パール・バック「大地 1~4」新潮文庫 新居格訳 中野好夫補訳 3
「これは女だから、男よりもねじくれてるんだ。それに狐だから、女よりもねじくれてるんだ」
――第二部 息子たち
パール・バック「大地 1~4」新潮文庫 新居格訳 中野好夫補訳 2 から続く。
【悪役たち】
面白い物語には、憎たらしい悪役が必要だ。
この作品だと、第一部ではかなりハッキリ明暗が分かれているが、第二部にはボンヤリとしてきて、第三部では切り分けできないほどに交じり合っていくる。
第一部だと、王龍の叔父一家がわかりやすい。ロクに働きもせず、王龍に金をせびり、デマで村人を扇動して王龍一家を襲い…と、やりたい放題だ。それでも中国には長幼の序ってモンがあり、むげにはできない。シガラミの嫌らしさを体現したようなファミリーなんだが…
次いで憎たらしいのが、王龍の第二夫人となる蓮華と、蓮華とツルんで王家に入り込む杜鵑。悪さったって、ツルんで浪費する蓮華と、その上前をハネる杜鵑って構図で、積極的に悪さをするわけじゃないんだが、こういう連中がどういう手を使うか、それを実に分かりやすく描いてゆく。
つまりは「可哀相なアテクシ」を気取るんだけど、こういうのが上手い人って、いるんだよなあ。で、彼女らに対する阿蘭のアテツケが、なかなかに気が利いていると同時に、滅多に感情を見せない阿蘭が珍しく気持ちを露わにする場面なだけに、いっそう印象に残る。
第二部以降になると、わかりやすい悪役がいなくなる。または、名前を持たぬモブが小さな悪役となる。
その中で大きな役割りを果たすのは、「豹将軍の女」だろう。彼女が、まんまファンタジイに出てくるような人物で。
構図としては。王龍の三男・王虎は軍人になる。彼の敵である匪賊が豹将軍で、その女が「彼女」。名前すら出てこないんだよなあ。美しいだけでなく、知恵も度胸もある上に、多少の事じゃ根を上げない芯の強さもある。お話の構図では悪役になるんだろうけど、映像化するなら若い頃の梶芽衣子あたりが演じるとピッタリなキャラクター。
王龍の長男・次男もなかなかに困った人物なんだが、これはまた別のテーマを背負っていて。
【文化と風俗】
発表当時の状況を考えると、この作品は中国の文化や風俗を伝える役割りも担ったと考えていいだろう。
男女平等だの人権だのといったタテマエが通用しないのは、冒頭で嫁を買う所で衝撃を与えつつ、「ここはアメリカとは全く違う国なんですよ」とハッキリと示すので、読者も納得するしかない。
著者は宣教師の両親に連れられて中国に渡り、米国への帰国後も敬虔なクリスチャンだった。が、この作品では、中国人目線での宗教観やキリスト教観が、皮肉交じりにチョロチョロと出てくる。こういった場面は、この作品の中ではいささか浮いている感もあるので、人により好き嫌いが分かれるかも。
南方に出稼ぎに出た王龍が、外国人から手渡されたキリスト教の布教パンフレットを見て、何を感じたか。それを阿蘭がどう始末したか。王龍と阿蘭の立場で見ると実に当然の結果なんだが、当時の読者はどう感じただろう?
村の祠や正月の行事などで異国情緒たっぷりに紹介される中国の宗教観が、最も良く出ているのは、葬式の場面だろう。
死にどう立ち向かうかは、ある意味、その人の人生観を見事に映し出す。阿蘭が長男の結婚を急ぐ場面で、私は「歓喜の街カルカッタ」でのハザリを思い浮かべた。両者とも無学だし迷信まみれだが、こうまで潔く死を迎える姿は、どうも何か感じ入ってしまう。
第一部の終盤では、次々と葬式の場面が続く。これが物語の哀愁を盛り上げてゆく。が、最後の葬式の準備では、「同じ東洋でもやっぱり違う」と感じてしまう。日本でも、自分の墓を生前に自ら用意する人は多いが、さすがにココまで用意する人は滅多にいまい。
【軍事】
第一部での軍は、水害や日照りみたいな扱いだった。「またどこかで戦争があるんだろう。何のために方々で戦争があるのか、誰も知らんがね」と、完全にヒトゴトだ。ところが第二部では、王龍の三男・王虎が軍人として登場し、軍閥としてのしあがってゆく。
軍ヲタとして読むと、これが「混乱時の軍事動向」を、実にわかりやすく解説してくれている事に気がつく。たぶん、似たような事がアフガニスタンやシリアでも起きているんじゃなかろか。
成長した王虎、最初は軍閥中の有力指揮官として登場する。日本史だと黒田官兵衛みたいな位置かも。当時の軍事勢力は大きく分けて二種類あって、一つは政府が指名する正規軍、もう一つは土地のワルがツルんだ匪賊。ところが当時の政府は弱体化し、正規軍でも地方の軍は政府を無視しつつあって。
なんでそんな風になるのか。どうやって地域の隊が軍閥化するのか。軍閥は何を考えているのか。こういった事が、王虎を通し、素人でもよくわかるように描かれていて、ちょっとビックリ。にしても、読んでて「こりゃ軍閥化するのも仕方がないなあ」と思う箇所もあったり。いやね、金の流れがマトモな軍と逆で、ヤクザそのままなんだな。
と同時に、人を指揮する者の心得も分かるのが楽しい所。王虎がスパイを放ち、その話を聞く場面は、上に立つ者が部下の報告をどう聞くべきか、実に参考になります、はい。
加えて、軍事的な混乱が民衆にどういう変化をもたらすのかも、悲しいぐらいによく見えてくるのが第二部。
どうせロクなもんじゃないのは予想がつくだが、ほんとたまったモンじゃない。匪賊が跳梁跋扈して有り金さらっていくのを皮切りに、税金も軍事費の負担で重くなり、おまけに軍の通り道になっただけでも様々な災難が降りかかる。これは中国だからってわけでもなく、第二次世界大戦の西部戦線でも大きく変わっちゃいなかったようだ。
今も昔も、軍は食糧や武器弾薬など多くのモノと共に移動する。今のイラクあたりじゃアカデミ(→Wikipedia)とかの民間軍事会社が兵站を担っているが、昔はもっとシンプルな解決法をとった。第一部でも軍の横暴が少し描かれていたが、「台湾海峡1949」でも似たような場面が出てきたんで、今でも貧しい軍は似た手口を使ってるんだろう。
【国】
国家とは何か、などと大きく構えた所は微塵もない作品だが、人がどうやって国民になるか、その過程も描いている。
これも始点は王龍だ。田舎の農民だった王龍は、食いつなぐため南の都会へと向かう。ところが、最初は「中国人と言われても、それは自分のことのようには思えなかった」。
そりゃまあ、朝から晩まで作物の面倒を見るだけの毎日で、テレビはもちろんラジオもなく、読み書きもできないから新聞や雑誌も読めないんじゃ、世界情勢なんか知りようもない。周囲にいるのは村の者と町の者だけじゃ、それが世界の全てと思っても仕方がない。
ところが、否応なしに民族を意識させられる事件が起き…
このテーマは、第三部になり、今度は主題の一つとして浮かび上がってくる。孫の王淵は、なんと米国にまで渡航するのだ。
解説によると、第一部には在米の中国人から散々な非難を受けたらしい、それに対する返答も含んでいるのか、王淵の気持ちの揺らぎを通し、国というシロモノの捕らえ難さと、それが巻き起こす感情の嵐が、しつこいぐらいに繰り返される。ここで王淵が米国に抱く嫌悪感は、案外とサイイド・クトゥブ(→Wikipedia)のソレと同じじゃないか、と思ったり。
サイイド・クトゥブ、エジプト人。地主の倅で知識人であり、米国に留学する。ところが留学中に反米および過激なイスラム思想に目覚め、帰国後はムスリム同胞団と合流するが、政府より弾圧され処刑される。彼の過激な思想は、アイマン・ムハンメド・ラビ・アル・ザワヒリ(→Wikipedia)などに受け継がれ、やがてアルカイダを生み出してゆく。
911の主犯モハメド・アタも、エジプトの中産階級出身で、母国にいた頃はノンポリだった。ハンブルグ留学中にテロ組織にスカウトされ、過激思想に染まった(「テロリストの軌跡 モハメド・アタを追う」)。その過程は今でも謎だ。ただ、王淵が感じた怒りは、多くの留学生が体験する事だろうと思う。
【続く】
なんぞと大きく振りかぶった事を中心にかいたが、この作品の最大の魅力は、もっと身近で誰でもわかるテーマにこそある。次の記事で、なんとか決着をつけるつもりです、はい。どうも好きな作品だと熱が入ってダラダラと書きすぎてしまうが、許してください。
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