ジョン・K・ガルブレイス「不確実性の時代」講談社学術文庫 斎藤精一郎訳 2
ある国民が地理的に離れたところにいる他の国民を支配しようとする場合について、確実にいえることの一つは、それがきっと失敗に終わるということであり、植民地支配の終わりは、支配される者ばかりでなく、支配する者の望みでもあるということです。
――4 植民地の思想明快な著述は、頭の悪さをわかりにくい文章で包み隠している多くの学者たちには、ある種の脅威として、ひどい打撃を受けるものとして受け取られるのです。
――7 ケインズ革命不確実性の時代にあって、企業こそが不確実性の主たる源泉なのです。
――9 大企業私がいつも思うのは、スイス人が原則よりも結果にずっと大きな関心を払ってきたということです。経済学でも政治でも、戦争と同じく、驚くほど多くの人が、鉄道の踏切りにぶつかって自分の通行権を守ろうとする人みたいに、敢然と死んでいきます。
――12 民主主義、リーダーシップ、責任
ジョン・K・ガルブレイス「不確実性の時代」講談社学術文庫 斎藤精一郎訳 1 から続く。
【レーニン】
本書の中でも特に楽しいのが、ウラジミール・イリッチ・ウリアノフつまりレーニンを扱う「5 レーニンと大いなる解体」。ここではガルブレイス師匠の毒舌が機関銃のごとく炸裂していく。
まずはレーニンがオーストリア当局にスパイ容疑で逮捕される場面から。当局の疑惑を深めたのが、数字をびっしりと書き連ねたノート。当局はこれを暗号表と考えたのだが、実際は…
農業問題に関する統計数字が記されていました。
ヒトってのは、自分が理解できないモノはとりあえず「怪しい」と考える生き物なんです。最近もこんな事件があったなあ。経済を研究する人ってのは、風体の怪しい人が多いんだろうか←をい
スイスに渡ったレーニンは、仲間と連日のように会合を開く。ここでも、ロシア人の下宿人はしょっちゅう夜通し議論するので、下宿屋のおかみさんはロシア人だけ下宿代を割高にした、とかのジャブの次に、現代日本の月給取りが喝采しそうなネタをカマしてくる。なぜレーニンが連日のように会合したかというと…
真面目な会議についていえば、情報交換を目的とするものはごく少なく、何らかの決定を下すための会議というのはもっと少ないものです。たいていの会議が開かれるのは、共通の目的を宣言し、参加者に各人が一人ではないことをわからせ、連帯意識を強めるためです。
うんうん、あるよね。特に意義がよくわからない研修とかは、モロに連帯感のためだよなあ。などと感心してたら、更に続けて…
また会議は、実際に行動できないとき、行動のかわりとなります。会議が開かれることによって、参加者ばかりでなく、往々にしてそれ以外の人びとも、実際には何も起こらず、また起こりえないのに、何かが起こっているという感じを受けるのです。
それ言っちゃらめえw どんなテーマでも、会議が開かれると、なんか盛り上がってるような気持になるんだよな。終盤では、ロシアの不作が国際市場での穀物価格を引き上げ云々ってネタも出てきて、これフレデリック・フォーサイスがネタにしてたと思ったんだけど、なんだったっけ?
【フィッシャーからケインズへ】
「6 貨幣の浮き沈み」では、この本で唯一の数式が出てくる。アーヴィング・フィッシャーが見つけた式で、P=(MV+M1V1)/T。大ざっぱに言うと、物価=カネの量×実質的な経済活動の量、みたいな意味かな?
景気が悪い時は物価が下がる。ならモノを買う人が増えそうなもんだが、みんな節約して取引量は増えない。そこで政府がお札を刷ってカネの量を増やせばいいじゃん、と思ったが、みんな貯め込むばっかしで使ってくれない。
フィッシャーが発見したのは、多くの経済学者たちを含めて人びとが何としても信じたがらなかったことでした。貨幣だけを問題にする安上がりで手軽な発明によっては、あらゆる経済問題を解決できるどころか、どんな経済問題も解決できないということです。
と、困った事をフィッシャーは見つけてしまった。どないせえちゅうねん。
この難問に答えを出したのが、ジョン・メイナード・ケインズ。カネを増やしてもダメなら、取引を増やしゃいいじゃん。どうやって増やす? 政府が借金して作った元手で、なんか事業を始めりゃいい。
ケインズは何をしたらよいかということについて、明快な答えをもっていました。政府が借金をして、その資金を支出することを望んでいたのです。
今風に言えば、国債を発行して公共事業やんなさいってこと。この説を納得させるためにケインズは色々と苦労する。今風に言うとケインズって賢くはあるけどコミュ障っぽい人だったらしく、文字でのコミュニケーションは得意だけと顔を突き合わせての対話は苦手だったみたい。
ってんで、『一般理論』を書いたはいいが、この本の評がまた、ガルブレイス師匠の芸炸裂しまくり。
『一般理論』は、刊行されたあとずいぶん時間が経って完成されました。聖書や『資本論』と同じく、それはたいへん曖昧であり、また聖書やマルクスの場合のように、その曖昧さが帰依者を増やすうえで大いに役立ちました。
つまり、やたら難しくてわかりにくい本だったわけ。なんでそんな本が信者を増やすのかというと…
理解するのに多大の努力を重ねたとなると、読者はその思想に強く執着するものです。
…ああ、うん、グレッグ・イーガンがウケる理由には、そういう部分があるよね。というか、私の場合は多大な努力を重ねた挙句に理解できなかったりするけど。おまけに、ここでもガルブレイス師匠はワンツーパンチをキメてくるから憎い。
矛盾や曖昧さが随所に散見されると、読者はいつもそこに自分の信じたいと思うものを読み取ることができます。これも信徒を増やすのに役立つわけです。
ああそうさ、よーわからんので好き勝手に解釈できるから俺はイーガンが好きなんだよ、悪いか。
ってのはおいて。時は大恐慌の傷跡で苦しんでるさなか。アメリカでの布教はイマイチだったけど、ケインズ理論を知ってか知らずか、積極的に推し進めたのがアドルフ・ヒトラー。大胆な借金で公共事業をしまくってアウトバーンを整備し、失業者をなくしちゃった。
ただヒトラーはやりすぎて、世界中を戦争に巻き込んだ。お陰でアメリカも軍需で政府支出がドンと増え、失業者が減っていく。これをガルブレイス師匠は評して曰く…
ヒトラーは、ドイツの失業をなくしたあと、敵国の失業にも終止符を打たせたのです。
…く、黒い。実際、政府の予算ってのは困った性質があって、鉄道やバスの赤字路線支援じゃなかなか予算はおりないけど、敵の脅威に備えるためなら、アッサリ予算がつくんだよなあ。どの国でも。
【大企業】
大きな政府を志向する人のためか、「9 大企業」では鋭く国際資本を分析してる。
EECが出現したのは、現代の多国籍企業にとって国境やそれにともなう関税や貿易制限がわずらわしかったから
とかは、今のEUを見ると確かにそういう所はあるかも。TPPとかも、国際資本には嬉しい話なんだろう。それが日本の利益になるかというと、どうなんだろうなあ。
とまれ、ここの終盤では相当に過激な事を言ってる。
「現代の大企業の株主は、力ももたなければ何の機能も果たしていません」として、いっそ政府が株主になれよ、なんてブチあげるのだ。日本でも東電の救済とかを見ると、「いっそ国営化しちまえ」と思うこともあるけど、小さい政府を求める人には決して受け入れられないだろうなあ。
【貧困対策】
「10 土地と住民」では、更に好き嫌いが分かれそうな問題を問い始める。発展途上国での貧困の撲滅だ。
経済問題で、なぜこれほど多くの人びとが貧しいのかという疑問ほど重要なものはありません。また人間の状態に関する事柄で、これほど多くの異なった相反する答えが、これほど自信たっぷりかつ無頓着に提示されている例はほかにありません。
この本では、彼らにロクな土地がないのがイカンとして、先進国が移民を受け入れろ、と主張する。途上国の多くは農業国であり、一人当たりの土地が足りない、先進国が移民を受け入れれば土地が足りるだろ、と。
私が思うに。土地というより足りないのは資本じゃなかろか。だから途上国への工場移転で途上国の仕事を増やしたり、「貧困のない世界を創る」で実績を示したマイクロ・ファイナンスにより起業を促すとかもアリじゃね?と思うんだけど、どうなんだろ。
【おわりに】
なにせ出たのは1977年の本なんで、東欧やソ連が崩壊する前だ。それだけに「最近の話題」を扱う終盤は少々古臭くなってる感はあるものの、中盤までのわかりやすさに加え、随所で発揮される強烈な毒舌ギャグは凄まじい破壊力を持っている。
書名こそこそ近寄りがたいものの、実はとっても親しみやすくユーモア満載の楽しい本だった。
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