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2016年4月14日 (木)

パール・バック「大地 1~4」新潮文庫 新居格訳 中野好夫補訳 2

「これでいい。陳はいつもおれの災難を防いでくれた番人なんだから、こうするのが一番いい」

 パール・バック「大地 1~4」新潮文庫 新居格訳 中野好夫補訳 1 から続く。

【どんな本?】

 中国で育ったアメリカ人のパール・バックが、1931年~1935年にかけて発表した三部作。清朝末期から戦乱の世へと向かう中国で、貧しい農民から身を興し付近一帯の大地主に成り上がる王龍から始まる一族の三代記を、親しみやすいながらも緻密な筆致で描く怒涛の大河小説。

【謎の魅力】

 ノーベル文学賞に輝いたり名作全集に入ったりとナニやら難しそうだが、新潮文庫版は2年に3刷ぐらいのペースで版を重ね、2013年には95刷になっている。派手な話題にこそならないものの、今でも着実に売れ続けているロングセラーだ。しかし、シェイクスピアやトルストイのように、いわゆる「教養溢れる」類の文脈で語られることはない。

 それは、この作品が、そういう高尚なシロモノではないからだ。単純に、お話として面白いから売れている。

 この面白さを味わうのに、多くの前提知識や教養は要らない。必要なのは、本をじっくり読む時間だけ。中学一年生でも、「お話」が好きなら、充分に楽しめる。逆に、技巧を尽くしたトリッキーな作品を読みなれた人だと、あまりに朴訥な語りにシラけてしまうかもしれない。

 ただ、何がどう面白いのかと言われると、巧く説明するのは難しい。でも好きなモノは布教したい。ってんで、頑張ってやってみよう。

【舞台】

 いきなり読者は清朝末期の中国の田舎に放り込まれる。清朝末期とは言ったが、作品中に「清朝」なんて言葉は出てこないし、登場人物たちもそんな言葉は知らない。第一部は、あくまでも田舎の貧しい無学な農民、王龍の目線で進む。読者も、「ちょっと昔の中国」ぐらいに思っていればいい。

 冒頭では、貧しい農民の暮らしをじっくり描く。

 窓はあっても、ガラスなんかない。紙を貼ってあるだけだ。家は土で作る。竈も土だ。いずれも自分たちの手で作ったものだ。水道なんかない。水は外から汲んできて、瓶に溜めておく。湯を沸かすにしても、ガスなんかない。枯葉に火打石で火をつける。お茶は贅沢品で、普段はお湯だ。おまけに「おれ、正月から全然、体洗ってねえんだ」とくる。

 現代日本の生活からすれば、こりゃもう完全に異世界で、もはやファンタジイやSFの領域だ。

 なんか遠い世界のような気がするが、私達の祖父母・曽祖父母の時代も似たようなもんだった。今の私たちはこういう描写を「よく作りこまれた世界」に感じるけど、発表当時のアメリカの読者、特に農民は「農民って、どの国も似たようなもんだな」と思ったんじゃなかろか。

 異世界に感じるにせよ、身近に感じるにせよ。こういった生活をじっくりと書き込むことで、舞台がクッキリと姿を現し、読者を物語世界へと一気に引きずりこんでいく。

 著者はアメリカ人宣教師の娘で、幼い頃から中国で暮らし、英語より先に中国語を覚えたそうだ。にしても、貧しい農民の暮らしをここまで詳しく描けるとは、当時のアメリカ人、それも女性としては凄まじく珍しい。よほど現地の人に溶け込んで暮らしていたんだろうなあ。

 改めて読み返すと、冒頭は夜明けだ。少しづつ明るくなってくる頃合で、読者の目にも描写にあわせ次第に舞台背景が見えてくる仕掛けになっている。粗野な台詞に釣られて語り口も粗暴のように思えるけど、実は読者にとても親切かつ細やかな気配りをしていて、とにかく分かりやすくて読みやすい文章なのだ。

 たぶん、これは著者がアメリカ人の読者を意識したからだろう。

 今と違い、当時はテレビが普及していないし、中国人の生活も知られていない。そこで、中国をよく知らないアメリカ人向けに、しつこいぐらいに細かく中国人の生活を綴ったんだろう。おかげで、当時の中国を良く知らない私たちにも、世界設定がわかりやすく伝わってくる。

【社会】

 そんな世界に住む人々が作る社会は、というと。

 話は王龍の結婚の日から始まる。結婚ったって、当時の事だ。王龍は、どんな嫁さんが来るのか知らない。全て父ちゃんが決めたのだ。しかも。

 嫁さんは、近くの地主の奴隷を、金で買ってくるのだ。その嫁さんも、元は食うに困った親が、幼い彼女を地主に売ったのだ。持たないものは弱く卑しく、持つ者は強く偉い。人権なにそれ美味しいの、そういう社会である。

 どんな社会にも、そういう部分はある。今の日本だって、持つ者と持たない者の格差は、れっきとしてある。だが、ビョードーだのジンケンだのといったタテマエに隠されているだけだ。この物語は、そういったタテマエが発明される前の社会を舞台にした事で、人のホンネを実に分かりやすく示してくれる。

 そんな弱肉強食の世界なだけに、そこに生きる人々も厳しいルールに従っている。

 わかりやすいのが、地主の門番だ。所詮は雇われ人だが、何せ旦那様との面会の権利を握っている。ただそれだけなのに、王龍に対してはやたら横柄に振舞う。相手が弱いと見ると、とりあえずタカピーに出て噛み付く。そういう困った人の性質が、悲しいぐらいによく出ている。

 その門番が、多少豊かになって立派な服を着た王龍が再度訪れる場面では…。まあ、人って、そういう所もあるよね。

 長幼の序や男女の差別も激しい。嫁さんが身ごもった時は、男の子か女の子かで大騒ぎしたり。男の子だと大喜びなのに、女の子だと「今度は、奴隷です」とくる。そもそも王龍の嫁さんに対する仕打ちも、現代日本の感覚からすると、かなり無茶苦茶だったり。

【王龍】

 第一部で主人公を務める王龍、貧しい農民から地主へと成り上がるんだが、いわゆる成功譚のヒーローといったタイプじゃない。

 彼は当時の農民の典型だろう。無学で字も読めず、劣等感の塊なのに見栄っ張り。そんな王龍の最大の特徴は、何度も繰り返し出てくる、土地へのこだわりだ。少しでも金が溜まれば、土地を買い漁る。手に入れた土地は、意地でも手放さない。日照りで家を捨てなければならない時も、家財道具は売っても鍬と鋤は手放さない。

 と書くとまるで王龍の特徴のようだが、農民ってのはみんな似たような性分なんじゃないかと思う。

 「無学で字も読めず」などと書いたが、別に愚かなわけじゃない。農民にとっては土地が資本だと、世の本質を見抜く目は持っている。

 おまけに、農業に関しては文句なしのプロだ。今の日本人で、土地を見ただけで肥えてるか痩せてるか、どんな作物が相応しいか、いつ種を撒きいつ獲りいれるか、水や肥料は適切か、こういった事を判断できる人が、どれぐらいいるだろう? 相場を見て、作物の売り時を適切に決められる人は? 牛の良し悪しがわかる人は?

 農業に関しちゃプロだが、残念ながら当時の中国じゃ農民は地位が低く、馬鹿にされている。そんなわけで、王龍も町の者や商人には卑屈になってしまうあたりが、なんとも。

 そんな農民が暮らす村の社会も、なかなかに面倒くさい。

 豊作が続き余裕ができても、派手な暮らしはできない。なんたって、「あまり親しくなると、借金を申し込まれる」なんて心配しなきゃいけない。こういうせせこましい人の心情が、これでもかと繰り返し出てくる。飢饉の年に、一族の厄介者である叔父が実に困った嫌がらせをしてくれるんだが、この場面には思わず「小学生のイジメかよ」と思ったり。

 今から思えば、小学校ってのは、ソレナリにヒトの本性を教えてくれる場所でもあったんだなあ。

 やがて成り上がる王龍だが、財産を築いた後の王龍の姿が、これまた典型的な成金なのが切ない。

 なにせ貧しい農民の出で、学もなく字も読めない。それだけならともかく、遊び方も知らない。彼が茶店に赴く場面で、見につまされる男は、意外と多いんじゃなかろか。相応の金は持っている。社会的な地位もある。でも、遊興地での遊び方は知らない。こういう時の、心細い気持ちを、なんで女性である著者が、こんなに巧く書けるんだか。

 成り上がり大きなお屋敷に住む事になる王龍。身分は上がったものの、元々が農民の王龍、作物のことはわかっても、上流階級の付き合い方は知らない。ってんで、色々と苦労する羽目になるんだが。長男の結婚のゴタゴタから彼が逃げ出す場面では、思わず王龍に同情するお父様が沢山いるだろう。ほんと、男ってのはw

 などと、決してカッコいいヒーローじゃないんだが、何かと「うんうん、あるある」と、男なら身につまされる部分の多いキャラクターなのだ、王龍は。なんで女性の著者が、これほど男の本性を掴んだ人物を創造できたんだろう?

【阿蘭】

 やっと出ました、文句なしに三部作中で最高のヒロイン。

 冒頭で王龍に買われる、奴隷の娘。嫁さんを買うって時点で、凄まじい話ではあるが。

 決して美人ではない。これは結構、大事な点だ。美しくないからこそ、彼女はヒロインとして輝く。

 10歳の時、親に売られ地主の家で働き始める。育ちが貧しいせいか、暮らしの知恵には長けている。薪を節約するために、枯れ木や落ち葉をかき集め、また大通りでは獣の糞を拾って肥料にする。骨惜しみせず働き、家事ばかりか畑仕事もこなす。おまけに無口で、特に自分の事は滅多に話さない。

 当時の感覚だと、理想の嫁さんなんだろう。他にも何かと王龍を助けるわけで、ぶっちゃけ王龍の出世は八割がた彼女の功績と言っていい。

 にも関わらず、作品中の彼女の運命は…。 だからこそ、彼女は燦然と輝くヒロインなんだけど。

 まるで従順な獣のように黙々と働く彼女が漏らす台詞は、口数が少ないだけに、朴訥ながらどれもこれも読者の心に突き刺さってくる。無口で無表情、口を動かさずひたすら手を動かす彼女が、ごくまれに漏らす心の内。途切れ途切れに語られる、彼女が胸の奥に秘めた想い、幼い頃からの彼女の人生。

 決して綺麗ごとだけで生きている人ではない。特に、かつて勤めていた黄家への思いは、滅多に感情を表に出さない彼女が、その心の奥に何を潜めているかが、少しだけ覗き見れる貴重な場面だ。

 常に王龍の陰に隠れ、機転が利くわりに功は王龍に譲り、黙ってひたすら働き続けるだけなのに、この作品を語る人は口を揃えて彼女を絶賛する。登場場面はそれほど多くないし、台詞も少なく、けっして美しくもないのに、この作品で最も鮮烈な印象を残す、物語の登場人物としては空前絶後のヒロインだろう。

【続く】

 と、また熱中してダラダラと書いてしまった。次の記事に続きます。

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