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2016年5月 6日 (金)

神子清「われレイテに死せず 上・下」ハヤカワ文庫NF

 落下傘兵たちに会ってから、私の心裡にある変化が起こった。期待が大きかっただけに失望も大きかったのだ。私は、空挺部隊の降下によって大きな積極的作戦の展開を期待したのだが、それが斬込作戦にすぎないと知ったとき、まったく失望した。いや、大きな憤りさえ感じた。こんな作戦指導の下に死ねるものか、と考えるようになった。
  ――上巻 死なぬ決心

「班長は理屈っぽく言うけど、要するに犬死はしたくないってことでしょう」
  ――下巻 逃亡

【どんな本?】

 太平洋戦争末期の1944年11月。大日本帝国陸軍玉兵団(第一師団→Wikipedia)は、劣勢となったレイテ島を奪還すべく約11000名でオルモックに逆上陸を果たす。第57連隊(→Wikipedia)で分隊を率いた神子清伍長は緒戦で優れた戦功をあげるものの、敵の旺盛な火力により兵力の大半を失ってしまう。

 やがて米軍の強力な反撃で戦線は崩壊し、原隊ともはぐれ連絡も途絶えた神子伍長らは、ジャングルの中を敵やゲリラに怯えながら遊兵として彷徨ううちに、稀有壮大な計画が頭の中に浮かび上がり…

 約八万五千名の兵力を投入し、うち約八万千名が戦死した地獄の戦場に、一下士官として従軍した神子清伍長は何を見て、何を考え、どのように生き延びたのか。指揮系統がズタズタになった戦場で、生死の淵に立った帝国陸軍の兵士たちは何を思ったのか。そして、崩壊した戦線の実情はどんなものなのか。

 南方における戦争の現実と、そこで戦った帝国陸軍の兵たちの心情、そして海を渡り山に潜む遊兵たちの奇想天外な冒険の日々を綴った、迫真の従軍記。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は1965年に出版協同社より出版。1988年1月31日にハヤカワ文庫NFより補足訂正し文庫版で出版。ただ今は入手困難なので、古本屋で探すか図書館で借りよう。たぶん図書館なら取り寄せられる。

 文庫本で縦一段組み、上下巻で本文約385頁+434頁=819頁に加え、著者によるあとがき8頁。8ポイント42字×17行×(385頁+434頁)=約584,766字、400字詰め原稿用紙で約1,462枚。上中下の三巻でもいい分量。

 いかにも帝国陸軍兵の従軍記らしい素朴ながらもかしこまった文章だが、不思議なくらいわかりやすく読みやすい。戦後の著者はいくつかの職を経て技術系の翻訳事務所を設立とあるので、正確かつ簡潔で読みやすくわかりやすい文章を書くべく研鑽を積んだんだろう。

 内容も素人にやさしく、軍事知識がなくても充分に読みこなせる。必要な前提知識を敢えて言えば、軍の階級と部隊編成ぐらい。

 階級だと、兵は下から二等兵・一等兵・上等兵・兵長、下士官は下から伍長・軍曹・曹長。たいてい兵は出世しても曹長どまり。将校(士官)は主に士官学校出身者で、下から少尉・中尉・大尉・少佐・中佐・大佐・准将・少将・中将・大将。軍属は民間人ながら軍と共に働く人で、技術者・研究者や通訳など。

 編成は小さいほうから組;班・分隊・小隊・中隊・大隊・連隊・旅団・師団と大きくなってゆく。帝国陸軍の兵は出身地ごとに編成したので、地元の顔なじみと同じ連隊に入る場合が多く、それが部隊の結束を強める効果が高かったという説を聞いたことがある。

【構成は?】

 話は時系列順に進むので、素直に頭から読もう。著者と共に行動するメンバーが次々と入れ替わるので、途中から読んでもよくわからないと思う。

  •  上巻
  • 緒戦
    オルモック上陸/進撃開始/遭遇戦/戦闘二日目/功績名簿/佐藤大隊全滅/激戦八尋山/陣中小閑/八尋中隊長戦死/転進
  • 望みなき死闘
    電気芋/ふたたび前線へ/斬込隊/負傷/隊を離れる/虎穴に入らずんば
  • 死なぬ決心
    敵中彷徨/非情/空の神兵/死んでたまるか/関谷伍長との再会
  • 脱出行
    山岳地帯に向かう/突撃隊編成/サン・イシドロへの道/関谷を失う/謎の呼び声/大慈悲心/海/別れ/四人水入らず/レイテ島の最後/自決四秒前
  •  下巻
  • 地上の楽園
    レイテよ、さらば/上陸/二村隊/肉の島/小林隊との出会い/分裂/大きい舟
  • 計画挫折
    メデリン島を去る/ネグロス島/ボン・ヴォヤージュ/最高司令部に出頭/敵、上陸す/七人の遊兵
  • 逃亡
    三人の初年兵/決行/遊兵再会/武田軍曹帰らず/天長節まで待とう/最後の関所破り
  • 魔の山
    剣山越え/長谷川が落ちた!/矢印の意味するもの/山中彷徨/誤解/飢餓の極みに/山を降りる/人間復帰
  • 無残な終着点
    大野、臼井を失う/ゲリラに包囲される/中島、長谷川の最後/孤飄
  •  著者あとがき

【感想は?】

 奇想天外、波乱万丈。戦争云々を抜きにしても、冒険物として文句なしの面白さ。

 もちろん、戦場が舞台なので、残酷な場面は多々ある。心を通い合わせた戦友は次々と倒れるし、道中には腐った死体がゴロゴロ転がっている。だから残酷な場面が苦手な人には薦めないが、そうでなければ探してでも読む価値がある。というか、是非とも読んでほしい。

 執筆した時点で著者は40代の働き盛りなので文章は落ち着いているが、物語当時の著者は23~24歳、今なら大学を出て2~3年ぐらいの若者だし、彼の部下となった兵たちは更に若い。そこを意識しながら読むと、かなり味わいが深くなる。自分が彼らぐらいの歳の頃は、どんな考え方だったろうか。

 物語は上陸の場面から始まる。輸送船に詰め込まれた兵の様子からして、想像を絶する無茶苦茶っぷり。

幾段にももうけられた「カイコ棚」に、兵隊たちは、体を二つに折って尻の方から這いこみ、膝を立てて開いた股の間に前の兵隊の尻をかかえこむといったかさなりかたで詰めこまれていた。

 この状態で海を渡るんだが、上空では輸送船を襲う敵機と迎え撃つ戦闘機が戦っている。船に爆弾が当たれば、カイコ棚の中で海に沈む。詰めこまれた兵には何もできない。よくも耐えたものだが、こんなのは序の口。最初の戦闘で約50名の小隊が20名ほどに減ってしまう。苦戦なんてもんじゃない。

 普通なら隊が崩壊してもおかしくない状況なんだが、彼らは頑として戦い続ける。ここまで頑強な兵となった原因の一つは軍隊教育と、無敵関東軍の誇りだろう。とまれ、かなり極端な教育なのは確かで。

「小隊長殿、テンシンってなんですか」

 なんて兵が尋ねてくる。転進、要は退却なんだが、兵はそんな言葉すら知らない。対して米軍は制空権を握り上空から悠々と攻撃し、圧倒的な火力で陣ごと叩き潰し、食事も休養も充分な兵は間断なく圧力を加え続ける。対して傷病兵すら前線に送り込む帝国陸軍に対し、神子伍長の疑念は次第に大きくなり…

 敗色が色濃くなり、飢えに苦しむに従い、兵たちの気持ちも変わってくる。それでも、投降はおろか脱走も反乱も考えない。彼らが考えるのは、いかに死ぬか、なのだ。

「自分たちは、どうせ死ぬんでありますから、どうせ死ぬんなら……」
どこかで野垂れ死にするくらいなら、中隊のこの家庭的雰囲気の中で死にたい。
いっそのこと、華々しく敵と渡り合って潔く死にたい。

 こんなんばっかだ。私なら「どうせお偉方は後方で旨いモン食ってんだろ、俺を召集しやがった事を後悔させてやる、どうせ死ぬなら、なるたけ偉い上官を撃ち殺して」と僻んでヤケになるかもしれない。が、この本に出てくる兵は、誠実な人たちばかり。そういう人たちが大勢、戦場で命を落とし、弔う者もなく屍を晒していた。

 ただ殺すためだけに増援を送り込むような上層部のやり方に愛想をつかした神子伍長は、脱走を企て仲間を募り…

 と、ここまでは、まっとうな従軍記なのだが、奇想天外なのは中盤以降。指揮系統を外れ遊兵となった彼らが、それぞれの思惑を抱えながらも群れを成し、様々な派閥に別れては合流し、時として協力し時として裏切り、米軍・現地のゲリラそして日本軍までも敵と看做して動き始める。

 飢えながら山野を徘徊してカニやカタツムリやヒルを貪り、漁民の船を盗んで海を渡り、米軍を襲ってレーションを奪い、日本軍の歩哨を計略で欺き、現地人の家では食料を略奪し、村ではゲリラに襲われ…

 などの極限状況における冒険行の面白さは、実録ならではの圧倒的な迫力があるばかりでなく、長く行動を共にした戦友たちの気持ちの揺らぎも、素朴ながら細やかな筆致で描き、半ば弱肉強食のケダモノ半ば誇りある人間として彷徨う下巻は、綺麗ごとだけでは済まない戦場のリアルを読者に突き付けてくる。

 当時の兵たちの考え方、通信系統が途絶した戦場の様子、崩壊した戦線で形作られる敗残兵たちの社会、生きるか死ぬかの状況での人の決断、そして戦場となった土地に住む人々の暮らし。あの戦いに出征した人々がどんな経験をしたのか、それを知るためにも、是非多くの人に読んでほしい。

 そして早川書房さん、是非ともマスターピースで復活させて頂きたい。これは日本が世界に誇れる優れた従軍記だし、後世に伝える価値のある手記と思う。

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