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2016年5月30日 (月)

ヘンリー・ペトロスキー「鉛筆と人間」晶文社 渡辺潤・岡田朋之訳

 この本は、ありふれた鉛筆の歴史や鉛筆によって象徴されるものを通した工学技術の研究である。
  ――はじめに

インクは、考えが公の世界にでるときに身につける化粧品であり、黒鉛は汚れた真実なのである。
  ――1 忘れられた道具

 (鉛筆の芯の)製造方法は今世紀のはじめと同様、今日でも、秘密にされている。
  ――7 ドイツの鉛筆職人

われわれがつかうもっとも身近なモノの形や品質は、生産の際の経済性とつかい勝手のよさが一致する点に落ちついた結果なのである。
  ――15 技術者が心のなかで描くもの

 工学技術はもっとも理解されにくい分野である。信頼され効率よく働く製品の製造に成功すればするほど、技術自体は目に見えないものになり、退屈なものに思えるようになってしまう。
  ――22 どこにでもあるモノの物語

【どんな本?】

 鉛筆は身近で素朴な道具だ。私たちは鉛筆で文字を学び、三目ならべで遊ぶ。絵描きは鉛筆で下書きし、技術者は鉛筆でアイデアを練り上げる。鉛筆で書いたものは往々にして捨てられ、絵筆で描いた絵画や完成した製品だけが残る。

 かつて競馬新聞はオマケに短い赤鉛筆がついてきた。現代日本の鉛筆は、安くいつでも手に入り安定して書け、気軽に使い捨てられる道具だ。芯の硬さも、例えば三菱鉛筆では10Bから10Hまで規格化され、目的と好みに合った鉛筆を選べる。芯に石が混じっていたり途中で折れている不良品は、まずありえない。

 鉛筆はあまりに身近で安く手軽に手に入り、かつ品質も安定しているために、鉛筆を造るのは簡単そうに思えてしまう。だが、今日の低価格・高品質は、多くの人や企業の工夫と努力の積み重ねであり、また国際貿易の賜物でもあった。

 身近で、どこにでもある道具の代表である鉛筆。その技術の発展と産業の栄枯盛衰を辿りながら、現代の便利な生活を支えるテクノロジーが育ってゆく過程を描いた、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Pencil : A History of Design and Circumstance, by Henry Petroski, 1989。日本語版は1993年11月10日発行。単行本ハードカバー縦二段組みで本文約360頁に加え、付録A3頁+付録B12頁+訳者あとがき8頁。9ポイント25字×20行×2段×360頁=約360,000字、400字詰め原稿用紙で約900枚。文庫本なら薄めの上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。内容もあまり難しくないが、多少は不慣れな言葉も出てくる。代表的なのはシダーと石墨だろう。シダー(→Wikipedia)はヒマラヤスギ属を示すが、スギやヒノキを含む。石墨(→Wikipedia)は、別名グラファイトまたは黒鉛。金属みたいな名前だが、実は炭素の結晶。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、なるべく頭から読もう。

  • はじめに
  • 1 忘れられた道具
  • 2 「鉛の筆」の謎
  • 3 鉛筆前史
  • 4 木製鉛筆の登場
  • 5 イギリスの石墨発見
  • 6 現在の鉛筆はフランスでつくられた
  • 7 ドイツの鉛筆職人
  • 8 アメリカの鉛筆開拓者
  • 9 森の職人 D・H・ソロー
  • 10 ロンドン万博で行われた実験
  • 11 ドイツのブランド合戦
  • 12 アメリカ初の鉛筆工場
  • 13 世界鉛筆戦争
  • 14 芯を支える木
  • 15 技術者が心のなかで描くもの
  • 16 折れない芯
  • 17 鉛筆削りとシャープペンシル
  • 18 レーニンが認めた米国のビジネスマン
  • 19 競争、恐慌、そして戦争
  • 20 鉛筆先進国と後進国
  • 21 完ぺきな鉛筆
  • 22 どこにでもあるモノの物語
  • 付録A コ・イ・ノア鉛筆会社の「鉛筆製造法」より
  • 付録B 鉛筆のコレクション
  • 訳者あとがき/索引

【感想は?】

 資本主義ってすごい。国際貿易ってすごい。現代テクノロジーってすごい。そして、鉛筆ってすごい。

 子供のころから何の気なしに使っていた鉛筆。だが、その歴史を辿ると、現代の鉛筆がいかに優れているか、よくわかる。特に製造業で品質管理に関わっている人なら、この本を読むとそのすごさが身に染みるだろう。

 どうすごいのか。これは、かつての鉛筆がどんなものだったのか、どんな不具合があったのかを知れば、「おお、言われてみれば」と改めて感じ入るだろう。あまりに安定して便利に使えるモノだと、人は「ソレを安定して流通させるのがどれほど大変か」なんて全く考えなくなってしまうのだ。

 例えば水道のありがたみは、断水した時によくわかる。電気もそうだ。停電してはじめて、自分がどれほど電気に依存していたか身に染みる。

 この本では、鉛筆がどう生まれ、どう進歩し、どう普及し、その過程でどんな競争が行われたかを描いてゆく。

 鉛筆の記録で最も古いのは、ドイツ系スイス人コンラッド・ゲスナーが1565年にチューリッヒで出版した本だ。当時は鉛筆の芯である石墨を、そのままつかっていたらしい。

 普及のきっかけはイギリスのボローデール鉱山で、ここから採れる石墨の品質は安定していた。そこでコレを細長く切って木枠にはめたのが、今の鉛筆の形を決めた。ここで問題なのが、「安定している」とは何かってこと。

 石墨は所詮は鉱物だ。中には砂などの不純物が混じっている。鉛筆の芯に砂が混じっていると、どうなるだろう。当然、書けない。ばかりか、下手すると紙にひっかかって穴をあけてしまう。天然の好物だから、硬さや濃さの調整も難しい。

 また、芯が途中で折れることもある。すると、ボディである木から芯が抜けてしまう。これは木の性質も大事で、あまりヤワいと落とした拍子に芯が折れちゃうし、湿気や乾燥で曲がっても芯が折れる。年輪で硬さが途中で変わると、削るのが難しい。これは硬すぎても、やっぱり削りにくい。

 木の加工も大事だ。芯を入れる溝が細すぎたら芯が入らないし、太すぎると芯が抜け落ちてしまう。ささくれなんて、もってのほか。正確な太さ・深さの溝を、滑らかな面で削らなきゃいけない。天然物の木を使って、鉛筆のような小さなモノを、正確に同じ形・硬さに加工し量産するのは、どれだけ大変なことか。しかも、当時は機械化が進む前の職人仕事だ。

 それでもヨーロッパに普及した鉛筆だが、ボローデール鉱山の枯渇や外交不和による原材料の不足が、フランスやドイツを苦しめる。ここで鉛筆史上の大転換が訪れるのが皮肉。

 時は1793年。フランスは革命戦争(→Wikipedia)でイギリスからボローデール鉱山の石墨が使えなくなった。大陸の石墨は質が悪くて使い物にならない。ここでニコラ・ジャック・コンテに大任がおりる。「ボローデール産の石墨に匹敵する芯を作れ」。

 無茶と思われた仕事だが、コンテ氏は立派に成し遂げた。石墨を細かい粉にして不純物を取り除き、粘土と混ぜて高温で焼く。これには多くの利点があって、例えば石墨と粘土の比率を変えれば芯の硬さも変えられる。

 彼が開発した方法が、原理的には現在も使われている。著者は彼の工夫こそが鉛筆史上の最大の発明としている。ピンチを飛躍の踏み台にしたという、作り話みたいなエピソードだ。

 とまれ。理屈が分かっても、実際に再現するのは難しい。石墨を粉に砕く方法・不純物を取り除く方法・どの粘土を使うか・どんな比率で混ぜるか・どれぐらいの温度でどれぐらいの時間焼くかなど、具体的なレシピは秘密とされた。どころか、現代でも企業秘密となっている。

 お陰で、このレシピは、鉛筆の歴史で何度も再発見されている。ドイツ諸国で、アメリカで、ソ連で。幾つもの企業が、独自にレシピを探り、再発見してきた様子が、この本では何度も繰り返される。中でもインドは別格で、なんと国家がレシピづくりを主導するのだ。

 この模様は、社会主義国家の強さを実感してしまう。電気抵抗で石墨の割合を測り、硬さは三点屈で測り、色の濃さは光電池で測り、芯の減りと筆圧を測り…と、徹底して数値化し、仕様書を定めてゆく。こういった科学的方法ばかりでなく、原材料についても、材質に加え価格や外交関係も考えて勧告を定めてゆく。

 「社会主義ってイケるんじゃね?」と思いたくなるが、その前の「18 レーニンが認めた米国のビジネスマン」では、出来高払い制の導入が飛躍的な労働生産性の向上を果たしてたり、なかなか理屈どりにはいかないもんです。

 やがて万年筆やシャープペンシルなどのライバルが台頭し、鉛筆企業は更に激しい競争に晒されてゆく。

 今やシャープペンシルも芯も100円ショップで買える時代だが、その機構の巧妙さと加工精度を考えると、あまりの安さに頭がクラクラしてくる。0.5mmの細さの芯を造るのに、どれほど厳しい精度が必要なことか。その芯を保持し送り出す機構も、凄まじい精度が要求されるのに、100円ショップで買えてしまう。改めて考えると、とんでもない世界だ。

 鉛筆が普及する前は、ペンとインクだった。これでは消せない。鉛筆で書いたモノは、気軽に消せる。この消せる・消せないってのは、意外と気分を大きく変えてしまう。

 エンジニアやプログラマがモヤモヤしたアイデアを書き留めるのは、たいてい鉛筆かシャープペンシルだ。ボールペンを使う人は滅多にいない。縫い物の台紙も、たいてい鉛筆かシャープペンシルで書く。これらの作業には、共通した性質がある。

 それは試行錯誤が必要だってこと。最初から完成した形が出来上がる事は、まず、ない。最初の案は、たたき台だ。最悪、全部捨てる場合もある。基本的な部分すら何度も考え直し、最初からやり直す事も珍しくない。必ず直される、または捨てられるのが、最初の案の運命である。

 ここで、鉛筆の性質が生きてくる。鉛筆で書いたものは、いつでも消せる。間違ったらいつでも直せる。そのためか、鉛筆で走り書きしたモノは、捨てても悔しくない。「せっかくここまでやったのに」と、変に拘る気持ちも沸かない。この「書いたモノを惜しまず捨てられる」性質が、柔軟で奔放な発想が必要で試行錯誤を繰り返す作業に向いている。

 ケン・トンプソン(→Wikipedia)は unix の設計で、デニス・リッチー(→Wikipedia)はC言語の設計で、鉛筆によるメモを書き散らしただろう。それを考えると、鉛筆もまた現代テクノロジーの進歩に大きく貢献したんだなあ、としみじみ感じてしまう。

 あ、そうそう、きっと三菱鉛筆の技術者だって、新しい改善案を作り上げる際には、鉛筆で汚いメモを書き散らしたに違いない。とすると、優れた鉛筆が更に優れた鉛筆を産む体制になっているわけで、もしかしたら人類は進化を望む鉛筆の道具に過ぎないのかも←これだからSF者は

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