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2016年7月15日 (金)

掛尾良夫「『ぴあ』の時代」キネ旬総研エンタメ叢書

「『ぴあ』の返品率は5%以下ですよ」
  ――第3章 『ぴあ』の躍進

それは事業というより、お祭り騒ぎのような時間だった。
  ――第6章 『ぴあ』の時代

【どんな本?】

 1972年7月、画期的な雑誌が登場する。月間『ぴあ』。首都圏の映画館の上映予定・劇団の公演予定・ライブハウスの出演予定などを並べた、エンタテインメント情報誌。創刊時は無名だった『ぴあ』だが、順調に部数を伸ばし、首都圏に住む若者の必携品となった。

 単に雑誌を出版するばかりでなく、若い映画作家を応援する「ぴあフィルムフェスティバル」などのイベントも開催し、また時代を先取りしたオンライン型チケット販売「チケットぴあ」などにも進出、多角化へと進んでゆく。

 映画界は斜陽化のきざしが現れながらも、映画好きな若者は池袋文芸座など入場料の安い名画座に通っていた。彼らを映画館へと導いた『ぴあ』は、どんな者たちが、どんな想いを抱で創り、どのように流通させたのか。社長の矢内廣を中心に、『ぴあ』の仲間たちの奮闘と、その時代背景を綴る。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年12月30日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約231頁に加え、あとがき9頁+年表11頁。9ポイント41字×15行×231頁=約142,065字、400字詰め原稿用紙で約356枚。文庫本なら薄めの一冊分。今は小学館文庫から文庫版が出ている。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。70年代~80年代が中心なので、その頃を良く知っている人は、更に楽しめる。当然、かつて『ぴあ』を買っていた人なら尚更。

【構成は?】

 話は時系列に進むが、興味のある所だけを拾い読みしても楽しめるだろう。

  • 序章 『ぴあ』の休刊
  • 第1章 『ぴあ』の胎動
    甘納豆ビジネス/パイオニア創業者からの手紙/上京、新宿へ/学生運動に翻弄されて/中大映画研究会/映画の森へ/運命の出会い/自分たちに必要なもの/時代が『ぴあ』を求める
  • 第2章 『ぴあ』の誕生
    アパートで編集会議/父親の30万円/奇跡の“出会い系”人脈/読者と“対等”であること/立ち込める暗雲 流通の壁/ふたりの救世主/押入れの8000部/汗だくの飛び込み営業/8万人の潜在読者/飛躍の切り札 マルぴ作戦/高須基仁の協力/及川正通を口説き落とす/『ぴあ』の編集に集う人々/最後の自前配本
  • 第3章 『ぴあ』の躍進
    取次との攻防/映画業界に即応する『ぴあ』/映画ファンと名画座に支えられて/イベントに結実する読者とのつながり/オールナイト、34時間ぶっ通し/「ぴあ展」で成長した『ぴあ』/マガジンハウスカルチャーの対極にあるもの/ぴあの社員教育/『ぴあMAP』と『ぴあ手帳』/押し寄せる「ニューメディア」の波/「ぴあ世代」の映画監督たち/隔週化する『ぴあ』/世界の作家に目を向ける/歌舞伎町を疾走/「ぴあフィルムフェスティバル」誕生
  • 第4章 『ぴあ』の挑戦
    目白押しのイベント/“残り半分”/『CALENDER』の試行錯誤/トリュフォーを呼びたい/フライト代はトリュフォーが負担/ヌーヴェル・バーグの旗手、来日す/「チケットぴあ」プロジェクト、始動/電電公社のトップに接見/チケット検印問題/プレスタートは「キャッツ」/“そっちの勢力”に対する対策/ぴあをやっている意味
  • 第5章 『ぴあ』の成熟
    絶妙の3人体制/「よし、やろう」 PFFスカラシップ/ラテン系に振り回される/スカラシップ作品の1作目/85年、レンタルビデオ元年/ビデオ市場の誕生がもたらしたもの/ビデオブームを背景としたPFF/ねっと以前の映画バイブル『ぴあシネマクラブ』/黒川文雄の退社/より広範なエンタテインメントの地へ/ホウ・シャオシェン秘録
  • 第6章 『ぴあ』の時代
    駆け抜けた、最後の昭和/変わりゆく組織とぴあ/変わりゆく人とぴあ/ふたりの恩人
  • あとがき
  • 付録 『ぴあ』の時代 年表

【感想は?】

 ズバリ、矢内廣のサクセス・ストーリー。

 読む前は、雑誌『ぴあ』の歴史を期待していた。確かにそういう部分もあるんだが、本としては社長である矢内廣をヨイショする部分が多く、ビジネス書の色が濃い。なんたって、「はみだしYouとPIA」に触れていないのが悲しい。

 とはいうものの、1970年代~80年代の風俗が、自然に書き込まれているのは嬉しかった。随所にキネ旬のベストテンが載っていて、「俺たちに明日はない」とか「旅の重さ」とか懐かしい名前が出てくると、「ああ、これはあそこで見なたあ」なんて記憶が蘇ってくる。

 そう、確かに『ぴあ』は画期的だった。当時はDVDもなくインターネットもない。映画を観たけりゃ映画館に行くしかないんだが、どの映画館でどんな映画をやってるのかわからない。そもそも、映画館がどこにあるかすらわからない。そこで『ぴあ』だ。

 銀座・池袋・新宿など地域別に、映画館と上映作品と時間が載っている。いつ・どこで・何が観られるか、『ぴあ』があれば分かるのだ。当時としては、これは画期的なことだった。今ならうじゃうじゃとライバル誌が出そうなもんだが、当時はなぜか「シティロード」ぐらいしかなかった。不思議な話だ。

 『ぴあ』が便利なのは、それだけじゃない。地域ごとに地図が付き、映画館の場所がわかる上に、冒頭には東京の国鉄・地下鉄路線図がつく。ややこしい東京の路線図がわかるだけでも、大変に有り難いシロモノだ。

 そんな便利な雑誌を作るきっかけが、「本人たちが欲しかったから」というのが、「なるほど!」と感心する所。ただ、それをミニコミ誌ではなく、キチンとした雑誌として立ち上げたあたりが、姿勢の違いだろう。

 また、編集の姿勢も、他のミニコミ誌とは大きく違う。大抵の雑誌は何かしら編集部の意向みたいのがあるもんだが、『ぴあ』の場合は…

「いつ」「どこで」「誰が」「何を」という客観情報を漏れなく掲載する一方、編集部の主張といった主観を一切排除し、情報の取捨選択は読者がする

 と、あくまで「客観情報を提供する」姿勢を貫いている。このあたりは、1970年の安保闘争を境に学生たちの政治熱が冷めてゆく時代背景も、しつこいぐらいに繰り返し描かれる。

 そう、創刊時のメンバーはみな学生だった。学生起業家だ。これも今ならともかく、当時としては珍しい事だった。

 単に思いついただけじゃ、雑誌は作れない。映画館に問い合わせて上映予定を聞き、整理して編集し、印刷し、書店に配らなきゃいけない。売れてる雑誌なら名前を出せば相手も相応しく応対してくれるが、なにせ素人が初めて作る雑誌だ。映画館も怪しく思って上映予定を教えてくれなかったりする。

 特に詳しく描かれているのが、流通である。今も昔も、雑誌や書籍の流通は東販や日販などの取次が仕切っている。これを通さないと、各地の書店に自分で本を持って行かなきゃいけない。かといって任せると、どの書店に何冊置くかを、取次に仕切られる。そこで『ぴあ』は…

 こういった部分は、伸びゆく企業がブラック化する理由もわかる気がする。第一回「ぴあ展」のくだりだと、「男女問わず、みんな臭かった」って、ブラックなんてもんじゃないw

 なにせ社長以下役員は、みんな創業時のメンバーだ。無茶な突貫作業の連続で会社を立ち上げ、事業を軌道にのせてきた。そういう経験があるから、無茶な働き方が当たり前だと思っている。新規採用の従業員も少なく、全体としては徹夜の連続で切り抜けてきた人が大半を占める集団じゃ、どうしても超過勤務が常識となってしまう。

 なんて創業時の苦労も、彼らにとっては「お祭り騒ぎ」の楽しさが続いてるような感じだったんだろう。

 やがて『ぴあ』は、単に雑誌を出すだけでなく、「ぴあ展」を皮切りに「」ぴあフィルムフェスティバル」などのイベント開催や、「チケットぴあ」など流通へと進出し…

 ユーミンが荒井由実だった頃。及川正通やおおやちきなど、かつて『ぴあ』を買っていた人には懐かしい名前も続々と登場し、「悲情城市」製作秘話などの意外なネタ、そして『ぴあ』読者すべてが抱く謎・雑誌名命名の謎もある。雑誌『ぴあ』を知る人なら、楽しんで読めるだろう。

 でも、「はみだしYouとPIA」に触れてないのは、やっぱり悲しいぞ。

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