R.D.レイン「結ぼれ」みすず書房 村上光彦訳
わたしの欲しいものときたら、手に入ったためしがない。
手に入ったのは、いつだって、欲しくないものだった。
欲しいものは
わたしの手には入らないだろう。
【どんな本?】
反精神医学(→Wikipedia)を掲げた20世紀の精神医学者 R.D.レイン(→Wikipedia)が著した、詩集。
ここに描かれるのは、人の心の情景だ。絡み合いもつれあい、身動きが取れなくなった、または更にもつれてゆく、人と人との関係である。お互いがお互いの気持ちや思惑を探り合い、投影しあい、反射しあう形で、わだかまりが膨れ上がってゆく様を、詩にすることで戯画化し、わかりやすく読者に示す。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は KNOTS, by R. D. Laing, 1970。日本語版は1973年11月25日第1刷発行。私が読んだのは1985年8月5日発行の第10刷。だいたい年に一回の増刷だから、着実に売れている。
単行本ハードカバー縦一段組みで本文約147頁。なにせ詩なので、行は長短いろいろだし空行も多い。単純に文字数を見積もると、400字詰め原稿用紙で100枚を切るぐらいで、小説なら短編の分量だろう。
文章はこなれていて読みやすい。が、内容はややこしい。というか、じっくり味わって読む本だ。とまれ、文学としての詩とはいささか異なり、語られるのは風景ではない。まっさらな背景の中で展開する、人と人の心がスレ違いほつれてゆく過程だ。そんなわけで、「私はブンガクは苦手で」という人でも、親しい人と仲たがいした経験のある人なら、楽しめるだろう。
【感想は?】
ややこしい。
なにせ、描かれる情景がしち面倒臭いシロモノばかりだから。たいていループしてたりマトリョーシカみたく再帰してたり合わせ鏡みたく反射に反射を重ねてたり。
しかも、辛気くさい。
「これは凄い、感動した」というタイプの詩ではなく、二人の人間の関係が、ちょっとしたスレ違いからもつれ、互いに自分の気持ちや勘ぐりで深みにハマり、身動きが取れなくなってゆく過程を描くものばかりだから。
詩とはいっても、風や林や海は出てこず、歴史的な人物や事件も出てこない。どこにでもいるような人たちが、家族や恋人どうしなどの親しい関係の中で、いつでも演じているような場面を、お互いの心の声を拾い上げて言葉にしたような、そんな物語が続いてゆく。
そして、人それぞれ好き勝手に解釈できる。具体的な事柄は出てこないので、読者が都合のいいように、最近の経験に当てはめて考える事ができる。たとえば、こんな部分は…
それゆえ
私たちは彼を手助けして悟らせなくてはならない――
彼にはなにか問題があるなどとは
彼が考えもしないという、その事実こそ
彼にいろいろ問題があるなかの
ひとつなのだ、と
考えようによっては、自称霊能者や健康食品のセールスマンが、カモを脅す文句とも取れる。また精神医学者という著者の立場を考えると、「俺は狂ってない」「狂ってる人はみんなそう言うんです」的な場面も思い浮かぶ。逆に人を狂人扱いする者こそ狂っている、みたいな場面でもいい。そして、結局、回答編はない。
詩だけでなく、図を使った作品もある。これなんかは、ありがちな風景かもしれない。
ジャックは思う(ジャックが思うから)ジルは
↑ ↓
なぜなら けちだと 欲張りだと
↑ ↓
けちだと 欲張りだと なぜなら
↑ ↓
ジルは思うから(ジルは思う)ジャックは
ケチな奴ほど相手を欲張りだと思う。ありがちな構図かも。これがけちと欲張りの関係なら、単に仲が悪くなるだけだが、もっと物騒な関係もある。
ジャックがジルを恐れていると
ジルが思っていると
ジャックが思うならば
ジャックはジルをますます恐れる
そして互いに「お前なんか怖くないぞ」ってフリをして、それが更に互いの恐怖を煽ってゆく。この本ではジャックとジルだからただの痴話げんかみたいに思えるけど、同じ構図がイスラエルととパレスチナや、キリスト教徒とイスラム原理主義者に置き換えても成り立っちゃうから、わたしはますます恐れる。
などの、相手があって成り立つ風景もあるが、一人でも成り立っちゃう詩もあったり。
わたしはそれをする、なぜなら、それが正しいから。
それは正しい、なぜなら、わたしがそれをするから。
ヒトゴトだと思うと気楽に読めるし、嫌いな奴を思い浮かべれば「うんうん、アイツはそういう奴だよ」と思えるんだが、自分を振り返ると、そういう部分もあるんんだよなあ、困ったことに。
そう考えると、別に病的な風景を描いた作品集ってわけでもなく、「ヒトってそういうモンだよね」みたく気楽に構えて読むのも、いかもしれない←と、自分の欠点を人類全部の欠点にスリ変えて誤魔化してます
難しくはないけれど、ややこしいし、しち面倒くさい内容が多い。とはいえ、人と人が親しく付き合っていると、よく嵌り込みやすいドツボな構図を、余分な背景や風景を排し、敢えて顔なしの人形に演じさせたような形にすることで、多くの人が「ああ、こういう事ってあるよね」と思い当ってしまう作品にした、そんな情景を集めた本。
メタな記述にアレルギーがないなら、またはメタな構成が好きなら、とりあえず読んでみよう。
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