トーマス・トウェイツ「ゼロからトースターを作ってみた結果」新潮文庫 村井理子訳
やぁ。僕はトーマス・トウェイツ。この度、僕はトースターを作ったんだ。時間にして9ヶ月、移動距離にして3060キロ、そして金額にして1187.54ポンド(約15万円、2012年のレート)をかけて。
――プロローグ
【どんな本?】
イギリスの美術大学の大学院生が、自分でトースターを作ってみようと思い立つ。まず量販店で安いトースターを買ってバラし、構造と必要な部品を調べる。次に専門店で部品を買い揃…えない。とりあえず鉄鉱山に行って鉄鉱石を手に入れなきゃ。
へ? なんで鉄鉱石? それは、部品に必要な鉄を作るため。
一介の美大生が、原材料から調達し、産業革命以前のテクノロジーを使って精錬・加工し、現代の家庭電化製品の代表であるトースターに仕上げるまで、波乱万丈紆余曲折の道のりをユーモラスに語りながら、現代のテクノロジーと産業社会の姿を照らし出す、奇妙で楽しいドキュメンタリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Toaster Project : Or a Heroic Attempt To Build a Simple Electric Appliance From Scratch, by Thomas Thwaites, 2011。日本語版は2012年に飛鳥新社より単行本で「ゼロからトースターを作ってみた」として出版。私が読んだのは新潮文庫の文庫版で、2015年10月1日発行。
文庫本で縦一段組み、本文約195頁に加え、finalvent による解説8頁。9ポイント38字×16行×195頁=約118,560字、400字詰め原稿用紙で約297枚だが、写真や図版を豊富に収録しているので、実質的な文字数は7~8割ぐらい。小説なら中編の分量。
内要は難しくない。少し化学の話が出てくるが、わからなかったら読み飛ばしても構わない。本が好きなら、小学校の高学年でも楽しく読めるだろう。ただ、文章にクセがある。原著が著者のブログを元にした作品のためか、「詰んだ」「何それ怖い」「マジかよ」などSNSやブログ風の文体なのだ。私はこういう文体も好きだが、合わない人もいるだろう。
【構成は?】
お話は頭から順番に進むのだが、それぞれの章はほぼ独立しているので、美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。
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【感想は?】
表紙がいい。黄色い粘土をコネて作ったゾンビみたいなシロモノ、これが著者が作ったトースターだ。
世の中にはラジオ小僧という生き物がいる。秋葉原で部品を買い揃え、半田ごて片手にラジオを組み立てては喜ぶ変な習性を持つ生物だ。近縁種にガンプラ坊主やDIY親父がいる。どうもヒトにはモノを作って喜ぶ性質があるらしい。
中でも著者は突き抜けている。最終目標のトースターは作品としちゃたいした事ないが、そのスタート地点が圧倒的に違う。秋葉原や日本橋で買ってくるのではなく、なんと鉱山に行って鉄鉱石を掘ろうってんだから。
そう、この本は、「自然の中にある原料」から、工業製品を作り出そうとする話だ。
彼が目指すのはトースター。それもお値段約500円の廉価品だ。だが、自分で作ってみると、約15万円もかかった。しかも、出来上がったのはゾンビのできそこないみたいな化け物で、タイマーも動作保障もない。そりゃそうだろう。採鉱から鉄の精錬・加工までやるんだし。
単に完成度を求めるなら、ボディもプラスチックを使う必要はない。著者は美大生で木工にも長けているから、木を加工すれば済む。だが著者はプラスチックに拘る。なぜなら、量販店で買ったトースターのボディがプラスチックだからだ。この拘りが悲惨な結果を招くのは、表紙を見れば一発でわかるが、そのプロセスこそが楽しい。
プロジェクトを始める際に、一応のルールを決める。
- 店で売っているような製品である。
- 部品はすべて一から作る。
- 産業革命以前の技術を使う。ただし現代の「道具」は使っていい。
実際には途中で何度も挫折して色々とズルをしていて、そこが気になる人もいるだろうが、それでも充分に面白い本だ。出来ればルール完全遵守を目指して続編を書いて欲しいけど、そうすると続編は上下巻ぐらいの大ボリュームになってしまうかも。
さて、鉄だ。さすがにツルハシまでは振るわなかったが、鉄鉱石はどうにか手に入れる。が、問題は製鉄法。
「ジェット・エンジンの仕組み」や「エンジンのロマン」などを読むと、金属の精錬はかなり奥が深いことが分かる。ピストン一つとっても、表面と内側で炭素含有量が違ったり。でも、著者はそこまで難しい事は求めていない。とにかくトースターの部品として役に立つ鉄が欲しいだけだ。
ってんで製鉄について調べ始めるんだが、ここで大笑い。なんと、現代の製鉄関係の本は、著者の役に立たないのだ。
なんたって、現在の鉄鋼業は大型化・高度化している。お陰で私たちは安くて品質のいい鉄製品が手に入る。が、著者のように、「粗悪で少量もいいから手軽に製鉄する」なんて需要はないわけで、そういった目的で書かれた本もない。それでも諦めずに資料を漁った結果、なんとか使えそうな本を見つける。いやあ、そうきたかー。
次に挑戦するのが、プラスチック。まずはイギリスの大手石油会社BP(→Wikipedia)に連絡して…って、なかなか著者も恐れ知らずだが、「採掘した石油からバケツ一杯分ぐらいの石油を分けて欲しい」なんてケッタイな問い合わせに対し、生真面目に対応するBP社も懐が深い。
イマドキはプラスチックなんてのは安物の象徴だ。家電製品にしたって、木目も鮮やかな木製のボディだとお値段が一桁跳ね上がるんだが、材料から自分で作ろうとすると、安物に見えるプラスチックの方が遥かに苦労する上に、お値段も更に1~2桁も高くつくってのが、現代社会の不思議なところ。
など調達・加工の苦労や工夫も面白いが、試行錯誤の際に迷い込む脇道・回り道の話もなかなか楽しい。
鉄・プラスチック共に何回か挫折・失敗するし、ニッケルでもくじけそうになる。ここではロシアとフィンランドへの回り道が面白い。同じノリリスク・ニッケル・グループなのに、ロシアのノリリスクと、フィンランドのタルビバーラ鉱業は、正反対の評価を得ている。この違いは何なのか。
それとは別に、ここで紹介されるバクテリア・リーチングなんて技術も、まるでSFみたいでゾクゾクする。バイオ・ナノテクって感じで、異星のテラフォーミングとかに使えそうだ。
全般的にユルい雰囲気ながら、現代テクノロジーの根本を見直せると共に、私たちが生きている社会の不思議さも感じさせ、また意外な最新技術と共に原始的な技術も教えてくれて、楽しく読めると同時に妄想が広がる、手軽に読める割に面白さがいっぱい詰まったオトクな本だ。
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