「戦闘技術の歴史 5 東洋編 AD1200~AD1860」創元社
本書で扱うのは、アジアに含まれる広大な範囲のうち、地理的には日本列島・朝鮮半島・モンゴル高原をはじめとするユーラシア東方が中心です。また時間的には、12世紀から19世紀の約700年間が取り上げられます。
――日本語版監修者序文多くのアジアの軍隊では、歩兵の戦闘は混沌そのものであったといっても過言ではない。中国の歩兵隊などはあまりに規模が大きくなり過ぎたため、指揮官はせいぜいその大軍におおよその方角を示し、適切なタイミングで攻撃を開始させることしかできなかった。
――第一章 歩兵の役割李舜臣水軍司令官(1544~98年)の経歴は、いかなる誇張もないほど華々しいものである。(略)指揮を執った戦いはすべて無敗であった
――第五章 海戦
【どんな本?】
歴史的な絵画や現代のイラストレーターによるイラスト、そして戦場地図をたっぷり収録した贅沢な作りで、近世までの武器・防具・陣形・戦闘方法・戦術・編成・戦略から兵站・政略までを扱う、軍ヲタが随喜の涙を流して喜ぶシリーズの、最終巻。
この巻では東洋編として、時代としては12世紀から19世紀、つまりモンゴル帝国の勃興からアヘン戦争を、地理的にはユーラシア東部から日本列島まで、つまりモンゴル・中国・朝鮮そして日本を扱う。という事で、当然、我々には馴染みの蒙古襲来や関ヶ原も出てくる。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Fighting Techniques of the Oriental World, 2008.。著者はマイケル・E・ハスキュー,クリステル・ヨルゲンセン,クリス・マクナブ,エリック・ニデロスト,ロブ・S・ライス。日本語版は杉山清彦監修、徳永優子,中村佐千江訳で2016年1月20日第1版第1刷発行。
単行本ハードカバー縦一段組みで本文約351頁。9.5ポイント44字×22行×351頁=約339,768字、400字詰め原稿用紙で約850枚、文庫本なら厚めの一冊分だが、地図やイラストを豊富に収録しているので、実際の文字数は6~8割程度だろう。
文章は比較的にこなれている。全般的に中国が中心ながら日本もアチコチに出てくる。日本の歴史は常識程度で充分で、加えて大雑把に中国の歴史を知っていると、更に楽しめる。ちなみに蒙古襲来については、文献の量が多いためか、日本側の視点での記述が多い。
【構成は?】
最初の「日本語版監修者序文」がとてもよくまとまっているので、これだけは最初に読もう。以降の各章はほとんど独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
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【感想は?】
本書の全体を通して強く印象に残るのは、モンゴルの騎兵と朝鮮の李舜臣。
モンゴルの記述が多いのは、やはり東ヨーロッパまで攻め入ったため興味を持つ人が多いからだろうか。その特徴は、なんといっても騎兵の機動力と、強力な弓だろう。
まず弓だが、これは当時でも世界最強の遠距離兵器だったようで、短く扱いやすい上に性能が凄い。イングランドの長弓の飛距離が最長229mなのに対し320m以上と、100mも上回っている。おまけに指貫で発射速度を上げ、走っている馬からも撃てた。それも、激しく揺れる馬の背で正確に矢を射るコツも知っていて…
馬の四本の足がすべて地面を離れる瞬間を待って矢を放つようにしたため、馬が全力で走っているときでもあらゆる方向に矢を射ることができた
と、遠距離攻撃兵器としては無敵だ。
西洋の騎兵は偵察任務も兼ねていたが、モンゴルの騎兵はそれも優秀で、なんたって視力が抜群にいい。民族としては人口が少ないのが弱点だが、それも遊牧民族だからみんな幼い頃から馬には慣れているので、国民皆兵にしても兵の質は降ちない。これで内輪揉めさえなければねえ。
これに対して中国側も騎兵を揃えようとするんだが、どの王朝も馬と騎手の育成で詰まり、また王朝が代を重ねるに従い官僚制と腐敗が幅を利かせ、文官重視で軍が弱体化し…って筋道を辿るのが切ない。
もう一つ、モンゴル軍の得意技が、機動力を活かした戦術。
実はこれ、島津が得意とした釣り野伏せ(→Wikipedia)や、アブラハム・アダンが第四次中東戦争でシナイ半島の戦車戦で使った機動防御とソックリだから驚く。こういうのも平行進化っていうんだろうか。本書では「見せかけの撤退」と名づけた手口は、こうだ。
- 軽騎兵の先鋒が敵と戦い、コテンパンに叩かれて退却する。
- 勢いに乗った敵は全滅させようと大軍で追ってくる。軽騎兵はひたすら逃げ続ける。
- 先鋒はいきなり反転、反撃に移る。同時に左右から伏兵が現れ、敵を袋叩きにする。
つまり負けたと見せかけて、コッチが有利な陣をしいた所に誘い込むわけ。モンゴル軍の場合、特に 2. が大掛かりで、1週間以上も逃げ続け、かつ途中で伏兵が補給部隊を襲ったりして、敵の力を削ぐんだからいやらしい。
他にも、決戦の際はワザと包囲の一方向を開けておいて、敵に退却を促すって手もある。敗色が濃く逃げ道があると敵は総崩れになる。戦いじゃ撤退戦が一番難しいわけで、有利になった所を思う存分虐殺・略奪するわけ。
逆にモンゴルが負けた際の引き際も見事なもんで。騎兵ならではの機動力を活かし、バラバラに分かれて四方八方に逃げるのだ。敵が追撃の主眼を決められずアタフタしている間にトンズラかますわけで、実に賢い。
モンゴルは軍としての印象だが、個人として最も光ってるのが、朝鮮の李舜臣(→Wikipedia)。なんとフランシス・ドレークと同年生まれだ。「海軍の戦術家として史上最も偉大な一人」「20回以上の海戦で指揮を執り、一度として敗北を喫したことがない」と、著者は絶賛している。
もっとも、海軍そのものの地位が、当時は朝鮮半島だけが突出していたって事情もあるらしい。明は「海を越えての軍事的圧力というものが皆無に近かった」し、日本は「地理的に孤立しているがゆえに関心は国内に向かい、自国中心主義」となったのに対し、「朝鮮の水軍のみが戦闘を専門とする水兵を擁し」てた、と。
船の動力は帆と櫂の併用だが、「多数の漕手が立った状態」で漕ぐのも特徴。というのも、「必要があれば素早く戦闘に参加」するため。漕手は同時に戦闘員でもあったわけだ。
にしても、この本でも李氏朝鮮王朝にはアレで、先の李舜臣に加え、ゲリラ戦で日本軍を苦しめた郭再祐(→Wikipedia)に対し…
崩壊しつつあった李氏朝鮮政府の官僚組織は、日本軍の侵攻を止めるには無力であったにも関わらず、その崩壊のさなかに、どうしたことか、(略)郭再祐という地主を反逆者呼ばわりして、討伐部隊を差し向けるような暇はあったようである。
と手厳しい。
得物では槍が意外と短いのに驚いたが、西洋と違い歩兵が臨時集めのため、訓練が必要な綺麗な密集隊形を取れなかったのが大きいのかも。また薙刀も「騎馬武者への攻撃に用いられ、安全な距離から敵を騎兵を落馬させるのに」使われている。別に女性向けじゃなかったんだ。
西洋編に対し、幾つか欠けているものもある。軍の編成と訓練は、ほとんどない。陣形は駆け足で出てくるが。西洋じゃ攻城は穴掘りになったが、この本では一回しか出てこない。また傭兵がいないのも特徴だろう。でも忍者は出てきて、昭和の頃の日本の忍者の印象そのままなのが笑えたり。一次資料が渡ってないのかも。
いささかお値段は高いが、イラストとカラー写真をたくさん収録しているので、仕方がないかも。武経七書(→Wikipedia)なんて読書案内もあって、特に孫子はアチコチで引用してるあたり、やはり有名なんだろうなあ。機会があったら六韜に挑戦してみよう。
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