フランク・ディケーター「毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958~1962」草思社 中川治子訳
1958年から62年にかけて、少なくとも4500万人が本来避けられたはずの死を遂げた――これが本書の見解である。
――はじめに 「四千五百万の死」が意味するもの「私たちにはどういうことになるか、わかっていましたが、思い切って意見を言おうとする人はいませんでした。何か言ったところで、殴られるだけです」
――第五章 「衛星(スプートニク)を打ち上げる」通渭県は、黄河の支流を山の中に迂回させ、不毛な高原を緑の大地に変える水路を建設するという省の計画の要に位置していたため、農民の五人に一人がダム建設に駆り出された。そして、灌漑事業に発破をかけるために派遣された視察団を満足させるために、農民の半数が収穫期の真っ只中に遠く離れた建設現場に引っぱって行かれた。
――第三十五章 戦慄の地四川省の栄県では、県の指導者、徐文正が公式統計には二つのルールを設けるよう命じた。すなわち出生率が死亡率を上回ること、死亡率は2%以上であってはならないことの二つだった。
――第三十七章 死者の最終集計
【どんな本?】
1957年、スプートニク打ち上げで意気が上がったソ連のフルシチョフは宣言する。「15年以内にアメリカを追い抜く」。これに対抗し、毛沢東も対抗した。「中国も15年以内に、イギリスに追いつき追い越す」と。これが人類未曽有の大災厄の始まりだった。
以後、中華人民共和国は産業力の強化を目指し、人民公社による集団農場や大規模ダム建設、国家あげての製鉄など無数のプロジェクトを立ち上げ、壮大な成果を上げてゆく…少なくとも、書類の上では。
だが、集団農場は農地を荒廃させ、建設したダムは土地を水没させた上に洪水を引き起こし、製鉄フィーバーは粗悪な鉄を量産した上に鉄道のレールなど鉄鋼製品の品質低下を招き、インフラを崩壊させてゆく。
その時、中国では何が起きていたのか。人々は目前の危機に対し、どう対応したのか。なぜこんな間抜けな政策がまかり通ったのか。現実を直視し政策の誤りを指摘する者はいなかったのか。事実を示した時、共産党の幹部たちはどんな反応を示したのか。
「大躍進(→Wikipedia)」と呼ばれる悲劇の実態を、主に地域の档案館に保存された公開資料を基に、多くのインタビューで補いながら描く、衝撃のドキュメント。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Mao's Great Famine : The History of China's Most Devastating Catastrophe, by Frank Dikotter, 2010。日本語版は2011年8月5日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約463頁に加え、訳者あとがき4頁+鳥居民の解説「毛沢東の誤りを認めよと説く幹部がいる」6頁。9.5ポイント42字×18行×463頁=約350,028字、400字詰め原稿用紙で約876枚。文庫本なら厚めの一冊分。
文章は比較的にこなれている。中国物だけに見慣れない漢字がたくさん出てくるが、その大半は地名・人名などの固有名詞なので読めなくても問題ない上に、ルビもふってある。
内容も特に難しくない。それまでの歴史的な経緯も第一部で説明がある。「20世紀の中国では国民党と共産党が争い、共産党が勝って大陸を支配し、国民党は台湾に逃れた」ぐらいに知っていれば十分。
ただし肝心の大躍進自体がかなり悲惨な事件であり、バタバタと人が死んでゆく。次の目次を見ればわかるように、グロ耐性のない人には辛い本だ。
【構成は?】
第1部で大躍進政策へと至る経緯を語り、第2部以降では様々な視点で現場の様子を描いてゆく。第2部以降は比較的に独立しているので興味がある所を拾い読みしてもいいが、第1部は最初に読んでおこう。
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【感想は?】
権力の暴走が何をもたらすのか、その悲惨さをまざまざと見せつけられる。
大躍進がどの程度に間抜けな政策だったのかは、Wikipedia を見ればだいたいわかる。というか、Wikipedia の記事は、この本も参考としている。
多くの政策のパターンは同じだ。
- 偉い人が、無謀な政策をブチ上げて、農民の多くを動員し、コキ使う。
- 完成した物は役に立たないどころか、逆に大きな災害をもたらす。
- おまけに農繁期に農民が動員されたため、田畑は荒れて作物は実らない。
- 偉い人は叱責を恐れ「大成功」と報告し、報告に応じた年貢を中央に送る。
- 村は死屍累々の地獄にかわる。
例えば甘粛省。ボスの張仲良は中部と西部に水を行きわたらせるため、大水路を計画する。山にトンネルを掘り渓谷に橋を架ける工事に、省の労働人口の70%を動員する。ところが土壌浸食で山崩れが頻発、貯水池は泥で埋まる。農作業を放り出して工事に動員したため、農業は壊滅する。
間抜けな政策は山もりで、雀退治で害虫が増えたとか、深耕や密植で収穫が壊滅とか、灌漑したつもりが塩害で全滅とか、幾らでも出てくる。おまけに、作物を収穫しても杜撰な保管でネズミや害虫に食われたり、流通が麻痺して野ざらしになった穀物が腐ったり。
工業も似たようなもんで、高い金払って輸入した工作機械はメンテもせず酷使したため駄目になり、原材料は屋外に放置したため錆び、肉の缶に果物のラベルを貼ったので腐り、機械のスペアや部品は港の倉庫に積み上げられる、ばかりでなく、それらを製品として出荷したから、さあ大変。
有毒な染料で着色した食品を食べた者は中毒で倒れ、農機具はすぐに壊れ、時計はバラバラな時刻に鳴り響き…
など現場の状況をあげていくとキリがないし、ネットを漁れば幾らでも出てくる。この本には、そういった愚策の例に加え、こんな狂気の沙汰がまかり通った仕組みと、生き延びるため民衆がどう対応したのかも、生々しく描いている。
狂気がまかり通った仕組みも、色々ある。上層部では、政策が権力に直結しており、毛沢東に逆らったら転落するため、逆らえなかった。どころか、ご機嫌を取って法螺を吹き、嘘の実績をあげてツケを民衆に回す者が権力を握った。これは中国に限らず組織ではありがちな構図なので意外でもないが。
元がフルシチョフへの対抗心で始まったため、外交的な見栄も働いている。繊維製品は原価を割って売り飛ばし、宿敵の日本を倒そうとする。飢餓のさなかにキューバ・インドネシア・ポーランド・ベトナムに穀物を提供し、アルジェリア・カメルーン・ケニア・ウガンダ等の共産主義者を支援する。
ここでもう一度、日本が出てくる。「日本の外務大臣は中国の陳毅外交部長に、小麦十万トンを目立たないように送ると内密に持ち掛けたが拒絶された」とある。時期的に岸内閣の藤山愛一郎か池田内閣の小坂善太郎/大平正芳か。
現場に近いところで威力を発揮したのが、共同食堂。家庭での煮炊きを禁じ、共同食堂でしか食えない制度にする。これは実に恐ろしいしくみで、食うものを党に握られてしまう。幹部に睨まれたら食えなくなるわけで、命を握られているのと同じことだ。
こういった絶対的な権力を握った者が、反省なんぞする筈もなく。女は犯し男は殴り殺し、亡くなった者の配給票はネコババして懐を肥やし…
それでも飢えた者たちは、生き残るため必死に工夫する。駅員や船頭は輸送中の穀物をチョロまかし、郵便局は小包をパクり、農民は畑の作物を盗み食いする。共同食堂に務める者も、当然ながら…。などとコッソリやるばかりでなく、地域によっては党の書記が「近隣の村への襲撃を組織」する始末。
ここまで追い込まれても、体制が揺らがなかった理由を、著者はこう書いている。
飢餓に見舞われたベンガルやアイルランド、ウクライナなどでも、飢餓状態が確実となった時点では、すでに人々は衰弱しきっており、武器を手に入れ反乱を組織することはおろか隣村に歩いていくことさえ難しくなっていたからだ。
加えて、毛沢東への個人崇拝もあった。「皇帝は慈悲深いが取り巻きは堕落している」って図式を、人々は信じ込んでいたようだ。
批判を許さぬ権力が暴走したとき、どんな地獄が出現するか。無能な出世主義者が地位を得たとき、どんな愚かな真似をするか。矛盾に満ちた社会に、人々はどう対応するか。権力の恐ろしさを、つくづく感じる一冊だ。
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