ベルンド・ハインリッチ「マルハナバチの経済学」文一総合出版 井上民二監訳 加藤真・市野隆雄・角谷岳彦訳
この本全体の目的は、マルハナバチをモデルとして、生物学的なエネルギーのコストと利益について探求するということである。
――まえがきコロニーの利益は究極的には崩壊の時以前に生産された新女王バチと雄バチの数によって測定できる。
――7 コストと利益の巧みなバランス
【どんな本?】
マルハナバチ(→Wikipedia)は、北半球のほぼ全域に住み、日本でも15種が見つかっていて、比較的に身近な昆虫だ。多くの種は春に女王が目覚め、土中などに巣を構えコロニーを作り、花粉と蜜を集めて子を育て、晩夏から秋に多くの新女王が巣立ち、交尾して土の中で冬を越す。
ミツバチに比べコロニーが小さく多くの蜜を貯めないため蜂蜜採りには使えないが、農作物の受粉用に使われることもある。
身近なマルハナバチを例にとり、彼女たちを「女王を再生産する工場」と見立て、原材料費・加工費・光熱費などを、周囲の環境・彼女たちの戦略・季節や時間などの変化も合わせ、その収支を科学的な手段で測り数値化した、現代生物学の古典的な名著。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Bumblebee Economics, by Bernd Heinrich, 1979、日本語版は1991年11月20日初版第1版発行。単行本ソフトカバー横一段組みで約289頁。9ポイント35字×28行×289頁=約283,220字、400字詰め原稿用紙で約709枚。文庫本なら厚めの一冊分ぐらい。
文章はやや硬いが、悪文ではない。内容は拍子抜けするぐらい素人にも優しく、化学式は滅多に出てこない。稀に数式が出てくるが、加減乗除だけなので、あまり構えなくていい。数式の大半は費用と利益に関するもので、x円の物をy個仕入れz円で売ったら利益は幾ら、みたいなもの。
【構成は?】
基本的に前の章を受けて後の章が展開する形なので、素直に頭から読もう。
- 日本語版への序文/謝辞
- まえがき
- 1 コロニーの生活環
- 2 コロニーの経済
- 3 空飛ぶ機械とその温度
- 4 ウォーミングアップ
- 5 巣の暖房
- 6 熱の転送システム
- 7 コストと利益の巧みなバランス
- 8 通勤と採餌のための移動
- 9 個体主導による採餌の最適化
- 10 種間競争
- 11 送粉とエネルギー論
- 12 生態学と共進化
- 13 要約
- 14 マルハナバチの飼育法
- 15 北米のマルハナバチ
- 文献/さくいん
- 付・日本産マルハナバチの分類・生態・分布(伊藤誠夫)
- 監訳者あとがき
【感想は?】
楽しそうな育成シミュレーション・ゲームの、とっても詳しいシナリオ。ゲームは、こんな感じだ。
<概要>
あなたは早春に目覚めたマルハナバチの女王です。秋までに、できるだけ多くの新女王を巣立たせましょう。だいたい100匹ほど巣立てば、うち一匹ほどが冬を越して生き残れます。
<ゲームの流れ>
1)巣作り
2)働きバチを育てる
3)コロニーの拡張
4)更にコロニーを広げる:2)と3)の繰り返し
5)雄バチと新女王を育てる
<特徴>
このゲームの特徴は、常に蜜と花粉が制約条件となる点です。あなたも働きバチも、できるだけ要領よく花から蜜と花粉を集めなければなりません。いかに巧みに蜜と花粉を集めるかが、このゲームのポイントです。
特に蜜が最も大事な役割を果たしますが、これは次の章に譲り、まずは花粉の役割から説明しましょう。
花粉は、あらゆるモノの原材料です。あなたが生み育てる働きバチ・雄バチ・新女王は、花粉を食べて肉体に変換します。その変換効率は、質量にしてほぼ100%で、「花粉1gは体重約1gの成虫を生産」できます。
女王蜂の体重は約0.43g,雄バチ(と働きバチ)は約0.1gですから、10匹の働きバチを育てるには約1gの花粉が要ります。1匹の働きバチは、平均して1日に0.2gの花粉を集めますので、4~5日で新女王1匹分の花粉を集める勘定になります。
花粉は他にも、巣の建材になったり、蜜壺の材料になったりします。
<蜜>
蜜は花粉以上に重要です。あなたや幼虫や働きバチの主食であり、エネルギー源です。飛ぶのはもちろん、幼虫を育てるのにも必要だし、花粉と共に巣や蜜壺の材料にもなります。
意外な事に、マルハナバチは体温があります。これは大変に重要で、胸の体温が30℃~45℃でないと飛べません。体温を上げるには、胸の筋肉を動かします。マルハナバチの羽は凄まじい高速エンジンで、空中に浮くときは1秒間に約200回転もします。アイドリングで12000rpmですよ。そこらの車ならレッドゾーンをブッチ切ってます。
筋肉と羽の間にはクラッチのような機構があり、羽を動かさずに筋肉だけを動かす事も出来ます。体が冷えている時は、クラッチを切り羽を動かさず暖機運転します。車と同じで、冷えている時は速く回せません。少しづつ回転を上げ体を温めます。
マルハナバチは小さいので、寒い時はすぐ体が冷えてしまいます。冷えると素早く飛び立てません。そのため、飛んでいない時も、急発進できるようアイドリングして体を温めておく場合があります。
車がガソリンや軽油で走るように、マルハナバチが筋肉を動かして飛ぶには蜜が要ります。正確には蜜の中の糖です。つまり、花まで飛んで蜜を集めるには、元手となる蜜が必要なのです。では、燃費はどれぐらいでしょうか?
1グラムの水の温度を1℃上げるには、1カロリー必要です。働きバチだと、体温を1℃上げるには約0.02カロリーが要ります。気温5℃の時に体温を30℃に保つには、1分間に約0.5カロリーちょっとを消費します。なお、気温が25℃以上の時は、1分飛ぶのに約0.27カロリーを消費します。
1mgの糖は4カロリーの熱になります。「糖度20%の蜜を1μ?採集したら、その花蜜中に0.8カロリー」を得られます。計算式では 1×0.2×4=0.8 となります。充分に花蜜を蓄えたヤナギランの花は、糖度33%の蜜を5.4μ?含むので、働きバチが約10分飛ぶエネルギーを持ちます。
なお、一匹のマルハナバチが運べる蜜の量は、体重の約90%です。
<いつ、どこで蜜を集めるか>
寒い早朝は燃費が悪いので、蜜集めに向かないように思えます。しかし、多くの草花は夜の間に蜜を蓄えるので、早朝は多くの蜜を持っています。温かくなる昼頃には、他の虫やハチドリに蜜を奪われ、少しの蜜しか採れません。早朝は大きな元手がかかりますが、儲けも大きいのです。
巣の近くの花は長く飛ばずに済むので、元手が少なくて済みます。しかし、同じ巣の仲間も同じことを考えるので、既に蜜を取られている場合が多いでしょう。遠征して稼ぐのもよいですが、充分な元手が必要です。
<経験値>
働きバチは経験を積むと、蜜の集めるのが上手になり、短い時間で沢山の蜜を集められるようになります。ただし、経験値は花ごとに異なります。ミズネコヤナギの経験値はミズネコヤナギだけに有効で、ヤチツツジの蜜集めには効きません。そのため、個体ごとに得意な花を決めるとよいでしょう。
花は、種ごとに開花の時期が違います。例えばカナダシャクナゲは5月末~6月初に咲き、3週間ほど後にラブラドルイソツツジが咲きます。
そんなわけで、極端に一種類に特化すると、次の花には役立たずになってしまうので、それぞれの働きバチは「主な花8割+次に得意な花2割」ぐらいにしておきましょう。また、各働きバチごとに異なった専門を持たせ、コロニー全体としては多角経営になるように心がけましょう。
<ゲーム開始時>
ゲームを始めたら、まず近くの花で蜜と花粉を集めて飛びながら、巣に相応しい場所を探します。リスやネズミや小鳥の放棄された巣がよいでしょう。保温に優れた草やオガクズなど乾いてフカフカな物を集め、巣にします。次に蜜と花粉を集めて蜜壺を作ります。これはあなたの食器と共に、幼虫の餌箱でもあります。
準備が整ったら卵を産みます。だいたい8~10個です。
意外な事に、マルハナバチは抱卵します。温度が30℃ほどでないと、卵の中の幼虫が育たないのです。鳥のようにずっと抱える必要はなく、冷えても再び温めれば再び成長を始めるのですが、育つのは30℃以上に温まっている時だけです。そのため、巣の保温がの良しあしが、卵の孵る日数を決めます。
温めるための熱源は、あなたの体温です。胸の筋肉を動かして熱を作ります。熱を作るには蜜が要ります。そこであなたは、近くの花から蜜と花粉を集めて巣に戻り、暫く卵を温めては再び蜜を集め…と、忙しく働かねばなりません。
卵が孵ると、ウジ虫のような幼虫になります。これはみな働きバチです。あなたは蜜と花粉を集め、幼虫に与えます。やがて幼虫は蛹になり、羽化して成虫に育ちます。
最初の成虫が羽化するまで、あなたは巣作りに蜜集めに抱卵と多忙ですが、成虫が羽化すれば仕事は働きバチが引き継ぎ、あなたは産卵に専念できるでしょう。ただし、まれに卵を食べようとする不届きな働きバチもいるので、卵には充分な注意を払いましょう。
<コロニーの大きさ>
できるだけ沢山の新女王を育てるのが目的のゲームですが、コロニーが大きすぎるのも問題です。なぜなら、コロニーが大きくなると、必要な蜜の量も 多くなり、より遠くに遠征しなければならず、より多くの元手がかかるからです。遠くに飛ぶほど必要な元手は増えますが、採れる蜜が増えるとは限りません。
ゲームバランスに応じ、コロニーのサイズを適切に抑えるのもコツのひとつです。
――
と、読み終わると、「まんま育成シミュレーション・ゲームになるんじゃね?」と思えるほど、詳しく調べてあるのが凄い。しかも、旧来の生物学のように、定性的にマルハナバチの生態を調べるだけで終わらない。
酸素消費量から消費カロリーを求めたり、センサーをつけて体温を測ったりと、徹底して数字を追い求め、「新女王蜂を再生産するシステム」として収支を計算しているのが、本書の際立った特徴。その分、数字が多くなるので、数字が苦手な人は頭が痛くなる本かも。
私はガスト社のアトリエ・シリーズを思い出しながら読んだ。だって働きバチ、最初は間抜けだけど次第に専門家に育つあたり、あの妖精さんによく似てるし。そんなわけで、アトリエ・シリーズが好きな人にお薦め…って、えらくピンポイントだなw
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