フィリップ・ボック「現代文化人類学入門 1~4」講談社学術文庫 江渕一公訳 3
技術体系はそれだけでは作動しないので、技術体系の変化と社会構造の変化とは手をたずさえて進む。
――第四部 技術体 序論人間は自分の肉体的努力の結果が不確かなばあいは、いつでも、そうした努力に加えて、霊的技術を用いようとする傾向をもっている。
――第九章 技術と技能
フィリップ・ボック「現代文化人類学入門 1~4」講談社学術文庫 江渕一公訳 2 から続く。
【技術】
技術というものは、狭い範囲の地域的伝統のなかに生きながらえる傾向がある。実際、工芸がある国から別の国へ伝播するのは、その技術をもつ職人の集団が移住したことによるばあいが多い
――第九章 技術と技能
ヘンリー・ペトロスキーの「鉛筆と人間」には、芯のレシピが何度も再発明された歴史が出てきた。技術ってのは、それを使いこなせる人が必要らしい。確か紙もそうだった。
加えて、特定の技術に携わる職人は、まとまって一つの村や町を作る性質があるようだ。現代でも、シリコンバレーがそうだなあ。確かにコンピュータ・エンジニアが一か所に集まると、様々なアイデアが交換されて、斬新なシステムが生まれやすいだろう。日本もプログラマ団地を作れば…いや、みんなデスマーチで誰も家に帰らないから意味ないかw
【食料調達】
「食料採取民の間では、植物系の採集はほとんど一定して女性」が担う場合が多いってのは、なんかわかる気がする。しかも「最近の研究は(略)集団の食物に対する貢献度というてんからいうと、ふつう、女のほうがより重要」だとか。やっぱり安定してるから、だろうか。
お陰で、オーストラリアのティウィ族じゃ、年配の後家さんがモテモテ。なぜって、知識と経験が豊かなもんで採集も調理も上手だから。結局、男は胃袋さえ掴んじゃえば逃げられない生き物なんです。
農耕で「おお!」と思ったのが、ユカタン半島のマヤ族の焼き畑。ここでは掘った穴に「トウモロコシの実数粒とマメやカボチャの種とを混ぜ合わせたものを入れる」。
複数種の作物を同じ所に植えるってのは現代農業からすると無茶苦茶な気がするが、マメは窒素を固定する働き(→Wikipedia)があるし、一種類の害虫や病気で全滅する可能性も減るんで、理に適ってるのかも。
にしても、トロブリアンド島の迷信には意表を突かれた。「ヤム(イモ)は呪術師の求めに応じて、地面のすぐ下をさまよい歩く」。土中をほっつき歩くイモって、その発想はなかったぞ。巧く料理すればちょっとした小説に…と思ったが、既に草上仁が書いてそうな気もする。
【思想】
(思想の)体系化の動きが現れるのは、主として葛藤の時代であって、現状を守るためか、または反対に、現状のもつ矛盾を明らかにして、その打破を要求するためか、そのいずれかを必要とするばあいである。
――第五部 思想体系 序論
当たり前のことが当たり前に通用しているうちは、そういう思想がある事にすらヒトは気づかないわけです。
この項では神話・伝説の類も追いかけてて、ムーの読者が喜びそうな記述もある。
ある非常に広くゆきわたっている観念の一つに、地球はかつてくまなく水におおわれていたが、伝説上の人物のある特殊な行為が「陸地を出現させた」というのがある。
洪水伝説とも取れるが、日本の国生みも似た構造だよね。「人物」じゃないけど。
途上国の発展が難しい理由も、思想面で二つほど上げている。いずれも倫理観の問題だ。官僚は公平無私を求められるが、伝統的な倫理観は親族を重んじよと命じる。つまり彼らは腐敗しているんじゃなくて、伝統的な価値観に従い正しく行動しているわけ。
もう一つは、「平準化メカニズム」。っていうと小難しいが、格差をなくそうとする働きだ。悪くないように思えるが、問題は「必ずしも経済的でもなければ生産的でもない使い道で、しいて消費させようとする」。出る杭は叩き壊せ、と。途上国で過激な共産主義がはびこりやすいのも、こういう思想的な背景があるためかなあ?
これが途上国の発展を阻んでもいるんだが、「土着の社会体系の根本的な崩壊をもたらさないことには、それらをなくすことはできない」と、著者は悲観的。
【調査】
文化人類学のもっとも一般的な目標は、あらゆる人類文化の間に見られる類似点と相違点、およびそれらをうみ出した過程を理解しようとすることである。
――第十三章 比較法
四巻では、文化人類学者が現地調査で心がける事を列挙していて、これがちょっとしたボヤキにも解釈できるのが楽しい。例えばエヴァンス=プリチャード(→Wikipedia)がヌーア族を調べた際、最初は言葉も通じず疑われて「余計なヨソモノ」扱いだったけど、言葉を覚えて親しく付き合えるようになった。
なったはいいが今度は仲良くなりすぎて、ひっきりなしに客がやってくる。誰かに地域の風習について尋ねてる最中に、別の奴が割り込んでくだらない冗談をかます。それは「ヌーア語の知識をふやす機会にはなったものの、同時に激しい心身の疲労を強いるものであった」とボヤいている。人気者はつらいね。
「最近の若者は」みたく昔を美化する話はよくあるが、これも別に日本独特ってわけじゃなく、「民族誌学的調査では非常に多い」そうな。
理念的文化、すなわち、人びとが、こうあるべきだ、と考えていることと、現実的文化、すなわち、与えられた状況において人びとは実際にどう行動するか
は、キチンと区別して、ちゃんと数字を取って確認しようね、と釘を刺している。こういう性質は別に未開からってわけではなく、ヒトってのはそういう性質を持ってるって事だんだろうなあ。やっぱり記録の重要さを強調している所では…
調査者がたまたま出くわした、強烈ではあるが典型的とはいえないできごとを不当に重視する
のを防ぐため、予め観察計画を立てようね、とあったり。これがテレビ番組だと、見事に逆の方針で作ってるから、映像メディアは慎重に見ないと危ない。逆に現地の人に映画を撮らせるなんて手法もあるとか。そうする事で、彼らの興味のありかがわかるわけ。確かにカメラマンが男だと、綺麗な女ばかりを撮りたがるかも←それはお前ぐらいだ
【推論】
一般的進化の研究は、全体としての人類文化の全般的な進歩の傾向に関心を持つ。その進化の度合いは、エネルギー源に対する人類の支配力の増大という観点から測定される。
――第十三章 比較法
そうやって調査して集めたデータを処理する方法もいろいろあって。
動植物のルーツを探る方法だと、遺伝的な変異が最も大きい地域が原産地だろう、みたいな仮説が有力だし、言語に関しては柳田國男の「蝸牛考(→Wikipedia)」なんて労作がある。似たようなので「年代-領域原理」も、ちょっと納得のアルゴリズムだ。例えば、いくつかの集落が散在する地域があって…
- 東側の集落にはラジオだけがある。
- 中央の集落にはラジオと白黒テレビがある。
- 西の集落にはラジオと白黒テレビとカラーテレビがある。
このデータから、ラジオ・白黒テレビ・カラーテレビを、古い順に並べてみよう。
ってな場合、より広く行きわたっているモノほど古い、とする理屈だ。言われてみれば当たり前のように聞こえるが、こういうのをキチンと文章化すると、なんか納得しちゃうんだよなあ。
【おわりに】
「人間というものについての理解の拡大をはかること」こそは、人類――ヒトにかんする正しい研究を標榜する学問としての人類学が継続して掲げるべき目標である、とわたしは信ずるのである。
――エピローグ
この著作では、何度も自文化中心主義(→Wikipedia)を諫める文章が出てきて、一種の思想書みたいな気配すらある。
異文化のもつ統合性を尊重する態度をひろく普及させることによって、自文化中心主義の傾向を減退させることが、今日、人類学者が追及している重要な実践的目標なのである。
――第十一章 価値体系
そういう点では、思想的に合わない人もいるだろうが、一見奇妙な伝説やしきたりもアチコチに出てくるので、社会的なセンス・オブ・ワンダーを求める人にはお勧めのシリーズ。でも今は手に入りにくいんだよなあ。残念。
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