マーティン・ゴールドスタイン/インゲ・F・ドールドスタイン「冷蔵庫と宇宙」東京電機大学出版局 米沢富美子監訳
熱力学は、エネルギーがある物体から他の物体へ、ある形態から他の形態へ移りゆくことを扱った科学である。
――第1章 日常におけるエネルギーとエントロピー噴散の速さは分子の質量に依存するが、第二次世界大戦中にはそのことが利用され、強力な影響を及ぼした。豊富に存在するウラン238から、それよりも軽くて核分裂を起こす同位元素ウラン235を選り分けることに利用されたのである。
――コラム いろいろな分子の質量や速さを実験で比較する水車では、落ちる水から得られる仕事、つまり「運動を生み出す力」は、水の重さと水が落ちる高さとの積で与えられる。同様にして、熱の「運動を生み出す力」は、熱の量(カルノーはこれを熱素により著した)とそれが落下する「高さ」つまり温度差で決まると考えたのである。
――第5章 エンジンと冷蔵庫 第二法則
【どんな本?】
熱力学の第一法則は、エネルギー保存則だ。これは、なんとなくわかる。だが第二法則となると、難しい。「エントロピーは増大する」。そのエントロピーって、なんじゃい? そもそも、熱力学って、何をする学問なの?
直感的にはわかりにくい「エントロピー」の概念を含め、主にニュートン以降の科学の歴史を振り返って、力学・熱・光・電気・磁力・化学などが統合されてゆく模様を辿り、熱力学として発展してゆく模様を描くとともに、最近の量子力学や相対性理論との関係も明らかにし、熱力学の基本を紹介する、一般向けの科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Refrigerator and the Universe : Understanding the Laws of Energy, by Martin Goldstein and Inge Goldstein, 1933。日本語版は2003年5月20日第1版1刷発行。単行本ハードカバー縦二段組みで本文約426頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント25字×22行×2段×426頁=約468,600字、400字詰め原稿用紙で約1,172枚。文庫本なら少し厚めの上下巻ぐらいの分量。
なお、日本語版の正式な書名は「冷蔵庫と宇宙 エントロピーから見た科学の地平」。訳は森弘之&米沢ルミ子。
日本語の文章は少々硬い。ありがちな「理科の教科書っぽい文章」で、正確さを優先した翻訳だ。内容もいささか高度で、理系の大学生向けのレベル。数式もよく出てくる。それも加減乗除に加え、後半では指数や対数も増えてくる。それなりに覚悟しよう。面倒くさかったら数式を読み飛ばしても構わないけど。
【構成は?】
基本的に前の章を受けて後の章が展開する形なので、素直に頭から読もう。
- 謝辞
- 第1章 日常におけるエネルギーとエントロピー
- 第一法則
- 第二法則
- エントロピーを分子で見る
- 量子力学と相対性理論
- 第2章 仕事と力
- 仕事
- 水力
- 摩擦
- ニュートンによる統合
- 運動エネルギーとポテンシャルエネルギー
- 第3章 熱と仕事 第一法則
- 熱素理論の発展
- 熱素理論が意味するところ
- 比熱 物質の新しい性質
- 論争の始まり
- 物理学の統一
- エネルギーの出現
- ジュールの結論
- 解説1 エネルギーのナットとボルト
- 解説2 外部者、内部者、そして科学的貢献の受け入れ
- 第4章 ミクロな観点から見たエネルギー
- 分子運動の一つのモデル
- ミクロに見た摩擦
- 運動理論の構築、およびそのテスト
- 勝利と失敗
- 第5章 エンジンと冷蔵庫 第二法則
- 熱エンジン、その可能性と不可能性
- 間違った定理と正しい答え カルノーの貢献
- 第二法則とその帰結
- エントロピー 物質の新しい性質
- 解説 エントロピー変化とその決め方
- 第6章 第二法則の意味するところ
- 氷の熱エンジン
- 一方通行の薄膜
- エントロピーと時間
- 第7章 分子レベルで眺めたエントロピー
- コイン、サイコロ、カードに対する確率論
- 秩序と乱れ
- 分子の確率
- 要点の確認 確率とエントロピー
- エントロピーは減少できるか
- 和解
- ふたたび、温度とは何か
- 第8章 エントロピーはなぜ常に増大するのか
- 時間の矢
- トランプのシャッフルについてもう一度考えてみよう
- これまでに提案された解決策
- ニュートンの決定論的法則
- ランダムさ
- 誤差とその結果
- カオス
- 確率と分子
- 第9章 エントロピー、そして(または)情報
- シャノンによる情報量の定義
- 二進数
- 情報とエントロピー
- マクスウェルの悪魔
- 情報に払う代償はない?
- 知性のある生き物と機械的な装置
- 第10章 放射エネルギー、黒体、および温室効果
- 光とは何か
- 高温物体からの放射
- 第二法則が教えてくれるもの
- 黒体放射
- 実際的な結果
- 第11章 化学 ダイアモンド、血液、鉄
- 物理的変化と化学的変化
- 「熱力学的に可能な」反応は実際に起こらなければならないのか
- 平衡状態
- 柔軟性のある平衡状態
- 第12章 生物学 筋肉、腎臓、進化
- 筋肉の仕事
- 化学エンジン
- 熱力学と創造説信者
- 第13章 地質学 地球の年齢は?
- 地球内部での熱の流れ
- 放射能と地球年齢
- 第14章 量子力学と第三法則
- 量子力学 新しい分子論
- 量子力学の基本概念
- 量子力学と熱力学 何が変わって何が変わらないか
- 第三法則
- 第15章 相対性理論と宇宙の運命
- 特殊相対性理論
- なぜE=mc2なのか
- 一般相対性理論
- ブラックホール
- 一般相対性理論がいかに第一法則と第二法則を変えるか
- 宇宙の運命
- 解説1 相対的時間
- 解説2 結合エネルギー曲線
- あとがき/付録 数学の道具
- 訳者あとがき/索引
- コラム
- 永久機関
- はずみ車
- 溶ける雪についてジョセフ・ブラックが語る
- 現代のカロリー・メーター
- エネルギーの変換
- 物質の状態:気体、液体、固体
- マクスウェルの速度分布に対する実験的検証
- いろいろな分子の質量や速さを実験で比較する
- 米国特許をとった永久機関
- 天球の音楽
- 低いエントロピーと高いエントロピー
- ウサギのカオス
- 鋭い注意力と手先の器用な生き物
- 化学的運動学
- ダイアモンドの熱力学
- 仕事はいつも測ることができるのか
- 自由エネルギー
- 長時間にわたって行われる作用の効果
- ある種の運動がとり得るエネルギー
【感想は?】
熱力学ってのは、冷蔵庫やエアコンを改良したり、クルマのエンジンを設計する学問かと思ったら、全然違った。
いや確かにそういう部分にも応用されてるんだろうけど、もっと幅広い学問なのだ。どうやらエネルギー全般を扱う学問らしい。そのエネルギーにも色々あって…
私たちはエネルギー保存則を知っている。モノが動いたり止まったり、飛んだり落ちたり、溶けたり凍ったりすると、エネルギーが変わる。水力発電は水の位置エネルギーを電力に変えるし、クルマのエンジンはガソリンと酸素の化学エネルギーを運動エネルギーに変える。
エネルギーの形は変わるけど、全体としてのエネルギーの量は変わらない。これがエネルギー保存則だ。
お陰で私の下腹にはタップリと化学エネルギーが溜まった。こういうエネルギーを、一般にはカロリーで表す。1カロリーは「1グラムの水を1℃上昇させるために必要な熱量」だそうで、なら水風呂に浸かっていれば痩せるのか? と思ったが、一般に食品のカロリーはキロカロリーすなわち1000カロリーで表すので、水風呂じゃ誤差程度だった。
今でこそ熱も電気も同じ「エネルギー」だが、昔の科学者たちは別々に扱っていた。熱は「熱素」なるシロモノの量で決まる、と考える人もいたのだ。今となっては間違いだが、直感的にはわかりやすい。指で氷に触ると指が冷たくなり氷は解ける。これを指から氷に熱素が移った、と考えたわけ。
これを蒸気エンジンに応用して定式化したのが、サディ・カルノー(→Wikipedia)で、彼の式はエンジン屋の聖典だ。
Eff = ( TH - TL ) / TH
ここで TH はエンジンの高温部で、TL はエンジンの低温部。温度差が大きいほどエンジン効率はいいって理屈で、今でもエンジン屋さんはこの式に従って工夫している。より高温で燃やすほど効率は良くなるが、エンジンの部品が耐えられない、じゃどの辺でバランスを取るか、みたいな。
話がそれた。それぐらい重要な式を見つけたカルノーなんだが、その元となったのが、今となっては間違いとされている熱素理論ってのが面白い。でもなんかわかりやすいんだよね、熱素理論。
やがて話題はエントロピーへと向かい、ここでは「確率」が舞台に登場する。値が決まれば結果も決まる筈の物理学で、結果があやふやな確率が出てくるのも変な気がするが、エントロピーとはそういうモノらしい。つまりは分子のバラけ方って事だが、その「分子」を巡ってのロバート・ブラウン(→Wikipedia)の逸話は有名。
だが、落ち着いて考えると、ブラウン運動をめぐる話は怪しげに思えてくる。だって花粉でしょ。生物じゃん。勝手に動いても不思議じゃなくね? と思ったら、やはり当時も同じ異議が出たようで、「無機質の微粒子を水中に漂わせる実験も行った」。やっぱりちゃんと異論が出て検証したんだなあ。
終盤では、相対性理論や量子力学が登場してくる。アインシュタインがノーベル賞を取った光電効果(→Wikipedia)に、意外な人物が出てくるのに驚いた。なんとトーマス・エジソンだ。この本ではエジソンの実験結果をアインシュタインが理論づけた、となっている。
光を金属に当てると電子が飛び出す。ただし電子が飛び出すか否かは光の強さは関係なく、光の色で決まる。赤い光じゃどんなに強くても飛び出さないが、紫色だと飛び出す。確かに不思議な現象だよなあ。
有名なブラックホールも、18世紀に予言されているとは知らなかった。この本では「ケンブリッジ大学のジョン・マイケル(→Wikipedia)」が「1783年に論文を発表した」となっているが、Wikipedia によるとラプラスと同時期ってなってる。
にしても、かのスティーヴン・ホーキングが語るブラックホールのホーキング放射(→Wikipedia)の説明が豪快だ。曰く「ホーキングが出した驚くべき答は、とにかく放射をするというのである」。ええんかい、そんなんでw
などのエピソードに混ぜ、理想気体・黒体放射・触媒・熱死などSF者や科学解説書愛好家にはお馴染みの用語とその意味を語りつつ、熱力学的に見た宇宙の姿や生物のしくみなど、意外な視点を影響してくれる本だった。ただし、理系の大学の教科書として使ってもいいぐらいの歯ごたえはあるので、充分に覚悟はしておこう。
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