ダン・ガードナー「リスクにあなたは騙される」ハヤカワ文庫NF 田淵健太訳 1
私たちは歴史上最も健康で、最も裕福で、最も長生きな人間である。そして、私たちはますます怖がるようになりつつある。これは現代の大きなパラドックスの一つである。
――第1章 リスク社会逸話はデータではない。
――第5章 数に関する話計算能力が高ければ高いほど「腹」の誤りにひっかかることになりにくかった。
――第5章 数に関する話
【どんな本?】
私たちの生活は、危険に満ちている。航空機は墜落し、食料品は化学添加物だらけで、子供を狙う犯罪者は絶えず、癌の罹患者は増え、世界中でテロが頻発している。つい最近も、ベルギーで連続テロが起きた。もう少し暖かくなると、東京でもデング熱に怯えなければならない。
ところで。デング熱の患者が見つかったのは2014年だ。いったい、どれだけの命が失われたんだろう?
Wikipedia によると、「感染者の合計は160名」。死者の記述はない。どうやら症状はあまり重くないようだし、早めに治療を受ければ「致死率は1%未満であるとされる」。本当に大騒ぎするほどの事だったのか?
ちなみに同じ2014年、交通事故では4,113名が亡くなっている(全日本交通安全協会の平成26年中の交通事故死者数)。しかも、これは事故発生後24時間以内に亡くなった人だけで、24時間以上持ちこたえた場合は勘定に入っていない。
とすると、どっちを大騒ぎすべきなんだろう? どっちに気を配るべきなんだろう?
テロも同じだ。テロに怯える人は多いが、日本で最も最近にテロがあったのは、いつだろうか? それで、何人が亡くなったのだろうか?
現実にある危険と、ヒトが感じる危険には、大きな違いがある。なぜ違うのか。何が判断を誤まらせるのか、どれぐらい違うのか。どうすれば、危険を正確に評価できるのか。違うことで、どんな問題が起きているのか。
リスクの評価をテーマに、私たちが判断を誤るメカニズムを心理学的に解説し、より正確に判断を下す方法を数学(というより算数)的に説明する、一般向けの数学・心理学の解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は RISK : The Science and Politics of Fear, by Dan Gardner, 2008。日本語版は2009年5月に早川書房より単行本で刊行。私が読んだのはハヤカ文庫NF版で、2014年7月25日発行。
文庫本で縦一段組み、本文約506頁に加え、訳者あとがき3頁+佐藤健太郎の解説「合理的なリスク認識のための、現代人必読の書」7頁。9ポイント41字×18行×506頁=約373,428字、400字詰め原稿用紙で約934枚。文庫本なら上下巻でもいいぐらいの分量。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。少し確率の話が出てくるが、掛け算と割り算ができれば充分で、小学校卒業程度の算数ができればついていける。
ただし、多くの例がアメリカなので、実感が湧きにくい。参考までに大雑把な数字を挙げておくので、読む際は参考にして欲しい。
アメリカの人口は2014年で約3.2億人、日本の人口は2013年で約1.3億人だ。よって米国の数字を3で割れば、だいたい日本の数字になる。かなり雑な計算だが、本書を読めば、この程度の違いは問題にならないと納得するだろう。それこそ、桁が違うのだから。
【構成は?】
頭から読む構成になっているが、アチコチを拾い読みしても面白い。適当なところを開いて味見してみよう。気に入る人は、どこから読んでも楽しめるだろう。
プロローグ
第1章 リスク社会
第2章 二つの心について
第3章 石器時代が情報時代に出会う
第4章 感情に勝るものはない
第5章 数に関する話
第6章 群れは危険を察知する
第7章 恐怖株式会社
第8章 活字にするのにふさわしい恐怖
第9章 犯罪と認識
第10章 恐怖の化学
第11章 テロに怯えて
第12章 結論 今ほど良い時代はない
謝辞/注/訳者あとがき/解説;佐藤健太郎
【感想は?】
横っ面を何度もひっぱたかれたような気分。
一言で言えば、「あなたのリスク評価はとんでもなく間違っている」だ。なぜ間違うのか、どう間違うのか、どうすれば防げるのか。それらを、具体例を挙げて何度も畳み掛けてくる。「もうやめて、私のライフはゼロよ!」と言いたくなる。
最初は私も「うん、ヒトって馬鹿だよねえ」と他人事の気分で読んでいた。そう、どこかで「いや私は騙されないぞ、だって賢いし冷静だし計算できるし」みたいな気分があったのだ。でも、素直に読んでいくと、「あれ?これ俺じゃね?」と思い当たる話が出てくる。決定打になったのが、「第11章 テロに怯えて」。これには完全にKOされた。
本書が解き明かすのは、「ヒトはどうリスクを評価するか」だ。これは現実のリスクと大きく違っている、間違えるメカニズムはこういう形で、だからこうすれば防げる、そういった事を、多くの逸話によって裏書し、間違えたメカニズムを個々に解き明かしてゆく。
著者の理論の基礎は、大きく分けて三段階になる。
全ての基礎になるのは、ヒトの意思決定は二つの思考システムから成る、とする理屈だ。これはジョナサン・ハイトが「社会はなぜ左と右にわかれるのか」で主張しているのと同じで、最近の定説らしい。
この二つを、著者は「腹」と「頭」と表現する。直感と理性でもいいし、本能と理論(または計算)と言い変えてもいい。
腹は計算が速く、計算の過程を説明できない。腹は遠い昔のヒトが野生状態の頃に発達し、そういう環境に適応している。獣と出合った時、狩るか逃げるかスグ決めなきゃいけない。理屈を考えていたら、食われるか取り逃がす。森や草原で狩りまたは狩られている頃は決断の速さが命綱だし、理屈なんかどうでもよかった。
問題は、現代のヒトがライオンに襲われる危険はまずないという事だ。腹は、文明生活とは違う環境に適応しているのだ。
これに対し、頭は決断が桁違いに遅い。投げたボールをキャッチできる人は多いが、ボールの軌跡を微分方程式で表せる人は少ないし、キャッチするまでの間に解ける人はほとんどいないだろう。モノゴトを論理的に検証しようとすると、個々の根拠の確かさを調べ、理論の矛盾や発生確率も計算しなきゃいけない。私は二桁の掛け算が苦手だ。
そんなわけで、ヒトは往々にして腹でモノゴトを決める。ただし、腹は計算するが、計算の過程は説明しない。「なぜそう決めたのか」と聞いても、何も答えてくれない。
ところがヒトって生き物は便利だが難儀な性質を持っていて、頭が理屈を勝手にデッチあげるのだ。そこで一見理に適っているような理屈を繰り出し、頭が結論を出したかのように装う。この手の奇妙な現象は、政治や倫理や宗教についての会話じゃお馴染みのパターンだったりする。
これだけだと、どうしようもないように思えるが、ちゃんと対策はあるのだ。腹のクセを見極め、それを頭で補正すればいい。が、困ったことに、世の中には腹を刺激して頭を働かせないようにする手口が溢れている。本書の第二段階が腹のクセを語る事で、第三段階が腹を刺激する手口を暴く事だ。
腹にはどんなクセがあり、誰がどうやって腹を刺激しているのか。それを豊かな事例で解説するのが本書の主題であり、細かくは次の記事で紹介する。
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