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2016年4月 8日 (金)

宮内悠介「エクソダス症候群」東京創元社

悲しみたいのに、悲しむこともできない。

「信仰を信仰でしか殺せないように、狂気は狂気によってしか殺せないのだよ」

 そもそも、反社会的な行動を取った人間を、反社会性パーソナリティー障害と診断したからといって、それがなんだというのか。

【どんな本?】

 「盤上の夜」で華々しくデビューした新鋭作家による、長編SF小説。火星への植民が始まり、ドーム型の開拓都市が次々とでき始めた未来。火星は経済的な自立へと向かい始めていはいるが、未だに開拓中の辺境に留まっている。火星唯一の精神病院ゾネンシュタイン病院に赴任した青年医師を主人公に、精神医療の歴史と未来を描く。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2016年版」のベストSF2015国内篇で、堂々3位に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2015年6月30日初版。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約260頁。9ポイント43字×19行×260頁=約212,420字、400字詰め原稿用紙で約532枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章はこなれている。SFではあるが、特に最先端の科学や工学を駆使しているわけではないので、理科や数学が苦手な人でも大丈夫。ガジェットの中心をなすのは精神医学だが、物語に必要な事柄は作中に充分な説明があるので、専門知識も要らない。

【どんな話?】

 現在の火星の人口は約60万人。泡のようなドームに包まれた居住区画を多数作る形で、開拓が進んでいる。カズキ・コロネンバーグは精神科医だ。地球の医院に居づらくなり、火星にやってきた。勤め先は火星唯一の精神病院、ゾネンシュタイン病院。人も薬も足りない火星の勤務は激務だ。ここでは、奇妙な症状が流行り…

【感想は?】

 火星の「ドグラ・マグラ」(→Yahoo! 知恵袋)。

 読み終えて改めて表紙を見たら、大笑い。いや冒頭の配置図を見て「あれ?なんか怪しいな」と思ったら、やっぱりそういう事かいw ええ、この表紙にピンときたら買いです。

 火星と精神医学。一見、なんの関係があるのか全く見当がつかないけど、最後まで読むと、舞台が火星でなければならない必然性が、ちゃんとあるから凄い。確かにこういう主題をこういう形で料理するなら、この時代の火星が最も都合がいいよねえ。

 アンディ・ウィアーの「火星の人」みたく、探索が始まったばかりじゃ、生き抜くのに精一杯で、精神病院どころじゃない。谷甲州の「航空宇宙軍史」みたく、太陽系内の一勢力として開発が進みすぎても、物語りが成立しない。開拓が進み始めて、初期の荒々しさが残りつつも、少しづつ過去になりつつある社会が、この物語には必要なのだ。

 なぜそうなのか。それは、物語の中で語られる、精神医学の歴史を辿るうちに、次第に見えてくる。

 医学が科学の形をなしたのは、ロベルト・コッホ(→Wikipedia)の業績が大きいだろう。それまではまじない師と大して変わらなかった医学が、論理とデータと数値を元にした科学へと大きく前進した。そこでは、顕微鏡が大きな役割りを果たした。今まで見えなかった病原菌が、ちゃんと見えるようになったのだ。

 以後、麻酔技術の発達は外科医療を大きく発展させ、X線などにより「見えない疾患」も見えるようになり、またペニシリンなど医薬の進歩も相まって、現代の医療へと繋がってきた。

 だが、進んできたのは肉体の疾患への対応だけで、精神的な疾患はどうだろう?

 昔から、精神病そのものは知られてきた。これは洋の東西を問わず、多くの記録が残っている。ただし、その治療に関しては、つい最近までほとんどお手上げだった。結局はどの社会も「症状にどう対応するか」に終始し、治療に関してはオカルトの域を出なかった。

 恐らく大きな転回点となったのはジクムント・フロイト(→Wikipedia)だろう。今となっては彼の理論も相当に疑問視されているが、精神科を医療として位置づけたのが最大の業績かも。彼以降も様々な理論が出てきたが、その多くもどこかオカルトじみて怪しげだ。いずれも会話や行動療法など、どうにも数値化しにくい手法が中心だった。

 そこに、向精神薬が革命を起こす。脳を肉体の器官の一つとして見て、その不全を薬で治そう、そういう発想だ。

 なぜ精神医療が遅々として進まなかったのか。かと言うと、つまりは脳の中身が見えないからだ。そこにDSM(→Wikipedia)などが整備され、現代的な医学の体裁をなしてゆく。

 最近になって PET(→Wikipedia) だの fMRI(→Wikipedia) だのといった技術が発達し、生きている脳の活動が目に見えるようになり、大きな飛躍が期待されている。遺伝子解析なども相まって、近い将来には再び革命が起こりそうな気配だ。

 とまれ、こういった技術革新の向うにある精神医療は、恐らく薬や手術による「外科的」医療で、従来のカウンセリングなどを用いる、医師と患者の心の交流を伴うものではなくなってゆくだろう。というか、「なくなってしまった」のが、この作品中での地球の現状だ。

 そこに、「微妙に辺境」な火星が登場する。精神病院が必要になる程度には充分な人口はいるが、辺境ゆえに医薬品や医療スタッフは足りない。巧い舞台設定だよなあ。

 SFの面白さの一つは、科学の先端の向こう側を覗き見る事にある。ただ、最近は、書き手も読み手も科学スキルが上がってきて、あまりにも怪しげなシロモノは少なくなってしまった。下手にオカルトを混ぜると「これはホラーでSFじゃない」とか「こんなのライトノベルでしょ」などと迫害されたりする。

 確かにグレッグ・イーガンの「白熱光」みたいな徹底的にサイエンスしたのも好きなんだが、優等生ばっかりってのも、なんか面白くない。ニーック・ハーカウェイの「エンジェルメイカー」みたくお馬鹿なのも楽しいが、最初から馬鹿面してるのも少し興が醒める.

 そこで精神医学なんぞという、科学と怪しさが巧い具合に混じりあっているシロモノを持ってきたのが、この作品の巧みなところ。

 インナースペースの追求って点ではニューウェーヴの流れを汲む作品なんだが、そのアプローチは、むしろ50年代~60年代の、大仰な作品が次々と出たオールドウェーヴ黄金時代の香りを残したもの。ごく真面目な語り口ながら、どこか怪しげで大掛かりで、全く新しい世界を予感させ、終盤でワクワクさせてくれるSFならではの面白さを秘めた作品だった。

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