アン・レッキー「叛逆航路」創元SF文庫 赤尾秀子訳
人間のふりをして過ごした19年は、思ったほど多くのことを教えてはくれなかった。
「アナーンダ・ミアナーイによって、わたしはこのようにつくりあげられました。そしてアナーンダ・ミアナーイは、あのようにつくられた。彼の行為もわたしの行為も、やるべくしてやることでしかない。それをやるようにつくられたからです」
ここでひとりきりにはなれない。ここにプライバシーなどないのだ。
【どんな本?】
2013年のネビュラ賞長編部門・英国SF協会賞長編部門・キッチーズ賞新人部門、そして2014年のヒューゴー賞長編部門・ローカス賞第一長編部門・アーサー・C・クラーク賞・英国幻想文学大賞長編部門の七冠を制覇した話題作で、三部作の開幕編。
遠い未来。人類は多くの恒星系に進出していた。中でもラドチは厳格な階級制を敷き、強大な艦隊を率いて他星系を併合し拡大を続けている。艦を指揮するのは艦長だが、現場で運用するのは艦のAIである。AIは、人体を基にした多数の属躰と意識・情報を共有する。属体は兵として艦内の将校に従い、艦の運用・前線での戦闘・占領地での警戒にあたる。
<トーレンの正義>は、ラドチでも最大級の兵員母艦で、艦齢も二千年を超える。惑星シスウルナでの併呑任務の後、ヴァルスカーイへの航行中に行方不明となった。その19年後、ラドチの版図から外れた辺境で極寒の惑星ニルトに、属躰の一つがブレクと名乗って現れた。
ブレクは一人の行き倒れを助ける。かつて<トーレンの正義>の副官だったセイヴァーデン・ヴェンダーイだ。名家の出だが行方不明になっていた…千年前に。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Ancillary Justice, by Ann Leckie, 2013。日本語版は2015年11月20日初版。文庫本で縦一段組み、本文約465頁に加え渡邉利通の解説7頁+編集部による用語集6頁。8ポイント42字×18行×465頁=約351,540字、400字詰め原稿用紙で約879枚。文庫本としては厚め。
けっこう読みにくい。そういう作品なのだ。なにせ設定がややこしい。
語り手のブレクからして、人間ではない。元は艦内のあらゆるセンサーや多数の属躰を統合した人工知性で、同時に複数の場所で見聞きして行動できる存在だ。そのため、モノゴトの認識が人間とは違うし、また複数の場面が同時並行的に描かれる章もある。視点が急に入れ替わるので、注意して読まないと混乱してしまう。
ラドチ(ラドチャーイ)社会も、ややこしさを増している。どうも性転換が当たり前の社会らしく、三人称がすべて「彼女」なのだが、言葉遣いは男っぽかったりする。これはラドチャーイ独特の特徴で、辺境のシスウルナなどでは違うから、更にややこしい。しかも人類でない異星人もいたりする。
この辺は、男言葉と女言葉が違う日本語に移し替えるのに、訳者は相当な苦労をしただろうと思う。
また、半ば制度化された階級制などは作品中に説明があるのだが、礼儀や習慣にあたる手袋や茶については、ハッキリした説明がない。読み通してみると、どうも意図があってワザと説明を省いているようだ。登場人物同士の関係や気持ちの動きに注意しながら読もう。
お話の流れもややこしいので、用語集の最後の年表はとても役に立つ。特に大きなネタバレはないので、栞を挟んでおこう。
【感想は?】
表紙を見ると派手なスペース・オペラのようだが、むしろ「異質感」を味わう作品だろう。なにせ語り手が人工知性体だ。
物語は、多きく分けて二つの時系列で進む。
一つは19年前、惑星シスウルナ。ここで<トーレンの正義>=後のブレクは、普通のAIとして登場する。艦の全センサーを把握し、同時に多数の属躰でもある。この属躰の正体が実にグロテスクで、とりあえずはゾンビぐらいに思っておこう。
シスウルナでは、周囲の者も属躰が属躰だとわかっている。そのため、かなり扱いが酷い。なにせ相手はモノだと思っている。そのため被征服民は「血も涙もないロボット」として恐れる。無意味な略奪や暴行や強姦はしないが、命令があれば容赦なく殺す。人間らしい感情もないし、言い訳も聞かない。
占領される側からすると、人間の兵隊とロボット、どっちが嫌なんだろう? そう考えると、ロボット化しつつある現代の軍への風刺なのかも。
加えて、植民地支配を皮肉るような場面もチラホラ。なにせラドチに言わせると、「ラドチャーイであること、すなわち文明人」なのだから。こういった姿勢は、かつての西欧による植民地支配そのものだ。その支配の手口も、上町と下町の関係とか、実によくある話だ。その方が占領する側も楽だし。
特にイメ・ステーション事件とかは、ブッシュJr時代の米軍のイラク占領の様子を連想させて、なかなかに手厳しかったり。
これだけなら風刺で済むんだが、語り手が<トーレンの正義>ってのがややこしく、またSFとしての味でもある。
なにせ同時に複数の躰を持ち、それぞれが同時に見聞きでき、かつ情報をリアルタイムで共有できるのだ。警官や兵としては実に優秀なんだが、それを一人称の小説として描くあたりが、なんとも型破り。自分がAIになった気分を味わえるのである。最初は何がどうなってるかわからないが、わかってくると…やっぱり頭がクラクラする。
もう一つの時系列は、辺境で極寒の惑星シスウルナ。こちらのラドチは<トーレンの正義>の属躰の一つだが、人間のフリをしている。この「人間のフリ」ってのがミソ。
今は属躰ひとつとはいえ、元は卓越した記憶力と演算力を持つAIだ。だもんで、人間っぽく振る舞うことはできる。かなり無表情だけど。また、表情や体の変化から、相手の気持ちを読むこともできる。せいぜい「怒っている」「何か企んでいる」ぐらいだが、正体を知らなければ「やたらカンのいい奴」ぐらいには振る舞える。
が、所詮はAI。個々のヒトの感情はわかっても、ヒトが作り上げた文化や習慣は、表面的にしか分かっていない。それでも初対面の相手は誤魔化せちゃうあたりが、ヒトの浅はかさを描いているようでもるが、付き合いが長くなると「コイツなんか変だな」とボロが出てきたり。
それでも、ややこしい形式的な礼儀作法は、そこらのヒトよりよっぽど詳しく心得ているあたりが憎い。こういう「空気を読むのは苦手だが明文化されれば理解できる」なんて性質には、どうにも親しみが沸いちゃったり。いやラドチは空気読むのも凄まじく巧いんだけど。
とか書くと、感情のないロボットのようだが、実はちゃんと人の好き嫌いがあるのも、この作品の味。この好き嫌いの表現が、なんとも微妙で、ある意味、性格悪いんだよなー。そこが可愛いんだけどw
中盤、独裁者として君臨するアナーンダ・ミアナーイが登場し、<トーレンの正義>失踪事件の顛末が明らかになるあたりから、人称は更に混乱し、話も更にややこしくなる。ある意味、最強の独裁者なのだ、コイツは。こんな奴に、どうやって立ち向かえばいいんだ?
と、一見、派手な艦隊バトルを想像させる表紙だが、実は微妙な言葉遣いや小さなしぐさ、またはちょっとしたアクセサリが深い意味を持っていたり、かなり緻密な読み方が要求される、芸と仕掛けの細かい作品だ。とっつきにくいが、世界は複雑かつ綿密に作られている。
「人工知性体が見た人類の姿」にワクワクする人なら、読んでみよう。
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