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2016年5月15日 (日)

クリフォード・D・シマック「中継ステーション 新訳版」ハヤカワ文庫SF 山田順子訳

「さようなら、いとしいひと」

起こりえないことは、夢見るしかない。

【どんな本?】

 1904年、アメリカ中西部のウィスコンシン州に生まれた往年のSF作家クリフォード・D・シマックによる、情感あふれる長編SF小説。時は1960年代、アメリカとソ連の冷戦が火花を散らす時代。ウィスコンシン州の田舎にある普通の農家に、一人の若い男が暮らしていた。イーノック・ウォレス、記録では124歳、南北戦争では北軍兵としての従軍記録がある…

 シマックの田園趣味があふれる舞台で、徹底的な水平思考と温かいヒューマニズムを両立させた傑作。1964年にヒューゴー賞長編部門を受賞。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Way Station, by Clifford D. Simak, 1963。日本語版は1977年10月にハヤカワ文庫SFより刊行、のち2015年12月25日に新訳版で発行。文庫本で縦一段組み、本文約354頁に加え、森下一仁の解説「シマックとSF」8頁。9ポイント40字×17行×354頁=約240,720字、400字詰め原稿用紙で約602頁。長編としては標準的な長さ。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。なんたって半世紀も前の作品だけに、SFなガジェットもややこしいのは出てこない。肝心の「中継ステーション」と、色とりどりのエイリアンぐらいだ。むしろ、若い人にとっては、ネットどころかテレビもラジオも電話もない、昔のアメリカの田舎の生活の方がセンス・オブ・ワンダーかも。

【どんな話?】

 ウィスコンシン州の田舎に一人で済む若い男、イーノック・ウォレス。互いが互いに干渉しない田舎では、イーノックに構う者も滅多にいない。郵便配達人のウィンズロウ・グラントと、近所に住む密造酒造りのフィッシャー一家ぐらいだ。

 それがイーノックにはありがたい。なにせ彼が生まれたのは1840年。しかも、普通の農家に見える彼の家は、銀河の往来の交点、中継ステーションであり、奇妙な来客が日々彼の家を通り過ぎて行くのだから。

【感想は?】

 懐かしい作品。いろいろな意味で。

 ある種の人に、イーノックの生活は理想的な暮らしだ。なんたって、鬱陶しい人づきあいがない。一日に一度、郵便配達人のウィンズロウ・グラントと二言三言話すだけ。ウィンズロウも心得た奴で、余計な詮索はせず、ご近所のニュースを手際よく教えてくれる。

 隣のフィッシャー一家はやや胡散臭い連中だが、それもお互いさまのせいか、ズカズカと入り込んでくることはない。まあ、隣ったって、しばらく歩かなきゃいけない距離だし。

 ってなわけで、イーノックは朝夕の散歩で外に出るぐらいで、あとはずっと家の中にいる。それで誰も文句を言わないし、心配も詮索もしない。なんて理想的な引きこもり生活。ただし、インターネットはもちろんテレビすらなくて、水は井戸から汲んでこなくちゃいけないし、食事も自分で作る必要があるけど。

 変わった人みたいだが、昔のアメリカじゃこういう人はソレナリにいたし、一部のフィンランド人もこういう傾向があるらしい。著者のシマック自身も、新聞社なんて人づきあいの多い仕事をソツなくこなしちゃいるが、傑作「都市」では田園生活へのあこがれを切々と訴えている。

 主人公のイーノックは、田園生活を満喫しながらも、郵便物からは高い知性を伺わせる。読む新聞はニューヨーク・タイムズとウォールストリート・ジャーナルとアメリカの高級紙だし、雑誌はネイチャーとサイエンス。

 などと気楽で優雅な生活のようだし、実際、多分にシマック自身の理想を投影した設定なんだろうなあ、と思う。

 田園生活への憧れはシマックの特徴だが、加えて当時のSF者が持つ微妙な疎外感も、この作品のアチコチに潜んでいる。

 今でこそスター・ウォーズなどでSFはポピュラーな存在となったが、当時はSFなんか子供の読み物って扱いで、異星人を想像するとかは大人がする事じゃなかった。そんなわけで、当時のSFファンは少数派としての僻みと、その裏返しの選民意識を抱いていた。

「わたしが捜していたのは、多くの点でほかのひととは違う者だ。ことに、星を見あげて、あれはなんだろうと不思議に思うような人間でなければならない」

 これは、イーノックが中継ステーションの管理者に選ばれる時の台詞だ。当時の若きSF者は、この言葉だけでも滝のような涙を流しただろう。「確かに俺は人と違う、他の人とは巧く馴染めない、でもそれは…」と、SFファンの疎外感と選民意識を、見事なまでにくすぐる言葉だ。

 イーノックの隣人フィッシャー一家の娘ルーシーも、SFファンの理想を具現化した存在だろう。「ふたりとも自分だけの世界を持っている」。孤独なオタクが、他のオタクと出会った時の衝撃そのものだ。今じゃネットが当たり前になって同志を見つけるのは簡単だけど、昔は大変だったんです、はい。

 と、孤独なSFオタクにはたまらない設定で、物語は進んでゆく。

 発表の1963年はキューバ危機(→Wikipedia)の翌年。全米が核戦争に怯えた時代だ。ピンとこなければ、中国のミサイル原潜が能登半島沖をウロついている、とでも思ってほしい。それぐらい、危機が今そこに迫っていた時代だ。

 互いが人類を一掃できるだけの武器を持ち、絶滅の恐怖だけを防護壁として睨みあう時代。どちらもそれが愚かな事だとわかっていながらも、引けばやられる、そんな思いで雁字搦めになり、身動きが取れない状況。

 それを、広い銀河の各地から訪れる奇想天外な異星人たちの、往々にして理解不能なまでに進んだ雑多な文明に接したイーノックは、どんな目で見ていたのか。肌の色どころか肉体の形も組成も異なる者たちが共存する銀河と、思想の違いで核を突き付けあい睨みあう地球の人類たち。

 こういう、一種の突き抜けた、冷静であると同時に、高みから見下ろす傲慢とすら言える視点は、おおらかながらも理性と水平思考を重んじる、当時のSFだからこそ。私はこういうのにヤられてSFにハマったのだ。それにシマックの田園趣味が加わるんだから、懐かしさは更に盛り上がる。

 忘れかけていたSFの原点を再確認させてくれた、半世紀たっても色あせない名作。高慢といわれようが、やっぱりSFは上から目線がなくちゃ。

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