は別に浮世離れしているわけでもなく、適当に生臭くて適当に親切だ。ソッチの方は意外とお盛んであけっぴろげ。こういった所は、ハインラインの影響もあるんだろうが、この作品はあけっぴろげな分、変に力んだ感じはなく、娯楽の少ない土地で人生を楽しもうとする健全な雰囲気がある。

 とはいえ、全編を通してサービスシーンは盛りだくさん。出版当時の状況を考えると、ニューウェーヴに感化されたのか、敢えてタブーに挑むため、ワザとたくさん盛り込んだのかも。こういうあたりを読むと、「昔の日本も別に身持ちが良かったわけでもないんだな」と変に感心しちゃったり。

 と、日本の山奥を舞台に、伝説や狂った女を題材に、エロチックな場面をたっぷりと盛り込むあたりは、半村良が得意とする素材なんだが、半村良の持ち味である恨み節みたいなのは見事に欠けていて、その代わりにあるのは、生きて行こうとする強い意志と、はかなく消えてゆく時の流れへの悲しみ。

 やはり著者の経歴も巧く混ぜ込んでいて、語り手は軍の命で戦時中にその村に赴き、しばらく過ごした事になっている。戦後、語り手は再び村を訪れようとするのだが…。各章の合間に挟んだ「語り手」のパートが、両立しがたい物語のリアリティと幻想性を、同時に盛り上げているから見事。

 海外作品を数多く訳している著者だけあって、そういうネタもたっぷり仕込んである。私は「刺青の女」(元ネタはレイ・ブラッドベリの「刺青の男」)ぐらいしかわからなかったが、後半では実にわかりやすく元ネタをハッキリとアピールしてたり。そういえばスランも読みたいなあ。今でいうアホ毛だよね、あれ。

 などといった土俗的な描写ばかりでなく、やがて舞台は都会へと移ってゆくと共に、当時のSFらしいおおらかな仕掛けが登場してきて、どんどんスケールが大きくなっていくから楽しい。やっぱりSFはスケール感がなくちゃ。

 不思議な力を持つ衛門は、村を出て都会で暮らしい始める。そこで出会う様々な人々は、それぞれに様々な人生を歩み、それぞれの傷を抱え、それぞれの想いを抱いている。そんな人々が次第に集い始めると共に、物語はスリリングな方向に転がり始める。

 こちらの都会パートは、ファンタジックな村のパートと比べ、輪郭がクッキリとした、いかにも「サイエンス・フィクション」っぽい風味を利かせていて、鮮やかな対比をなしてたり。にしても頭山の爺さん、実験とはいえ無茶するなあw

 こっちのパートは完全に娯楽色に振り切り、多少のコミカルさを交えながら、大きなスケールを感じさせる物語が広がってゆく。アチコチに散りばめられた元ネタは、当時のSFや冒険物に詳しい人ほどニヤリとする仕掛け。マクロードとか、ほんと懐かしいし、ちゃっかりアッカーマン(→Wikipedia)なんてのも出てきたり。

 古の伝説の謎、秘密組織の陰謀、超能力バトル、独りでいることの耐えがたさ、悠久の時の流れなど、膨大なSFを読み込んだ著者らしく、SF定番の仕掛けやガジェットを盛大に盛り込みながらも、抜群の読みやすさと親しみやすさを保ち、生きてゆく者の強さと哀しみを柔らかな幻想味で包んだ、昭和のSFの傑作。

 昭和に青春を過ごしたベテランばかりでなく、「小難しい理屈は苦手で…」と言うSF初心者にこそ薦めたい。ただし男性向けなので、ママには内緒だぞ。

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2016年8月 2日 (火)

ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン「国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源 上・下」ハヤカワ文庫NF 鬼澤忍訳 2

法の支配とは、法を都合よく、あるいは好き勝手に適用してはならず、何人も法を超越しないという原則である。
  ――下巻 第一一章 好循環

ウッドロー・ウィルソン「独占企業が継続すれば、それはつねに政府の舵をとることになるだろう」
  ――下巻 第一一章 好循環

包括的な政治・経済制度がひとりでに出現することはない。それは経済成長と政治的変化に抵抗する既存のエリートと、彼らの政治的・経済的権力を制限したいと望む人々のあいだの、大規模な争いの結果であることが多い。
  ――下巻 第一一章 好循環

寡頭制の鉄則の核心であり、悪循環でもとくに目立つ一面は、劇的な変化を約束して旧体制を打倒した新しいリーダーは、何の変化ももたらさないということだ。
  ――下巻 第一二章 悪循環

サイモン・クズネッツ「世界には四種類の国がある。先進国、発展途上国、日本、アルゼンチンだ」
  ――下巻 第一三章 こんにち国家はなぜ衰退するのか

「テレビを支配しなければ、何もできない」
  ――第一五章 繁栄と貧困を理解する

 ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン「国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源 上・下」ハヤカワ文庫NF 鬼澤忍訳 1 から続く。

【著者の主張の要約】

 著者の主張をまとめると、こうなる。

  • 次の二条件を両方とも満たす国家は栄え、満たさない国家は衰える。
    • 制度が包括的である=収奪的ではない。
    • 中央政府が国土の隅々までを支配してる。
  • 国家の繁栄と衰退を決めるのは制度であり、制度だけだ。
    地形も気候も経済も産業も文化も人種も、関係ない。

 上の主張を、歴史上の国家から現代の国家まで、数多くの例をあげて裏付けたのが、この本だ。

 包括的って言葉がわかりにくいが、これは民主的に近い。国内の様々な勢力が権力を分かち合い、一つの勢力が独裁できない形だ。対する収奪的とは、絶対的な権力が君臨するものを示す。絶対王政や軍事政権、共産党独裁を思い浮かべればいい。

本書には書いていないが。多様な勢力が共存し、かつ中央政府が国土の全てを支配する国家形態を考えると、今の所は議会制民主主義に行きつくと思うんだが、それ以外の形はあるんだろうか?

【なぜ収奪的な国が衰えるのか】

 結論から言うと、進歩を受け入れようとしないからだ。

 収奪的と言うからわかりにくいが、独裁的とすればわかりやすい。ナンバーワンにとって、ナンバーツーが育ったら、寝首をかかれかねない。だから、自分以外の何者かが力をつけるのを阻む。ライバルが育ったら困るじゃないか。

 新しい産業の勃興は、同時に新しい勢力の台頭を意味する。そして新しい技術の導入は、新しい産業を興し、国内の力関係を変えてしまうだろう。そうなっては困る者が権力を握っているなら、権力者は新しい技術の導入を拒むだろう。

 現代の中国やロシアは、インターネットを制限している。同様の事が、歴史上にもあった。1445年のグーテンベルクの活版印刷も、全ての国がこぞって受け入れたわけじゃない。

早くも1485年には、オスマン帝国のスルタンであるバヤジット二世が、イスラム教徒を対象に、アラビア語の印刷物を作成してはならぬというお触れを出した。

 以降も権力者による妨害と厳しい検閲が続いた結果、「1800年、オスマン帝国の国民の識字率はわずか2,3%だった」。印刷以外の本と言えば手書きの写本だから、お値段も相当なもんだろう。触れられるのは一部のエリートに限られるんで、庶民が余計な知恵をつける心配はない。

対して日本じゃ木版による草双紙が流行ってた。幕府も民主的とは言えない上に、技術的にも木版は活版に比べたら手間暇がかかる。これは制度的には商工業階級の台頭を示すとともに、技術的な面も大きいんじゃなかろか。製紙(和紙)技術が発達し安く大量に紙を作れたので、印刷物の価格も庶民に手が届く程度に落ち着いた、とか。殖産興業の一環として製紙を奨励した藩もあっただろうし、幕府には制御できなかったのかも。

 これは権力者の都合だが、支配される側の都合もある。この本ではエチオピアの絶対王政が例として出てくる。

土地はすべて王のものだ。王は機嫌が良いときに気に入った相手に土地を与え、気分しだいでそれを取り上げる。(略)国民が所有する土地を二、三年ごとに皇帝が交換したり、改変したり、取り上げたりするのは、よくあることだ。

 こういう状態だと、国民もやる気をなくす。

ある者が土地を耕し、別の者が種をまき、また別の者が収穫するのも珍しいことではない。だから、土地の面倒を最後まで見ようとする者はいない。木を植えようとする者すらいない。木を植えたところで、果実を収穫できることはめったにないとわかっているからだ。

 そりゃそうだよね。つか、よくこれで国が持ったなあ…というか、持たなかったんだけど。持たなかった例として、もっと悲しいのがシエラレオネで、「軍部が政権を転覆するのを恐れて、すでに軍を弱体化していた」って、アホかい。と思うけど、反乱を恐れ軍を抑制するのは、ありがちな事らしい。

 というのも。例えば鳥居順の「イラン・イラク戦争」では、フセイン政権下イラク軍の陸軍と空軍の連携の悪さに触れている。これはフセインが軍の叛乱を恐れ、全ての指揮権を自分に集めたため。中東戦争でのエジプト軍も、反乱を恐れ大規模な演習の経験がなかった。

 実際、反乱が杞憂じゃないのは、シリア内戦が証明している。初期は陸軍兵の脱走と寝返りが多かった。指揮する将校はアラウィ派だが、前線で戦う兵はスンニ派が多いのだ。

 なお、シエラレオネ内戦については、P.W.シンガーの「子ども兵の戦争」や松本仁一の「カラシニコフ」が詳しい。かなりエグい記述が多いが、面白さは圧倒的だ。

【なぜ包括的な制度が栄えるのか】

 これについては、ほとんど「イングランド万歳」ってなエピソードが多い。

 様々な勢力が権力を分け合ってる状態だと、新しい技術や制度を受け入れやすいのだ。なんといっても、まず法の支配が確立する。これにより、所有権が確立する。って、なんか難しそうだよね、「法の支配」とか「所有権」とか。

 先のエチオピアの例だと。土地の所有権は、王の機嫌で変わった。これが法の支配となると、王といえども勝手に土地を与えたり取り上げたりできない。法が王より強いのだ。これにより、王の権限を抑え込める。

 所有権も似たようなものだ。いつ土地を取り上げられるかわからないんじゃ、木を植える気にはならない、どころか、耕すのだって嫌になる。でも、収穫時期まで確実に土地を持っていられるのなら、真面目に耕そうって気にもなる。道路や水路みたいなインフラだって整えたくなるだろうし、トラクター買おうかなって気もおきる。

 ここではイングランド議会が選挙権を拡大していった過程を中心に述べてるんだが、どうも収奪的な制度の話に比べると刺激に欠けるんだよなあ。たぶん大事な話なんだけどw

【悪循環】

 収奪的な制度の改善について、本書はかなり悲観的だ。

 革命で旧政権を倒しても、革命政権はやはり収奪的になるだけだろう、と。結局はナンバーツー不要論に陥ってしまうのだ。だって、自分が独裁者になった方が美味しいし。実際、エジプトは元に戻ったし、イラン革命もイスラム独裁制になったしなあ。チュニジアはなんとか頑張ってるけど。

 また、途上国への支援についても「あんまし意味ないよね」と厳しい。制度を変えない限り、権力者が甘い汁を吸うだけじゃん、と。じゃ、どうすりゃ制度が変わるのかっつーと、そこはムニャムニャなんだよなあ。

【おわりに】

 「制度がすべてだ」という主張は、ちと行きすぎな気もするけど、うなずける部分はいくつかある。それ以上に、歴史上や現代の様々なエピソードが面白い。ウィリアム・マクニールやジャレド・ダイアモンドが好きなら、楽しく読めると思う。

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【私も言いたい】

 読み終えると、著者にいろいろと反論したくなる。繰り返すが、著者の主張はこうだ。

  • 次の二条件を両方とも満たす国家は栄え、満たさない国家は衰える。
    • 制度が包括的である=収奪的ではない。
    • 中央政府が国土の隅々までを支配してる。
  • 国家の繁栄と衰退を決めるのは制度であり、制度だけだ。
    地形も気候も経済も産業も文化も人種も、関係ない。

 最初の主張、つまり包括的な中央集権国家が栄えるって理屈は、もっともだと思う。異論があるのは、次の項だ。「地形も気候も経済も産業も文化も人種も、関係ない」。いやこれ、文化と人種はともかく、地形と気候と経済と産業は、大いに関係あるんじゃないの?

 先のシエラレオネなんだが、あそこは、どうしても独裁的になりがちな経済構造なのだ。

 というのも。シエラレオネ経済は、地下資源、特にダイヤモンド鉱山に多くを負っている。鉱山さえ押さえれば経済を、ひいては国を支配できるのだ。だから支配者は鉱山までの道路は整備しても、他の道路は放置する。だって鉱山さえ押さえておけば、自分の地位は安泰なんだから。国民の生活なんか、どうでもいい。

 こういう産業構造だと、どうしても制度が独裁的になる。「何か一つを抑えれば国を支配できる」ような国では、包括的な制度が育ちにくい。クウェートも栄えちゃいるが、まずもって民主的にはならないだろう。仮に革命勢力が出てきても、アメリカが黙っちゃいない。石油を買えなくなったら、アメリカも困るからね。

 どころか油田のせいで国民が苦しんでる国だってある。ナイジェリアとスーダンだ。スーダンに至っては、内戦のあげくに国が分裂してしまった。

 気候も制度に影響を与える。「カナート イランの地下水路」を読むとわかるんだが、乾燥地帯での灌漑農業が主な土地では、水を支配する者が権力を握る。古代エジプトの王朝が絶対的な権力を握っていたのも、ナイルを支配していたからだ。まあ、結局は、何か一つを抑えれば国を支配できる国は、収奪的になりやすいって理屈に収まるんだけど。

 地形が重要な場合もある。これは北朝鮮と韓国がいい例だ。北朝鮮が貧しいのは収奪的な金王朝が支配しているからで、金王朝が居座れるのは中国とロシアの勢力圏内だからだ。これは単に韓国より北にあるからで、地理的な要因が国際情勢と絡み合い、制度が収奪的になったのだ。

 同じ事情で苦しんでるのが、キルギスだ。アハメド・ラシッドの「聖戦」によると、元は民主的な国だったのだが、周囲をロシアと中国の影響下にある国に抑えられ、収奪的な制度にするよう圧力がかかっている。アメリカが救いに行こうにも、内陸国なんで手を出しにくい。

 これはチェチェンも似たような事情がある。海に面していないので、アメリカは軍事的な圧力を加えにくい。ロシアによる虐殺を見逃しているのも、地理的・軍事的な事情が影響している。そういえば、第二次世界大戦時のポーランドも、似た事情で見捨てられたんだよなあ。

 そんなわけで。「制度こそがキモだ」って著者の主張には同意するけど、その制度には地形や気候や経済や産業が大きく影響してる場合もあるんじゃないの、と思うのだ。

 まあ朝鮮やキルギスみたいな、軍事的な勢力圏の端にある国は、歴史的なスケールだと短い期間で変わっていくけど、ナイジェリアやシエラレオネみたいな地下資源による経済と産業の構造は変わりにくいんで、よほど巧く他の産業を育てて権力を多元化しないと、難しいんじゃないかなあ。

 じゃいろんな産業が育って、様々な経済資本が育てば民主化するのかというと、「中国とロシアはどうなのよ」と言われたら反論できない。ここは笑ってごまかそう。わはは←をい

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2016年8月 1日 (月)

ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン「国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源 上・下」ハヤカワ文庫NF 鬼澤忍訳 1

 本書のテーマは、この世界の裕福な国々(アメリカ合衆国、イギリス、ドイツなど)と貧しい国々(サハラ以南のアフリカ、中央アメリカ、南アジアなどの国々)とを隔てる、収入と生活水準の巨大な格差である。
  ――上巻 序文

 本書が示すのは、ある国が貧しいか裕福かを決めるのに重要な役割を果たすのは経済制度だが、国がどんな経済制度を持つかを決めるのは政治と政治制度だということだ。
  ――上巻 第一章 こんなに近いのに、こんなに違う

権力を握るグループは往々にして、経済の発展にも繁栄の原動力にも抵抗するのである。
  ――上巻 第三章 繁栄と貧困の形成過程

収奪的制度のもとでの成長は、包括的制度によって生じる成長とはまったく異なる。最も重要なのは、それが技術の変化を必要とする持続的な成長ではなく、既存の技術を基にした成長だということだ。
  ――上巻 第五章 「私は未来を見た。うまくいっている未来を」 収奪的制度のもとでの成長

フリードリヒ・フォン・ゲンツ「われわれは大衆が豊かになって独立心を養うことを望んでいない――そうなったら、彼らを支配できないではないか」
  ――上巻 第八章 縄張りを守れ 発展の障壁

【どんな本?】

 本書はアメリカとメキシコの国境の町、ノガレスで始まる。国境はフェンスで区切られていて、その両側に町が広がっている。アメリカ側の道路は綺麗に舗装され、鉄筋コンクリートの住宅やオフィスが並んでいるのに対し、メキシコ側は未舗装の道路の横にトタン板のバラックがまばらに建っているだけ。

 なぜこんなに差が出るのか。答えは簡単だ。一方はアメリカで、もう一方はメキシコだからだ。では、アメリカとメキシコで、なぜこんなに大きな差が出るんだろう?

 ローマ帝国の衰亡・イギリスの産業革命・アラブやアフリカや南アメリカの停滞・ソビエト連邦の成長と破滅・ボツワナの奇跡など、歴史から現代の各国に至る豊富な例を紐解きながら、国家の繁栄と成長のカギを握る原因を探り、繁栄に至る道を探る、一般向けの啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Why Nations Fail : The Origins of Power, Prosperity, and Poverty, by Daron Acemoglu & James A. Robinson, 2012。日本語版は2013年に早川書房より単行本で刊行。私が読んだのは2016年5月25日発行のハヤカワ文庫NF版。

 文庫本で縦一段組みの上下巻、本文約365頁+310頁=675頁に加え、稲葉振一郎による解説「なぜ『制度』は成長にとって重要なのか」15頁+付録「著者と解説者の質疑応答」7頁。9ポイント41字×18行×(365頁+310頁)=約498,150字、400字詰め原稿用紙で約1,246枚。上下巻としてはちょい厚め。

 文章は比較的にこなれている。内容も意外と難しくない。歴史や現在の各国の例が多く出てくるが、たいていは経緯や結果を詳しく書いてあるので、歴史や国際情勢に疎くても充分に読みこなせる。

【構成は?】

 各章は比較的に独立している。というか、全般同じテーマを繰り返し述べているだけだ。なので、極論すると、序文~第一章を読んだら、後は美味しそうな所だけを拾い読みしても、著者の主張は充分に伝わるだろう。

 上巻
序文
エジプト人がホスニ・ムバラクを打倒すべくタハリール広場を埋め尽くしたのはなぜか、またそれは、繁栄と貧困の原因をめぐるわれわれの理解にとって何を意味するのか。
第一章 こんなに近いのに、こんなに違う
アリゾナ州ノガレスとソノラ州ノガレスは、人も、文化も、地勢も同じだ。それなのに、一方が裕福で一方が貧しいのはなぜだろうか。
第二章 役に立たない理論
貧しい国々が貧しいのは、地理や文化のせいではないし、国民を豊かにする政策を指導者が知らないためでもない。
第三章 繁栄と貧困の形成過程
いかにして、制度から生じるインセンティヴによって繁栄と貧困が決まるのか。また、いかにして、国家がどんな制度を持つかが政治を通じて決まるのか。
第四章 小さな相違と決定的な岐路 歴史の重み
政治的対立を通じて制度はいかに変化するか、過去はいかにして現在を形成するか。
第五章 「私は未来を見た。うまくいっている未来を」 収奪的制度のもとでの成長
スターリン、シャーム王、新石器革命、マヤ族の都市国家のすべてに共通するものは何か。そしてそれは、中国の目下の経済成長が長続きしない理由をどう説明するか。
第六章 乖離
制度は時とともにいかに発展し、往々にしてゆっくりと乖離していくのか。
第七章 転換点
1688年の政治改革はイングランドの政治制度をいかに変え、産業革命に結びついたのか。
第八章 縄張りを守れ 発展の障壁
多くの国で政治力を持つ人々が産業革命に反対したのはなぜか。
文献の解説と出典/索引
 下巻
第九章 後退する発展
ヨーロッパの植民地主義は、いかにして世界の多くの地域を貧困に陥れたか。
第一〇章 繁栄の広がり
世界の一部の地域は、いかにしてイギリスとは異なる道筋で繁栄に至ったのか。
第一一章 好循環
繁栄を生み出す制度は、いかにしてエリート層の妨害を避ける正のフィードバック・ループを作って持続するのか。
第一二章 悪循環
貧困を生む制度は、いかにして負のフィードバック・ループをつくって持続するのか。
第一三章 こんにち国家はなぜ衰退するのか
制度、制度、制度。
第一四章 旧弊を打破する
いくつかの国家は、いかにして制度を変えることによってみずからの経済的軌道を変更したか。
第一五章 繁栄と貧困を理解する
世界はいかにして異なるものになったのか。それを理解すれば、貧困と闘おうとするほとんどの試みが失敗してきた理由を説明できる。
謝辞
解説 なぜ「制度」は成長にとって重要なのか 稲葉振一郎
付録 著者と解説者の質疑応答
文献の解説と出典/参考文献/索引

【感想は?】

 本書の冒頭はノガレスだが、これはアメリカ人向けの本だからだろう。

 日本人には、この写真(→Wall Street Journal)の方がわかりやすい。夜の朝鮮半島を映した、NASA の衛星写真だ。韓国は血管のように光の筋が走り、アチコチに大きな輝点があるのに対し、北朝鮮は真っ黒。

 何がこの違いをもたらしたのか。韓国と北朝鮮は隣同士だ。地理的にも気候的にも大きな違いはない。だから、自然条件ではない。両国とも同じ朝鮮民族の国だ。だから、遺伝的な違いでもない。第二次世界大戦が終わるまで、同じ歴史と文化を受け継いできた。だから、文化的な違いでもない。

 では、何が違うのか。

 アリゾナ州ノガレスがソノラ州ノガレスよりもはるかに裕福な理由は単純である。国境の両側で制度がまるで異なるということだ。
  ――上巻 第一章 こんなに近いのに、こんなに違う

 著者は主張する。それは制度の違いだ、と。北朝鮮は収奪的な制度で、韓国は包括的だ。それが半世紀程度で大きな違いをもたらしたのだ。

 わかるような、わからないような。「収奪的」は、なんとなく、わかる。でも「包括的」って何?

 実は、この収奪的/包括的って言葉が、この本の最もわかりにくい所。読んでいくと、収奪的は「独裁的」とだいたい同じ意味だと見えてくる。一部の者だけが権力を握り、他の者には発言権がなく、権力者はずっと変わらない、そんな制度だ。うん、確かに北朝鮮の金王朝って、そういう感じだよね。

 では、対する「包括的」とは何か。様々な勢力や利害関係者が少しづつ権力をわけあい、互いがぐんずほぐれず群雄割拠して、特定の者が独裁できない状態だ。誰かが抜け駆けして権力を独り占めしようとすると、他の者がツルんで邪魔をする、そんな感じ。

 というと、日本の戦国時代や現在のソマリアもそうじゃないかと思えてくるが、著者はもう一つ条件を付ける。それは、国家が強力な中央集権を敷いていて、国の隅々まで政府の権力が行き届いていること。

 日本の戦国時代も現代のソマリアも群雄割拠してる。でも、戦国時代は中央政府なんかなかった。理屈の上じゃ朝廷かもしれないけど、事実上はほとんど権力がなかった。ソマリアもモガディシオに政府がある事になっているけど、国土の大半は海賊や軍閥に握られてて、モガディシオ政府は何もできない。

 ということで、「包括的」を慣れ親しんだ言葉で言い換えると、「民主的」に近い。

 そんなわけで、本書の結論は、こうなる。

 民主的で強力な中央集権国家が、国土の全部を把握していれば、国家は繁栄する。そうでなければ、つまり独裁的だったり、国土の一部しか把握できなければ、国家は衰える。

 まあ、ここまでは、だいたい納得できる。実は現代の中国やベトナムみたく急成長しちゃう例もあるんだけど、著者は「長くは続かない、いずれ行き詰まるさ」と予言する。著者以外にも、そういう風に考えている人は多いだろうから、主張そのものは特に独創的でもないんだけど、ちゃんと過去の例を引っ張り出してくるあたりが、さすが学者さん。

 例の一つは、年寄りには未だ記憶に生々しい東欧およびソ連崩壊。ベルリンの壁が崩れて以来、東欧やロシアの生活水準の酷さは知れ渡った。特に印象に残っているのが、トラバント。あれがウヨウヨと東側から這い出してきた時は、多くの人が驚いた。

どうでもいいが、あれのボディって段ボールだと思ってたけど、今 Wikipedia で確認したら、「プラスチックに紙パルプを混ぜ込んでいた」とある。さすがに段ボールじゃなかったか。でも紙装甲だし下手に事故ったら燃えるって点じゃ、たいした違いはない、と負け惜しみを言っておこう。

 しかも、あれ東ドイツ製なんだよね。西じゃBMWやベンツやポルシェとか、凄いの作ってるのに。庶民用にしたって、フォルクスワーゲンの方がよっぽどガッチリしてる。

 ソ連&東欧に続くもう一つの行き詰まりの例は、ローマ帝国。

 優れた土木技術で有名なローマ帝国だけど、致命的な弱点があった。彼らはギリシャ文明から受け継いだテクノロジーは見事に使いこなしたけど、新しいテクノロジーは何も生み出さなかったのだ。

 そんなわけで、中国もベトナムも、今ある技術を取り入れることで先進国に追いつく事はできても、追い抜くには至らない、どころかいずれ行き詰まるだろう、そう予言してるわけ。言われてみると、確かに中国から Google や Facebook は出てこないだろうなあ。

と、私のような素人は「出てこないだろうなあ」で終わるんだが、「なぜ出てこないのか」「なぜそんな制度になっちゃったのか」を考え、多くの事例で裏打ちしたのが、この本の読みごたえのある所。

 その辺は、次の記事で。

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