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2016年6月20日 (月)

牧野修「月世界小説」ハヤカワ文庫JA

〔いつでもない時代〕
 それはポリイによって詠まれる物語だ。
〔ありもしない世界でいもしない誰かがとても楽しい偽物の夢を見ていました。あまりにも楽しい夢だったので誰でもない誰かは偽物の夢の中で生きることに決めました〕

【どんな本?】

 鬼才・牧野修が綴る、言語と幻想の黙示録。SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2015年版」でベストSF20015国内篇2位に輝く話題作。

 2014年。親しい啓太に誘われ、作家の菱屋修介は原宿のプライド・パレードを見に出かけた。華やかなパレードを楽しんでいた時、恐ろしい音が鳴り響き、天使の群れが現れた。天使が喇叭を吹くたび、地は震え燃える岩が降り注ぎ巨大な蝗が這い出す。世界の終末だ。

 絶望した菱屋は、目を閉じて馴染んだ妄想に逃げ込む。幼いころから造り上げてきた白昼夢、月世界。そこに居るのは限りなく優しい人ばかり。

 …の筈だったが、月世界で菱屋に語り掛けたのは、無表情で屈強な軍人だった。「月世界へようこそ」

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年7月15日発行。文庫本で縦一段組み本文約414頁に加え、山田正紀の解説「わが子よ、『月世界小説』を読みなさい。」7頁を収録。9.5ポイント39字×17行×414頁=約274,482字、400字詰め原稿用紙で約687枚。文庫本としては少し厚め。

 「言語」がテーマのSF作品なので、相当に捻くれた文章かと思ったが、不思議なくらいにこなれている。一部にはケッタイな文章もあるんだが、テーマ的にケッタイでなければならない部分だし、それこそが牧野味の魅力でもある。内容もわかりやすい。改めて読み直すと、実は込み入った理屈を展開しているんだが、読んでいる際はなんとなく納得しちゃうあたりが、牧野修の騙りマジック。

 グロ描写が達者な著者だが、この作品では比較的に控えめ。ちなみに表紙イラストにある John Dee はこんな人(→Wikipedia)

【感想は?】

 テーマは言語であり、世界そのものでもある。

 現在のプログラムは、たいてい高級言語で書かれる。今はそれほどでもないが、昔は言語によって「できる・できない」が決まっていた。例えば FORTRAN では再帰呼び出しができない。無理すれば不可能じゃないが、言語仕様としては再帰呼び出しをサポートしていない。

 そのため、FORTRAN で育ったプログラマは、再帰呼び出しって概念を持っていない。説明されても、何のことだか意味がわからないし、なぜ必要なのかもわからない。

 COBOL はゲームを作るのに向かない。たいていのゲームはリアルタイムでキーボードやコントローラのボタンの状態を知る必要があるが、そういう機能を COBOL は持っていない。OSのAPIを言語仕様に組み込んであるので、新しいハードウェアやサービスに対応するには、COBOL の言語仕様やコンパイラから作り直さなきゃいけない。 

 そのため、昔の COBOL のプログラマは、OSのサービスと言語仕様の区別がついていなかった。「現在、SHIFT キーが押されているか否か」を調べるのはOSの機能なのだが、COBOLプログラマはプログラム言語の機能だと思っていた。というか、昔の大型汎用機のプログラム言語は、みんなそういう仕様だったのだ。

 c言語の優れた点の一つは、言語仕様とOSのAPI(またはそれを使うライブラリ)をハッキリと区別した点だ。

 OSのサービスを使う部分は、ライブラリとして言語仕様から外した。fgets() だの printf() だのは、厳密に言うとc言語の仕様ではない。c言語標準ライブラリの仕様だ。ポインタや構造体は言語仕様だが、入出力やプロセス制御はライブラリやOSの機能だ。

 # この辺、もしかしたら間違っているかもしれない

 こういったc言語の仕様は、革命的だった。少なくともボンクラなプログラマの私には。ある意味、世界の認識が変わったと言ってもいい。「そうか、プログラム言語とOSのAPIは違うのか!」と。

 これは、言語が人の思考を縛っていた一つの例だ。それまでOSのサービスとプログラム言語の仕様の区別がつかなかった私が、c言語を知って、「それは違うのだ」と悟ったのだ。そう、言語は人の思考を、世界観を縛るのだ。

 多くのプログラマにとって、データとプログラムは別の物だ。だが、コンパイラを作る者にとっては、プログラムこそがデータだったりする。LISP屋なんて出鱈目もいいところで、形式上はデータもプログラムも違いはない。だもんで、プログラムの中でプログラムを作って実行する、なんて真似をやったりする。

 もっともこれはアセンブラ屋も同じで、彼らにとって全てはバイト列だから、自らを書き換えるなんて技を使う職人もいる。

 などと、使う言語によって、ヒトの思考は影響を受け、それは世界観にも影響を及ぼし、社会も影響を受けてゆく。

 ってな小難しい話が分からなくても、この小説は充分に楽しめる。分かっていると更に迫力が増すってだけ。なんせ、菱屋修介が渡った先の月世界ってのが、牧野マジックがフル展開する異様極まりない世界だし。なんだよ『よじれ!れじれ!スノモモ娘もギチギチすぐよ~ん』ってw

 などとは別に、やはりこの物語で描かれる1975年の(異)世界も、オジサンには懐かしかったり。

 当然ながら、私が知っている1975年とは色々と違ってるんだけど、その元ネタが実に郷愁を誘うもので。痴呆症老人はヘンリー・ダーガー(→Wikipedia)を思わせるし、某超能力者(→Wikipedia)やら某出版物(→Wikipedia)やら某ベストセラー(→Wikipedia)やら五百円札やら。

 今はスマートフォンが当たり前だけど、当時は呼び出し電話だったし、テレビはブラウン管で、温まるまで数分かかった。電波状態が悪いと画面をゆっくりノイズの縞が横切ったり。そういえば1999年7月、特に騒動を起こす奴はいなかったね。

 といった懐かしいシロモノをアレンジするばかりでなく、当時の日本社会もなかなか悪趣味にアレンジしているあたりが、著者の味だったり。当然、そこで展開される物語も、厨二な妄想なんて甘っちょろいシロモノではなく。

 物語なんて、所詮は妄想だ。どうせ妄想するなら、思いっきりイカれてケッタイな世界を創りだしてみろよ、そう激を入れられたような気になる、物語と妄想を愛する全ての人に薦め…られるかなあ? まあ、アレです、頭のネジを吹き飛ばされるのが快く感じる人向けの、奇想が詰まった極楽エンタテイメント。

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