フィリップ・ボック「現代文化人類学入門 1~4」講談社学術文庫 江渕一公訳 2
「文化」は、ある人間集団の成員の行動に影響を及ぼす期待、信仰、あるいは同意のすべてを含む。これらの共有観念は、意識的なものであるとは限らないが、つねに社会的学習によって伝達されるものであり、それはあらゆる人間社会が当面する適応上の諸問題に対して、ひと組の解決法となっているものである。
――第一章 生物学的背景言語体系においても、親族体系においても、ある種の属性の選択と強調が行われ、他の属性およびそれらに基礎をもつ範疇は、系統的に無視されるという傾向が見られるのである。
――第四章 人間の種類
フィリップ・ボック「現代文化人類学入門 1~4」講談社学術文庫 江渕一公訳 1 から続く。
【三つの特徴】
本書の特徴は、次の三つだろう。
- 「範疇」と「準則」
- 文化相対主義
- ときどき皮肉なユーモア
【「範疇」と「準則」】
これが、著者が強調する本書の特徴だろう。
「範疇」は、モノゴトの分け方だ。
例として、親戚の「おじ」を考えよう。日本語で「おじ」は、以下の四種類がある。
- 父の兄弟。
- 父の姉妹の配偶者。
- 母の兄弟。
- 母の姉妹の配偶者。
私たちにとって、これは当たり前に感じる。「おば」って言葉もあって、これは 父の姉妹/父の兄弟の配偶者/母の姉妹/母の兄弟の配偶者 を表す。
ここから、日本では親戚関係を、二つの属性で区別していることが分かる。一つは世代だ。おじ・おば共に、父母と同じ世代に属する。もう一つは、性別だ。男ならおじ、女ならおばと呼ぶ。
と同時に、無視する属性もある。まず年齢。稀に年下のおじ・おばも存在しうる。他にも父系と母系の違い・血縁の有無(父の姉妹の配偶者や母の姉妹の配偶者とは血縁がない)・生死の別などを無視しているわけだ。
このように、モノゴトの区分け方から、どんな属性を見てどんな属性を無視するかで、「範疇」ができあがってゆく。
そして、それぞれの「範疇」には、相応しい行動スタイルが決まっている。これを準則と著者は呼ぶ。極論すれば、範疇と準則が文化の要素というわけ。
【文化相対主義】
本書の用語解説では、こうなっている。
信仰や慣習は、それらを一部分として包摂する文化全体という観点から把握されなければならない、とする態度。
なんかケッタイな習慣も、文化全体を見ると、ソレナリに意味がある(場合が多い)、みたいな観点かな。これは Wikipedia も見てほしい。
用語解説に沿った例だと、交叉イトコ婚がある。これは、父の姉妹の子または母の兄弟の子との結婚が奨励される風習だ。
世界には母系社会と父系社会がある。母の血統を重視する社会と、父の血統を重視する社会だ。仮に極端な母系社会を例にしよう。有力な一族・源氏がいる。母が源氏なら、その子は(男でも女でも)源氏だ。父が誰だろうと関係ない。父が源氏でも、母が源氏でなければ、その子は源氏ではない。源氏は女だけを通じて受け継がれる。
あなたは源氏で、男だ。あなたの母も源氏だ。あなたの祖母も源氏だ。あなたの母の兄弟も源氏だ。なぜなら、源氏である祖母の子だから。だが、あなたの母の兄弟の娘(交叉イトコ)は、源氏ではない。この場合、交叉イトコ婚が奨励されるケースが多い。そうする事で、交叉イトコは一族の身内になるからだ。
交叉イトコ婚という現象だけ見ると、何かケッタイな風習のように思えるが、他のルールとの関係で、それなりに合理的な意味があるわけ。そういえば「ヌードルの文化史」に、箸の文化は麺の文化と重なってるって話があったなあ。
【皮肉なユーモア】
これは文化相対主義とも重なっているんだが。
文化人類学というと未開の民族を対象にするような印象があるし、実際に多くの民族の例が出てくるんだが、当時に世界的に有名な民族「カメリア族」なる者も登場する。名前からわかるように、アメリカ人だ。文化人類学者の目でアメリカ人を見て、その習慣を紹介しているわけ。
これは一巻の末尾、アメリカの高校や大学の卒業式や、海兵隊の新兵訓練の様子を描く部分が、なかなか楽しい。コドモからオトナへの通過儀礼(→Wikipedia)として解釈し、分離→移行→統合 のステップで説明してゆく。例えば海兵隊だと、次の三段階のステップを経るわけ。
- 分離:今までの地位を失う。自分の家族やなじみ深い環境から引き離される。
- 移行:新しい地位(海兵隊員)に相応しい言動を学ぶ。往々にして厳しく屈辱的な扱いを受ける。
- 統合:新しい地位を得て、今までとは異なる集団(海兵隊)に迎え入れられる。
なお、通過儀礼に関しては二つほど面白い話があった。一つはこれ。
母親と幼い男の子が親密な社会ほど、思春期の成年儀礼は血なまぐさく、「おうおうにして、割礼や、その他性器に傷をつける儀式をともなっている」。
巧く説明できないけど、なんか分かるような気がする。強引に母ちゃんから引き離さないと、マザコンを卒業できない…ってのは、ちょっと違うか。でもムスリムの母ちゃんって、子煩悩な人が多い気がする。根拠は全くない。
もう一つは、これ。
通過儀礼が厳しいほど、新しい地位を人は大事にする。
これは「影響力の武器」にもあったなあ。海兵隊の例で考えると、新兵のシゴキにも意味があると思えてくる。そうすることで、海兵隊員の地位を誇りに感じ、忠誠心が増すわけで、軍には都合のいい効果だ。
【言語】
文法は、一般的に二つの相互に関係ある部分に分かれる。その第一は、形態論(morphology)で、語の構成法を取り扱うものである。第二は統語論(syntax)で、句、節、文その他、語よりも大きい構造をもつものを対象とするものである。
――第二章 言語の習得
…えっと、lex と yacc の違い? などとトボけた事を言っているが、ここでは言語学の基礎的な話から始まる。
色の名前が意外で、基本的色彩が2~11と結構バラついてる。というか、たった2色でどうするのかと思ったら、白と黒だった。更に、「付け加えられる各範疇が規則正しい順序で現れる」とか。まあヒトの目の構造が同じなんだから、当たり前なのかもしれない。
なお、その順番は 明るい→暗い→赤→(黄 or 緑)→(黄 or 緑)→青→茶 までは、だいたい決まってるそうな。これに続くのは結構不規則で、灰色・桃色・橙色・紫だとか。赤って、やっぱりインパクトある色なんだなあ。
【子育て】
現代社会の核家族じゃ子育ては母親の仕事みたいな雰囲気で、お母さんの負担は大きくなる一方。「地域で子育て」なんて話もあって、そういう文化も多い。
例えばスーダンのディンカ族。
ここじゃ「子供が生まれ落ちるとすぐ、助産婦は赤ん坊の鼻腔から粘液を吸い出して呼吸ができるようにする」。以後、助産婦さんは「受領者・受託者」と呼ばれ、子どもと「霊的なきずな」で結ばれる。たいてい助産婦ってのは相応の歳の女性だから、お母さんにすりゃ頼れる育児ヘルパーなんだろう。
サモアの場合だと、親戚が子供に何かと用事をいいつけコキ使う。酷いようだが、メリットもあるのだ。「子どもたちは一時間たりとも監視の目からのがれることは、ほとんど不可能に近い」。つまり常に誰かが子どもを気にかけてるんで、その分、母ちゃんの負担は減るわけ。メシや昼寝の寝床や傷の手当も、親戚がやってくれるし。
最近になって騒ぎになってる児童虐待も、こういう環境だと少ないようで。
“未開社会の親たち”は体罰を行使することが動態的に少ない、と述べている観察者が多い。(略)部族民は、“文明化された親たち”の“残忍な行為”には、しばしばショックを受けるのである。
これには大家族ってのもあるんだろうけど、加えて、人間関係の濃さもあるようだ。悪いうわさが立つと親も困るので、あまし惨い事はできないし、叱るにしても親だけでなく偉い長老が説教してくれたりする。やっぱ相談相手が居るってのは助かるんだろうなあ。
【若者】
やはり若い男の扱いにはどの社会でも苦慮してるようで、「若者宿」なんて制度を持つ文化が、アフリカには多い。と言うと未開の風習のようだが、西欧にも寄宿舎学校があるし、若者宿が軍の役割も兼ねてる場合も多いんで、若い男の扱いは人類共通なのかも。たとえばマサイ族の男は、10代末~20代を若者宿で過ごす。ここを根城に…
近くに住む種族を襲撃したり、あるいは報復攻撃におもむいて、敵を殺し、栄誉をかちえ、ウシを盗んで自分たちの村へ連れもどったりした。
って、若者宿っつーより砦だね。ちなみに宿に彼女を連れ込むのはオッケーだそうです。ほっといても若い野郎どもはツルみたがるから、だったら制度化しちゃえってのは、それなりに賢い発想かも。
【認識の違い】
マンハッタン島を巡る植民者と原住民の軋轢(→Wikipedia)は有名で、これは土地の所有権に関する互いの考え方の違いらしい。アフリカだと、そもそも土地所有権なんて発想はなく、
首長と土地との間には、ある特別な関係があると信じてはいたが、それは土地が肥沃であるように、首長は祈願の儀式をとり行う責任があるという関係
だった、というわけ、そりゃケンカになるよなあ。
【日本とアメリカ】
意味微分法ってのがあって、これはモノゴトを評価する次元は、だいたい三つらしい。曰く…
- 価値づけ : 良い・悪い,すてき・ひどい,あまい・すっぱい など
- 力 : 力がある・力がない,大きい・小さい,強い・弱い など
- 活動 : 速い・遅い,煩い・おとなしい,若い・老いた など
ところが、同じ言葉でも、評価が異なる場合がある。アメリカ英語で rugged(荒っぽい)・delicate(繊細)は「強い・弱い」に近い。だが日本語だと「繊細」は「良い・悪い」に近い。一般に美術品や工芸品に「繊細」と言えば、それは褒め言葉だよね。日本の文化って、もともと美的センスが大事な文化なのかも。
【ねじれ】
人びとが社会変化をもたらすための運動に参加するためには、違った生活への願望をつよく抱いていることが必要である。
――第七章 安定と文化
イギリスのEU離脱と、日本の7月の参議院選挙と、どっちにも言えるんだが、この引用が事実だと、どうもリベラルが苦戦する状況にあるみたいだ。一般にリベラルは変化を望むんだが、英国ではEU残留、日本では護憲と、現状維持を求めているわけで、支持基盤の性向とは異なった政策を打ち出しちゃってる。
…と思ったが、英国の場合は単純に保守とリベラルで語れる状況じゃないよなあ。それに、保守側も、現状維持を望む性向の支持基盤に変化を訴えてるわけで、「ねじれ」はお互いさまか。
にわか仕込みの浅知恵で偉そうなことを言うと恥をかくってサンプルだと思って軽く流してください。
【おわりに】
そんなわけで、フィリップ・ボック「現代文化人類学入門 1~4」講談社学術文庫 江渕一公訳 3」 に続く。
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