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2016年5月 8日 (日)

スタニスワフ・レム「泰平ヨンの未来学会議 改訳版」ハヤカワ文庫SF 深見弾・大野典宏訳

「人が制御できるものは、理解できるものに限られている。そして理解できるものといえば、ことばになった概念だけだ。したがってことばで表現できないことは理解できない。言語の将来の進化をさらに研究すれば、いつか言語が発見、変化、風俗習慣の変革にどのように反映されるかがわかるようになるはずだ」

【どんな本?】

 ポーランドが生んだ巨匠スタニスワフ・レムによるSF小説「泰平ヨン」シリーズの長編で、映画「コングレス未来会議」の原作。近未来の地球。爆発的な人口増加への対応を話し合う未来学会議の第八回は、コスタリカで開催された。出席した泰平ヨンは、そこで起きた騒ぎに巻き込まれ…

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2016年版」でベストSF2015海外篇の16位に食い込んだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は KONGRES FUTUROLOGICZNY, Stanislaw Lem, 1971。日本語版は1984年6月に集英社より単行本で刊行。私が読んだのは2015年5月25日にハヤカワ文庫SFから出た改訳版。

 文庫本で縦一段組み、本文約226頁に加え、深見弾の訳者あとがき4頁+大野典宏の文庫版へのあとがき4頁。9.5ポイント39字×16行×226頁=約141,024字、400字詰め原稿用紙で約353枚。短めの長編か長めの中編の分量。

 レムの作品のわりに、文章はこなれている。SFとしても特に難しいガジェットは出てこないので、理科が苦手な人でも大丈夫。ただし、原書の発表が1971年といささか古い作品だけに、一部の仕掛けは少々苦しいが、今風にデジタル化・IT化すれば充分に通用するアイデアなので、気になる人は脳内で書き換えながら読もう。

【どんな話?】

 泰平ヨンは、爆発的な人口増加への対応を話し合う第八回未来学会議に出席するため、開催地のコスタリカへ赴く。現地では過激派がアメリカ大使館の領事を誘拐し、泊まった106階建のヒルトン・ホテルには≪虎≫派青年抗議者協議会や開放文学出版社会議やマッチラベル収集家協会大会が開催され、バーで出会った男はローマ法王の狙撃を目論み…

【感想は?】

 意地悪レム爺さんが悪ノリしまくった大ぼらドラッグ風刺ギャグ作品。

 冒頭のヒルトン・ホテルの場面からノリノリの狂った場面の連続で、いきなりダッシュでぶっ飛ばしまくるため、頭のネジを数本緩めてないと振り落とされるかも。その味わいは筒井康隆に少し似ているかも。

 なんたってヒルトン、設備は充実しまくりだ。施設としては嫌な奴の人形をオーダーメイドで作ってくれる射撃場があり、暴徒鎮圧用の催涙ガス噴霧器も完備している。航空機搭乗の際はテロ防止用の金属探知機に引っかからぬよう、ベルトのバックルやブリーフケースの留め金までプラスチック製で揃えるのが旅慣れた人の知恵。

 ってな具合に、世情は何かと物騒な様子。

 テクノロジーの暴走を揶揄してか、106階建てなんて超高層のホテルを皮肉る半熟卵ネタも笑わせてくれる。実際、技術的には幾らでもビルを高くできるのだが、エレベーターの輸送能力がボトルネックとなって、極端な高層ビルは採算がとりにくいそうな(ジェームズ・トレフィル「ビルはどこまで高くできるか 都市を考える科学」)。

 先の催涙ガスを皮切りに、このお話では人の精神に作用する薬物が次々と登場する。特に前半で大活躍するのが、「いわゆるラブタミン」。

 現在のところ、暴徒の鎮圧に使う薬剤は催涙ガスが中心だ。21世紀の今日では、脱法ドラッグが話題になっている。向精神薬には様々な効用を持つ様々な薬剤があるが、その多くは飲んだり注射したりして使う。だが、中には空中に散布できそうなものもある。例えば愛情ホルモンの別名を持つオキシトシン。

 Wikipediaによると、オキシトシンは「闘争欲や遁走欲、恐怖心を減少させる」、「鼻からの吸引によるこの実験では金銭取引において相手への信頼が増す」など、なにかと悪用できそうな作用がある。これを強力にして、ヘロインみたいな大幸感をもたらす薬物を組み合わせたら、大変なシロモノになるかも。

 …などの可能性もあり、また既存の法を出し抜く目的もあり、デザイナー・ドラッグ(→Wikipedia)なんてのが出てきた。こういったドラッグを扱う小説はP・K・ディックが得意だが、レムの手にかかると全く肌合いが変わってくる。

 畏まった哲学的なネタを高濃度でブチ込む高尚な印象が強いレムだが、この作品ではヤケになったようなギャクが次から次へと押し寄せ、笑いが止まらない。なんだよ「アラジンとランプの性生活」ってw でも、この手は色々と使えそうだなあ。

 などと前半では少々イカれた近未来を描くが、後半ではドラッグ文化が更に高度化した遠未来を描き出す。

 こちらでは向精神薬が高度に発達し、人はいつでも望みの幻想が手に入るばかりでなく、状況に応じて適切な行動を促す薬物も手に入る…だけでなく、むしろ適切な薬物を摂ることが良き市民の務めとなっている。ある意味、行動心理学者バラス・フレデリック・スキナー(→Wikipedia)の理想郷かも。

 ここに出てくる「食べる本」とか、是非とも欲しいなあ。食べれば微分がマスターできるなんて、嬉しいじゃないか。とかのユートピア物語の中に、恒星の誕生の真相や世界的な軍縮成功の秘訣などの大法螺を随所にまぶし、狂気の物語は暴走してゆく。こういう芸風は、ちょっとカート・ヴォネガットと共通しているかな?

 ここに出てくる薬品の名前が、これまた訳者の苦労と植木等の影響を感じさせるセンスが発揮されて…

 小難しく観念的な印象が強いレムだが、この小説は徹底して悪フザケを追及したギャグ作品だ。崩壊前の東欧で書かれたものだけに、風刺や体制批判と解釈できる部分も多いし、改めて読み直すと猛毒が詰まってたりするが、それで可笑しさが減ることはない。

 文章も読みやすく、長さも手ごろだし、レム入門用には最適の作品だろう。

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