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2016年7月19日 (火)

スティーヴ・ファイナル「戦場の掟」ハヤカワ文庫NF 伏見威蕃訳

 イラクの傭兵の数は、はっきりわかっていない。国際平和活動協会やイラク民間警備会社協会(PSCAI)のような連合組織や同業者組合ができても、変わりはなかった。(略)推定数は二万五千人ないし七万五千人もしくはそれ以上というように、かなり幅がある。
  ――2 きょうはだれかを殺したい

「なにもかもが不正行為ばかりだ」クウェートに着くと、ホーナーはイタリア軍の身分証明書を渡された。じつはクレセントが偽造したものだった。身元を洗うことなく雇ったイラク人を含めた社員を米軍基地やグリーン・ゾーンに出入りさせるために、クレセントはこの偽造身分証明書を使っていた。
  ――4 われわれは軍を護っている

「あいつら(ブラックウォーター)はアメリカ人が憎悪される原因をこしらえている。(略)
 ブラックウォーターはイラク人にまったく経緯を示さない。イラク人を動物だと思っている。(略)
銃を撃ちながら水筒をまわし、悪態を叫ぶ。子供や年寄りの女性を怯えさせ、自分の車を運転しているなんの罪もない市民を殺すことを、テロリズムと呼ばずしてなんと呼ぶ?」
  ――8 権限の範囲・神と同一

「兵士として国に派遣されたときには、ひとの命を奪っても罪に問われない。結局は自分を許せる」
「でも、家を買いたいというような理由から、商売としてやるときには、自分の存在に関わる問題を抱えることになる」
  ――エピローグ 知恵の書

【どんな本?】

 2006年11月16日、クウェート国境に近いイラク南部のサフワン付近で、四人のアメリカ人と一人のオーストリア人が拉致される。五人はトレイラートラック37台からなる輸送隊の護衛中だった。彼らの身分は民間警備会社クレセントのオペレーター(武装警備員)、平たく言えば傭兵である。

 著者スティ-ヴ・ファイナルは、ほんの数日前まで取材でイラクを訪れ、クレセント社の彼らと共に行動していた。被害者の一人ジョン・コーテとは特に親しく、陽気であけっぴろげなコーテの性格もあり、生まれ育ちやアメリカでの生活、そしてイラクに来た理由なども話し合う仲だった。

 家族に愛され明るく社交的で同性・異性問わず多くの者に好かれるアメリカン・ボーイのコーテが、なぜ傭兵などという胡散臭い立場で危険なイラクに赴いたのか。彼以外には、どんな者がどんな理由でイラクくんだりまで傭兵稼業に来ているのか。傭兵企業クレセントの内幕は、どんなものなのか。

 そもそも、多くの正規軍人が駐留するイラクに、なぜ傭兵が要るのか。傭兵は何をやっているのか。何人ぐらいの傭兵がイラクに入り込んでいるのか。誰がどのように傭兵を管理し取り締まるのか。誰がどんな目的で拉致するのか。そして、政府は事件の捜索や交渉をどう行うのか。

 拉致されたコーテらの被害者を追う過程で、著者はイラクでの傭兵の実態をつぶさに見せつけられる。

 「前線」で戦う傭兵たちの姿、彼らを管理するはずの合衆国政府の対応、イラク人から見たアメリカ人の姿などを通し、イラクでの戦乱がズルズルと続く理由、イラク人がアメリカ人を憎む理由が浮かび上がり…

 2008年に同テーマでピュリッツァー賞を受賞したジャーナリストによる、迫真のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は BIG BOY RULES : America's Mercenaries Fighting in Iraq, by Steve Fainaru, 2008。日本語版は2009年9月に講談社より単行本で出版。私が読んだのは2015年9月25日発行のハヤカワ文庫NF版。文庫本縦一段組みで本部約330頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント41字×18行×330頁=約243,540字、400字詰め原稿用紙で約609枚。文庫本としては少し厚め。

 文章はこなれている。内容も特に難しくないが、軍の階級や銃の種類がわかると、細かいニュアンスも伝わるだろう。M4カービン(→Wikipedia)は米国の自動小銃、M14(→Wikipedia)は米国のライフルで、AK-47(→Wikipedia)はソ連製自動小銃、PKはソ連製機関銃(→Wikipedia)。

【構成は?】

 多少は前後しつつも、だいたい時系列に進むので、素直に頭から読もう。

  • プロローグ 国境にて
  • 1 社会勉強株式会社
  • 2 きょうはだれかを殺したい
  • 3 最後の旅路
  • 4 われわれは軍を護っている
  • 5 あなたがたの物語
  • 6 おまえはこれから死ぬんだ
  • 7 おまえの血族
  • 8 権限の範囲・神と同一
  • 9 人質問題
  • 10 特殊警備にはブラック・ウォーター
  • 11 死をも乗り越える信仰
  • エピローグ 知恵の書
  •  謝辞/訳者あとがき/情報源について

【感想は?】

 ジェレミー・スケイヒルの「ブラックウォーター」と並ぶ、民間軍事企業に警鐘を鳴らす作品。

 「ブラックウォーター」は、同社が発展してゆく歴史を辿りつつ、合衆国政府のネオコン勢力との関係を暴く内容だった。衝撃的ではあるが、大企業ブラックウォーターを内側から眺める視点で描かれている。

 対してスティーヴ・ファイナルは、比較的小規模なクレセント社に同行して取材している。ブラックウォーター関係のエピソードも多く出てくるが、この作品で見えるのは、外側から見たブラックウォーターだ。それは米軍から見たブラックウォーターであり、零細企業の傭兵から見たブラックウォーターであり、イラク人から見たブラックウォーターである。

 特に最後の視点は強烈で、イラクの戦乱が収まらない理由が嫌というほどよく分かる。終盤で描かれる「イラク人から見たアメリカ人」の姿には、恐怖すら感じてしまう。サマワの自衛隊が無事で帰ってきたのは、つくづく奇跡だと思う。

 そもそもブッシュJr政権は占領事業を甘く見て、兵力をケチりすぎたのだ。

 復興を支援する役人がオフィスを構える。起業を目論むビジネスマンがどこかを訪ねる。トラックで何かを運ぶ。いずれにしても、護衛が要る。だが兵が足りない。かといって派遣する兵員を増やすと、議会が煩い。また、起業を目指す民間の起業家は、世界各国から気ままにやって来るので、軍じゃ対応しきれない。

 そこで傭兵だ。軍と違いフットワークは軽く、法的に細かい事も言わない。金さえ出せば柔軟に対応してくれる。

 ただし、ハード・ソフト共に品質は様々だ。著者が取材したクレセント社のオーナーはイタリア人で、当然ながらM1エイブラムス戦車(→Wikipedia)なんかない。銃だってソ連製のAK-47やPKも使う。

 オペレーター(警備員)もピンキリ。本書でスポットを浴びるジョン・コーテは、陸軍第八二空挺師団の一員としてアフガニスタンとイラクで戦い、優れた働きで三等軍曹に昇進した退役兵だ。同僚のルーベンは元警官で、無資格だが衛生担当。家庭内暴力で米国内での銃保持を禁じられた者もいる。

 国籍も国際色豊かだ。米国人はもちろん、南アフリカ人、フィジー陸軍の退役兵、ネパール人。なぜかトレーラー・トラックの運転手はパキスタン人が多いみたい。そして、イラク人もいる。コンボイ護衛では車外で機関銃を構える最も辛く最も危ない仕事を担いながら、月給は米国人の1/10の600ドル。

 しかも、彼らを縛る法はなく、裁くものは誰もいない。軍には政府に説明する義務があり、交戦規則もあるが、傭兵には何もない。中には「自分たちが法の支配を尊重しなかったら、イラク人にそうしろといえないじゃないか」と語る者もいるが、大半は BIG BOY RULE=強者の論理に従う者ばかりだ。

 合衆国政府もイラク政府も傭兵の全貌は把握しておらず、管理も統率もできない。CPA(暫定当局)代表ポール・ブレマーの発した指令第十七号により、彼らが人を殺してもイラクの法では裁けない。

 とはいえ、傭兵に都合のいい話ばかりじゃない。政府は軍の将兵の死傷者数は発表するが、傭兵はお構いなしだ。傭兵が襲われた事件は表に現れない。工兵隊を傭兵が護衛する時もあるが、その際に傭兵が死傷しても統計には現れないし、傭兵企業も報告なんかしない。

 そんなわけで、傭兵たちの行動は下手なヤクザよりはるかに無謀で危険なものとなる。待ち伏せを避けるために道路を時速120kmで逆走し、警官の停止命令にも従わない、どころか時として警察に向かって発砲する事もある。これがブラックウォーターになると更に無茶苦茶で、民間人が相手でもお構いなく撃ちまくっている。

 そんなわけで、警官やイラク軍将兵にも傭兵を憎む者がおり、反政府勢力と繋がる者もいる。冒頭二番目の引用にあるように、身元確認もザルだから、いつどこでテロが起きても不思議はない状況だ。

 軍や警察関係者ならともかく、普通のイラク市民には正規軍と傭兵の区別なんかつかない。無法の限りを尽くし暴れまわる傭兵を見れば、「アメリカ人は冷酷非情」と思うだろう。かくして、傭兵の活動はアメリカの印象を悪化させ、現イラク政府への信頼を失わせ、反政府勢力を支持する者を増やしてゆく。

 特にタチが悪いのがブラックウォーターなのだが、米軍すら彼らに手を出せない。その理由はジェレミー・スケイヒルの「ブラックウォーター」に詳しい。

 拉致事件の真相は藪の中だが、著者による調査の過程で見えてくる事柄は、読者の絶望を更に深めるものばかりだ。もはやイラクでは誘拐が産業になっているし、合衆国政府ですら民間人の被害者に対してはロクな捜査もできない体たらくを晒している。

 軍や反政府勢力と異なり、民間の軍事企業が報道される事は、特に日本では滅多にない。だが、軍属などの肩書で既に日本にも入り込んでいるし、イラクではクレセント社が自衛隊の仕事も請け負っている。ジャーナリストの護衛も、その多くは傭兵の仕事だ。傭兵は、既に紛争地帯における必需品となっている。

 だが、管理も統率もできない状態で傭兵が跳梁跋扈すればどうなるのか。それをつぶさに観察し、描いたのがこの本だ。内容は残酷で、グロい場面も多いが、それだけに衝撃も大きい。現代の戦争がどんなものなのか、それを知るためにも、多くの人に読んでほしい。

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