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2016年6月21日 (火)

最相葉月「セラピスト」新潮社

早急な問題解決を目指すのであれば、年単位の時間を必要とする箱庭療法はじれったい。
  ――第四章 「私」の箱庭

「これが自分でやったことだ、といえることがしたいです」
  ――第五章 ボーン・セラピスト

心理臨床の営みの目的は悩みを取り去ることではなく、悩みを悩むことであるということだった。
  ――第五章 ボーン・セラピスト

「医師は、人間の生命をより長く持続させることを目的としています。一方、心理士は、その人個人がいかに自分を生きるか、それに徹底して寄り添うことが目的です」
  ――第八章 悩めない病

治るためには必ずといってよいほど、かなしみを味わわねばならないようである。(『新版 心理療法論考』)河合隼雄
  ――第九章 回復のかなしみ

【どんな本?】

 学校で事件があると、スクール・カウンセラーなる肩書が新聞紙面に出てくる。カウンセラー。セラピスト。いわゆる「医者」とは、ちょっと違うらしい。役に立つような、立たないような。専門家っぽい気もするし、胡散臭い雰囲気もある。いったい何者で、何をやってるんだ?

 著者は、「青いバラ」「絶対音感」「星新一 1001話を作った人」など、丁寧な取材で傑作ルポルタージュを世に出した最相葉月。

 この本では、得体のしれない肩書「カウンセラー」「セラピスト」の実態を、箱庭療法の河合隼雄と風景構成法の中井久雄を軸に、日本に導入される経緯などの歴史を辿り、また臨床の現場で働く人々の声を聞き、大学に通って講義を受け、更には自らがクライアントとなりセラピーを受ける体当たり取材を敢行して完成させた、迫真のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年1月30日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで約329頁。9ポイント43字×20行×329頁=約282,940字、400字詰め原稿用紙で約708枚。文庫本ならやや厚めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。必要な専門用語は文中で説明があるので特に構える必要はないが、不安な人は以下について軽く調べておくといいだろう。私の理解度はこの程度だが、充分に楽しめた。

  • ジグムント・フロイト(→Wikipedia):精神分析を考え出した偉い人。
  • カール・グスタフ・ユング(→Wikipedia):フロイトと並び有名な偉い人。
  • 河合隼雄(→Wikipedia):ユングの弟子で文化庁長官も務めた偉い人。
  • 中井久夫(→Wikipedia):河合隼雄と並び偉い人。
  • 統合失調症(→Wikipedia):昔は精神分裂症と呼ばれていた。人によっては幻覚や幻聴がある。
  • 双極性障害(→Wikipedia):やたらハイになったり落ち込んだりする。

【構成は?】

 拾い読みしてもいいが、全体を通し穏やかに一つの物語になっているので、できれば頭から読もう。

  • 逐語録 上
  • 第一章 少年と箱庭
  • 第二章 カウンセラーをつくる
  • 第三章 日本人をカウンセリングせよ
  • 第四章 「私」の箱庭
  • 第五章 ボーン・セラピスト
  • 逐語録 中
  • 第六章 砂と画用紙
  • 第七章 黒船の到来
  • 逐語録 下
  • 第八章 悩めない病
  • 第九章 回復のかなしみ
  •  あとがき
  •  参考・引用文献

【感想は?】

 ハッキリとケリがつく本では、ない。なんかモヤモヤしてるけど、なんとなく「そういうもんだ」と思えてしまう、そんな本だ。

 と書くと軽い本のように思われそうだが、とんでもない。最相葉月のドキュメンタリーの多くがそうであるように、これ一冊を書き上げるために、かなりの学習と取材をしている。多くの関係者に会って取材するのはもちろん、大学の講座に通って学び、河合隼雄の著作を読み通し、果ては自らが被験者となってセラピーを受ける。

 このセラピーを受ける場面で、ちょっと笑ってしまった。著者は真剣に悩んでいるんで申し訳ないんだが、長く一つの仕事に就いている人なら、わかってもらえるんじゃないかな。なにせ、ドキュメンタリー作家として心がけてきた態度が、この取材では邪魔になってしまうのだ。

 最相葉月は多くの人に取材して話を聞き、作品にする。相手に気持ちよく話してもらうため、「まず自分の存在を消すところから始める」。変に相手を誘導してはマズいので、自分の意見や気持ちは語らないよう心掛けるわけだ。ところが、セラピーを受ける際には、これが邪魔になる。自分の気持ちを出さければセラピーにならないし、取材にもならない。

 といった板挟みもあるし、内面をさらけ出す事への不安もある。

「何かとんでもない自分を晒してしまうのではないかという不安があって、ごまかさなくてはならないという思いもあるようです」

 なんて、正直に恐れを語っている。著者の生い立ちも少し書かれていて、傍から見たら、いわゆる「しっかりした人」だったんだろうなあ、と思ったり。他にもカウンセリングを受けに行ったのに、つい取材の癖が出て…なんてエピソードも。

 現場で出会う人も、禅僧みたいな人もいれば、至極まっとうなビジネスマンもいるし、学者らしい変人もいる。「統合失調症を知りたければ○○先生、双極性障害なら私が」とくれば「専門です」と続くのかと思ったら「症例です」ときたもんだ。病人が医者やってんのかいw でも患者の気持ちはわかってもらえるかもしれないw

 などの魑魅魍魎が徘徊するがごときカウンセラー業界の中で、著者がたどり着いた河合隼雄の箱庭療法(→Wikipedia)と中井久夫の風景構成法(→Wikipedia)は確かに別格で、効果のほどはともかく「なんか面白そう」と思わせるものがある。

 フロイトやユングは、医師と患者が語り合って、患者の心の中を言葉で表そうとした。言葉で表現できれば治療もできる、と考えたのだ。箱庭療法と風景構成法も、表現できればいい、という所は似ている。ただし、言葉ではなく箱庭や絵で表現する所が違う。

「言葉は因果律を秘めているでしょう。絵にはそれがないんです」

 言葉にすると、綺麗な理屈になる。でもそれじゃうまく言葉に出来ないモヤモヤが削ぎ落とされちゃうし、言葉にしたがために「それだ!」と思い込んで考えが言葉に引っぱられる事もある。絵や箱庭なら、得体のしれないフワフワした印象や気分も表せる。つまりは言葉であれ箱庭であれ絵であれ、「表現する」ことが大事らしい。

ここで牧野修「月世界小説」の凄さが改めてわかったり。あの作品、言葉が秘めた因果律を、言葉で壊してるんだ。

 といった手法に加え、セラピストとしての態度でも、河合隼雄と中井久夫は似た部分がある。クライエントに対し「こうですね」とは、言わない。聞き役に徹し、相手が黙っているならじっと待つ。そしてクライエントが作った箱庭や描いた絵に「感心する」。下手に口出ししたり意見を言ったりせず、とにかく感心するだけ。

 こういうコミュニケーションの方法って、なんかに似てるなあと思ったら、キリスト教の告解とバーのママ、そして奥様の井戸端会議だった。無駄なおしゃべりに見えても、実は心を健やかに保つ大事な役割を果たしているのかも。便所の落書きと貶められる某電子掲示板や、アレな同人誌が集まる即売会も、実はガス抜きの役に立って…いるのかなあ?

 絵を描く際の、病気ごとの違いも面白い。統合失調症だと、「要する時間が非常に短く」「ためらいがない」。なんかわかる気がする。「単一色で描くことや、陰影のない」とか、漫画家にもそんな人がいるかも。

 日本でのカウンセリングの歴史に加え、河合隼雄や中井久夫がこういった手法にたどり着くまでの物語は、ちょっとした成功物語っぽくって気持ちが盛り上がるが、私たちが精神医学に持つ胡散臭さを裏付ける事柄も、ちゃんと書いているあたりが容赦ない。なにせ1980年にDSM-Ⅲが入ってくるまでは…

「診る医者によって診断がころころ変わるということを何度も経験してきたんですよ」

 うん、それじゃ確かに胡散臭いよなあ。かといってDSM万能ってわけでもないらしいけど。

 河合隼雄のカリスマは新興宗教の教祖めいているし、中井久夫の穏やかな佇まいは禅僧っぽい。かと思えば臨床心理学を専攻する学生の「心理三分の一説」は、大丈夫かいな?と不安になったり。

 とりあえず、たまには聞き役に徹してみるのもいいかもしれない、そんな気分になる本だった。いや別に女性にモテようとか、そういう邪心は…ごめんなさい、少しあります←をい

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